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占いとの根本的な違い3

開運おみくじ

(・・・「おみくじ」も、あくまでご参考です)

すでに述べた「パート1」「パート2」でもう十分かもしれませんが、ここではさらに細やかなことを述べていきます。一部重複がありますが、「振り返り」としてお読みいただければ幸いです。 なお、ここでの見解は、あくまで私の現時点での考えです。もちろんこれがすべてではありません。

私としてはこの内容だけで満足することなく、ときおり見直しては加筆修正をしていきます。「根本的な考え方」は簡単に変わらないでしょうが、細かい部分については修正する可能性がある旨、ご了承願います(他のページと同様、最下部に最終更新日を記載いたします)。

「霊感」や「神通力」は占いに不要

「前のページ」で述べたような「占いに深く依存する人」に対し、「そんなの、依存するヤツが悪いじゃん」と見なすのは、一理あるでしょう。あくまで本人の意思で何度も占いに行ってしまうのだから、そりゃ自己責任でしょ、と。「占いにハマる人」をあまり良しとはしない世間の風潮も手伝い、依存する人はかなり苦しい立場にあります。

ただ、一方で占いサービスの運営側にも、問われるものがあるでしょう。まず、何度も述べているように、「偽りのファンタジーあふれるセールストーク」で良いのか、という点です。

詳しいことは後ほど述べますが、多少でも「占いの技術」を学べば、「ある程度の割合で当てること」は、そう難しくはありません。まして「天性の霊感」や「神から授かりし叡智」とやらも必要ないのです。そんな「特殊能力」を不要にするのが、実は「占いの技術」だからです。

実際の大半の占い師の実像は「普通」どころか「変人」「奇人」「変わり者」(私もそうですけどね)なのに、占い会社・占い師は「能力モリモリてんこ盛り」なのです。占いなんてもんは、ある程度のレベルまでなら、誰だってできるんじゃい。

「神の叡智を授かりし、選ばれし者」と言う割には、マンガの『ワンピース』みたいに「能力者」だらけ。「選ばれし者」って、たっっっくさんいるのね。オリンピックのメダリストの方がよっぽどすごいと思いますけど。あちらは完全に実力なのだから(もちろん実力の上に運も働きますが)。

もし本当にその全員が「神通力」を発揮できたら、大半の人間はとっくに幸せになっているはず。「なんなら地球ごと開運したるがな!」ってぐらいの勢いのはず。地球が「銀河系宇宙の最優等星」になれる日は目の前だ・・・なんてことはない。占いは、学べば誰でもできるのですから(そして、核の暴発リスクを抱えている地球は、まだまだ発展途上星)。

もちろん、より高みを目指すなら、「豊富な経験」と「絶え間ない研鑽」から導かれる「真の直観力」は必要です。「真の直観力」は、「霊感」や「神通力」に等しいか、あるいはそれらをも超える力です。だから、高度なレベルの占いにおいても、「霊感」や「神通力」は必須ではないのです。

「前のページ」でも述べたように、例えば普段は「派遣社員」や「専業主婦」として一般的な生活をしている人でも、ちょっと占いを勉強して、多少コミュニケーションが取れる人であれば、副業として「電話占い師」ぐらいはできるのです(老舗サイトだと難しいかもしれませんが、少なくとも人手不足の新規サイトなら十分に可能性はあります)。

それなのに、「ファンタジー全開の演出」をしてしまう。また、実際は「占い経験が1~2年程度」でも、表面上は「鑑定歴10年」とされることはザラです。それらは実情に見合わない「不誠実なもの」です。「違法ではないが、かなり不適切」なのです。いずれも、相談者に「過度の期待」をさせてしまうものではないでしょうか。

「当たるも八卦、当たらぬも八卦」の意味

西洋の古時計

では、さらに違いを説明するために、「普通の占いや霊感」について見解を述べていきましょう。

「神様」でない私たちは、誰ひとり「未来」は完璧にはわかりません。それは「占い師」も同じです。いわゆる「霊感」や「タロット」などで導けるのは、「未来に起こる可能性の、あくまで一つ」に過ぎません。 逆に言えば、「何とでも言えてしまう」わけです。

ただ、もし「何とでも言えてしまう」ほどいい加減なものなら、占いなんてとっくに消えているはずですね。でも、そうならないのは、すべてではないとしても、「当たる場合もある」からです。

「手相」「人相」「姓名判断」「占星術や数秘学などの誕生日系」などの占いというのは、その人間の「過去」に基づいて未来を観てゆくものです。統計的にかなりのデータが蓄積されているので、それと照らし合わせれば、ある程度「過去・現在・未来の流れ」は予測できるのです。

たとえ波動(オーラ)が重たく暗い占い師でも、「統計データ」を活用すれば、ある程度は当てることができるのです。これが先人が積み上げてきた「統計データ」の素晴らしさです。

特に「過去から現在への流れ」については「動かせない事実」があるため、検証、納得しやすいのです。ただし逆に言うと、あまり占い師としての実力がなくとも、「統計データ」の素晴らしさに助けられてしまうところがあります。

ちなみに、私が波動がある程度まで観えるようになる前は、誕生日で未来を観る「数秘学」を勉強し、それによっていろんな人を観ていました。現在のセッションでは使わなくなりましたが、今でもときおり「観えている波動」のチェックとして使うことがあります。また、後に述べる「タロット」についても、もうセッションでは使いませんが、個人的に活用しています。だから、ここで述べていることは、「単なる知識」ではなく、拙いながらも「自分の経験」がベースにあることを付け加えておきます。

また、「タロット」「オラクルカード」「易」など道具を使うもの、加えて「霊感」は「直感を活用するもの」に属します。例えば「電話占い」のサイトを見てみると、占術名に単に「タロット」でなく「“霊感”タロット」と「霊感」の言葉がついているのは、「霊感」も「タロット」も道具の有無はあっても、「直感を使う」という点では同じだからです。

ただし、それはぶっちゃけ「頭に『霊感』という言葉をつけた方が集客率が上がる」という運営側の都合もあるのですよ。占いに行く人はたいてい何かに困っているので、「霊感」と付けた方が「何かやってくれそうな期待値が上がる」というわけです。そのため、「特殊な霊感」などないのに、ただ「霊感」のフレーズを盛っている場合があるので注意です。

人間の直感は「第六感(シックス・センス)」とも言われます。それには「未来を見通す力」があります。ただ、普通の占い師は「素手」よりもタロットなどの「道具の助け」を借りた方が、その直感をカタチとして表現しやすいのです。

ただし、これも逆に言うと、それは「実力のないことのゴマカシ」としても使えてしまいます。道具を使った方が「それっぽい鑑定を見せられる」からです(私はそれがイヤなので原則は「素手」なのです)。

「直感を使う占術」は、先ほどの「統計を活用する占術」よりは文字通り「直感力」が必要ですが、これまた占い師の波動が重たく暗いとしても、「ある程度までは当たる」のです。素人が遊びでタロットを引いても、「おっ!結構当たってんじゃないの!?」と感じることは意外と多いのです。私はお客さんとの雑談で、よくそういうことをお聞きします(さすがに複雑な引き方は修練が必要ですが)。

いや、ここで「当たる」と述べると、語弊があるかもしれません。正確に言えば、「出てきたカードの解釈」は、占い師の見解です。それが相談者にとってよほど「的外れ」でない限り、「当たる」も「当たらない」も、「正しい」も「間違い」もありません。それよりも「相談者がそれを信じられるかどうか、納得できるかどうか」ということが大事なのです。

だから、占い師の能力の本質は「霊感」でも「神通力」でもなく、「解釈力」そして「コミュニケーション能力」なのです。つまり、出てきた鑑定結果に対し、相談者の状況や背景に合わせた「最善の解釈」をし、それを相談者に「わかりやすくコミュニケート」する能力なのです。そりゃもう立派な「接客業」なのですよ。

その意味で、やはり「口達者な人」「詐欺師的な才能を持った人」は、ある意味で「占い師の適性」があると言えるでしょう。「詐欺師」と言うと聞こえが悪いですが、言い換えれば「言葉の魔術師」です。言葉ひとつで人に勇気を与えられもするし、洗脳もできるというわけです。願わくば「善い方向」に才能を発揮していただきたいものです(もちろん、才覚だけではやがて頭打ちでしょうが)。

ただし、ここにおいても、やはり「当たるも八卦、当たらぬも八卦」なのです。これは第一に「鑑定結果がどこまで当たっているわからない」という意味。そして(関暁夫さんの「都市伝説」の決めゼリフの通り)第二に「信じるか信じないかはあなた次第です!」という意味があるのです(YouTubeで「関暁夫」を検索すると、怪しげな動画がたくさん出ます笑)。

「パート1」でも述べたように、何をもって「当たる」とするか、「当たらない」とするかは、相談者の価値観や解釈にも委ねられるのです。

「パート1」で述べた「予言の当たり屋」のように、鑑定結果を盲目的に信じれば信じるほど、かなり無理はあっても「当たってしまう」ことになるのです。「客観的かつ現象的に当たる」のではなく、「主観的に心理的に『当たっているもの』と思い込んでしまう」のです。このように、「当たる/当たらない」の境目は、かなり曖昧なものと言わざるを得ません。

だからこそ、「パート2」で述べたように、占い師は「権威の演出」に力を入れることによって、相談者からの信頼を高めようとするのです。「この占い師はスゴいらしいから、信頼できそうだ」と思われたら、「客観的に当たる」かどうかはさておき、「心理的に当たる」可能性は高まるのです。

もちろん、占い師が「直感」でなく「ただのヤマカン」の割合が多いほど、あるいは出てきた鑑定結果の解釈が浅いほど、(客観的にも心理的にも)外れる可能性は高くなるでしょう、また、相談者が賢明であるほどいい加減な占い師の言葉は信じないので、やはり(心理的に)外れてしまうでしょう。

「当たるも八卦、当たらぬも八卦」の理由
これまで述べてきたように、「完璧な占い」というものはありません。誰しも、未来は完全にわからないからです。それでも時と場合によっては「当たる」のです・・・それは繰り返しますが、「統計データ」や「道具」の素晴らしさに助けられている側面があるのです。だから、その占い師や鑑定の進め方が「本当かウソか」の「厳密な判別」は、かなり難しいと言わざるを得ません。やっぱり占いは「当たるも八卦、当たらぬも八卦」なのですね。

 

また、「何をもって当たるとするか」という定義が人それぞれ違うことは、すでに述べた通りです。これは占い師からすれば、なかなか悩ましいことです。例えば「3~4ヶ月後に出会いがあります」と鑑定されて、実際に出会いがあったとします。しかし、その出会いは相談者によっては「本命」ではないとしたら、それは相談者にとっては「当たらない」と解釈されてしまう。ただ、事実としては「ちゃんと出会いがあった」わけですね。もし相談者が広く物事を解釈するなら、「本命ではなかったけど、ちゃんと当たったかな」という解釈もできるのです。

 

そして、「当たるかどうか」は、相談者側の「運勢」によっても左右されるところもあります。たとえ鑑定が的を得たものであったとしても、本人の「心がけ」がネガティブな状態だと、その通りには実現しにくくなります。その可能性があるので、「なんだあの占い師は!全然当たんねーじゃん!」とクレームをつける前に、自分の「心がけ」を振り返る必要があるのです。もっとも、そうやって冷静に自己分析できる人なら、クレームなど起こさないでしょうが。

 

「当たらない」のは、占い師が未熟だからでしょうか。それとも、相談者が未熟だからでしょうか。あるいは、占い自体が「確実性を保証しないもの」だからでしょうか・・・ここに「明確な線引き」をすることは難しいでしょう。

 

だから、「投資」のように「自己責任」が求められると言えるでしょう。「経済評論家」が占い師で、「投資家」が相談者みたいなものです。完全に未来の相場を読める経済評論家(占い師)はいません。けれど、過去の経済指標のパターン(運勢)から「次はこう動きます」という未来予測はできる。あとは投資家(相談者)が自己責任で判断するのです。

 

「当たるも八卦、当たらぬも八卦」には、「占い師側」にも「相談者側」にも問われるものがあるのです。ただし、占いの大半は「宣伝」や「能力アピール」が派手なものです。だから、「当たらない」となればその反動として、「あの先生、全然当たんねーし!」「マジ損したわ!カネ返せ!」という悪評が立つことになります。いくら相談者の「心がけ」が悪かろうと、「そんなもん知ったこっちゃねーよ!だって『怖いほど当たる』とか『驚くほどの的中率』とかって宣伝してたじゃん!」と、お客さんである相談者の立場の方が強いのです(そもそも自己責任で判断できる依存心の少ない人は、悪評など立てないものです)。

 

別に肩を持つわけではありませんが、完全にわからない未来を、お客さんの「誰かに不安を解消してもらいたい」「誰かに答えを決めてもらいたい」という依存心まじりのニーズに応え、多少無理があっても「あえて言い切る」占い師は大変です。占い師だってサービス業。リピートはしてもらいたいし、悪い評判は立てられたくない。また特に占い運営会社の立場であれば、理不尽なクレームにも耐えなければならない(運営側は「依存的な人はクレームが冷めれば、結局また占いに依存する可能性が高い」ということを経験的に知っているので、いちいちクレーマーとケンカしませんが)。

 

だから、占い師はできれば穏やかなことだけ言って、鑑定を乗り切りたい。しかし、「答えらしきもの」を言わないと、満足しない相談者は少なくない。それで言い切ってしまうと「当たんねーよ!」と言われるリスクを背負うことになる。だから、あまり細かく言い過ぎない工夫も必要となる・・・私はときおり「現役の占い師さん」からもお話をお伺いすることがあります。接客業としての「占いの現場」はなかなか大変なのです。

このページでは、単に占い師を批判しているわけではありません。このページを作りながら、「あぁ、占い師もなかなか大変な商売やな・・・」と感じます。ときおり現役の占い師さんからご相談を伺っていると、「スゴい占い師」を演じるのも結構ツラいよな・・・と思うこともあります。

このように、「占いの裏と表」を少し知るようになってから、私は「当たる/当たらない」の境目がとても曖昧な占いはやりたくないと思うようになりました。また、「怖いほど当たる!」とか「神から授かりし霊感で奇跡を起こす!」とか、ともすれば依存心を刺激しかねない宣伝もするまいと思ったのです。

私はセッション方法の中心は「人間の波動を観る」ということです。それを通じて「確実にできることだけ」「自信を持ってできることだけ」をしたいのです。「パート1の最後」に述べたように、「『当たる/当たらない』ではない領域」でセッションをしたいのです。

派手な宣伝はしない。ヘタに能力を盛り過ぎない。そのことによって、ご相談者が減っても結構。それで廃業を余儀なくされても結構。繰り返しますが、「虚飾」や「誇張」によって私の波動(オーラ)が重く汚れるぐらいなら、地味にやっていた方がずーっと良いのです。

「イケてない占い師」が多い理由

泣き崩れる赤ちゃん

この項目もまた、大半は「自己批判」のつもりで述べていきましょう。批判だけして悦に入るつもりはありません。述べたことのすべては、自分に跳ね返ってくることですからね。

たとえ「波動(オーラ)」が重たく暗い人でも、「統計データ」を活用すれば、ある程度は占えてしまう。タロット等の「素晴らしい道具」を使えば、ある程度は占えてしまう。これはすでに先ほど述べた通りです。

私は「ヘタに当たってしまう」ことが、「『波動の良い占い師』が少ない原因の一つ」ではないかと思っています。「技術」だけ学んで満足しまうのです。ヘタに当たってしまうから、最も精神のエネルギーを使う「心を磨くこと」「人間を学ぶこと」「相談者の苦悩に共感すること」などの大切なことが、おろそかになってしまうのです。

だって面白いもんね!「それなりに当たっちゃう」ってことは!

最初は「友だちだけを占う程度」でも「えーっ、当たってるよ!●●さんすごーい!」と喜んでくれる人が何人か出てくると、これまでの生活がツマらなく感じている人ほど、面白くなるに決まっているのですよ。

もちろんすべてではありませんが、「占い」を学ぶ人の中には、「それまでの人生がうまくいっていない人」や「心を病んでいる人」がいます。また、「うまく人間関係を築けない人」や「会社勤めなどの社会生活がうまく送れない人」も、少なからずいると思われます。

ちょうどこの文章をカフェで作っているとき、隣の席で「40歳前後の女性二人」がこんなことを話していました(Aさん、Bさんとしましょう)。

Aさん「●●さんってさ、なんか『タロット占い』やってるらしいよ。あと『アロマ』もやってるんだって」
Bさん「えー、そうなんだ。でもさ、●●さん、ココロ病んでるらしいよ。学校の栄養士、すぐやめたらしいよ。ってかさぁ、病んでる人に見てもらいたい?」
Aさん「まぁいいんじゃないの。それで少しでもお金を生んだらさ。勤め人の稼ぎの足しになったらいいじゃん」
Bさん「うーん、まぁそうかもしれないけどね~。私はヤダなぁ」

私は音楽を聞いていたのに、ホームページのネタを探している「問題意識」のおかげなのか、会話がめっちゃ耳に入ってきました・・・すかさず「メモ帳アプリ」に打ち込んだ次第です。そして、会話の中の「●●さん」の波動を拝見し、「あぁ、確かにしんどそうやなぁ・・・」と感じていました。このように、自分の悩みが「占いを学ぶきっかけ」になることは、決して少なくないようです。

「悩み」や「葛藤」の解決や解消を求めるプロセスにおいて、占いに出会うことがあります。最初は「お客さんの立場」で鑑定を受けるだけだったけれど、ちょっと興味が出てきたから、自分も何かを学んでみる。ある程度学んだあたりで、試しに家族や友人を観てみる。そこで先ほどと同様、「えーっ、当たってるよ!●●さんすごーい!」と喜ばれる機会が出てくる。

ここで「けっこう人に喜ばれるみたいだし、自分も占い師やってみようかな」と考える人が出てくる。あるいは、「占い師だったら一人でもできるよな。もしうまくいったら、イヤな会社勤めをしなくても済むようになるしな」と考える人も出てくる。

また、「先生」みたいな立場にもなれるので、「劣等感の深い人」はその反動として「優越感を満たせる」ことも、ある意味ではメリットです(そういう人は、相談者から鑑定結果にケチをつけられると、ものすごく感情的になりがちです。本当は「劣等感が深い」からでしょう)。

最初は「カフェで友だちを占う程度」だったけど、だんだん「ワタシって結構イケるかな?」と思えてくる。「だったら、しょーもない会社勤めなんか辞めて、超ウザい上司やお局様(おつぼねさま)とはオサラバして、占い師やった方がいいじゃん」とか「だったら、ダンナの給料だけじゃ心もとないし、私だって自分の好きな趣味とか服とかにお金使いたいし」とか、「好きなことをして、生きていく」可能性にワクワクしてくる。

ただ、上のような段階の占い師が一番多いので、「電話占い」や「対面鑑定」のサービス供給側は飽和状態となり、占い一本でメシを食っていくことは難しくなります(「副業程度」ならまだやっていけますが)。試しに電話占いのサイトを見てみればわかりますよ、「先生の数がめっちゃ多い」ってことが(占い運営会社側が「占い師の待機不足による顧客の不満」を避けるため、多めに採用するという事情もあるでしょう。ただし多すぎると占い師がヒマになるので、注意深くコントロールしていると思われます)。

加えて、その飽和している占い師の世界は「人気商売」という側面があります。だから、少しでも目立つように、それっぽいコスプレ、それっぽい宣伝をし、「キラキラネームっぽいヨコ文字」か「読めない漢字」のビジネスネームをつけるわけです。占い運営会社は「すごそうに見える」方が集客ができるとわかっているので、当然ながら所属占い師には(本人の意向はともかく)そういう演出をさせるのです。

なお、占いサイトにお客さんが書き込む不平不満の多くは、運営会社が意図的にカットします。特に「誹謗中傷レベルの書き込み」は、「ただの個人攻撃」と見なされ全部カットされるでしょう。本当は誹謗中傷されるだけの理由があるかもしれませんが、それは表には出ません。結果的に、ネガティブなものは皆無か、軽いものしか表に出ません。わざわざ集客率を下げることなんかしませんよ。

その上で、お客さんにリピートしてもらうように、甘い言葉をかけるか、逆に強気な占い師は(特に気弱な人を)「脅しにかかる」わけです。そのもろもろの「虚飾」や「演出」の結果、波動(オーラ)はさらに重たくなり汚れてしまうわけです。しかし、そういう人でも、「誕生日などの統計データ」や「タロットなど直観をカタチにする道具」を使えば、ある程度は「当たってしまう」のです。

その結果、「自分の抱えているネガティブな感情を癒す」ことや、占いの方法だけでなく「人間を学ぶ」「人生経験を積む」ということがおろそかになってしまうのです。「自分を見つめること」の苦しさに比べれば、他人を見ることの方が、よほどラクで、楽しく、そしてお金になるのです。

占いの方法を知っていることと、「人生の真実」「宇宙の理法」「霊的な真理」を識(し)っていることは、「似て非なる」どころか、まったく次元が違います。「占いの技術」に長けている人物が、そのまま「人生通」「人間通」とは限りません。後者に関しては、普段から道を求める姿勢と、そして学びとしての深い体験が必要不可欠なのです。占いは単なる道具に過ぎません(私の「波動を観る」という行為も同じです)。

・・・私は自分のことをとても「人生通」「人間通」とは言えないけれど、少なくともそれを自ら求める姿勢なくして、こういう仕事はできないものと思います。

「自分の未熟さ」を見つめられない占い師

フランスの占い広告
(フランスの占い広告・ネットから拝借。なかなか怪しいですね 笑)

「心理カウンセリングの世界」では、「教育分析」という学びがあります。これはカウンセラー自身が、より経験の豊かなカウンセラーからカウンセリングを受けることによって、「自分の内面を見つめる」のです。まともなカウンセラー養成コースでは、その時間を多く持たない限り、絶対に一人前として認めてもらえません(残念ながら大学機関を除くカウンセラー養成講座の大半には、この教育分析がありません)。

私の場合は「師匠という存在」が教育分析にあたるでしょうか。お優しい人なので叱られたことはありませんが、いつも「成長のためのヒント」を与えていただいています。また、私は心理カウンセラーではありませんが、実は「プロの心理カウンセラー」の方から、自己学習としてカウンセリングを受けていた時期もあります(今後も折に触れて受けるつもりです)。

さらに、約10年ほどの社会人生活(ほぼ営業)の中でご指導してくださった「諸先輩方の存在」も、振り返れば教育分析にあたるでしょう。上司による鉄拳制裁、パワハラまがいの「有り難いご指導」、また「お客さんからの理不尽さも含めたクレーム」によって、ずいぶん人間として鍛えていただいたものです(何度も逃げたいと思いましたが・・・)。

さらにさらに、これは恥を忍んで述べますが、「うまくいかなかった鑑定(私の場合はセッション)」を虚心に振り返るなら、そこには「教育分析と肩を並べるか、それ以上の学び」があるのです(もちろん、うまくいかないことは無い方が良いのは、言うまでもないことですが・・・)。

なぜなら、うまくいかない根本的な理由は、「鑑定結果かどうこう」ではなく、もちろん「相談者が悪いから」でもなく、実は「自分の人間としての未熟さや傲慢さがあるから」なのです。そこと一番向き合えるのは、失敗や敗北の瞬間です。

それにも関わらず、そこで「チッ、ヘンな客に出くわしてしまったな・・・」「あの客の心がけが悪いからうまくいかないんだ・・・」「ワタシは一生懸命やってあげてるのに・・・」なんて相談者に原因を見出していると、人間として絶対に成長できないのです。

たとえ相談者がクレーマー的な性格だったとしても、鑑定だけ受けて何も行動しない人だったとしても、それすらも「自分が未熟だからだ」と引き受ける覚悟が必要なのです。逆に、その覚悟がなければ、一歩間違えれば波動を重く暗くしてしまう占い師など、ユーやめちゃいなよ。その方が、よっぽどユーの「開運」になっちゃうよ。

あなたが占いをよく利用する人なら、心当たりはありませんか?いきなり説教する人とか、「あなた、それは●●なのよ」「それはあなたが悪いのよ」って考えを押しつける人とか、最初は機嫌良かったけどちょっと意見が合わないとキレてしまう人とか・・・中でも定番の決めゼリフは「あなたの波動が悪いから、あなたはダメなんだ」というものです。

もしあなたが関わった占い師の中にこのセリフを吐く人がいたら、心の中で「チーン・・・はい終了!」とオワタ認定してください(笑)その占い師の占術一覧の中に「縁切り祈願」があれば、代わりに縁切り祈願してやれば良いでしょう。たとえあなたが本当に「波動が悪い」としても、「それを言っちゃーおしめーよ」なのです。自分の未熟さを棚上げにしているからです。だいたい、幸せでうまくいっている人なら、占いなんか行きませんって。

そのような占い師の多くは、波動を観る限り、「人間としての鍛錬」をかいくぐっていないか、「せっかくの学びの機会」を逃しているのではないかと察します。もちろん、中には「過去にかなり苦しい経験をした占い師」もいるのですが、残念ながら「心の痛みを手放せていない状態」で止まったままの人もいるのです。

そういう人は、「自分以外の価値観や物の見方」をあまり許容できないようです。そして、ともすると「自分はこんなに苦労したんだから」と、「苦労自慢」をしてしまう。その苦労は、人の苦しみへ共感する土台となるものだというのに、エゴをカモフラージュする道具としてしまうのです。もったいないことです。

特にお客さんからケチをつけられたり、コミュニケーションがすれ違って感情的になると、「(苦労の少ない)相談者は何もわかっていない」と批判に転じてしまうのです。正直、そういう占い師の波動は「とても重たい」です。なぜなら、「痛み」をまるで宝物であるかのように隠し持っているからです。それが手放せば、もはや「自慢」できなくなるからでしょうか。

そうやって頑固になってしまうぐらいなら、ヘタに「苦労」など経験しない方が良いのです。そんな苦労は売ってでもしたくねえわ。むしろ「良い占い師」というのは「普通の人生経験で、普通に社会生活を送ることもできる。その上で、普通に占いが好きで、人と話すのが普通に好き」という人でしょう。

こういう「普通の方」は波動が安定しています。その上で「明るさ」を持っていれば文句なしですね。占い師には失礼ながら「ヘンな人」「ズレてる人」が少なくないので、こういう「普通の人」が誠実な鑑定とローカロリーな宣伝を続ければ、必ずや一定のお客さんに恵まれるでしょう。電話占いでも対面占いでも、ずっと人気をキープしている占い師は、どこか「普通さ」「素朴さ」を持っていると感じます。

「当たる/当たらない」を超えた世界

占いを知らない人であるほど「当たることそのもの」に驚いたり、価値を見出したりします。しかし、「運命の流れ」というのは、実は「ある程度は決まっている」のです。だから、まともに「統計データ」や「直感」を活用すれば、「(ある程度まで)当たるのは当たり前」なのです。

ただし、一方で「未来は完全に決まっていない」という点が、人生の面白いところです。ある程度までは当てられても、肝心な部分では外れることがあります。また、占いでは予想できないことが起こる場合もあります。そこで先ほども述べたように、「全然当たんねーじゃん!カネ返せ!」と占い師に(依存心から起こる)怒りをぶつける前に、そもそも「当たるも八卦、当たらぬも八卦」という占いの限界を知る必要があるでしょう。

占いを超えた世界
その「限界」を見つめるとき、人生の本質は、「当たる/当たらない」を超えた世界にあることに気づきます。なぜなら、「人生の問い」は深くなればなるほど、「答えなどない」からです。あるいは「答えはいくらでもある」からです。未来は決まっていない。しかし、選択は迫られている。

 

その「答えのない問い」と対峙する際に大切な指標となるのは、「何を選ぶか」ではありません。「いかなる心境で決めるか」ということです。これは「肚(ハラ)のくくり方」とも言って良いでしょう。この段階になると「当たる/当たらない」の単純なアドバイスは、まったく役に立たなくなります。たとえ「答えらしきもの」がわかったところで、それに向かって歩んでいくには、己の「不安」や「怖れ」と向き合う必要があるからです。

 

そういう「答えのない問い」に対峙しているご相談者を支えるには、占い師側が「己の人生の課題」そして「自分自身の答えのない問い」と向き合う姿勢が問われます。しかし、そもそも「普通の占い」にそこまで深い世界を求めない相談者が大半です。そうは言ってもやっぱり「答えが欲しい」「自分の代わりに決めてほしい」という相談者が大半です。だから、占い師側も「当たる/当たらない」の段階で頑張っていれば、ある程度の評価を得られます。ヘタに「答えなどないのです」なんて言ってしまうと、たちまちヒマになるでしょう(笑)「世渡り良い子ちゃん」はゼッタイにマネしちゃだめよ。

 

私は別にヒマになってもええわと思っているので、たぶん「アホ」です。でも「マジ」にやりたいとは考えている。ずっと、こういう「答えのない世界」で勝負したい。なぜなら、それが「人間として、一番成長できる」と思っているからです。また、前のページで述べた通り、私がその姿勢である限り、相談者も「マジ」にならざるを得ません。だからこそ、「真剣勝負のセッション」ができるのです。

 

もちろん「真剣勝負」といっても、日本刀で果たし合いをするわけではありません。むしろ見た目は「静かな時間」が流れるでしょうが、その時間は「深いレベルの自分」と対話する成熟した時間なのです。そういう時間を「いかに創造するか、いかに創発するか」ということが、おそらく私自身の「答えのない問い」なのでしょう。

「自分を信じる」ということ

何度か繰り返しているように、占いの類は「当たるも八卦、当たらぬも八卦」と言われます。「統計データ」や「直感」としてある程度の未来を見ることはできても、完全に見通せることはありません。だから、たとえ的を得た鑑定でも外れることがあります。そして、良くない鑑定でも「数撃ちゃ当たる」ことも出てきてしまう。

そして、すぐ上で述べた通り、人生の大切な場面であるほど、本来は「答え」などありません。

こういうことを上で述べた説明なく唐突に言うと、「じゃあ何を信じたらええんじゃい!」って胸ぐらを掴まれるかもしれませんね。でも、あなたがここまでお読みであれば、もうこの種の疑問はあまり浮かんでこないのではないでしょうか。

「神」を信じる?

それは私としては「アリ」ですけど・・・きっと万人ができることではないでしょうね。

そう、「自分を信じる」のです。

占いは、あくまで参考に過ぎない。

そして、私は「当たるか当たらないか、完全にわからない」占いの類はいたしません。

「波動を観る」ことはあっても、すべては「深く考えるきっかけ」をご提供するだけです。

そして、「深く考えるからこそ、自分を信じることもできる」のです。

実は、「深いレベルの自己は、最初から自分を深く信じている」からです。そこにおいては、もはや「信じる」も「信じない」もない。「信」しかないのです。

こちらの方が、「当たる/当たらない」の世界を超え、よほど「価値」がある。なぜなら、この「価値」は、絶対に失われることのないものだからです。

このように「私は自分を信じている」のですが、あなたはいかがでしょうか。

・・・しかし、そもそも「自分」というのは、何でしょうね?

私はこうしてまた、「答えのない問い」に入ってしまいます。

追伸1:「霊能者タイプ」のめんどくさい占い師対策

水晶玉で顔が反転する占い師

さて、長い文章も以上で終わりなのですが、あと少し補足いたします。もう少しだけお付き合いいただければ幸いです。

これまで述べた「普通の占い師」以外に、やや専門的になりますが、「特殊な霊能」を謳う「霊能者タイプの占い師」にも触れておきましょう。こういうタイプの人は、いかにも「スゴそう」ですよね。

ただ、そういった人物の波動を観察していると、「人格の未熟さ」を感じたり、「スゴい霊能力があると思い込んでいるだけ」または「自分は特別だと思い込みたいだけ」だったりすることが、決して少なくないのです。

そういう人の中には、それなりに「力のある人」もいます。しかし、往々にして「うまく社会生活を送れない」「普通の人間関係を築けない」「一般常識に欠けている」のです。だから、「自分の考えを押し付ける」「『あなたの行いが悪いんだ』と説教する」「ちょっと意見したり疑問を言ったりすると、すぐキレる」「自分が一番だとすごく思いたがる」というような「めんどくさいヤツ」になってしまうのです。

ただ、めんどくさいヤツになるのは、ある意味では「仕方がない」ことなのです。特に「生まれつきガチで霊的な体質の人」というのは、子どもの頃から「普通の人」と同じような生活を送れない。それはなかなか他人には理解されないから、途方もない孤独感を抱えることにもなってしまう。中には、苦しみのあまり自殺する人だっているのです。

そのような体質に生まれたのは「運命」です。そこにはきっと何かの「お役割」が与えられているのでしょう。だから、その人はその運命を受け入れ、「霊的な修行」をいくつも積み、能力をコントロールできるようにならなければならないのです。あのパイオニアの江原啓之さんも、特殊な体質を改善されるため、相当なご修行をお積みになったと聞きます。

ただ、江原先輩とは違い、霊能者として活動する人の多くは、往々にして「中途半端な段階」で世に出てしまうわけです。まだ未熟なのに「小金稼ぎ」で表に出てしまう。だから「感情のコントロール」がなかなかできない。「霊的に敏感であることの特徴」は、感情をコントロールできないということですから。

そして、そういう「中途半端な霊能者タイプの占い師」は、よく「私はよく念を受けるから大変なのよ」ということを言います。「念」というのは、「他人からもたらされるネガティブな思いのエネルギー」のことです。その「念」を相談者から受ける量が多くなると、心身のバランスを崩すのです。

そりゃあ「私はめっちゃ幸せです」「めっちゃツイてます」って人は、相談なんかしませんよ。やっぱり何かしら不安や迷いがあるから、相談するわけです。だから、そういう人から相談を受ければ、同時に多少の「念」も受けるでしょう。ただ、それも含めて「仕事」ですし、何も相談者は「念を飛ばしたくて飛ばしている」わけではないのです。

それなのに、特に機嫌が悪いと、相談者に対して「これ以上ワタシに念を飛ばすな!」ってキレることがあるのです。「アナタにたくさん念を飛ばされたから、私はとても辛い」って、まるで「被害者ヅラ」をするわけです。また、「アナタの念をたくさん吸ってあげたから」なんて言って、「追加報酬」を求める者もいます。

ハッキリ言いましょう。こういうヤツは「ただのバカ野郎」です。受けた念」を処理できず、セルフヒーリングできるほどの「基礎体力」もないからです。自分の未熟さや不勉強を棚に上げ、人のせいにする幼稚な思考の持ち主だからです。

もし、こういうヤツに出会って「私、よく念を受けるのよ~」なんて言われたら、「そうですか、私も超ウケるんですけどwww」って笑ってやればいいですよ。「基礎体力もないヤツはベンチに引っ込んでろバーカ!」って。そいつが「私も大変なのよ~」ってグチみたいにこぼすなら、「じゃあやめたらどうですか?よっぽど世のためになりますよ」と返してあげましょう。

そういう人は、本当は「普通の人と違う自分」に対して深い劣等感を抱いているのに、「ワタシは他の人とは違う特別な存在なのだ!」と、その反動としてイキがってしまいがちです。そのくせ「普通」も「常識」もあまりわからないから、人の気持ちを察することもできない。結果的に「めんどくさいヤツ」「スーパーウルトラ自由人」になってしまいがちなのです。

まぁ、これはなかなか難しいことなのですよ・・・意識の上では、最初から「特殊な体質」を望んだわけではありませんからね・・・実際に、能力のコントロールができず、人知れず悩んでいる方の話を聞いたこともあります。なかなか周りから理解されないので、本当に大変なことです。しかし、霊能を使った仕事を望むなら、徹底的に自分を浄化しなければなりません。

それは実に大変な努力が必要でしょうが、逆に言えば「それでも本当に人の役に立ちたいという志」があるかどうかを、問われているのです。ただし、「思い」だけではダメです。独りよがりの「使命感」もダメです。「人助け」とか「世直し」とか、ヒーロー・ヒロインごっこはおウチかゲームの中だけでどうぞ。

何度断っても周囲が「あなたの力が必要だ」と引っ張り上げてくれるまで、念を受けずに普通に接客できるようになるまで、徹底的に「霊的な基礎体力」を培わなければならないのです。それができなければ、少なくとも霊能を使う仕事はしない方がいい。逆に迷惑なだけです。きっと生きにくいでしょうが、普通の仕事をしておくれ。

めんどくさいヤツのめんどくさい言動は、占い運営会社の管理スタッフさんなら、目の当たりにすることがあるのではないでしょうか。電話占いならスタッフさんがときどき「モニタリング」(鑑定トークの傍聴)もしているはずですし。

過去に某スタッフさんから少しお話を伺ったことがあるのですが、「本当に自分勝手な人が多い」「スケジュールを確認したくて何度も連絡しているのに、まったく返事がない」「『あんなヘンな客は寄こすな!』と怒られる」などのグチを聞いたことがあります。「お互い様」「役割分担」だというのに、「センセー」はそんなにエラいものでしょうか。

そういう「めんどくさいヤツ」でも、表面的には「スゴい先生」として、ファンタジーのメガ盛りオニ盛りで権威を演出しなければならない。「幼少の頃より天から授かりし、万象を透徹せる稀代の霊能」なんてね。実に「厨二病」的な言葉ですね。マジで勘弁してくれ・・・。

しかし、占い運営会社は「営業利益」を出さなければならない。だから、そのためのマーケティングとしては正しいでしょう。ただ、「会社の存続のため」には必要な演出でも、やはり実情に見合ったものではないので、会社も占い師も、波動的に重たく暗くなってしまうのです。

そういった演出は、本当に「相談者のため」になっているとは思えません。

追伸2:波動が良くなくても、鑑定ができる霊的な理由

背後霊が多すぎる
(画像は「ボケて」より)

混乱するかもしれませんが、あえて付け加えましょう。その霊能者や占い師の背後に「低級霊さん」がついている場合、「見せかけの直観力」が出てくる場合があります。だから「スゴイ当たる」こともあるのです。「うそーん、マジで?」と疑問に感じたかもしれませんが、一部はマジなのです。

占い師や霊能者が霊格(人格)の向上を置き去りにし、「特別な力が欲しい」と強く思い続けていると、その人物の肉体を使ってイタズラしてやろうという意図を持った「低級霊」が取り憑く(憑依する)ことがあります。

「取り憑く」というのは意識(波動)の波長が合ったときに起こります。「特別な力が欲しい」という自分本意の願いの波長が、「それを使ってイタズラしてやろう」という低級霊さんの波長と合ってしまい、憑依が起こるのです。

その結果、幸か不幸か、願い叶って「特殊な能力」が高まることがあるのです。いわば「悪魔に魂を売った状態」です。これは「ドーピング」をはるかに超え、「麻薬」と言って良いでしょう。麻薬が心身をボロボロにするように、憑依された側の人間は「使い捨て」にされ、たいていは哀れな末路を迎えることになります。

それにも関わらず、ご本人は「神仏が願いを聞き届けてくれた」「私は選ばれた人間だ」なんて壮大なカン違いをするわけです。中には自分のことを「神の生まれ変わり」なんて言う変態もいます。なんてったって麻薬ですからね、さぞ気持ちィィィィ~に違いない(私はイヤですけど!)。

低級霊さんは普通の人間よりは霊的な力のある存在なので、人間の世界がどう動くかというのは、少なくとも目先のことに限れば、よーくわかるのです。だから「めっちゃ当たっているように見えてしまう」のです。これがなかなか厄介なのですよ。

なぜなら、「低級霊さん」はイタズラ好きなので、途中で巧妙に外して相談者が戸惑うのを楽しむ場合があります。また、その霊能者や占い師を通じて依存させ、高い金品を要求することもあります。後ろの低級霊さんは「ブツとしてのお金」はもちろん必要ないのですが、そこから「お金のエネルギー」を吸い取って「ウハウハしちゃう」わけです。

「低級」というのは「この世に近い」ということです。だから低級霊さんは「目に見えない存在」とはいっても、私たちとそれほど変わらない欲望を持っているのです。そこで、同じような欲望を持つ人間や、ネガティブな思いの深い人間の背後にまとわりついて「遊ぶ」わけです。

低級霊さんがついた人間は、「見せかけの直観力」は高まります。さきほども述べたように「ワタシはデキる人間だ!」とカン違いすることになります。その代わり、もともと持っていた欲望がより増幅したり、自分の気に入らない人間を強く攻撃したりして、その人格はより「動物的」になっていきます。

ただ、ヘタに「自信」はあるので、その「見せかけの強さ」に魅力を感じる人が集まってくるのです。そりゃ魅力的ですよ。だって「ズバズバ言ってくれる」わけですからね。迷っている人からすればさぞ心強いでしょうが、それは「依存のはじまり」なのです。

そして、さらに厄介なことに、その「依存のエネルギー」によって、その人物の能力がさらに高まることがあるのです。つまり、「この先生は超スゴい人であって欲しい(そうすれば私は救われるから、頼れるから)」という期待感が、その人物をネガティブな意味で「応援する」ことになるのです。だから、カルト宗教のリーダーというのは、一時的であっても「カリスマ性」を放つことがあるのです。

カルト宗教絡みの犯罪がメディアで報道され、その「教祖」の映像や写真が流れているのを見たとき、普通の人なら「なんであんなうさんくさそうなジジイ(ババア)にだまされるの?」なんて思うかもしれません。冷静に考えればその通りなのです。ただ、それがカルト特有の依存的、密室的、秘密的、そして上で述べた「一時的なカリスマ性」が加わると、かなり複雑怪奇になってしまうのです。

だから、たとえ能力があるように感じても、その霊能者や占い師の人間性に「曇ったもの」を感じるなら、また鑑定そのものは悪くないとしても心がなんとなく晴れないなら、避けた方が良いでしょう。そういう人は細かいことはわかっても、真に人を導くということはできないからです。もし何らかの導きがあるとしても、それはたいてい「依存」とのバリューセットになります。いや、安くはないか。

ただし、それを見抜くのは難しいと思います。なぜなら、そういう人ほど「見た目」には気をつけるものですし、それなりに「良さそうなこと」も言うからです。そして、これまで何度も言ってきた通り、多くの人は物事を「見た目」で判断するものだからです。たとえ、ここで私がお伝えしていることを理解されたとしても、やっぱり実際はイケメンや美人に惹かれるでしょうな(笑)

特に、地上波テレビや新聞などの「オールドメディア」の情報をいまだに信じがちな日本人は、見た目で判断する傾向はまだまだ強いと言えるでしょう(若年層になるほどその影響力は弱くなりますが)。ちなみに、オールドメディアの大半の波動(特に報道関係)は「腐り切っている」ので要注意ですよ。

あらら?最後は現実の話になりましたね(笑)

では、補足も含め、「私のやっていること」と「占いがやっていること」との根本的な違いは以上です。かなり長くなりましたが、ここまで読んでいただいて、ありがとうございます。


もしあなたが「占い師(霊能者)の●●先生、ホントに信用できるのかな?」という懸念があったら、手前味噌ですが「霊能者占い師を見抜く!」というメニューがあるので、どうぞご参考にしてください。

まぁその前に、「そもそもオマエ(林)が信用でけへんわ!」なんて思われているかもしれませんけどね。

そう、信じるか信じないかは、あなた次第です!!


「パート3」は以上です。かなり長かったと思いますが、最後まで読んでいただきありがとうございます!もし「パート1」「パート2」へ戻りたい場合は以下からどうぞ。

2018/08/13 更新