本当に「すべて」思い通りになるのか?
こんにちは。
スピリチュアリスト / 波動カウンセラーの林 昭裕です。
前回は「計画しない」という生き方 というタイトルでした。今回もそれに関連することです。
世の中には、私とは逆に「計画通りに生きる」タイプの人もいます。それこそ、そういう人は前回述べた「フランクリン・プランナー」などのシステム手帳を持ち歩いているのでしょう。
いわゆる成功哲学の本が語る通りに、その手帳の中に「なりたい自分」の写真を常にしのばせ、しょっちゅう眺めているのでしょう。
昨今では「タスク管理アプリ」なるものをスマホに入れ、文字通りスマートに進捗管理をしているのかもしれません。
あまり計画的ではない私には到底できることではありませんが、これは性格や価値観の違いによるものなので良い悪いはありません。
ただ、少し気になることがあります。
その「計画タイプ」で社会的に成功した人が、雑誌やウェブ等のインタビュー記事で、ときおりこういうことを語っているのを目にします。
「自分は過去に考えたことはすべて叶った。思い通りの人生を生きている。やればできる。夢は叶うのだ」と。
こういうことを聞くと素直に「すごいな~」と思う一方で、
「でも・・・本当にこの人は、すべてが思い通りになると本気で考えてるんかな?」
とも考えてしまう自分がいるんですね。
だって、よく考えたら、人生は思い通りにはならないってわかりますから。
「生老病死」はままならぬもの
原理的に考えて、もし「すべてが思い通り」なら、生まれることも死ぬことも、すべて「思い通り」でなければおかしいですよね。
しかし、そんなことはあり得ません。
誰もが「明日死ぬかもしれない」可能性を持っているからです。いつ生まれ、いつ死ぬかは、思い通りになるものではありません(自殺は例外ですが)。
さらには、いつの時代に、どこの星のどの場所で、どの親の下で、どの性別に生まれてくるかもまた、思い通りにはなりません。
気がついたら、人間としての生を享けていたというのが、厳然たる事実ではないでしょうか(「親を選んで生まれてきた」というのはあくまでスピリチュアルな物の見方です)。
もっと簡単に言うと「生老病死」は思い通りにはならない、ということですね。
お釈迦様は若き日に人生の「生老病死」に苦悩し、そこから解脱することを求めて出家されました。
そのお釈迦様は「人生とは苦である」というお言葉を残されているようです。
お釈迦様がおっしゃるからには、単なるネガティブな言葉ではないはずですね。
どうもこれは「思い通りにならないことを、思い通りにしたいと思ってしまうことが、苦の根源である」という意味のようです。
「思い通り」にならないことのメリット
何があるかわからない人生において「すべてが思い通りになる」という考え方は、ノリにノッている時期、運が味方をしている時期なら良いでしょうね。
けれど、職業柄いろんな方を拝見していますと、必ずしも思い通りになっていないケースが多いように思います。
途中までは勢いが良くても、あるときをきっかけに八方ふさがりになる場合もあります。
なので個人的にはあまり「思い通り」に生きない方が良いと思うし、そもそもすべてが思い通りにはならないものです。
ただ、興味深いことに「思い通りにならないおかげで、思わぬ出会いや発見があった」ということもあるのですね。
これが非常に面白いところです。
個人セッションにお越しになった方の全員ではありませんが、ときに「途中まで大変だったけど、あるときから予想外に風向きが変わり始めた」というご報告をいただくことがあります。
そのたびに「思い通りにならない人生も、まぁええんちゃうかな」と感じるのです。