11月11日「人生を変える断食」講座を開催します!

波動調整を受ける心構え

裏メニュー
(画像はネットより拝借)

波動調整ガイドライン

  • STEP.1
    基本編
    「そもそも波動って何なの?」という基本について述べています。
  • STEP.2
    応用編
    「霊障」や「憑依」など、霊的な事柄について述べています。ちゃんと知れば怖くありません。
  • STEP.3
    現場編
    私が過去に体験した波動調整の実例を取り上げています。ちょっと不思議な話も出てきます。
  • STEP.4
    心構え編(当ページ)
    波動調整を受けてみたいなと興味をお持ちの方に向け、根底となる考え方について述べています。
  • STEP.5
    案内編
    波動調整を受けたい!と真剣にお考えの方に向け、受けていただくための条件、スケジュール、金額などについて述べています。

「裏メニュー」だった波動調整

いわゆる「スピリチュアルヒーリング/心霊治療」としての波動調整(「治療」とは言うものの医療行為ではありません)。この「基本編」「応用編」「現場編」の各ページをご覧いただいた方から、「私も波動調整を受けたいのですが、やっていますか?」というご質問をいただくことがあります。

波動調整についてこれだけ解説しておきながら、「実はメニューにはないです!」となれば少しガッカリかもしれません。「予告編だけある映画」みたいなものでしょうか。

実はあるにはあるのですが、「説明が難しい」「(私のメニューの中で)最もスピリチュアル度が高い」「結果はかなり個人差が出る」「やってみないとわからない要素が多い」ので、コッソリやっていたわけです(このページを一通りお読みになればその理由がわかります)。

いわば「裏メニュー」でした。なぜそうだったかというと、万人に何らかの良い変化が起こることは確実に保証できませんし、「インチキ霊能者にご用心」で述べた超高額かつ百害あって一利なしの「なんちゃって浄霊」や「ぼったくり浄霊」と混同されるのはイヤやなぁと思っていたからです。

今までは、個人セッションを受けた方の中で「霊的な不調和(憑依・霊障)を抱えている方」「明確な理由はわからないけど、心身の調子が良くない方」を中心に行ってきました。その一部の事例は「現場編」に書いてある通りです(波動調整の対象となるケースは、後ほど詳しく述べます)。

また、占い師やセラピストなど「スピ系や癒し系のお仕事」で、お客さんから受けたネガティブな波動(念・エネルギー)を自分で処理し切れず苦しんでいる方。あるいは「霊的に敏感な体質」に苦しんでいる方に対しても行ってきました(普通の人に理解されないのが余計に辛い)。

またいつか裏メニューに戻すかもしれませんが、今後しばらく表メニューとして波動調整を出すことにします。これは先般ホームページをガラリとアップデートしたことに伴い、「もうちょっと表に出て活動しようかな」と意識が変わってきた結果の一つです。

あなたの意欲が求められます
ただし、これから詳しく説明するものの、「かなりわかりにくい」ということ、そして「受けていただくためのハードルは少し高い」ということ、あらかじめご了承願います。

 

波動調整は、受け手であるあなたの「心構え」「準備」「学習意欲」が求められます。いわば私との「共同作品」のようなもので、「依存」「丸投げ」ではほとんど何も成就しないでしょう。

 

波動(オーラ)とは「想念」でもありますので、波動調整にはそれ相応の「意識の高さ」が求められるということ、あらかじめご了承願います。

波動調整でできること

パラリンピックのシンボル
(パラリンピックのシンボル。赤・青・緑の順に「スピリット」「ボディ」「マインド」を指す。Wikipediaより)

では、最初に波動調整で何ができるかを述べていきます。これまで実際に波動調整を行ってきた体験から、およそ以下の事柄をお受けしています。

ただし、後にも詳しく説明いたしますが、以下は確実に保証するものではありません。


主に霊的なレベル

・「憑依」や「霊障」らしき不可解な現象を、おだやかにする。

・「なぜか起こり続けている災難の流れ」を、おだやかにする。

・すでに亡くなっている方の波動の不調和を、おだやかにする。

・妊娠中の女性の調子の悪さを、おだやかにする(医学的なアプローチでは難しい場合)。

・小さなお子様の調子の悪さを、おだやかにする(医学的なアプローチでは難しい場合)。

普通にお亡くなりになった方、また大往生を遂げられた方については基本的に必要ありません。ただし、生前に恨みつらみ、怖れ悲しみがひどく多かった方や、「あの世なんてあるものか!」「神も仏もあるものか!」と霊的世界を強く否定する思いをお持ちだった方は、一度波動を拝見した方が良いでしょう。

主に心理・感情レベル

・不摂生でもないのに感じる「心身の不調和」を、おだやかにする。

・医者の診断では原因不明の「心身の不調和」を、おだやかにする。

・治療を極めても改善しない「心身の不調和」を、おだやかにする。

・多忙でもないのに感じる「慢性的な疲労感」を、おだやかにする。

主に物質レベル

・「土地」や「物件」を、波動的にクリーニングする。

・「パワーストーン」「御札」「神仏系の像」などの「スピリチュアルグッズ」や「モノ」を、波動的にクリーニングする(「気味が悪い」と感じるモノでもOK)。


もちろん上の写真で使った「パラリンピックのシンボル」のように「スピリット」「ボディ」「マインド」は本来一つのものです。なので厳密な分類はできませんが、ここでは便宜的に「霊的」「真理・感情」「物質」の3種類に分けています。

一般的には【霊的>心理・感情>物質】の順に、波動調整にかけるエネルギーは大きくなります。ただ、中にはこれらを組み合わせたパターンもありますので、実際はケースバイケースです。

お受けできないご相談
以下のような場合は波動調整はお受けできません。

 

・特に調子は悪くないが体験として受けたい場合

 

・多忙、ストレス、衣食住の不摂生など、不調和の原因が明らかな場合

 

・医学的なアプローチを尽くしていない段階で受けたい場合

 

波動調整を受けていただくためには、いくつかの条件があります(詳しくは「波動調整を受けたい方へ」のページで説明)。「モノだけの波動調整」を除き、どなたでもお手軽に受けられるわけではないことを、あらかじめご了承願います。

「ご利益メニュー」ではありません
念のためお伝えしますが、波動調整は単なる「開運祈願」「心願成就」「病気直し」などの「ご利益メニュー」とは全く異なります。それは当サイトを少しお読みになれば感じていただけると思いますが、検索で来られた初めての方もおられるでしょうから、改めてお伝えいたします。

 

後にも述べますが、「目に見えるご利益」だけ求めて波動調整を受けていただいても、あまりお役には立てないでしょう。あるいは、たとえ何らかの調和がもたらされても、一時的なもので終わります。また元に戻ってしまうのです。

 

真に求めるべきは「目に見えないご利益」です。つまり「学び」「気づき」「人間としての成長」です。それらを根本的な目的としなければ、少なくとも私の提案する波動調整はあまり功を奏さないでしょう。

 

・・・こういうことを言ってもあまりウケないのはわかっています。やはり「目に見えるご利益」を謳った方が圧倒的にウケます。しかし、「目に見えるご利益」はいつか必ず消えてゆく。せいぜい100年程度の人生の安楽のみを願って、いったいどうするつもりなのでしょう・・・。

 

私のスタンスについては「占いとの根本的な違い」(全3ページ)にまとめています。長い文章ですが、よろしければご一読ください。

人は本来「神そのもの」である

ここからしばらく、波動調整を受けていただくための心構えや、必要となる知識を述べていきます。文章は結構長く、くどいと感じる部分もあるかもしれません。ただ、特に波動調整はあなたと私の「信頼関係」が大切なので、私の考えをある程度ご納得いただくために、ぜひゆっくりお目通しいただければと思います。完全にご理解いただく必要はありません。少なくとも「コイツはこういうことを言いたいんだな」と感覚的に感じていただければOKです。

「基本編」でも述べましたが、改めて「波動調整」を定義すると、「不調和な波動(オーラ/エネルギー)を解放し、本来の調和ある波動へと調整してゆくこと」を指します。

この根本にあるのは、「すべてのいのちの本来は、光り輝いた波動である」ということです。宗教的に言えば、「人は本来『神そのもの』である」「人は本来『宇宙そのもの』である」ということです。

先ほど述べたように、私がお伝えしている波動調整に、確実な実感や変化は何も保証できません。

しかし、もしその可能性を高められる「根本的な条件」があるとしたら、それは「私は本来『神そのもの』である」という真実を、理屈抜きに、いかなる深みで「体得」「体認」しているか、ということなのです。

このことは「霊的世界入門」でも述べていません。こちらは「入門」ですからね。最初からいきなり「あなたは神です」なんて言ったら、スピ好きな人は別として「は?なに言うてんの? アタマだいじょうぶ?」と思われかねませんからね。

ただ、ここではさらに踏み込み、あなたが抵抗を感じるかもしれないことを怖れず、「人は本来『神』そのものである」とお伝えすることにしました。「最もスピリチュアル度が高い」と述べた理由がお分かりいただけたかと思います。

とはいえ、肉体を持ち、エゴや未熟さをたくさん引きずっている現実の私たちは、とてもじゃないけど「私は神なんだ」とは素直に思えませんよね。もちろん私だって煩悩を抱える身としては、まだまだその途上ですよ。

だから、今はそう思えなくても結構です。ただし、できるなら全否定まではしないことです。いや、あなたがこの地味なホームページをある程度読んでいただいているのであれば、おそらく完全に否定はされないだろうと信じていますが。

例えば、神道では「人は神の分け御霊(みたま)」と言い、仏教では「誰しも仏性を宿している」と言い、キリスト教では「人はみな神の子」と言います。どの宗教も表現は違っても、「人は本来『神』そのものである」と説いていることは根本的に共通しています。

実は、「私は『神そのもの』である」という認識が深いほど、波動調整にも深みが出るのです。

先ほど波動調整とは「不調和な波動(オーラ/エネルギー)を解放し、本来の調和ある波動へと調整してゆくこと」と定義しました。この「本来の調和ある波動」というのは、言い換えれば「私は本来『神そのもの』である」ということなのです。

したがって、この認識が深いに越したことはないのです。先ほど述べた通り、波動調整においては「波動=想念=意識」が最も大切なことだからです。

でも、繰り返しますが、普通は「私は神そのものなんだ」とは思いも寄らないことなので、「少なくとも全否定まではしない」ということだけ心得てください。「過去のエラい人たちがみんなそう言うんだから、そうかもね」ぐらいの認識でOKです。

とりあえず、「そうかもね」「そうらしいよ」「そうだったらいいね」「とりあえず、そういうことにしておく」という認識、ということにしておくのです(笑)

もし「神そのもの」という言葉に抵抗があるなら、「私は無限の可能性」「私は無限の能力」「私は無限のパワー」「私は無限の豊かさ」「私は無限の愛と光」「私は無限の健康」など、自己啓発や成功哲学の分野が好みそうな表現に置き換えても結構です。

もっと砕けて言えば、「私は(本当は)めっちゃイケてる存在」「私は(本当は)誰からも好かれる存在」という認識でも結構ですよ。リアルなご自身の姿がどれだけショボいとしても、「本当はスゴいんだ」ということを全否定までしないことが、波動調整における心構えです。

現実はともあれ、原理的には以上を「大前提」といたします。

波動の最奥に輝く「光明のオーラ」

「目に見える姿」「肉体の人間」としては、劣等感、無価値感、無気力感、罪悪感、他を傷つける思いなど、多かれ少なかれさまざまなエゴや未熟さを抱いているのが、私も含めた凡人です。

先ほど「人は『神そのもの』である」とは述べたものの、その一方で「エゴを冷静に見つめること」も大切なのです。

そのエゴを冷静に見つめることなく、ただ「私は神なんだ、宇宙なんだ、みんな一つなんだ」と表面的にスピった発言をしていても、そういう人物の波動は往々にして「光り輝いた波動」からほど遠いことでしょう(こう言う私もあまり差はないでしょうが)。

でも、だからといって「人間は愚かな存在ではない」のです。

実は、人間の波動(オーラ)にはいくつものレベルがあります。ふだん私が観ている波動は、「目に見える部分」に近いレベルです。それを観ることで、その人の性格や感情を察することができます。その表面のレベルにおいては、やはり「未熟なエゴの波動」を感じることもあります。

ただ、波動には「もっと奥のレベル」があるのです。(あくまで私が観れる範囲内ですが)奥の奥まで波動を観ていくと、目に見える生身の姿としてはどれだけ「クソバカ野郎」だとしても、みんな等しく「光り輝く波動」を放っていることを感じます。

だから、誰もが本来的には「神そのもの」「光そのもの」なのです。あくまで本来的には、ね。目に見える部分だけを見て判断しちゃいけませんよ。

「一番表面の波動体(エネルギー体)である肉体」は、長くとも100年ぐらいで消えてゆきます。エゴや未熟さというのは肉体の本能に根ざすものなので、これらも表面的なレベルなのです。たとえ底なし沼のように根深く見えるエゴも、いつかは必ず消えてゆくのです。

「表面の世界」と「本質の世界」

これを「海と波」に例えることができます。いわば私たちは海の表面にざわめく「波(=エゴ)」に翻弄されているといえます。「愛欲の広海に沈没し・・・」とは浄土真宗の開祖・親鸞聖人の嘆きのお言葉ですが、意味するところは同じでしょう(この世が苦しい世界であることを「苦海」と表現することもあります)。

 

ただし、これはあくまで「海の表面」で起こっていることです。どれだけ激しい荒波に打ちのめされていたとしても、あくまで表面のことなのです。その海の「深い領域(=本質・神的な領域)」は、常に静けさを保っていることでしょう。

 

実際、何かの番組で深海の映像を見たことがありますが、それは「静寂の世界」だったかと記憶しています。そこにたゆたう珍しい生物たちには「神秘」まで感じました。

 

〈 濁りなき 心の水に 澄む月は  波も砕けて 光とぞなる 〉(道元禅師)

 

難しいのは、こういうことを知識として理解したところで、なお私たちの大半は今日も「海の表面」で苦悩する存在だということです。普通はいわゆる「あの世」がわからないように、「深い静寂の世界」もわからないわけですから。

 

それどころか、苦悩が深いほど「海の表面」でもがくことで精一杯なので、「深い領域」については「そんなもんないわボケッ!」と強く否定することもあるのです。つまり「神も仏もあるものか!」と考えてしまうわけです・・・無理もないことですが。

 

けれども、すべての宗教、すべてのスピリチュアルな考え方は、「あの世」に言及し、「深い静寂の世界」(=自分は本来「神そのもの」であること)を示唆しています。それらは悟りからは遠い私が波動的に観ても、「確かに在る」と言えるのですから・・・まずは「全否定しない」ことです。

 

スピリチュアル的には、私たちは何回も何回も生まれ変わり、少しずつエゴを乗り越えていくわけです。まぁ中にはさらにエゴを分厚く補強して死んでゆく「ツワモノ」もいますが・・・余談ですが、「あの世」か「来世」ではさらに「難易度ハードモード」の世界が待っていることでしょう。

 

「知らぬが仏」とか「死ねば誰もがホトケ様」とか言いますが、「あの世」や「来世」を忘れたままでは「仏」にはなれないでしょうね。本当は知っているのですから。だから「そんなもんないわボケッ!」と、肉体を捨てた後まで否定し続けるのは非常にもったいないことです。

話を戻しましょう。

ここで「反省」という言葉を見てください。これは「反(かえ)って、省く」ということです。私たちは経験(たいていは失敗)を自責ではなく反省することで、欠点や未熟さを省いていくわけです。

それをいくつも積み重ねていくことで、本来の「神そのもの」「光そのもの」へと近づいていくのです。より正確には「回帰する」ということですね。スピ系作家の中には「思い出す」と表現する方もいます。

もちろん、これは知識として知っているだけでは何の役にも立ちません。むしろ単に知識を身につけただけで「光明を得た」「我は悟れり」なんて思い込んでしまうと、そこで成長は止まります。波動も濁ってしまうのです。

だから、知っただけでなんとなくわかった気になってはいけません。しかしながら、波動調整の根本には「人は本来『神そのもの』である」「人間は本来『宇宙そのもの』である」という認識があるということを、まずは知識だけで結構なので抑えておきましょう。

スピリチュアルな価値観の中には、「『神』だけが唯一の目的である」という考え方もあります。初めてこの言葉に出会ったとき、もちろん全容は理解はできなかったですが、何かとても深いことを言っているな・・・と感じたものです。

もしこの世の人生に「生きる目的」があるとすれば、その一つは、ままならぬ肉体を持ちながらも「自分は神である」「光である」「愛である」「無限の可能性である」などの認識をどれだけ深められるか。そして、それをどれだけ行いとして現せるか・・・ということだろうと思います。

ここまであなたにばかり要求してきたので、自分のこともフェアにお伝えしておきましょう。

 

日常における私の「行」の一つは、自分自身を「神そのもの」として観るとともに、あなたもまた「神そのもの」として観ることなのです。今後ご縁があってあなたに波動調整を行うとすると、少なくともその最中、私はあなたを「神そのもの」として観ることに徹するでしょう。

 

いや、厳密にはそう観れるようにできるだけ深い注意を払うのです。私も生身の姿としては「神」からはほど遠いし、しょーもないことで心を乱すこともあります。でも、その本質は神そのものなんだという「霊的生命観」を深めるということ。

 

それは付け焼き刃では絶対できないし、他のページで何度も述べている通り「波動は絶対にごまかせない」ので、日頃の心がけは必要不可欠です。

 

私は波動調整をご提案している側なので、もちろん「知識だけ」ではダメです。「すべては『神そのもの』である」と、いかにして血と肉と骨に刻み込むかが、私にとっての「道」なのです。

 

これを特に意識しなくとも自然に深く思えるようになれば、私も相当「デキる人間」でしょうけど・・・まだまだ道は遠い。

波動調整の「真の目的」とは

では、さらに深掘りしていきましょう。

冒頭でも述べたように、波動調整は「スピリチュアルヒーリング/心霊治療」の一種ですが、「医療行為」ではありません。

実際には「肉体的な不調和をおだやかにする」場合もあります。しかし、それをもって私の波動調整は「病気直しもできる」とは言いません。「人によってはそうなるかもしれない」という範囲を超えるものではないのです。

私はできるだけ簡明な表現をしたいのですが、こと波動調整に関しては申し訳ないと思いつつも曖昧な表現になってしまいます。ただ、曖昧に留めるのは「過剰な期待や依存は波動調整の力をブロックしてしまう」という事情もあります。

これは他のページでも繰り返し述べていることですが、波動調整においては特に大切な心構えです。

「神の自覚」を深める営み
というのも、波動調整の真の目的は「病気直し」ではなく、「私は霊的存在であること」を思い出すことだからです。言い換えれば「私は神そのものである」と自覚し直すことなのです。

 

「霊的存在としての人間」「神そのものである私」に、本来は、霊障も、憑依も、病気も、不運も、不幸も、災難も、存在するはずがありません。

 

それらが存在するように感じるのは、いわゆる過去世(前世)から現在まで、果てしなく長い時間をかけ、「私は不完全な人間なんだ」「私は弱くて儚い存在なんだ」という「真実に見えるウソ」「常識に見える非常識」「リアルな幻想」を積み重ねてきたからに他なりません。

 

自己啓発の分野では「思考は現実化する」と言われます。まさにその通り、「不自然で非合理な思考」をずっと繰り返し積み重ねてきた結果、人によって個人差はかなりありますが、「不調和な現実」を今生の人生に創り出してしまっているのです。

 

ただし、その不調和な現実は、決して「不幸」でも「不運」でもありません。なぜなら、その現実は私たちに「アンタ、『不自然で非合理な思考』をしちゃってるよ。早いとこ修正した方がいいよ。その方が軽く済むからね」ということを教えてくれているからです。

 

つまり「不幸」とは敗北ではなく、シンプルに「学びのチャンス」であり、「修正のチャンス」なのです。「気づきのチャンス」ともいえるでしょう。

 

だから素直に考えれば、一度転んでしまったら立ち上がれば良いだけの話です。そのとき「次は『ながらスマホ』はやめよう」と学んだり、「雨の日はマンホールの上を避けよう」と修正したりすれば良いだけの話です。

 

ところが、「オレはなんてツイてないんだ」とか「ワタシは疫病神にでも好かれてるのかしら」とか「『神』を忘れた不幸グセ」が染み付いていると、なかなかそこから脱することができないわけです。

 

それは転んだ後にすぐ立ち上がらず、『ドラえもん』のスネ夫みたいに「イタいよイタいよ!ママ~!」といつまでも手足をバタつかせているようなものです。この程度の小さな痛みであれば、本当は簡単に立ち上がれるはずなのに。

 

たとえ肉体的には立派な成人であっても、いつも上のスネ夫のような態度で虚しく日々を過ごしているとしたら、品のない表現で恐縮ですが、魂としては「クソガキ」です。いや、正確に言えば「クソガキを演じている」ということです。

 

私たちの本来は「神そのもの」でした。なぜ「神」であるところの私たちが、あえて「クソガキ」を演じる必要があるのでしょうか。本当は「神そのもの」であるはずの私たちが、「肉体」という衣装をまとって演じるのは、そんなクソみたいな役だったのでしょうか。

 

本当はそうではなかったはずです。たとえ現象的にはかすかなものであっても、自分にしか出せない「愛」と「光」を灯し、縁ある人々に喜ばれ、充実した日々を生きたいと、本当は願っていたはずです。なぜなら、それが「神」としての根本的な意志だからです。

 

そして、そのように生きることによって「霊的な喜び」、つまり「人間として成長する喜び」と「他の役に立つ喜び」を味わうことができるようになるのです。それは「天の祝福」と言っても良いでしょう。

 

「私は霊的存在であること」を思い出し、「私は神そのものであること」を改めて自覚し、一隅を照らす「光」となること。波動調整の真の目的は、「私=肉体=エゴ」の次元から自分を解放し、長らく忘れ果てていた「神の記憶の再生と拡大」を促す営みなのです。

 

その「再生と拡大」のプロセスにおいて、個人差はかなりあるものの、霊障、憑依、病気、不運、不幸、災難などの不調和な現象がおのずと穏やかになってくるのです。それらは本当は「無い」からです。

 

ただし、波動調整はそれら不調和の解消が最終目標ではありません。それは「自分が神であることを思い出すこと」に伴う「副産物」に過ぎないのです(とても有り難いことですが)。

 

もちろん「肉体的な痛み」が大きいほど、それが消えてゆくことは喜ばしいことに違いありません。しかし、それでも肉体的な喜びを最終目標としてしまうと、すでに述べた波動調整の真の目的と合わなくなってしまいます。

 

「肉体的な痛み」が大きいのは、当たり前ですが肉体としては苦しいことです。でも、例えば大病を患ったおかげで「死ぬこと」「生きること」に対する洞察が深まり、それによって「他人の痛み」がよりわかる人間になれたとしたら、そこには「肉体的な喜び」を超えた「霊的な成長」が成就しているのです。

 

「霊的な成長」という表現が難しければ、「他人の痛みがわかるようになること」「器が大きくなること」「心を高めること」と言い換えても良いでしょう。いずれにしても、これを成就するために必要なことは、「気づき」と「学び」、そしてそれを求める意欲です。

 

波動調整というのは、このような「霊的な成長」を少しでも成就せんとする試みです。その意欲があってこそ、「波動調整の波長」と合いやすくなるのです。

 

したがって、あなたがもし何らかの不調和を抱えているとしたら、「このことを通じて、自分は何を学べということなのだろう?」という問題意識は、極めて大切です。その意識なく「とにかく波動調整やってもらったら、良くなるんじゃね?」という構えでは、私が提案する考えの波長と全く合わないので、おそらく何も起こりません。

 

何度も言って恐縮ですが、波動調整による病気直しや商売繁盛などは「副産物」に過ぎません。「主産物」は「学び・気づき・成長」であること、深く深くご理解ください。

 

その理解が深いほど、波動調整はスムーズになります。

すべては「神」に至るプロセス

迷いながら
躓きながら
求めながら
失いながら
憎みながら
愛しながら
泣きながら
堪えながら
責めながら
怖れながら
己をつくり
神へ近づく
仏へ近づく

 

坂村真民『六魚庵信仰歌』

「おすすめの本」でも取り上げている坂村真民さんの詩をご紹介しました。とても励まされる詩です。

この詩をご紹介したくなったのは、上の項目で「人間は本来『神』なんだ」「不幸や災難は本来『無い』んだ」と力強く唱えたところで、実際は自分のエゴ、未熟さ、肉体的な不調、不幸や不運に苦しむのが、私たちの生身の姿だからです。

霊的なものや神的なものを求める人ほど、また人生を真摯に生きたいと思っている人ほど、「高邁な教え」と「今の未熟な自分の姿」との板挟みに悩んでしまいがちです。

そういう方は、上の「人間は本来『神』なんだ」ということは否定しないまでも、受け入れるまではできないかもしれません。むしろ、「いやいや、自分はそんな資格はない、そんな立派な人間ではない・・・」と、学んだがための劣等感や罪悪感に陥ってしまいがちです。

しかし、その否定的な感情もまた、「神」を現し、「神」に至るまでのプロセスなのです。ですから、あなたがもし「学んだがための葛藤」を抱えているとしたら、どうぞそんな自分を自分で責めはしないと決めることです。

そして、そうやって否定的な感情を出しているのは、実はあなたの本心ではなく「エゴ」なのだと見抜くことです。エゴが最も怖れるのは、「あなたは本来『神』である」だということに気づくことです。あなたの前進を防衛するのが、ある意味ではエゴの仕事だからです。

もちろん私も未熟さを抱えている身です。自己紹介のページでも述べていますが、私は二十歳ごろまでは「神」を信じていませんでした。むしろ否定していたぐらいです。

また「人生に無駄なものはない」とはいえ、頑固で不器用ゆえ、10代後半から20代にかけてはかなりの悩みや挫折感を抱えていたように思います。

落ち着いてきたのは、本当に最近のことです。

なので私自身、最初から「人間は本来『神』なんだ」「不幸や災難は本来『無い』んだ」という確たる信念があったわけではありません。上の詩のように、迷いながら、躓(つまづ)きながら、求めながら・・・ときに確信できたかと思いきや、また強い疑いに逆戻りしてしまう・・・その繰り返しでした。

私は悟ってはいないので、今でも疑いの状態に陥ることはあります。ただ有り難いことに、その時間は短いのです。成長するにつれ、どんどん短くなっているのです。そのうち「どう転んでも必ず立ち上がれる」自信だけは、強くなりました。

それは「オレは絶対に転ばない」という強さではありません。「また転ぶかもしれない」という弱さは抱えつつも、それによって自分は何かを学び、必ず成長するという強さ。その強さだけはあると確信しているのです。

すべての不調和、未熟さ、エゴとの葛藤は、「神」を現し、「神」に至るまでのプロセスです。本来は「神」であるところの自分が、「肉体」に付随する未熟さを抱えながら、たくさんの体験をする。ときには心が削り取られるような厳しい体験もあるでしょう。

しかし、それによって、「内なる神」が、「内なる仏」が、削り出されてくるのです。エゴはそのときの「削りカス」のようなものです。

木の幹から仏像を彫る某「木彫師」さんは、木の中にすでに「仏様」が観えており、「自分はその仏様を中から出すお手伝いをするだけ」なのだそうです。これは深い言葉ですが、私たちの「心」もまたそうだと思います。

私たちの「心」の中にはすでに「神仏」が宿っており、それを外に掘り出すための体験が、ときに痛苦なものとして与えられるのだと思うのです。その痛苦な体験を学びへと深めていくとき、私たちの波動は、より輝きを増していくのです。

その波動の輝きをより大きくするためには、何度も言いますが、「私は本来『神』そのものである」という理解が最初にあった方がいいのです。その理解が深いほど、波動調整はより実りあるものになります。ただし、無理に思い込む必要はありません。「少なくとも否定まではしない」ことさえできればOKです。

 

波動調整を受けていただくにあたっての「心構え」は、究極はこの一点です。文章量の多い当サイトで結局言いたいことは、このことなのかもしれません。それぐらい大切なことなので、くどいかもしれませんが表現を変え何度も述べているわけです。

「目に見えない力」にゆだねる

さて、ここまでお読みいただいても、「結局、波動調整って何すんの?」って疑問はまだ払拭されないかと思います。言葉では説明が難しいし、そもそも「波動調整の力そのもの」については詳しく述べるつもりもないのですが、少しだけ触れておきましょう。

(なお、このページで述べているのは、「私にとっての波動調整」であることをご理解願います)

冒頭でも述べた通り、波動調整は「スピリチュアルヒーリング/心霊治療」とも言います(「治療」と書いていますが、医療行為ではありません)。「エネルギーヒーリングの一種」「波動(オーラ)にアプローチするヒーリング」とご理解いただいても良いでしょう。

ただし、私の行う波動調整は「レイキヒーリング」ではありません。私は「ヒーリングの入門」として「レイキヒーラー養成講座」を開いていますので、よく当サイトをご覧いただいている方は「波動調整って言ったって、きっとレイキを使うんじゃないの?」と思うかもしれませんが、実は違うのです。

ときには「使えるモノは使う」という考えからレイキを意識することもありますが、実際は「他の種類の波動」を使います(なお「レイキ」については「レイキヒーラー養成講座」で詳しく述べていますので、ご興味があれば文字リンク先をご覧ください)。

この講座のページで詳しく述べているのですが、そもそもレイキを再学習する前から波動調整は行っていました。だからプラスアルファとしてレイキを使うことはありますが、あくまでメインは「他の波動」です。

じゃあその「他の波動」ってなんじゃい?って話ですが、あまり詳しく言うつもりはありません。というのも、他のページでも言っている通り、これは虚飾や誇張を戒めるためです。また、客観的に物理的に「コレですよ!」って実証ができないという理由もあります。

ただ、一つだけ述べておきましょう。

実は、波動調整はあなたの背後におられる「守護霊さん」にもご協力いただいているのです。「守護霊」という言葉に抵抗があるなら、「天使さま」でも「観音さま」でもいいし、「あなたとご縁のある霊的存在」とご理解いただいても結構です。「そんなもの、ワタシにはないよ」と強く疑っている方でも、確実に背後に存在しておられるのです。

 

※「守護霊」については「霊的世界入門」の最初の項目をご覧ください。波動調整を受ける、受けないに関わらずこれを頭の片隅にでも置いていただければ、いつかきっと役に立つと思います。

本当は守護霊の存在を「信ずる力」が強い方が良いのですが、守護霊さんは肉眼では見えないから普通はわかりませんし、「信じろ!」と強要できるものでもありません。

なので、「私は本来『神そのもの』である」と同様、「少なくとも否定まではしない」という最低限のラインだけ守っていただければ十分です。

ここでも「説明が難しい」「最もスピリチュアル度が高い」と述べている理由がご理解いただけるかと思います。

結果に個人差が出る理由1:カルマの違い

では次に、「結果はかなり個人差が出る」「やってみないとわからない要素が多い」理由について述べていきます。「波動調整の結果」は、おおよそ以下の式が当てはまるからです。

波動調整の結果
=【[私の力量]×[(あなたの意欲の強さ)×(カルマ)]】×[守護霊のご判断]

「私の力量」と「あなたの意識の強さ」の意味はお分かりですね。一番大切なのは、もちろん「あなたの意識の高さ」です(私にとってはもちろん「私の力量」が一番大切です)。

少し理解が難しいのは、「カルマ」と「守護霊のご判断」です。まずは「カルマ」からご説明しましょう。

カルマの詳細は「霊的世界入門」の最後の項目をご覧ください。簡単に言うと、カルマとはいわゆる「過去世」も含んだ過去の想いや言動(想念行為)の積み重ねのことです。

想念行為には良いもの(善因)と良くないもの(悪因)があります。一般的に「カルマ」と表現するときは「悪因」の意味で使っていることが多く、ここでもそのように使います。

「カルマ」をもっと簡単に言えば、「デブになるのは食べ過ぎるから」ということです。過去の食べ過ぎの積み重ねでデブになる。これは100パーセント真理です(笑)「食べてないのに太りました」なんて絶対あり得ないわけです。「原因があって結果がある」というのがカルマの基本的な考え方です。

これは「今生(現世)」に限った話ですが、カルマというのは「過去世」も含みます(「過去世」を信じるかどうかはあなたのご判断ですが、ここでも少なくとも全否定まではしないでください)。

過去世から現在に至るまでネガティブな想念行為を積み重ねているほど、「不運」や「災難」に見舞われる可能性は高くなります。ただし先ほども述べたように、それは「学び」や「気づき」の機会としてやってくるので、長い目で観れば決して「不運」や「災難」ではありません。

太っていればいるほど、ダイエットには時間がかかります。それと同様、ネガティブなカルマを積み重ねている人ほど、いくら私の力量やあなたの意識が高くとも、不調和が調和に変化するまでは時間がかかることがあるのです。

その変化のプロセスにおいては、「一生懸命やっているのに何も変わらない」時期に入ってしまうこともあります。アスリートの「スランプ」(または「プラトー」)のようなものでしょうか。

ただし、もし真剣に波動調整を行っているとすれば、水面下では確実に「浄化」「クリーニング」が起こっています。巷の占い師みたく「何ヶ月後に良くなる(かもね)」ということは言えませんが、確実に良くなっている。それをどこまで信じられるかが大切です。

ただ、それは私という人間をどこまで信用していただいているかにもよるでしょう。なので「私の力量」というのは単に能力だけでなく、「信用されるに値する人格と能力」まで含むわけです。道は遠し・・・。

結果に個人差が出る理由2:守護霊の判断の違い

ここが波動調整の最もわかりにくい点です。できるだけわかりやすく説明するものの、完全に理解していただく必要はありません。

守護霊、言い換えれば「あなたの背後の霊的存在」のご判断によって、「私の力量」も「あなたのカルマ」も超えた結果が出ることもあります。逆に、そのご判断によっては「何も変わらない」場合もあります。

先ほど述べた「カルマだけ」に限れば、「自分で太った分は、自分でダイエットしなければならない」のは当たり前のことです。一時期ヤバい体型だったマライヤ・キャリーのように大金を注ぎ込んで最先端の痩身技術でも試さなければ、太っているほどダイエットに時間がかかるのは当たり前のことですね。

しかし、もしここで「守護霊のご判断」が入ると、奇妙な話ですが「一気にダイエットが進む」ことがあり得るのです。

この場合、「ダイエットの例」だと逆にわかりにくくなるので、実際の事例で説明しましょう。

例えば「憑依」や「霊障」であれば、「今まで苦しんでいたのは夢だったのかと錯覚するぐらい」スーッとラクになることがあります。また、身体のどこかに抱えている慢性的な不調であれば、不思議と軽くなることがあります。「えっ・・・?今まで何だったの?」と呆然とするぐらいに。

これは「私の力量」と「あなたの高い意識」と「あなたのカルマ」の掛け算が良い方向に働いているということですが、加えて「守護霊のご加護」がたくさん働く場合があるのです。このとき、私は「自分の力量とはとうてい思えない」結果になるのです。

まるでゲームの世界でいうところの「チート技(裏ワザ)」が発動するわけです。ドラクエやFF(ファイナルファンタジー)でいうところの「低レベル状態のゲームクリア」と言っても良いでしょう。

ただし、水を差すようで恐縮ですが、逆に守護霊が働きかけをしない場合もあります。もちろん守護霊はあなたの「魂の充実」を願っているので、波動調整の邪魔などするはずがありません。そこには「深いご配慮」があるのです。

もし守護霊側が、あなたの「学び」や「気づき」をより深めたいと願っている場合、またあなたの「負のカルマを自力で大きく清算すること」を願っている場合は、「ただ見守っているだけ」にとどまることがあります。

「至誠、天に通ずる」(天に通じるほどの純粋な熱意)という言葉があります。それだけの熱意があれば「守護霊も意気に感じて味方していただけるはずだ!」と人情としては期待しますが、守護霊側では「そこまで熱意があるなら、ギリギリまで頑張ってね!」と、あえて手を出さないこともあり得ます。

「そんな・・・めっちゃ冷たいやん!」とガッカリするかもしれませんが、守護霊側は私たちの「目先の損得」ではなく「何年も何十年も先を、場合によっては来世まで」見据えた上でご判断されていますので、「守護霊の働きかけがないことも、お導きのうちなのだ」と、こちらが深いレベルで受け止める必要があるのです。

それは「見放されている」のではなく、逆に、「信頼されている証拠」かもしれないのです。というのも、「可愛い子には旅をさせよ」という言葉の通りだからです。普通の仕事だって、信頼しているから上司から仕事を任せてもらえるわけです。

愛しているからこそ、成長を深く願っているからこそ、ギリギリまで本人の悪戦苦闘を見守ることがあるのです。それによって本人の最大限の成長を支えているのです。「厳しい指導者」とはそういうものです。なので、「ご加護がない=信頼されていない」とガッカリするのは早計です。

しかし一方、同じ理由で「早い段階でご加護が働く」場合もあるのです・・・これは決して矛盾ではありません。「早く苦しみを解消したほうが、本人の成長や意識の変容にプラスになるはずだ」と守護霊側が判断した場合は、さっき述べた「裏ワザ的な結果」が出ることもあります。

こりゃホント説明が難しいのですが、「裏ワザが働く=あまり信頼されていないから、先に『ご利益』を与えられた」というのも早計なのです。

守護霊さんへの「信」と「不信」
先に「アメ」や「ニンジン」を与えておいて、「霊的世界への意欲」や「明日への希望」を高めるか。それとも、しばらく本人に悪戦苦闘してもらい、それを通じ「自力で掴み取った気づき」や「カルマの解消」を深めていくか。それはケースバイケースなのです。

 

いずれにしても、できるだけ「守護霊を信ずる、ゆだねる、おまかせする」という心構えが大切です(これは決して強制はできないので、私はそれこそあなたにゆだねるしかないのですが)。

 

しかし、実はこれは口で言うほど簡単ではありません。私たちは「自分は本来は『神』である」ことを信ずることが難しいように、霊的存在にゆだねたり、おまかせしたりすることも、簡単なようでいて本当は難しいことなのです。したがって、まずは「少なくとも全否定まではしない」というのがスタートラインです。

 

私たちは「苦労しないと人は磨かれない」なんて言われつつも、やっぱり目の前の悩みや苦しみから早く解放されたいと願うものです。それが正直な「人情」ってやつですね。だから先に「アメ」が与えられたらうれしいに違いない。おみくじも「大凶」より「大吉」が出た方が、人情としてはうれしいものです。

 

だから「アメ」が出ないと、守護霊が手を貸してくれないと、たとえ上の説明をアタマで理解していたとしても、「なんやねん、守護霊っていったって何もせえへんのかい!」とか「ワタシは日頃の行いが悪いからやっぱり見捨てられているのでは・・・」とか、不満や不安が漏れるかもしれません。

 

ただ、それもまた「大きな目」で見れば、先ほどの坂村真民さんの詩の通り、「神へ近づく」「仏へ近づく」ためのプロセスなのです。守護霊側も「はじめから自分たちの存在を強く信じてもらおう」なんて思っていません。そりゃもう、忍耐強く見守っているのですよ。

 

というのも、守護霊側から観れば私たち肉体人間の大半は「聞き分けのないクソガキ」なのです。クソガキということはわかっているので、最初から忍耐強く見守るようコミットメントされているわけです(それが守護霊にとっては大切な修行なのです)。

 

「目に見える物質」だけがすべてだと信じ、「目に見えない世界」を根拠なく忌避する。その否定の度合いが高いほど霊的には「幼い」のです。どれだけこの世的に立派な地位や財産を築いていたって、あっちから観れば「クソガキ」です。

 

小さな子供が何でも口に入れたがるのは、「それが危険だと知らない」からですね。だから親は安直に怒らないし、いつも注意深く見守っているわけです。「子どもだからしょうがないな~」と思いますよね?

 

ときには、あえて口の中にモノを入れるのを(危険なモノでなければ)手を出さずに見守ることもあるかもしれません。そうすると子供はゲーゲー吐くでしょうが、それによって「これは口に入れたらアカンやつや!」と学ぶわけです。

 

守護霊側の私たちに対する接し方も、それと似たようなものです。なので、別に無理に信じる必要はないし、強く否定していただいても良いのです。いずれにしても、いつか必ず霊的世界に関心を持たざるを得ないときが来るのですから。

 

まぁこのサイトをお読みの時点で、あなたはすでにかなり関心がおありでしょうから、どうぞ素直に信じてくださいな(笑)「損得」で考えたって「得」だけでなく「徳」でもありますからね。

 

〈もし汝ら飜へりて幼児の如くならずば、天國に入るを得じ。(もしあなたたちが心を入れ替えて幼い子供のようにならなければ、天国に入ることはできないであろう )〉【マタイによる福音書・18-3】

 

聖書のこの文言は「クソガキ」ではなく「良い子供」になることを勧めていますね。純粋な子供のように素直に信じることが、「天国=神の世界=霊的真理」に入る道だということですね。「良い子」はマネしましょう!

 

ただ、私たちは簡単には純粋になれない。「良い子」になれない。だから、やっぱり学ばないといけないのです。そして、その学びが深くなるのは、やっぱり現実的に大変なときですね。まぁ好きで苦労などしたくはありませんが、もし苦労がやってきたら、「何を学べというのだろう?」という自問自答は必要です。その問い、そして学びたいという意欲は、波動調整を良い方向に導くことでしょう。

 

さらには、たとえ「アメ」があろうがなかろうが、常に「守護霊さんのご加護」に対する感謝の気持ちがあれば「モアベター」ところか「ベリーベスト」です。それが「ゆだねる」ということだからです。「ゆだねる」ということは、決して無力の行為ではないのです。

波動調整の結果は守護霊さんのご判断も働くことは、なんとなくでもご理解いただけたかと思います。

私たちは「人事を尽くして天命を待つ」態度が求められるわけですが、できれば痛みは少なく、できれば「アメ」をいただいた方が人情としては望ましいですね。

それが必ず約束されるわけではありませんが、もしその確率を少しでも高める方法があるとしたら、

・守護霊さんに対する感謝の気持ちを、できるだけ多く抱くこと。

 

・「学びたい」「成長したい」という意欲を、より多く抱くこと。

 

・縁ある人々に対する明るく親切な気持ちを、より多く抱くこと。

 

・上記を守っているからといって、決して守護霊に過度な期待はしないこと。「希望はもつが、期待はしない」ぐらいの温度感が望ましい。

ということが言えます。

4つ目は逆説的ですが、「ゆだねる」というのは、本来はこういうことです。

これらは自分の波動(オーラ)をより輝かせる方法でもあります。波動の輝いている人ほど、現実的にも霊的にも多くの援助を得やすいのは、別に波動が観えなくたって理解できますよね。

守護霊の存在は深く信じられなくても、少なくとも残りの2つ目と3つ目は誰でもできることです。できる範囲で心がけてみてください。

「ボッタクリ」はイヤなので・・・

ここまで、

波動調整の結果=【[私の力量]×[(あなたの意欲の強さ)×(カルマ)]】×[守護霊のご判断]

という式について「カルマ」と「守護霊の判断」の説明をいたしました。

ただ、ここで「困ったこと」が出てきてしまうのです。

それは、波動調整があまりうまくいかないのは、

「私の力量」を棚上げにして、「あなたのカルマが良くないからだ」または「今は守護霊のご加護が働いていないからだ」という言い訳ができてしまう

ということです。

もしあなたがこれを言われたら、どうお感じになるでしょうか。

きっと「あ、そうなんですね・・・なら仕方がないですね、たぶん自分のカルマが深いんでしょうね・・・」とか、「自分なりには強い意欲を持って臨んだつもりなんですが・・・きっと守護霊さんの深い意図があるんでしょうね・・・」とかおっしゃるのではないでしょうか。

「見えない要因」については論理的に説明することができません。そのため、本当は私の力量がショボいだけかもしれないのに、いくらでも言い訳ができてしまうのです。これが「困ったこと」です。

これは「ボッタクリ浄霊」の課金の手口としても使えます。

 

つまり、

 

・「あなたのカルマが深いから、浄霊は何度も行わなければいけない」

 

・「守護霊さん(または●●神)がお働きになるまで、浄霊は何度も行わなければいけない」

 

というように、何とでも言えてしまう。このことによって、そのボッタクリ浄霊以外に解決策がなければ、どんどん金銭を巻き上げられることになってしまうのです。

これは実に「困ったこと」です。というのは、上記は場合によっては「正しい」からです。そのため「正当っぽく聞こえる言い訳」にもできてしまうのです。

もちろん、こうして「表メニュー」に出すのは、「それなりの実績」があってこそです。その一部は「現場編」で述べています。

ただ、それでも一回の波動調整だけでは「目に見える変化」がないこともあります。何回か受けていただかないと難しい場合もあります。

しかし、やろうと思えば、自分の力量を棚上げし、いくらでも言い訳ができてしまうのです。これも私の波動調整がわかりにくい理由の一つです。

「インチキ霊能者にご用心2」で述べた【縛りプレイ5:「正しいこと」を、少しだけ曲げる。】が、ここに適用されるのです。自分で言っておきながら、ヘタをすれば自分も「二の舞」「ブーメラン」なのです。

コレがあるから、今まで「裏メニュー」でやってきたといえます。せっかく波動調整をご依頼いただいたのに、ご期待に添えなかったらお互いにイヤですよね。ずっと「期待したらあきませんよ!」とは言っているけれど、やっぱり心身の不調和で困っていたら期待しちゃうのが「人情」ってもんですよね。

けれど、「表メニュー」に出すことによって、喜んでくださる方もおられるかもしれない・・・と、いろいろ考える中で、上の「困ったこと」への対応策を思いつきました。

それは、以下のことです。

「困ったこと」への対応策
  1. 波動調整を受けていただくための「条件」を、少し高めに設定すること。
  2. 絶対にこちらから波動調整を「強制」「強要」しないこと。
  3. 料金は「あなたの直観」で決めていただくこと。

1番目の波動調整を受けていただくための「条件」は、「波動調整を受けたい方へ」というページで詳しく述べています。

先ほど「波動調整はあなたと私の共同作品です」とお伝えしました。決して「センセーにお任せ」ではない、ということです。なので、やや条件を高めに設定することで、私は「あなたの強い意欲」を求めています。

もちろん、私自身もできるだけ「高い実力」を身につけられるよう、日々研鑽を積んでいきます。

ただし、それでも「あなたのカルマが深い場合」と「守護霊のご判断」によって、残念ながら望ましい結果が出ないこともあります。それは私たちの「自力」を超えているので、仕方のないことではあります。

しかし、「結果が不透明なものに対し、支払いなどしたくない」のは当然の人情ですね。

よって、「料金はあなたの直観にゆだねる」とすることで、少なくとも「金銭的なリスク」はゼロです。もし不服であれば一円もお支払いする必要はありません。逆に「受けてプラスだった」のなら、「直観で決めた金額」をお支払いをしていただければと思います。

これらを自分で「誠意」と言うつもりはありません。むしろ「最低限のルール」でしょう。なぜなら、「本当の誠意」とは、「確実に結果を出し、確実に喜んでいただくこと」だからです。

余談ですが、私はお金は大好きですよ(笑)当たり前じゃないですか~。

けれど、波動調整に関してはちゃんとご納得の上でお支払いいただきたいのです。これはある種の「成果報酬」なので、当たり前ですが気を抜くわけにはいきません。

何度も言っている通り、「波動は絶対にゴマカシがきかない」のです。なので、私は常に自分のエゴを見つめ、「自分は本来は神である」との認識を深め続ける必要があるのです。

そういう意味で、波動調整を表メニューに出すことにしたのは、自分をさらに高めていくためなのかもしれません。理由はいつも後からついてくるようです。

「痛み」が伴うこともある

当ページの最後にあたり、「波動調整を受ける心構え」として「ときに痛みが伴うこともある」とお伝えしておきましょう。

すでに述べた通り、「波動調整の結果は個人差がある」ということ。そして、「途中で痛みがあるかもしれない」ということ。これは大切な認識です。波動調整は決して「良いことずくめ」ではありません。

例えば、嘔吐や下痢は肉体的には痛みを伴うものですが、それは体内の不要物や毒素を排出するために起きるものです。いや、あらゆる病はすべて「浄化」として起こります。

それと同様、「心身の不調和を本来の調和の方向に戻す」波動調整は、そのプロセスにおいて痛みを伴うことがあります。それもまた「浄化」として起こります。

その痛みは「一時的な頭痛」とか「一時的なだるさ」とか肉体的なものかもしれませんし、あるいは「胸のモヤモヤ」とか「よくわからない不安感」とか感情的・心理的なものかもしれません。

「感情的・心理的なもの」というのは、いわゆる「無意識」に潜んでいるネガティブなもの(劣等感、罪悪感、無価値感、誰かを責める感情など)が、あぶり出されるように湧いてくることがあります。このとき、「イライラ」や「モヤモヤ」を伴うことが大半です。

ケースによってはあまり痛みがないこともありますが、それは期待せず「もしかしたら痛みを伴うかもしれないな」と心の準備をしていただくことが大切です。最初からそれを想定しておけば、「よーし来たな!順調順調!」と余裕を持って受け止めることができるからです。

一時的にはしんどい状態でも、一晩ぐっすり眠ればスッキリ回復することもあります。なので、もし波動調整の途中で痛みを伴うことがあれば、「あぁ、これも必要な浄化のプロセスとして起こっているのだな」と冷静に理解されることです。

怖がる必要はありません
ただし、「どうしようもない痛み」は絶対に起こらないのでご安心を。逆に、「かなりの痛み」が起きるということは、それだけ波動調整(浄化)が進んでいるということです。

 

とはいえ、万が一「これは無理だ!さすがに耐えられない!」と継続が難しいのであれば、波動調整は中止することができます。こういう極端なケースは今まで一度もありませんが、もしあれば臨機応変に対応いたしますのでご安心ください。

実際の事例「肉体はラクになったが・・・」

ちょうどこのページを作成しているとき、ある方に対し波動調整をいたしました。それがとても象徴的な事例だったので、「現場編」に加えてご紹介いたします(まるでこのページの内容に必要だから与えていただいたような気がしてなりません。その方には感謝しています)。

その方は「腰痛持ち」でした。整骨や鍼灸に通ってもなかなか良くならない。そんな折、この波動調整を知り、受けていただきました。

その結果、腰の痛みが穏やかになったようです。そこに驚きと喜びを感じていただいたわけですが、実はこの方の場合はそこからが本番だったようです。

それからほどなくして、「怒り」「悲しみ」「怖れ」というように「ひとことでは言えない複雑な感情」が湧いてきたとのことです。

この方とは過去に数回の個人セッションを行っています。そのときは腰の痛みではなく、内面的、心理的な事柄についてご相談をいただいていました。

おそらくそのご相談内容にも関連することと思いますが、波動調整によって「まだ癒し切れていない内面的な痛み」が心の表面に出てきたのです。それによって「複雑な感情」が湧いてこられたようです。

先ほども述べた通り、それは一時的には苦しいことです。けれども、個人差はあっても「ある段階」までその痛みを忍耐することができたら、やがて落ち着いた状態に戻ることができます。

波動調整を受けていただくにあたり、繰り返しますが「自分は本来は神であること」と「守護霊の存在」を全否定しないこと。そして、「痛みは癒しのプロセスとして起こるもの」と、できるだけ信頼していただくことが大切なのです。

この事例における「守護霊のご判断」に思いを馳せるに、「最初は腰の痛みを穏やかにすることで波動調整に関心を持たせ、それからより大切である『内面の浄化』に取り組んでもらう」ということだったのかもしれません。

「肉体の痛みの緩和」というのは「否定しようもない事実」なので、「うわー、半信半疑だったけど、波動調整ってマジなんだ!!」と納得していただくにはとても説得力があります(もちろん、先ほども述べた通り何も起こらない場合もありますが)。

ただし「内面の浄化」に関しては、たとえ守護霊のご加護があっても時間がかかります。一気に「心が晴れてスッキリ」ということはありません。いえ厳密に言えば、もし守護霊のご加護が大きく働くと、それだけ「内面的な痛み」も大きくなります。

人情としては早く「内面的な痛み」から解放されたいものですが、「浄化の炎」が強いとそれだけネガティブな感情がドバーッ!と湧いてきます。また、殴られるような、刺されるような、激しい痛みを覚えることもあります。これはほんの一握りの人だけが選択する「達人コース」です(笑)

「内面的な痛み」が深い方ほど、普通はその激しさに耐えられません。だから「小出し」でモヤモヤ~ッと長い時間をかけて浄化を進めてゆくのが、大多数の人が歩む「標準コース」です。

いずれにしても、波動調整には「痛みを伴う可能性もある」と心得ておいてください。


では、このページは以上です。長い文章でしたが、お読みいただきありがとうございます。

次の「波動調整を受けたい方へ」では、実際に受けていただくための条件を中心に記載していますので、ご興味があればあわせてご覧ください。

2018/09/09 更新