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【ブログ】山頭火を「ウルトラソウル」してみた結果

種田山頭火
(画像はネットから拝借)

放浪の俳人・種田山頭火

こんにちは。

スピリチュアリスト / 波動カウンセラーの林 昭裕です。

 

「前回のブログ」では「万能下の句」というテーマで、

【そして輝く ウルトラソウル】を取り上げました。

今回はその続編です。

いろんな俳句や川柳にこの「万能下の句」を当てはめるのが本当に面白いので、いろいろ試していたんですね。

その中で、当初「コレは特に良くハマっているかな」と感じるものがあったので、ご紹介いたします。

 

種田山頭火
  種田山頭火
(画像はネットから拝借)

今はどうか知りませんけど、山頭火は子供のころ国語の教科書に載っていたのを覚えています。

私はあまり歌に詳しくないものの、それでも「独特のリズム」「自由な歌い方」が特徴だと感じている俳人です。

ただ見方によっては「俳人」というより「放浪者」に近いかもしれません。

十数年にわたって、物乞いをしながら西日本を渡り歩いた異色の人物だからです。

その波乱万丈の来歴は「ウィキペディア」でご確認ください。

そういう異色の人物の歌に対し、【そして輝く ウルトラソウル】をつけるとどうなるのか。

いくつかの句を見ていきましょう。

ただし、素人のくせに浅薄な解釈をするのは違うと思うので、説明は簡潔にとどめておきます。

山頭火に「ウルトラソウル」をつけてみた

生死の中の雪ふりしきる

 

そして輝く ウルトラソウル

ここでの「生死」は「しょうじ」と詠んでいるようです。

こう読むときは「仏教用語」として用います。

仏教的な文脈なので、この「生死」は「生老病死(しょうろうびょうし)」と読んでも良いかと思います。

その視点でこの句を歌った物乞いの山頭火を想うとき、どんな感慨が沸き起こるでしょうか。

炎天をいただいて乞ひあるく

 

そして輝く ウルトラソウル

大自然のエネルギーがみなぎる炎天の中、命がけの物乞いをしている。

猛暑なので体力の消耗は激しいでしょうが、「いただいて」とあることから、それに文句を言ってもしょうがない、淡々と受け入れるしかない想いなのかなと感じます。

この旅果てもない旅のつくつくぼうし

 

そして輝く ウルトラソウル

私はセミの鳴き声を聞いていると、「子供の頃の夏休み」を思い出すことがあります。

夏休みのある日、近くの市民プールの行き帰り、耳にしていた、セミの鳴き声。

懐かしさとともに、あの時代はもう二度と還ってこないという切なさも感じます。

山頭火もセミの鳴き声にふるさとを想ったのでしょうか。

笠にとんぼをとまらせてあるく

 

そして輝く ウルトラソウル

物乞いの生活は文字通り「明日をも知れぬ身」なのに、どこかユーモラスな感じがしますね。

出家もした山頭火は、その明るさの根底に「このいのちは仏におまかせするしかない」と、ある種のあきらめがあったのでしょうか。

一方、こういう句も。

しぐるるや死なないでゐる

 

そして輝く ウルトラソウル

時雨に打たれたことで、より身にしみる「あぁ、今日も死ななかったか」という感慨。

この句を読むと「仏におまかせする」という想いより、迷いを捨て切れない自分を「もう一人の自分」が淡々と見つめているようなところも感じられてきます。

迷いはあるけれど、同時に達観しているようでもある・・・何とも言えない味わい。

投げ与へられた一銭の光

 

そして輝く ウルトラソウル

「あいつは乞食だ」と、さげすむ人もいる中で。

飯のうまさも一人かみしめて

 

そして輝く ウルトラソウル

・・・解釈するだけ野暮でしょう。

うしろすがたのしぐれてゆくか

 

そして輝く ウルトラソウル

・・・これもヘタな解釈はやめておきます。

「万能下の句」が不要の輝き

ごく一部の句を取り上げました。

いかがでしたでしょうか。

こうして文章にして気づいたことは、山頭火の場合、「万能下の句」は「前回のブログ」でご紹介した「それにつけても 金の欲しさよ」の方がよっぽど合うよなぁ・・・ということです。

もちろん「そして輝く ウルトラソウル」でも良いのですが、山頭火の場合は不要ですね。

それぞれの句が、すでに「輝き」を持っているからです。

たとえ悲壮感が漂っていても、山頭火の歌には「輝き」を感じるのです。

おそらくそれは、日々「死」と隣り合わせだったからでしょう。

最初は「万能下の句」をつけて楽しんでいましたが、いま振り返れば、かなり浅はかだったと思います。


山頭火自身の晩年の波動(オーラ)を拝見していると、非常に落ち着いたものを感じます(過去の波動を観ることもできます)。

もっとも山頭火は「母の自死」「事業の失敗」「妻子との離縁」「弟の自死」「関東大震災で被災」など、人生に暗い影が落ちても仕方のない場面に、何度も遭遇しています。

大酒飲みで、酒を買うために知人に借金もしたとか(そして返さない・・・)。

最初から透明感のある波動ではなかった。

自己の未熟さと人生の悲哀を抱え、物乞いの放浪を続けた。

そして、晩年にやってようやく心身ともに落ち着いたときの、一句。

いただいて足りて一人の箸をおく

放浪のときのような切迫感こそないけれど、彼のそれまでの歩みを知った上で読むと、とても味わいが出てきます。

山頭火は「聖人君主タイプ」ではありませんが、個人的にはたまらない魅力を感じます。

特に好きなのが、

まっすぐな道でさみしい

たったこれだけなのに、何だろうこれは・・・。

「ウルトラソウル」の歩む道

山頭火という奇特な人物を観ていると、

「なぜ山頭火という魂(ソウル)は、この旅を歩んだのだろう」

・・・と、決して答えの出ないことを考えさせられます。

実は、これは日々の仕事でいろんな方の「ソウル」を拝見していても、同様のことを考えます。

「なぜこの●●さんの魂(ソウル)は、この人生を歩んでいるのだろう」

「前回のブログ」で述べたように、すべての存在は「ウルトラソウル」で、本来はどのソウルも輝いているものです。

けれども、この地上界では、人生の道中でいろんな喜怒哀楽を味わい、ときに「ダークサイド(闇)」に堕ちてしまうこともあります。

ただ、当然それは「苦しい」わけですから、またどこかで「ライトサイド(光)」を求め始めます。

私は、それが「ダーク」だろうと「ライト」だろうと、すべて「ウルトラソウルの輝き」の一コマではないかと考えています。

「闇」も「光」も本来は一つじゃないかな・・・という観点をどこかに持ちながら、日々いろんな方のご相談をお受けしているように感じます。

表面的に観れば、山頭火の人生は哀しみに彩られています。

ただ、それがあったからこそ彼の句の輝きがあるとするなら、彼に与えられたすべての体験が「ウルトラソウルの輝き」の一コマではないかと思うのです。


・・・素人の俳句鑑賞なのかスピリチュアルブログなのか、よくわからん内容になりましたが、たまにはこういうテイストの文章も良いかなと、個人的には思います。

文章を書きながら、考えをまとめていくプロセスは、苦しくもあり、楽しくもあります。

これもまた、たとえ小さくとも、私のウルトラソウルの輝きの一コマなのかもしれません。