メルマガにご登録いただいた方に「3つのプレゼント」があります!

【ブログ】生かされている「いのち」を活かす

いのちを育む

「感謝」を行いで示す

こんにちは。

スピリチュアリスト / 波動カウンセラーの林 昭裕です。

 

「霊性」という言葉を見つめるとき、

「私は守護霊さんに守られている」

「私は宇宙から愛されている」

「生かされていて有り難い」

などの「スピリチュアルな感覚」は、無いよりあった方が人生を豊かにする、ということが私の価値観です。

逆に「目に見えないものなど信じない」とする価値観でも生きてはいけるでしょうが、果たしてその構えで無常の人生を支えてゆけるのでしょうか。

個人的には少し心もとないものを感じます。

とはいえ、「守られている」「愛されている」という感覚がいまだ行いに現れていないとすれば、それはまだ観念の域を出ていないと言わざるを得ません。

知識だけで「波動」は高められない

職業柄、いろんな方々の波動(オーラ)を拝見します。

そうすると、ときおり次のような意外な発見があるのです。

それは、スピリチュアル的な事柄が好きで「生かされていることに感謝」とか「ワンネス(すべては一つ)」とか常々言っている人よりも、別にスピリチュアルには興味ないけれど、仕事や家事を楽しみ、周囲に喜ばれることを何気なく行っている人の方が、ずっと波動が輝いていることがあるのです。

もちろんすべてのケースに当てはまるわけではありませんが、このエピソードは私も含めた「スピリチュアル好き」は、特に自戒とされた方が良いでしょう。

いくらスピリチュアルな知識があっても、それを実行しなかったり深い自己省察に至っていなかったりすれば、いくら「生かされている、有り難い、みんなつながっている」と口にしたところで、人生を深く支える力にはなりにくいでしょう。

いえ、生じっか知識があるだけに、かえって霊的な成長を阻害するかもしれません。

かのイエス=キリストも「主よ、主よ、と言うだけの者が天国に入れるわけではない」という意味の言葉を残されているようです。

本当に生かされているという自覚があるなら、必ずやその「生かされている『いのち』を活かす」という方向に向かうはずなのです。

もちろん「まず知る」ことが大切であるのは言うまでもありませんが、その先へ具体的に歩むことがなければ、それは知らないことと同じだ、という厳しい見方もあるのです。

特にスピリチュアル方面の知識というのは、それが目に見えない事柄を扱っているため、ともすると観念的な段階で満足してしまう懸念があります。

私のような「スピ好き」な人は、特に心すべきことでしょう。