11月11日「人生を変える断食」講座を開催します!

占いとの根本的な違い

占いはしません

はじめに

このページでは私の考え方と「占い」を中心としたスピリチュアル・ビジネスとの違いについて述べています。私のやり方やスタンスについての説明も含んでいますが、より大きくは「占いの類への関わり方を考える情報」として作成しています。

基本的には「占い師」について述べていますが、文脈によっては「霊能者」「スピ系カウンセラー」と読み替えても意味は通ります。

 

本ページ「パート1」は主に【占い相談者の心理】について、「パート2」【占い業界の構造】について、「パート3」【占い師の実態】について記載しています。

 

全部で3ページなのでそこそこボリュームがあることをご了承ください。このページの半分あたりまでが要点です。「ここまでが要点です」と示していますので、お時間に限りがあればそこまででも良いかと思います。

以下に「パート2」「パート3」のリンクを貼っておきます。特に今まで占い(電話占い)を使っていた人にとっては興味深く読んでいただけるのではないかと思います。

また、「インチキ霊能者にご用心」そして「霊能者占い師を見抜く!」というページでは、本ページの内容を違う角度から述べています。さらに知見を得たい方はあわせてどうぞ。

「占い」や「霊感」では満足できない方へ

私のところにお越しになるご相談者さんの中で「他の『霊能者』や『占い師』にかなりの時間とお金を使ったんですけど、結局ほとんど良くなりませんでした」とおっしゃる方は少なくありません。

このホームページ全体をチラッとでもご覧になればお分かりと思いますが、私はあまり派手な宣伝はしません。そのためか、お客さんの何割かは「これまでスゴそうな霊能者や占い師に相談したが、改善しない、満足できない、説教された、高額だけ失ってもう疲れた」という方です。

やっぱり最初は「スゴそうに見える」ところに行きますもんね。それに懲りると、ようやく私みたいな地味なヤツのところにお越しになるのでしょう(笑)

もちろん「実力」「人間味」「誠実さ」をすべて兼ね備えた方はおられるのでしょうが、残念ながら一握りです。まぁ、私も偉そうなことは言えませんが。

「インチキ霊能者にご用心」というページではイケてない中でも特にゲスい事例を取り上げていますが、この文章の大半は「自己批判」のつもりで作っています。その姿勢はこのページでも同じです。

私はすべてを批判できるほど万能な能力は持ってないし、まして「オレが一番や!」なんて思ってもいません。これまで「表には出ていないけどめっちゃスゴい人」とは何度かお会いし、そのたび「上には上がいる・・・」と思い知らされてきましたから。

とはいえ「派手な電話占い」や「すごそうな霊能者」では満足できない。「見た目ばっかりやん!もうお腹いっぱいやわ!」と感じている。そういう方にとって、またこれからそういうものを必要とする方にとって、このページが少しでもご参考になればと願っています。

「半年以内に運命の人に出会う」予言?

医者との出会い?

では、最初に過去にいただいたご相談事例の一部を取り上げ、具体的に述べていきたいと思います。少し私のセッションスタイルも述べているので、よろしければそこもご参考にしてください。

この事例はよくご相談いただく「この先生って、本当に信用できるんですか?」というものです。詳細は「霊能者占い師を見抜く!」というメニューで述べています。

以下の事例は掲載許可をいただき、また個人が特定できないよう一部変更しています。その変更内容は架空のものではなく、他のご相談事例を組み合わせたものです。


以前、45歳手前の「トモミさん」(仮名)から、次のようなご相談がありました。

「私は、ある占い師の先生から『あなたは、半年以内に運命のお医者さんに出会い、結婚して子どもまで生む』って予言されたんです。その後、病気のときに通った病院で、実際に30代後半ぐらいの男のお医者さんと本当に出会いがあったんですよ。『あぁ!!この人かも!まだ私には可能性があるんだ!!』ってすごくテンションが上がったんですけど、それから先に全然進まないんです・・・この占い師さんって本当に信用できるんですか?」
というご相談でした。

「信用できるんですか?」って尋ねる時点ですでに不審感をお持ちなんですけどね・・・まぁそれは横に置いといてこの事例を振り返っていきましょう。

私がそのお医者さんの波動(オーラ)から「感情や気持ちを観る」と、特に「トモミさんへの好意」は感じられませんでした。残念ながら「フツーの患者の一人」でした。

ここではそのお医者さんに「ご相談者さんへの好意があるかどうか」を観ています。詳しくは「恋愛・パートナーシップ」のメニューをご覧ください

申し訳なくトモミさんにそれをお伝えしますと、

「そうですか・・・全然進展がないから、まぁそうだろうなとは薄々思ってはいましたが、信じていただけに残念です・・・」

としょんぼりしていました。

それから、

「でも、『医者と出会いがある』って言われたのは当たってるんですよね・・・だからすごく信じてしまったんですけど・・・林さんから観て、この先生ってどうなんですか?信用できるんですか?」

と聞かれました。

そこで、その占い師さんの波動(オーラ)を観ます。それによって例えば「あぁ・・・この人はウケ狙いで言ってるな」「あくまで最高の可能性にしか触れてないな」「ちゃんと誠実に接客されてそうだな」など、その占い師の「誠実さ」や「実力」の見当をつけるのです。

この事例で観た占い師さんは「かなり重たい波動」の持ち主でした。不誠実やウソがあるほど波動は重たくなります。かといって完全に信用できないわけじゃないんですけど、少なくともその「予言」とやらはかなりディスカウントして受け取った方が良いでしょうね。

そういったことをトモミさんにお伝えすると、

「さっき林さんは、この先生は私に対して『特別な気持ち』まではなく、あくまで『一人の患者さんとして大切にしているだけ』と言いましたよね。でも、まだあきらめ切れなくて・・・『今後もしかしたら可能性が出てくる』ってことはあるんでしょうか?」

と聞かれることもあります。

そのときはトモミさんとそのお医者さんの波動から「近未来の流れ」を観ます。それによって「大筋の流れ」の見当をつけるのです(ただし未来を断定したり、細かいことを言ったりすることはありません)。

波動から「近未来の流れ」を観ることについては、「幸せな未来を選び取る」メニューページをご覧ください。

もし流れが良ければ「まだ可能性はあるようです。まだあきらめられないならアプローチした方がいいかもしれませんね」と言うかもしれません。逆に、流れが良くなければ「未来は最初から決まっていませんけど、少なくとも受け身の状態ではかなり難しいでしょうね」と言うかもしれません。


実際のセッションではもっと細やかに会話をしています。内面を見つめる「カウンセリングスタイル」になることもあります。ただ、ここでは事例の簡単なご紹介として短くまとめました。

「未来」は誰にもわからない

もう少し深く振り返ってみましょう。

その占い師は「医者と出会う」ところまでは言えても、その先のことまではわかりませんでした。わからないのも無理はありません。たとえ優れた人でも、完全に未来はわからないのですから。

よくスゴい占い師の宣伝として、「本当に当たった!この先生はホンモノだ!」と言われることがあります。しかし冷静に分析すると、実際に当たる確率は何パーセントなのでしょうか。

間違いなく言えるのは「100パーセントは絶対ない」ということです。たまたま当たった(らしい)事例をクローズアップして宣伝に使っているに過ぎません。

以前、ある有名な霊能者が「あるスポーツ世界大会の上位3ヶ国を霊感で言い当てる」という企画番組を映像で見たことがあります。「もっともらしいポーズ」で霊感を研ぎ澄ませているようでしたが・・・結果は当たりませんでした。

また、違う番組では何人かの売れっ子占い師が「芸能人の数ヶ月先の未来を『恋愛』『仕事』『健康』などのカテゴリー別に言い当てる」という企画を流していましたが、これも当たりませんでした。中には部分的に当たっていましたが、「たまたまかな」「そりゃ数撃ちゃ当たるわな」と疑いは残ります。

別にその方々を侮辱しているわけではありません。だって「優れた人でも完全な未来はわからない」のですから。当たらないのはある意味で「まとも」なのです。

そして、本当は別に当てる必要もないのです。なぜなら百発百中でないのにヘタに当てることは、相談者の人生をかえって迷わせることになりかねないからです。なので逆説的ですが、本当に優れた占い師は安易に未来を言い当てることはありません。昔から「真の占者は占わず」と言われている通りです。

「あることないこと」「いい加減なこと」を言い続けていると、波動はだんだん暗く重たくなります。でもそれは仕方のない部分もあります。なぜなら次の項目で述べるように、職業占い師は商売上、相談者側の「答えを言ってほしい」というニーズに応える必要があるからです。じゃないと商売になりません。

本当はすべてわかるはずなんかないのに・・・。

ただし、極めて少数の本当に優れた方は「大まかなビジョン」として未来を予見できます。細かい部分や時期まではピッタリ一致しないかもしれませんが、おおよそはその予見通りに展開してゆくのです。

 

私もまたサラリーマン時代、起業なんてとても考えられなかった時代、今の師匠から「あなたは将来スピリチュアルな仕事をするでしょうね」と言われたのです。具体的な時期までは言われませんでしたが、はたしてそうなったのであります。

「エゴレベルのニーズ」に応える占い

職業占い師は相談者の「未来を知りたい」というニーズに応えるため、「答えらしきもの」を言い切ることが少なくありません。

また相談者が「良い結果を言ってもらいたい、キツいことは言われたくない・・・」と不安を埋め合わせたいニーズを持っていると、結婚して子どもまで産むという「夢物語」まで語ってしまうのです。

占いをよく利用する相談者の中には、「自分にとって都合の良い結果」を言ってもらえる占い師を探し回る人がいます。

そういう人の「エゴレベルのニーズ」にうまく応えられたら強力なリピーターになる可能性が高いので、占い師は「お客様の(エゴの)ご満足のため」に、自信を装って良さげなことを答えるケースが少なくないのです。

そのあと本当に医者と出会ってしまったら、その占い師を盲信しているほど「あぁぁ!この人かもぉぉ!当たってるぅぅぅ!!」とファンタスティックな状態になるかもしれません。「あの先生が自信を持って言ってたんだから、きっとこの人がそうなんだろうな!」と思い込む。

そのご相談者さんは45歳手前でしたが、「まだ私にも子どもを産めるんだ!」とめちゃくちゃテンションが上がったはずです。「ジャネット・ジャクソンだって50歳で出産したし、私だって!!」と。そうやって希望を強く持つことは良いように思えます。

ただ、これまでご相談をいただいてきた経験からすると、この事例のように「途中までは当たっている」ように感じても、最後まで言われた通りにならなくて余計ガッカリすることが多いようです。ただ、それは人生に対する怖れや不安から、他人に未来をゆだねてしまった結果なのです。

「百発百中」なんて絶対ムリなんですよ。もし百万歩譲って本当に「百発百中」ならVIP相手に超儲かる占いをやっているでしょうよ(詳しくは「パート2」で)。よほど無欲な人でもない限り、「占いの館」や「電話占い」で高くない報酬で天才的能力を小出しにすることなんかしないでしょうよ。

「本心レベルのニーズ」に寄り添う願い

当たらないことによって逆に不審感(不信感)を募らせ、たまたま知った私のところに「本当のこと」を知りたくてお越しになるというわけです。

ただ、私も残念ながら「本当のこと」は知らんのですわ。この事例の場合にわかることは、「占い師の波動」「お相手の気持ち」「今後の大筋の流れ」ぐらいです。あとはご相談者自身の波動を拝見しながら、内面をじっくり見つめていくお手伝いをしていくだけです。

本当に大切なのは「占い師の信頼性」でも「お相手の気持ち」でも「今後の大筋の流れ」でもありません。これらは参考にしながらも、結局は「ご相談者さんがどうしたいか」だけです。「誰もわからない未来」に対して、どういう心構えで向かっていくかだけです。

だからこそ、ご自身の内面を見つめることが大事なのです。ただそれは一人では難しいので、世の中にはカウンセリングやセラピーがあるのです。私がご提供する「場」もまたそうです。

念のため述べておきますが、ご相談者さんが「占い師への不審感」を持っているからといって、その空気を読んで「あぁ、その占い師は信用しない方がいいですよ」とはお答えしません。もしその占い師さんの波動が良ければ、「いや、けっこう誠実で真面目な方ですよ」と正直にお答えするでしょう。

もし単に空気を読むだけなら、結局のところ私も「ご相談者さんのエゴのニーズに寄り添っているだけ」になってしまいます。でも、そればっかりだと私の波動が重たくなってしまうんです。「エゴの波動」は重たいからです。そんなんイヤなんじゃ。

だから事例で述べたように、ときにはご相談者さんがガッカリすることを言います。「こう言うのは申し訳ないんですけど、そのお医者さんは現時点ではあなたに気持ちはないようですね・・・」と。

たとえその人のエゴからは嫌われるとしても、「都合の良い幻想」を手放していただくこと。それがエゴより深いレベルにある「本心のニーズ」に寄り添ってゆく出発点となります。

ここで言う「本心」というのは「本当の願い」や「意識の深いレベル」のことです。スピリチュアル的に言えば「大我」「真我」「神我」です(ちなみにエゴは「小我」「個我」「肉体我」ですね)。

「本心」と言葉では簡単に言えても、それに寄り添うことは簡単ではありません。だから私自身はもちろん、ご相談者さん自身にもエゴレベルを超えた「真摯な気持ち」「道をひらく願い」が求められることになります。

ただ簡単ではないからこそ、自分の未来は自分の意志で決められるわけです。それによって、実際の未来がどうであれ、納得感の得られる人生を生きることができるわけです。

ここまでが要点です
ここまでお読みいただければ、「私の考え方」と「一般的な占い」との根本的な違いは少しご理解いただけたかと思います。お時間が限られている方はここまででも結構ですが、さらにご興味のある方は続けてお読みいただければ幸いです。

「予言」が当たってしまうカラクリ

さっきも目が合いましたよね?
(スシローさんのPOPより)

「おおよその未来予測」に限るなら、特に占星術や四柱推命などの「生年月日を使う占い」は部分的にご参考になるでしょう(私も以前は使っていました)。個人差はあっても「運勢の周期・サイクル」は不思議とあるのです。それでも「あくまでご参考程度」にした方が賢明ですけどね。

ただ、占いで細かいことまで言ってしまうと当たらない可能性が高くなるので、慎重な占い師は言及を避けます。しかし占いに頼る人は「細かい部分まで言って欲しい」とエゴレベルのニーズの高い人もいます。もし「運命の出会い」であれば、その時期や場所にまで、細かく聞きたがるものです。

それは無理もないことですね。なぜなら占い師側は「驚愕の的中率」とか「怖いほどよく当たる」とか強い宣伝文句を連発するからです。そりゃ期待しちゃいますって。不安であるほど「未来への石橋を叩きまくりたい」ので、ついつい期待して細かく聞いてしまうわけですね。
 
占い師も客商売ですから、特に「霊視系」の占い師は細かい部分まで踏み込んで答えることがあります。詳しくは「パート2」で説明していますが、別に当たらなくてもあまりクレームにはならないので、思い切って細かく言ってしまう場合があるのです。

ときおりそれが「中途半端に当たってしまう(ように感じる)」のが、何とも悩ましいのです。ただ、「当たる」というのはいったい何を持って「当たる」ということにしているのか、冷静に分析することが大切です。その冷静さに欠けると、占いの結果に振り回されることになりかねません。

なので、先ほどの事例をもう少し掘り下げて解説しましょう。以下を読めば「ひとくちに『当たる』と言ったって、実際はかなり曖昧なものだ」ということがご理解いただけるはずです。

予言が当たってしまうカラクリ
最初に占い師の「半年以内に医者との出会いがある」という予言を信じることで、「私は医者との出会いがあるはずだ・・・」と頭の中に強くインプット(悪く言えば洗脳)されます。

 

そのインプット状態でたまたま病気して近くの病院に行くと・・・そりゃ院内にお一人ぐらいはおられますよね、「比較的若くて独身のお医者さん」が。

 

一般的に医療関係者はかなり多忙で恋愛している余裕があまりないので、経済的に豊かでも婚期が先延ばしになる人は少なくありません(特に「女医さん」や「看護師さん」からご相談を受けたことは何度もあります)。

 

で、最初に男性の先生に診察してもらったとき「あ、もしかして・・・この先生があの占い師さんが言っていた『運命の人』なのかしら・・・?」と、ここで「恋の予感」を感じ「運命の鐘の音」が聞こえてくる(ような気がする)のです。

 

ただ、さすがにまだ半信半疑です。「いやいや、そんなハズはない・・・」とためらう。かといってせっかく芽生えた「恋の予感らしきもの」をみすみす手放したくはない。これがラストチャンスかもしれないのだから・・・。

 

だから何度か病院に通い、診察の度に先生に明るく話しかけ、その反応を慎重に確かめようとします。ただ「うまくいってほしい!!」という不安の裏返しとしての執着があるので、無意識に「自分に都合の良い情報」を集めようとします。

 

実際、そのご相談者さんが私に言うには「その先生は、2回目、3回目の診察では私と目が合うと、何となく視線をそらすんです・・・これって『先生が私を意識している』ってことだと思います!だって、もし意識してなければ普通に接するじゃないですか!」とのことでした。

 

でも、実際にそのお医者さんの波動を観てみると、別に「意識」なんかしていないのです。ていうか、実際にそのお医者さんに気持ちを聞いたわけでもないのに、「先生が私を意識しているに違いない」と思い込む。これは冷静に考えれば「妄想パラダイス」ですよね。

 

このご相談者さんは、ある意味では「真面目」です。占い師が言った「予言以外の可能性」を徹底的に排除しているからです。その医者が視線をそらすのは「この患者さん、なんか知らんけど目がギラギラしていて、妙にテンション高くて、なんか変わってるな・・・」と思っているだけかもしれないのに。

 

そんな「マイナスの可能性」は即座に排除されてしまう。いや、実は「予言通りにならない」という強い不安はあるのだけれど、怖くて向き合えないわけです。

 

ただ、さすがに現実がちっとも動かないので、不安が抑えられなくなってご相談に来られたというわけです。

 

なお、ここで間違えると占いに過度に依存する「占いジプシー」になります。多くの占い師は相談者に気持ちよくなってもらうため、良いことしか言わないものです。だから不安をさらに埋め合わせるため、もっとスゴそうな占い師、もっと甘い言葉をかけてくれる占い師を渡り歩くことになります。

・・・もうお分かりですね。「予言が当たってしまう」というより、「予言の内容に無理にでも自分を合わせてしまう」のです。自分で作り上げた一方的なイメージによって「あぁ!この人が『運命の人』に違いない!」と思い込んでしまう。

それで「当たった!占い師の言った通りだわ!」と、ハイテンションになってしまう。その人の友人が「なんでやねん!たまたま病院行ったら男の医者がおっただけやんけ!」と冷静にツッコミを入れても「は? オマエ何言うとんねん!当たっとるわボケ!」と、本当は不安なのに聞く耳を持たないわけです・・・。

「予言の当たり屋」にならないために

お前の母ちゃん大殺界
(画像は「ボケて」より)

ちょっと失礼な表現かもしれませんが、私はこのタイプの人のことを「予言の当たり屋」と呼ぶことがあります。すでに述べた通り「予言の内容に合わせるために、無理にでも自分の体をぶつけに行く」のです。

ときには「中国雑技団の人ですか?」ってぐらい体をねじらせたり、対向車線のダンプカーにスーパーダッシュで突進したりすることもあるでしょう。これは相談者の中に不安、怖れ、依存心が強いほど強くなります。

これは他の占い、特にマイナスの鑑定結果においても起こります。例えば以前よくテレビに出ていた有名な女性占い師の本を読んで「ワタシの今後の一年は『大殺界』でめっちゃヤバいらしい」と不安になったとします。それこそ「リアルガチ!ヤバイよ、ヤバイよ~!」と「出川哲朗のモノマネ」ができてしまうぐらいに。

そうすると、何か新しいことに挑戦しようと思っても「この一年は大殺界らしいから、失敗するかもな・・・やめとこう」と自粛してしまう。また、たまたま厄介なトラブルが起こると「うわー、やっぱりワタシって大殺界やん!ホンマにヤバいやん!」と、さらに思い込みが強くなってしまう。

この段階になると、自己啓発の世界で「思考は現実化する」と言われる通り「大殺界だからヤバいことになる」という思考はますます実現しやすくなるでしょう。

そして「ヤバいこと」が起こるたびに、思い込みはさらにさらーに強くなってしまう。いつも年末になれば、不安からコンビニであの女性占い師の本を買うというわけです(毎年あの本が並んでいるということは、きっと売れてるんでしょうね~)。

これもまた、無意識ですが「予言の当たり屋」になっていることがわかりますね。

他にも「アッチの方角に行くと災難に見舞われる」「部屋のアッチ側にアレを置くと部屋の運気が下がる」「この名前の画数は凶数だからこの先に不幸が起きる」など、「予言の当たり屋クラブ」に勧誘する占いの鑑定結果はたくさんあるのです(会費は高いですな~)。

しかし逆に「来年はスゴく良い年になる」ということが占いで出ていたとしても、案外そうはならない・・・。

そのときは「なんやねん!全然当たらへんやんけ!」なんてボヤきつつも、やっぱり「来年は大殺界」と知ると「出川ヤバいよモード」が発動するのです。

ちょっと厳しいかもしれませんけど、百発百中なんて絶対ありえないマイナスの鑑定結果「ごとき」に不安がっているような人が、望む未来を実現するのはかなりハードルが高いと言わざるを得ません。

もはや「占い以前の問題」なのです。当たろうが当たるまいが、不安そのものは変わらないからです。

そもそも、不安や恐怖心を抱くぐらいなら、当たるかどうかワカんねー占いなんてやめちまえ、と言いたいですね。お金を出して怖がるのは「ホラーゲーム」「ホラー映画」ぐらいにしませんか?

「不安」や怖れや依存心から波動を重たくしている人が、どんな占いに頼ろうともあまり意味はないのです。まぁ不安だから占いに行くのですが、残念ながら話は「真逆」です。不安な状態で占いに行けば余計に不安を長引かせることになりかねないのです。

「予言」や「運命」を超える勇気を

また話を事例に戻しましょう。このご相談者さんが「最高の予言」にしがみついてしまったのは、それだけ不安を抱えているということの裏返しでしたね。

「もしそのお医者さんと結ばれなかったら、私にもうチャンスはないだろう。一生『独り身』だろう。孤独のうちに、さびしく死んでいくんだろう・・・」

そのお気持ちは理解できます。もし私がその方と同じ状況だったら、同じことを思うかもしれませんね。

ただ、その占い師が言ったことがすべてではありません。あくまで「いろんな可能性の中の一つ」に過ぎません。いずれにしても、その根底に不安がある限りは、どんなことを言われても不安は変わらないのです。

だからこそ、その不安を深く見つめ、そして手放す工夫を積み重ねていかない限り、どんなに素晴らしい予言が与えられようがあまり意味はありません。

逆に言えば、占いの当たる・当たらないは正直言ってどうでもいい。そんなものは「余興」や「ゲーム」にすぎません。必要なのは、どんな未来が待っていようとも、いま目の前のことにまっすぐ取り組む「勇気」のみです。

たとえ占いが「来年は良くない年になる」としても、本当にやりたいことを始めるタイミングが来年だと心から感じているなら、思い切ってやるのですよ。たとえ「東の方角に行ったらヤバい」としても、大切な出張仕事があるなら、「大阪から東京まで喜んで飛んでいく」のですよ。

たとえ占い師が「その異性との相性は悪い」と言ったとしても、周りの家族や親戚が猛反対したとしても、心の底から惚れた相手で、いくら考えても考えても考えても、「この人と一緒になる」以外の選択肢は考えられないなら、リスクを覚悟した上でお付き合いや結婚を試みれば良いのですよ。

その姿勢や勇気が本当に理にかなったものなら、それは必ずや自分自身の波動を高めていきます。それが「大殺界」を越え、本当に望む未来を創っていくのでしょう。

 

もちろん「波動を高めれば必ずうまくいく」なんて、薄っぺらいスピリチュアルを語るつもりはありません。それはスピ本の中だけで語られる「幻想」です。

 

むしろ思い通りにいかないことが多いのが「現実の人生の姿」です。ただ、それも含めて「選択できる力」が私たちにはあるということ。それが「人間の自由」ではないでしょうか。

 
これまでいただいたご相談の中で、不思議なことに「決意をした瞬間に現実が急に変わる」ケースを、いくつも拝見してきました。もちろんすべてがそうではありませんが、これは「(必ず成就するかは別として)望む未来は自分で選択できる」証だと思うのです。

「エゴ」は都合良く解釈してしまう

文枝師匠のイスからズッコケ
(画像はネットから拝借)

事例の振り返りも終盤です。最後はちょっと「オチ」みたいな話になりますが、これも実際にあったことです。

私は、先のご相談者さんに聞きました。

「何回か診察に通ったあたりで、そのお医者さんにはLINEメッセンジャーでアカウント交換するとか番号やメルアド渡すとか、何かアプローチはしたんですか? まぁ周りに看護師さんがおられるでしょうから、タイミングは見ないといけないでしょうけどね」と聞きました。

そうしたら・・・

いいえ、そんなことはしてないですよ。だって、占い師さんが『あなたは医者と結婚する』って言ったんですから、私は別に何もする必要ないじゃないですか」

・・・!

うおぉぉぉいいいっっっ!!!

なんじゃそりゃあああああっっっ!!!

と、私は関西人のノリで、マジでイスから転げ落ちそうになりました・・・お相手が関西人で、ちゃんとノリの分かる人なら、「新婚さんいらっしゃい」の桂文枝さんのようにズッコケていたかもしれません。

現実的に考えれば、こちらから何もアプローチがなければ現実は動きようもありません。運良く向こうのお医者さんから「『来週、食事でもいかがですか?』というメッセージと電話番号が書かれたメモを渡された。周囲に看護師がいない一瞬のスキを見計らって・・・」という場面があれば良いのですが、残念ながらそんなドラマみたいな展開は現実にはありえへん。

万が一「ある」としても、最初から期待などしない方が精神衛生上いいでしょうね。ちょっと冷静に考えれば当たり前のことだと思うのですが、とかく占いやスピリチュアルの世界には「エゴによる都合良い解釈」が混じりやすいのです・・・これは私も含め、スピリチュアルを学ぶ者にとっての「大きな心の壁」でしょう。

これは「プラス思考」や「楽天家」とは似て非なるもので、正確には「能天気」や「お花畑」です。その見極めは自分では難しいでしょうね。ただもし判別できるとすれば、その解釈によって波動(オーラ)が高まり、現実をより良く変える力となるかならないか、ということでしょう。

私のセッションでは、「思いや考えそのものの波動(想念波動/想念エネルギー)」を観ることがあります。調和した、理にかなった想念であればその波動はキレイです。逆に「都合の良い解釈」が入り混じっているほど波動は重たく、暗く、濁ることになります。

もしその解釈が「幻想」であれば、たいていは「シビアな現実」が「それ、ちょっと違いまっせ」と無言で教えてくれます。この事例の場合は「何も進展が見られない」という現実でした。

ご相談者さんがずっと「待ちの姿勢」だったのは、先ほど述べた通り「しがみついている予言の崩壊を深く怖れた」からでしょう。あるいは「アプローチは男性からするもの」という恋愛に対する固定観念もあったかもしれません(まぁその人が「肉食女子」なら、そんな「常識」なんざブッ飛ばしているでしょうけど)。

やはり「自分の道は自分で切り拓く」というのが、人生に対する根本的な姿勢です。もちろん恋愛なら「待ちの姿勢で異性から誘われる存在になる」という戦略もアリですが、それだってルックスに自信でもなけりゃ教養やファッションやスタイルを主体的に磨かなくっちゃ。

にもかかわらず、もし占いの結果が「本来やるべき努力」を怠らせているとすれば、その占いは人間の可能性を広げているようで実は狭めていることになります。

もちろんこの場合は占いに問題があるのではありません。当たるかどうかわかんねー、それが占いというもの。それを鵜呑みにする側にこそ、問われるものがあるのです。

「人間としての成長」を求めて

百”万”歩譲って「最高の予言通り」になるとしましょう。ただ、その通りにすることによって実は「失敗する自由を失っている」のです。妙な表現かもしれませんが、言い換えれば「成長の機会を失っている」のことになるのです。

「え? 別に幸せになるんだったらそれでいいじゃん」と思うかもしれません。いや、別にそれでいいのですよ。もし人生がすべて順風満帆に展開とするとしたら。

「人生の目的」というのは、スピリチュアル、宗教、哲学によってさまざまな考え方があります。だから「これが唯一の正解」というのはありません。ただ私が考えているのは、「人間としての成長」が「人生の目的」の大きな一つではないか、ということなのです。

そして、「人間が最も成長する瞬間」とは、何かに失敗し、挫折し、敗北したときです。

さきほど「誰に何を言われようとも、いくら考えても、その人と過ごす時間が本当に大切なら、一緒になれるよう試みればいい」と述べました。覚悟を決めたことなら予言や運命も超えていけるかもしれない、と。しかし、成功することだけが人生ではないし、まして成功は誰にも約束されていません。

まず、死ぬほど「引き寄せの法則」を実践しても、うまくいかないことは往々にしてあります。もしうまくいったとしても、現実の人生はそれで映画みたくハッピーエンドとはいきません。「エンドの先」にもいろいろ起こりうるのが人生です。

もしかしたら「百年の恋」もあえなく冷めてしまうかもしれない。最初はとても幸せだったけれど、だんだんお互いの価値観のズレや、どうしても受け入れられない部分が出てくるかもしれない。そのうち、どちらかが他に愛人を作ってしまうかもしれない。

その果ては、別れや離婚かもしれない・・・こういうケースは決して珍しいことではありません。

そのケースに対し、「なんだよ!結局は相性が悪かったってことか!全然ツイてない運命じゃん!」と解釈することは、簡単にできます。これは最も素朴な物の見方でしょう。そして、最もさびしい物の見方でもあるでしょう。


ただ・・・最初からそれを望んだわけではなかった。お互いが、最初から仲違いをしようと思って、お付き合いを始めたわけではなかった。お互いが、真剣だったはずだ。

どうして、たくさんの男と女がいるというのに、私たちは出会ったのだろう。広大無辺の宇宙の中、銀河系の小さな惑星、同じ日本、同じ時代、同じ地域、同じタイミング、私たちは出会った。それは、なぜだろう。何のために、出会ったというのだろう。
 
・・・これもまた、「ご縁」だ。ならば、きっと、何か「意味」があるはずではないか。

その「ご縁の意味」を深く噛み締め、その上で、「ともに過ごした時間」を振り返ってみる。

あの最後は、相手をただ責めるだけだった。でも、よく考えれば、自分は身勝手だった。自分の要求を、相手に押しつけ過ぎたのかもしれない。「この人は何でもやってくれる」という依存心もあっただろう。そして、気がつけば、主導権をめぐって、小さな争いを繰り返すようになってしまった・・・。


例えばこのようにして、決して相手のせいにせず虚心に振り返っていくことで、自分の未熟さに気づくことがあります。それは痛みを伴うものです。「エゴ」が傷つくから、決して簡単なことではありません。

けれども、それでも逃げずに自分と向き合っていけば、「不思議と何かが腑に落ちる瞬間」がやってくるかもしれません。あるいは「なぜか心が晴れてゆく瞬間」かもしれない。

その瞬間こそ、まさに人間として成長できた瞬間です。それでも、また相手を責めたくなる思いは湧いてくるでしょう。人の心は、そんなに簡単なものではない。完全なる「上書き保存」は無理です。

ただ、感情が湧き起こるたび、それと丁寧に向き合い、一つひとつ手放してゆく。それを繰り返すこと。繰り返し、繰り返してゆくこと。

そのうち、決して強がりではなく、「あの経験があったからこそ、自分は成長できた」と素直に思える段階にまで、心が成熟してゆく。相手には申し訳なかったとは思いつつも、決して罪悪感に苦しむことなく、その相手に心から感謝すらできるようになる。

「ともに過ごした時間は、かけがえのないものだった」と、やがては言えるに違いない。

「真の開運」とは何か
このとき、すでに運勢が良いとか悪いとかは、全く関係がなくなるのです。そして、それによってすでに運命を超えているのです。「人間としての成長を求める」かぎり、「悪い運勢」は「成長の糧」に変わり、「良い運勢」は「さらなる成長の機会」へと深めていくことができるからです。

 

私はこのような見解から、占いが当たるとか当たらないとかは「どうでもいい」と思っています。世の中で言うところの「開運」にはほとんど興味がないのです。

 

未熟かもしれないけど、それでも成長を求めてゆこう。「不安」や「恐れ」や「依存心」を手放してゆくことは簡単ではないし、流されてしまうこともあるけれど、それでも成長を求めてゆこう。少しでも成長してゆけるよう、アホみたいにしつこく願ってゆこう。

 

この姿勢こそすでに「開運」の状態なのです。開運は「遠い未来」ではなく、「いまここ」に、すでに成就しているのです。

 

もちろん、依然として苦しい状態かもしれません。客観的にはお世辞にも「開運の状態」とはいえないかもしれない。しかし、霊的には、波動的には、すでに「運は開いている」のです。

 

多少のタイムラグはあっても、必ず「運は開く」のです。だから、逆説的ですが、開運など求める必要はないのです。

・・・とはいえ、苦しいときほど「運を開く魔法の杖」をどこかに探し求めてしまうのが人情というものです。なのでいくらこのページの内容を声高に主張したからといって、この世から占いが消えることはないでしょう。

けれども、もしそういう求め方にはもう限界を感じていたら、このページで述べたような価値観がご参考になるかもしれません。そのお役に立てれば幸いです。


「パート1」は以上です。読んでいただきありがとうございます。さらにご興味があれば、以下から「パート2」「パート3」へお進みください。

2018/09/15 更新