9月23日【小さな実践でコツコツ運を高める「守護霊」の活かし方講座】を行います!

少し詳しいプロフィール

ピアノ弾き語り プロフィール用
(趣味はピアノ弾き語りです)

少し詳しい自己紹介

特に「スピリチュアルカウンセリング」の分野では、多少とも「人となり」を知っていただくことが大事だと思うので、ここで少し詳しく自己紹介いたします。

めちゃくちゃ長いわけではないので、よろしければ読んでみてください。

霊感が全くなかった幼少期

幼少期のころ過ごした武庫川
(兵庫県は武庫川の近くで育ちました)

兵庫県尼崎市に生まれ、個人事業主の父と専業主婦の母の家庭で普通に育ちました。

霊感は全くありませんでした。子どものころ「何か “この世ならざるもの” が見えていた」エピソードは皆無です(笑)

ただ小学校1年生か2年生の通知簿に「協調性が足りません」と書かれていたので、少し変わった少年ではあったと思います。

中1の頃に大阪に引っ越し、それから高校は地元の進学校に進んだものの「何のために勉強するのか」という問いを抱えてしまい、その何の回答にもならない受験勉強は早々に放棄しました。

両親や先生の大半との間にさまざまな葛藤があったことが「人生や社会に対する根本的な疑問」を沸き立たせたのです。

「人生とは何なのか」「生きるとはどういうことなのか」について思い悩み哲学書や人生論等の本を読む一方、葛藤のはけ口として水泳部の活動に打ち込みました(なので一応は体育会系です)。

「住み込み新聞配達員」の浪人時代

かつて働いた新聞店
(かつて働いていた新聞店。今も営業されているようです)

卒業後は1年ほどバイト暮らしでしたが「大学に行け!」と言う親に猛烈に反発し、あてもなく上京しました。

たまたま求人で見つけた「住み込みの新聞配達員」として朝2時起きで働くことになったのです。

最初は気楽でしたが「関東言葉」が生理的に嫌で、職場の人間ともあまりコミュニケーションを取らず、地元の友人とは一切連絡を取らなかったので孤立感が深まっていきました。

そのうち「自分が何者なのかわからない」「何をしたいのかわからない」という深い悩みから「過食症」「円形脱毛症」に陥ってしまいました。

そんなある朝、バイクで新聞配達中、軽トラックと「衝突事故」に遭いました。

命に別条はなかったものの、右肩の骨折で入院することになったのです(今も右肩には手術の跡が残っています)。

退院直後、たまたま電話をかけてきた高校の恩師の助言で、泣く泣く実家に戻る決意をしました。

「入院中だったら電話できなかったのに、偶然このタイミングでこの電話なんて・・・」

人生は「何か」に導かれているんじゃないか?

という不思議な感覚を抱きました。

この頃から「スピリチュアル」に興味を持ち始めることになります。

バイトとサークルに打ち込んだ大学生時代

学生サークルの一コマ
(サークル活動の一コマ。スーツを着て企業の合同説明会前の打ち合わせ)

「受験勉強はやっぱり嫌やけど、とりあえず大学に行こか」と思い、京都の某大学に学費は全額自己負担で入りました。

せっかく受験から解放されたのに、高校の同級生より3年遅れで入学し、かつランクの低いところだったので、しばらく「劣等感」に苦しみました。

専攻は哲学科だったものの、ただ外国の文献を翻訳するだけの授業に「生きた学問」は全く感じられず、2年生のときにラクな社会学部に転部してからはキャンパスからドロップアウトしました。

代わりに地元の「牛角」でリーダー格になるほど接客バイトに明け暮れました。

これまでの孤立無援な状況とは逆に、しばらくの間、多くの人に会う日々を過ごすことになります。

この時期に稼いだお金の大半は、スピリチュアル、心理学、哲学の本やセミナーを中心に投資しました。

いま講座メニューになっている「レイキヒーリング」を学んだのもこの頃です。

大学の後半は(自分も就活中の学生のくせに)企業と就職活動中の学生をつなぐイベントを企画運営するサークルで、約80人のリーダーを務めるほど打ち込みました。

サラリーマン時代と霊的能力の開花

サラリーマン時代2
(サラリーマン時代、ある研修での一コマ)

単位ギリギリで卒業後、某食品メーカーに営業として就職し、再び上京しました。

そもそも「組織に向いていなかった」ので精神的にかなりキツかったのですが、就職先は「初めての新卒採用」だったので教育や研修にかなり気合が入っており、営業マンとしてもずいぶん勉強できました。

最初に仕えたのが「鬼の上司」で、社会人としてのあり方を厳しく教えていただいたのは有り難いことでした。

ただその一方で、三角関係による大きな失恋をしました。

年が近く、またそれまで普通にコミュニケーションを取っていた同僚に、当時の恋人を奪われたのです。

数年前の住み込みで働いていた時期の悩みとは完全に別種の激しい胸の痛みに、気も狂わんばかりでした(数年後に和解)。

そうして最も落ち込んでいた時期に、現在の師匠と巡り合ったのです。

なぜか短期間で、霊的な能力が開花することになりました。

先ほど少し触れたように、高校時代からずっと「人は何のために生きるんだろう?」という問いを持って、スピリチュアル、心理学、哲学などを勉強してきました。

そして、多少の霊的な能力を得たために、スピリチュアルな探求はさらに進みました。

「スピリチュアルでは食っていけない」葛藤

サラリーマンしながら自分の仕事を
(「週末起業」のセミナーの一コマ)

28歳ごろから「週末起業」として、個人セッションやセミナーを行っていました。

先ほどから述べているように、ずっと「どう生きるか」「人生の意味は何なのか」という悩みを持ち自分なりの答えを見出そうとしていたので、人の悩みをお伺いすることはとても自然なことでしたし、何より楽しかった。

営業マンだったので写真の通り、セミナーでもスーツを着ることが多かったです(今は冠婚葬祭以外ではほぼ着なくなりましたが)。

最初は無料かお茶代程度でしたが、そのうち「ちゃんと支払いをさせてほしい」という方が出てきたのは有り難いことでした。

いつかは独立しようと思い「つなぎ仕事」で派遣社員になったものの、結局「スピリチュアルでは食っていけない」とあきらめ、また違う会社の正社員になる・・・というところに葛藤がありました。

完全独立への決意と奇跡

六本木ヒルズ
(それはある夜の六本木での集まりでした)

ただそのうち「このままサラリーマンのままでは精神的に死んでしまう」と思い詰め、ある日、ようやく完全に独立しようと確かに決意したのです。

なんとその2日後、経営者の方々との出会いがあり、そのうちの何人かの方にとても興味を持っていただき、たくさんお仕事を頂戴することで軌道に乗ることができたのです。

いま思い返しても不思議な展開なのですが、本気で決意すれば、人生が変わることもある・・・それを実感しました。

そして現在

現在の姿

おかげさまで、これまで約2200件の個人セッションをお受けしてきました。

ときどきセミナーのお仕事をいただくこともあります。

多少は人生について悩んできたつもりですが、現在の仕事を通じて、世の中にはさまざまな悩みを抱えている方がおられ、私なんかよりはるかに深い葛藤をお持ちの方もおられることに気づきました。

そういう方々に対し「何かしらの支えになりたい」と思って、今の仕事を続けています。

「霊的な能力」にばかり頼らず「あくまでご相談者さんの中に解決解消の手がかりがある」というスタンスで、関わる方すべてが「自分の人生に与えられた意味」に深く気づき、喜びの人生を歩めるようなサポートができたらと願っています。

おまけ(ピアノ弾き語り動画)

別に上手ではありませんが、もし「見てやってもいいよ」ということであればご覧ください(1分42秒)。


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2019/08/03 更新