10月27日セミナー この世をより深く生きるための「あの世」の話

少し詳しいプロフィール

林 昭裕のプロフィール写真

少し詳しい自己紹介

特に「スピリチュアルカウンセリング」の分野では、多少とも「人となり」を知っていただくことが大事だと思うので、ここで少し詳しく自己紹介いたします。

めちゃくちゃ長いわけではないので、よろしければ読んでみてください。

霊感が全くなかった幼少期

幼少期のころ過ごした武庫川
(兵庫県は武庫川の近くで育ちました)

兵庫県尼崎市に生まれ、個人事業主の父と専業主婦の母の家庭で普通に育ちました。

霊感は全くありませんでした。

子どものころ「何か “この世ならざるもの” が見えていた」とか「亡くなったおじいちゃんが視える」とかのエピソードは皆無です(笑)

ただ小学校1年生か2年生の通知簿に「協調性が足りません」と書かれていたので、少し変わった少年ではあったと思います(だから今はフリーランスなわけですね)。

中1の頃に大阪に引っ越し、それから高校は地元の進学校に進んだものの「何のために勉強するのか」という問いを抱えてしまい、それを解決するのに何の役にも立たない受験勉強は早々に放棄しました。

その頃から両親や先生の大半との間にさまざまな葛藤を抱えたことにより、「人生や社会に対する根本的な疑問」を沸き立たせることになりました。

・「人生とは何なのか?」

 

・「生きるとはどういうことなのか?」

 

・「いかに生きていけばいいのか?」

いろいろ思い悩み、哲学書や宗教書、また経営者の書いた生き方の本などを読んでいました(スピリチュアル系はまだそれほど読んでいない)。

その一方で、葛藤のはけ口として水泳部の活動に打ち込みました(華奢な体格ですが一応は体育会系です)。

「住み込み新聞配達員」の浪人時代

かつて働いた新聞店
(かつて働いていた新聞店。今も営業されているようです)

卒業後は1年ほどバイト暮らしでしたが「大学に行け!」と言う親に猛烈に反発し、その勢いでアテもなく上京しました。

たまたま求人で見つけた「住み込みの新聞配達員」として、朝2時起きで働くことになったのです。

最初は気楽でしたが「関東言葉」が生理的に嫌で、「~じゃん」と聞くと反射的にイラッとしていました・・・。

それで職場の人間とはあまりコミュニケーションを取らず、地元の友人とも一切連絡を取らなかったので、だんだん孤独感が深まっていきました。

人生に夢や目標を持っていたらまだ良かったのですが、考えても考えても自分は何をしたらいいのか全く見当がつかず、流されて生きる毎日でした。

ただ、本当は何か充実できるものがすごく欲しかったので、だんだんやり場のないフラストレーションが溜まっていきます。

いま振り返れば「破壊的自己実現」と勝手に呼んでいますが、自分の内なるエネルギーを持て余し、そのうち「過食症」「円形脱毛症」に陥ってしまいました。

その頃の記憶は、実は今でもあまり思い出せません。

それだけ自分にとっては「灰色の季節」だったのでしょう。

そんな精神的に不安定なある朝、バイクで新聞配達中、軽トラックと「衝突事故」に。

命に別条はなかったものの、右肩の骨折で入院することになったのです(今も右肩には手術の跡が残っています)。

退院直後、たまたま電話をかけてきてくださった高校の恩師であるN先生に「大阪に帰ってやり直しなさい」という助言を受けました。

せっかく上京したのに何も結果を残さずおめおめ戻るのは不服だけれども、かといってこのままではまた同じことの繰り返しなので、否応なく実家に戻る決意をしました。

このとき、ふと、

 

「もし入院中やったらN先生と電話でけへんかったのに、退院直後のタイミングで電話があるとは・・・」

 

と不思議に思ったのです。

 

「・・・もしかして、人生って『何か』に導かれてるんとちゃうか?」

 

証明はできないけれど、なぜかそんな気がしました。

 

このことが原体験となり、それから「スピリチュアル」に興味を持ち始めることになります。

バイトとサークルに打ち込んだ大学生時代

学生サークルの一コマ
(サークル活動の一コマ。スーツを着て企業の合同説明会前の打ち合わせ)

「受験勉強はやっぱり嫌やからしたくないけど、とりあえず大学には行っとこか」と思い、京都の某大学に学費は全額自己負担で入りました。

せっかく受験から解放されたのに、進学校だった高校の同級生より3年遅れで入学し、かつランクのはるかに低いところで、しかも学費は全部自分で払わんとアカンのか・・・と、しばらく「劣等感」に苦しみました。

専攻は哲学科だったものの、ただ外国の文献を翻訳するだけの授業に「生きた学問」は全く感じられませんでした。

それで2年生のときラクな社会学部に転部してしまい、その後は授業にほとんど出なくなりました。

代わりに地元の「牛角」でリーダー格になるほど接客バイトに明け暮れました(現在その店舗はもうありません)。

今の牛角もそうだと思いますが、ここはやる気さえあればいろんな勉強のチャンスを与えてくれたので、実に楽しかった。

これまでの孤独だった環境とは真逆で、しばらくの間、多くの人に会う日々を過ごすことになります。

この時期に稼いだお金の大半は、スピリチュアル、心理学、哲学の本やセミナーを中心に投資しました。

いま講座のメニューになっている「レイキヒーリング」(スピリチュアル的なヒーリングの基本メソッド)を学んだのもこの頃です。

霊的な能力はまだ開花していなかったのですが、いわばその「準備段階」としてスピリチュアルな世界に足を踏み入れていました。

そして、大学時代の後半は(自分も就活中の学生のくせに)企業と就職活動中の学生をつなぐイベントを企画運営するサークルで、約80人の統括リーダーを務めるほど打ち込みました。

もともと「リーダー格」ではないものの、非常に志の高い仲間に恵まれたので、そのイベントは近年の中では一番成功したようです。

この通りバイトとサークル活動はめちゃくちゃ充実していたし、その途中で恋愛も経験したので、少し遅くはなったけれど「輝いた青春」を過ごしました。

当時よく聞いていた「globe」の曲を聞き返すと、今でもそのときの「熱」が湧き起こりますね。

サラリーマン時代と霊的能力の開花

サラリーマン時代2
(サラリーマン時代、ある研修での一コマ)

卒論を3日で何とか仕上げ、単位ギリギリで大学卒業後、某食品メーカーに営業として就職、再び上京しました。

そもそも「組織に向いていなかった」ので精神的にかなりキツかった・・・。

ただ、就職先は「初めての新卒採用」だったので、教育や研修には惜しみなく投資をしていただきました。

その中には「心理学の研修」まであり、それは今でも活きています。

そんな中、最初に仕えたのは「鬼の上司」で、自分の至らない点をこれでもかと刺されました。

入社当時の「オレは人より少しは苦労した方かな」などと慢心していた自分を、ときどき理不尽なやり方もあったけれど、徹底的に叩き潰してくれたのです。

もう二度とあの上司には仕えたくない・・・けれど、いま振り返れば一番有り難い存在です。

しかし、その一方で、三角関係による大きな失恋をしました。

年が近く、またそれまで普通にコミュニケーションを取っていた同僚に、当時社内で付き合っていた恋人を奪われたのです。

数年前の孤独な時代の悩みとは完全に別種の激しい胸の痛みに、気が狂いそうでした(幸いなことに数年後に和解できましたが)。

そうして最も落ち込んでいた時期に、現在の師匠と巡り合ったのです。

 

初対面で「あなたは将来、スピリチュアルな仕事をするでしょうね」と言われたことが、すべてのはじまり。

 

半信半疑でしたが、それから不思議と短期間で、霊的な能力が開花していきました。

先ほど少し触れたように、高校時代からずっと「人は何のために生きるんだろう?」という問いを持って、スピリチュアル、心理学、哲学などを勉強してきました。

そして、多少の霊的な能力を得たために、スピリチュアルな探求はさらに進むことになったのです。

ただし、「意識のスイッチ」さえ入れなければ霊的な感覚は動かないので、別に能力が開花しようとも、以前と変わらずに過ごすことができました。

「スピリチュアルでは食っていけない」葛藤

サラリーマンしながら自分の仕事を
(「週末起業」のセミナーの一コマ)

28歳ごろから「週末起業」として、カウンセリングやセミナーを行っていました。

先ほどから述べているように、私は高校生の頃からずっと「人はどう生きるか」「人生の意味は何なのか」という悩みを持っていました。

 

なので、他人の悩みをお伺いすることはとても自然なことでしたし、何より充実したのです。

そういえば、学生時代から友人に「これは親にも恋人にも言うてへんことやねんけど・・・」と、密かな悩みを打ち明けられたことが何回かありました。

もしかしたら、「こいつに相談してみようかな」と感じさせる何かが、私の中にあるのかもしれません。

そういった経験も手伝って、人のお悩みをお伺いするのは、自分としては不自然なことではありませんでした。

当時のセミナーに関しては、まだ営業サラリーマンだったので写真の通り、スーツを着ることが多かったですね(今は冠婚葬祭以外ではほぼ着なくなりましたが)。

これらの活動は無料はお茶代程度のご負担で行っていたものの、そのうち「すごく良かったので、ちゃんと支払いをさせてほしい」という方が出てきたのは、とても有り難いことでした。

最初にいただいた金額は、3,000円。

たとえ3,000円でも、自分のやりたいことで初めてお金をいただけたという体験は、いま思い出しても胸が「じーん・・・」としますね。

この初心、決して忘れてはいけない。

その喜びを胸に、いつかは独立しようと思い、独立までの「つなぎ仕事」として派遣社員になりました。

ただ、「スピリチュアルは怪しい、あまり理解されない」という怖れが強く、だんだん「スピリチュアルでは食っていけない」とあきらめるようになりました。

そのうち、せっかくつなぎで派遣をやっていたのに、また正社員に戻る・・・というところに葛藤を抱えていたのです。

完全独立への決心と奇跡

六本木ヒルズ
(それは六本木ヒルズでの集まりでした)

冒頭で小学校の通知簿に「協調性が足りない」と書かれたエピソードを述べましたが、私は組織にあまり向いていない性格のようです。

ちょっとでも疑問があると「なんでやねん?」と立ち止まってしまう(この性分は今の仕事には向いていますが)。

それで上司にいちいち「コレ、納得がいかないんですけど」などとツッコミを入れていたら、組織としてはめんどくさいヤツですね。

それでも10年ほどサラリーマンをやってきたので、やろうと思えば “空気を読んで” 適当にやり過ごすことも一応はできる。

「給料はガマン料」とも言うし、スピリチュアルは趣味程度にやればええんかな・・・。

当時同棲していた彼女と婚約もしたし、オレはこれからちゃんとした仕事をして、家庭を築いていかなアカンのかな・・・。

けれども、もう一人の自分は、「このままでは、オレは精神的に死ぬ・・・」と正直に思っていた。

そのうち、会社勤めが文字通り「死ぬほど」イヤになってきたのです。

そして・・・ある日、ようやく完全に独立しようと強く決意しました。

まぁ「決意した」というよりは、「追い込まれて逃げ道がなく、もう前に進むしかなかった」というのが正直なところですが。

その2日後、六本木である経営者の方々との出会いがありました。

 

その中のスピリチュアル好きな方が、

 

「林君、面白いじゃない!応援するから独立して頑張りなよ!」

 

と背中をドーンと押してくださり、その後たくさんのお仕事を頂戴することで、たちまち軌道に乗れたのです。

決心してからリアルに2日後ですからね・・・これは「めっちゃツイてる!」としか言いようのない不思議な展開でした。

ただ、単なる偶然ではなく、おそらくここには「決心の強さ」も関係しているのでしょう。

本気で決心すれば、すべてがそうだとは言い切れないけれど、現実が変わることもある・・・それを実感しました。

そして現在

現在の姿
(ある日のカップルカウンセリング)

生まれつき何の霊感もなく、多少遠回りはしたけれども平凡な経歴だった自分が、いまスピリチュアルな仕事をしているというのは、とても不思議です。

最初から自分で志したわけではないので、ここには「大きな流れ」「意図を超えた導き」というものが介在しているように感じます。

そのような「見えない世界」を、できるだけわかりやすくお伝えするというのが、今の私の仕事です。

おかげさまで、これまで約2200件以上のカウンセリングをお受けしてきました。

また、ときどきセミナーのお仕事をいただくこともあります(最近では自分で主催するようにもなりました)。

私は多少は人生について悩んできたつもりですが、今の仕事を通じ、私よりはるかに苦しんでいる方がおられることがよくわかりました。

そういう方々に対し、自分の霊的な能力が、何かの支えになればと思っています。

おまけ(ピアノ弾き語り動画)

別に上手ではありませんが、もし「見てやってもいいよ」ということであればご覧ください(1分42秒)。


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2019/08/31 更新