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ここから下はまだ編集中です。「一部に誤字脱字を含む、ざっくり文字起こしの段階」をご理解の上で読んでください。配信日から1週間以内に加筆修正とスライド等を足して読みやすくするので、待てる方は少しお待ちください。
目次
今回の要点と要約文
今回の要点
- 真の祈りとは癒しや現世利益ではなく、半径5メートルの欲望を超えて魂の器を拡張していく苦行である。
- 見果てぬ夢や崇高な祈りはイメージできないが、そこに意志を向け続けることで霊感やインスピレーションとして具体化され、天命とズレない行動指針が与えられる。
- この世の成功も失敗もゴールではなく、成功に執着せず失敗に囚われず、無限の前進を続ける姿勢そのものが本当の成功である。
※要点は以下のショート動画でも語っています
(ここにショート動画が挿入される予定です)
今回は前回の補足です。めちゃくちゃ大事なことを語ったつもりですが、ちょっと難しかったかもしれないので。
「祈り」というと、多くの人は「癒し」や「安心」を思い浮かべるでしょう。
なぜなら、その多くは「神仏に守ってもらいたい」という願いが込められているからです。
でも祈りによって「神仏に守ってもらえる」のが本当だとして、それは何のためなんですか?
ただ「守ってもらいたい」んですか?
無事平穏な人生を送りたいんですか?
運気アップしたいんですか?
ビジネスで成功したいんですか?
素敵なパートナーが欲しいんですか?
これらすべて、「人間の情」としてはそうあってほしいことですね。
でも、神仏の立場、霊的な立場に立つと、本当はそうではない。
神仏に守ってもらう目的は、そして守護霊や守護神に大難を小難にしていただく目的は、たった一つしかない。
それは、苦悩に満ちた物質世界において苦悩を乗り越え、さらに世のため人のために生きるために他ならない。
テメー個人の小さな幸せのためだけに、神仏が守るかってんだ。
神仏はそんなヒマでもなければ、「お人好し」でもないって。
神仏ですら、われわれ人間どもに「見返り」を求めているんですからね。
その「見返り」とは、少しでも神仏に近づけるよう成長する行為であり、その実践として他人に手を差し伸べること。
確かに神仏・守護霊・守護神はどうしようもないクズにも手を差し伸べるが、いま言った「お返し」をキッチリやる意志のある人間には、もっともっと力を貸す。
それが真理なら、祈りはマジメな優等生の謙虚なお願い事ではなく、「もっとバリバリ世のために人のために働いてやるぞ!!」という強い意志(前回述べた「聖なる野心」)でなければならない。
本当の祈りは「癒し」や「救い」じゃないんですよ。
それはまだまだ初級過程なんです。
本当はもっと厳しい行なんですが、それをストレートに言っちゃうと宗教団体に信者は集まりにくいし、スピリチュアルビジネスも集客に困ってしまう。
(私は別にそれで構わないと思ってますけど)
だから、癒し癒し癒し、願望実現・成功・引き寄せばっかり謳うんですよ。
でも、ちょっと考えたらそれらを本当に実現するには、この世の理不尽に負けないタフさが必要なんです。
本当に夢や願望を実現できる人間が少ないのは、弱いからです。
この世でちょっと困難なことがあったら、すぐあきらめてしまうからです。
だったら、本当に強くなれる方法を実践した方がいいでしょ?
お釈迦様が「この世は苦なり」とおっしゃった通り、この世は苦悩の世界なんです。
それを乗り越えるために、いろんな教えを残されたわけ。
苦悩を乗り越えるためには、強くなるしかないんですよ。
体力や筋力と同じように、鍛えるしかないんですよ。
鍛えるための簡便にして強大なる霊的技法が、本当は祈りなんです。
筋トレと同じなんだから、そりゃ苦しいに決まってる。
だからこそ、最初から「ラクして得られるものは絶対ない」「何でも実現しようと思ったら"等価交換"としての努力が必要だ」と覚悟しなければならないわけです。
この覚悟も「祈り」なんですよ。
最初からこの覚悟ができたら、かなりラクになります。
苦しいのが当たり前なんだから、それが「普通」になったら、もう苦しくない。
別に難しくないんですけど、「あなたも必ず成功できる」とか「願いはすべて叶う」とか、クソみたいな世迷い言ばかり頭に入れてしまうと、本当に魂が弱くなってしまう。
成功とか失敗とか、「しょせんこの世のこと」なんですよ。
そんな現象はすべて無常であり、仮相/仮想の世界の一瞬の戯れに過ぎない。
祈りは、そんな「この世のこと」は相手にしない。
この世のことなんか、本当にどうでもいいんだ。
それより「天」だけを見据える、天だけを信じて仰ぐこと。
それをエゴの肉体を抱えながら、それでも実践していくのが、あえてこの世で無常としての儚い成功を求めていく真の目的なんです。
要点・要約文を読んで、あとは動画でご覧になりたければ以下からどうぞ。
祈りは癒しではなく魂を鍛えるための行である
今回は前回の補足回になります。
前回はタイトルが「魂の成長のためにこそ、この世の成功を本気で祈れ」というものでした。
ただ、内容が少し難しかったり、あまり他では聞かないような話も含まれていたので、正直なところ、理解が追いつかなかった方もいたかもしれません。
そこで今回は、その補足として、もう少し丁寧に、噛み砕きながら説明していこうと思います。
今回もAIで資料を作っています。
もし資料も見たいという方は、YouTubeで確認してもらえればと思います。
ただ、音声だけでも分かるように話していきますので、そこはお好きな媒体で聴いてもらえれば大丈夫です。
今回のサブタイトルですが、これはなかなか秀逸だなと感じています。
AIが考えたものではあるんですが、「見果てぬ夢を現実におろすためのパラドックス」というタイトルで、正直、ちょっとかっこいいですよね。
これについては、あとでまた詳しく説明します。
さらに注釈も付いていまして、これも読んでみると、なかなか面白いなと思いました。
前回のテーマを、今回はいわば真相解剖すると。
なぜ精神性を高めるために、あえてこの世的な成功、いわゆる俗的な成功を求めるのか。
これは単なる自己啓発の話ではありません。
無限のエネルギーを、有限の肉体に流し込むための霊的な技術である、という整理になります。
こうして文字にすると、ずいぶん大げさで、かっこいい表現に見えます。
ただ、実際にやっていることは、そこまで特別な話でもありません。
とはいえ、これを本当に理解するというのは、実はかなり難しいんですね。
YouTubeや音声を一回聞いただけでは、正直なところ、分からないと思います。
それは私の説明不足という面も、もちろんあると思います。
なので、よろしければ、何回か繰り返し聞いてもらって、そのうえで、自分なりに考えて、祈りや瞑想をしてみてください。
そうしたことを繰り返していく中で、だんだんと、頭ではなく腹の底から分かってくる感覚が出てきます。
そして分かれば分かるほど、祈りというものが、どんどん深くなっていくんですね。
では、次のスライドの話に入ります。
前回も触れましたが、前回はキング牧師の例を取り上げました。
見果てぬ夢、本当の夢というのは、実はイメージできないものです。
なぜかというと、高次元であればあるほど、この三次元の物質、あるいは脳という物質の働きを超えているからです。
脳も物質ですから、そこを超えたものは、そもそも映像として思い描けないんですね。
それでも、なぜキング牧師やガンジー、あるいは古今東西の偉人たちと同じように、少なくとも心の世界だけでも、見果てぬ夢を持ったほうがいいのか。
それは、夢が大きければ大きいほど、受け取る宇宙エネルギーの量が、増大し、増幅していくからです。
資料には「信仰」と書いてありますが、英語で言うと「ルッキングアップ」、つまり見上げるという意味になります。
神なるもの、天、宇宙を見上げるということは、文字通り、天を仰ぐということです。
上を向くという行為そのものが、自分の魂の器を上に向けることと、ほぼ同じ意味を持っています。
それが本当の信仰であれば、器は自然と天に向かって広がっていきます。
器を広げれば広げるほど、宇宙エネルギーは降りてきて、それを受け取れるようになる。
そういう仕組みです。
ところが、前回も言いましたが、自分の幸せ、商売繁盛、家内安全、健康第一といった祈りは、すべて自分のこと、あるいは自分の半径五メートルの話に収まっています。
これは祈りというより、単なる小さなエゴの欲望です。
器が小さいので、受け取れるエネルギーにも限界があります。
たとえ入ってきたとしても、すぐに漏れてしまう。
これが、小さなエゴであり、小さな魂の器です。
一方で、本当の信仰や本当の信念というのは、頑丈で、大きな器になります。
その分だけ、より多くの宇宙エネルギーを受け取れるようになります。
結果として、生命力や直感力、精神力、集中力、忍耐力といった、人間のさまざまな能力が底上げされていくわけです。
ここまで聞いているあなたは、きっと、そういう人間像を理想としているはずです。
であれば、半径五メートルではなく、十メートル、五十メートル、百メートル、一キロ、百キロと、祈りや理想の広さと深さを、少しずつでも広げていったほうがいい。
これは、かなり自然な話だと思います。
ただし、これは決して簡単なことではありません。
なぜなら、私たちは肉体を持っているからです。
半径五メートルの幸せしか考えられないような本能を、私たちは最初から与えられています。
それを無知と言い、仏教では無明、つまり光がない状態だと表現します。
前回も言いましたが、「そんな偉人が抱けるような崇高な祈りは、自分には無理だ」と思ってしまうことがあります。
これは一見すると謙虚に見えます。
でも、実はエゴイズムです。
自分という存在を、肉体だけの有限な存在だと決めつけてしまっているからです。
このマジスピラジオをずっと聞いている方であれば、人間は肉体だけの存在ではなく、目に見えない体、少なくともオーラのようなものがあるということは、頭では理解しているはずです。
それを理解で終わらせず、体得していくにつれて、人は少しずつ肉体の制限を超えていきます。
伝統宗教、信仰宗教、スピリチュアルを問わず、すべては、この肉体の制限を超えていくために存在しています。
ただ、頭では分かっていても、現実には葛藤が生まれます。
霊的な自分、ここではこれを大きなエゴと呼びますが、その大きなエゴと、肉体的な自我としての小さなエゴが、常にぶつかり合うわけです。
肉体は現状維持を求めます。
自分さえ良ければいい、楽であればいい。
これが小さなエゴの本音です。
一方で、霊的な存在としての自分は、拡大し続ける無限の存在です。
だから、自分が魂の存在であると悟れば悟るほど、見果てぬ夢を思い描けるようになっていきます。
放っておけば、人は半径五メートルの欲望に戻ります。
そこから十メートル、百メートル、一キロと拡張していく、その行為そのものが、祈りであり、瞑想であり、修行でもあります。
方法は何でも構いません。
大切なのは、自己認識を拡張していくことです。
ただし、それは楽な道ではありません。
大きなエゴと小さなエゴの葛藤は、常に痛みを伴います。
これは成長のための痛みです。
肉体に成長痛があるように、精神的な成長にも、必ず痛みがあります。
精神的に成長するというのは、自分の未熟さやエゴを、真正面から見るということだからです。
それは誰にとっても、正直きつい。
でも、その葛藤を引き受けて、それでも一歩進もうとするときに、魂の器は少しずつ広がっていきます。
これは、まともに人生を生きてきた人であれば、誰でも体験的に分かっていることだと思います。
エゴは現状維持を望みます。
恥をかきたくない、損をしたくない、負けた気がしたくない。
そういう気持ちが出てきます。
その結果、嘘をついたり、誇張したり、自分を大きく見せたりしてしまう。
ただ、そうすればするほど、肉体本位の殻は、どんどん強くなっていきます。
それが、自分の殻から抜け出せなくなる、ということです。
だから、半径五メートルの祈りから、そこから拡大していくというのは、正直、苦しいんです。
そして、その苦しみがあって当たり前だと思わなければいけない。
祈りは、癒しでは決してありません。
これは前回のYouTubeのサムネでも書きましたけども、癒しばかりを求めるのは、癒し根性だという話です。
今のスピリチュアルや宗教の多くは、ほとんどが癒しになっています。
こういった、あまり厳しいことは言わないんですね。
なぜかというと、もしこういう結構きついことを、スピリチュアルや宗教の世界で言ってしまうと、人が来なくなるからです。
祈りというのは、決して楽なものではありません。
むしろ、さらに苦しんでいくのが、本当の祈りです。
これを宗教団体でまともに言えば、人は集まらない。
お布施も減ります。
スピリチュアルの世界であれば、お客さんも来なくなります。
みんな、運気アップだとか、引き寄せだとか、お金だとか、パートナーシップだとか、いわゆる現世利益を求めているわけです。
その中で、そんなものはどうでもいいんだと。
イエス・キリストが言った通り、まず神の国と神の義を求めよと。
これは正しい。
ただし、現実の世界では、なかなか受け入れられない。
だから、あまりこういうことは言わないんです。
その結果、みんな癒し系になっていく。
信者さんやフォロワーを集めるために、どうしても優しくなってしまう。
でも、それは本当ではない。
宗教団体もスピリチュアルも、率直に言えば、ビジネスです。
サービス業なんですよ。
だから、受け狙いになる。
けれども、そういうことをせずに、本当に大きな祈りを抱いて、実践を積み重ねていくと、独自の運命を歩めるようになります。
祈りとは想念を頂き直す行為である
私自身も、とてもささやかではありますが、自分なりに独自の運命を歩んでいるという感覚はあります。
ただ、それは孤独でもあり、苦悩も多い。
時には、人から嫌われることもあります。
私も、あります。
普通は、この世の幸せを求めます。
それは人として、当たり前のことです。
ところが、こういった神のスピリチュアルを実践していくというのは、いわゆる常識、カギ括弧付きの常識を超えていくということでもあります。
だから、周りからは、あまり理解されません。
でも、それは古今東西の偉人たちも、みんなそうでしょう。
伝記を二、三読めば、すぐに分かります。
まったく周りから理解されない。
差別、偏見、誹謗、中傷、嫉妬。
それでも、みんな自分の独自の人生を歩みたいと思っている。
ただ、それを本気で歩もうとすると、孤独になる。
だから、人から好かれたいと思っている限り、独自の運命なんて歩めないに決まっています。
だからこそ、祈るわけです。
祈りは、天を相手にすることです。
人なんて、どうでもいい。
それは所詮、この世のことだからです。
だから、きつい。
苦しい。
それで当たり前なんです。
でも、いいですか。
苦しいのが当たり前だと思っていれば、別に苦しくはないんです。
それが当たり前だから。
前回言った通り、この世のことはどうでもいい。
ただし、その上で、三百六十度回転して、あえてこの世の成功を求める。
この話を前回しましたよね。
これは、ちゃんと現実に向き合うためです。
祈りに逃げないためです。
いくら崇高な理想を持ったところで、私たちは肉体を持って、現実の世界で活動しているわけです。
この世は仮想の世界である。
それは霊的には正しい。
ただ、実際に活動しているのは、この肉体を持った三次元の世界です。
だからこそ、さっき話した宇宙エネルギーを、崇高な祈りや見果てぬ夢によって受け取りながら、現実の世界で、あえて成功を求めていく。
成功するかどうかは、分かりません。
それでも、求めていく。
稼げるなら、バリバリ稼ぎましょう。
これは、従来の自己啓発や成功哲学を、そのままなぞっている話ではありません。
むしろ、それを超えた提案です。
こういう話をすると、バリバリ儲けなければいけないんでしょうか、とか、稼ぐというのはちょっと、と言われることもあります。
でも、本当に人に喜ばれる人間になるのであれば、このビジネス社会において、お金をいただくというのは、ごく自然なことです。
お客様に喜んでいただき、その代価としてお金をいただく。
それが、この文明の仕組みです。
本当に、世のため、人のため、そして自分のためになりたいと祈るのであれば、成功を求めましょう。
誤解されやすいので、改めて言っておきますが、これは贅沢をしろという話ではありません。
うまいものを食べるためでもない。
いい服を着るとか、でかい家に住むとか、そういう物質的な欲望の話ではありません。
この世界は、大抵の場合、人に喜ばれれば、結果として成功するようにできています。
だからこそ、成功を求めましょうと言っているんです。
ただし、一方で。
あえて矛盾することを言いますが、この世なんて、どうでもいい。
人に好かれるとか、どうでもいい。
この矛盾した二つを超えていくために必要なのが、この世を超えた見果てぬ夢であり、祈りです。
所詮、この世のことです。
失敗しても、くじけず、ただ突き進む。
成功しても、調子に乗らない。
配信日の前日にショート動画を出しましたが、本当に怖いのは、失敗よりも成功です。
これは何度も言っていますが、成功して満足し、調子に乗った瞬間に、人間のオーラや波動は、重く、暗く、濁っていきます。
だから、失敗よりも成功のほうが、よほど怖い。
でも、所詮この世だと思っていれば、失敗しても、成功しても、どちらでもいい。
成功したなら、そこで得たお金や人脈、影響力を使って、さらに社会に貢献すればいい。
これは、とても素晴らしいことです。
一方で、この世というのは、どうしても数字や量で人を評価します。
でも、それも所詮、この世の話です。
なかなか日の目を見なくても、失敗続きでも、関係ない。
大きな夢を持って、コツコツ実践していけばいい。
ただし、地に足をつけて実践するというのは、きれいごとではありません。
だからこそ、私も含めて、そういうことが苦手な人間に向かって、成功に向かっていけと、俺もやるぞと、そう言っているわけです。
次の話に進みます。
ここに「天孫降臨」と書きました。
さっき話した崇高な祈り、崇高な理想というのは、イメージできません。
ただ、前回言った通り、そこに意志をすることが大事です。
これは、キリスト教の「主の祈り」にも出てきます。
「天の御心のごとく、地にもなさしめたまえ」。
有名な一節ですが、これもイメージできない。
なぜかというと、天の御心というのは、人間を超えたものだからです。
抽象度が、極限まで高い。
だから、イメージできない。
「まず神の国と神の義を求めよ」。
これも、イエス・キリストの言葉です。
このイメージできない領域に、まず意志を向ける。
そこから、次元降下、ここでは次元加工と書いています。
アセンションの逆です。
ディセンション。
崇高な理念が、だんだんと地上に降りてくる。
肉体化し、物質化し、三次元の時間の中に落とし込まれていく。
ここに「想念をお供えする」と書きました。
私は仏壇のある家に生まれたので、いただき物があると、まず仏壇にお供えしてから、それをいただくということを、子どもの頃からやっていました。
さっき言った崇高な願いを持つというのは、まず自分の想念、意志も含めて、それを委ねるということです。
よく言っている「委ねる」というやつです。
そうやって委ねていったときに、霊感、インスピレーションが入ってくるんです。
これは前も言いましたね。
イン・スピリットです。
スピリットが来るわけです。
そして、それを肉体化、物質化したものが、イメージだということですね。
単にエゴのイメージ、欲望で想像するんじゃない。
宇宙から降りてきた、神の霊感がある。
それを受け取って、脳で三次元に変換して、イメージにする。
このイメージは、エゴから生まれたものじゃないんです。
降りてきた、天孫降臨したイメージなんです。
だから、このイメージなら持っていいですよ、という話なんですね。
自分に与えられた運命をちゃんと認識したうえで、宇宙から、天からいただいた想念、イメージになる。
だから、天命とズレがないわけです。
これが、祈りによって受け取るということです。
これを浄土宗、あるいは浄土真宗では、「いただき直す」という表現をするわけです。
さっき、仏壇にお供えするという言い方をしましたね。
想念を神様、仏様にお供えして、浄化をしていただいて、それを受け取り直す。
それが「いただき直す」ということです。
これは、エゴから生まれてきた願望ではない。
だから、それが本当の意味での祈りになる、ということなんですね。
ただし、じゃあそれをすればうまくいくのかというと、それは分かりません。
私たちは、人事を尽くして天命を待つしかない。
この世を超えて生きる者があえて成功を求める理由
だから、さっきも言いました。
所詮この世のことなんで、成功しようが失敗しようが、関係なく続けていく。
すぐに叶う夢は、小さい。
ただし、このスピリチュアル業界もそうですけど、引き寄せとかね。
夢が叶ったとか、思考が現実化したとか、そういう話がもてはやされやすい。
これは、しょうがないんです。
この物質の世界っていうのは、やっぱり具体的に結果として現れたものを、私たちは評価する。
そういう環境の中で生きているからです。
いくら思い描いても、それがすぐに現実化しなければ、普通は自信がなくなります。
このままでいいのかな、という葛藤も生まれてくると思います。
けど、さっきも言いましたね。
所詮この世のことなんですよ。
すぐに叶う夢は小さい。
前回のキング牧師のスピーチ、よければご覧ください。
YouTube上でもキング牧師の全スピーチが載ってます。
あれを聞けば分かります。
己一代では成し遂げられない、大きな大きな崇高な祈りです。
キング牧師は牧師ですから、当然クリスチャン、キリスト教徒なわけでね。
そういう祈りを抱いて、途中で凶弾に倒れた方が、今、半世紀以上経っても語り継がれる。
これが、エネルギーの大きさを証明している。
とはいえ、別に有名になりたいわけじゃない。
それが歴史に残るかどうかは、歴史の神が決めることであって、人間の分際でどうこうする話じゃないわけです。
だから、成功、いわゆる地上での成功はゴールではない。
無限なる前進こそが本当の成功である。
これは配信日の昨日のショート動画でも言いました。
さっき言ったような、イメージができない意志、崇高な願い、祈り。
そういうものを抱き続けていると、物質的で具体的なイメージのほうが、むしろ楽になってくるんですよ。
要するに、根本の構えとして、難しいこと、苦しいことを中心にやっているので、この世的な三次元は楽になっていく。
三次元のこの世って、めんどくさいこともいろいろあるじゃないですか。
でも、それ以上にはるかに難しいことを中心として、普段からやっていれば、この世は楽になる。
これが本当のご利益です。
もちろん、ここまで聞いていただければ分かると思いますが、物質的に豊かになるとか、素敵なパートナーが現れるとか、そういう話じゃない。
本当のご利益というのは、この苦しみの世界の中にいても、苦しみにとらわれず、それを突き抜けて乗り越えていける力。
さっき言った宇宙エネルギーですね。
それをいただけることが、最も大きなご利益だということです。
もしこういう話を聞いて、魂が惹かれる、憧れる、何かがあるんであれば、決して楽ではないけど、挑戦しませんか。
そういう提案をしているわけです。
私は人のオーラや波動を見る人間なんで、こういった祈りを本当にやっている人は、オーラがきれいで大きいんですよ。
半径五メートルの、祈った振り、祈ったポーズ、祈りアピール。
そういう人のオーラは小さい。
もしそれがあなたの目に見えるとしたら、どっちがいいですか。
これは何回か前も言いましたけど、本当に人間にとっての不幸というのは、成功できないとか、失敗ばっかりとか、そういうことじゃないんですよ。
本当の不幸というのは、命をかけて打ち込める何かがないこと。
魂が躍動できるものがないこと。
それが人間の本当の不幸なんです。
じゃあ、そういうものを持てるにはどうすればいいか。
それが祈りであり、まあ瞑想ですね。
祈りはどちらかというと他力的。
瞑想はどちらかというと自力的。
どっちでもいい。
どちらにしても、本気だったらどっちでもいいです。
私は両方好きですけどね。
そうやって半径五メートルから、十メートル、百メートル、一キロ。
どんどん器を広げていくと、インスピレーション、神の霊感を受け取りやすくなる。
その結果、自分の道はこれだという感覚が、見つかってくるということですね。
何回も言いますけど、決して簡単ではないんですよ。
エゴの殻を破っていくのは苦しい。
けれども、肉体のレベルでも筋トレだって苦しいわけです。
筋肉をつけるには、トレーニングしないといけない。
それは当然、苦しい。
だから、苦しいのが当たり前なんだ。
本当の祈りは楽になることではない。
より苦しむことが本当の祈りです。
頭では分かっていても、なかなか実際はできない。
そこに葛藤が出てくる。
なんて自分はダメなんだろうって。
そうやって苦しんで、苦しんで、それでもそこを突き抜けようとして祈っていく。
そこに本当の魂の成長があるんですよね。
こういった話は、やっぱり万人受けはしません。
そういう意味では、私は孤独なんだと思います。
でも、独自の道を歩むには、そんな孤独は当たり前のことです。
だから、それをある意味では諦めて、淡々とやっていく。
けど、ずっと淡々とやっていくうちに、自分も成長が感じられて、以前の自分では感じられなかったような深い喜びが出てくる。
そして、さっき言った宇宙エネルギーも、以前の自分より、今のほうが量が増えている気がする。
決して日々の活動は楽ではない。
けど、以前よりは深いやりがいを持って進んでいける。
さあ、あなたはどっちがいいですか。
半径五メートルの、この世の幸福だけを考えますか。
それとも、苦悩は深くなりますけども、独自の人生を生きて、悔いのない人生を生きていきますか。
どっちがいいですか、ということですね。
それを考えるきっかけにしていただければと思います。
今回、見果てぬ夢を現実に下ろすためのパラドックス。
そして、この世の成功や失敗を超えていくこと。
さらに、無限のエネルギーを、有限の肉体に流し込むための霊的技術。
このあたりについて話をしました。
ご参考になればと思います。
改めて、今回の要点
- 上の文字起こしはまだ編集中です
- ここまでの文章は誤字脱字を含む「ざっくり文字起こし」の段階です
- 1週間以内に完成させます
- 良かったら、先にYouTubeに「いいね!」していただけると励みになります
なお、YouTube(Podcast)は今回の文字起こし編集でカットした部分があります。
今回も動画と文字起こしは少し内容が変わります。
なので動画(または音声)もご視聴いただけると、より理解が深まるかと思います。
※この下に「音声プレーヤー」があります。倍速再生も可能ですし、YouTubeより通信量も少ないし、スマホを画面オフにしても聴けるので便利です。





