※ウェブサイト『マジスピ』には音声の文字起こし(読みやすく加筆修正済)があります。

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目次
浄化のプロセスでは、一時的により悪化したように感じることがある
今回の要点
以下の文字起こしは過去の「マジスピサブラジオ」からです(更新時点でサブラジオはたまに配信する程度になりました。毎日のショート動画配信に集中したくなったため)。
最近「寝てるときに咳が止まらない」という、生活的にはちょっと困った状況になっています。
普通はそれがストレスになるものですが、私はそうでもなくて「ただ咳をするにまかせている」といった感じです。
咳は何らかの「浄化のプロセス」として起こっていると信じているし、別にイライラしたところで収まるわけでもないですし。
咳で寝れないとき、私は心の中で祈っています。
普段からよく説明している「世界平和の祈り」を中心に祈っています。
個人的に面白いと感じるのは、祈っていると咳が余計に出ること(笑)
普通は「祈ることで落ち着いてほしい」と願うんでしょうけど、余計に出てくるんですよ。
でも私はそれを嫌だと思わず、むしろ面白がっている。
そんな「面白がっている自分」を、さらに面白いと感じているメタ的な自分がいます。
なぜ面白く感じるかというと、「祈ることで浄化や好転反応が加速化している」と思えるからです。
「本当に良くなるために、一時的に体調が悪くなる」と信じられるから、面白いんですね。
布団の中で「祈ったら咳が出る」「祈るのをやめたら咳が止まる」ということを、楽しく実験していました。
それで「たぶんあまり寝れないだろうけど、気の済むまで祈ろう」と思いました。
一時的にはしんどいかもしれないけど、それで早く浄化が進むならええやん、というのが私の価値観です。
今回言いたいのは、タイトル通りですけど、「祈りというのは決してラクな道じゃない」ってことなんですよ。
あなたが真摯に祈りたいと思っているのなら、これはよく踏まえておかないといけません。
本当に祈りの道を歩みたいなら、「肉体生活の都合」や「目先の幸福」を最優先で考えることなかれ、ということです。
軽薄なスピリチュアルや宗教は、大衆の注目を集めるために、現世的なメリットを謳いたがる。
「祈れば良くなるよ」「病が良くなるよ」「貧乏がなくなるよ」「悩みがなくなるよ」とかのメリットを言いたがります。
その中には本当に短期的に良くなる人もいるにはいるのですが、そこを基準にすると迷いの元になりかねません。
必ずしも一直線上に良くなるわけではない、ということを知っておく必要があります。
私は「遠隔・宇宙ヒーリング」や「対面・宇宙ヒーリング」というメニューをやっているんですが、これを例えばお腹が痛い人にやるとする。
そうすると「余計に痛くなってきました⋯⋯」と言われることがあるんです(汗)
「良くなりたい」と思ってご依頼されてるんだから、余計に悪くなると「こりゃあ頼むヤツを間違えたかな⋯⋯」って思われかねない。
でも、これはさっき述べた祈りのパターンと同じで、「これはヒーリングのプロセスが加速しているんだ」とどこまで信じられるかが問われています。
いわば服の洗剤のCMみたく、「服の繊維に染み付いた油汚れが、表面に浮いて出てくる」ようなもの。
痛みが表面に浮いてくるときは、それまで以上に痛く感じます。
体の痛みも心の痛みも、「何も感じられなくなっているとき」(感度が鈍っているとき)が最も危ない。
ヒーリングというのは、必ずしも一直線上に良くなるわけじゃないってことです。
そりゃ痛けりゃ人間の気分として不快に感じるのは当然です。
ただ下痢や嘔吐と同じで、一時的な大きな痛みはあるけど、それを超えたらスッキリするんだということですね。
これは「産みの苦しみ」ならぬ「膿(ウミ)の苦しみ」ですね。
痛い思いを忍耐して膿を出し切らないと、本当の意味で良くなることはないことを理解しなければなりません。
祈り続ける人生を歩むには、現世利益を第一に求めてはならない
祈りについて、私はこれまでいろいろ発信してきました。
そのため、質問として「祈ったら人生が良くなりますか?」ってよく聞かれます。
もちろん、本気で祈るなら、本当に良くなります・・・ガチで本気ならね。
これは断言していい。
けれども、「短期的な解決・解消を安易に求めちゃいけない」ということは抑えておきましょう。
「どれぐらい祈れば良くなりますか?」って聞かれることもあるんですが、そんなもん知らんがな。
というか、そういうアタマでの計算や打算がある限り、決してうまくいきません。
祈りとは、「現世的成功のためのハウツー」ではないのですから。
祈りは、「魂」としては "呼吸" みたいなもの。
それが途絶えてしまったら、"魂としては死んでしまう" ぐらいのものなんですよ。
だから、目に見える結果が出ようが出まいが、いちど祈りについて知ったなら、死ぬまでやること。
それを最初のうちに心構えとして知っておくことは、とても大切なことです。
まぁこういうこと言うと、「えー、そんなの無理だよ」「効果があるってわからないとやりたくない」って抵抗する人はいるでしょうね。
だったら、やらなくていいですよ。
そんな人には、まだ祈りと縁はないんですから。
新興宗教では信者集めのために「現世利益」というエサをぶら下げるわけですが、エサ(物質)を目当てにすると本当に祈ることはできなくなります。
エサ目当ての祈りは、次元の低いものだと思ってください。
・・・なんかサブラジオなのにメインみたいなことを言ってますね(笑)
かといって、本腰を入れて祈ろうと思っても、さっき述べた通り一直線上に良くなることはありません。
必ず「ブランク」があると思ってください。
スポーツで言うスランプ(努力しているのにパフォーマンスが低下すること)やプラトー(努力しているのに目に見える結果が出ないこと)の時期は、魂の領域についても必ずあります。
成長曲線はしばらく低空飛行だと踏まえた上で、忍耐強く続けるしかありません。
そこを抜けると一気に伸びていくんですが、それまでが結構しんどい。
むしろ苦しくなることもあります。
それまでの悪癖や性格の歪みが、祈りの反動として一気に表に出ることもあります。
そこで「あぁ、自分はなんてことをしてしまったんだろう・・・祈っているのに、これじゃ以前と自分と同じじゃないか・・・」と落ち込むこともあります。
本当は、それは良くなっているプロセスであって、その後悔や罪悪感の苦しみを抜けていくと、その悪癖や性格の歪みは是正されていきます。
まぁ、それをちゃんと理解し、スランプのときに落ち着いて対応できる人はなかなかいないですね。
たいていはそこで諦めたり一時停止したりします。
でもしばらくすると物足りなくなって、「やっぱりまた祈ってみるか・・・」と再開する人が割と多い印象です。
肉体的な病や身体症状の改善と同様、精神や魂の方面も一歩前進・二歩後退から二歩前進(結果的に一歩前進)なんてこともあります。
人によっては百歩前進・二百歩後退、からの二百歩前進(結果的に百歩前進)なんて振り幅が大きい人もいます。
こう言うと「エサ(物質)目当てに祈る人は、絶対に根気が続かない」ことがご理解いただけるでしょう。
そういう人は後退することが我慢ならないから、本当に祈ることはできません。
だから、「どれぐらい祈ったら良くなりますか?」なんて聞いてくる人は、最初から「やる気がない」と思っています。
祈りを、何かの「取引」とでも思っているんでしょうか?
「これだけ祈りますので、いい子にしますので、メリットを与えてください」ってか。
そんな「精神的幼児」は、目覚めるまでこの浮世で苦労するのでしょう。
「根本を抑えない限り、どれだけ表層的なマネをしようが何も良くならないんだ」と観念してはじめて、真の祈りへの道が開かれます。
そして、真の祈りの道においても、決してラクになることはありません。
先ほど述べた通り、一時的には悪くなることすらある。
そこを突破するために、私たちはさらに祈るわけです。
「只管(ひたす)ら道を行ひ道を楽み、若し艱難に逢うて之を凌(しの)がんとならば、弥々(いよいよ)道を行ひ道を楽む可し」(西郷隆盛『南洲翁遺訓』より)
私はクリスチャンではありませんが、苦しいときはイエス・キリストの十字架像を眺めることがあります。
この私なんかよりも、遥かに遥かに苦しまれたお方。
地獄のような苦しみの中においても、愛と赦しを忘れなかったお方。
その深い哀しみに思いを寄せていると、なぜか「 静かな力」が湧いてくるのを感じるのです。
改めて、今回の要点
なお、YouTube(Podcast)は今回の文字起こし編集でカットした部分が結構あります。
なのでこちらも聞いていただけると、より理解が深まります。
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