※ウェブサイト『マジスピ』には音声の文字起こし(読みやすく加筆修正済)があります。
■今回は以下のブログを違う角度から語り直しました(https://prism-life.com/leave_everything_to_god/)
■YouTubeではメモ、資料、スライドなどを映していますが、音声プラットフォームの「ながら聞き」でも十分ご理解いただけると思います。
ウェブサイトでは最下部に音声プレーヤーがあります。倍速再生も可能ですし、YouTubeより通信量も少ないし、スマホを画面オフにしても聴けるので便利です。
■マジスピ・サブラジオ(stand.fmで配信中)
https://x.gd/o4EIt
■ご感想・ご質問は『アンケートフォーム』からどうぞ
https://x.gd/Mp7Lg
ここから下はまだ編集中です。
目次
「宇宙に任せればうまくいく」は本当か?
今回の文字起こしの要点
- 「ゆだねる」「おまかせ」とは、現世利益を求める安易な言葉ではなく、命を託す覚悟である
- スピリチュアルにおける「任せる」は、成功・失敗を超えた全責任を負う姿勢に通じる
- 安心や保証を求める依存的な姿勢は、真の信仰や精神的成長を妨げる
- 親鸞や仏教の教えに照らせば、「全託」とは信頼と絶望の両方を超えた祈りである
今回はタイトルは「ゆだねる」とか「おまかせ」とかですね。
神仏や宇宙にゆだねて、根本から運命転換するには、どんな不幸も受け入れる勇気が必要だという、そういったタイトルです。
これは1年ぐらい前に書いたブログなんですね。
まず本題に入る前に、この配信は配信から1週間以内に、AI、人工知能の力を借りて文字起こしした文章を、さらに煮詰めて加筆修正して、ウェブサイト「マジスピ」にアップしています。
今回は312回目ですけれども、現時点では300回目まで文字起こし、そしてそれをさらに煮詰めて修正した文章をアップしています。
ちょうど今、ホームページをYouTubeで映していますが、これが前回、311回目の内容ですね。
ちょっと難しかったんですよね、前回。
自分でもあとで聞き直して、「難しいな」と思ったので、それをさらに文章としてまとめています。
私自身も書いて喋って、喋って考えてという、そのサイクルをぐるぐると繰り返して、自分自身の理解を深めています。
ですので、よければこのウェブサイト「マジスピ」もご覧いただけるといいかなと思います。
ちょっと難しい言葉も、今日もそうですが、一部出てきますので、音声と文章を両方併用されると良いかなと思っています。
ぜひウェブサイト「マジスピ」をご覧ください。
というわけで、今回はスピリチュアル業界でよく言われる「ゆだねる」とか「おまかせ」とか、そういう言葉について。
「そんな簡単なもんじゃないよ」という、いつも通りの話です。
私は普通のスピリチュアルと、この「マジスピ」、つまり真のスピリチュアルを、明確に分けて考えています。
よく言われていることなんですが、「宇宙におまかせ」とか「神様にゆだねる」とか、簡単に言いますよね。
以前にもどこかでお話したことはありますが、最近ご視聴いただくようになった方もおられますので、その方たちに向けても、改めてお話ししたいと思っています。
とっても大事なことです。
これ、あとで時間があれば取り上げますが、「ゆだねる」とか「おまかせ」という考え方は、仏教、特に浄土宗や浄土真宗に深く関係しています。
これを「全択」とも言いますね。
時間があれば、浄土真宗の『歎異抄』という有名な書も取り上げたいと思っています。
ネットから拾ったものですが、ウェブサイトでもご紹介したいと思っています。
こういった本当の神の宗教、もちろん鎌倉仏教ですからね、浄土宗や浄土真宗。
こういった古典に触れることは、とても大事です。
そういうものをちゃんと紐解いてみると、「おまかせ」とか「ゆだねる」というのは、簡単に口にするものではないということが、よく分かると思います。
非常に簡単に言われがちですが、例えば「命を捧げる」「尽くす」「ゆだねる」「おまかせする」といった言葉は、実はとても難しいことです。
これはもう神仏への信仰や、神人一体の境地に近いものです。
それを「宇宙にゆだねればすべてうまくいく」とか、「運命におまかせしましょう」といった言葉で、簡単に語ることができるわけがありません。
まずそこに私は大きな疑問を持っています。
スピリチュアルはひとまず置いておくとしても、論理的に考えてもおかしいんですよね。
「宇宙に任せればすべてうまくいく」というのは、論理的に破綻しているんです。
よく考えてみてください。
「任せる」ってどういうことですか?
仕事をしている方、あるいは子育てをしている方なら分かると思います。
部下や同僚に仕事を「任せる」、子どもにお使いを「任せる」、日常でも使う言葉ですよね。
任せて、いつもうまくいきますか?
うまくいかないこともありますよね。
相手は人間ですから。
では、それが宇宙だったらどうなるんでしょう。
「任せる」というのは、どうなっても構わないという覚悟ですよね。
吉と出ようが凶と出ようが、それもすべて含めて「任せる」「ゆだねる」ということです。
なのに、なぜ「宇宙にゆだねればうまくいく」と、うまくいく方向だけを前提に語るんですか?
それはもうおかしいんです。
今日はもう最初から結論めいたことを言っていますけど、「うまくいく」「いかない」はどうでもいいんです。
それを超えていくものです。
でなければ「おまかせ」ではないんですよ。
でも、こういう話をすると、たいていの人は「ご利益がないと困る」んですよね。
現代人は、そして現代の宗教やスピリチュアルも、メリットがないと受け入れてもらえないんです。
だから、本のタイトルとか、YouTubeやブログもそうですが、「宇宙におまかせすればすべてうまくいきますよ」と言わないと、見てもらえない。
けれど、それは論理的に破綻しています。
そういう疑問を持たないまま、YouTubeとかネットのコンテンツばかり見ていると、アホになりますよと。
よく言ってるのはそういう理由からなんです。
アホになるから「見ざる・言わざる・聞かざる」じゃないですけど、あまり見ない方がいいですよって。
あまりにも安易すぎる。
メリットだけを強調するような話ばかりを見聞きしていると、人は考える力を失っていきます。
本来、論理的なメリットやデメリットを超えていくものじゃないですか。
それが「超越」ということではないんですか?
その原点に立たなければ、「おまかせ」とか「ゆだねる」なんて言葉は軽々しく口にできません。
でも、これは別に厳しいことではないんですよ。
私事になりますが、この配信は2025年6月末に収録しています。
この6月末で、私はちょうど開業から丸10年になります。
起業して10年ですね。
10年もやっていると、こういう話も自然にするようになります。
個人セッションや、最近はあまりやっていませんが少人数のセミナーなどで、こういう話をすると、場が静かになるんですよ。
シーンとなる。
「厳しい」と言われることもあります。
あなたはどう感じましたか?
こういった話を聞いて「厳しい」と感じましたか?
でも、それは当たり前の話なんです。
「厳しい」とか「厳しくない」じゃなくて、ただの現実です。
スピリチュアルを一旦置いて考えても、「おまかせしたらうまくいく」なんて、おかしいでしょ?
うまくいくかもしれないし、いかないかもしれない。
それが当たり前のことなんです。
「厳しい」とか「厳しくない」ではない。
もっと言えば、運命そのものがどうなるかなんて分からないじゃないですか。
人生、楽あり苦あり、谷あり山ありです。
ここまで言えばご理解いただけるかと思いますが、こういうことを言うと、「厳しい」ように感じられることもあります。
でも、「分からない」というのが本来の姿なんです。
人間の頭脳、限られた知性で、この先のことなんて分かりません。
未来のことは分からない。
そして、ちょうどこの時期、今しかいないんですが、あと1週間ぐらいしたら──これ何回か前でも取り上げましたけど──大災害が起きるって言っている人がいるんですね。
以前も取り上げましたよね。
「ふざけんじゃねえ」って話をしました。
それだって、起こるかもしれないし、起こらないかもしれない。
分からないんですよ、そんなことは。
人情としては、もちろん起こらない方がいい。
でも、それすらも分からない。
だから、人間ができることは、何があっても準備だけはしておくということですよね。
「おまかせ」にご利益を期待する現代人
むしろ、宇宙にゆだねるとか、任せるとかすると、嫌なこと、苦しいことが増える。
その可能性だってあるわけですよ。
余談ですけど、これを聞いてどう思うかは分かりませんが、最近ある方とやりとりしていてね、仕事を、それこそ「おまかせ」──今日のテーマですね──仕事をおまかせしたんですね、ある方に。
そしたら結果的に、うまくいかなかったんですね。
信頼していた方だったので、ある案件があって、それをおまかせを、まあ、ゆだねたんですけどね。
結果的に、ちょっと全然思ってたのと違って、その案件は途中でキャンセルしたんですね。
信頼していたので、ちょっとショックでしたね、それは。
こういうことって日常でもありますよね。
「思ってたのと違う」ってね。
日常でもあるんだから、それが宇宙とかになれば、なおさら起こるだろうと。
思ってたのと違う、それも含めて「おまかせ」ですからね。
だから欲をかいて、「宇宙にゆだねればうまくいく」みたいな──このご利益ですね。
さっきも現世利益の宗教って言いましたけども、それと同じですけども、そういったことを横に置かないと、何にも分からないですよ、スピリチュアルのことは。
やってるフリですよ。
だからこれも、時々言ってるんですけど、「スピリチュアルごっこ」ですよね。
ごっこですよ。
子どもがやることですよね、ごっこは。
けど、この場は大人、当たり前の良識を持った大人の方に聞いていただきたいと思っていますので、「いろんなことをやる」っていうのは、簡単ではないということですね。
で、ある程度、真面目にスピリチュアルを学んで、宗教とか信仰ですね、していらっしゃる方ですら、この「おまかせ」とか、そういった話ですね。
それで、「不幸が起きても受け止められますか?」と聞くと、わりと怯む人が少なくないですね。
「いや、ちょっと……きついトラブルとか、それは勘弁してほしいです」
「できれば、無事平穏に行けばいいな」と。
そういうことをおっしゃる方の方が多いですね。
真面目に勉強はしていらっしゃるんですけどね。
これ、私自身もそうなんですけど、いざそうやって不幸なことが起きると、うろたえてしまうというのは、私たち凡人ですよね、それは。
だから、せめて簡単に「ゆだねる」とか「任せる」とか、言わない方がいいですよということですね。
いや、もしそれを言いたいのであれば、「ゆだねて」「任せた」結果、不幸になる可能性もある。
「寄せばよかったのに、あのときあの決断をしていなければよかった」ってね。
人生の選択肢、結婚とか就職とか、答えのない問いというのがあります。
恋愛の相談もあります。
婚活の相談もあります。
「本当にこの人でいいのか」「本当にこの会社でいいのか」「本当にこの道でいいのか」。
起業してうまくいくのか。
私も「スピリチュアルとかカウンセリングとかで独立したい」という方もいらっしゃる。
「運命に任せればうまくいくんですか?」と聞かれる。
「運命を信じて、天命に任せてやっていけば、うまくいくんですか?」と。
──さあ、ですね。
「わかんねえよ」と、そんなことは。
そうやって、はじめから保証を求める。
「安心がほしい」「安心がほしい」「安心がほしい」。
占いって、そうですよね。
ゆだねるとは「依存」ではなく覚悟である
私も自分で占い師なので、自己批判的に言いますけども、占いって「安心がほしい」んですよね。
「背中を押してほしい」んですよね。
「あなたならうまくいきます」って、お墨付きがほしいんです。
自分が権威かどうか分からないけど、権威っぽく見える人から、そうやって占って結果を出すわけですよ。
けど、それは自分の決断の判断を、相手にゆだねているということですね。
今も「ゆだねる」って出ましたけども、この「ゆだねる」は……これは依存でしょ。
だから、「おまかせ」とか「ゆだねる」とか言っていて、それ、単なる依存じゃないのかと。
自分だけで考えたり判断するのは不安だから、「おまかせ」とか、綺麗な言葉を使って、本当は依存心じゃないんですか、っていう。
で、これ言っても「厳しい」って言われるんですよね。
「いや、厳しくねえんだけど」って。
だから繰り返しますけど、「厳しい」とか「厳しくねえ」とかじゃねえから、っていう。
自分で決めるんでしょ。
だから私は別に、タロットもやってますけども、決めるのは自分ですからね。
「なんか一緒に考えてほしい」とか、「考えるヒントがほしい」とか、それだったらいいんですけど、相手にゆだねるっていうのは、これは依存ですからね。
「宇宙にゆだねる」っていうのは、「宇宙さんにおまかせすればうまくいく」──これも依存ですわね。
うまくいかないから、依存心を持っているとか。
うまくいくわけないでしょ、普通に考えて。
成功も失敗も──この世的な成功も失敗も──全部自己責任だと。
そういったことを腹に据えてやるから、力が出てくるんですよね。
今言ったのが、「おまかせ」とか「ゆだねる」の本質ですよ。
全部自己責任なんですよ。
どうなってもいいと。
失敗しても、それはしょうがない。
うまくいったら、運がよかったね。
それも運の要素もありますよ。
そういったものをもろもろ含めて「おまかせをする」ということですよ。
だからさっき言った、「命を捨てる」「かける」「捨てる」「命がけ」ということですよね。
それが本質ですから。
それが分かったうえで「ゆだねる」。
けど、いろいろ見てみると、「おまかせして」「ゆだねて」、結果的にうまくいく場合もあるんですよ。
けどそれは、「おまかせしたからうまくいった」というよりは、もうちょっとこれは解像度を細かく高めていかないといけないと思っていまして。
おまかせして、成功も失敗も運によってね、運命のいたずらで、たとえ失敗したとしても、それも全部自己責任。
というところで腹がすわると、それは力出ますよね。
腹すわるとね。
で、そこまで腹を据える人って少ないですね。
普通はなかなかそこまで覚悟できないじゃないですか。
けど、逆にそうやって覚悟を決めると力が出てくるので、そりゃ、うまくいく可能性は高まるかもしれませんよね。
もちろん、そのチャレンジの内容にもよりますけども。
吉田松陰の言葉だったですかね。
「至誠にして動かざる者は、未だこれ有らざるなり」
今、言葉が浮かんできたんですけども、「至誠」、まことですね。
まことを尽くすわけですよ。
これも「ゆだねる」に近いと思いますね。
だいぶ、そうやって本気で。
成功も失敗も関係ない。
命をかけてやるから、そこに力が湧いてきて、結果的にそれがうまくいく。
それはあるでしょうね。
チャレンジの内容にもよりますけども。
さっきみたいな占いで、相手に判断をゆだねるような──そんな依存心を持っている人には、もううまくいかないんじゃないですか、それは。
それを「いい部分だけを切り取って」「ゆだねれば」「任せれば」「うまくいく」って言っちゃうんですよね。
受け狙いでね。
けど、それは論理的におかしいですからね。
けど、あえて論理的に考えれば、本当に「おまかせ」している人は強い。
だから、うまくいくかも……かもね、と。
それでも失敗する場合もあるでしょうね。
けど、別に本当に「ゆだねて」いる人は、関係ないですから。
いや、むしろね、むしろ霊的に、真のスピリチュアルとして考えれば、失敗した方がいいですよ。
だって、人は失敗からの方が、よく学べますよね。
うまくいって順風満帆で、何やってもラッキーとハッピーの「引き寄せ」で、成長するわけないじゃないですか。
堕落ですよね、そんなの。
そう言っている人も結構いますけどね。
限りある命を超えて「大いなる命」へ
失敗はしたくないが、しかし、失敗のほうが魂としては成長、成熟の道になるわけですよね。
それも含めてですよ。
失敗のほうが成長、成熟の道になる。
それも含めての「おまかせ」とか「ゆだねる」っていうことです。
現世的に、物質的に、うまくいくことはないですからね。
100%はないですよ、それは。
でも、むしろ失敗したほうがいい。
それも含めて任せる、だったらこれは分かります。
それはね。
で、そうやって挑戦的な生き方をしていれば、そういう生き方をしている人のほうが、要はバッターボックスに立っている回数が多いわけですよね。
で、全力でバットを振るわけでしょ。
だから三振も多いでしょうけど、ヒットもホームランも、バッターボックスに立つ回数が多いんだから、確率的に増えますよね。
だからそれをまとめて言えば、本当に「おまかせ」している人は、結果的に現世的に、物質的に、社会的に、経済的に、うまくいく可能性は高まるでしょうね。
だからそういった意味では、ここまで説明すれば、ご利益はあるかもしれない。
それは。
けど、それは神社に行って願い事をするとかね、月に願いをするんじゃなくて、自分で引き寄せたってことですよ。
これは。
これが本当の「自分の力で」。
なんかスピリチュアル的に「ゆだねて引き寄せた」じゃなくて、自力で引き寄せたということです。
だから、「ゆだねればうまくいく」っていうのは、そういった意味では間違ってはいえないと思いますけども、人は都合よく、私も含めて、大半の人は都合よく受け止めるんで、ですから安易に考えてはいけないということですね。
そして、「ゆだねる」とか「おまかせ」というのは、つまり自分のその肉体の命、限られた命──せいぜい100年程度の命──それが宇宙とか、大生命とか。
それが「ゆだねる」ということですね。
大いなる命ですよ。
限りなき命、大いなる命。
そこに自分の魂の故郷ですね、そこに突進するということです。
自分の「ホーム」ですね。
魂の故郷ですよ。
そこに、肉体の限りある身を持ちながら、精神的に、霊的に向かっていくことです。
それが「ゆだねる」ということですよ。
だから、ゆだねている人は強いんです、本当はね。
なぜならば、この小さな命ではなくて、いわば大いなる命、限りなき命、無限の生命の中に突進していくことなんだから。
それと「合一」──ちょっと難しい表現ですけども──合一する。
それが本当にできれば、力が湧いてきますね。
けど、簡単ではないということ。
やっぱり修行みたいなものは必要でしょうね。
座禅を組むのもいいし、祈りや瞑想をするのもいいし。
いや、もっと根源的には、仕事に一心不乱に打ち込むということも、これもある意味で「おまかせ」ですからね。
日常の中で、そういった修行というのはできるんですよ。
別にスピリチュアル的に「宇宙におまかせ」なんて言わなくても、目の前の仕事や家事や子育てに、結果はさておき一生懸命やる。
これも「おまかせ」ですよ。
そこに計算がなければね。
これは一朝一夕ではできないですね。
やっぱり10年、20年と、時間がかかるんじゃないですか。
それは。
結果を、いい結果だけを期待していたら、「ゆだねる勇気」は出てこないです。
自分が小さい命。
神から、宇宙から、天からすれば小さいんです、所詮はね。
自分の力ではどうにもならん。
自分の知性ではどうにもならない。
そう本当に思えたら、「ゆだねる」ことができるようになりますね。
親鸞の『歎異抄』の一部を紹介したかったんですけどね。
もう30分くらい喋ってるから、やめとこうかな。
これ、またどっかで紹介しましょうか。
はい。
簡単に言うと、親鸞聖人──もう言うまでもなく、浄土真宗の開祖ですね、親鸞聖人──この『歎異抄』という、薄い本ですけど、有名な、超有名な本があります。
「南無阿弥陀仏」ですね。
阿弥陀様、阿弥陀如来におまかせをするわけですよね。
で、おまかせして、どうなっても変わらない、ということですよ。
で、今日、時間があったら言いたかったのは、たとえ親鸞聖人は、法然聖人が師匠ですからね。
たとえ法然聖人に騙されてね。
法然聖人が「南無阿弥陀仏と阿弥陀如来におまかせすれば、極楽浄土に生まれるんだ」という、その教えですね。
これも、私が言うまでもないですけども。
そうして、もし騙されても──
「真……」あ、違う、法然聖人に騙されて、地獄に落ちても構わないと。
そこまで言ってるんですよ。
いや、そうじゃなかったとしても、どうせ私はね、親鸞は「どうせ私は罪悪、罪穢れの深い人間だから、どうせ地獄に落ちるんだ」と。
「どうせね」。
だから、別にお師匠を信じてね。
それで信じて、結局地獄に落ちてしまったとしても、「どうせ地獄に落ちるんだから別に構わない」と、おっしゃるんですよ。
これが「おまかせ」ですよね。
だし、この「全択」──すべてを託する、と書いて「全択」という──これは浄土真宗、浄土宗から出た仏教用語ですからね。
全択、すべてを託する。
これは祈りですよ。
「南無阿弥陀仏」は祈りですよね。
阿弥陀如来に託する。
しかしまた、こうもおっしゃっている。
これは、「南無阿弥陀仏を唱えれば救われる」というのは、お釈迦様がおっしゃったことだし、私が本当に心から尊敬申し上げている法然聖人がおっしゃったことだと。
だから、絶対にそれは間違いがないんだと、一方でもおっしゃっている。
騙されても構わない。
さっきも言いましたけど、現世で誰かに仕事とか何かを任せて、それで裏切られても、思ったとおりやってくれなくても構わないと。
そうじゃなかったら、その信頼がなければ。
失敗したときの覚悟ですね。
それもなければ、「ゆだねる」なんてできませんからね。
小さな頭で計算して、「こうしたらメリットがあるかな」「コスパがいいかな」なんて思ってるだけでは、これはおまかせなんか無理ですからね。
だから、それは「スピリチュアルごっこ」するしかない。
「宇宙にゆだねれば全部うまくいくんだ」って、ごっこするしかないですよ。
それは本当はスピリチュアルじゃない。
普通のスピリチュアルです。
でも、「普通のスピリチュアル」は、それはスピリチュアルではないです。
あの、エゴのお遊びですね。
はい。
いかがでしたでしょうか。
今日は「おまかせ」「ゆだねる」は簡単じゃないよと。
けど、そもそも自分は愚かな人間なんだと。
親鸞聖人がね、これよくおっしゃってますけど、「愚かな人間」なんですよ。
自分の小さな頭で、能力で、才能で、考えてどうする。
先のことも分からないじゃないか。
自分の体、心臓を動かして、五臓六腑を動かしてね、それを動かしているのも自分の力じゃないじゃないか。
その力が、心臓を、五臓六腑を動かしているんだと。
自分でできることは、とても限りあることじゃないか、という。
こういった素朴な事実から、「自分一人では何もなせない」ということですね。
こういったことを深く考えていくところに、本当に「ゆだねる」という世界が開ける。
けどそれは、ものすごい勇気です。
エゴにとっては脅威です。
ものすごい脅威。
怖れですね。
それは湧いてくると思いますよ。
それを乗り越えていく──っていうのが、いつも言っている「真のスピリチュアル」という話でした。
ご参考になれば幸いです。
改めて、今回の文字起こしの要点
- ************************************
- ************************************
- ************************************
- ************************************
なお、YouTube(Podcast)は今回の文字起こし編集でカットした部分もあります。
なのでこちらも聞いていただけると、より理解が深まります。
※この下に「音声プレーヤー」があります。倍速再生も可能ですし、YouTubeより通信量も少ないし、スマホを画面オフにしても聴けるので便利です。
