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目次
自称『ライトワーカー』は自己陶酔のスピリチュアルごっこ
例えば「ライトワーカー」なんて言葉があります。
魂を覚醒させて、ライトワーカー(光の存在)として「この地球を浄化しよう!」みたいな。
そういったコミュニティをちょっと覗いたことあるんですけど、まぁ波動が重たいんですよ。
もちろん、その場所によっては良い集まりもあるかもしれませんけど、まあ多くは「自己陶酔」ですね。
そうやって「自分は地球を浄化するんだ!」ってね。
いやいや、まずテメェだろと。
まずテメェを浄化しやがれと。
こういった話をすると口が悪くなるんで、ついついこういったことを言ってしまうんですが(汗)
浄化っていったって、まずはテメェからなんです。
「なんちゃってスピリチュアル」じゃないんです。
「スピリチュアルごっこ」はもういいんですよ。
「直観力」こそ最大の霊能力。誰でも心がけ次第で磨けます。
人に喜ばれるということ。
これはスピリチュアル・レジェンドの小林正観さんが、ずっとおっしゃっていたことです。
もうお亡くなりになりましたけども。
「人に喜ばれるということ」こそ、真のスピリチュアルですよ。
「喜ばれる人間になろう」と思って努力をしていると、別にオーラが見えたり過去世が見えたりはしないけど、直観力、物事の真髄を見極める力がついてきますよ。
それは、ちゃんと修練を積んだ職人とか、あるいはすごい誠実な経営者とかそうですよね。
経営者なんて、人を見る目がなかったらできないですから。採用とかね。
ベテランはこれを直観力で見抜くわけでしょ。
これこそスピリチュアルですよ。
直観力というのは「インスピレーション」(Inspiration)というじゃないですか。
語源的には【In+spirit】ですからね。
サイキック(霊能)は別に必須ではない。自分も「オーラが見たい」とか、別にいいんです。
それは改めて、このスピリチュアル(霊性)とサイキック(霊能)の違いをハッキリとご認識いただいて、本当の意味でのスピリチュアル、人間性や精神性を高めるということです。
それは簡単じゃないです。私もそれはもちろん同じですけども。
「宇宙におまかせ」「運命にゆだねる」は信仰の極致
スピ系で「おまかせ」とか「ゆだねる」とか、簡単に言うもんじゃないと思います。
例えば、これを「命を捨てる」「捧げる」「尽くす」と言うと、非常に実は難しいことだとわかります。
信仰や信心の極致ですよね。
そういったことを簡単に、「宇宙にゆだねれば、すべてうまくいく」とか、「運命におまかせしましょう」とか、簡単に言えるわけがない。
私には、最初からこういう大きな疑問があります。
「宇宙にまかせたらすべてうまくいく!」説の論理的な矛盾点
「宇宙にまかせれば、すべてうまくいく」というスピリチュアル説。
これがもう論理的におかしいんですよ。まずはスピリチュアルを横に置いて考えましょう。
「なに言うとんねん」って私は思いますけどね。
「まかせる」ってどういうことですか?
お仕事されている方、あるいは子育てしている方、どうですか?
部下に、あるいは同僚に仕事をまかせる。
あるいは子どもにお使いをまかせる。
日常でも使いますよね。
それでうまくいくんですか?
うまくいかないこともありますよね。
相手は人ですから。
これが神仏・宇宙だったら「ぜんぶうまくいく」んですか?
「まかせる」っていうのは、結果がどうなっても構わないってことでしょ?
それが吉と出ようが凶と出ようが、それも含めて「まかせる」ということ、「ゆだねる」ということですよ。
なんで宇宙にゆだねれば、うまくいくこと "だけ" に限定するんですかね。
だから、そこがもうおかしいんです。
うまくいくとか、うまくいかないとか、どうでもいいっていう話ですね。
スピ系の情報ばかり見るとアホになる?
「ご利益」がないと困るんですよ、現代人は。メリットを謳わなければ、受け入れてもらいにくいんです。
本のタイトルやYouTubeのタイトルも、「宇宙にお任せすればすべてうまくいきますよ」と言わないと見てもらえないんです。けれど、それは論理的には破綻しています。
だから、そういった疑問を持たずにYouTubeやその他のコンテンツばかり見ていると、アホになりますよ。アホになるから、あまり見ないほうがいいですよ、っていつも言ってるんですね。
この世的なメリットやデメリット、それを超えていくのが本来でしょ?それが「超越」ということじゃないんですか?それが真のスピリチュアルということではないんですか?
その原点に立たなければ、「おまかせ」とか「ゆだねる」なんて言えませんね。これは別に厳しい話ではないんです。
真に「運命にゆだねる」には、不幸も受け入れる覚悟が必要
ある程度、真面目にスピリチュアルを学び、宗教や信仰をしていらっしゃる方ですら、「おまかせ」をすることで、それで不幸が起きても受け止められますかと聞くと、割と怯む人が少なくないですね。
「キツいトラブルとかは……ちょっとそれは勘弁してほしいです。できれば無事平穏に行けばいいなと……」と、そういうことをおっしゃる方のほうが多いですね。
いざ不幸なことが起きると、うろたえてしまうというのは、私たち凡人ですよね(汗)
だから簡単に「ゆだねる」とか「まかせる」とか言わない方がいいですよということなんです。
もしそれを言いたいのであれば、「ゆだねて」「まかせた」結果、不幸になる可能性もあるという前提を持たなければなりません。
人生の岐路において、「本当にこの人でいいのか」「本当にこの会社でいいのか」「本当にこの道でいいのか」。
「運命を信じて、天命に、まかせてやっていけば、うまくいくんですか?」と聞かれることがあります。
それについては、冷たいかもしれないけど「さあ……わかんないです」と。
そうやってはじから保証を求め、安心が欲しいという「もたれ心」を問い直さないといけませんね。
【占守島の戦い】真の終戦日は8月23日であり、8月15日ではない
本当の終戦日は8月15日ではなく、8月23日です。
ポツダム宣言受託後、本来ならもう戦争はないはずの、武装解除された日本。
そこに当時のソ連が「日ソ不可侵条約」を破り、北海道の最北端「占守島(しゅむしゅとう)」に、8月17日から18日にかけて攻め込んできました。
いわゆる「火事場泥棒」です。
そして映像に映っている「樋口季一郎中将」は、敗戦による武装解除命令が上層部からあったにも関わらず「ソ連は冷血である」との認識から「徹底抗戦」の決断を下しました。
そしてソ連と死闘を繰り広げ結果なんとか領土を守り抜いたという、教科書には絶対に載っていない歴史があります。
(この戦いがなければ、占領は北方領土どころではない可能性が高かった)
この占守島の戦いが集結したのが8月23日です。
ですから、本当の終戦日は23日だという歴史なのです。
ご縁あって、2025年8月16日、東京都世田谷区の「世田谷観音」にて『占守島慰霊祭』に参加させていただきました。
占守島の戦い、そして樋口季一郎中将の存在は、日本人にとってとても大切な歴史です。
ぜひ調べてみてください。
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