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目次
スピ定番ハウツー「”ありがとう”と言えば有り難いことが起きる」はウソが多い
今回の文字起こしの要点
- 「お詫びと感謝の波動」は「エゴの振動波」を打ち消し、宇宙の流れに乗る重要な実践である。
- トラブルや災難は学びの機会であり、「お詫びと感謝」で深く受け入れることでその現象は消えていく。
- 逆に、そこから逃げれば逃げるほど、気づきを促す「メッセージ」はどんどんキツくなる。
- 理性や論理を超えて愛と調和の方向へ「決心」できなければ、「お詫びと感謝」に生きることはできない。
今回で『波動の法則』解説の4回目です。
「深いお詫びと感謝が実践できたら波動の法則に乗れている証拠」
今回はこのタイトルがすべてですね。
これ以上話す必要はないかもしれませんが、続けます(笑)
「感謝」は、普通のスピリチュアルではよく言われることですよね。
けれども、「そんなものと一緒にするな」と言いたい。
『波動の法則』では「お詫び」と「感謝」が、キーワードのように語られています。
この前提にあるものは「〈本質〉の学び」です。
似たことは他でもよく言われているので、新鮮には聞こえないかもしれません。
間違ったことをしたらお詫びをする、謝罪をする。
これが『波動の法則』において大事なんだよと言われたところで、「そりゃそうだろ」と終わってしまいがちです。
『波動の法則』的に言えば、「お詫びと感謝の波動」は「エゴの波動」、肉体を本位とした自己中心的な波動を打ち消します(もちろん、エゴを簡単に消せることはありませんが)。
私は、お名前(言葉)からその波動を観るのが得意ですので、「感謝とお詫びの波動」がとても良いものであることがわかります
……って、別に言われなくたってわかるでしょうけど。
何か災難が起こったことで我が身を振り返るとき、「自分に非があった」「至らないところがあった」。
昔の表現で言えば「我が不徳の致す処であります」。
このとき、学んでいるわけですよね。
ここで「気づき」が起こらなければ、「自分は至らなかった」という反省もできない。
そこで初めて、自分が周りから支えられていたこと、周りが我慢してくれていたことに気づく。
そこに感謝が生まれる。
だから、お詫びと感謝はセットなんです。
これを口先だけでなく、いかに深いレベルで実践できているかが大事なわけです。
これは以前の配信でも話していますが、「ありがとう」など良い言葉をよく使っているにも関わらず、波動(オーラ)が重たい人は割といます。
表面のオーラの層はキレイでも、内側に入るにつれ重たい波動になる人もいます。
これがかなり厄介な「わかったつもり」という状態です。
知識や理解だけわかった気になっているため、どれだけ学んでも「気づき」や「直観」が生まれないという、エクサピーコ("魂" の宇宙語)としてはかなり厳しい状況に陥っている。
これは本当に厳しいですよ。
「知識だけはあるアホ」ってプライドが高いから、正直かなりウザい。
現代の地球人は「教育」のせいで、顕在意識レベルの「理解」だけで満足しやすいんですよ。
ですから「本当に実践できているかどうか?」を、深く深く振り返る必要がある。
……って、これも当たり前のことを言ってますね。
だから「わかった気になりやすい」んですよ。
特に私のように知的好奇心がある方の人間は、アタマだけで理解したことをこうして文章にしたり、YouTubeでベラベラ話したりする。
そのアウトプットだけでもって、なんだか「わかったつもり」になってしまう。
それが仕事になってお金をいただいたりもすると、その「つもり」は加速していきます。
自戒を込めて言いますが、これも気をつけなければならない点です。
普通のスピリチュアルでは「ありがとうと言っていると "ありがたいこと" が起きる」とよく言います。
これもアホの始まりです。
だって、ここには「エゴの打算」があるじゃないですか。
自分がトクすることを目論んで「ありがとう」と言うわけでしょ?
「"ありがとう" を言い続けてポイントゲットだぜ!」
……生まれ変わって出直してきやがれ。
こんな「エゴの振動波」でいくら感謝のフリをしようが、宇宙は "ポイント還元" してくれないって。
だから「"普通のスピリチュアル" に染まるとアホになるで」って何回も言ってるんですよ。
スピリチュアルの初歩の初歩では「とにかく形だけでもいいから良い言葉、プラスの言葉を口にしなさい」と言われます。
ただ、それは本当に初歩の段階ですよ。
たとえ言葉に出さなくても、心の深いレベルで信念を抱いていれば、それは言霊(ことだま)として伝播します。
人生に向き合わないと「宇宙のメッセージ」はどんどん厳しくなる
トラブルや災難、病気もそうですが、これらをすべて「学び」として100パーセント受け入れる。
前回の復習も兼ねて言うと、そう「決心」しなければならないんです。
理不尽な災難であるほど、アタマで理解しようとしても心から納得することはできません。
だから、何度でも言いますが、理解ではない。
知識ではない。
気づくしかない。
決心するしかない。
「トラブル、災難、病気」とは、伝統的な宗教では「カルマ」と言われますね。
これはまた別の機会にじっくり話そうと思っていますが、カルマという言葉には少し「古さ」を感じています。
いわゆる「過去世」で積み重ねてきた悪業が「カルマ」となって現世の不幸を生む。
これが古典的なカルマ論・因果論です。
ただ、私の考えでは、それが「カルマ」であろうが「過去世や祖先の因縁」であろうが、結局は自分自身の波動にそれが共鳴して起こっているので、「すべては学び」と捉えるのが最もニュートラルだと思います。
どうも「カルマ」という表現だと人を怖がらせる方向に行きがちなので、やっぱり「学び」であり「お詫びと感謝」だという受け止め方が最も良いのではないでしょうか。
こう説明すると「理解」はできるでしょうが、いざ「実践」しようとすると、これがなかなかできない。
私たち凡人は何かイヤなことがあると、よく不平不満を募らせたり、「こんなの理不尽だ、あり得ない」と思ったり、「なんで自分だけがこうなるんだ」と被害者意識を抱いたりしますね。
スルーしたり、都合よく歪めて解釈してしまうこともよくある。
政治の世界なんて、このオンパレードじゃないですか。
そうして真正面から向き合わないでいると、さらなる不幸や災難を通じて、メッセージがもっときつくなるのが『波動の法則』です。
これはわかりやすい例で言えば、この配信の時期は子どもは夏休み中なので、「夏休みの宿題」にしましょうか。
宿題をちゃんとやらなければ、先生に怒られますよね。
8月末になってくると、かつての私もそうでしたけど、「やばい、早くやらないと……」と思うじゃないですか。
でも「やばいやばい」と思いながらも逃げ続け、ゲームに現実逃避し、9月になってもまだやらない(笑)
そうやって逃げ続けるほど、だんだんきつくなりますよね。
親にも怒られるかもしれないし、先生にも怒られるでしょう。
あるいは借金もそうです。
逃げれば逃げるほど、借金の金利が積み重なっていく。
闇金ウシジマくんだったら、鬼も泣くほどの取り立てが待っています。
税金を支払わないと、延滞料、重加算税などもかかります。
さっき言った政治なんて問題の本質をひたすら先送りしているがゆえに、さらに世相が悪化しているのは当然のことです(政治家だけでなく、私たち国民も逃げています)。
「逃げるほどメッセージはきつくなる」のは、個人も組織も国家も全部同じ。
どうせ逃げられないんだったら、早く真正面から受け止めた方がラクでコスパが良いに決まってる。
夏休みの宿題は7月中に終わらせろ!夏の絵日記は毎日書くんだ!(笑)
って、アタマではわかっていても、やっぱりできねーんだよなぁ。
だから、何度でも言うけど「アタマを超える」「脳を超える」しかないんですよ。
「それにはどうするんですか?」って聞かれたって、このシリーズでずっと言っている通り、説明・理解を求める人は絶対できない。
"地球人" にとっては冷たいよね~。
だって、『波動の法則』では何を聞いても「気づくしかないんです」としか言われないんだもん(笑)
「わからなければ、死ぬまで考えてろ」って、まるで禅の修行じゃん。
ただ、ヒントとしては、人間は何のために生まれたのか、この宇宙が存在している理由は何なのか、自分がこの自分であるのはどんな目的があってなのか、などを問い続けること。
この姿勢さえあれば、「この人生の困難やトラブルは、こういうことを教えてくれているのだろうな」という直観が出てきます。
たとえその直観が間違っていたとしても、その根底に「愛と調和への決心」さえあれば、悪いことには絶対にならないですよ。
運命が悪くなる人の大半は、たいていは運命から逃げてるでしょ?
それで「普通のスピリチュアル」のコンテンツなんかに触れて、ラクして逆転を目論んでいるわけ。
また「自分に非があっても絶対に謝らない人」って、世の中に割といますよね。
以前、外国人犯罪で監視カメラに犯行現場がバッチリ残っているにも関わらず、容疑を否認したのがいます。
どんだけ図太いねん。アホなん?
私はこういう連中を半分皮肉で「謝ったら死ぬ病気」と呼んでいます(笑)
いや、あの人たちは本気で「謝ったら死ぬ」と思い込んでるみたいなんですよ。
医学的見解とはまた別種の「脳疾患」のようなんです。
普段ジャンクフードばかり食べてるんでしょうか?
これは政治家や芸能人に限らず、会社や家庭の中にもいますよね。
謝らないから、宇宙からのメッセージがどんどんきつくなり、現象的にはトラブルがますます複雑化していく。
「バカじゃねーの!」って私は心から軽蔑しますけど、「エゴの波動」はここまで人間をバカに陥らせるってことですな。
本当に最低最悪のコスパであります。
「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」と言いますが、お詫びも同じです。
ま、でもやっぱりアタマだけの理解じゃダメなんだってこと。
「エゴの尺度」ではなく、「霊的・スピリチュアル的な尺度」で気づいて直観して、とっとと謝って、とっとと改善する。
そして、「いやー、今回のことはとても勉強になりました。気づかせていただきまして、ありがとうございます」と心からお詫びと感謝ができたら、波動は高まる。
こういう人、周りから絶対好かれるよ。
極めてシンプルですよね。アタマでゴチャゴチャ考えさえしなければ。
だから『波動の法則』の足立育朗所長は、いつも「素直に謙虚に」とおっしゃるわけです。
理不尽を超えるには、愛と調和の高次元波動へ決心するしかない
こういうことを踏まえると、このエゴの文化・エゴの波動の世界において「お詫びと感謝」を実践し続けるというのは、滝に打たれたり断食したりする以上の修行じゃないかなと思いますね。
ときに理不尽すぎて「こんなの絶対無理!」と思うことにすら「掌を合わす」ことができたら、かなり立派な人間です。
まぁ「修行の真似事」もヘタすればただのポーズに陥るので、それなら「お詫びと感謝」を実践し続ける方が、地に足がついていてよほど価値があるでしょう。
「理不尽」というのは理(理性)を尽くしても理解できない、という意味です。
「理性」とはアタマであり大脳であり、『波動の法則』的には本質ではありません。
そりゃ「アタマ」なんていう限られた小さな知性で、本質なんて捉えられないですよ。
理性を超えた高次元においては、この世界に起こる現象で理不尽なことは一切ない。
「宇宙のまなざし」から眺めれば、一切合切は極めて合理的なのでしょう。
もちろん人間世界の「合理」とは、次元が全く違う「超合理」なのですが。
そんな人間の無知を思い知った上で、「決心」するしかない。
どんな「理不尽」なことがあっても、それを「お詫びと感謝」で受け止めていくことは、私たち地球人には大変です。
普段、カウンセリングの現場では本当に気の毒な話もいただきます。
それに無理やり感謝するのは難しいし、頭ごなしに「感謝しなさい」とか「祈りなさい」とか言うこともできない。
繰り返し言いますが、「気づくしかない」んです。
カウンセリングの理論では、クライアントの問題解決のため、指示や命令はもちろん、説得やアドバイスもすべて「役に立たない」と言われます(カウンセリングプロセスがある程度進んでいたり、カウンセラーとの関係性が深ければ別ですが)。
だから、気づくしかない――カウンセリングは「気づきを得るためのサポートの場」なんです。
さらにスピリチュアルカウンセリングはというのは、「クライアントの波動・振動波を高めていただく場」と言えるでしょう。
波動が高まれば、気づきや直観が生まれてきますから。
(当たり前ですが、そのためにはカウンセラー自身が普段から気づきや直観を高める実践をしなければなりません)
足立所長はよく講演会やセミナーで「スタディ」という言葉を使います。
「すべてはスタディ(学び)である」という人生観・宇宙観を土台に据えることができたら、たとえ苦しいことであっても、お詫びと感謝として受け取り直すことができるようになります。
これには「そう生きるんだ」と「決心」するしかありません。
決心というのは、「現状の自分を超えていこうとする決意」ですね。
エゴの波動が中心になってしまっている自分を、「愛と調和の振動波」へと役割転換していく決意。
そんなのラクじゃないですよ。
これまでの悪習慣でバッキバキに曲がった背骨や腰骨を矯正するようなもんだから、痛いに決まってるわ。
「普通のスピリチュアル」が言う通り、「人生にラクして奇跡を起こす魔法」なんてあるわけないやろボケ。
ただ、本当に決心ができれば――前回言ったとおり、エクサピーコ(≒魂)の受振と発振の総量が増える。
そうすれば、今まで理不尽だと思っていた出来事に対し、それまで観えなかった深い情報に気づけるようになるので、「いや、これは自分に必要があって起こっていたんだ……自分の間違いを教えてくれていたんだ」と直観できるようになってくる。
こうして、深い「お詫びと感謝」が生まれたら、現実はガラッと変わってしまう。
ここに至って初めて「奇跡」と言えるのであって、最初から「魔法」に期待するのはエゴそのもの。
ちょっと宣伝になりますけれども、私がやっている『オーラリーディング』というメニューがあります。
これは、その人の「人生・運命に対する感謝度」を観ています。
直感的におわかりいただけるでしょうが、やっぱり感謝の深い人のオーラは綺麗です。
これは「理屈」だけでは到達できない。
本当に「奇跡」を起こしたいなら、「理屈」を捨てて、「奇跡」など期待せず、真っ直ぐぶつかっていくしかない。
だから、この入門1回目で話した通り、小賢しくて「頭の良い人」はダメなんです。
言葉は悪いですが、「アホ」とか「バカ」な人の方が波動が高いことはザラにあります。
高学歴より、いわゆる「無学」の人の方がよっぽど波動が整っているケースは少なくない。
それは後者の方が「素直」だからですよ。
……はい、今回は同じような話の繰り返しになってしまいましたね。
ぜひ「お詫びと感謝」ということ――言葉だけで聞けば当たり前のことですが――お互いに決心して実践していきましょう。
では、今回は以上です。
改めて、今回の文字起こしの要点
- 「お詫びと感謝の波動」は「エゴの振動波」を打ち消し、宇宙の流れに乗る重要な実践である。
- トラブルや災難は学びの機会であり、「お詫びと感謝」で深く受け入れることでその現象は消えていく。
- 逆に、そこから逃げれば逃げるほど、気づきを促す「メッセージ」はどんどんキツくなる。
- 理性や論理を超えて愛と調和の方向へ「決心」できなければ、「お詫びと感謝」に生きることはできない。
なお、YouTube(Podcast)は今回の文字起こし編集でカットした部分もあります。
今回もちょこちょこカットしました。
なのでこちらも聞いていただけると、より理解が深まります。
※この下に「音声プレーヤー」があります。倍速再生も可能ですし、YouTubeより通信量も少ないし、スマホを画面オフにしても聴けるので便利です。
