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目次
〈宇宙におまかせ〉が中途半端だと”単なる依存心”になってしまう
占いって安心が欲しいんですよね。背中を押して欲しいんですよね。
「お墨付き」が欲しいんです。
私も自分が当事者なんで自己批判的に言いますけども、安心が欲しいというのは、人生の決断や判断を相手に委ねているということ。
この文脈の「ゆだねる」とは、依存でしょ?
「おまかせ」なんてキレイな言葉を使って、本当は依存したいだけじゃないんですか?
で、これを言うと「厳しい」って言われるんですよね(苦笑)
いや、厳しくねえんだけど。当たり前だろって。
だから私はタロットをやってますけども、決めるのは自分(クライアント)ですからね。
「一緒に考えて欲しいとか「考えるヒント」が欲しいとか、それだったらいいんですけど。
「宇宙におまかせすれば、うまくいく」これも中途半端だと依存ですよね。
依存心を持っている人が、うまくいくわけないでしょう、普通に考えて。
この世的な成功も失敗も、全部自己責任だと。
そういったことを腹に据えるから、力が出てくるんですよね。
いま言ったのが、「おまかせ」の本質ですよ。
失敗してもしょうがない。
うまくいったら「運がよかったね」と。
運の要素もありますよ。
そういったのをもろもろ含めて、おまかせをするということですよ。
「墓じまい」はアリかナシか?人間が人間である理由とは?
最近の時代の風潮として、例えば「墓じまい」というのが広がっていますね。
「人間が人間である理由」というのは供養です。
ご先祖という「目に見えない存在」というのを認識できるからこそ。人間では動物ではなく「魂を与えられた人間」なんです。
私の知り合いでも墓じまいした人がいます。
あるいはお墓が遠方でお参りが難しいとか、物理的・経済的に難しいので、そこで墓じまいをするという傾向も最近はありますよね。
繰り返しますが、「人間が人間である理由」は、「目に見えないもの」を認識できることにある。
それは「神仏」であるし、一番身近では「祖先」なわけですよね。
ですから墓じまいが増えているということは、残念ながら「人間が人間である理由」というのを少しずつ失いつつある、ということかなと思いますね。
でも、これは現実問題としては難しい……
だから絶対ダメとは言えない部分もある。
時代がそういった流れになっているので、おそらくしばらくは止められない……
けれどこうしたスピリチュアル、しかもマジスピ(真のスピリチュアル)というものに共感をされるような方であれば、先祖供養は時代が変わっても大切なことであると、深く理解する必要があるかなと思いますね。
〈サイコパス〉の波動(オーラ)がかなり厄介な理由
波動が良いとかオーラが綺麗とか、私は職業柄「その人のオーラ(波動)を見るわけですが、自分の過去に対して肯定的、受容的であるほどオーラは綺麗です。
そりゃそうですよね。
ただし、これはちょっと難しいのが「サイコパス」とやつです。
自分が人を傷つけたり迷惑かけたりしているのに「何もなかったことにする」という困った人がいますね。
あなたの周りにも一人ぐらいいませんか?
いや明らかに、どう見てもアカンやろと。
さすがに人の道に反しとるやろと。
けれど、本人は何も気にしない、何もなかったことにしている。
こういう人も、確かに過去を(ある意味では)受け入れているかもしれません。
肯定的であったり受け入れたりしているっぽくは見えるんです。
厄介なのは、こういう方の表面的なオーラは綺麗だったりすること(全員じゃありません)。
その代わり、表面的なオーラではなくもう少し奥の方のオーラを見ていくと、濁っていたり重たかったり暗かったりするわけです。
難しいですよね。
引き寄せの法則は、法則でも科学でもない曖昧な仮説
引き寄せを「法則」と言うのであれば、条件を整えれば誰もが同じような結果が出るはずです。それを科学では再現性という。
再現性を実験で証明して初めて「科学」だというのが、現代科学の捉え方のはずです。
しかし引き寄せに「再現性」はありませんよ。
思っても願っても、星に願いを届けても、実現しないことはいくらでもある。
それどころか皮肉なことに、あまり思っていない、そんな強く願ったわけじゃないのに、なぜかトントン拍子に成功してしまう、うまくいってしまうということもありますよね。
誰しもがそれぞれの立場で夢や願望というのを思い描くけど、それが叶わなかったとき
「それは波動が整っていないからだ」
「信じる力が足りないからだ」
と、それまではいろいろ「夢」みたいなことを語っておきながら、最後は「凡庸な自己責任論」に落とし込む。
「法則」とか「科学」とか言ってる割に、最後は「精神論」ですか?と。
「ありがとう」 の口グセだけで 人生は変わらない
「口グセで人生が変わる」って、よく言われますよね。あるいは「言霊」とスピリチュアル方面では言われます。
「ありがとう、ありがとう、ありがとう」と言っていれば、ありがたいことが起きるんだと。
そういった「わかりやすいスピリチュアル」を語っている方がいらっしゃいますよね。
原理的にはそうなんですけども、以前、YouTubeだったかなぁ。
ひたすら「ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう……」って言っている人がいたんです。
私は名前だけで人の波動(オーラ)を観てしまう人間なので、その方を拝見していると、非常に重たい波動なんですね。
「感謝の波動」ってもっと清らかなんですよ。これは直感的にわかりますよね。
「感謝は光だ」と言う方もいます。
けれど、それを言ったからといって「いいことが起きる」という期待があると、それはエゴ、エゴイズムに堕ちるわけです。
「感謝の波動」とは波長が合わないので、いくら口グセにしても厳しいでしょうね。
人間と同じく本・情報にもオーラがある
本のタイトルや写真だけでもいいですけども、それがあれば「波動」(エネルギー)がわかります。
『私が見た未来』という本、著者の「たつき諒」さんには申し訳ないんですが、買う値しない本です。
良い波動の本は、真実が描かれているものです。
たとえ悲惨な内容であってもそこに真実が宿っていれば、本の波動は決して悪くないんですよ。
逆にいい加減な気持ち、嘘やデタラメとか、そういった傾向が強ければ強いほど、本の波動は重たくなります。
これは人間も同じですね。
特に「言葉」っていうのはエネルギーですから。「言霊」って言いますよね。
その集積が本だとすると、本にも立派に波動があるわけです。
私のホームページ『マジスピ』の中には、波動の良い本、おすすめのスピリチュアル系、ご興味あれば無料で公開していますので、ぜひご覧ください。
80冊ぐらい、かなり多く紹介をしています。
【死】は怖くない。【死】こそ生命が光り輝く世界。
「死の世界は暗い」「死んだら闇」「お先真っ暗」なんて普通は言いますけども、本当はそうではない。
死の世界こそが本体、本当の世界ですね。
本当は死の世界、霊界が本当の世界であって、「あっち」から見れば「この地上世界こそが死の世界、影の世界である」ということです。
死ぬことを「往生」と言いますね。
往生というのは、あの世に「往」く、そしてあの世で「生」まれるという意味ですね。
往は「往復」の往ですね。
「往」って、そして「生」まれる。
だからこの世の「死」とは、あの世での「誕生」なわけですね。
あの世こそが本体。
本当は、死というのは恐ろしくないんです。
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