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目次
なぜ、天命を宇宙にゆだねると力が湧いてくるのか?
ゆだねている人は強いんです、本当に。
なぜなら、ゆだねるというのは、この小さな命ではなくて、大いなる命、無限の生命の中に突進していくことだからです。
肉体の限りある身を持ちながら、精神的に霊的にそこに向かっていくことです。
それがゆだねるということですよ。
それが本当にできれば、力が湧いてきます。
けど、簡単ではない。
やっぱり修行は必要でしょうね。
でも特殊な修行ではなく、例えば今の仕事に一心不乱に打ち込むということも、これもある意味でおまかせ・ゆだねるということです。
日常の中でそういった修行はできるんですよ。
別にスピリチュアル的に「宇宙におまかせ!」なんて言わなくてもいい。
けど、いい結果だけを期待したら、ゆだねる勇気は出てこないです。
運命というのは自分の知性でいくら考えてもどうにもならない。
そう本当にわかったら、その分だけゆだねることができるようになります。
ジャニーズ騒動から考える〈死後の魂〉との向き合い方
ジャニーズ問題がわかりやすいかなと思うんです。いろいろ問題があるわけですよね。
例のあの "ボス" の肉体は、もうないわけです。
けれど、その影響というのはまだあって、この配信日もちょうどまたジャニーズ系の大きな問題がニュースで出ていました。
いま「負の遺産」を清算している途中なんですよね。
だから「ボスが亡くなってよかったね」ではなく、誰かがそれをクリアにしていかないと、ずっと悪影響が残ってしまう。
スピリチュアルに話を持っていくと、過去にこの世に影響力を残した人物は、本人の肉体がなくなったとしても、波動、エネルギーとしては善悪に関係なく残っているんです。
例えば、強欲で人を傷つけてもなんとも思わないような人。まあこういうのは地獄に落ちるんですよ。
だって死ぬ前から「地獄の心」の持ち主だから。
「ざまあみやがれ」と、職業柄「魂の波動やオーラ」を観る立場としては、そう思っていたんです。
ただ、いつの頃からか「そう考えるだけではちょっと足りないな」と思うようになってきたんですよね。
やっぱり「供養」をしないといけないんです。
負の遺産を清算することも「供養」の一つなんです。
過去も過去世も「いま・ここ」で起きている
「過去は変えられる」と言われるように、「過去世」までも変えられます。
どれだけ理不尽であっても、これが自分に与えられた運命だと深く受容できたとき、「記憶としての過去」は変わっていきます。
例えば私自身、過去にいじめられてよかったなと今では思います。
それがあればこそ、少なくとも自分は理不尽な理由で人をいじめたりはすまいと、その誓いに変えていく。
過去の痛みをどうするかは、自分自身に委ねられています。
ずっと「被害者のポジション」で無力な立場を演じることもできるし、優しさに変えることもできる。
過去世というのは遠い記憶の彼方のことではなく「今」なのです。
過去を思っているのは「今」だからです。
『過去世リーディング』で見えたビジョンを伝えているのも、「今」です。
物質的に考えると、現在・過去・未来に分けた方がわかりやすいわけですが、本来は「今」しかありません。
今、あなたは「過去世の上の現在」にいます。
だからこそ、あくまで「今」どうするかという意志がなければ、いくらリーディングを受けても全く意味がないでしょうね。
スピ系の成功法則が絶対言わない人生の真実
人は答えが欲しい。
それがたとえ安直な答えであっても、「これがあればうまくいく」という魔法の杖、転ばぬ先の杖が欲しい。
これが「エゴのニーズ」です。
ただ、それはスピリチュアルではありません。
夢を叶えることは素晴らしい。
なぜ素晴らしいかというと、それを叶える人は「一握りに過ぎない」からです。
それを科学的に、法則としてスピリチュアルを解き明かそうとした瞬間、非常に冷たくなります。
成功例だけがピックアップされ、失敗例は出てきません。
なかったことにされるのです。
「それはあなたが法則通りにやっていないからだ」「思い方や考え方、信念が足りないから夢は実現しないんだ」
──はい、論破。
冷たいですね。
そんなものを言ったところで、本は売れません。
こんなところに愛はない。
夢を語っているくせに、夢がないのです。
だったら、まだまだ現代科学では解き明かせていない魂の領域を放っておかずに、それを検証していく方が、よっぽどスピリチュアルではないでしょうか。
運気アップのため “ありがとう” を言い続ける必要はない
「ありがとう ありがとう ありがとう」って、いくら言ったところで運気は上がりませんよ。
ただ、ビギナーズラック的に良いことが起きる場合がある。
これはエゴが刺激されやすいので厄介です。
あるいは「ありがとう」と言って、「良いことが起きる」と期待していると、何か普通のことが起きても良いように(自己都合で)解釈することもあります。
これは「予言の自己実現」と言われていることです。
もっと悪く言えば「自己洗脳」です。
ま、これを良い方向に使えばいいんですけどね。
根源的には「生を与えられている」ということ。
これが「恩」の根源です。
本当に深く考えれば、厳粛なことですね。
そして普通のスピリチュアルが言うことと違って――
自分では選べなかった。
この厳粛さを自覚できるようになると、人は安易に「ありがとう」とは言わなくなります。
沈黙が生まれるわけです。
それは感謝が深くなったということです。
だから別に「ありがとう」を10万回も100万回も機械的に言わなくてもいい。
心の中で深く思うだけでも、その波動というのは広がっていくんですから。
【要注意】占いが “当たる” 心理的なカラクリ
占いは当たるのではない。
「自分で当たりに行ってしまう」という人間心理があります。
それが怖れであったとしても、希望であったとしてもね。
私たちの中に「怖れの波動」があると、ネガティブな言葉や予言に対し、過剰に反応してしまうんですよ。
「もしかしたら・・・」と、その可能性を考えてしまう。それを想像してしまう。
「当たって欲しくない」と思うと、皮肉にもその思いが強くなってしまうわけですよ。
逆に、いいことであれば「どうか当たってほしい」と信じる気持ちが強くなる。
そして、それが当たったかのような現象が起こったとき、自分が解釈したい通りに「当たった」と。
これが「当たる」心理的メカニズムの大きなパターンです。
この世界というのは、そしてこの人生というのは、人の「想念」によって動いている。
「想念」というのが現実になっていく。
もちろんすべてが現実になるわけではありませんけども、少なくとも「そうなるぞ」「そうなってほしい」と思っていれば、そう起こるに相応しい、そういう捉え方・解釈をするわけです。
死を見つめる心だけが、魂を深める。
「コロナでなくとも、人は死ぬ」
〈メメント・モリ〉―― 死を忘れるな
この言葉は2020年の感染症の馬鹿騒ぎが始まった直後ぐらいの動画で言いました。
いま、あの熱狂を振り返ってどうですか?
感染症じゃなくても、ガンじゃなくても、いずれにしても人は死ぬではないか。
これを言った人は少ないですね。
あのころスピリチュアル界隈を見ていた限りでは、この大切なことを言った人は私は知らないです。
まぁ、そんなにチェックしてないのもありますけどね。
「この肉体の命が素晴らしい」
「肉体が最も価値が高い」
これを「生命至上主義」と言います。
物質主義的価値観の、成れの果てです。
当時「未曾有の危機」と叫んでいながら、本当はこの足元にある「死」。
それを本当に思っていた人は、どれぐらいいるんだろうか?
ただ、マジスピ(真のスピリチュアル)を探求したいと思っている私たちは、常に死を見つめなければなりません。
この姿勢だけが、魂を深めてくれます。
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