※ウェブサイト『マジスピ』には音声の文字起こし(読みやすく加筆修正済)があります。

■YouTubeではメモ、資料、スライドなどを映していますが、音声プラットフォームの「ながら聞き」でも十分ご理解いただけると思います。
ウェブサイトでは最下部に音声プレーヤーがあります。倍速再生も可能ですし、YouTubeより通信量も少ないし、スマホを画面オフにしても聴けるので便利です。
■ご感想・ご質問は『アンケートフォーム』からどうぞ
https://x.gd/Mp7Lg
ここから下は編集中です。まだ「一部に誤字脱字を含む、ざっくり文字起こしの段階」をご理解の上で読んでください。配信日から1週間以内に加筆修正して読みやすい文章にしますので、待てる方は少しお待ちください。
目次
今回の要点と要約文
今回の要点
- 人は無限の可能性を生きる存在ではなく、天命という一つの軌道を生きる存在である
- エゴの成功哲学は一時的にうまくいくことがあっても、魂と運命を重くしていく
- 天の声に応答し責任を引き受けて生きること自体が、魂にとっての真の成功である
■エゴや脳でなく〈天の声〉に従うと、自分だけの運命を歩めるようになる■
子供の頃、学校の先生なんかが「人間は"無限の可能性"を持った存在なんや」と何度か言っているのを聞きましたが、当時から「それはウソやろ」と思ってました。
クソ生意気ながら「いや、先生はその"無限の可能性"とやらを発揮してへんように見えるけど?」と心の中でツッコんでました。
大人になって振り返ると、確かに人は様々な可能性を抱いてこの世に生まれてくるのかもしれない。
でも、現実的には、人は"無限の可能性"の中からたった一つを選ぶ、あるいは「選ばされる」有限の存在じゃないか。
私たちは、無軌道に無制限に「なりたい自分」になることはできない。
宇宙の星々それぞれに「固有の軌道」があるように、私たちの歩みも天与の固有の道がある。
固有だからこそ、それは尊いもの。
それは誰も教えてくれない。
「天命」に気づくには、「天」と対話を繰り返しながら、試行錯誤を続けるしかない。
でも、そこで他人と比較して、わかりやすい目に見えるもの(お金、地位、立場、評判、人気)で "自己実現" しようとすると、迷いに入ります。
たまたまこの世的にはうまくいっても、「エゴ」から生み出された成果は、本当の幸せにはつながらない。
それは職業柄オーラ(波動)を観るので、よくわかります。
現代社会では「なりたい自分になれる」「人生は思い通りになる」といった言葉があふれている。
ビジネス一般、成功哲学、自己啓発の分野では、こうしたメッセージを発信した方が商売になる。
スピリチュアル系だと、そもそも才能も素質もなく、でも"自己実現したい"という欲望を持っている人たちに「あなたもオーラが(守護霊が・過去世・アカシックレコードが)見えるよ。誰でも強く望めばできるのよ」などと妄言を吐いて小遣い稼ぎをしている連中がいます。
今日もどこかの "情報弱者" が引っかかっていることでしょう。
自分の運命が何で構成されているかちゃんと認識できていれば「なりたい自分」を目指してもいいんですが、そうでないと悪いヤツにカモられてしまう。
「"自分ではないもの" になろうとする衝動」から解放されるには、孤独の静けさが必要です。
この世の人間を、誰一人として相手にしてはいけない。
「天」を相手にして生きることです。
「天」からの呼び声、「calling(使命)」に耳を澄ませ、それに応答して生きようとする意志を持つ続けるしかない。
人間の分際に「完全なる自由」などありゃしません。
天から定められた軌道に乗るしか人間としての真の成功はないけど、今日も隣の芝生が青いわね。
生命に対する「責任」と「義務」を背負う気概がないと、天の声は聞こえません。
多くの人はそれが嫌だから、お気楽なスピリチュアルや成功哲学や自己啓発に流されていく。
けれども、本来は背負うことでしか生命的な幸福感はありません。
それに気づくまでは、ずっと "幻想としての自己実現" を追いかけるでしょうね。
どうぞ自己啓発セミナーに通いまくって、さんざん散財したまえ。
それは昔よく言ってた「自分探し」という、終わりなき不毛の旅。
「道」は足元にあることに気づいたときから、本当の歩みが始まります。
平凡たる日常の中で、非凡たる「祈りの巡礼」が始まります。
要点・要約文を読んで、あとは動画でご覧になりたければ以下からどうぞ。
天命とは自分でなく天が決める
では今回もシリーズとして、成功哲学・自己啓発を批判的に、真のスピリチュアルという観点から取り上げたいと思います。
今回は、エゴではなく、〈天の声〉に従うことが、真の成功を生み出すということですね。
従来の成功哲学からは、だいぶ外れてきましたけども、真のスピリチュアルということで、エゴではなく天の声ですね。
今日は、これがキーワードかなと思います。
では、まずですね、使命。
このマジスピラジオでは、天命とか使命とかいう言葉を使いますけども、この使命とは何であるか、ということですね。
ここに、使命に応答する能力と書きましたけども、YouTubeではレジュメを映しています。
ここにですね、使命に応答する能力と書いています。
この使命というのは、英語で言うと、「calling」というわけですね。
「calling」。
コール、呼ぶですね、声ですね。
ですから、天からの呼び声。
他に、ミッションという言葉もありますよね。
これは、もう私たちにとっては、なじみ深い言葉ですけども、ミッションというのは、派遣という意味ですね。
ここには書いていませんけども、つまり、天から派遣されている、これを使命という。
あるいは、「calling」、呼ばれている。
その天からの呼び声ですね、これが使命であると。
前回言ったとおりですね、我々は祈られている存在であると。
そして、私たちが祈るという行為は、実は、祈られているという根源的な、こういう根源的事実に対する応答ということですね。
この「calling」に応える、その姿勢が祈りというわけです。
これを、よく使うカタカナ言葉で言うと、コール&レスポンスというわけですね。
祈られている、その祈りの呼び声、それに応えるということ。
そして、レスポンス、これは英単語ですね。
よければ、これもYouTubeの方が分かりやすいと思いますけども、応答するというのは、応えるというのは、レスポンスですね。
そして、アビリティ、これは能力ですね。
つまり、天からの呼び声、その祈りの声、それに応える能力。
レスポンスするアビリティのこと、これをレスポンシビリティと、日本語では責任というわけですね。
責任の語源は、こっから来るわけです。
応答する能力のことを責任、レスポンシビリティというわけですね。
ですから、与えられた命、そして、与えられている祈り、天からの声、「calling」。
それに対する責任、あるいは義務。
これを主体的に背負っていくということ。
これが祈りということであり、そして、この背負う力が深ければ深いほど、それは祈りが深いということになるわけです。
ここで大切なポイントは、頭で、頭脳で祈ることだけが、祈りではないということです。
これは、祈りというのを大切にしている方でも、時々この段階で止まっている方がいるので、注意する必要があります。
頭で、心で祈りの文言を唱えることだけが、祈りではありません。
与えられた責任や義務を果たす、主体的に背負う、実行する、行動する。
そして、また、その行動に対する結果を背負う。
これが実践的な祈りです。
ここを間違えている方が、時々おられますので、注意しないといけません。
祈りについてよく発信をしていますから、「私も祈っています」「私も祈りを大事にしています」というお声を、時々いただきます。
けど、それは本当に深い祈りになっているか、ということは、自問自答する必要があります。
そして、それが本当の意味で祈っている、つまり、実践をして、その責任を背負っている、そうであれば。
その「calling」、天からの声に応え続けることで、生命エネルギーは、活力をどんどん増幅していきます。
天からの声を背負う、責任を負うということは、それだけ受け取る力が高まっていくということですね。
受け取る力が高まるということは、生命エネルギーをもらえるわけですから、精神力、活力、あるいは肉体的には健康も含めて、どんどん増幅をしていくわけです。
もちろん、歳をとれば、肉体の生命力は劣れていきますけども、それでも、おそらく、しっかりと、こういった責任を背負っている人であれば、同時代よりは、肉体的なエネルギーも強いはずです。
仮に、そうじゃなかったとしても、精神力は強いはずです。
これも気をつけないといけないのが、責任や義務から逃げれば逃げるほど、つまり、天からの声に応えずに、その責任や義務から逃げれば逃げるほど、そして、今の風潮として、義務を果たさないで、権利ばっかり主張する人間は、運気がどんどん悪くなります。
なぜならば、天からの声、天からのエネルギー、天命ですね、天からの命です。
それから逃げるわけですから、それは言い換えれば、生命エネルギーを受け取っていないということですね。
そこから逃げているわけです。
ですから、運気が悪くなって当たり前だと、これは世間一般を見れば、わかりますね。
まともに働かないで、例えば、パチンコとか、そういったギャンブルのたぐいだったり、お酒とかドラッグとかね。
そういったところに逃げれば逃げるほど、どんどん運命が悪くなるのは、言うまでもない。
これをカルマと、スピリチュアル的、宗教的には言うわけですね。
ですから、天命を生きれば楽しいとかね、そういった次元の話ではないんです。
普通のお気楽なスピリチュアルとは、全く真逆の世界です。
会社でもそうですね。
高い給料を得ようと思うんだったら、地位は高くなる。
そして、地位が高くなるのであれば、責任は重たくなる。
そんなの当たり前ですよね。
けど、現実の社会では、それが当たり前ですけども、こうした精神的、霊的な世界というのは、肉眼では確認ができませんので、心がけや注意が必要ということですね。
そして、その天からの呼び声、「calling」。
使命に応えないで、自分のわがまま勝手なエゴ。
これは、今だけ、金だけ、自分だけ、ってね。
よく、政治系のYouTubeとか見てるとね、こういった言葉、よく出ますけども。
そして、従来のエゴの願望を実現する、そういった意味での成功ですね。
これは、次元の低い成功です。
それがエゴですね。
それは、偉そうに、「人生は思い通りになるんだぜ」と、これ前回言いましたね。
これは、いわば、神への反逆ですね。
あるいは、神への悪あがき、抵抗と言ってもよい。
それも、また、カルマになるわけですよね。
ただ、厄介なのは、あくまでこの世的には、運気がよく見えるということです。
ただ、いつも言ってますけども、私が例えばね、オーラ、この波動として見れば、結局は大きなカルマになってしまいますよ、ということです。
こういった人は、肉体を捨てた後、霊魂だけになった状態ですね。
その時に、ドボンと沈んでしまうわけです。
さあ、これを信じられますか。
科学では証明できませんが、私の中では真実ですね。
人の波動を、見ますからね。
なりたい自分になるという思想は天命から見れば危うい
そして、天からの呼び声、「calling」は、まさしく天が決めるものです。
自分が決めるんじゃないということですね。
私たちは、無制限、無軌道の自由はないと、これはとても大事です。
自由意志は与えられているが、それはあくまで、宇宙法則の範囲内において、完全無欠な自由はないということです。
宇宙の夜空の星々をご覧いただければ、その星々だって、宇宙の法則に定められた軌道の上で輝いていますよね。
地球も、月も、太陽系、銀河系のそれぞれの星がね、すべて軌道の上で動いているわけです。
これが、でたらめに、無軌道で、めちゃめちゃ勝手なことをしたら、もう宇宙の次元が乱れてしまうわけですよね。
必ず、法則、道というのがあるわけです。
これを踏まえれば、自分勝手に、自分の思い通りに、好きなことだけで生きていくというのは、とても愚かなことだということが分かります。
前回言った通り、思い通りに生きてますよという人も、所詮は顕在意識の数パーセントの範囲内で、生きがっているだけだということです。
そして、ここでスピリチュアルからはね、完全に違う世界ですけども、文芸評論家の有名な小林秀雄の言葉を引用します。
ちょっと読みますね。
人は様々な可能性を抱いてこの世に生まれてくる。
彼は科学者にもなれたろう。
軍人にもなれたろう。
小説家にもなれたろう。
しかし彼は、彼以外のものにはなれなかった。
これは驚くべき事実である。
これは、とっても大切な言葉ですね。
人は無限の可能性がある、様々な可能性がある、それを携えてこの世に生まれてきた、というように言われます。
でも、たった一つのものにしかなれないんだということです。
彼は彼以外のものにはなれなかった。
私は私以外のものにはなれなかった。
これは驚くべき不可思議な事実である、ということですね。
さあ、こういったことに驚く感性を、あなたはお持ちでしょうか。
子供の頃、私も学校の先生に言われましたけどね、君たちには無限の可能性があるって言われましたけども、私は子供心ながら、その時に、絶対嘘やろ、と思いましたけどね。
生意気でしたけどね。
で、今、大人になって、小林秀雄の言葉なんかを紐解いていると、ああ、やっぱりそうだなと。
無限の可能性がある、っていうのは、きれい事なんですよ。
だって、無限の可能性があるって言ったって、百年程度で人は死ぬわけでしょ。
そもそも人間は有限の存在じゃないですか。
何が無限の可能性ですか、嘘つかんといてください、ってね。
もうちょっと言語化すると、こういった感じですかね。
生意気ですけどね。
でも、考えればそうですね。
私たちは、天命が命じる制約、あるいは、さっき言った運命の軌道の上を生きているわけです。
星々に軌道があるように、我々の運命にも軌道がある。
そして、それは誰にも歩めない、自分だけにしか歩めない、天から与えられた尊い一つの道がある。
その道を歩んでいくことに、真の自己実現がある、ということです。
それを踏まえた時に、なりたい自分になる、とよく言われます。
スピリチュアル界隈でも、よく言われますよね。
これは、エゴの無制限、無軌道の悪あがきであり、神への反逆である、ということです。
ところが、成功哲学や自己啓発で、なりたい自分になれる、私もそうなった、って言ってる人たちの中には、無邪気に言ってる方もおられます。
その人は、おそらく素直で、やりたいことをやってるように見えるんですが、結果的に、運命の軌道に乗っ取っているわけです。
だから、必ずしも、なりたい自分になりましょう、なんて言う人がダメだとは思いません。
その人は、結果的に素直なんですよ。
ここが、結構難しいところで、なりたい自分になる、思考は現実化する、人生は思い通り、すべて願った通りに引き寄せられる、とかね、こういったよく言われる言葉は、天命や運命に対する認識力が高い人、もっと簡単に言えば、素直な人だったら、これでいいんです。
けど、それこそエゴイスティックで、運命に対する認識力が低い人、そういった人たちが間に受けると、必ず失敗します。
人生、運命、天命に対する認識力が高い人、素直な人は、全然、なりたい自分になっていただいて結構です。
ところが、認識力が低ければ、必ず、お金、地位、名誉、評判、承認欲求などの物質に流される。
再生回数に囚われる。
数の悪魔にやられる。
それで、たとえ一時的に成功者になったとしても、さっき言いましたね、天道、お天道様に反しているわけですから、当然、オーラや波動は重たくなります。
だから、いいことはないんですね。
素直になれたらいいんですけどね。
素直になれないんだったら、自分はこれを本当に天命を歩んでいるだろうか、ということを、常に自問自答する必要があります。
それがちゃんとできていれば、大きく外れることは少ないと思います。
私はね、私以外のものにはなれないんですよ。
様々な可能性があるのに、たった一つの道しか歩めないんです。
そして、その運命の道を歩むのは、これが私の道だと気付くことはできるが、それを決めるのは私ではない、という、この真の謙虚さが必要なんですね。
本当に成功するならね、成功といっても、バリバリ儲けようぜ、という話だけではないですよ。
本当に、生きがい、生まれがいのある、自分の能力や資質を生かして、それでもって人様に喜んでもらって、それが人間のみならず、動物、植物、鉱物、微生物、すべての生きとし生けるものに、調和していくような、そういった道です。
それを決めるのは、私ではない。
しかし、現代のグローバリズム、そして大量消費社会は、自分以外の何者かになりたい衝動を、すり込んできます。
マスメディアはもちろん、最近は、このYouTubeだったり、SNSを通じてですね、自分以外の何者かにならせた方が、ビジネス的には得をするわけですね。
本来は霊的な能力もないのに、スピリチュアル系の、例えばね、能力開発のセミナーで、あなたもオーラが見えるようになる、守護霊の声が聞こえる、前世がわかる、アカシックレコードが読める、とかね。
本来、その運命の軌道にないのに、あなたもなりたい自分になれる、そうやって煽る。
それがビジネスになるわけです。
今はスピリチュアル系の話だけしましたけども、成功哲学、自己啓発、他のビジネスも、同じように煽ってくるわけです。
しかし、自分は自分にしかなれないわけです。
ちょっと前にYouTubeのキャッチコピーだった、好きなことだけで生きていく、人に喜ばれて、しかも稼げますよ、というのも、きれい事ですね。
これを本当にやるんだったら、努力をするしかないんですよ。
ぶっちぎった実力をつけていくしかない。
けど、魔法とか奇跡とか、スピリチュアル系は、そういうことを言うわけでしょ。
今でも言ってますね、人生に奇跡を起こす、とか。
エゴの波動が中心の人は、こうした地道な言葉に耳を傾けることができない。
そして、煽られていくわけですね。
エゴを刺激する、そういった誘惑に。
社会や、社会って誰だって話ですけどね、親なのか、学校の先生なのか分かりませんけども、社会と言われてるやつが決めた、自分以外の何者かにならなければならぬ、という、その洗脳からの解放ですね。
天の声を聞くには?‐私の体験談‐
自分は自分にしかなれない。
じゃあ、そのためにはどうするか。
天の声は、さっき言った「calling」は、静かにしていると、よく聞こえてきます。
静かになれますか。
孤独。
沈黙。
沈潜。
内観。
瞑想。
一人になることを恐れないということ。
この社会の人を相手とせず、天を相手とせよ。
人に嫌われる勇気はありますか。
それがあれば、この「calling」、天の声は、おそらく、どこかのタイミングで聞こえてくると思います。
孤独や沈黙の中で、自問自答を繰り返す。
私は何のために生まれ、何のために生きるのか。
何が私なのか。
この私は、何で構成されているのか。
私に与えられた運命の軌道、その道とは何か。
これを自問自答し続ける。
天と対話をする。
それが祈りですね。
自問自答を繰り返すうちに分かること。
自分で生み出したものは、何ひとつない。
故に、人生は思い通りになる、などというのは、とんだ世迷いごとであり、妄想である、ということです。
所詮、お釈迦様の手のひらの上で踊っている、孫悟空のようなものではないのか、ということですね。
そういった謙虚さから、天の声が聞こえてくる。
そして、何のためにこの世界にミッションされたのか、派遣されたのか、ということが見えてくる。
このミッションも、使命という意味がありますね。
それが自覚できてくる。
運命への認識力が高まってくる。
そうかと。
この道を歩めばいいんだと。
それこそが、真の成功だと。
その運命によっては、物質的にも成功することはあるでしょう。
しかし、また運命が違えば、生活としては人並みということもあります。
しかし、さっき言ったように、使命や天命の自覚というのは、それだけ受け取る宇宙エネルギーや生命エネルギーが高く、そして深く、大きいわけですから、普通は他の人よりもエネルギーが強いんですよ。
例えば会社で言えば、出世したり昇進したりする可能性も、高まると思うんですよね。
だから私は、本当に天というものを意識して、日々の生活を営んでおられる方は、こういった認識が薄い人よりも、物質的にも成功していけるんじゃないかなと思います。
自分には才能がない、能力がない、人脈もない、お金もない、チャンスもない。
それが、もし自分の運命の線、運命の軌道であれば、バカはバカなりに、アホはアホなりに、生きる決心をするということです。
才能や能力は関係ない。
天から見れば、みんな平等だ。
これこそが、真の平等ですよ。
もちろん、中には恵まれた才能や、家柄がいいとか、そういうことはあります。
それは、あくまでこの世の話ですから、天から見れば関係ありません。
ところが、この世だけを見て、他人と比較して落ち込んだり、劣等感を抱いたり、あるいは逆に優越感を持ったりする。
これは、三次元の中の、とても狭い世界の話です。
他人と比較することほど、愚かなことはありません。
そういう人は、運命は絶対に開かないです。
しかし、この承認欲求というのが、現代人を蝕む大きな病ですね。
これすらも、今の大量消費社会、そしておそらくはネット社会、SNSの社会が生んだ歪みだと、見抜かなければならないわけです。
他人と比較すると、お金や地位や肩書きや、フォロワーの数や再生回数という数、あるいは年収とか、そういったものに囚われてしまう。
そして、従来の自己啓発の罠に絡め取られる。
だから、数は現代のサタンですね。
悪魔ですよ、これこそが。
この悪魔は、非常に強力ですからね。
だから、前回も言った通り、小さな成功で、ある程度その業界でいいポジションに行ってしまうと、そこから満足してしまって、やる気がなくなり、波動も重たくなってしまう。
若い時は、向上心を持ってやっていたのに、ある程度ポジションがついてしまうと、もうやられてしまうんですよね。
私は、そういった人たちのオーラや波動を見て、とても残念に思ったことが、何度もあります。
じゃあ俺はそうなったらどうするんだ、ということを、しょっちゅう考えていますね。
このサタンに立ち向かうには、常に天を相手にして、天を味方につけて生きていくことが必要です。
常に、天との対話です。
コール&レスポンス。
レスポンシビリティ。
責任とは、応答する能力です。
私を常に錆びつかせない。
これが、とても大事なんですね。
今日は年末ということもありますし、テーマが天の声なので、これまであまり喋ったことのない、私自身の話を、少しさせてください。
私が天の声を聞いた体験についてです。
二十七歳くらいですね。
今の師匠に出会って、その頃、当時はメーカーの営業マンでした。
東京都内の、いろんな場所を回っていたんですね。
そして、めちゃくちゃローカルなんですけども、東京都葛飾区の、京成高砂駅という、本当にローカルな場所があるんですけどね。
時間は夕方でした。
お客様を訪問した帰りに、駅のホームで電車を待ちながら、本質的なスピリチュアルを仕事にしたいな、と思った瞬間があったんです。
ここから、ちょっと大きな声で喋るので、耳が敏感な方は、ボリュームを抑えてくださいね。
そのローカルな京成高砂駅のホームで、突然。
「そうだ!」という、声なき声ですね。
物理的な音ではありませんでした。
天から、ガーンと響いた、そんな感じでした。
大いなる響きが、来たんです。
その時の駅の光景、夕暮れ時の光景は、今でも鮮明に覚えています。
でも私は、今こんなスピリチュアルの仕事をやって、いつも人のオーラを見たりしていますけど、それまで霊能を得たいと思ったことは、一度もありません。
たまたま師匠に巡り会って、あなたは出来ますよ、と才能を見出していただいただけなんですね。
それが天命として、いわば自分の運命の軌道として、与えていただいたものだったわけです。
それは主に、高校生くらいから、自分の道、自分の使命とは何だろうか、とずっと自問自答を繰り返してきた、その延長線上にあったと思います。
今振り返れば、全然未熟でしたけどね。
二十代前半の、まだ今よりも未熟な自分なりに、自問自答を続けてきたんです。
その結果として、突然、天からの大きな声が、ドーンと降ってきた。
そんな体験を、与えていただいたわけですね。
さあ、これは私が、ちょっと霊的な感性が強かったからでしょうか。
私は、そうは思いません。
もちろん、私みたいに天からドーンと来ることは、ないかもしれません。
ただ、人によっては、大きな確信が内側から響いてきたり、強いワクワク感に包まれたり、そういった体験はあると思います。
叩けよ、さらば開かれん。
求めよ、さらば与えられん。
私の場合は、スピリチュアルカウンセラーとか、ヒーラーとか言うと、世間的には、抽象的だとか、偏見だとか、霊障だとか、拒絶だとか、そういうものがあります。
今もあります。
昔ほどではありませんけどね。
けど、それが自分の運命の道、天命の道なのであれば、それはもう、真正面から立ち向かって、乗り越えるしかない。
その覚悟ですね。
決心です。
今はショート動画を毎日やっていますから、時々、嫌なコメントも書かれます。
お前は金儲けだ、なんてね。
けど、関係ないという話です。
人を相手とせず、天を相手とせよ。
どれだけ嫌われても構わない。
天が自分を見ている。
だからこそ、天の声、その「calling」に、静かな心境で耳を傾けるということが、とても大事なんですね。
私は、これを天命を想起すると書きました。
思い出す、ということです。
スピリチュアル的な表現では、本当の自分を思い出す、という言い方をする人もいます。
意味は同じです。
そして、思い出すこと自体が、実は魂の喜びなんですね。
いいですか。
思い出すこと、それ自体が、喜びなんです。
即、喜びなんですよ。
だから、何回か前にも言いましたけども、成功哲学や自己啓発が言う、成功のイメージを思い描きましょうとか、将来実現している自分を想像しましょうとか、スピリチュアル系で言う、予祝やお祝い、あらかじめ叶っていることをイメージしましょう、という話。
あらかじめ叶っているんだから、前もってお祝いしましょう、という話。
でも、思い起こすこと、それ自体が、すでに喜びなんです。
いちいち成功イメージをしたり、予祝やお祝いをしたり、それは意識の使い方の初歩の初歩に過ぎない、ということです。
なぜならば、成功のイメージや、予祝やお祝いというのは、過去、現在、未来という三次元世界を相手にしているからです。
違うんですよ。
天から与えられた霊感やインスピレーションというのは、三次元世界を超越しています。
今ここにおいて、すでに喜びを与えていただいている。
これが、神から祈られている、その自覚ということです。
そして、それに応える。
コール&レスポンスをする。
その責任を背負う。
それが、魂にとっては喜びなんだ、ということです。
ちょっと最後、熱くなってしまいましたけども、ぜひ二〇二六年に向けて、新しい年、そして新たに更新された願いを考える際に、それが私だけの自己実現ではなく、本当に世のため人のためになるように。
その偽善や疑念を乗り越えて、真の成功を成就するための、年末年始の一つの参考にしていただければ幸いです。
今回は、エゴではなく、〈天の声〉に従うことが、真の成功を生み出す、というテーマでお話をいたしました。
改めて、今回の要点
- 上の文字起こしはまだ編集中です
- ここまでの文章は誤字脱字を含む「ざっくり文字起こし」の段階です
- 1週間以内に完成させます
- 良かったら、先にYouTubeに(ショートも含めて)「いいね!」していただけると励みになります
なお、YouTube(Podcast)は今回の文字起こし編集でカットした部分があります。
今回も動画と文字起こしは少し内容が変わります。
なので動画(または音声)もご視聴いただけると、より理解が深まるかと思います。
※この下に「音声プレーヤー」があります。倍速再生も可能ですし、YouTubeより通信量も少ないし、スマホを画面オフにしても聴けるので便利です。





