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第339回:〈祓い〉から天命成就の根源力「初心」が生まれる。神社参拝の心得。

※ウェブサイト『マジスピ』には音声の文字起こし(読みやすく加筆修正済)があります。

■YouTubeではメモ、資料、スライドなどを映していますが、音声プラットフォームの「ながら聞き」でも十分ご理解いただけると思います。

ウェブサイトでは最下部に音声プレーヤーがあります。倍速再生も可能ですし、YouTubeより通信量も少ないし、スマホを画面オフにしても聴けるので便利です。

■ご感想・ご質問は『アンケートフォーム』からどうぞ
https://x.gd/Mp7Lg

今回の要点と要約文

今回の要点

  • 成熟した人間は、神社で個人的なお願い事はしません。ただし厳格なルールはありません。願い事があるなら、社会貢献など個人を超えた大きさまで広げることです。
  • 個人レベルの願い事を超えるために、「祓い」があります。神社に参拝する意味は、肉体を持って生活する上でまとわりついた「罪穢れ」を、神仏のご加護によって祓い浄めることです。
  • 人間にとって最も大切な願いとは、「初心」に他なりません。初心とは清らかで美しい魂の願い。それを忘れないために、私たちは常日頃から「祓い」を心がける必要があります。

※要点は以下のショート動画でも語っています

今回の要約文

■〈祓い〉から天命成就の根源力「初心」が生まれる。神社参拝の心得

去年は起業10周年を機に、さまざまな媒体で発信するようになりました。

今年もマイペースで活動していきますので、どうぞよろしくお願いいたします。

初詣で願い事をして、元旦に抱負や目標を語ることは多いけれど、実際に実現に向けて実践し続ける人は少ないですね。

3日坊主はよくあることです。

そうなるのは、自分が本当に願っていないことを「願ったフリ」をしているからではないですか?

先週述べた通り「自分以外の何ものかになりたい」衝動に流されているからではないですか?

どんな状況においても決して流されることのない「願い」とは、「今年の目標」なとといった新しい願いではありません。

それはすでに誰もが持っているはずの「初心」です。

私はいつも半分冗談で言うのですが、「夢」も「希望」も「今年の抱負」もありません。

サラリーマン時代、年明けの朝礼で「今年の抱負」を言わされるのがとても苦痛でした。

だって、「今日やるべきことをやる」以外に何もないでしょ?

あと、上司や社長に喜ばれそうなことを言うのもイヤだったし。

けれども、その根底には「初心」があります。

新しい願望を打ち立てるより、初心を忘れないことの方がずっと難しい。

人間のオーラ(波動)は、初心を忘れていくにつれ、だんだん薄汚れてきます。

でも、そうなるとこの世には適応してしまって、生活レベルでは生きやすくなる人もいるので厄介ですけど・・・。

初心を忘れないためには、神道で言う「祓い」、祓い清めることを心がけないといけません。

努力や挑戦が続かない理由は、「意志の弱さ」や「根性」の問題ではありません。

根本的な原因は、初心を忘れてしまうこと以外ない。

「初心」と言葉じゃ簡単に言いますけど、本当は純粋で清らかで、この世のノイズに汚されることのない「魂の原点」なんですよ。

誰もが「美しい初心」を持って生まれてきた。

けれども物質世界を生きるうちに、欲望や比較、そこから生じる不安や焦りによって、その初心の周囲に「罪穢れ」をまとってしまう。

だから、毎日の「祓い」が必要になるわけです。

神社に参拝するのは「祓い」のためです。

手や口を清める所作は単なる形式じゃなくて、初心に立ち返るための祓いだから、心を込めてやらないといけない。

神様に願い事をする前に、まず祓いによって自分自身を清めること。

これが本来の順序です。

特に新年は祓いの良いタイミングなのですが、本当は毎日毎刻です。

私たちは物質的、心理的、精神的なノイズの中にどっぷり囲まれて生きているので、簡単に初心を忘れてしまう。

初心を忘れるのは、魂を失うことぐらい大きなもの。

その初心を思い出すには、過去に「心が大きく震えた瞬間」を振り返ることです。

それはもちろん合格や結婚や何かの達成など「大きな喜びの瞬間」であればOK。

ただ、実は失敗や挫折や喪失など「大きな怒りや哀しみの瞬間」でもいいわけです。

むしろ「不幸」の方が、魂には深く刻まれる。

明るい希望より、本当は哀しみをこそ忘れてはならない。

いずれにしても、初心を保ち続けられるなら、方法は何だっていいですよ。

ただ、「祓い」は自意識では難しい部分があるので、私たち日本人は神社仏閣に参拝して神仏の側から「祓って頂く」わけです。

もちろん祝詞やお経を上げるのは良いです。

せっかく神社仏閣で願い事をするなら、まずは自分の心を祓い、浄め、整えてから行うと、より良い結果が出やすくなる。

もちろん、願い事をするだけじゃなくて、ちゃんと努力をしないといけませんよ。

その根本的な原動力となるのが、「初心を忘れない」ということなんです。

「初心」なんてとても平凡に聞こえるかもしれませんが、いやいや、めちゃくちゃ大事なことなのでぜひ知っておいてください。

要点・要約文を読んで、あとは動画でご覧になりたければ以下からどうぞ。


真の幸福とは「天命」と「好きで得意なこと」が一致すること

今回のタイトルは、

〈天命使命の実現は初心に還る「祓い」から生まれる〉

お正月らしいテーマかと思います。

何回かシリーズで話している成功哲学・自己啓発からはだんだん離れてきましたけど、今回も一応そのシリーズとして話します。

本題に入る前に前回のアップデートとして、前回の文字起こしで新しく加筆修正したことを話しますね。

(※前回の文字起こしと重複するので、この文章では簡潔に記します。詳しくは前回分をご覧ください)


「やりたいこと」「なりたい自分」を求めるなら、まず「やるべきこと」「なるべき自分」にフォーカスした方が良い。

「やるべきこと」とは【天命】を問うところから生まれる。何を為すにもまず基礎的な修練があるから、逃げずにそれと取り組んだ人の方が、結局は「やりたいこと」ができている。

低次元の成功哲学や自己啓発は「エゴのわがまま」を助長するもの。現代の大量消費社会は大衆の欲望の刺激で成り立っている。

志の欠けた人間の願望は「ラクして良い思いをしたい」しかない。だから真の人間として成功したければ、人生の責任と義務(=天命)を自覚し「やるべきこと」を積み重ねていく方が、現実的に有利なポジションを取れるのは間違いない。

運命に対して〈最高度の認識力〉を発揮した姿とは、「目の前のことに全力を尽くせる」態度である。

現在の境遇は「天の采配」および「個人のカルマ」が織りなした世界である。スピリチュアルを学び「すべては必然!」「すべてに感謝!」だと本当に思うなら、目の前のことに全力で当たらなければウソだ。

この態度が確立できている程度によって、「口先だけのスピリチュアルかぶれ」なのかそうじゃないかが分かれる。ただしこれはかなりレベルが高いことなので、もしできていない自覚があるなら頭脳の知識を肚(ハラ)に叩き込む修練をする必要がある。

「運命の認識力」が高くなると、「やるべきこと」と「やりたいこと」が一致してくる。これを霊的には「天人合一」や「神人冥合」と言う。

「自力」と「他力」が核融合する度合いだけ、「真の成功」の人生が立ち上がってくる。これをスピ的には「ワンネス」と言う。ここまで考えると、他のスピ系のように気安く「ワンネス」って言えなくなるだろ?

「人生は自分の思い通りになる」なんて言っている自己啓発かぶれの精神的幼児に、「他力」が味方することは絶対ない。「オマエは自分で何でもできると思っているから、ワシの助けはいらんよな?」という感じ。

カッコつけんじゃねえって。自分でできることは、たかが知れているんだから。

天命を自覚するにつれ、無条件に深い喜びが湧いてくる。天/神/宇宙の「無限の創造エネルギー」とは「無限なる喜び」であるからだ。

その喜びが、地上世界での苦悩と困難を乗り越えさせてくれる力となる。カン違いするな、天命を自覚したとて苦労がなくなるわけじゃない。でも、責任の深さだけ、真の生きがいもまた得られるのだ。

成功哲学や自己啓発が教える「成功のイメージ」の前提に霊感(インスピレーション)が伴わないほど、「エゴの喜び」を脳で思い描くことになる。それでも強烈であれば実現することもあるだろうが、波動の程度は低いものになる。

魂の喜びとは、自分に与えられた「道」に即したものでなければならないが、従来の成功哲学・自己啓発はそこまでは教えてくれない。いや、そもそも教えられるものではなく、自問自答を繰り返して気づくしかないのだ。


以上、前回からのアップデートのダイジェストでした。

2026年・丙午(ひのえうま)の〈鮮烈な波動〉を大過なく生きるヒント

では今回の収録日は元日なので、一年のはじめにお正月における「願い事」について話してみます。

他のスピ系の多くの人が語っていると思いますが、2026年は丙午(ひのえうま)ですね。

「十干十二支」が60年に一度重なる年です。

この年の詳しい説明は他に譲るとして、私は波動を見る人間なので「丙午の波動」をお伝えすると、ものすごく活発的なんです。

この丙午の丙(ひのえ)、これは「火」を意味します。

こう言うと炎がガーッと燃え上がるようなイメージがあるかもしれませんけども、火の赤い感じより、もっと強い光が強く拡散していくようなイメージです。

鮮やかに透徹するような、そんな光の波動です。

※元日に出したショート動画では簡潔に話をしてみました。

今年は良いものも悪いものも、一度「火」がついたら一気に加速する流れですね。

そんな波動の流れにおいてどう過ごすかは、人それぞれです。

例えば、

①去年まで停滞していたと感じている人であれば、気分を一新するには良いタイミングでしょう。

強くて鮮やかな波動ですから、切り替わりやすいんですね。

ただし、強い流れですから、無理してまで新しいことをする必要はないと思います。

普通に過ごしていても、新しいことが起こりやすいからです。

これが、まず一つのパターンですね。

そして、

②これまで志や天命を抱いて力強く歩んでいる人は、これまでの積み重ねによって、もちろん今年は新しいことが起こりやすい。

ですから、これも①と同じなんですが、無理に新しいことをやる必要はなくて、これまでのペースで進んでいけばいいでしょう。

私個人の去年2025年(巳年)は、セオリー通り「脱皮」「変革」の一年でした。

「脱皮」「変革」と言うと聞こえはいいですが、多くのものを手放す想定外の流れが起こり、身が軽くなると同時に孤独感が深まった一年でもあります。

その流れにおいて今年は勢いが加速する可能性が高い分、普段は淡々と仕事や発信を続けていくつもりです。

そんな中、

③思い切って勝負したい、ガンガン仕掛けていきたいという人は、年始のうちに強く決心するといいでしょう。

ただし、この丙午(ひのえうま)は本当に強い流れなので、決めた以上に大変になる可能性もあります。

それも織り込んだ上で、「多少しんどいことがあっても絶対やり切ってやるわ!」という強い気概を持つことですね。

もちろん正解は人それぞれなので、それぞれの状況をもとに、どう過ごしていきたいか決めましょう。

逆に、

④これまでしんどかった、オーバーワークだった、という方は今年は静かに過ごされるといいです。

静かにしようと思っていても、全体としては激しい一年なので、いろいろ起こってしまうかもしれませんが。

神仏には新しい願い事より「初心」を祈る方がよほど大事

これは初詣に限りませんが、神社での願い事における根本にあるのは「祓い」です。

「お祓い」です。

祓いなくして願い事をするのはあまり意味がありません。

神仏に面する前に潔斎し、身魂を浄めるのは本来は当たり前のことですから。

本当の意味で祓いをしないから、多くの人は神社で願い事をしても、その実現への努力が続かないんです。

なぜ祓いが大事かというと、それによって私たちは「初心」を忘れず思い出せるからです。

これに尽きる。

ただし、カタチだけの祓いであれば意味がないですよ。

祓いは、本気でなければならない。

ただ多くの人は「初心」と聞いても、「うん、確かに大事だよね~」とそれほど重く受け止めないでしょう。

「初心、忘るべからず」と聞いても、「ほんとそうッスよね~」ぐらいの受け止め方ではないでしょうか。

・・・それだから、物事が長く続かない。

私はこの仕事で10年以上やってきました。

いま以上に、人にあまり関心を持ってもらえない時期がありました。

ブログを出してもラジオ(YouTube・Podcast)を出しても、いま以上に関心を持ってもらえない時期がありました。

それでも続けてきたのは「初心」を忘れかなかったからです。

いや、忘れかけることはありましたが、何とか踏み留まることができたからです。

この初心とは何かというと、「純粋で、清らかで、美しくて、この世に汚されることのない、魂の原点」なんです。

初心を忘れた人間は、必ずこの世の風潮に流されていきます。

初心を忘れた人間は、必ず自己保身のエゴイズムを優先していきます。

その姿を、この世では「大人になった」などと言う。

そう、それはこの世の罪・穢(ケガ)れに汚染されることを言う。

その罪穢れをクリアにし、本来の魂の原点=初心に立ち戻ることが「祓い」なんです。

神社では参拝の前に手と口を水ですすぐわけですが、本来は全身を浄めます。

もっと言えば、酒や肉を絶ち、場合によっては断食まで行う。

そうしてまで自分の心身を浄め、神に相対するわけです。

私も起業直後は、自分の初心を自分で試すために30日の不食を行いました。

※以下は起業直後ではないですが、不食の体験談です。

実際そこまでガチでやらなくても結構ですが、本来、祓いはそれぐらいのつもりでやるものだと理解しておくことは大事です。

なお、これはよく言われることですが、

「原則として、神社で自分のお願い事はしない」

ということ。

今年の初詣は地元では有名な神社に参拝したのですが、合格祈願の絵馬がいっぱいありました(笑)

まぁそもそも神道には明確な教義がないので、「お願い事はダメ、ゼッタイ。」というわけではない。

どうしても願い事をしたいんだったら、「社会に貢献すること」を大前提に、「実現に努力する決意を誓う」場として参拝してください。

個人的なお願い事は「欲望」であって、決して祈願ではありません。

これはハッキリ認識してください。

だからこそ「社会に貢献すること」を大前提に、思いを欲望から祈願に格上げする必要があります。

その祈願における根本は、今回述べている「初心」なんです。

本当に大切なことは、新しくお願い事をすることより、すでにある初心をさらに深めていくことです。

「初心とは、天に向けられた根源的祈願」のこと。

私個人で言えば、【マジスピ】(真のスピリチュアル)を死ぬまで貫くことが「初心」です。

「仕事の利益」とか「もっと大きな家に住みたい」とか、そういうお願い事はしません。

だって、それは初心が本当に貫けているなら、「結果として与えられるもの」じゃないですか。

実際、私は大きな家には住んでいませんけど、生活できる程度の利益はあるから、10年以上スピリチュアルの仕事を続けられているわけです。

金運アップなんて祈ったことあらへん(笑)ホンマにくだらんわ。

新しくお願い事をするより、初心を忘れないことの方がずっと難しい。

もし新しくお願い事をするとしても、その根底には初心がなければなりません。

こんなことを言っても、新たな欲望や願望の方がエゴにとっては魅力的なんで、多くの人はそちらに流されてしまいがちです。

それだと、「祈願の力」は弱くならざるを得ませんね。

せっかく神社でお願い事をするなら、神様に届くような強い力でやった方がいい。

それには「初心」を常にリマインド・リフレッシュすることが肝要なんです。

初心を思い出すにはどうすればいいのか?

その初心はどうしたら自覚できるか?

それには以下の自問自答を繰り返すことです。

これまであなたは、何に心から怒り、何に心から悲しみましたか?

これまであなたは、何に心から歓喜しましたか?

これまで生きてきた中で、一瞬でも純粋に願ったことは何だったでしょうか?

こういうことは、必ず誰しもあります。

「何も嬉しかったこと、楽しかったことなどない」と思う人は、逆にめちゃめちゃ怒ったこと、めちゃめちゃ悲しかったことなら必ずあるはず。

例えば、とある有名なお医者さん。

その方は学生時代に、親が自死をされたという過去をお持ちです。

その時に、その方は「自分は医者になろう」と思われたそうです。

これはもちろん喜びではなく悲しみが初心を作るきっかけになっています。

だから喜びでも悲しみでも、心が大きく動く何か、心に深く刻まれる何かが初心となります。

あるいは家族であれば、「結婚式の日の喜び」ですね。

神仏に、病めるときも健やかなるときも家族を愛することを誓った、その誓いがウソでなければ初心になります(カタチだけの人が多いかもしれませんが・・・汗)。


私の場合だと、高校生の頃「人は何のために生き、何のために学ぶのか」という疑問を抱いたとき、両親も学校の先生たちも、誰一人として明確な回答を示してはくれなかった。

それどころか「お前何考えとんねん、そんな考えてるヒマあったら勉強せえや」みたいな冷たい態度を示した大人もいました。

このときに抱いた大きな怒りと、深い悲しみ。

これが私の初心になっている。

その怒りと悲しみは、肉体的にはオッサンになった現在もハッキリと思い出すことができる。

魂の領域においては、10代の頃とほとんど何も変わっていない。

いま、私はこのスピリチュアルの仕事を通じて、「人生の意味」や「魂の根源」を、ずっと考え続けています。

あの当時、今の自分みたいな大人がいてくれたら、ずいぶん救われたかもしれない。


さて、あなたの初心は何ですか?

清らかで、美しく、「自分はこれのために生まれてきたんじゃないか?」と思えるような魂の原点は何ですか?

神社でお願い事をするなら、「初心の貫徹」を祈った方が神様には届きやすいですよ。

でも、多くの人は肉体をまとい、大人に成長して社会に揉まれていくうちに、この世の罪穢れ、塵芥(ゴミ)によって初心が曇らされていく。

そもそも、「初心なんて考えたこともない」と思う人もいるかもしれません。

また最初は初心を持って頑張っていても、道半ばで利害の世界に絡め取られていく人もいます。

だからこそ、意識してそれを祓い浄めなければならないわけです。

もし初心を考えたことがなければ、いまできる範囲で自問自答しなければなりません。

実は自問自答して深く反省すること自体、祓いになっているんですよ。

「そもそも自分にとって何が一番大事だったっけ?」と振り返る時間を持つことで、自分の「中心」に戻ることができるからです。

前回も述べた通り、初心は静かな心境の中で感じられてきます。

初心が具体的にわからなくても、例えば誰かにとても大切にしてもらったとか、苦しいときに支えてもらったとか、その「恩」もまた初心に成り得ます。

それはやはり、静かな環境の中で、静かに味わうものです。

その初心は、エゴとは完全に違う、美しいものです。

私でいえば、「(10代の頃にいた)学歴社会とは全く違う、もっと平等で、公平で、美しい世界があるはずだ」という魂の渇望。

これは「もっと良い思いがしたい、もっとお金が欲しい」とは全く違います。

エゴの願望ではなく、他人や社会の幸福を願う。

これを神道では「弥栄」というわけですよね。

みんなのより良い繁栄を願う気持ちです。

元旦、天皇陛下は朝早い時間から、私たち臣民の幸せを八百万の神々に祈願される「四方拝」を行っておられます。

言うなれば、元旦に行われる「四方拝」とは、神道の大神主であられる天皇陛下の「初心」でしょう。

陛下の祈りをいただく私たち臣民もまた、天皇陛下および皇室に対する、深い感謝の念を抱き、そして弥栄を願う。

我らが日本のみならず、世界の真の平和を願う。

その大きな願いの波動が、神仏の波動と同調する。

アタマで合理的に考えても、エゴの願望より弥栄を願った方がいいんですよ。

エゴの願望なんて、波動がちっこくて重たくて、何も良いことなんてないんですから。

せっかく大きな節目となるお正月ですから、たとえ三日坊主で終わるとしても(笑)大きな願いを持った方がいいですよ。

本当はこういう節目は「初心」を改めて固める機会にするのが一番良い。

私も「人は何のために学び、何のために生きるのか?」という10代の頃に抱いた疑問を改めて思い出し、この2026年も淡々と淡々と歩んでいきたいと思います。

今回は「天命使命の実現は初心に還る祓いから生まれる」という話でした。

改めて、今回の要点

  • 成熟した人間は、神社で個人的なお願い事はしません。ただし厳格なルールはありません。願い事があるなら、社会貢献など個人を超えた大きさまで広げることです。
  • 個人レベルの願い事を超えるために、「祓い」があります。神社に参拝する意味は、肉体を持って生活する上でまとわりついた「罪穢れ」を、神仏のご加護によって祓い浄めることです。
  • 人間にとって最も大切な願いとは、「初心」に他なりません。初心とは清らかで美しい魂の願い。それを忘れないために、私たちは常日頃から「祓い」を心がける必要があります。

なお、YouTube(Podcast)は今回の文字起こし編集でカットした部分があります。

今回も動画と文字起こしは少し内容が変わります。

なので動画(または音声)もご視聴いただけると、より理解が深まるかと思います。

※この下に「音声プレーヤー」があります。倍速再生も可能ですし、YouTubeより通信量も少ないし、スマホを画面オフにしても聴けるので便利です。

マジスピラジオ:脱・お花畑の「真のスピリチュアル実践」
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第339回:〈祓い〉から天命成就の根源力「初心」が生まれる。神社参拝の心得。
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