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第319回「お詫びと感謝」が深いほど、あなたの波動は高まる(『波動の法則』入門4)

※ウェブサイト『マジスピ』には音声の文字起こし(読みやすく加筆修正済)があります。

■今回は以下のブログを違う角度から語り直しました(https://prism-life.com/the_law_of_undulation_04/

■YouTubeではメモ、資料、スライドなどを映していますが、音声プラットフォームの「ながら聞き」でも十分ご理解いただけると思います。

ウェブサイトでは最下部に音声プレーヤーがあります。倍速再生も可能ですし、YouTubeより通信量も少ないし、スマホを画面オフにしても聴けるので便利です。

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https://x.gd/Mp7Lg

ここから下は編集中です。まだ「一部に誤字脱字のある、ざっくり文字起こしの段階」をご理解の上で読んでください。配信日から1週間以内に加筆修正して読みやすい文章にしますので、待てる方は少しお待ちください。

感謝とお詫びは魂を成長させる学び

タイトル案

深いお詫びと感謝で波動を高める実践法と気づきの力

波動の法則が教えるお詫びと感謝の本質と決心の重要性

お詫びと感謝でエゴを超える波動の法則実践と学び

今回の文字起こしの要点

  • お詫びと感謝の波動は、エゴの振動波を打ち消し、魂の成長を促す重要な実践である。
  • トラブルや災難は学びの機会であり、感謝とお詫びをもって受け止めることで現象は消えていく。
  • 素直に謝る姿勢は霊的にもコスパが高く、プライドやエゴを手放す決心が波動向上の鍵となる。
  • 感謝は理屈ではなく感性で捉え、エゴの文化圏においても実践を続けることが魂の波動を高める道である。

今回も波動の法則の解説ですね。
今回で4回目になります。

話していきます。
タイトルは「深いお詫びと感謝が実践できたら波動の法則に乗れている証拠」。
もう今日は、このタイトルがすべてですね。

これ以上話す必要はないのかもしれませんけれども、今日はこのことについて繰り返し話をしていきたいと思います。

ただ、この「感謝」というのは、特にスピリチュアル系ではよく言われることですよね。
けれども、これもいつも言っているとおり、似て非なるものです。

ですので、最近よく話している「知識ではない、理解ではない、気づきである、直観である」ということを踏まえて、新鮮な気持ちで受け止めていただければと思っています。
これはもちろん、私自身にも当てはまります。

お詫びと感謝。
これは別に波動の法則を持ち出さなくても大切なことなんですけれども、今回これを解説するにあたって、波動の法則シリーズの本をいくつか改めてすべて読み直しました。

読めば読むほど、さすが名著ということもあって、新鮮な気分になるわけですね。
こういった話には、飽きは絶対に来ません。

その中でもやはり「お詫び」と「感謝」というのが、キーワードのように語られているのです。
では、その前提にあるものは何かというと、それは「学び」です。

今日お話しすることは、他でもよく言われていることなので、あまり新鮮には聞こえないかもしれません。
本を読めば新鮮に響くのですが、一般的に語るとなると、「感謝の大切さ」は誰でも一応、頭ではわかっていますよね。

間違ったことをしたらお詫びをする、謝罪をする。
これも常識的でごく当たり前のことです。

ですから、それが波動の法則において大事なことだと言われたところで、「まあそりゃそうだ」と終わってしまうと思います。

しかし、波動の法則的に言えば、よく言っている「エゴ」、つまりエゴの波動・エゴの振動波とは、肉体を本位とした自己中心的な感情のことです。
一方で、お詫びと感謝の波動というのは、このエゴの波動を打ち消すものなのです。

私は、お名前だけや言葉からその波動を見るのが得意ですので、感謝の波動がとても良いものであることはわかります。
別に言う必要はないのですが、本当に素晴らしい波動です。

ちなみに、これは波動の法則や一連シリーズの本には書かれていませんが、感謝というのは宇宙語では「カムシャ」と言うそうです。
これは他の関連本にも書かれていませんが、別のところで教えていただきました。

感謝と言うんですって。
だから、やっぱり「サンキュー」とは波動が違います。
英語の「サンキュー」の波動よりも、この「感謝」、そして感謝の波動の方が良いのです。

心の底からお詫びをするということは、感謝の波動と等しいわけです。
心からお詫びをするというのは、自分の非を認めるということ。

自分が今まで非があった、至らなかったと。
昔の日本語で言えば「我が不得のいたすところであった」、つまり得がないということです。

この時、学んでいるわけですよね。
そういった気づきがなければ、自分は至らなかったという反省もできません。

そこで初めて、自分が周りから支えられていたことや、周りが我慢してくれていたことに気づくわけです。
だから、お詫びと感謝はセットなのです。

これを口先だけでなく、どれくらい深いレベルで実践できているかが大事です。

これは以前の配信回でも話しましたが、「ありがとう」など良い言葉を使っているにも関わらず、波動・オーラが重たい人は割といます。
「ありがとう」「感謝」「嬉しい」「楽しい」など言葉だけは立派でも、実際の波動は重たい。

さらに難しい場合だと、オーラにもいろいろな層がありますので、外側の層は綺麗でも、内側に入っていくと重たい波動を持っていることもあります。

これが、この1年シリーズでも言っている「分かったつもり」です。
つまり知識や理解だけになっているということです。

ですから、本当にできているかどうかを、こういったことをきっかけに深く振り返ることがとても大事です。

また、以前にも話しましたが、「ありがとうと言っているとありがたいことが起きる」と書かれています。
これを上っ面で捉えると厄介です。

つまり、そこに打算がある。
「ありがとうと言えばありがたいことが起きる」という計算です。
自分が得をするから「ありがとう」と言う、これは動機がエゴです。
エゴの振動波なのです。

波動の法則を学んでいると、いかに「言の葉」(言葉の意味)が断片的であるかがわかります。
「ありがとう」と言えば良いことのように感じても、その言葉をどの次元で発しているかが大事なのです。

ですから、スピリチュアルの初歩の初歩では「とにかく形だけでもいいから良い言葉、プラスの言葉を口にしなさい」と言われます。

ただ、それは本当に初歩の段階。
究極的には、言葉に出さなくても、心の深いレベルでそれを持っていれば、それは言霊です。

整理すると、スピリチュアル業界では「ありがとうという言霊を口にしましょう」と言われます。
これはお経もそう、祝詞もそう、マントラとも言います。
しかし、それだけでは本当の言霊ではありません。

大事なのは「何を語るか」ではなく「誰が語るか」です。
ですから、別に言葉にしなくても、その深いレベルで本気で持っていれば、それは深く高いバイブレーションとなります。

難しいのは、エゴの振動波・エゴの波動が中心になっている私たちです。
この地球は波動の法則で言えばエゴの文化圏ですから、言葉で満足しやすいのです。
これは注意点です。

言い換えると、頭の理解だけで「もう分かった」と思い、分かったつもりになってしまうという脆弱さ。
エゴゆえの脆弱さです。

私のように多少知識を仕入れる知的好奇心のある人間は、頭で理解したことをこうして話したり、YouTubeで映像にして言葉や文章にしたりします。
これで、これは自戒を込めていますが、つい「分かった気」になってしまう。
これが、エゴにおいて最も気をつけなければならない点です。

そして、その中で私たちの本来の魂、宇宙語でいうところの「エクサピーコ」の目的があるのです。

それは、前回の「決心」の話をしたときにも言いましたけれども、自然の仕組みにかなって愛と調和の方向に実行していく。
それによって魂、エクサピーコの数を増やし、学んでいくということですね。

トラブルや災難を学びに変える波動の視点

ですから、この波動の法則的には、そしてこれは他でも言われますが、何かトラブルや災難、これは病気もそうですね、それらはすべて学びなんだと。

古い宗教的な言い方をすると、これはカルマです。
私はこれはまたどこかで話そうと思っていますが、カルマという言葉には少し古さを感じています。

これを言うと「えっ」と思う方もいるかもしれませんが、いわゆる過去世で積み重ねてきた悪い行為、それがカルマとなって現世のトラブルや病気、災難、事故などを生む。
これが古典的なカルマ論・因果論です。

しかし、個人的には少し古い気がしています。
そうではなくて、それがカルマであろうが過去世の因縁であろうが、祖先の悪因縁であろうが、結局は自分自身の波動にそれが共鳴しているわけですよね。

これが波動の法則です。
「類は友を呼ぶ」と言いますよね。
自分の波動が共鳴して、そのトラブルなり厄介なことが起こっている。

けれども、それは学びなのです。
どんなに理不尽でも。

だから、それを学びと受け止めて、「この出来事を引き起こしたのは自分の未熟さ故である」と気づくことが大事です。

知識ではない、理解ではない、本当に気づく。
「申し訳なかった。でも気づかせていただきました」と。

そういった言葉だけではなく、心からの感謝とお詫び、その振動波・波動を出すことができれば、その学びをする必要はなくなります。
すると、その現象は消えていく。

カルマという言葉は、人を脅かすために使われることもあります。
これも以前どこかで話しましたし、ショート動画でも出したかもしれません。

「カルマがどうのこうの」と言って人を怖がらせたり脅したりする。
そういう古い感じがするんですね。

だから、生きていれば大変なことはあります。
しかし、それらすべてを学びとして素直に謙虚に受け止めること。

これができないと、この波動の法則のエッセンスが理解できません。

ここにも書かれていますが、「全てはメッセージである」ということ。
けれど、そのメッセージをちゃんと受け止められない場合があります。

例えば、不平不満を募らせたり、「理不尽だ、あり得ない」と思ったり、「なんで自分だけが」と被害者意識を持ったりする。
それで無視したり、なかったことにしたり、真正面から受け止めなかったりする。

そうすると、そのメッセージはさらにきつくなるんですね。

これはわかりやすい例で言えば、今ちょうど夏休み中なので、夏休みの宿題の話が近いです。
宿題をちゃんとやらなければ怒られますよね。

8月の末になってくると、私もそうでしたけど、「やばい」と思うじゃないですか。
「やばいやばい」と思いながら逃げて、9月になってもやらない。

ギリギリまで逃げ続けると、だんだんきつくなりますよね。
親にも怒られるかもしれないし、先生にも怒られるでしょう。
そしてどんどんきつくなる。

あるいは借金もそうです。
逃げれば逃げるほど金利が積み重なっていく。

税金であれば延滞料、重加算税などもかかります。
確定申告を誤魔化したり、やらなかったりすると…。

私の知り合いにも、個人事業で確定申告をしていない人がいますが、「大丈夫かな、いつか必ず何かあるだろうな」と思います。

これと同じで、逃げているとメッセージはきつくなってくる。
そこで気づけるかどうか。

今の例はわかりやすいですが、「頑張っている割にうまくいかない」とか、最近の私のように「身体症状が続く」ということでもあります。
胃が痛い、口内炎がずっとある…。

こういった些細なことでもメッセージがあります。
ただし、それは公式のような答えがあるわけではありません。

気づきというのは自分の直観です。
たとえ周りが違うと思っていても、自分の直観として「この痛みはこういうことを教えてくれているのだろう」と思えるかどうか。

あるいは、「この人生の困難やトラブルは、こういうことを教えてくれているのだろうな」と受け止めること。
逃げずに、感謝とお詫びとともに真正面から取り組んでいく。

そうすれば、普通はやがてそれは消えていきます。

ただ、こういった話をすると、簡単に受け取ってしまう人もいます。

謝らない人って、世の中にいますよね。
私は半分皮肉で「謝ったら死ぬ病気」と呼んでいますが、政治家や芸能人の中にも明らかに悪いのに謝らない人がいます。

これは政治家や芸能人に限りません。
会社の中にもいますよね。

どう考えても自分が悪いのに、絶対に謝らない人。
大人でも、いやむしろ大人の方が多いかもしれません。

絶対に非を認めない。
だから、私は皮肉って「謝ったら死ぬ病気」と言っています。

こういった素直じゃない頑固な人は大変です。
波動の法則で言えば、メッセージがどんどんきつくなっていくからです。

霊的な視点で言えば、「間違った」と思ったらすぐに謝るのが最もコスパがいい。
これはいつも言っています。

早く謝れば、それが一番ダメージが少ない。
「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」と言いますが、お詫びも同じです。

早く謝った方が楽です。
しかし、プライドというのはエゴ。
まさにエゴの振動波です。

エゴの振動波が高いと、なかなか謝れません。
自尊心やちっぽけなプライドで謝れない。

それこそ最強にコスパが悪いんです。

だから私はいつも、「ちゃんと計算しろ」と言っています。
エゴの計算ではなく、霊的・スピリチュアル的な尺度で計算して、とっとと謝って改善する。

そして、「勉強になりました。この度は気づかせていただきましてありがとうございます」と言って、早く上へ行った方がいい。

その方が良いに決まっていますよね。

こういった話を聞けば「そうだ」と思うでしょうが、なかなかできません。
プライドがあればあるほど。

だから、波動の法則の足立育朗所長はいつも「素直に謙虚に」と言って、道徳的なことをおっしゃいます。

でも、本当に大事なんです。
道徳というのは、人間が最低限守るべきルールだと思いますが、それは形だけお詫びをするふりをしたり、感謝っぽいポーズをアピールすることではありません。
本当にそうなのです。

屈を超えた感謝がもたらす波動の向上

だから、そうするとですね、このエゴの文化・エゴの波動の中にどっぷり浸かっていて、さらにそれを「お詫び」と「感謝」でずっとやるというのは、もう滝に打たれたり、断食したり…。
私も過去にその真似事をやったことはありますけれども、それ以上の修行じゃないかなと思いますね。

なかなか大変なんですよ。
魂にとっては、この地球の物質世界は「アウェー」です。

だって、この世界は楽じゃない。
しかも、目に見えないからわかりにくいですが、エゴの波動が渦巻いているわけです。

この地球の世界を本当に視覚的に見ると、黒い雲に覆われているようなものです。
私のように少し変わった感覚を持っている人が見ると、本当にドス黒いんですよ、この世界は。

だから、その中で「感謝は光だ」なんて言いますけれども、この薄暗くて汚れた世界で、本当に大人として感謝に生きるというのは、それだけで立派なことです。
下手な修行をするより、よっぽど価値があると思いますね。

人間の頭、理性で考えれば、「理不尽」というのは理性を尽くしても理解できない、という意味ですよね。
けれども、波動の法則という、人間のエゴの次元を超えたもっと高い次元で考えれば、この世界に起こる現象で理不尽なことはない。
神の目線から見れば、すべてが合理的であるということです。

これは、まずは知識として知るしかありません。
その上で実践ですね。

これが前回話した「決心」になるわけです。
難しいですよ。

どんな理不尽なことがあっても、それをお詫びと感謝で受け止めていくというのは、本当に大変です。

普段、カウンセリングで本当に気の毒なご相談もいただきますから、無理やり感謝するというのは難しい。
けれども、これはもう、いつも最近ずっと言っていることですが、「気づくしかない」。

とっても不親切なアドバイスになってしまうのですが…。

いろいろとカウンセリングでも、説得やアドバイス、助言といったものはありますが、これらは役に立たないと言われます。
これは普通の心理カウンセリングの理論です。
スピリチュアルカウンセリングではなく。

だから、気づくしかないのです。
自分の内側深く――そこに「沈潜(ちんせん)」と言いますが――自分の内側深くにぐっと入っていって、外には答えはない。
自分の内側で深く考え、内側から答えを出すしかない。

これを、気づきと波動の法則では言っているわけです。

足立所長もよく講演会で「スタディー、スタディー」とおっしゃいます。
すべてはスタディーであるという人生観、世界観。

まずは学びとして受け止めるということ。
これも「決心」です。

だから、決心というのは、今の現状の自分を超えていこうとする決意だと思います。
自分の現状のエゴの振動波、それを超えていく。

つまり、決心をすると――前回も言ったとおり、宇宙語で「エクサピーコ」と呼ばれる魂――その受信と発信の量が増える。
つまり、視野が広がるわけです。

だから、決心をすることで、これまで理不尽だと思って不平不満ばかりだったことも、「いや、違う。これは自分に必要があって起こっている」と思えるようになる。

これは頭で理解していてもなかなか難しいので、決心する。
そこに自分より高い波動に飛び込んでいくということです。

けれどもね、お詫びをする、「申し訳なかった」という時は、心が痛いですよね。
やっぱり苦痛は生じます。

だから、自分の非を認める、自分が未熟で得がなかったと認めるのは、エゴの振動波にとってはきついことです。

だからこそ、それを超えていこうと、一時の恥だと思ってでも、それを繰り返していく。

そうすれば、このエゴにどっぷり浸かった地球世界においても、なお自分の振動波・波動を高めていくことができるのです。

そして、それができないと、どんどんメッセージはきつくなる。
気づくまでですよ。
気づくまで宇宙はサポートしてくれます。

守護霊とか守護神とか、そういった言葉もありますよね。
それは、目に見えるものから見えない世界まで、私たちはサポートしていただいているということです。

だから、こういったことを学び、決心し、そしてお詫びと感謝、その実践をしていく。

ちょっと宣伝になりますけれども、私がやっているオーラリーディングというメニューがあります。
これは、その人の人生に対する感謝度、運命に対する感謝度を見ています。

多分、直感的におわかりいただけると思いますが、やっぱり感謝の深い人のオーラは綺麗です。
これは言わなくてもわかるでしょう。

ですから、やっぱりその理由や理屈は抜きにして、感謝できるというのは大きい。

なぜ理屈抜きかというと、所詮そんなものは頭で考えたところでわからないからです。

だから、頭の良い人が――これは前々回か3回前くらいに話しましたが――優秀なのに波動が低いことがある。
そのテーマで話しましたけれども、ある意味ではバカになってもいい。

言葉は悪いですが、アホとかバカな人の方が実は波動が高いことはよくあります。

ですから、この感謝というのも、下手に理屈っぽいと余計にわからなくなります。

だから、とにかく直観や感性で考えて、お詫びと感謝に生きるという決心をする。

これは、決心しないとできません。
決心しなければ、すぐにエゴの振動波・エゴの波動に絡め取られてしまいます。

ですので、これは私もそうですが、もちろん私も実践していこうと思っています。

ぜひ、この感謝とお詫び――言葉だけで聞けば当たり前のことですが――これを大切にして、波動の法則の実践をやっていこうというお話をさせていただきました。

では、今回は以上です。
ありがとうございます。

改めて、今回の文字起こしの要点

  • 上の文字起こしはまだ編集中です
  • ここまでの文章は誤字脱字を含む「ざっくり文字起こし」の段階です
  • 1週間以内に完成させます
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なお、YouTube(Podcast)は今回の文字起こし編集でカットした部分もあります。

なのでこちらも聞いていただけると、より理解が深まります。

※この下に「音声プレーヤー」があります。倍速再生も可能ですし、YouTubeより通信量も少ないし、スマホを画面オフにしても聴けるので便利です。

マジスピラジオ:脱・お花畑の「真のスピリチュアル」を追窮します
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