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第332回:利他の力―カルマ・煩悩を消す最高の実践『ダライ・ラマの仏教入門』より

※ウェブサイト『マジスピ』には音声の文字起こし(読みやすく加筆修正済)があります。

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※今回使った資料は以下からダウンロードできます
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ここから下は編集中です。まだ「一部に誤字脱字のある、ざっくり文字起こしの段階」をご理解の上で読んでください。配信日から1週間以内に加筆修正して読みやすい文章にしますので、待てる方は少しお待ちください。

今回の要点と要約文

今回の要点

ダライ・ラマ仏教入門に学ぶ「利他の力」と煩悩解消の実践

利他行・瞑想・戒律で煩悩を超える仏教的生き方とは

苦しみを超える智慧と利他の実践|ダライ・ラマ仏教解説

  • 仏教では苦しみの原因を「心の働きと固定化」に見出し、縁起と無常の理解を通じて実態のない自我を見つめ直す。
  • 過去世からの煩悩・業を前提にしつつ、戒律・瞑想・布施を中心に本能の積み上げを止め、潜在レベルで解消していく。
  • 利他行は道徳ではなく「人生戦略」であり、大いなる命との接続を通じて功徳・オーラ・幸福の質を高める働きがある。
  • たとえ苦しみが生じても、業が消えていくプロセスと理解すれば心は平安へ向かい、本当の幸せに近づいていく。
今回の要約文

■利他の力―カルマ・煩悩を消す最高の実践■

先週に続き『ダライ・ラマの仏教入門』を取り上げます。

人生の苦しみは外側の出来事ではなく、自分の心が作り出しているというのがお釈迦様が述べた「人生は苦なり」の意味です。

アタマで理解することはなかなか難しいのですけど、本来は実体がないものを「実体がある」とみなす【無知】によって、苦しみが生じるわけです。

仏教で言う「縁起」とは、関係性のこと。

言い換えれば、すべてのものは「原因と条件の関係の上に成り立つ」ということ。

今回は親子関係の葛藤が具体的なテーマになっていますが、親子関係もまた「生まれる時代」「生まれる家庭」という原因と条件(=縁起)の上で成り立っていますね。

縁起は絶えず変化していきます。

今は攻撃的な親も老化によってトーンダウンしていき、やがては地上から去ってゆく。

その変化変転を仏教では「無常」と呼ぶわけですが、無常であるがゆえに「実体」はないわけですよ。

もっと根本的なことを言いましょう。

「私」は確かにここに存在しているけど、その「私」の根拠を問うていくと、実は「実体としては存在しない」ということになってしまう。

ここ、わかりますか?

普段の五感の意識じゃ絶対にわからないから、わからなければとりあえず保留にして、学び続けてくださいね。

これは般若心経のいう「空」の世界なので、掴み取るには継続した学びと瞑想が必要になってきます。

ダライ・ラマはチベット仏教の方なので、煩悩による苦悩は「過去世」も視野に入れています。

法王は「過去世から積み上げてきた膨大な煩悩によって私たちは苦しむのだから、今こそ煩悩を消滅させるべく仏教を学び、利他の人生に生きなきゃいけない」と言います。

その実践として、戒律、瞑想、利他行があります。

もう少し広げれば、先週も述べた六波羅蜜(ろくはらみつ)ですね。

長い瞑想の修練によって、智慧が深まっていく。

智慧が深まるほど、煩悩は自然に解消されていきます。

瞑想と同じく重要なのが「利他行」(布施)です。

これは単なる道徳ではありません。

自分以外の生命のために奉仕することは、宗教的・哲学的には自分を超えた「大いなる生命」につながる行いです。

実際に貢献の人生に生きる人は、私が観ていてもオーラはキレイで大きい。

その清らかな波動が煩悩を浄化していくわけですから、単なる道徳じゃなくて真の幸せを得る人生戦略と言っていいでしょう。

ただし「布施」はカルト宗教が利用すると「お布施の強要」になってしまうため、旧統一教会の事件からわかる通り、そこは気をつけなければなりません。

金銭だけでなく、笑顔や優しい言葉をかけることも立派な布施であり、これだけでも煩悩の積み上げを止める実践になるので、難しくはないです。

そうやって常に心がけていても、人生には不幸や災難が降りかかることがあります。

仏教ではそれを、「過去世から積み上げた業」が表に現れて消えていくプロセスと捉えます。

「これでまた膿が出たんだな」と受け止められたら、苦しみの中にも感謝と忍耐が生まれます。

そもそも「過去世なんかあるのか?」という疑問もあるでしょうが、ダライ・ラマ法王はじめ、立派なスピリチュアルマスターは異口同音にそのことを言うので、私たち凡人は素直に信じていいのではないでしょうか。

もちろん盲目的に信じることなく、理性でよく疑って見極めていくことが大事ですね。

私は『過去世リーディング』なんてのも仕事でやっているので、過去世の存在は否定できないですね。

五感だけの世界からすれば不思議なことですが、きっと意識にはさまざまな領域があるのだと思います。

要点・要約文を読んで、あとは動画でご覧になりたければ以下からどうぞ。


苦しみの正体と「心が作り出す世界」の理解

今回も前回に続きまして、ダライ・ラマの仏教入門という本を取り上げて解説します。

タイトルは利他の力です。

人のために行いをする、その利他、その力というテーマなんですね。

これはカルマや本能、それを消す最高の実践であると、そういった立て付けなんです。

この利他というものには、ものすごい、くどく、まあ良い行いですね、その徳の力があるということなんですね。

せっかくこうした学びをされているのであれば、はっきりと自覚しておきたいわけです。

もちろん、こういうことを知らなくても素直に実践するというのは、ある意味では一番強いんですけどね。

ただ、現代教育を受けている私たちは、やはりそれなりにちゃんと論理的に勉強して、それを実践にしていくということが無難な道かと思いますので、今回もその参考になればと思います。

以上ですね、先週は要点だけざっくりだったので、もうちょっと解説が必要かなと思ったんですね。

それで今回のこのダライ・ラマの仏教入門、先週からさらにもう一回読んで、付箋もよりびっしりと付けましたけども、あくまで一部ではありますけども、そのエッセンス的なことを話そうと思っています。

よければ最後までお付き合いください。

というわけで、まずお釈迦様は人生とは苦であるとおっしゃったわけなんですね。

それだけで終わると苦しいだけの人生なので、それを滅する、苦をなくす、その実践を説かれたわけですよね。

いずれにしても、その苦というのは自分の心が作り出しているというのは、誰も異論はないと思いますね。

前回はこの母親と子どもとの葛藤のお話でしたね。

そこで母親が自分にいろんな暴言を吐くと、それが苦しみになっているわけだけども、それもまた自分の心が作り出している。

もちろん、そういった暴言を吐く相手がいなければ、その苦しみもないわけですけども、根本的には自分の心が作っているというところから出発しないと、これを克服していくのは難しいということなんですね。

ですから、本質的に外側に起こってくる現象とか人間関係とかですね、あるいはこれは病気もそうかもしれませんね。

前回はヒーリングについて話しましたので、病気もそうなんです。

体は病んでも心までは病まないということが大事なわけですね。

ですから、現象というのはいずれにしても幸福や不幸を左右しない。

全部、自分の心次第であると。

これはよく言われることですけどね。

じゃあ、それをどうやってするのかという話なんです。

ここで前回は言いませんでしたが、ダライ・ラマ法が所属されているチベット仏教の中でも、ゲルク派という流派らしいんですね。

いろんな派閥、流派があるらしいんですけども、このゲルク派という派は、過去世から積み上げてきたこの積み穢れ、悪、これを仏教的には業というわけですけども、これも視野に入れるわけです。

ですから、過去世があるのかないのかというのは、よくこのマジスピラジオでもやっておりますけども、ここではあるという立場なんですね。

で、私も過去世リーディングなんてやっていますから、やっぱりあるという立場なんです。

もちろん科学的には証明できませんけれども、過去世ということも想定しなければ、この現世(根性)では人間は平等ではないわけですよね。

いろんな条件があって、この世的に有利な人、不利な人がいるわけですね。

生まれつき体格が良かったり、病弱だったり、いろいろ不平等なわけですよね、現実はね。

まあ、それもまた過去世からの何らかの因縁というのがあるのかもしれないという立場に、一度立ってみてですね、それを自分の頭で考えて違うと思ったら否定すればいいし、確かにそうだなと理性的にも納得するのであれば、それを受け入れていけばいいということなんですね。

ここでは別にこれが絶対正しいということはありません。

で、前回難しかったのは、この縁起ですね。

これは難しいんですね。

前回はめっちゃ簡単に言うと「関係性ですよ」と言いましたけども、これもいろんなレベルの縁起があります。

この本の中では、主に三つのレベルの縁起を取り上げていましたね。

これも興味があれば、さらに読んでいくといいと思いますけども、関係性というのは言い換えると原因と条件ということなんです。

これはいいですよね、原因と条件です。

縁起、この関係性というのは原因と条件によって生じる。

前回の話でいけば、母親と子ども、親と子、これが原因であり条件ですよね。

この家庭で、この時代に生まれたという、その原因があって、そしてこの家庭の中に生まれたという条件がありますよね。

それによって親子関係という因縁が生じるわけです。

これを縁起というわけですね。

これはOKですよね。

で、原因と条件、つまりこの関係性ですね、この因果関係というのは常に変化していくわけです。

例えば前回の例が親子関係でしたけども、気が強い親も病気になったり、あるいは年老いていったらパワーバランスは変わりますよね。

まだ生まれたての赤ちゃんの時は圧倒的な無力です。

それが中学校、高校となって、だいぶ生意気になってくるわけですよ。

そうすると、そこに対立が生まれてくる。

これは反抗期ですね。

これも常に因果関係が変化していますよね。

さらに肉体を捨てて旅立っていくということもあるわけじゃないですか。

こうやって常に関係性というのは変わっていくわけです。

で、常に変化してやまないものを、仏教的には無常というわけですね。

常に移り変わっていく。

であるがゆえに、そこに実態はない。

固定化されたこの実態はないわけです。

なぜなら、常に変化していくからなんですね。

これが前回の難しい部分で、今回もそうなんですね。

ここを本当にわかるかどうかというのが非常にポイントなので、これ一回聞いたぐらいではね、動画や音声を一回聞いたぐらいじゃ多分わからないんです。

だからご自身で勉強を続けるしかないんですね。

そして後でも言いますけども、瞑想に収縮する。

別にこれ、このマジスピラジオでもたびたび言っている祈りでもいいんですよ。

ただし、本気ならばという大前提ですけどね。

祈りでもいいんです、それは。

で、この実態を持たない無常というものに対して、その固定化する。

この人は悪いやつだとか、この人はいいやつだとか。

で、前回も言いましたけども、「私」という実態、これもないわけです。

これも理解がなかなか難しいと思いますけども。

つまり、前回の補足で言うと、これが私である、これが林秋広である、というんですね。

その観念は絶対確実にありますよね。

これは、いつも林秋広ですと。

この観念、思いとしては存在している。

けれども、この林秋広という実態はないわけです。

わかりますか。

ここがわかるかどうかですよ。

これが私ということは言えますか。

これは私の体ですね。

今喋っているのは私の行為ですね。

じゃあ、私はどこにいるんですかという、これが前回の問いですね。

私というのは確実に存在しているが、実態としては存在していない。

で、実態としては存在していないが、ここに肉体として物として存在しているよね、ということにしているわけです。

仮にそうしているわけです。

いいですか。

ここがわかるかどうかがポイントです。

で、これをこのダライ・ラマの仏教入門では、仮説と書いて「結説」という表現をします。

仮設住宅の仮設。

普通には仮説と言いますけれども、この仏教的には「けせつ」と表現します。

この私という存在は、私の意識によって結説された存在である。

つまり実態はないということなんですね。

はい。

さあ、これが前回言った空ということですよ。

これがわかるには相当勉強して、学び続けていくしかないんですね。

初めて聞くと意味わかんないと思います、これは。

だって私たちはこの五感の感覚でもって認識し、この世界を捉えているわけですよね。

ところが般若心経もそうだけども、そういうのは一切ないんだと。

一切皆空、すべては空であると言っているわけですよね。

実態はないわけです。

だからこの人が悪いやつだ、この人から傷つけられていると、この人が悪人だと。

この人が悪い奴だと、だって実態化して決めつけるわけでしょ。

私たちの観念でね。

いいとか悪いとかラベリングして、そして私とその他者を線引きするわけですね。

線引きをするというのは、これは固定化です。

私とあなたという言葉によって世界を分けるわけです。

いいですか。

これが固定化のプロセスなんですね。

そうやって実態が本来ないものを固定化しているんです。

しかし、これは無知なんです。

しかも生まれつきの無知だと。

しょうがないんです、これは。

ちゃんとまだ学んでなければ、生まれつきの無知。

それによって固定化して、あらゆる欲望と苦しみが生まれてくるわけです。

これを逆から言うと、喜びも生まれるんですよ。

これは別に、だから苦しいことだけじゃないんです。

けど、たとえば美味しいものを食べていても、最初美味しいけども食べ過ぎると苦しみに変わるわけですよね。

たとえば恋愛で、最初の方は楽しいに決まっているんでしょうけども、だんだんそれが飽きてきたり、いろんな葛藤が生じてくるわけですよね。

だから楽しいことも、さっき言った縁起ですね。

因果関係が変わることによって、これは苦しみに変わっていくわけです。

いいですか。

だから何事も固定化はできないということ。

それを、この本の主に前半ですね、いろんな言葉でおっしゃっているんだが、この本が前回も言いましたが「入門」と書いてあるわりに結構難しいんですよ。

だから今日聞いて、「ちょっと何というかわからない」という方は、とりあえず保留にしていただいて、慌てないで一つ一つ学んでいきましょうという話なんですけども。

そしてこの縁起ということを考えたときに、人生とは幻に近い何かであるということなんですね。

まあ映画みたいなもんと言ってもいいかな。

映画の世界にどっぷり入り込んでいると、それがリアルに感じるわけだけども、実はそれはスクリーンに映し出された光の集合体なわけですね。

この辺がその実相、本当の姿ということですね。

けど、スクリーンに映し出された像ですね、そこに入り込んで「これが正解だ」と五感で認識することによって、入り込んでしまうわけですね。

これを言わばリアルな幻想というわけですけども、その中で私たちの喜怒哀楽、そして祝福という人生のドラマが生じるということなんですね。

まずはこれが、仏教でいうところの正見、正しく見ると書いて正見というわけですね。

まあこれだけでも相当学びを深めていかないといけないんですね。

だから慌てないでひとつひとつ学んでいきましょうという話です。

もし、こういう正見、正しい見方ですね、それがちゃんとできたとしても、過去世から積み上げたその本能ですね。

本能の潜在力。

この本では、本能が積み重なっていくことを潜在力と言っています。

過去世から積み上げてしまった膨大な本能。

それによって、この現世ではどうしても苦しみが出てきてしまう。

人に暴力を振るいたくないのに、カーッとなってついつい暴力を振るってしまう。

よくありますよね。

寄せばいいのに、どうにも止まらない。

これが欲ですよ。

業というやつです。

それによって今生では苦しみが生じてしまうということなんですね。

だから前回の最後に言ったこの解脱っていうのは、まずはこの本能の積み上げを止めるということなんですね。

そして、その潜在している本能、これを解消するということ。

この二つの方向性があって、その積み重ねの上にこの解脱というのがあるわけです。

そのための実践なんですね。

前回ちょっと六波羅蜜っていうのを最後に言いましたけども、そこをもうちょっと今日は補足をしたいと思うんですが、その実践としてはまず戒律ですね。

戒律、例えば殴ってはいけないとか、傷つけてはいけないとか、殺しはいけないとか、多くを貪ってはいけないとか、情欲・性欲を暴走させるなとか、いろいろありますよね。

これは言えば生活習慣ですよね。

戒律は、ですから、すごく簡単に言えば食事と睡眠と運動ですね。

どうしたって健康がよろしくないとイライラしがちですよね、それは。

戒律っていうのは、そういった意味なんですよ。

ちゃんと生活を整えることによって、その本能が悪さをしないように抑える環境を作るということですね。

だからお寺とかでも掃除を毎日やりますけども、お掃除もそうですね。

部屋をちゃんと片付けるとか、水まわりをきれいにしておくとか。

あれも戒律の一つですよ。

当然、きれいな方がね、もちろんゴミ屋敷でも平気な人もいるでしょうけども、普通はきれいな場所だったら心が落ち着くわけですね。

こういった戒律がまず前提にあるわけです。

私も、無料のメルマガ限定のコンテンツに、食事についてだいぶ詳しく解説しているものがあるんですけども、あれも戒律ですよね。

だから、食品添加物だらけのものをたくさん食べるよりも、無肥料・無農薬のものを食べた方が心は落ち着きますよ。

だから、まずは戒律が必要だということ。

そして、その上で瞑想と、そして今回のメインテーマである布施ですね。

利他行ということですね。

六波羅蜜に学ぶ本能の浄化と智慧への道

これが前回言った六波羅蜜に含まれているわけですよ。

六波羅蜜は、これちょっと繰り返しになりますけども、まずは布施。

人のため、世のために良いことをするということ。

そして二番に持戒、これがさっき言いました戒律ですね。

そして三番、忍辱(にんにく)、これは忍耐ということです。

前回述べたような正しい理解でもって正しく忍耐する。

これは我慢ではありません。

我慢は本能を積み上げる行為です。

これに関しては、前回の内容を文字起こししました。

文字起こしで、ちょっと詳しく前回喋った内容からさらに加筆修正をしていますので、よろしければこれをご参考にしていただいて。

忍耐は正しい理解から生まれます。

ただ我慢するのは、さらに本能を深めてしまうということですね。

ですから本人は、まずしっかり勉強しないとダメです。

この本もね、ちょっと難しいけども、読めば参考になると思います。

精進もそうですね。

正しい理解でもって日々積み上げていくということですよ。

そして禅定。

これは瞑想ですね。

瞑想は前回言いましたけども、直接、知恵にアクセスをするということですね。

これが瞑想ということです。

さっきも言いましたが、真剣であれば祈りでもいいんですよ。

ただし真剣であればですよ、これを強調しておきますけども。

自分のためだけに祈るんじゃないと、これはショート動画でもよく言ってますね。

自分のためではなくて利他、人のために祈る。

世のために祈るということですよ。

瞑想も、そのためにやるんですからね。

それがあって初めて、最後のこの智慧に至るということです。

智慧に至ると、そこで本能というのはそれだけ解消されていくわけですね。

ですから、こういった六波羅蜜、これを参考にして実践して、本能をまだ表に、この現象の世界に、これまで過去世から積み上げてきた本能が、この悪運とか災難とかトラブルとか事故とか病気とか、そういったネガティブな現象として出る前に、いわば潜在意識のレベルで本能を解消しましょうね、ということが、まずはこの実践になるわけです。

大いなる命との接続がオーラと功徳を高める

そして今回、最も大事なのはこの利他の行なんですね。

まあ「世のため人のため」だというと、「なんだ、堅い道徳か」と思われるかもしれませんが、これはね、このマジスピラジオでもよく言ってますけども、そうじゃないんだと。

これは道徳じゃないんだと。

いわば人生戦略ですね。

幸せに生きるための戦略と、あえて言いましょう、それは。

そして利他の行というのは、自分以外のためにやるわけですから、それは自分を超えた大いなる命、それに向かうことですね。

仏教的に言えば慈悲というやつですね。

この人間、この人体の一つの大きな実践項目というのは、すべての命を平等に見るということ、これがありますね。

「俺は偉い」とか「あいつはダメだ」とか、そういうことじゃなくて、自分も他人も、そして生きとし生けるものすべてが、命という意味においては全く平等であるということですね。

それが本当にわかってくると、この利他の行というのは「情けは人のためならず」、自分のためだということですね。

大いなる命、他の命に対して利他の行を積んでいくことによって、それは大きい大生命・大宇宙、それを相手にしているということですから、それだけ波動というのは大きいものになるわけです。

これはよく言ってますね。

最近も確かショート動画で出しましたけども、オーラの大きい人というのは、自分を超えたもの、世のため人のために尽くそうという気持ちが強いんですね。

それがたとえ実現はまだ途中であったとしても、その意識自体がオーラを大きくする。

このダライ・ラマも表現は違うけども、この大生命と接続をすることによって、この功徳ですね、功徳の力は大きなものになるんだと。

これはダライ・ラマは本当に「人間として生まれた幸せだ」「喜びだ」「本当に素晴らしい部分だ」とおっしゃってますね。

ダライ・ラマ法王が喜びでもって語っている姿が目に浮かぶようで、読んでいる私自身も明るい気持ちになりましたね。

こういうことをね、小学生でも教えられるものでしょうと。

あなどらないで、たとえそれが多少の偽善や疑問があろうともですね、利他の精神に生きる。

それだけでこの本能の解消の速度が上がっていくわけですね。

最終的には、本能が消えようが消えまいが、人のためにやるっていうのは心から無条件にうれしいな、ということになれば、これは本物ですけども。

そうじゃなくて、まずは自分のためでもいいので、自分ができる利他の行ですね、布施、それをやりましょうということですね。

ただし、これをね、実は前回のメルマガでも書いたんですけども、これを悪用するとカルト宗教による「お布施」になっちゃうわけです。

これは悪用されるとですね、今はもうあまりないと思いますけども、悪い宗教になると全財産を出させるとか、ちょっと前に話題になった旧統一教会みたいな献金ですね。

それで一家が破産するような、そういった極端なことではもちろんないですからね。

これも今日はもう時間がないのであんまり言いませんけども、例えば笑顔を向けることだってね、優しい言葉をかけることだって、これも布施の一つですよね。

あるいは逆から言うと、人を傷つけることを言わない、人に暴力を振るわない。

これはさっきの戒律の中にも入ってきますけれども、これも大きな意味では利他・布施の一つですかね。

そうやってまずは、本能をこれ以上増やさないということ。

そして瞑想による智慧、そして利他の功徳の力によって、この本能の滅尽、そして悪意念の解消をしていくわけです。

そうやって実践していても、なお現れてくる苦しみがあります。

例えばこの浮世においては、こういったこともありますね。

「なんであの人はあんなにいい人で、人のために尽くしているような素晴らしい人格者なのに、あんなトラブルや災難や不幸が起こるんだろうか」と。

そういった、現象だけ見るとよくわからない、因果関係不明なこともありますよね。

それはいろんな見方があるだろうけども、仏教的に見れば、やっぱり前世・過去世から積み上げてきたその悪意念、それが出ているんであろう、というものの見方ですね。

ただ、その人はね、もしかしたら過去世では、これも過去世リーディングをすると時々出るんだけども、めっちゃ悪い奴だった可能性がありますね。

今生では人格者でも、過去世では本当に人を殺しまくっているような、めっちゃ悪い奴だった可能性もあるわけですよ。

それがね、これはあくまで例ですよ。

そういったこともある可能性があるわけです。

でも、そうやって表に現象として現れてきても、「これでまた一つ消えた」と。

いわば借金がそれでその分だけ返済された、というのが伝統的な仏教的なものの見方です。

だから、膿が出たら出たで「ああ、これでまた一つ煩悩がね、悪意念が消えていったな」と思えて、感謝ができれば、だいぶ実践としては深いですね。

それができれば、だいぶこの薄汚れた濁った世の中でも、それなりに楽しく、本当の意味で幸せに生きていけるのかなと思いますね。

だから今回大事なのは、やっぱり利他ですね。

布施ができるかどうかなんですよ。

現代の物質主義的価値観というのは、エゴの追求を教えてきたんですよ。

この大量消費社会、経済ですね。

経済を回していくためには、個人がエゴの追求をしていかないと終わらないわけですよね。

今は資本主義の末期的な状況の中に、私たちは生きているわけですよね。

その個人のエゴの追求がいい、という風に、もう私たちは汚染されているわけですよね。

なんか「世のため人のため」なんて言うと、「偽善ですか、道徳ですか」と。

こういった風潮ですね。

ただ、こういったまともな宗教だったら当たり前なんですけども、やっぱり人のために、世のためにやるということなんですよ。

大っぴらに言うと臭いんですけども、心の中で思えばいいので。

これ以上エゴを横に置いて、煩悩の積み上げをここで止めて。

せっかく今生、人間として生まれてきたんだから。

仏教ではこの肉体のことを「人身」、人の身と書いて人身って言うんだけども、この人身として生まれたのはとても貴重なことだと仏教は言うわけです。

もしかしたら、過去世でたくさんしくじってきたかもしれないが、「もう今生で終わりにしろ」と。

それで煩悩の積み上げをやめて、本当に人に喜ばれるような、そういった存在になりましょうね、というのが、このダライ・ラマ法王がおっしゃりたいことだし、世界から法王があれだけ尊敬されているのは、こういった教えが根底にあるんですよ、ということですね。

というわけで、今回はダライ・ラマの仏教入門ですね。

それを取り上げて、利他の力。

これはカルマとか煩悩とかを消す最高の実践ということですね。

これに瞑想や祈りを通じた智慧を加えることによって、煩悩というのを解消していきますよと。

そして本当の意味での幸せというのが、そこにやってくるという話をいたしました。

ちょっと難しいんですけどね、ぜひ興味を持ったらこれ、今買えますので、手に取って読んでいただいたらいいんじゃないかなと思います。

というわけで、今回は以上です。

改めて、今回の要点

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なお、YouTube(Podcast)は今回の文字起こし編集でカットした部分もあります。

なのでこちらも聞いていただけると、より理解が深まります。

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