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目次
今回の要点と要約文
今回の要点
- 成功哲学(自己啓発)は、たとえエゴであっても物質的成功の獲得に躊躇がない人に特に相性が良い(無理して実践しなくてもいい)。
- マーフィー理論は「信仰と物質的成功は矛盾しない」とし、内なる神≒潜在意識の力を強調している。
- マーフィーの聖書引用は成功思想に都合の良い部分がピックアップされる。聖書は富の所有について戒めている部分も多いことをお忘れなく。
- 「お金に縁が薄い人の多くは、お金を嫌っている」というマーフィーの指摘は、成功哲学に興味を持てない人も傾聴に値する。
■お金に困るのは潜在意識のせい? "引き寄せ" 元祖・マーフィーの法則■
今回は珍しく、引き寄せの法則の元祖と言える「マーフィーの法則」について取り上げます。
これまで「引き寄せ」はさんざん批判してきましたものの、全否定までするものでもないと思ったので、今回は本家本元である『眠りながら巨富を得る』という本を取り上げます。
自己啓発系でニューソート(New Thought)系の思想は必ず出てきます。
ジョセフ・マーフィー(1898~1981)はキリスト教の牧師でしたが、彼は「信仰と成功は矛盾しない」と考え、人間の外側だけでなく内側にも「神」が宿り、その神聖なエネルギーが「富」という形で現れるのだと説明します。
従来のキリスト教にはなかった「物質的成功」をかなり強調した路線ですね。
自己啓発でおなじみの「潜在意識」の無限の力を信じ、成功や繁栄のイメージを強く持てばあなたも必ず成功できまっせ、という考えです。
これが後年、スピリチュアル的に味付けされたのが「引き寄せの法則」ですね。
彼らは聖書の中から「求めばさらば与えられん」(マタイ福音書7:7)といった成功への信念を強化する部分は積極的に引用しますが、一方で「あなたがたは、神と富とに仕えることはできない」(マタイ福音書6:24)といった箇所はスルーします。
聖書は「名言の宝庫」であり、どこを切り取るかによって、どんな風にも解釈できるんですね。
実際、あのトランプもニューソート系の成功思想の影響はだいぶ受けているようで、物質的繁栄を求める20世紀の時代とは特に相性が良かったわけです。
ただ、「引き寄せ」もそうですけども、物質的な成功を過剰に求めると「エゴの振動波」が増幅されるので、いくらそれで社会的に成功できたとしても、そのオーラはあまり美しくない。
前回のダライ・ラマの回で述べた通り、あくまで「利他の実践」と「智慧の涵養」の自然な結果としての成功が理想だと思います。
けれど「欲しい家やクルマがすでに手に入っているのをイメージしなさい」なんて言われると、物質文明やグローバリズムが行き詰まっている21世紀の現代としては、エゴの強いオラオラしている人じゃないとなかなか受け入れられないかもしれません。
ただそんな自己啓発からも得られるべきヒントはあって、今回特に重要なポイントは「お金に縁が薄い人は、お金を嫌っていることが多い」というマーフィーの指摘です。
社会状況や経済事情を一度脇に置いて「心の法則」だけに絞ると、お金の巡りが悪い人の多くは、無意識レベルで「お金を嫌っている」わけです。
これは個人的には腑に落ちますね。
「お金がすべてじゃない」「お金より愛情が大事」「お金持ちにろくな人はいない」といった言葉というのは、みんなお金の悪口ですわ。
そりゃ「お金の立場」からすれば、自分を嫌っている人のところに行きたくないのは当然の話よ。
スピリチュアルな言い方をすれば、お金もまたエネルギーであり、波動を持っている。
だからお金を嫌っていれば、同調しないのは当然のこと。
「お金に執着する」のはあまり良くないだろうけど、かといってお金を嫌いにまでならなくていいでしょ。
特にスピ系、セラピー系、心理系の「真面目な人たち」「職人気質な人たち」は、お金を "潜在意識レベル" で嫌っている人が少なくないような気がしますね。
実はお金にも「波動」ってあるんですけど、なかなかいい波動なんですよ。
だから、私はお金は大好きです(笑)
おかげさまで、フリーでもう10年以上しぶとく続けています。
ま、自己啓発にオラオラ傾倒する必要まではないでしょうけど、そこから得られる教訓もあるので、たまにはこういうゴリゴリなやつもいいと思いますよ。
要点・要約文を読んで、あとは動画でご覧になりたければ以下からどうぞ。
真の成功は、成長を求め続ける道において自然に生まれるもの
今回から2~3回、マジスピラジオとしては珍しく、成功哲学・自己啓発の元祖「マーフィー理論」を取り上げます。
前回のダライ・ラマとはかなり変わりますね。
なぜこれを取り上げるかというと、「マーフィー理論」は「引き寄せの法則」のいわばネタ元だからです。
以前、知人から『マーフィー 眠りながら巨富を得る』という本を「あまり興味ないかもしれないけど、たまにはこういうのも読んでみると発見があるかもよ」と言われたのがきっかけです。
(この本は別にオススメではありませんが、興味があればどうぞ)
成功哲学(自己啓発)はマーフィーも含めて昔ちょっと読んでいた時期はあるものの、基本的には苦手です。
「絶対成功するぞ!」というオラオラ・ギラギラしたノリや鼻息が荒い感じや、女性でいえば「バリキャリ」が肩で風を切る感じ。
ああいった空気感は苦手ですし、成功している経営者の集まりにお呼ばれしたときに感じる「やけにハイテンションでポジティブな感じ」は自分には合いません。
そういう人間の語りなので、同じく成功哲学(自己啓発)苦手な方は安心して読み進めてください。
とはいえ、マーフィーの本を改めて読み直してみると、学ぶべき部分もあるんですね。
なので頭から毛嫌いせず、良いところは取り入れていくという柔軟な態度も必要かなと思いました。
言いたいことはいくつかありますが、今回は「お金に縁が薄い人の心のクセ」について後ほど述べます。
(てっとり早く知りたければ、最後のあたりまで飛ばしてください)
マーフィー理論について論じる前に、「成功哲学(自己啓発)」一般について気になることを言います。
人の波動(オーラ)を観る立場として、成功哲学をバリバリやっている人や、社会的・経済的に成功しているといわれる人たちに共通するのは「思いの力の強さ」です。
これは当然といえば当然ですね。
中には例外的に、思いの力はそこまで強くないんだけど、運命とか自然の流れで成功した人もいます。
個人的にはそっちのタイプが好きですけど。
ただ、「思いの力が強い」反面、同時に「エゴも強い」人が多いという印象を持っています。
その「エゴの強さ」が、オラオラした感じ、バリキャリ感みたいな雰囲気を他の人に抱かせるのかもしれません。
したがって、スピリチュアル系が好きな方に多い「やさしい人」「真面目な人」「大人しい人」は、このオラオラした波動に合いません。
そして、その「エゴの強さ」を活かして社会的に華々しく成功した場合、波動(オーラ)は重たいことが少なくありません。
「エゴの波動」は私には「赤黒い」ものとして観えるのですが、エゴのパワーで成功した人もオーラは赤黒いことが多いですね。
「エゴのパワー」というのは、善悪を抜きにして、寝ても覚めても、どんな犠牲を払ってでも、自分の欲しい成果を獲りに行く貪欲さのこと。
この資質は決して悪いものではないんです。
ただし、もしそれで社会的に成功したとしても「常に欠乏感を抱えている人」、オーラは赤黒くて重たいまま。
もちろん「現状に満足していない姿」は、アスリートやアーティストなどプロフェッショナルの世界では「向上心のある素晴らしい性格」として語られます。
でも、この「現状に満足していない姿」には二色あるように思います。
一つは、現在の成功に深い感謝を抱きつつ、さらに高みを目指しているのか。
もう一つは、どれだけ成功しても満たされず、感謝もなく、ただ覇権を握りたいだけなのか。
前者であれば人間として幸福でしょうが、後者であれば魂として幸福なのか、微妙なところです。
固有名詞は出しませんが、いまアメリカでは政財界や芸能界の大富豪が未成年者を性的搾取として買っていた特大スキャンダルを抱えています。
功なり名を遂げた後にやることがコレだというのは、極めて情けない限りですね。
こういう人たちは社会的・経済的には成功したかもしれませんが、魂としては成長・成熟しなかった証でしょう。
今の世の中でもてはやされるのはこういう連中ですが、果たしてそれでいいのか?
という問いが、私の中にはあります。
とはいえ、人生観は人それぞれですから、死ぬ前に「自分は本当に充実して生きた!」と思えたなら、それはそれでいいのかもしれません。
後でも述べますが、マーフィーはキリスト教の牧師にもかかわらず、こうした「魂の問題」はあまり語りません。
「物質的な成功を求めていいのです。それが神があなたに与えた権利なのです」とエゴをストレートに肯定するような記載もあり、その点については私は首をかしげます。
イエスがおっしゃった通り、「まず神の国と義を求めよ」ではなかったのか?
「ただ物質的に成功しさえすればそれで良し」だなんて聖書のどこに書いてある?
(本の中には「まず相手の幸せを祈りなさい」といった箇所もあり、ページによってかなり落差がある印象を受けます)
こういう成功本ばかり読んでいると、「バリバリ働いて高収入を得ること」がゴールだと思い込みがちですが、決してそうではありません。
いくら成功したところで、「本当は自分は誰からも愛されていない。自分は社会的に力があるから、みんなそれを頼ってくるだけ」と嘆く有力者を私は何人も知ってますよ。
とはいえ、こういう成功哲学が苦手な方も、生きるヒントとして学ぶべき部分はあります。
- 思考は必ずしも現実化しないし、引き寄せは法則ではない。
- しかし、積極的な思考は、成功するしないに関わらず、充実した人生を送る上では重要な態度である。
- エゴを駆り立てて成功を勝ち取るマインドは万人向けではない。「やさしい人」「気の弱い人」にはオススメできない(※こういう方がマインドセットについては次回以降に語る予定)
- 成功は約束されていない。しかし、成長は約束されている(田坂広志先生の言葉)
エゴを駆り立て、「この世の成功」だけを求めてしまうと、人生を誤る可能性が高まります。
マーフィーの本には成功事例がこれでもかと書かれています(ホンマかどうかは知らんけど)。
しかし、それよりも圧倒的に多くあるであろう失敗事例については一切語られません。
そういう失敗はおそらく「思いが足りない」「祈りが足りない」「潜在意識を信頼していない」などと言われてしまうんでしょうね。
ただし、成功するか失敗するかはさておき、純粋に自分の可能性を信じ、チャレンジする勇気を持ち続けるヒントを与えてくれるという意味では、こういう成功哲学の本は役に立つと言えるでしょう。
まずはじめに「強い想い」がなければ、何事も成し遂げることができないのは当たり前なんですから。
成功は、決して約束されていない。
しかし、成長は約束されている。
この田坂広志先生の言葉にあえて加えると、「真の成功とは、成長を不断に求め続ける道の中にある」ということです。
さらに言えば、「現実的な成功は、成長を求め続ける道において自然に生まれるもの」だと思います。
いわば、成功は不断の成長における「副産物」であって、決して主産物ではない。
何をもって「成功」なのかは人それぞれですが、仮にそれがわかりやすい経済的成功や社会的成功であるなら、普通は成長を不断に求め続ける中で自然と生まれてくるはずなんです。
会社でお務めの人でも、与えられた仕事を一生懸命やっていたら、少なくともクビになることはないでしょう。
(もちろん、そもそも社会のニーズにないもの、会社が求めていないことを一生懸命やっても、一般的な成功は難しいと思いますけど)
「求めるべきは成功そのものではなく、成功(さらには成長・成熟)へ向かう態度である」と私は考えます。
少なくとも私はこのように考え、成功・失敗という「この世」のことを考えず、自分に与えられたであろう天命を問い続けながら歩んできました。
私はマーフィー理論のように、「成功」は特にイメージしていません。
でも、「成長」は求め続けてきました・・・何度もあきらめそうになりながら。
それで気がつけば、10年以上このスピリチュアルの仕事に携わっています。
統計では、10年以上続くフリーランスは5パーセント程度とのことです。
成功哲学・マーフィー理論は潜在意識+聖書の”いいとこ取り”
では私の基本的な考え方は述べたので、ここからはマーフィー理論をサラッと説明し、その次のセクションで「お金に縁が薄い人の特徴」ということ述べていきたいと思います。

ジョセフ・マーフィー(1898~1981)という方はキリスト教の牧師でした。
彼はこう言います。
「肯定的な思考、肯定的な祈りは健康・成功・調和をもたらす」
この本の中には「祈り」という言葉がたくさん出てきます。
ただ、マーフィーの言う祈りは普段私がお伝えしている祈り(世界の平和を祈り、背後におられる守護霊・守護神に感謝を捧げること)とは質的に異なります。
つまり、彼は「物質的な成功への祈り」を推奨している点が特徴です。
どうやら物質的欲望であっても「肯定的な強い思い」のことを "祈り" と言っているようですね。
その根拠は「神は無限の叡智であり、それが私たちの内側にも宿っている」という論理です。
これまでのキリスト教では、「神は外側におられる絶対的存在である。人間は原罪を背負った罪深い存在であるから、神の救済を必要とする」という考えでした。
ただ、マーフィーはそういった従来の宗教観から、「神は私たちの内側にもある」と説きます。
この「内側の神」のことをマーフィーは「潜在意識」と呼んでいるわけです。
聖書の伝統的な解釈から逸脱する思想やグループのことを「異端」というのですが、マーフィー(そして彼が所属していた教会)はどうなんでしょうね?
マーフィーについてウィキペディアで調べてみると、東洋思想も少し入っているという情報がありました。
なので、やはり伝統的なキリスト教とは趣が異なるようですね。
そのマーフィーの思想をものすごく簡単に言うと、
「内側にある無限の叡智を信じ、その潜在意識に成功と繁栄のイメージを強く描き続ける」
そうすれば、あら不思議、叶っちゃうわよ。
というのがマーフィー理論の最も短い要約です。
この本にはそれが事例つきで延々と書かれている。
この本以外にもマーフィーシリーズはいくつも書籍がありますが、ほとんどが同じパターンと思われます。
要は「プラスのイメージが大事」という、これまで成功哲学(自己啓発)で死ぬほど言われてきたこと。
これはスピリチュアル系の「引き寄せの法則」でも散々言われていることですね。
だから、「引き寄せ」は従来の成功哲学を焼き直しただけに過ぎない。
そこにスピ系ならではの「チャネリング」などの味付けをしているわけです。
これに加えマーフィーは「病気は祈りで治る」と言っている点も特徴的です。
肉体の不調和は「思考の歪みから起こっている」と言います。
いわば「病は気から」をもっと突き詰めた感じですね。
病は気から作られているんだから、ポジティブな想念、健康的なイメージを抱く「祈念療法」によって病は克服できるとのこと(これもいくつも事例を出しています。ホンマかウソかは知らんけど)。
要は「思考は力であり、すべては思い次第であり、人生はあなたの考えている通りになる」ということ。
これは個人的にはちょっと違うと思っています。
「考えている」のはあくまで顕在意識のレベルであり、潜在意識のレベルは「考えが及ばない、自覚できない世界」わけですから、「考えている通りになる」とは言えないんじゃないでしょうか。
(潜在意識も含めて「思考」と言われたらそれまでですけど)
とはいえ、「思考は力である」のは否定できませんね。
なお、マーフィーは1898〜1981年を生きた、20世紀の人です。
彼のような成功思想は歴史的には「ニューソート系」と言われます。
ニューソートとは、「新しい考え=New Thought」です。
さっき述べた通り「神は外側だけでなく内側にもおられ、それは潜在意識である」と説いたのが「新しい考え」だったわけです。
潜在意識を活用することによって、繁栄・成功・健康がもたらされるという考え方は、成功哲学の一丁目一番地ですね。
マーフィー理論およびニューソート系は「物質的成功」をかなり強調しています。
ただ、彼らは「信仰と成功は矛盾しない」と捉えます。
「なぜなら、私たちの内側には神が宿っているからだ」と。
物質的繁栄は信仰の結果であり、神は人間が富を得る権能を与えているのだから、信仰と成功は矛盾しない、という論理です。
ただ、それは「ニューソート」であり従来の聖書解釈とは違うことから、批判もかなりあるようです。
ちなみに、彼らにとってお金や富というのは、「神の霊感」あるいは「神のイメージの表現」だと説明されます。
この「神の霊感」という言葉を聞いて思い出したんですけど、スピ業界で有名な斎藤一人さん。
現在は全くフォローできていませんが、むかし彼の本を読んでいたとき「お金というのは"神の霊感"なんだよ」と、はっきり書いてあったことを思い出しました。
彼は読書家なのでマーフィーはもちろん読んでおられるでしょう。
「ああ、元ネタはここだったのか」と思いましたね。
それはともかく、ニューソート系の考えは「物質主義的価値観」の全盛期である20世紀に爆発的にウケました。
同じくニューソート系であるノーマン・ヴィンセント・ピールという牧師による『積極的考え方の力』という本は全世界で2000万部以上売れたようです。
(私も以前ざっくり読んだことがありますが、中身はマーフィーとほぼ同じだと思いました)。
ピールの弟子筋はあのトランプ大統領にも大きな影響を与えているようですから、信仰と成功哲学を組み合わせた「現実での実践ノウハウ」は、特に野心ある人々の指針となったことでしょう。
ただし、成功哲学に端を発する「引き寄せの法則」というのは、この通り「海外輸入」なんですよ。
引き寄せの法則のベースには一神教的な宗教観があります。
ただ「潜在意識」という内なる神および心理学を持ち込んでいるので、純粋な一神教ではないかもしれませんが。
これを多神教的価値観である日本人に完全に当てはまるんだろうか、という疑問はありますね。
もとより宗教観に関係なく「思考には力がある」「どれだけ強く信じられるかが大事」というのは真実ですが、一神教でなく多神教である日本人、また狩猟民族でなく農耕民族である日本人に、舶来品である成功哲学はどれほど親和性があるのだろうか、というのは今後も考えたいテーマです。
もう一つ、疑問に思ったのが「聖書の解釈」です。
マーフィーはいろんな聖書の文言を引用しています。
ちょっと一つ、適当に拾って読んでみましょうか。
「あなたはまたあることを念ずれば、そのことはあなたに成就されるであろう。そして光があなたの道を照らすであろう」
これは旧約聖書の「ヨブ記」の一節です。
私は過去にヨブ記を読んだことがあるのですが、これは信仰深くて人格者であり資産家でもあるヨブの、理不尽の極みのような苦悩に見舞われる物語なんです。
これ、成功哲学の立場からは「あり得ない災難」また「それまでの肯定的思考とは真逆の出来事」が起こっているわけですが、おい、そこは突っ込まへんのかい!
人望の篤い大成功者だったヨブが一夜にして没落した話はスルーして、断片的に「成功思想」にプラスになる言葉を部分的にピックアップするわけです。
これは「いいとこどり」な印象が拭えませんね。
読んでいてふと思い出したのは、「マタイによる福音書」の以下の言葉。
「あなた方は神と富とに仕えることはできない」
「金持ちが天国に入るのはラクダが針の穴を通るより難しい」
これはイエスが語った有名な言葉です。
この「富」はアラム語では「マモン」といって、後世マモンは「悪魔」という意味でも使用されるようになったようです。
ともかく、イエスはこの富を「拝金」という否定的なニュアンスで使っておられる。
「ニューソート」の思想ではこの文言に対してどのような解釈をするのか、少なくとも『眠りながら巨富を得る』には書いていませんでした。
聖書の中には他にも富の所有への戒めの言葉があるわけですが、マーフィーはそういう「不都合な部分」は取り上げないようですね。
聖書というのは、私も全てを読んでいるわけではありませんが「名言の宝庫」であるため、キリスト教の各会派・流派は自分たちの思想や価値観を肯定するものをピックアップしている。
あるいは、中には聖書に書いていないことを創作する会派・流派もあります(これを異端という。例えば統一教会)。
キリスト教にもいろんな流派があるように、聖書もいくらでも解釈の幅があるわけです。
ニューソート系は「積極的な思考」に貢献するものだけを採用していく、というスタイル。
私はこの部分は疑問です。
「物質的成功にフォーカスする」という思想は理解できるが、かりにもキリスト教の牧師であるなら「永遠の生命」についても触れてほしいなと思いますね。
物質的に繁栄した人間は、ニューソート的には "神の叡智" を顕現させたわけだから、あの世でも「永遠の生命」を得られるのでしょうかね?
その根本に対する明確な回答が得られなかったことが、私がマーフィー理論などのニューソート系に対して深入りできなかった要因だと思います。
「お金に縁のない人」が見落としている心の法則とは?
他にもいろいろ話したいところはあるんですが、時間の都合もありますので、今回の最後の話に入っていきます(次回もマーフィーを取り上げます)。
冒頭でお伝えした「富に縁が薄い人の特徴」ですね。
ここだけでも、ぜひ覚えておいていただきたいポイントです。
この本の冒頭に、こんな言葉があるんです。
社会状況や経済状況の外的要因はいったん横に置き、心の法則だけに絞って言うと・・・
「お金の巡りが良くない人の大半は、お金を嫌っている」
この一文が、今回取り上げている『眠りながら巨富を得る』の前書きに書いてあるんですね。
読む人が読めば、いきなりガーンと殴られたように感じるかもしれません。
これはスピ系でもセラピー系でもそうなんですが、「お金が嫌いな人」が結構いる印象があります。
もしあなた自身にそういった傾向があるなら、注意した方がいいですよ。
例えば、こういった言葉をよく口にしないでしょうか。
- 「お金がすべてじゃない」
- 「お金持ちにロクなヤツはいない」
- 「お金より愛情が大事」
- 「お金よりお客様に喜ばれることが大事」
- 「お金を持つと人付き合いが面倒だ」
こういった言葉って、お金に対する悪口ですよね。
スピリチュアル系や心理学・セラピー系が好きな方、あるいはそういった仕事に従事している方には、こういう傾向がわりと多い印象があります。
よく「お金のブロック」と言われる、お金への抵抗感・罪悪感が強いんですね。
これは数回前のマジスピラジオでもお話ししましたが、「自己犠牲型」と言われる人が陥りがちなところでもあります。
別に「成功哲学」を好きにならなくてもいいです。
私はこれまで述べてきた通り、「思いの強さ」は大切だとは思うけども、あの世を踏まえない「この世の成功」だけを説く成功哲学は、正直あまり深みを感じません。
でも、とりあえずお金を嫌いにならない方がいい。
おかしい話なのは、私がいろんな方と接していて感じるのは、「お金がない・・・お金が欲しい・・・」と言いながら、一方でお金の悪口を言っている人が多いということです。
あるいは、口にはしなくても、心の中で思っている場合もあるでしょうね。
それ、矛盾してるやん。
これをマーフィー的にいえば、「潜在意識レベル」の話なのかもしれません。
普段の「顕在意識レベル」では気づいていないけれど、実はお金の悪口を言ってしまっている(思ってしまっている)。
だから、お金があまり入ってこない。
入ってきても、積極的に受け取ろうとしない。
商売をしている人なら、あまり儲からない。
そして、お店を締めざるを得なくなってしまう。
こういった部分は、成功哲学が苦手でも学ぶべきところ。
別に「わたしは必ず成功する!」だなんて絶叫しなくていいけど、この部分だけでも知っておくだけでだいぶ違ってくると思います。
(もちろん潜在意識の問題だけでなく、経済や社会の状況、そしてビジネスの中身も大事です)
私自身は、お金は好きですね。
お金についてはこれまで多少の苦労もあったためか、仕事を通じて得られるお金は本当に有り難いです。
今の仕事で最初に得たお金の有り難さは、今でも毎日のことのように思い出しますよ。
お金はあればあるだけ良いです(笑)
ご寄付で行っている一部のメニューに関しては、半ば冗談で「1円から1億円までお支払いいただけますよ(笑)」と言っていますが、ガチで1億円お支払いいただいても私はしっかり受け取るつもりです。
だからといって、別にお金に執着しているとは思っていません。
スピ系の商売なんていくらでもごまかせる部分があるわけですが、私はこれまで人を騙したり脅したりして金銭を強奪したつもりはありません。
そもそも、「食っていけなくても構わない」と覚悟して起業したぐらいですし。
とはいえ、お金は好きです。
お客様から「感謝の思い」を、お金として還元していただくわけですから、そりゃうれしいに決まってるでしょ。
だからこそ、これは結果論ですけど、起業して10年以上お金にはあまり困らない人生を送れているのかもしれない、という仮説は立ちますね。
もちろんそれは単なるメンタルの問題ではないでしょう。
でも、シンプルに「お金が好きなのと嫌いなのとでは、どっちが良いですか?」ということです。
そりゃ嫌いより、好きな方がいいに決まってますわ。
「お金もまたエネルギーであり波動である」と、スピ系ではよく言われます。
だから、お金を嫌っているのであれば「波長が合わなくなる」のは当然です。
「お金を好きになること」と「お金に執着すること」は似て非なるもの。
「お金に執着すること」とは、厳密に言えば「お金で買えるいろんなモノやサービス」に執着しているわけです。
一方、「お金を好きになること」というのは、(原始的な物々交換から)お金を介して人間の文明が成り立ってきた歴史、またお金が人間関係の潤滑油になっていることに敬意を抱くような感じでしょうか。
お金は争いのきっかけにもなりますが、「お金そのもの」に罪はありません。
やはりマーフィーや斎藤一人さんが言う通り、「お金は神の霊感」なのでしょう。
だから、お金への執着こそ戒めるべきですが、お金は嫌いにならないでください。
特にスピリチュアル系やセラピーをやっている人であれば、自分が満たされていなければ、誰かに笑顔や癒しを与えることはできないですよ。
成功哲学(自己啓発)は人を選ぶジャンルです。
エゴも含めた「思いの力」が強い人、あるいは夢や目標がf明確な人なら使える部分は多いと思いますが、そうでなければ無理に合わせる必要はない。
過度な成功哲学は物質的執着という幻想を生みだしやすく、その手のコンテンツに課金しまくって人生を狂わせる人も多いです。
ただし、魂の成長や成熟という大きな目的に向かっていくには「前向きな積極的な考え方」があると良いに決まっているので、それについては成功哲学も参考になるよね、という話。
というわけで、今回はひとまずこの辺にします。
次回もまたマーフィーについて語りますね。
改めて、今回の要点
- 成功哲学(自己啓発)は、たとえエゴであっても物質的成功の獲得に躊躇がない人に特に相性が良い(無理して実践しなくてもいい)。
- マーフィー理論は「信仰と物質的成功は矛盾しない」とし、内なる神≒潜在意識の力を強調している。
- マーフィーの聖書引用は成功思想に都合の良い部分がピックアップされる。聖書は富の所有について戒めている部分も多いことをお忘れなく。
- 「お金に縁が薄い人の多くは、お金を嫌っている」というマーフィーの指摘は、成功哲学に興味を持てない人も傾聴に値する。
なお、YouTube(Podcast)は今回の文字起こし編集でカットした部分もあります。
なのでこちらも聞いていただけると、より理解が深まります。
※この下に「音声プレーヤー」があります。倍速再生も可能ですし、YouTubeより通信量も少ないし、スマホを画面オフにしても聴けるので便利です。






