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第334回:自己啓発・成功哲学が合わない人へ‐魂の成長を求め続ける生き方

※ウェブサイト『マジスピ』には音声の文字起こし(読みやすく加筆修正済)があります。

■YouTubeではメモ、資料、スライドなどを映していますが、音声プラットフォームの「ながら聞き」でも十分ご理解いただけると思います。

※今回使った資料は以下からダウンロードできます
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ウェブサイトでは最下部に音声プレーヤーがあります。倍速再生も可能ですし、YouTubeより通信量も少ないし、スマホを画面オフにしても聴けるので便利です。

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ここから下は編集中です。まだ「一部に誤字脱字のある、ざっくり文字起こしの段階」をご理解の上で読んでください。配信日から1週間以内に加筆修正して読みやすい文章にしますので、待てる方は少しお待ちください。

今回の要点と要約文

今回の要点

  • 成功哲学が合わない人は、物質的成功ではなく志や祈りに立ち返ることで心の軸を取り戻せる。
  • 日常の中で役割に徹し、静かな強さで取り組む姿勢が、結果的に大きな運命の流れを生む。
  • 無常観や死生観を深めることで、エゴの虚しさを超え、魂レベルの成長が始まっていく。
  • 成功や失敗を問わず、淡々と使命を生きると、自分の意図を超えた「自然(じねん)」の展開が起きやすくなる。
今回の要約文

■自己啓発・成功哲学が合わない人へ‐魂の成長を求め続ける生き方

成功哲学や自己啓発では、「強烈な願望や野心」が成功の大前提として語られます。

しかし、多くの人は「強烈な想念」を持つこと自体が難しいわけで、試合の場にも立てないわけです(汗)

また「潜在意識」をクリアにすることが簡単ではないため、たとえ強い成功意欲を持ったとしても、その反作用として「失敗の怖れ」が生まれてしまう。

「失敗を怖れるな」なんて言われても、怖れちゃんうんだからどうしようもない。

「強烈な願望」が生まれる背景には、挫折や喪失などの「負の体験」があります。

空前絶後の大ヒット『鬼滅の刃』の主人公・炭治郎が鬼を殺す執念に燃えるのは、鬼に家族を惨殺され妹(禰豆子)を鬼にされたという「慟哭」があるからです。

振り返って、普通に生きて普通に暮らしてきた私たちの多くは、そこまでの執念を持てますか?

死にもの狂いになれるほどの「かなしみ」を飲み込むことができますか?

もともと野心が強い人、エゴも含めた生命エネルギーが強い人であれば、成功哲学は使えるでしょう。

でも、スピ系・心理系・セラピー系などにシンパシーを感じる人に多い「やさしい人」「真面目な人」「気の弱い人」は難しい。

「引き寄せの法則」のルーツは成功哲学なので、本当は引き寄せだって難しいんですよ。

では、成功哲学・自己啓発がが合わない人はどうすればいいのか?

「成功は約束されていない。しかし、成長は約束されている」

この言葉の通り、成功でなく成長を求める生き方に切り替えることです。

「生命の躍動」と「魂の成長」を求め続けるプロセスにおいて、特に追いかけなくても、自分の境涯にふさわしい物質的成功はやってくるでしょう。

以前の「ダライ・ラマ回」で述べた通り、布施(利他)と瞑想(祈り)の実践によって、潜在意識に巣食う煩悩をクリアにしていくのが "成功哲学・自己啓発が苦手な人" にオススメです。

自己に与えられた宿命と運命を深く省察し、本当は「すでに多くのものを与えていただいている」ということに気づき、ささやかでも人の役に立つ生き方をすること。

物質世界はすべて「無常」であり、この生命は一瞬の内に過ぎ去ってしまう。

「むなしさ」に目覚め、本来の目的(生命の躍動と魂の成長・成熟)に生きること。

それだけが、この肉体を手放した後にも残る「霊的資産」なんです。

運良く物質的に成功したところで、そこに真の志がない人の波動(オーラ)は、私から観れば大したことはないんですよ。

大した志を持っていないため、物質的成功に魂が飲み込まれてしまう。

そこから立ち直ることは、よほどしっかりしないと難しい。

成功法則の元祖・マーフィーの本の波動(エネルギー)は、別に悪くはないけど、かといって特に良いわけでもありません。

「神に物質的繁栄を祈る」ようなすごくエゴイスティックな部分と、「人のために奉仕しなさい」という伝統的なキリスト教の価値観がごちゃごちゃに混ざっている。

前者の部分の波動は "濁っている" ので、この部分は受け取らない方がいいですよ。

物質的成功を主たる目的にしてしまうと、多くの人は虚無感に襲われます。

そんなの当たり前じゃん、「無常」を相手にしてるんだから。

もしうまくいけば一時的にはスリルと興奮が味わえるかもしれませんが、物質には限度があるため、必ず虚無感に襲われます。

これが社会的には「成功者」と言われる人たちの中に、波動(オーラ)が重たく暗くなっている人が少なくない要因です。

でも、周りからはチヤホヤされるから、もう抜け出せないのよ。

こういうことを言っても「たとえむなしくたって、一度はそんないい思いをしてみたいな!」という人もいるでしょう(笑)

まぁよろしいんじゃないですか。

輪廻が踊る「かりそめの世」で、たまにはそんな生も良きかな。

個人的にはオススメしないけど、とことんやりたきゃご自由に。

要点・要約文を読んで、あとは動画でご覧になりたければ以下からどうぞ。


マーフィーの成功哲学をどう読むべきか

前回に引き続き、成功哲学(自己啓発)についてお話ししていきます。

今回は

「成功哲学に向いていない人でも、無理なく幸福をつかみ取る方法や考え方」

について話をしています。

成功哲学のギラギラ・オラオラした感じが苦手な人、また成功哲学の派生型である「引き寄せの法則」がしっくり来ない人はご参考になると思います。

今回も成功哲学の元祖であるジョセフ・マーフィー『眠りながら成功する』という本を取り上げます。

この『眠りながら成功を得る』という本の波動を、前回は言い忘れていました。

私は人の名前や物の名前、あるいは本のタイトルから波動(オーラ)を観るちょっと変わった特技があります。

それでこの本の波動といえば、「別に悪いわけではないけれど、特別良いわけでもない」という、かなり微妙な感じです。

(ついでに言えば、マーフィーさん自身の波動も決して悪いとは言わないけど、かといって高潔でもありません。社交的には「いいおじさん」だったと思いますが)

本当にダメな本は波動がくすんでいて重たいエネルギーを感じるのですが、この本はそうではない。

でも、他のレビュアーが絶賛するような「名著」でもないんじゃないかと思います。

だから前回もお伝えしたとおり、「使い方次第」でしょうね。

エゴ的な野心を増幅させる道具として使うこともできれば、本当に世のため人のために生きる指針として使うこともできます。

著者のマーフィーはキリスト教の牧師で、強い肯定的な思いのことを「祈り」と呼んでいます。

本書の一部には物質的欲望を満たすために祈りを使う箇所もありましたが、その箇所はあまり波動が良くないと感じました。

例えば本書にこういう祈りが紹介されています。

神の富が豊かに私の人生に流れ込んでくることに感謝します。

そして四ヶ月間の世界旅行ができたことに感謝します。

そして私と完全調和する素晴らしい精神性の高い男性を得たことに感謝します。

そして最後に美しい家具の入った素敵な家に対して感謝します。

ハッキリ言いますが、これは祈りではなく、ただの野心であり欲望です。

祈りは本来、高く清らかなもの以外あり得ない。

マーフィーは「物質的繁栄も神の力によるもの」という思想があるので、おそらく罪悪感なくこの祈りを唱えられるのかもしれませんが、私は賛同できかねる。

その一方、お店を経営している人に対してマーフィーがアドバイスした祈りもあります。

神の平和は私の魂を満たし、神の愛は私の全存在を調和させます。
神は私を導き、栄えしめ、霊感を与えてくださいます。
私は光を受け、神の癒したもう愛は私からすべてのお客様に流れていきます。

これは自分の幸せよりまず他者の幸せを願う祈りなので、波動は別に悪くない。

この本はモロにエゴイスティックな部分と、そうでない部分が混在するちょっと困った本ですね。

なので前回も述べたとおり、この本の「エゴを刺激する部分」は意識的に拒否することをオススメします。

とはいえ積極的な思考や考え方は人生を切り開く上で重要なのは間違いないので、その指針となるような使い方をすれば良いでしょう。


前回の配信を受けて、視聴者Yさんからご感想をいただきました。

この方は過去に私の『レイキヒーラー養成講座』にご参加くださった方で、よく知っている方です。

許可をいただきましたので、その一部をご紹介します。

林さんこんにちは。

 

今回のテーマが「マーフィーの法則」だったので、感想をいいたく(笑)

 

というのも、私のスピリチュアルの入り口がマーフィーだったからです。

 

基本的に怠惰なんでしょうね。

 

「眠りながら成功する」さんざん読みました。

 

何冊も何冊も依存性のように(笑)

 

簡単に書かれていますが、結局のところ潜在意識をクリアーにすることが並大抵の事では出来ないということがわかりました。

 

聖書を読んだり、般若心経を読んだり紆余曲折、結局たどり着いたのが、五井先生の消えていく姿の教えでした。(注:世界平和の祈り

 

(成功しようが失敗しようが)「どっちでもいいんだよね…」という心境なんとなくわかります。

 

それが諦めなのか虚無なのか…?なところはありますが。

 

今はやっと、現実世界に於(お)いては、地道な努力に越したことは無いという事を受け入れつつあります(笑)

Yさん、ご感想ありがとうございました。

こういうお声があると、視聴者さんの方向を向きながら考えることができるので有り難いです。

それにしても、成功哲学に興味がなさそうに見えた?Yさんがまさかマーフィーにハマっていた時期があったとは知りませんでした。

講座でお話をしていたときは、一切話題に出ませんでしたし。

成功哲学以前に、強烈な願望を持てる人は少ないという事実

では、Yさんのコメントを深堀りしていきましょう。

最も重要だと感じたのは、

>結局のところ潜在意識をクリアーにすることが並大抵の事では出来ない

という部分。

成功哲学(自己啓発)の最重要項目は、「結局どれだけ強い思いを持てるか」ということ。

でも、多くの人は「強烈な想念を持てない」という壁にぶつかります。

最初はテンション高くノリノリで願望を掲げても、そのうちに小さく萎えていきます。

また「必ず成功する!」と強く思い込もうとすると、まるで物理学の「作用と反作用」のように「でも、できなかったらどうしよう・・・」というネガティブな思いが同時に湧いてくる。

これはアクセルとブレーキを同時に踏んでいるような状態ですね。

アクセルが強ければブレーキも強くなり、結果的にプラスマイナスゼロに近くなる(強い願望を持てない自分の不甲斐なさに落ち込んだりすると、むしろマイナス方面に落ちていきます)。

強烈な想念を抱くことが何よりも大切なのに、それが持てない、長く続かない。

そうなると、もはや「自己を啓発する」どころではなくなってしまうんですよ。

したがって成功哲学(自己啓発)と特に相性が良いのは、成功を純粋に確信できる人、あるいは頭のネジが2~3本外れていてネガティブな想念が湧かない人です(笑)

「普通の人」や「常識的な人」にはなかなか難しい。

けれども、どんな人でも欲望だけは普通に持っているから、成功哲学(自己啓発)の類は今でもなくならないわけですね。

そもそも、なぜ成功したいのでしょうか?

多くの場合、「強烈な動機」は挫折や失敗、喪失、屈辱などの「負の体験」から生まれます。

「こんなところで終わってたまるか!」「今に見てろ!」といった強烈な思いですね。

そこから強い願望が生まれてくることが多い。

(後述しますが、もちろん純粋な好奇心や希望から強い動機が生まれることもあります)

例えば最近、2作目の映画もめちゃくちゃヒットしていますけど、『鬼滅の刃』ですね(私も映画館で観ました)。

主人公は「竈門炭治郎(かまどたんじろう)」です。

ご覧になった方はおわかりの通り、「一匹残らず鬼を殺したい」という炭治郎の強烈な動機はどこから生まれてくるのでしょうか?

鬼の総大将である「鬼舞辻無惨(きぶつじむざん)」。

炭治郎が死んだような目つきで「無惨、お前は絶対に生かしておいてはいけない奴だ」と語る場面がどこかでありましたが、その執念はどこから出てくるのか?

それは家族を皆殺しにされた体験です。

一瞬のうちに家族を失い、妹の禰豆子は鬼に変えられてしまった。

この「強烈なる負の体験」が炭治郎の動機になっているわけです。

これは漫画の話ですけど、現実世界でもそうではないでしょうか。

「死んでも成功したい!」「何が何でも絶対にのし上がってやる!」といったドロドロに渦巻くエネルギーを、あなたはご自分の内側に持てますか?

あるいは負の体験はなくとも、

多くの人にとっては、なかなか難しいですよね。

だからそこでつまずいてしまうわけです。

だから今日は後半で「じゃあどうしたらいいのか」という話をしていこうと思っています。

そしてもう一つ、個人的なレベルの欲望を満たす動機は意外と弱いということです。

たまたま運良く成功したとしても、そこで自己満足してしまう。

私がそういう人のオーラを見ると、成功した途端にオーラが重たくなるんです。

つまり欲望が満たされてしまって、さらなる成功への意欲を失ってしまう。

先ほども出てきたように、虚無感に襲われてしまうわけです。

成功哲学や自己啓発というのは、欲望が強い人には向いています。

豊臣秀吉のように、ドロドロした情念や「絶対に成り上がる」というギラギラした野心があるタイプですね。

生命エネルギーが非常に強く、エゴも含めてパワーがある人には相性がいいわけです。

けれどスピリチュアルやセラピー、精神性の世界で生きている人が、同じようにドロドロした情念を持てるかというと、なかなか難しいでしょう。

だからこそ別の方法を模索する必要がある、と私は思うんです。

そして先ほど触れた「虚無」についてです。

「どっちでもいいんだよね」「成功しても失敗してもどっちでもいいんだよね」という心境。

これは確かに分かるんですが、そこには諦めなのか、虚無なのかという違いがあります。

私は虚無のことを「乾いたエゴイズム」と呼んでいます。

先ほど、個人レベルの小さな成功への意欲が満たされた時に虚無感に襲われると言いました。

私はこれを乾いたエゴだと思っています。

エゴは満たされていないのに、それを満たすためのエネルギーも残っていない状態です。

これを虚無と呼んでいます。

つまり、エゴのギラギラした勢いの反動が虚無になって現れるという考え方ですね。

生きていても何も楽しいことがないという虚無感は、実はエゴなんです。

エゴが乾ききってしまい、あるいは成功を求めていたけれど挫折し、立ち直れなくなった状態から生まれてくる。

成功を得た時も、得られなかった時も、エゴはエゴなのだということです。

だからこそ、それを超えていかなければ本当の幸福はない、と私は思います。

そしてこうした虚無が起こるのは、物質的なものだけを目標にしているからです。

「自分も成功したい」というそこだけに目的を置くと、虚無に襲われやすくなります。

前回、ダライ・ラマの回でも言いましたが、この物質の世界は無常です。

諸行無常、盛者必衰。

物質的な成功は実体がないということです。

実体がないものに基準を合わせれば、当然虚しさに襲われる。

当たり前のことですが、ここに気づくにはそれなりの洞察が必要なんですね。

だから難しいんです。

成功とか繁栄は結果にすぎません。

結果にすぎないものを目的にしてしまうと、本来の目的を見失ってしまう。

私が考える本来の目的とは、生命の躍動と魂の成長です。

目的はそこなんです。

前回も言いましたが、「成功は約束されていない。しかし成長は約束されている」。

これは田坂広志先生の言葉ですが、本当にその通りだと思います。

そして諦めや虚無も、徹底的に突き詰めれば、そこから立ち上がることができます。

けれど中途半端だとブラックホールに落ちていきます。

この世の虚しさを超えていく必要があります。

この世の次元を超えていかなければ、ブラックホールにはまったまま立ち上がれない。

成功哲学や自己啓発がうまくいけばいいですが、うまくいかない場合、そのブラックホールに落ちて自己否定に苦しんだまま長い人生を過ごす人もいます。

それではもったいないですよね。

別の世界があるということを、今回はお伝えしたいわけです。

そして先ほども言いましたが、潜在意識をクリアにすることは並大抵ではありません。

先ほどのYさんも気づかれて、繁栄信仰や祈りの方向に進まれたわけです。

繁栄信仰や祈りというのは、布施ですね。

そして繁栄信仰は瞑想にも通じる部分があって、本能を浄化する流れにつながっています。

これは成功哲学が肌に合わない人が取り組むべき大事なことです。

次に、本能の浄化に関連しますが、欠乏感から出る意欲、つまりエゴの意欲ではなく、好奇心の意欲へ切り替えていくという話です。

ブラックエンジンではなく、ホワイトエンジンへ移行する。

好奇心といえばスピリチュアル系の「ワクワク」ですが、これも注意が必要です。

以前も言いましたが、偽りのワクワクはエゴが喜ぶものです。

これは気をつけないといけません。

本物のワクワクというのは、肉体的には苦しくても心の奥では充実感を感じるものです。

言い換えれば、「これが自分の使命だ、天命だ」と思えるようなもの。

たとえそれが間違っていたとしても、その瞬間に感じる「これが自分の役割だ」という感覚に向かっていくことです。

これが本物のワクワクであり、魂の次元からのワクワクです。

そして次に、エゴの欠乏感から出る意欲ではなく、感謝から生まれる意欲へ切り替えることです。

人生を深く振り返ると、自分は既に多くのものを与えられている。

その気づきから生まれる、奉恩と献身の意欲です。

これもブラックエンジンではなくホワイトエンジンです。

ホワイトエンジンはブラックエンジンのような爆発力はありませんが、コツコツ積み重ねるとだんだん強くなります。

私が過去の宗教家で最強だと思っているのが日蓮です。

南無妙法蓮華経ですね。

日蓮の波動を拝見すると、燃え盛る火の玉のような、ものすごい魂のエネルギーです。

宗教的な世界を深めていくと、人のタイプにもよりますが、日蓮のように激しい性格の人なら、この感謝の念から火の玉のような情熱が湧いてきます。

これも一つ、人間のタイプとして参考になると思います。

ちなみにここに書いている「立正安国」の悲願ですね。

今、YouTubeでは画面に映っていると思います。

日蓮は法華経ですから、法華経によって国を建てるという、彼の燃え盛る理想があったわけです。

激しい性格ではありましたが、身を捧げた人物でもあります。

とはいえ、普通は日蓮のような狂気の境地には至れないわけです。

これはやはり、自分ができる範囲でやっていくしかありません。

私は個人的には、その狂気に少しでも近づきたいと思っていますけどね。

死生観と無常が開く“静かな成功”

そして次は、死生観を深めるということです。

これもマジスピラジオで何度もお伝えしているテーマですね。

道元の言葉を紹介します。

「志の至らざるは無常を思わざるによるなり。」

これは道元の『正法眼蔵随聞記』にある言葉です。

つまり志、強い思い、祈りと言ってもいいですが、その強い思いに至らないのは「無常を思わざるからだ」ということです。

先ほども言いましたが、この世は儚いものです。

そして人生は一瞬のうちに過ぎていきます。

道元の言葉にも「無常迅速、生々代代」という有名な句があります。

人生が一瞬で過ぎ去るのだということを本当に理解すれば、想いは強くなると道元は言っているわけです。

そして、この物質的成功の虚しさ。

これこそ無常ですね。

その無常をよく見よ。

そして本当の目的に立ち返れ、ということです。

道元は禅の人ですから、布施と瞑想、ここでは座禅と書きましたが、そういったことを説いています。

ただ座禅というと、日常的にはなかなか馴染みのないものです。

そこで日常レベルで言えば、成功とか失敗とかに関係なく、目の前の仕事や役割に徹底的に取り組むということですね。

これが生活禅です。

生活の中で実践できる禅です。

余計なことをごちゃごちゃ考えると、「失敗したらどうしよう」とか「成功したい」とか、いろいろ湧いてきます。

そうではなく、とにかく目の前のことに全力を尽くしなさい、と。

私はこういった考え方が好きですね。

さらに、目の前のことに徹底的に取り組むためには、何気ない日常の中でも自分の宇宙的使命の自覚を深めていく必要があります。

瞑想や祈りによって、そういった深まりが生まれてきます。

その中でエゴは少しずつ薄くなっていきます。

ギラギラした野心ではありませんが、静かな強さが身についていくわけです。

静かな心境の中で「これが自分の道だ」と思い、成功しようが失敗しようが、この世の評価とは関係なく、天を相手にして目の前のことに取り組んでいく。

成功哲学が苦手な方、そしてこのマジスピラジオのような地味な音声や動画をご覧になる方は、こういった世界観のほうが合っているのではないかと思います。

それから、このマーフィーというのはキリスト教の牧師ですよね。

しかしキリスト教的な「永遠の生命」を説く箇所は、この本にはあまりありません。

牧師なら、本来はこの世の物質的成功の虚しさを言ってほしいところですが、マーフィーさんの流派では、物質的繁栄は神の霊感であり、神のイメージであり、神なるものが発揮された姿なのだという思想なんですね。

ですからそういった説き方をするわけですが、結局私は、先ほどの仏教的な無常観のほうが深いと感じます。

積極的な考え方が運命を切り開くのは確かに大切です。

でも、どうも物足りないと私は感じるんですね。

以上、いかがでしたでしょうか。

今回お伝えしたかったのは、「成功哲学は無理だ」「苦手だ」「体質に合わない」という方がやったほうがいいことです。

大切なのは、成功とか失敗とか関係なく、ただ目の前のことに取り組むということ。

かくいう私も、このつもりで10年以上仕事をしています。

最初からこの姿勢で続けてきて、気がつけば10年以上経っていました。

成功をイメージしたことはありません。

本の中にあるアファーメーション、成功を祈るようなこともしていません。

ただここで述べてきたことを、自分なりに実践してきました。

その結果、世間的には無名ですが、身近な人たちからは「うまくいっている」と思われるようになりました。

これはただの結果にすぎません。

私はそれを求めていません。

うまくいこうが失敗しようが、淡々と今日やるべきことをやるだけです。

今回の話がご参考になれば幸いです。


追伸:

そして今回は久々に視聴者さんの声を取り上げたいと思います。

今映っているのはiTunesの画面です。

たまにこのページを見るんですが、最近とても嬉しいレビューをいただきました。

お客様の声としてご紹介します。

ペンネームは「ゆーみん公邸料理人」様です。

最近はSNSもフォローしてくださっていると思います。

ありがとうございます。

レビューを読ませていただきます。

「この放送に出会えたことに感謝。

どの回も深く納得のいく内容で心の奥に静かに響きました。

軽やかな引き寄せとは異なり、真実に誠実に向き合う姿勢が全回を通して伝わってきます。

内側を輝かせ、大いなる存在へ祈ることの尊さをこの方から学ばせていただきました。

このような尊い放送に巡り会えたことに感謝し、淡々と活動を続けておられるお姿に心より敬意を抱きます。」

本当にありがたい言葉で、励みになります。

こういったことも、最初から期待していたわけではありません。

意図して引き寄せたわけでもありません。

淡々と活動を続けてきた結果、こうした言葉をいただいたということです。

成功しようが失敗しようが、この動画や音声が再生回数を多く取ろうが少なかろうが関係なく、私は自分の宇宙的使命だと感じたことに取り組んできただけです。

たとえそれが間違っていても、そう感じることに向かっていった結果です。

その中で、意図的ではない思わぬお声もいただく。

これは想定外のことです。

だから私は成功をイメージしていませんが、自分の思った以上の運命が展開していく。

私はこれが本当の引き寄せではないかと思っています。

引き寄せようとしなくても、結果的に自分の意図を超えた運命がおのずと展開していく。

これを古い日本語では「自然(じねん)」と呼びます。

私はこの考え方が好きですね。

成功哲学が向いている人もいるし、私のように苦手な人にはまた別の方法があります。

いろいろ学んで、自分に合う方法を試していただくのが良いと思います。

ゆーみん公邸料理人様、本当にありがとうございます。

今後ともよろしくお願いいたします。

ありがとうございました。

改めて、今回の要点

  • 上の文字起こしはまだ編集中です
  • ここまでの文章は誤字脱字を含む「ざっくり文字起こし」の段階です
  • 1週間以内に完成させます
  • 良かったら、先にYouTubeに(ショートも含めて)「いいね!」していただけると励みになります

なお、YouTube(Podcast)は今回の文字起こし編集でカットした部分があります。

今回も動画と文字起こしは少し内容が変わります。

なので動画(または音声)もご視聴いただけると、より理解が深まるかと思います。

※この下に「音声プレーヤー」があります。倍速再生も可能ですし、YouTubeより通信量も少ないし、スマホを画面オフにしても聴けるので便利です。

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