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第341回:魂の力とは「人事を尽くして天命を待つ」祈りの深さで決まる

※ウェブサイト『マジスピ』には音声の文字起こし(読みやすく加筆修正済)があります。

■YouTubeではメモ、資料、スライドなどを映していますが、音声プラットフォームの「ながら聞き」でも十分ご理解いただけると思います。

ウェブサイトでは最下部に音声プレーヤーがあります。倍速再生も可能ですし、YouTubeより通信量も少ないし、スマホを画面オフにしても聴けるので便利です。

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ここから下は編集中です。「一部に誤字脱字を含む、ざっくり文字起こしの段階」をご理解の上で読んでください。配信日から1週間以内に加筆修正して読みやすい文章にしますので、待てる方は少しお待ちください。

今回の要点と要約文

今回の要点

  • 祈りにはお願い型と断定型があり、どちらも人の在り方によって使い分けられる。
  • 祈りとはエゴを否定するものではなく、浄化しながら器を大きく育てていく行である。
  • お願い型と断定型は対立せず、循環しながら統合され、成熟した祈りへと至っていく。
今回の要約文

■魂の力とは「人事を尽くして天命を待つ」祈りの深さで決まる■

前回、祈りには二種類あって「~が叶いますように」という〈お願い型〉と、「~はすでに叶っている/叶いつつある/叶った」という〈断定型〉があるとお伝えしました。

伝統・新興問わず大半の宗教は〈お願い型〉です。

一方、現代の成功哲学・自己啓発・スピ系の引き寄せは、圧倒的に〈断定型〉を好む。

というのは〈断定型〉は良く言えば主体性があり、悪く言えばエゴイズムだからです。

神仏・宇宙が主役の〈お願い型〉より自分が主役の〈断定型〉の方が、野心のある人間にとってはやり甲斐があるわけです。

前回は伝統的かつエゴの混入しにくい〈お願い型〉を推奨していましたが、それからいろいろ考えた結果、新たに次のような考えを思いつきました。

たとえ〈お願い型〉の祈りであっても、是が非でも成就させたい悲願であれば、「何としてでも絶対に叶えるぞ!」という〈断定型〉にまで深まっていく。

また、たとえ〈断定型〉の祈りであっても、その内容が大きければ大きいほど、結局は「天・地・人」という他力を得なければ叶わない。

そうでれば〈他力型〉もまた突き詰めれば〈お願い型〉に変容していく。

このように〈お願い型〉と〈断定型〉は決して対立するものではなく、「陰極まれば陽、陽極まれば陰」という相互作用の関係、動的平衡の関係にあるわけです。

ちょうど「人事を尽くして天命を待つ」とは、「人事を尽くす」〈断定型〉と「天命を待つ」〈お願い型〉が融合・統合された姿だと改めて認識させられ、深いなぁとしみじみ感じました。

どちらのルートにせよ、小さなエゴを超えて、天をも衝くほどの大きな祈りであることが前提条件です。

小さなエゴで〈お願い型〉の祈りをするのは、これが前回言った弱い「他力本願」の祈りです。

また小さなエゴで〈断定型〉の祈りをするのは、自分だけの成功や安泰しか考えない器の小さな人間のやることです。

この「小さなエゴ」というのが、意外と厄介なんですね。

「小さな善人」と言ってもいいですが、こういう人は悪人ではないんだけど自分の小さな幸せしか考えないから、オーラとしてはあまり強くも大きくもないんです。

大きく不幸にもならない代わりに、大きく成長もしない。

人生がこの世限りの存在ならそれでも良いかもしれませんが、ところがスピリチュアル的にはあの世もあるどころか、この世の生はほんの断片に過ぎない。

その視点からすれば「小さな善人は、大して感動のない人生」ということで、決して上等とは言えないわけです。

一方「大きなエゴ」を持ったいわゆる "悪人" の方が、いろいろ痛みや困難もあるだろうけど、大きく美しく成長できる可能性も多く持っています。

最初は野心バリバリでも、いろいろ人生経験を積んで反省して浄化されていくと、大きくてキレイなオーラになる。

こういう人の方が、結局は「大きな善人」になるわけです。

だからエゴというのは捨てず(そもそも捨てられませんが)、むしろ大きく育てていくということが、スピリチュアルな成長・成熟にとっては大切なことですね。

要点・要約文を読んで、あとは動画でご覧になりたければ以下からどうぞ。


祈りにはお願い型と断定型という二つの在り方がある

今回は前回に続き、祈りについて考えていきたいと思います。

前回のタイトルは「本当に願いを叶えたいなら、エゴを手放して本気で祈ること」でした。

今回はその続きとして「宇宙が味方する祈り方」について、さらに考えていきたいと思います。

まず前回は、祈りには二種類あるというお話をしました。

一つ目は〈お願い型〉の祈りです。

これは「~でありますように」「~が叶いますように」という形ですね。

伝統・新興を問わず宗教的な祈りの大半はこの〈お願い型〉になります。

そして二つ目が〈断定型〉の祈りです。

これは「~はもう叶っている!(現在形)」「~は叶いつつある!(現在進行形)」「~は叶った!(過去形)」と強く念ずるやり方です。

現代の成功哲学、自己啓発、スピ系の引き寄せでは、この〈断定型〉の方が人気があります。

なぜなら、〈断定型〉の方が「自分がやっている感じ」が得られるからです。

人生の主役は自分であり、自分の力で夢や願望を実現するんだ、という考えの方がやり甲斐が感じられる。

「自己実現」とはこういうこと。

自分が主役・主演・主人公、自分がスポットライトを浴びる、自分が賞賛を受ける、そういう自分がヒーロー or ヒロイン・シンデレラという価値観です。

一方〈お願い型〉の祈りは、自力ではなく他力にゆだねるわけだから、主役は自分ではなく「神仏・宇宙」です。

これは「自己実現したい人たち」からすれば、自分が主人公じゃないから物足りないし、「叶いますように」だなんてなんて弱気・弱腰なんだろう、と思うかもしれません。

これを悪い意味での「他力本願」だと言う人もいますが、本当はそうじゃないんだよということは前回説明した通りなので、よければチェックしてみてください。

前回と合わせて今回をご覧いただくと、より理解が深まりますよ。

では今回も、AIが作った資料をもとに進めていきたいと思います。

では、一枚目のスライドです。

「夢の主役は本当に自分なのか」というのは何回か前にもお話ししました。

肉体そして自我を持って生きている以上、人生の主役は「自分」だと思いがちです。

けれども真のスピリチュアルという観点からは、本当は夢こそが主役であって、自分は「夢が宿る器」に過ぎません。

ですから、もし私たちがある夢を抱いて歩み、道半ばで諦めたり斃れたりした場合、その夢はいわば「スピリット」として、同じような意欲を燃やしてくれる「器」へと移っていきます。

私たちができることは、大きな夢を受け取れるだけの「器」を準備しておくことだけ。

先ほどお話しした〈お願い型〉の祈りは、このような謙虚な立場から生まれます。

だから私は前回、原則としてはエゴの混入しにくい〈お願い型〉の祈りをオススメしたわけです。

ただ、前回の配信から改めて考えていくと、一歩進んだ新しいアイデアが浮かんできました。

それについては、今回の最後のセクションでお伝えしたいと思います。

次のスライドでは、「小さなエゴ」と「大きなエゴ」について書かれています。

これも何回か前に語った内容の振り返りプラスアルファです。

例えば、自己啓発や成功哲学で言うところの大きな野心や野望は「大きなエゴ」に当たります。

生まれ持ってエネルギーが強い人、あるいは強い欠乏感やコンプレックスを抱えている人は大きなエゴを持ちやすい傾向があります。

そのエネルギーで突き進み、実際に社会的に成功する人もいるわけです。

「大きなエゴ」を持つ人にとっては、自分が主体的になる〈断定型〉の祈りの方を好みます。

以前紹介した成功哲学の元祖・マーフィーはエゴイスティックな〈断定型〉の祈りを提唱する部分もあります(これが野心を持つ人にはウケた)。

一方「小さなエゴ」の人は、そうした大きな野心をなかなか持てない人です。

人を押しのけてでも成功してやろう、という気持ちを持ちにくい。

ただしここで言いたいのは、もともと小さなエゴの人も〈祈り〉の行を通じて「清らかで大きなエゴ」へと自分の波動を成長しなければならないということです。

というのも、小さなエゴは意外と厄介だからです。

一見すると謙虚に見えるのですが、実は結構タチが悪い自己中心性を隠し持っています。

例えば、自分が生活できればそれでいい。

自分の家族が幸せであればそれでいい。

神社では「家内安全」や「商売繁盛」しか祈らない。

こうしたお願い事は「自分の半径5メートル以内」に限られているので、これは小さなエゴなんです。

こうした人は、人間としての成長はほとんど見込めません。

スピ系で言えば、「覚醒」や「目覚め」といった言葉もこの小さなエゴに含まれます。

意外に思われるかもしれませんが、その理由はこれもまた「自分の幸せ」を中心に考えているからです。

私はあまり見ませんが、YouTubeなどでスピ系の動画のタイトルを眺めていると、「覚醒した人の特徴」といったものをよく見かけます。

そういうのを少し注意して見れば、すぐわかりますよ。

大半が「自己完結」していて、「自分の悟り」しか考えていない。

だから、これもまたれっきとした「小さなエゴ」なんですよ。

もちろん大きなエゴというのは、野心がバリバリのままでは重苦しいエネルギーです。

エネルギー自体は強いけれど、あまり品性や品格までは伴っていないことが多い。

ただしエネルギーが大きいぶん社会にインパクトを与えるという点では、小さな自分のカラを超えた部分はあるわけです。

剥き出しの大きなエゴとは重油のようなドロドロしたエネルギーですが、それを精製して浄化するプロセスを辿れば、クリーンかつ大きいエネルギーとして活用することができるようになります。

それが「聖なる野心」という表現になるわけです。

どうせ祈るのであれば、私たちは小さなエゴから大きなエゴへ、さらに「聖なる野心」へと高めなければなりません。

小さなエゴのまま、自分の小さな幸せのみを求めて祈るというのは、エゴイズムを肯定したままなので波動としてはあまり大した器にはなれません。

というか、厳しく見れば、それは決して祈りではないんです。

「自分さえ良ければええねん!バリバリ儲けたろうやないかい!」というドロドロした熱量を、「本当に世のため人のためになることを、ガンガン働いて実現させていくぞ!それが自分の喜びだ!」という感じで、クリーンで大きなエネルギーへと転化・点火させていくことが本当の祈りなんです。

この目的を間違えると、いくら「祈ったフリ」をしたところで、大してモノにはなれません。

ところが困ったことに、宗教団体やスピ系ではあまりこういうことは教えません。

なぜなら、それらの大半はエゴイズムを肯定しているからです。

そうでもしなければ、人がなかなか集まってこないからです。

悲しい世の中じゃのう。

祈りとはエゴを浄化し器を大きく育てていく行である

では次のスライドにいきます。

右上の方が私の顔で、少し見えにくいかもしれませんが、解説していきますね。

最初は野心から始まるわけです。

例えば、お金を稼ぎたい、もっとモテたい、あるいはコンプレックスを埋めたい、といった動機ですね。

野心で始まったものでも、自己中心的な野心だけで、この社会を渡っていくのは、なかなか難しいと思うんですよね。

やっぱり途中で壁にぶつかって、怪我をして、気づいて、浄化されていく。

その中で、自分中心の野心だけでは通用しないということを、身をもって知るわけです。

その結果、エゴは大きいまま、輝きを増していく。

そうなるための祈り、ということですね。

これはさっきも少し触れましたが、主役は夢であって、私はあくまで器である、という考え方です。

そういった謙虚さを持つことが大事なんですね。

今、器という言葉を使いましたけれども、謙虚さというのは、まさに器に例えられます。

空っぽの器です。

つまり、自我が前に出ていない状態、エゴを横に置いている状態ですね。

そうすると、自分という器は空っぽになる。

そこに宇宙エネルギーが入ってくる、というわけです。

これをスピリチュアル的には、明け渡しと呼んだり、サレンダーという横文字を使うこともあります。

自分を明け渡せば明け渡すほど、その真空に宇宙エネルギーが入ってくる、ということですね。

ただ、このときに注意しなければいけないのが、小さなエゴの人は器自体が小さい、という点です。

小さなエゴのまま、自分さえ良ければいい、家族さえ良ければいい、つつましい生活で、無事平穏に何事もなく過ごせればいい、という在り方は、小さなエゴです。

そうすると、いくら明け渡したとしても、器が小さいので、スケールはあまり大きくならないんですね。

ここで気をつけなければならないのは、祈りや瞑想を十年、二十年、三十年と続けている人でも、器が小さいままだと、波動はあまり光り輝かない、ということです。

この話をすると、ショックを受ける人もいるかもしれませんが、それは仕方がないと思っています。

なぜなら、いくら世界平和を祈っていますと口では言っていても、実際には自分の幸せしか考えていないのであれば、器が小さくなるのは当然だからです。

だからこそ、自分は本当に大きな祈り、大きな理想を持っているのか、ということを、常に自問自答しなければならないわけです。

次のスライドです。

ここもAIが作った言葉ですが、「成長がメインストーリー、成功はその副産物」と書いてあります。

これは何回か言ってきましたが、成功は約束されていない。

しかし、成長は約束されている、ということです。

いくら社会的に成功したとしても、その時点で成長への歩みを止めてしまった瞬間に、オーラはズゾーンと重たくなってしまいます。

この世的には、それで一丁上がりで、あとは遺産で死ぬまで食っていける、という話かもしれません。

けれども、動的には重たくなってしまう。

だから常に成長を目指していかなければならない、ということです。

私自身もそうですが、ある程度うまくいってしまうと、どうしても気が緩むんですよね。

だから気を引き締めるために、絶えず神との対話を持つ。

それが瞑想であったり、祈りであったり、あるいは日々の実践であったりします。

そうやって、常に成長を目指していく、ということです。

何回か前のマジスピラジオで、成功の定義について語った回がありますので、よければそれも参考にしてください。

次のスライドも、これまでの復習になります。

本当に大きな祈り、夢、理想であれば、自分一代では叶わないわけです。

最近のショート動画でも、死後の世界をちゃんと見据えた方がいい、という話をしました。

これも自分の器を決める要素の一つです。

意識が現世の人生だけに限定されているのか。

それとも、自分の死後の世界、自分が死んだ後の地上世界、さらには、いわゆるあの世、霊界と呼ばれる世界まで見据えているのか。

そこまで含めて見ているかどうかが、自分の器を決めるわけです。

こういった話は、一回や二回聞いただけでは、ほとんど分かりません。

だから私は、あえて何回も繰り返して話しているし、自分自身にも言い聞かせているわけです。

では次のスライドです。

ここもAIが、私が考えていない言葉を作ってくれていますが、「新しい強さ、消えることで強くなる」と書いてあります。

これだけ読むと、正直よく分かりませんよね。

ここで言う「消える」というのは、自分が消える、ということです。

つまり、主役はあくまで真のもの、宇宙である、という立場に立つことですね。

先ほど話したお願い型の祈りというのは、まさに自分を消す祈りです。

そのことによって、自分を超えた大きな力に委ねることができる。

そうすると、自分の肉体的な力を超えたエネルギーがやってくる。

それが、この強さになるわけです。

もう少し具体的に言うと、この世で成功しようが失敗しようが構わない、と覚悟できる状態です。

これは相当強いですよね。

普通は、人の目を気にしたり、評判を気にしたり、数字を気にしたりして、迎合したり、忖度したり、意見を変えたりするわけです。

でも、自分が消えることで、そういったものにとらわれにくくなればなるほど、人は強くなっていきます。

私自身も、そうありたいと常に思っています。

ここで、前回からのアップデートとして、もう一歩先の話をしていきたいと思います。

冒頭でお話ししたお願い型の祈り、そして断定型の祈り、そのさらに向こう側の話です。

ここに「覚醒へと至る在り方」、そしてこれもAIが作った言葉ですが、「宇宙が味方する祈り方」とあります。

結果を決めつけず、何とかでありますようにと祈り、成長のプロセスを歩み続ける、という姿勢ですね。

結果はコントロールできません。

運命は、自分で決められるものではないからです。

宿命も同じです。

生まれる両親や、時代や、場所。

それらは自分の意思で決めることはできません。

これは、私の好きな松下幸之助がよく言っていた言葉ですが、人生の九割はすでに決まっている、という考え方ですね。

この点については、私も大いに共感しています。

人間ができることは、残りの一割に過ぎません。

ただ、その一割に、百パーセントの力を込めて生きていく。

その原動力となるのが、この祈りです。

ここで言う祈りは、「ありますように」というお願い型の祈りですね。

お願い型と断定型は対立ではなく螺旋的に統合されていく

前回は、断定型の祈りはあまりやらない方がいい、やるならエゴイズムに注意してください、という注釈をつけました。

ただ、この一週間、いろいろ考えている中で、さらに奥があるな、と感じたんですね。

それを今回、説明していきたいと思います。

こちらの左側がお願い型、右側が断定型です。

これも前回お話ししましたが、お願い型の祈りは、主役が真のもの、宇宙にあるため、自分というエゴが混入しにくい。

一方で、断定型の祈りは、自分が主役になるので、気持ちよさはある。

その分、エゴが入りやすいというデメリットとメリットの両方がある、ということですね。

ところがですね、お願い型の祈りというのは、何とかでありますように、叶いますように、どうしても叶いたいんです、だから神様お願いします、というふうに、だんだん切実になっていきます。

それが、悲願と言っていいレベルまで高まってくると、自然と断定に変わっていくんですね。

ここに、今回私は気がつきました。

分かりやすいのが受験です。

どうしても合格したい。

単なるお願いではなく、どうしても合格させてほしい、という思いになれば、心の中では、絶対合格、必勝、といった言葉が浮かぶはずなんですよ。

その上で、神社に行って絵馬を奉納してお願いするわけですよね。

つまり、お願い型の祈りが強くなっていくと、断定へと変わっていく、ということです。

そしてもう一方、断定型についても同じことが言えます。

例えば、自分が生きているこの人生のうちに、これだけはどうしても叶えたい。

でも、自分の力だけでは足りない。

もっと遠くの力を呼ばないと無理だ。

それでも、どうしても叶えたい、というところまで思いが深まれば、この断定型も、最終的にはお願い型へと変わっていくんですね。

スライドをご覧いただければ分かると思いますが、これは対極図です。

因極まれば要、要極まれば因、という考え方ですね。

つまり、お願い型も突き詰めていけば断定型に変容していく。

そして、断定型も突き詰めていけば、お願い型へと変容していくわけです。

ただし、これはどちらも、エゴが大きい人の道なんですね。

小さなエゴの人には、なかなか難しい。

欲望が控えめな人の場合、神様にお願いするとしても、良かったらワンチャン叶うといいかな、もし良かったらお願いします、ぐらいの小さな感じになります。

断定型も、小さなエゴのままだと、そこまでいきません。

自分さえ良ければいい、自分の家族さえ良ければいい、そういった小さな願いであれば、比較的叶いやすい。

でも、そこから大悲願と呼べるほどには、なかなかならないわけです。

ですから、ここで言っているのは、大きなエゴ、より大きな人生、自分という存在を宇宙大にまで拡大させていこうとする、聖なる野心を持った人の在り方なんですね。

たとえ断定型で、すでに叶いました、叶っています、という祈り方をしたとしても、最後は他力の力が必要になる。

昔の言葉に、天の時は地の利にしかず、地の利は人の和にしかず、というものがあります。

何事にも時があり、タイミングがある。

そして、それが整ったとしても、自分一人では何事も成し遂げられない。

やはり、人の輪、いろいろな人たちの協力がなければ、願いを実現することはできないわけです。

たとえ断定型で、俺がやる、私がやる、と思っていたとしても、自分一人でできることには限界があります。

それが分かれば分かるほど、私たちはお願い型の祈りへと戻っていく。

お願い型と断定型は、対立する考えではありません。

絶えず循環しながら、このスライドにもある通り、螺旋的に発展していくものなんですね。

ただ、祈りというものが発展し、成熟していくためには、エゴは大きくなければいけない。

最初は、バリバリの野心でも構わない。

それが浄化されて、本当に大きな、聖なる野心へと育っていけるかどうか。

そのために、私たちは祈るわけです。

芸能界なんて、分かりやすい例ですよね。

若い頃はギラギラして、尖っていて、怖かった、という話をよく聞きます。

でも、人生経験を積み重ねて、ベテラン、あるいはレジェンドと呼ばれるようになると、まろやかになってくる。

人格も大きくなっている。

芸人の世界でも、そういう話はよく聞きますよね。

エゴが大きいからこそ、若い頃はドロドロ、ギラギラしている。

それ自体は、あまり品性はないかもしれませんが、それを育て、成熟させていった先に、後半のまろやかさ、そして大きな人格が生まれてくる。

逆に言えば、エゴが小さいと、何をやっても、祈りや瞑想をどれだけやっても、あまり物にならない。

これは私自身にも向けられた問いなので、気をつけなければいけないな、と思っています。

今回のまとめになります。

自己啓発的な成功哲学で語られる、必ず実現するという強い意志。

この野心も含めた力ですね。

ただ、最終的にそれが成就するかどうかは、天・地・人、とりわけ天の采配によるわけです。

だから、必ずできると思いながらも、運命はどうなるか分からないから委ねる。

この相反する、あるいは矛盾する想念を、同時に抱え込む。

魂の力というのは、この矛盾を抱えられる力のことなんですね。

もう少し分かりやすく言うと、リーダーが部下や組織にどう接するか、という話と同じです。

愛を持って接するのか、それとも厳しさを持って接するのか。

愛と厳しさは、根本は同じですが、表面的には矛盾していますよね。

情けをかけるべきか、厳しく、ときには首を切るぐらいの覚悟で臨むべきか。

これは時と場合、立場によって、常に変わっていくものです。

だから、固定化することはできない。

この葛藤を、どれだけ強く、深く抱えられるか。

それが器の大きさだ、ということです。

ここでも同じで、エゴが小さいと、こうした矛盾を抱えられません。

エゴの小さい人は、見た目にはいい人かもしれませんが、魂は強くない。

これはオーラを見ても分かります。

汚れは少ないけれど、輝きも少ない。

これが、小さな善人です。

社会的には、害が少ないので、割とスムーズに人生を歩める、というメリットはあります。

ただ、魂という観点から見ると、成長や成熟という意味では、少しもったいないタイプでもあります。

これを昔からの言葉で言えば、人事を尽くして天命を待つ、ということになります。

AIが縦書きで書いてくれましたが、要はこの一言に尽きるわけですね。

人事を尽くすというのは、断定型として、私は絶対にこれを叶える、という姿勢です。

しかし、それが最終的に成熟するかどうかは、天命を待つしかない。

これも、相反するものを魂として抱え込む力だと思います。

改めて、この言葉の奥深さを感じました。

最後のスライドです。

ここでもAIが、「プロセスを歩み続けよう」と書いてくれています。

真のスピリチュアルを学び、日々実践していくためには、自分を超えた大いなるものに委ねていく姿勢が、必要不可欠です。

それが、祈りということですね。

祈りの文言については、各宗教、さまざまあります。

宗教や信仰宗教に関しては、あなたが一番しっくりくるものを選べばいい。

私は仏教の教文も好きですし、法華経も好きですし、よく言っている世界平和の祈りも好きです。

そのときに、ピンときたものを唱えています。

あなたも、たった一つでもいい。

南無妙法蓮華経でもいいし、般若心経でもいい。

それぞれに与えられた縁の中で、決めていただければいいと思います。

本当に宇宙が味方する祈り方というのは、自分はこれだけは成し遂げたい、という悲願にも似た思いを抱き続けながら、同時にそれを委ねること。

断定型とお願い型の統合、融合ですね。

これが、あるべき祈りの姿ではないかと、私は思いました。

私自身も、考えながら実践しています。

今回は、前回からアップデートされた考えとして、お話しさせていただきました。

ご参考になれば幸いです。

改めて、今回の要点

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なお、YouTube(Podcast)は今回の文字起こし編集でカットした部分があります。

今回も動画と文字起こしは少し内容が変わります。

なので動画(または音声)もご視聴いただけると、より理解が深まるかと思います。

※この下に「音声プレーヤー」があります。倍速再生も可能ですし、YouTubeより通信量も少ないし、スマホを画面オフにしても聴けるので便利です。

マジスピラジオ:脱・お花畑の「真のスピリチュアル実践」
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