※ウェブサイト『マジスピ』には音声の文字起こし(読みやすく加筆修正済)があります。

■YouTubeではメモ、資料、スライドなどを映していますが、音声プラットフォームの「ながら聞き」でも十分ご理解いただけると思います。
ウェブサイトでは最下部に音声プレーヤーがあります。倍速再生も可能ですし、YouTubeより通信量も少ないし、スマホを画面オフにしても聴けるので便利です。
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目次
今回の要点と要約文
今回の要点
- 「高い理想」や「深い祈り」は宇宙エネルギー(神霊波動)と同調するため、大きく思い描いて実践するほど能力が向上してゆく。
- 自分の「魂の声」に忠実な人間(本当の祈りに生きる人間)は独自の運命を歩めるようになるが、この世的には孤独の苦悩が深くなることが多い(しかし当然のこととして受け入れられる)。
- この世を超えた理想があればこそ「すべてはしょせんこの世のこと」と突き放せる。そんな人間こそ、魂の成長を求めて「この世の成功」を本気で求めること。
※要点は以下のショート動画でも語っています
今回は前回の補足です。めちゃくちゃ大事なことを語ったつもりですが、ちょっと難しかったかもしれないので。
「祈り」というと、多くの人は「癒し」や「安心」を思い浮かべるでしょう。
なぜなら、その多くは「神仏に守ってもらいたい」という願いが込められているからです。
でも祈りによって「神仏に守ってもらえる」のが本当だとして、それは何のためなんですか?
ただ「守ってもらいたい」んですか?
無事平穏な人生を送りたいんですか?
運気アップしたいんですか?
ビジネスで成功したいんですか?
素敵なパートナーが欲しいんですか?
これらすべて、「人間の情」としてはそうあってほしいことですね。
でも、神仏の立場、霊的な立場に立つと、本当はそうではない。
神仏に守ってもらう目的は、そして守護霊や守護神に大難を小難にしていただく目的は、たった一つしかない。
それは、苦悩に満ちた物質世界において苦悩を乗り越え、さらに世のため人のために生きるために他ならない。
テメー個人の小さな幸せのためだけに、神仏が守るかってんだ。
神仏はそんなヒマでもなければ、「お人好し」でもないって。
神仏ですら、われわれ人間どもに「見返り」を求めているんですからね。
その「見返り」とは、少しでも神仏に近づけるよう成長する行為であり、その実践として他人に手を差し伸べること。
確かに神仏・守護霊・守護神はどうしようもないクズにも手を差し伸べるが、いま言った「お返し」をキッチリやる意志のある人間には、もっともっと力を貸す。
それが真理なら、祈りはマジメな優等生の謙虚なお願い事ではなく、「もっとバリバリ世のために人のために働いてやるぞ!!」という強い意志(前回述べた「聖なる野心」)でなければならない。
本当の祈りは「癒し」や「救い」じゃないんですよ。
それはまだまだ初級過程なんです。
本当はもっと厳しい行なんですが、それをストレートに言っちゃうと宗教団体に信者は集まりにくいし、スピリチュアルビジネスも集客に困ってしまう。
(私は別にそれで構わないと思ってますけど)
だから、癒し癒し癒し、願望実現・成功・引き寄せばっかり謳うんですよ。
でも、ちょっと考えたらそれらを本当に実現するには、この世の理不尽に負けないタフさが必要なんです。
本当に夢や願望を実現できる人間が少ないのは、弱いからです。
この世でちょっと困難なことがあったら、すぐあきらめてしまうからです。
だったら、本当に強くなれる方法を実践した方がいいでしょ?
お釈迦様が「この世は苦なり」とおっしゃった通り、この世は苦悩の世界なんです。
それを乗り越えるために、いろんな教えを残されたわけ。
苦悩を乗り越えるためには、強くなるしかないんですよ。
体力や筋力と同じように、鍛えるしかないんですよ。
鍛えるための簡便にして強大なる霊的技法が、本当は祈りなんです。
筋トレと同じなんだから、そりゃ苦しいに決まってる。
だからこそ、最初から「ラクして得られるものは絶対ない」「何でも実現しようと思ったら"等価交換"としての努力が必要だ」と覚悟しなければならないわけです。
この覚悟も「祈り」なんですよ。
最初からこの覚悟ができたら、かなりラクになります。
苦しいのが当たり前なんだから、それが「普通」になったら、もう苦しくない。
別に難しくないんですけど、「あなたも必ず成功できる」とか「願いはすべて叶う」とか、クソみたいな世迷い言ばかり頭に入れてしまうと、本当に魂が弱くなってしまう。
成功とか失敗とか、「しょせんこの世のこと」なんですよ。
そんな現象はすべて無常であり、仮相/仮想の世界の一瞬の戯れに過ぎない。
祈りは、そんな「この世のこと」は相手にしない。
この世のことなんか、本当にどうでもいいんだ。
それより「天」だけを見据える、天だけを信じて仰ぐこと。
その実践として、あえて「無常としての儚い成功」を求めていくこと。
この実践を欠けば、この物質世界を生きる意味が半分以下になるでしょう。
要点・要約文を読んで、あとは動画でご覧になりたければ以下からどうぞ。
高い理想を持つほど、受け取る「宇宙エネルギー」は増大する
今回は前回の補足回になります。
前回はタイトルは「第342回:魂の成長のためにこそ”この世の成功”を本気で祈れ【スピに逃げるな】」というものでした。
ただ、内容が少し難しかったり、あまり他では聞かないような話も含まれていたと思いますので、今回は補足として丁寧に説明していきます。

このスライドのサブタイトルはAIがつけてくれたんですが、なかなか秀逸だなと感じました。
「見果てぬ夢を現実に『降ろす』ためのパラドックス」って、かっこいいじゃないですか。
パラドックスは「矛盾」という意味ですが、これについては後ほど説明します。
さらに細かい字ですが左下に注釈がついており、これもなかなか面白い。
前回のテーマ「魂の成長とこの世の成功」の真相解剖。
なぜ精神性を高めるために、あえて俗世の成功を求めるのか?
これは単なる自己啓発ではない。
無限のエネルギーを有限の肉体に流し込むための「霊的技術」である。
AI、かなりイケてますね。生産性の向上になって有り難い。
これもカッコよく言ってくれてますが、実際はそれほど難しいことではありません。
ただし奥の深い話ではあるので、文字通り深いレベルで理解するのは簡単ではないと思います。
私の説明不足もあるでしょうが、それでもYouTubeやPodcast(音声)を一回聞いただけでは厳しいと思うので、よろしければ何回か繰り返し聞いていただき、その上で自分なりに考え、祈り、瞑想してみてください。

では、次のスライドです。
前回はキング牧師の有名なスピーチ(I Have a Dream)を取り上げました。
そこで語られている「見果てぬ夢」は、成功哲学・自己啓発が言うようにイメージできません。
高次元であればあるほど、物質であるところの脳を超えているからです。
前回の内容に疑問を抱くであろう箇所は、
「なぜ私たちはキング牧師やガンジーのような古今東西の偉人たちと同じような〈見果てぬ夢〉を抱いたほうがいいのか?」
ということだと思います。
前回は「叶うか叶わないかは別にして、少なくとも心の世界にだけは大きな夢を抱きましょう」と提案しました。
それは、見果てぬ大きな夢を抱くほど、受け取る「宇宙エネルギー」の量が増大・増幅していくからです。
祈りとは「天を仰ぐ」ということ。
それは、自分の魂の器を天に向けること。
見果てぬ大きな夢を抱くことは、宇宙エネルギーを多く受け取る大きな器を用意することです。
ところが前回述べた通り、商売繁盛、家内安全、健康第一など自分だけの幸せを願うことは、「半径5メートル程度の小さな器」にしかならない。
これは祈りではなく、小さなエゴの小さな欲望です。
そうなると器が小さいので、宇宙から受け取れるエネルギーには限界があります。
このスライドの絵が面白くて、小さな器にはヒビが入ってますね。
ですから受け取る量も小さい上に、たとえ入ってきても漏れてしまうわけです。
だから合理的に考えても、半径5メートルの幸せしか願わないのはマイナスでしかないんですよ。
一方〈見果てぬ夢〉を抱きながら実際に行動を積み重ねる人間は、直感力、洞察力、集中力、忍耐力、実行力といった、人間のさまざまな能力が向上していきます。
何回でも言いますが、たとえその夢が叶わなくてもいい。
だって〈見果てぬ夢〉なんだから、すべて叶うわけないでしょ?
ここまでお読みのあなたは、きっと生命力を増大・増幅させて生きてきたいと願っているはず。
そうであれば「半径5メートル」を超えて、10メートル、50メートル、100メートル、1キロ、100キロ・・・と、祈りの広さと深さを、少しずつでも広げていくことです。

ただし、これは決して簡単なことではありません。
なぜなら、私たちは肉体、半径5メートルの幸せしか考えないような本能=エゴを与えられているからです。
その本能が優位であれば「そんな偉人が抱けるような〈崇高な祈り〉や〈見果てぬ夢〉なんて、自分には無理に決まっている」と思ってしまう。
こういう話を聞いても「自分には関係ないことだ」とか「自分みたいな小さな人間がそんな大それたことなんて」と思ってしまう。
これは一見すると謙虚に見えるのですが、実はエゴイズムなんです。
というのも、自分という存在を「肉体だけの有限な存在」だと思い込んでいるからです。
これを仏教では無明(むみょう)というわけですね。
このマジスピラジオをずっと聞いている方であれば、「人間は肉体だけの存在ではなく、目に見えない体、少なくともオーラのようなものがある」ということは、頭では理解しているはずです。
それを頭の理解だけで終わらせず、(オーラは観えなくても)実感として掴み取っていくにつれ、少しずつ肉体の制限を超えていけるようになります。
伝統宗教、新興宗教、スピリチュアルを問わず、真の霊性(マジスピ)はこの肉体の制限を超えていくために存在しています。
この肉体の制限を超えていくための行(ぎょう)が、祈りなんです。
〈見果てぬ夢〉や〈崇高な理想〉は、もちろん祈りですよ。
独自の運命を歩むには、人に嫌われても構わない覚悟が必要

もちろん、実際に〈見果てぬ夢〉や〈崇高な理想〉を抱こうとしたら、葛藤が生まれます。
肉体を超えた霊的な自己、ここでは「大きなエゴ」と呼ぶことにしますが、その大きなエゴと肉体を自分だと思い込む「小さなエゴ」が、常にぶつかり合うわけです。
肉体は現状維持を求めます。
自分さえ良ければいい、ラクであればいい。
働いたら負け(笑)
これが「小さなエゴ」のホンネです。
一方で、霊的な存在としての自分は、どこまでも生成発展、進化向上しようとする無限なる存在です。
だから、自分が魂の存在、霊的な存在であると悟れば悟るほど、現実の自分の状況に関係なく〈見果てぬ夢〉を思い描けるようになっていきます。
「現実の自分」がショボい存在でも、全く構わないんですよ。
後半の文章でも言いますが、それは「しょせんこの世のこと」なんですから。
・・・って言われても、「いやいや、ワタシはそんな立派な人間じゃないんで・・・」と反射的に思う人は、決して少なくないと思います。
「"現実のあなた" は関係ないんだよ」「今はバカでもアホでもええねんで」って私が言っても、言えば言うほど反発してしまうかもしれません。
この「バカの壁」「アホの壁」を超えるために、本当は祈りがあるんですよ。
肉体本位の「半径5メートルの殻」を打ち破るために、一生懸命祈るんですよ。
ただ、何度も何度も祈っても、肉体=エゴの反発は止まってくれないでしょう。
「大きなエゴ」と「小さなエゴ」との葛藤は、常に痛みを伴います。
簡単ではないけど、これを「成長のための痛み」として受け止めていくことが大事です。
身長が伸び盛りの時期はよく「成長痛」が起こるように、精神的・霊的な成長にも必ず痛みがあります。
精神的・霊的に成長するためには、自分の未熟さやエゴを真正面から見つめなければならない。
誰にとっても、未熟な自分と対面するのはキツい。
でも、その葛藤を引き受け、それでも一歩進もうとするとき「魂の器」は少しずつ広がっていく。
半径5メートルが、今度は10メートルにまで拡大していく。
その範囲が大きい人が「あの人は器が大きい」「度量が大きい」と言われるわけです。
まともに人生を生きている人であれば、こういうのは誰でも体験的にわかっていることですね。
よく当ウェブサイトでオススメしている『世界平和の祈り』は、文字通り、世界平和を祈る祈り。
世界平和を祈るとは、「半径5メートル」から「宇宙大」にまで意識を拡大していくこと。
自分のことではなく、世界平和を "本気で" 祈ることなんです(断じて「祈ったフリ」ではない)。

世界平和を祈るのは、もちろん祈りの文言を機械的に繰り返すなら誰でもできますが、本当に思いを込めて祈るには、実は厳しい修練が求められます。
意識を半径5メートルから拡大していくのは、エゴにとっては苦痛だからです。
この意味において、祈りは決して「癒し」ではありません。
それはあくまで初級過程に過ぎないんです。
これは前回のYouTubeのサムネのコピーですけど、
「癒しばかりを求めるのは、卑しい根性」
だということ。
そういう視点で見れば、今のスピリチュアルや宗教の多くは「癒し」になっています。
今回述べているような厳しいことは言わない。
もしスピ系や宗教で「厳しいが、しかし本当のこと」を言ってしまうと、人が来なくなるからです。
それではお布施が減ってしまって困る。
スピ系も集客が細ってしまって困る。
なので「運気アップ」「引き寄せ」「豊かさ」「健康」「パートナーシップ」「表面的な心の平安」などの【現世利益】しか謳わなくなるわけ。
スピ系はもちろん、宗教団体も立派なサービス業です。
心の癒しを提供する「カルチャーセンター」です。
伝統・新興問わず、現代の宗教団体の信者は高齢化が進んでいるので、まさにカルチャーセンター、生涯学習施設。
サービス業なので「お客様のニーズ」を汲み取って、コスパの良い幸福マニュアルを、やさしく丁寧に教えないといけない。
「この教えを守れば、死後も安泰ですよ」
・・・だから、客に媚びてウケ狙いになってしまう。
スピ系の大半もそうですが、現代の大半の宗教団体の中に「真の霊性」および「真の宗教」はないでしょう。
もしあったとしても、上記の理由から大きく組織化することはできません。
「真の霊性」および「真の宗教」とは、〈神の分霊〉として、未熟さを抱えて苦悩しながら、それでも神のごとくなろうと願い、天命の道を突き進んでいくこと。
あなたがエゴイズムの本能のままの「小さな器」で今生を終えたくないなら、ただ一人で祈り、神仏・宇宙と真正面から対峙し続け、人のために生きる行動を続けなければなりません。
こういうことを「神が死んだ」現代で言ってもほとんど理解されませんが、それは「しょせんこの世のこと」。
私もエゴを抱えた弱い人間ですが、毎朝毎夕、「ただ一人で祈る」ことを決心し続けています。
そうして起業して、気がつけば10年以上になりました。
もちろん、死ぬまで続けるつもりです。

私はささやかではありますが、「独自の運命」を歩んでいる感覚があります。
上のスライドに記載している通り、大きな祈りを抱けば抱くほど「独自の運命」を歩めるようになります。
「半径5メートルのエゴイズム」を超えるほど、受け取る宇宙エネルギーが増大・増幅していき、自己固有の運命が躍動するようになるわけです。
ただし、それは同時に「孤独の道」であり、「苦悩の深い」人生です。
「お花畑スピリチュアル」が言う通り、ラッキーとハッピーの連続などあり得ません。
自己固有の運命が立ち上がり、個性的になればなるほど、人から嫌われることもあるでしょう。
普通の人が求める「物質的幸福」とは次元の違う精神性を求めているので、なかなか理解されません。
でも、それは古今東西の偉人たちも、みな同じなんです。
試みに偉人の伝記を2、3冊読めば、すぐにわかりますよ。
エジソンやアインシュタインなど、子どもの頃は「低脳」「●チガイ」扱いされていますね。
前に劇団四季の『ゴースト・アンド・レディ』を観劇したことがあるんですけど、その主人公のナイチンゲールも周囲から「頭がおかしい」と思われていました。
差別、偏見、誹謗、中傷、そして嫉妬・・・
本当に祈れば「いい人」になって好かれることはなく、むしろ「変人」「奇人」「狂人」扱いされ、敬遠されたり蔑視されたりします。
(それでも貫き通せば、上記の人物たちのように後世は「偉人」となるかもしれませんが)
ですから、真の祈りは「いい子」や「優等生」には絶対できない。
「この世を捨てる」ある種の "不良性" がなければできない。
(半径5メートルの祈りは、「人に好かれたい」「いい人になりたい」と思ってなされます。その方が現世的にトクだから)
この世に生きる全員、「自分の独自の運命を歩みたい」と思っているはずです。
ただ、本気で「独自の運命」を歩もうとすると、孤独にならざるを得ない。
肉体を本位として生きている人にとって、「独自の運命を歩む」なんて危険過ぎてできない。
「人から好かれたい」と思っている限り、「独自の運命」なんて歩めないに決まっているんです。
今回は「しょせんこの世のこと」って何度でも言いますよ。
祈りは、「天」を相手にすることです。
人のことなんて、どうでもいい。
「しょせんこの世のこと」じゃないですか。
そうやって「この世を捨てる覚悟」で祈るのは、肉体にとっては苦しいに決まっているんです。
でも「苦しいのが当たり前」だと思っていれば、別に苦しくはないんですよ。
真の宗教・真の霊性・真のスピリチュアルからすれば、「苦しいのは当たり前」ですから。
いまこうして文字起こしをしている最中だって私は苦しいわけですが、閲覧回数の少ないであろう、あまり関心を持ってもらえないだろうブログを毎週のように出すのは、しんどくて当たり前です(笑)
特に今回の内容は「自分は本当にできているのか?」といつも以上に厳しく問われるので、それだけしんどい。
でも、本当は「肉体より魂の方が強い」からこそ、本当は「煩悩より祈りの力の方が強い」からこそ、続けられるんですよ。
この「魂の力」や「祈りの力」を自覚できればできるほど、今回のタイトルの通り「苦悩の世界で、苦悩を超える」ことができるようになります。
そうなると、上っ面のスピリチュアルではなく、真の意味での「感謝と歓喜」に生きることができるようになりますよ。
この世を超えた高い理想に生きる人間は、この世でも成功してしまう可能性が高い

さて、その上でですよ。
360度回転して、あえて「この世の成功」を求めていくことをオススメします。
この話を前回したわけですが、真意をご理解いただけたでしょうか。
これは「ちゃんと現実に向き合うため」、そして「祈りに逃げない」ためです。
宗教やスピリチュアルは「現実逃避の格好の場所」ではありません。
祈りは現実逃避するための「エゴの道具」「半径5メートルの祈り」ではありません。
「この世は仮相/仮想の世界」なのは霊的には正しいのですが、実際に肉体として活動しているのはこの3次元世界です。
実は「この世」と「あの世」は、ちょうど「顕在意識」と「潜在意識」のようにカードの裏表の関係であり、決して分断されているのではない。
だからこそ、本当に「魂」としての真の幸福を求めるのであれば、この世で「成功」を求めることです。
それが宗教やスピリチュアルの、リアリティのある実践なんです。
もちろん、実際にこの世で成功するかどうかは、わからない。
成功哲学や自己啓発が言うように、「思考は現実化」しないかもしれない。
引き寄せの法則が軽々しく言うように、「願い通りに引き寄せ」られないかもしれない。
以前も述べた通り、人間は「人事を尽くして、天命を待つ」ことしかできません。
その結果はどうであれ、とにかく成長と成功を求めていくこと。
もし稼げるなら、バリバリ稼ぎましょう。
これが従来の自己啓発・成功哲学・引き寄せを超えていく道なんです。
「"しょせんこの世のこと" なんてどうでもいい」と思いながら、一方で「この世の成功」に執着してゆく。
これが今回の冒頭で述べた「パラドックス(矛盾)」なんです。
こういう話をすると「バリバリ儲けなければいけないんでしょうか・・・」とか、「稼ぐというのはちょっと・・・」と言われることもあります。
これは前回も言いましたけど、もちろんうまいものを食ったり、銀座や六本木を飲み歩いたり、ハイブランドに身を包んだり、大きな家に住んだりしろと言っているわけではないですよ。
そんなのは「しょせんこの世のこと」なんですから。
でも【祈りの実践】として人に喜ばれる人間になりたいのであれば、「儲ける」「稼ぐ」はリアルな指標です。
お客様に喜んでいただければ、その対価としてお金をいただける。
それが、この文明の仕組みなんですからね。
もちろん専業主婦や定年以降の方であれば、経済活動はあまりできないでしょう。
もしそうなら家族のために真剣に祈り、そこで得た「直観」を真剣に実践したらいい。
もし定年後であればアルバイトや嘱託(定年後の再雇用)として働くのも一つだし、きっと時間があるでしょうから趣味や勉強に本気で打ち込むのも一つです。
今やブログやSNSやYouTubeなど発信手段はいくらでもあるのだから、本気で祈りの道に生きたい人は、死ぬ寸前まで社会に貢献し続けることです。
もしそれで対価がいただけるなら、それに越したことはありません。
実際にご高齢の方からお聞きした話ですが、「老人になってもまだ求められる(そして対価も発生する)こと以上に、大きな喜びと生きがいはない」とのこと。
こういう「人生そのものが生涯学習」の人は、簡単には健康を害さないし、ボケることもない。
私は現時点ではまだジジイではないけど、数十年後もまだ存命であればそう生きるつもりで、今からコツコツ準備してますよ。
ここまで読めばおわかりですね。
本当に、世のため、人のため、そして自分のためになりたいと祈るのであれば、むしろアグレッシブに成功を求めなければならないんです。
これこそ「真の成功哲学」「真の自己啓発」なんです。
「しょせんこの世のこと」だと "この世を捨てて生きる" 境地から、逆説的に「この世に生きる道」が生まれ出ずる。
この「死と再生」の道こそ、真の祈りの道なんですよ。

「しょせんこの世のこと」なんだから、失敗しても、挫けず突き進む。
「しょせんこの世のこと」なんだから、成功しても、調子に乗らない。
上のスライドには「最強のメンタル」と書いていますね。
でも、実際は「メンタル」というよりは一種の「明らめ」であり、それは "この世を超えた世界" が存在することを明らめる【真のスピリチュアル】のまなざしを持つことです。
今回の動画配信日の前日に出したショート動画で言ったんですが、本当に怖いのは失敗よりも成功です。
大切なので何度も言ってますが、成功して満足して調子に乗った瞬間に、人間のオーラや波動は、重く、暗く、濁っていきます。
多くの人は「社会的に成功したい」と思うでしょうが、"満たされてしまった人" の末路は哀れですよ。
でも「しょせんこの世のこと」と思い定めることができたら、失敗しても、成功しても、どちらでも良くなる。
私はたまたま運良く10年以上スピリチュアル稼業ができていますが、もしうまくいかなかったら会社勤めをしてでも、今と全く同じ活動をしているでしょう。
「しょせんこの世のこと」だから、関係なくやり続けるだけ。
もしいま以上に社会的に成功できたなら、そこで得たお金、人脈、影響力を使って、さらに社会に貢献していけばいい。
数や量がすべてではないけど、自分のできる範囲で人事を尽くせばいいんですよ。
あとは「天命のみぞ知る」わけだから、よく言う通り「おまかせ」すればいい。
トクするとか、人に好かれるとか、引き寄せとか、そんなものは「しょせんこの世のこと」。
こういう精神を涵養するのが「真の祈り」なんです。
今回の文字起こしは内容が濃厚で長くなってしまったので、2つに分割しました。続きは以下から読んでいただけます。
改めて、今回の要点
- 上の文字起こしはまだ編集中です
- ここまでの文章は誤字脱字を含む「ざっくり文字起こし」の段階です
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なお、YouTube(Podcast)は今回の文字起こし編集でカットした部分があります。
今回も動画と文字起こしは少し内容が変わります。
なので動画(または音声)もご視聴いただけると、より理解が深まるかと思います。
※この下に「音声プレーヤー」があります。倍速再生も可能ですし、YouTubeより通信量も少ないし、スマホを画面オフにしても聴けるので便利です。






