こんにちは。
波動カウンセラー / スピリチュアリストの林 昭裕です。
昨日開催したセミナー、
【この世を深く生きるための『あの世』の話】
が今回も無事に終了しました。
ご参加いただいた皆様、ありがとうございます。
前回の7年ぶりの自主開催セミナーでは改善点が多く見つかったので、今回はそれを踏まえてブラッシュアップしたつもりでした。
確かに前回よりスムーズになった点はあるのですが、一歩進むと、また別の改善点が見えてくるものです。
多くの方にお話をするため、例えば「A」という説明の仕方では理解できる方とできない方が出てきます。
理解できない方には「B」という他の説明の仕方をしなければなりません。
こういった説明の仕方や、また話の組み立て方が、まだまだ不十分だと感じましたね。
このブログやメルマガのような文章だと書き直しができるのですが、セミナーはライブです。
まったく準備していなかった話もできたことはライブの良いところですが、当初準備していた「最低限伝えたいこと」の一部が伝えられなかったことは、大きな反省点です。
それはまた次回に活かしていきます。
今回の冒頭では、実は「『死』というのは存在しないんですよ」という話をいたしました。
これを初めて聞くと「唐突な話」に感じるに違いありません。
けれども、「うん、確かにそうかもな・・・」と少し理解できてくると、そこから視点が開けてくるんですよね。
「あの世」というものを否定する人も肯定する人も、実は「あの世の存在」を認めていることが前提にあるんです。
たとえ「あの世」を否定する人だって、「あの世の存在」を認めていなければ、否定なんてできませんでしょ?
ここ、おわかりですかね?
「あの世なんか存在するわけない!」って否定する人も、否定するには「あの世」という言葉を使わないといけないんです。
論理的には、それが「ある」ということを認めなければ、それが「ない」と否定することもできない、ということです。
他にも「オーラ」や「守護霊」でも同じですが、それらを否定するには、その存在を認めないといけないんですよ。
・・・わかるようで、わからないかもしれませんね。
「本当は『死』は存在しないんだ」という話も、わかるようでわからない種類のものかもしれません。
けれども、よーく考えたらわかるんですよ。
そして、わかってくると、少なくとも私は視野が開けてきます。
いかに人々が「死」という前提を疑っていないか、ということが見えてくるからですね。
スピリチュアル業界で仕事をしている人の大半も、おそらく「死」という前提は疑っていないでしょう。
だから「死後の世界」とか「あんたは地獄に落ちるわよ」とか、平気で使うんですよね。
とはいえ、私は「あの世はある」と考えている立場の人間です。
けれども、
・そもそも「あの世」とは何だろう?
・そもそも、人は何をもって「あの世」と言っているのだろう?
ということをさらに考えています。
それを考えたからといって、金運や恋愛運がすぐにアップするわけではないでしょう。
いわゆる「引き寄せ」というものが、たちまちにして起こるわけでもない。
なので「人生にすぐ役立つか」と聞かれたら、「すぐに役に立つよ!」とは言えないでしょうね。
けれども、「そもそもどういうこと?」と根本的な事柄を考える姿勢は、やがて「すぐに役立つ事柄」を包み込み、さらには超えていくことができるでしょう。
それはこの人生や宇宙というものが、やはり「謎に満ちた存在」だからです。
その「答えのないもの」に対し、どこまでも問い、考え、追窮してゆく。
「答えのわかっているもの」は、検索でもすりゃ、少なくとも知識レベルではすぐわかるわけですからね。
私はそれが「人間として生きる」ということだと思っています。
まぁ「わかりやすいスピリチュアル」は世の中にあふれているので、たまには私みたいなちょっと変わったヤツもいていいでしょう。
というわけで、この「あの世を考えるセミナー」は今後も開催しますので、もしタイミングが合えばぜひご参加いただけたらと思います。