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目次
“いま・ここ” を生き切るのがスピリチュアルで最も大切な実践
過去はない。
未来もない。
あるのは永遠に続くいまだけだ。
いまを生きよ。
いまを生き切れ。
これは尊敬する田坂広志先生がよくおっしゃる言葉です。
未来に対する目標や願望の達成も、結果としてはそうなればいいのであって、もっと大事なのは「この瞬間をどう生きるか」ということです。
それがスピリチュアルですよ。
私は「OSHO禅タロット」というのを使っているんですが、このOSHO(インドの覚者)も言っています。
「目標設定は、狂人のやることだ」と。
未来はないのに、その未来に対してこうしたい、ああしたい、夢を実現したい。
これが狂気なんだと。
狂った人間だと。
だから不幸になるんだと。
もちろん夢や願望を抱いてもいいですけども、それはあくまで「いま・ここ」を生きるためなんですね。
祈っても現実が変わらなければ、まだ本気でない証拠
祈っても進歩や進化を感じないとしたら、それは「祈っていない」と思ってください。
ただカタチでやってるだけ。
「仏作って魂を入れていない」形骸化したものです。
やっているうちに、だんだん慣れてしまう。
最初の感動や初心を忘れてしまう。
「とにかく言葉だけ繰り返していればいいんだ」と思ってしまう。
そうしてますます形骸化していく。
厄介なのは「自分はやっているつもりで、もう10年、20年、30年、一筋でやってる」と思うほど、プライドだけが高くなる人がいる。
私は人のオーラを見る人間なんで、たとえ10年、20年、30年やろうと、それだけでもってオーラが光り輝いているとは限らない。
単にカタチだけなのは、「心の健康体操」「カルチャーセンター」止まりです。
最初はそれでいいんだけども、そこで止まれば入門レベルです。
こういうことを言うと、結構キツいと思われてしまいます。
もちろん私自身にも問われていることですよ。
本当に気を付けないといけないんです。
スピリチュアルカウンセリングの本質とは?
本来のスピリチュアルというのは、ある意味では怖いことなんですよ。
カウンセリングでわかりやすく言うと、子供が不登校とか、引きこもっている場合。
大人の論理で考えれば、不登校じゃなくて、ちゃんと登校するのがゴールでしょう。
引きこもりであれば、ちゃんと社会に出てもらうことが「社会に適合する」ということです。
でも、魂の観点からは必ずしもそうではありません。
その人固有の「いのちのプロセス」において、例えば「どう考えてもあの学校の世界は無理だ」ということであれば「社会不適合」なままで生きていくこと。
それが本当に「自分の内側のプロセス」にしっくり来るものであれば、ですよ。
引きこもりもそうですね。
「大人の論理」による良い悪いは置いといて、本当に「引きこもりでも構わない」と思えるのであれば、そのプロセスに従うということが、このカウンセリングの本当の部分です。
(※ただし、その選択の責任は自分で取るのが大前提です)
ある意味、恐ろしいですよね。
本当のスピリチュアルカウンセリングっていうのは、社会的に損する、経済的に損するとしても、それを選ぶ。
そういったある意味では怖いことも含めて「魂の自己実現」なんですね。
「通常の自己実現」とは全く違うわけです。
運の悪い人がサボっている開運の原則とは?
スピリチュアルでは「カルマ」を、「メグリ」と表現することもあります。
「因縁が悪い」ことを「メグリが悪い」というんです。
エネルギーというのは「循環」なんですよ。
全ては循環です。
人間関係の交流も循環でしょ。
血液も循環してるわけですよね。
天体も循環してるわけですよね。
1年は365日か366日、ぜんぶ循環ですね。
お金は天下の回りもの。
だからこの循環が滞れば、これは不景気なわけです。
因縁が悪いということを、メグリが悪いという。
循環が滞ってるんですよ。
だから運命が滞ってる。
そして運が悪くなる。
川の流れのように、流れが止まった時に川は淀む。
運も悪くなる。
これは物理、物理学といってもいいです。
恩を受け取る、感謝を感恩として受け取って、エネルギーをお返しすることが「報恩」ですね。
受けたエネルギーに報いる、エネルギーをお返しするのも循環です。
縁のエネルギー、縁結びのエネルギーは、この循環によって増大していくわけです。
「運が悪い人」というのは、単にこれをサボっているだけなんですよ。
難しいことじゃないです。
高級霊シルバーバーチが語る失敗や敗北者の定義
本当に祈っている人であれば、必ず苦難や悲哀がやってくるだろうと思います。
たとえ「スピリチュアルなんか知らん」「魂の成長?何それ?おいしいの?」みたいな無関心の人でも、必ず肉身の死、自分の死がやってくる。
仏教でも「愛別離苦」なんて言葉がありますよね。
求めてなくてもやってくるんですよ。
ただ、本当に「魂」を求めていくのであれば、苦難や悲哀は普通の人以上にやってくる。
苦難や悲哀を「なくすために祈る」のではなく、「乗り越えるために祈る」のが真実です。
よくスピリチュアルの浅いレベルだと、「幸せな人生、苦難も悲哀もない、困難もない、家族は健康で平和で幸せな人生」を望みたがる。
それを「高級霊シルバーバーチ」は多くの箇所でおっしゃっているんですが、それは「失敗」だと。
「何も困難がない人生」という凡人の私たちが望んでいる人生を送る者は「敗北者」だと言っている。
これを忘れてはいけない。
真の「感謝の実践」とは “ありがとう” を言われる存在になること
「ありがとう」を "唱える" のではなく、「ありがとう」を "言われる" 存在になること。
ありがとうを年齢×10万回、いや1万回だったっけな、唱えたら人生は変わるというスピ系の教えがあります。
「ありがたい、良いことばっかり起きる」らしい。
元ネタは小林正観さんだと思いますけども。
ところが、自分で「ありがとう」と言うより、言われる存在になった方がよっぽどいいじゃないですか。
そう言う人があんまりいないので、私はあえて言ってるんですけども。
「ありがとうと言ったら良いことが起きる」ってね、エゴじゃないですか。
そんなものはもう、初心者の初心者に過ぎませんよ。
過去に読んだスピ系の本で「ありがとうを何万回も言いました」みたいなことを語っている人がいました。
そしたら「本当にありがたいことが起こりました」なんて、言ってる人いましたよ(業界では割と有名な人です)。
けどね……その人の波動(オーラ)は重たいんですよ。
(ということは、人間として何かが間違っているということです)
その波動を観たとき、「あぁ、ありがとうって言うだけじゃダメだな」って思いましたね。
人の振り見て、我が振り直せ。
ありがとうと言われるような存在にならなければ。
そのためにはやっぱり勉強もしないといけないし、努力も必要でしょうね。
そういったのが本当の実践だと思います。
【参考】”裏表ある人”は、オーラも裏表がある。表面は小綺麗なので厄介。
難しいのは、波動(オーラ)ですら見た目はキレイな人がいるんですよ。
私は「カメレオンタイプ」って呼んでいます。
印象はファッション(服やメイク)で、ある程度は誤魔化せるじゃないですか。
詐欺師はみんな身なりが小綺麗だと言います。
オーラには「層」「レベル」があるんです。
その最も表向きの、外ヅラの部分を器用にも誤魔化す人がいるんですよ。
オーラの話なんで、一般的にはわからない世界ですけども、参考として言いますね。
表向き、外ヅラの波動は悪くないんですよ。
けれど中心の、もっと「奥のオーラ」を観ると、実は不調和なんです。
実際のカメレオンも「緑っぽい色」をしてますよね。
カメレオンタイプの人は、私が観ればオーラは緑っぽい。
緑って「いい人」に多いんですが、それはあくまで表側だけのことであって、実は「裏と表」がある場合があります。
そういう人は清潔感があって、丁寧で、話し方も上手なこともあって、悪い印象をあまり持てない。
でも、実際の波動・オーラは重たいよっていうパターンがある。
それを肉眼で見抜くのは、本当に難しいなと思いますね。
オーラの大きい人・小さい人の根本的な違いとは?
人生への感謝度が高ると「天命」が動き出すのですが、そのとき現象的には厳しくなる場合があります。
それは「魂の成長・成熟ための試練」が与えられ、それを乗り越えることが人生の根本目的だからです。
よって、天命が大きい人ほど、運命は厳しくなります。
しかし感謝度が高ければ、厳しい運命も「神からのギフト」として、心から愛せるようになります。
――このあたりになると「祈りの本質」が試されるわけです。
自分だけが幸せになって「運命が良くなって良かったね」だけだったら、自分だけのことですよね。
ところが、私たちが人のために何ができるか、世のために何ができるか、"命を使う"と書いて「使命」という、その問題意識がないと、いくら祈ったからといって、波動(オーラ)は広がっていかないんですよ。
同じ祈りでも、そこにどんな「想い」でやってるかによって、波動が天地の差になるわけですね。
生命のプロセスにゆだねるには忍耐と勇気がいる
「すべてはプロセスに過ぎない」のであれば、大事なことは「常に変化をしている」と認識することなんですね。
不登校や引きこもりの子が、そのとき本当に深く考えた結果、「学校には行きたくない」「社会に出たくない」と結論づけた。
けれどもその心のプロセスをちゃんと経験した上で、例えば1ヶ月後だったり1年後だったり、「やっぱり行こう」「やっぱり社会に出よう」と思いが変わるときもある。
そういったこともまたプロセスなんですね。
だからその保護者の方は、これは忍耐ですよね。
生命はコントロールはできないんですよ。
人間も生命ですから。
上からああしろこうしろと言ったところで、その命令は聞かないんですよね。
だから人生のプロセスそのものは、やはりある種の忍耐を要求されるということです。
「みんながこうしてるからあなたもこうしなさい」とか、「みんなと同じにしなさい」とかは本当は通用しない。
素直にやってくれる人もいるでしょうけども、人から言われても変わらない人もいるわけですよ。
そういった生命のプロセスを尊重することが、カウンセラー以外の人にも大切な「カウンセリングマインド」というやつですね。
これはとても難しいことですけど、このプロセスを無視すると病んだりトラブルが起きたりする可能性が高くなってしまいます。
良き縁結びのエネルギーを加速させる心得
「いますでに、ここに在る」ということ自体が、「縁結び」の結果なんですね。
ですから「いま・ここ」において、与えられた縁に対してどういうふうに報いられるだろうかと考える。
いまできることをやる。
それを積み重ねていけば、縁結びのエネルギーが強くなっていきます。
運勢とは「運の勢い」ですよ。
それがぐるぐると回転をしていく。
ただ、いま与えられている縁、そして恩ですね。
それを自覚すること自体が実は難しい。
簡単ではないんです。
つい「当たり前」だと思ってしまいますから。
「目に見えないもの」を本当に見ようとする、深く見つめようとする意識がなければ絶対できない。
例えば「あんな出会いなければ良かったのに、という出会い」ですら縁ですから、自覚は簡単にはできません。
けれども、これは人生について学んでいくしかありませんね。
パワーストーンを選ぶときの注意点
パワーストーンというのは、あまり期待しないで話半分でつけるくらいがちょうどいいと思います。
安易に頼るものではありません。
波動を観る専門家として、パワーストーンの波動もいろいろ観てきましたけども、本当にすごい波動の石というのは、まあそうないですよね。
あるにはありますが、ただし、それに巡り会える人は少ないですね。
やっぱり人も、そして石もご縁なんですよ。
巡り会うべき縁があって巡り会う。
ですから街のパワーストーン屋さんに行って買うぐらいの縁というのは、それほど強いものではないですね。
あえて選ぶとするならば、そのお店の中で直観で「この石とは縁がありそうだな」というものを選べばいいと思います。
ただし、言うまでもないことですけども、一番大事なのはやっぱり本人のオーラ(波動)ですね。
いくら波動の良いパワーストーンをたくさんつけていようが、本人の波動が重たかったり暗かったりすると、石もだんだん影響されてきて、みんな落ちてくるのであまり意味がない。
自分の波動さえしっかりしていれば、特にパワーストーンをつける必要はないです。
私もこれまでほとんどつけたことはないし、これからもおそらくつけることはないかなと思います(巡り合うべきご縁があれば別ですが)。
占いテクニック「バーナム効果」の功罪は使い方次第
人間の心は単純ではありません。
多面性、多様性を持っているのが当たり前です。
占い師のテクニックの中に「バーナム効果」というのがあります。
よく言われることですね。
例えば、
・「あなたは人から好かれたいと思っているけど、一方、自分を出しすぎることはありませんか?」
・「あなたは変化を恐れているけど、どこかで新しい可能性を求めていますよね」
というようなテクニックです。
それで相談者さんは、「あ、当てられた!」と思ってしまう。
こう思わせてしまうようなテクニックを、「バーナム効果」といいます。
ポイントは
・曖昧で誰にでも正しいことを言う
・二面性を同時に指摘する
ということ。
わかりやすく言えば「網にかける」ということですけども、人間というのはいろんな側面を持っているんですね。
大切なことは、こういったことを相談者さんをコントロールしてやろうという気持ちで使うんではなくて、普段の意識では見えていない自分の側面、多面性、それに光を当てるということなんですね。
このテクニック自体は、決して悪いものではありません。
要は、いかなる心の深みにおいて、それを語っているかだけが問われているということですね。
言葉(言霊)は魂の食べ物。摂取を怠ると生命力は衰える。
優れた言葉は「魂の食べ物」なので、常に食べ続けなければ「魂の活力」がなくなってしまう。
肉体はお腹が鳴る、「ハラ減った」となる。
けれど「魂の言葉」については、枯渇してもお腹は鳴ってくれないんです。
ですから常に偉大な人の言葉を自分に響かせる、という心がけが非常に大事です。
(これができるかできないかで、人生の質は大きく変わります)
尊敬する人を誰か作って、その人の言葉を常に自分の内側に響かせること。
これがとても大事です。
「なんとか先生を尊敬しています」と言いながら、その先生の言葉がすぐに出てこなければ、それはあんまり尊敬しているとは言えませんね。
【学びのプロセス】信奉していた先生に裏切られたとき
成長は一歩一歩階段を登っていくように、いきなり「十段飛ばし」はできないんですね。
自分が信じていた先生が、「実は違った……」と裏切られたような気持ちになったとき、どうすればいいのでしょうか。
もちろん悲しいんだけど、それも学びとして受け止めるしかないんです。
たとえ真実でないとわかったとしても、そのときは(そのときの自分のレベルでは)その先生について学び続けていくしかないんだろうなと思いますね。
ある有名なスピリチュアル系のインフルエンサーは、裏側ですごい悪態ついたり、お客様とか受講生とかの悪口を言っている、という話を聞いたことがあります。
その人は波動(オーラ)は重たいですよ。
本も何冊も出している有名な人ですけど、実態はそんなもの。
「そこで疑問を感じました」とおっしゃってました。
だんだん実態が見えてきます、ちゃんと勉強を続けていれば。
それを知ったときは、かつて私もそうでしたが、とてもショックです。
でも、ショックを受けるくらい自分が学んで成長したということでもあるんです。
有り難いことに、「もっと早く林さんに会っておけば良かった」とおっしゃる方がおられる。
それは嬉しいことですけど、それもやっぱり段階があって、最終的に残念に感じた先生から学ぶのが、その段階での学びだと思うんですね。
(もちろん私もガッカリされないよう、謙虚に学び続けていくしかありません)
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