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目次
自分が尊敬する人物は、同じ「魂のエッセンス」を持っている
今回の文字起こしの要点
- ワンネスとは、物質世界ではあらゆるものが分離して見えるけれど、本質的には「すべてが一つ」であるという真理のこと。
- 何かを尊敬するとき、その対象のエッセンスと自分は共鳴している。それを受け入れ、それに近づく努力をしていくことがワンネスの実践。
- 「自分には到底及ばない」と謙虚さを装うのは実は「傲慢さの裏返し」であり、ワンネスから逃げていると言える。
- 尊敬の対象に近づくための努力によって、その対象のエネルギーを自分の中に取り込めるようになる。それが運命を開く力となる。
今回はスピリチュアルでよく言われる「ワンネス」について話します。
メインタイトル:「真のワンネス」の力で運命を開く。
サブタイトル:「魂のミッション」は尊敬や憧れの中に宿っている。
今回の話は非常に実践的ですが、同時にかなり厳しい道でもあります。
「普通のスピリチュアル」はたいてい軽薄であるのに対し、「真のスピリチュアル」(マジスピ)は決してお気楽ではありません。
まずはそれを理解してください。
「ワンネス」って、スピ系ではよく聞きますよね。
ご存知かもしれませんが、ワンネスというのは「一つである」ということ。
この地球の物質世界(三次元の世界)は、あらゆるものが分離して、バラバラになっていて、個体として分かれているように見えている。
肉眼ではそう見える世界だけど、それは一種の錯覚なのであって、本来は「大いなるいのち」しかないんだと。
これがよく言われる「ワンネス」ということです。
古代インドの聖典や般若心経にもそのようなことが書かれています。
ただ今回言いたいのは、そういうのとはかなり違う角度のことです。
「ワンネス」や知識やファッションではなく、本気で実践するにはどうすればいいのか?
そういう問いが私の根底にあります。
あなたには、誰か尊敬している人物、憧れている人物はいるでしょうか?
過去の偉人でも、いま活躍している方でも、あるいは神仏でも結構です。
ここで大事な認識は、何かに惹かれたり尊敬の念を抱いたりするというのは、波動的・エネルギー的には、その対象の中にあるエッセンス(本質)に自分の魂が共感・共鳴している証だということです。
共感・共鳴というのは、その対象の中に「自分」を感じられなければ起こらないんです。
今回言いたい「ワンネス」とは、このことですよ。
わかりやすいのは、明治維新の志士たちでしょう。
西郷隆盛や坂本龍馬。
あるいは近藤勇や土方歳三など新選組のメンバーでもいい。
「この人はすごい、尊敬する、憧れる」という尊敬心が内側にあるなら、自分の中にもその人物のエッセンスがあるということです。
これを心理学では「投影」といいますけども、ともかくそこに惹かれる「何か」がある。
それは、相手との「ワンネス」を感じているということです。
自分とその相手は分離していない、バラバラではない。
その程度が深いほど、ワンネスの度合いもまた深いということです。
こういうことを言うと、
「いや、私はそんな大した人間じゃありません。そんな過去の偉人に比べたら、とんでもない!」
と言いたくなる人が多いと思います。
これはまぁ普通ですよね。
ただし、霊的に観れば、尊敬している相手と自分とは、そのエッセンス(本質)において全く同じなんです。
たとえ現在の自分の境遇や実力が、尊敬する相手のそれらには遠く及ばないとしても、魂の次元においては全く同じなのだ。
さあ、今回最も大事なのはここです。
これを信じられるほど、私たちは「ワンネス」を知識ではなく「叡智」として体得していることになる。
信じられない分だけ、私たちはまだ「分離」しているんです。
この小さな殻(肉体)に自己の本質を制限してしまっているんです。
“いい人” の運命が開かないのは「傲慢なる謙虚さ」に甘んじているから
私もまだまだできていない自覚があるので、自戒を込めて言いますよ。
少し前にカウンセリングでお越しいただいた方なんですが、最近出会った「ある人物」にものすごく魅了されたことで、人生が変わってしまったとおっしゃる方がいました。
「人生で本当に探し求めていた何かが、その人の中にある……そんな気がします」と。
私は「その人に魅力を感じる部分は、本質的には全部あなたの中にもあるんですよ」と言ったら、「いやいや、そんなそんな、とんでもないです!」とかなり抵抗されていましたけど。
最近はアイドルに対し「推し」という言葉がよく使われます。
アイドル(idol)って本来の意味は「偶像」です。
「偶像崇拝」って言うじゃないですか。
崇拝するぐらい熱狂させてしまう「何か」。
それほど魂において、「偶像」とか「憧れる対象」とかいうのは、非常に根源的なものなんですね。
たとえそれが現在の自分に及ばない遠い遠い存在だったとしても、本当は同じなんだと。
大切なので繰り返しますが、これをどこまで信じられるか。
これが「ワンネス」の具体的な実践となります。
ただし、さっきの例で指摘した通り、多くの人はここで「謙遜モード」になります。
遠くから拝むだけだった推しのアイドルが、急に目の前に来たら逃げ出してしまうのが普通ですよね。
混乱して「キャー!!」と悲鳴を上げる人もいるでしょう(笑)
ここから勇気を出して、一歩前へ進むことが大事です。
けれども、
「いえいえ、私のような身分の低い賤民には、貴方様のお足元にも及びませぬ!」
という感じで "謙遜する人" は多いし、日本だとこの種の "謙虚さ" はあまり悪く思われませんよね。
こういう人は「いい人」と思われがちです。
けれども、宇宙的に観れば「アウトー!」なのであります。
私は割と「傲慢な人間」のようです。
サラリーマン時代、当時勤めていた会社がコンサルティングをお願いしていたある人物が「経営のカリスマ」と呼ばれる人物で、その人から指導を受けている経営者の中には畏れ多くて近づけない人もいました。
けれど、私は何の実績もない若いサラリーマンだったにもかかわらず、ズカズカその人に近づいて質問していました(笑)
後で「気安く近寄るんじゃねえよ」って上司から注意されましたけど、でもせっかく近くにカリスマがいるんだから、どうせなら近くで話を聞いた方がええやん。
確かにスゴい人なのかもしれないけど、「でもこの人も俺も同じ人間やん」と、どこかでナメていたのかもしれませんね。
それは「生意気」だとも言えますが、おかげで私はそのカリスマ経営者から直接ご指導を受けることができ、食事をご馳走になることもあって、とてもトクしましたよ。
私がもし「いい人」で「謙虚な人」だったら、こんな待遇は受けられなかったでしょう。
これはいま振り返ると、「ワンネス」なんて言葉は念頭になかったけど、結果的にちょっとは実践できていたんじゃないかと思いますね。
ある心理学では「比較はエゴの罠である」と言われるんですが、この比較が発動するとたいていは「謙虚」になってしまう。
あるいは、その裏返しとして「傲慢」になることもありますね。
一方は「劣等感」で、もう片方は「優越感」。
どちらも精神的には不健康ですよね。
だからこの意味での「謙虚さ」は、真の謙虚ではありません。
ややもすれば「傲慢」へ反転してしまうので、いわば「傲慢なる謙虚さ」です。
自分の「本質」をしっかり観れていないという意味では、やはり傲慢なんですよ。
どこかで「自分はエライ!」と思っているから、言い換えれば相手と分離しているから、相手の優れた点を取り込もうという意欲が湧いてこないのでしょう。
せっかくスピリチュアルを学んで「ワンネス」も知っているなら、「小さな自分」ではなく「尊敬する相手と同じものが自分の中にあるんだ」という見方ができないと損します。
いくら「ワンネス」という言葉を知っていても、心の世界が分離していると「自分と世界とは違う存在だ」という物質主義的な価値観のままですよ。
まぁ、これはある意味では「戦い」です。
だって、「自分もあの尊敬する存在と同じものがあるんだ!」と強く思って、そこに近づく努力を積み重ねていくのは、現実的にはしんどいことだからです。
ただ、これが真のスピリチュアル(マジスピ)だということは知っておいてください。
尊敬心が強いほど、憧れの対象のエネルギーを吸収できるようになる
ですから、人は尊敬するものを失ったとき、魂は退化へと向かいます。
あなたには何か尊敬するもの、憧れるものがありますか?
さっき言ったように、それはアイドルでもいいですし、文学や映画や漫画などの架空のキャラクターでもいい。
最近、たまたま何人かのお客様から「BE:FIRSTが大好き」ということを聞きました。
私は知らなかったのでYouTubeでいくつかのパフォーマンスを見ましたが、すごかったですね。
BE:FIRST、全然いいじゃないですか。
神仏や聖者を尊崇するのも当然良いです。
阿弥陀如来でもイエス・キリストでもいい。
もっと身近な、学校の先生や会社の先輩でもいいです。
尊敬の度合いが強ければ強いほど、その対象と魂は一つになる――これがワンネスです。
そして、尊敬すればするほど、対象のエッセンスを自分の波動(オーラ)の中に取り込むことができるようになります。
これは決して簡単ではないし、現実的な自分と向き合う苦痛を伴うこともあります。
けれど、私たちは「推しのパワー」がハンパないものであることを知っていますよね?
アイドルオタクのパワーはすごいもんです。
私の知り合いにも、推しの全国ツアーのライブに同行する(一緒に移動していく)費用を捻出するために、普段はカップ麺でも耐えられるという人がいます。
それだけ「尊敬の力」というのは強いんですよ。
歴史を見ても、偉人の中には「篤い信仰者」が多いです。
「神のために命を捨てても全く平気だ」というほど信仰心の強い人は、かつてはたくさんいました。
それはこの世的には「悲劇」かもしれませんが、信仰者にとっては「肉体の命を捨てる代わりに、永遠の命をいただく」という信念がある。
神なるものを死ぬほど尊敬することによって、神の大生命と自己とがワンネスになる。
その結果、普通では考えられないような情熱が湧いてくるわけですよね。
こういうことです。
ですから、神仏でもアイドルでも古今東西の偉大な人物でも、私たちは常に尊敬心を強く持つ工夫をすることによって、「ワンネスの力」を人生に活かしていけるようになるわけです。
今回の話、おわかりになりましたか?
こういうことを聞くと、軽々しく「ワンネス」って言えなくなりますよね。
本当にワンネスを体得するというのは、すさまじいエネルギーを生むんですから。
あと、「自分は◯◯さんを尊敬してます」という表現も軽々しく言えなくなりますね。
本当に尊敬しているなら、少しでもその対象に近づく努力をしなければならないからです。
例えば私だったら「伝説のヒーラー」と言われた山村幸夫先生を尊敬しています。
本当に尊敬しているのなら、自分も山村先生と同じような実践をしていく必要があります。
先生は「ヒーリング」はすべてご寄付だけで行い、決してお金儲けには走らなかった。
ご自身は神と真理のために、本当に献身的な人生を送られました。
そうして献身的に生きられたからこそ、大きなヒーリングエネルギーを与えられたに違いありません。
だから、私もいろいろ葛藤はあったけれど尊敬する先生に倣って、私も「ヒーリング」はご寄付のみで行っています。
現実的には山村先生には敵わないけど、でも俺だって本質(エッセンス)においては山村先生と同じものを持っているんだ。
でなきゃ、先生の本を読んで感動するわけがないんだ。
もしここで「でも先生は神に選ばれた特別な人だからな。俺なんて少し霊能があるだけの凡人だし」と思ったら、そこで私の成長は止まります。
そういうことですね。
というわけで、今回は「真のワンネスの力で運命を開く」という話をしました。
そして「魂のミッションは尊敬や憧れの中に宿っている」ということも話しました。
私たちは自分の魂と波長が合う人に感応するわけですから、その感応を追求していくことによって、魂の道はよりクリアになっていくということです。
ご参考になれば幸いです。
改めて、今回の文字起こしの要点
- ワンネスとは、物質世界ではあらゆるものが分離して見えるけれど、本質的には「すべてが一つ」であるという真理のこと。
- 何かを尊敬するとき、その対象のエッセンスと自分は共鳴している。それを受け入れ、それに近づく努力をしていくことがワンネスの実践。
- 「自分には到底及ばない」と謙虚さを装うのは実は「傲慢さの裏返し」であり、ワンネスから逃げていると言える。
- 尊敬の対象に近づくための努力によって、その対象のエネルギーを自分の中に取り込めるようになる。それが運命を開く力となる。
なお、YouTube(Podcast)は今回の文字起こし編集でカットした部分もあります。
今回は文字起こしとはかなり内容が違います。
なのでこちらも聞いていただけると、より理解が深まります。
※この下に「音声プレーヤー」があります。倍速再生も可能ですし、YouTubeより通信量も少ないし、スマホを画面オフにしても聴けるので便利です。
