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第296回:「死後の世界」「永遠の生命」を信ずるほど、死ぬまで青春の日々を送れるようになる。

※ウェブサイト『マジスピ』には音声の文字起こし(読みやすく加筆修正済)があります。

■今回は以下のブログを違う角度から語り直しました(https://prism-life.com/past_present_future/

■YouTubeではメモ、資料、スライドなどを映していますが、音声プラットフォームの「ながら聞き」でも十分ご理解いただけると思います。

ウェブサイトでは最下部に音声プレーヤーがあります。倍速再生も可能ですし、YouTubeより通信量も少ないし、スマホを画面オフにしても聴けるので便利です。

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「死後の永遠の生命」を強く信じるほど、現世を輝いて生きられるようになる

今回の文字起こしの要点

  • 古来からこの世の時間・人生は「かりそめのもの」と言われている。生命は「無限の存在」だと信じるほど、この "ウソの世界" を強く生きられるようになる。
  • この世の評価、肉体の安心安全に人生観を限定させると、次々と生まれる怖れや不安に絡め取られてしまう。
  • この世で肉体を抱えながら、すでに「永遠の生命」「死後の世界」を見据えることが真にスピリチュアルな人生を送るために最も大切なこと。

今回は

「死後の世界を悟るほど、過去世・現世・来世を貫く夢や理想を生きられるようになる」

という内容をお届けします。

結論から簡単に言っておくと、「死後の世界」を見据えて、死ぬまで理想を抱いて生きる。

ということ。

理想は「志」や「ミッション」と言い換えても結構です。

ここでは「本当にそれができるか?」「死後の世界は証明されてはいないけど、それでも強く信じられるか?」ということが問われています。

この【マジスピ】は、スピリチュアルをお遊びではなく、日々の人生に実践していくための場です。

「どうやら "死後の世界" というのがあるらしい」という知識がなんとなくある程度では、この世の生き方にあまり結びつかないんです。

そうではなく、

「死後の世界がある」つまり「永遠の生命」を信ずることができるほど、この世を力強く生きられるようになるんです

いまこれを述べている私も含め、このことをどれぐらい無条件で信じられるでしょうか?

普通の感覚だと「死は忌み嫌われるもの」であり、「死後の世界」は何となく暗いものとイメージしているでしょう。

肉親が亡くなると普通は深く悲しむわけで、だから「死は怖ろしいもの」だ思われています。

でも、本当は、そうじゃない。

哲学的に考えると、私たちは「死の世界」から生まれ、一瞬の地上人生を過ごし、死ねばまた「死の世界」に還っていきます。

古代の賢人の言葉に「天地始終なく、人生生死あり」というのがあるのですが、天地宇宙には始終がない、つまり無限なんです。

ですから、本来「死の世界」こそ、生命が生まれ出づる「根源」であるわけ。

根源である「あの世の視点」からすれば、この「生きている世界」こそ、本当は「死んでいる世界」なんです。

だから宗教では、この世を「仮相の世界」と言っているわけです。

「仮相」とはつまり「かりそめの世界」「ウソの世界」だということです。

あの世こそ仮相とは逆の「実相の世界」、本当の世界なんですよ。

これは頭だけで理解するのは難しいでしょう。

なので、もしできるのであれば、瞑想や祈りに習熟していただくのが良いです。

瞑想が深くなっていくと、いま説明している世界がわかるようになるはずです。

もし「生命は永遠であり、死後の世界も無限に続いていく」ということが理屈抜きでわかるようになると、死ぬまで夢に生きられるどころか、"死んだ後まで" 夢に生き続けることになります。

いいですか、今回はこれしか言いませんよ。

それなりに年を重ねてくると、「もう自分もいいトシだし、いつまでも若者みたいに青くさい夢を見ている場合じゃないよ」と、年齢相応の思考回路になるのが普通です。

そりゃ普通は、加齢によって体力も気力もなくなっていきますわ。

私の師匠も、この世的にはだいぶ年を取っておられます。

若いときはバケモノのようなすさまじいエネルギーがあった方なんです。

今でも普通の人に比べたらはるかに情熱的な方なんですが、それでも「さすがに若いときのパワーはなくなったよ」と言ってました。

そうして肉体が老いていくのは自然の法則だから仕方がないんですが、精神としては、魂としては、大きな夢を持って生きていくのが、スピリチュアルを深く学んでいる人に問われる態度なんです。

すべての心理的ハードルは「肉体・この世がすべて」という前提から生まれる

「青春とは心の若さである」という一節を含む、有名な詩があります。

これは経営の神様だった松下幸之助が、とても好きだった詩で、よく引用していました。

私は10代から松下幸之助が好きで本を何冊も読んできたんですけど、松下は死ぬまで壮大な夢に生きました。

経営者でありながら宗教的なものをとても大切にされた方なので、立場上あまり口にはしていませんが、「死後の永遠の生命」は強く信じていたはずです。

だからこそ、あの巨大な偉業を成し遂げたと言えるでしょう。

私たち凡人はもちろん松下ほどの巨人ではありません。

けれど、こういう地味な文章をお読みいただいているんですから、私とご一緒に死ぬまで大きな理想を抱いて生きていきませんか?

たとえその夢が、この世ではさほど実現ができなかったとしても。

そう、ここが大事なんです。

それなりに歳を取ってくると、多くの人は「あぁ、自分の人生もこんなもんか……」というある種の "あきらめ" を覚えます。

それが「大人になる」ということかもしれませんが、これは人生を「肉体の時間」に限定しているところから生まれてくる考え方なんですね。

もっと言えば、「他人との比較」もあるでしょう。

その中で「自分は大したことができなかった」と思う人が出てくる。

「若いときにもっと勉強していれば……」と後悔している人も少なくないでしょう。

ただ、これらの思いもまた、人生を「肉体の時間」に限定しているところから生まれてくるんですよ。

「仮相の世界」、ウソの世界の枠組みで思考してしまっているんです。

そうではなく「生命は無限に続いていくのだ」と気づけば、たとえ明日死ぬとわかっていても、今日一日を大きな夢を持って生きることができるんです。

その結果、まさに「死ぬまで青春」でいることができる。

これが本当にできたら素敵ですよね。

私はまだ老境に差しかかっていないので偉そうなことは言えません。

でも、私と同年代の中年でも、すでに「人生あきらめモード」に入っている人は少なくありません。

それもやっぱり、何度も言って恐縮ですが、人生を「肉体の有限的な時間」に限定しているからです。

これは自分の内側だけでなく、世間や社会も圧力をかけてきます。

「いつまで夢を持ってんの?」とか、「もう大人しく、老人らしくしなさいよ」とか。

私なんて、まだ20代の後半で「もうトシなんだから、いつまでも夢なんて追いかけてる場合じゃないよ」と言われたことがあります(笑)

いま振り返ると当時の相手にバカヤロウ!と言いたくなりますが、それだけ「同調圧力」が強いということでしょう。

それは悪意なく言っているのでしょうけど、真のスピリチュアル的には完全に間違いです。

それはあくまで「肉体中心主義」であり、「この世がすべて」だと錯覚しているんです。

今はルッキズム(身体的な魅力で人間を値踏みすること)を批判する風潮が一部にありますが、そんなのはタテマエであって、大衆のホンネは「肉体的な若さ」に市場価値を見出しています。

年配世代にしても「若く見られる」ということが価値があるとされるわけです。

だから「肉体中心主義」を超えていくのは、かなり大変ですよね。

スピリチュアルを深く学び、肉体ではなく「魂の普遍的価値」を重きを置いて生きていくのは、ある種の "闘い" と言えるでしょう。

いくら「人間は霊的な存在なんだ!」と強く思ったところで、実際この肉体は時間とともに死に向かって老いていくわけですから、この「霊と肉の葛藤」を死ぬまで抱えていくのはやっぱり闘いなんです。

いかがですか?

こういうのを知識だけじゃなくて、本当に信じられますか?

……これはもちろん私にも問われているんですけど。

これは冒頭に貼り付けたブログにも書いてますけども、知り合いで80歳になってからロシア語を学んだ方がおられます。

「80からロシア語ですか? 今さら勉強して何になるんですか?」って、周りから言われませんか? とお聞きしたら、その方は

「よくそう言われるけども、全然気にしてない」

「だって今、少しでも勉強していれば、来世ではもっと学びやすくなるからね」

「というか、現時点でもいろいろ発見や学びがあって楽しいよ」

と、おっしゃるわけです。

これは素敵ですよね。

本当に素晴らしい方だし、実際の見た目も若々しいです。

別に「アンチエイジング」なんてやってないですよ。

でも、何か挑戦する気概が生命エネルギーを活性化させるわけですから、イキイキするのは当たり前なんです。

逆に「今さらやってもモノにならない」とか「別に仕事につながるわけじゃないし」とか思ってしまったら、あとは静かに余生を過ごすしかなくなるでしょうね。

私はある老人の方から、「林君ね、歳を取ってからの楽しみは、食べることだけだよ」という方がおられました。

「食べる楽しみ」があるだけでも前向きではあるでしょうが、スピリチュアル的には受け入れられないなと思いました。

だって「食べる楽しみ」なんて、こう言っちゃ悪いけど、しょせん「肉体だけの満足」じゃないですか。

その上でさっきのロシア語の学習のように、何か創造的な価値を求めることが、動物ではない人間の本来の営みではないでしょうか。

これだって、人生観を「有限の肉体の時間」に閉じ込めるところから生まれてくる考えなんです。

私はスピリチュアリストとして人生を全うしたいので、「永遠の生命」を志向していきたい。

その霊的な価値観を大きく制限するのが「それで稼げるか?」「それで成功できるか?」「それでトクするか?」「それで "いいね" をたくさんもらえるか?」という経済市場主義です。

何でも市場価値に換算し、数値化してしまうグローバル資本主義。

これは「現代の悪魔」ですね。

この悪魔に打ち克つには、実は「悪魔なんかいない、幻想なんだ」ということを見抜く必要があります。

これは、さっき述べた「この世は仮相の世界」「かりそめの世界」だという表現を言い換えただけです。

職業柄、いろんな人の波動を観るんですけど、いくら社会的・経済的に成功していようと、「物質という悪魔」に精神を支配されていたら、波動/オーラはそれだけ重たく暗くなってしまうんです。

仏教方面では「あの世に持って帰れるのは磨き上げた魂だけ。お金は1円も持っていけない」なんて言われますが、そういうことです。

まぁ「悪魔」は魅力的ですからね。

そりゃお金はないよりあった方がいいでしょうよ(笑)

でも、お金もまたこの世に限定されたルールなので、スピリチュアルを深く学んでいる私たちは、ここを超えていかなければならない。

「天命を信ずる」ことで、本当に「人事が尽くせる」ようになる

そうはいっても、

「夢を描いても、実現しなかったらつらい……」

「私なんて大した人間じゃないので……」

「今さら夢を抱けって言われても……」

とか、やっぱり心のブレーキはあるわけです。

私は「スピリチュアルカウンセラー」を仕事にしている関係で、ときどきご相談を受けるんですよ。

「私も林さんみたいにスピリチュアルを仕事にしたい」とか、スピ系じゃなくてもカウンセラーやアロマセラピストなどの「フリーランスの仕事をしたい」って相談を受けます。

けれども、多くの方が「うまくいかなかったらどうしよう」というブレーキが働いてしまう。

私より年上の方だと「林さんはまだ若いからいいけど、ワタシはもうトシなのでね……」という発言も少なからず出てきます。

これは何かチャレンジする人の多くがぶつかる「心の壁」ですよね。

これは年齢に関係なく、私もそうでした。

まだ若い人間の方が人生の残り時間が長いからまだ夢を描きやすいというだけで、怖れを抱えている人は若かろうが守りに入ります(逆もまた然り)。

でも、その「心の壁」というのは、やっぱり「有限の肉体」「この世の限られた時間」を前提に出てくるんです。

せっかくスピリチュアルを学んでいるのであれば、そこに気づかなければなりません。

「失敗が怖い」っていう人は多いけれど、しょせんそれは「この世のこと」に過ぎないんです。

霊的な「真の失敗」とは、何もしないでこの世を終えることです。

安心かつ安全で、無難で困難もトラブルもない安泰な人生を送ることこそ、最大の失敗です。

それはまさに「肉体の安楽のみ」を願った先にある過ちですね。

だって、そこには成長も感動も発見も何もないじゃないですか。

「永遠の生命」という観点からすれば、この世の儚い一瞬の人生は「通過点」に過ぎないんです。

「その先がまだまだある」と思えたら、この世で多少つまづいたところで大したことはないんですよ。

もちろん、かといって大バクチを打って財産を一気に溶かすのはオススメしませんけど(笑)

「死後の世界」を単なる知識だけでなく、本気で信ずることの強さ。

多少はご理解いただけましたか。

「死後の世界」というのは、本当は死んでから往くところではないんですよ。

実は肉体がこの世で生きている現在から、心の世界ではすでに往かなければならないんです。

これが「人事を尽くして、天命を待つ」ということの意味です。

あるいは、私が尊敬する宗教家の五井昌久先生(『世界平和の祈り』の提唱者)は

「天命を信じて、人事を尽くせ」

とおっしゃいました。

「人事を尽くして、天命を待つ」のは、もちろん素晴らしいことです。

でも、本当に「人事を尽くす」ようになるためには、実は先に「天命を信ずる」ところがなければならないんです。

「天命を信ずる」というのは、つまりこの世の諸価値なんかガン無視するということです。

「永遠の生命」を仰ぎながら、なるべく天に通ずるような大きな夢を抱き、たとえその万分の一も実現できなくても、そこに向かって懸命に歩むことです。

軽薄でお気楽なスピリチュアルが大手を振っているこの世で、【マジスピ】(真のスピリチュアル)を提唱していくことが私の大きな理想です。

ブログやメルマガを出しても、この音声配信(YouTube)を出しても、現実的にはなかなか数字に結びつかない。

けれど、この世なんて関係なく、できるところまでやり切ることが、私にとっては「天命を信じて、人事を尽くす」ということなんです。

今生の私は、これ以外に、人生の価値などないんです。

こういうものを魂の中心に据えることができると、この世で報われるかどうかはそのとき次第ですけど、魂としては大きな幸福に生きることができるんですよ。

ぜひスピリチュアルの「真の実践」に生きていきましょう。

ということで、今回は終わらせていただきます。

改めて、今回の文字起こしの要点

  • 古来からこの世の時間・人生は「かりそめのもの」と言われている。生命は「無限の存在」だと信じるほど、この "ウソの世界" を強く生きられるようになる。
  • この世の評価、肉体の安心安全に人生観を限定させると、次々と生まれる怖れや不安に絡め取られてしまう。
  • この世で肉体を抱えながら、すでに「永遠の生命」「死後の世界」を見据えることが真にスピリチュアルな人生を送るために最も大切なこと。

なお、YouTube(Podcast)は今回の文字起こし編集でカットした部分もあります。

今回はかなりカットしました。

なのでこちらも聞いていただけると、より理解が深まります。

※この下に「音声プレーヤー」があります。倍速再生も可能ですし、YouTubeより通信量も少ないし、スマホを画面オフにしても聴けるので便利です。

マジスピラジオ:脱・お花畑の「真のスピリチュアル」を追窮します
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第296回:「死後の世界」「永遠の生命」を信ずるほど、死ぬまで青春の日々を送れるようになる。
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