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ショート動画まとめ25(4/13~4/26)※文字起こしはウェブサイトへ

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“人生100年時代” は〈魂の歴史・永遠の生命〉の序章に過ぎない

魂というのは、肉体があろうとなかろうと永遠に続きます。

先週『人生は死んでからの方が長い』という名言を紹介したところ、コメント欄で「それは人生と言うのか?」というメッセージをいただきました。

かなり的確なツッコミだと思います。

つまり「死んでからも "人生" と言うのか?」という問いだと思いますけど、それはこの肉体のある、せいぜい100年の人生に限ると「死後は人生とは言わない」わけです。

ところが、私は人のオーラ、波動というのを観る人間なんですけれども、このオーラというのは肉体があろうとなかろうと関係なく、私には観えるわけです。

ですから、普通の五感では確かめられませんけれども、古来から宗教家やスピリチュアルマスターがおっしゃっている、永遠の生命、魂は永遠であるという言葉は正しいわけですね。

もちろん、科学的に証明されればそれが一番いいんですけれども、現状ではまだ素直に信ずるしかありません。

科学的に寄せて言えば、人間が感覚で認識できる音や光というのは、ごくごくわずかな領域です。

その延長線で推察してもらったらいいんじゃないかと思います。

スピ・宗教が説く”樂行(らくぎょう) =楽しく修行”には不退転の決意が必要

楽行(らくぎょう)、「楽しんで修行する」というスピリチュアル系の教えは、実はハイレベルです。

この楽行という言葉は結構前から言われていることです。

歯を食いしばって、眉間にシワを寄せて頑張るより、「楽しもう、エンジョイしよう」というニュアンスで語られることが多いのですが、これは本当は深い心得が必要です。

「運命を無条件に強く信頼する」とか、「人生に無駄なことは絶対ない」などの人生観を確立して初めてできるのが楽行です。

例えば私も以前動画を出していますが、30日間の断食・不食をやったときは、体重が10キロぐらい落ちましたが、とっても楽しかったです。

まさに楽行ですね。

これは「絶対にやってやるぞ!」「何が何でもやってやるぞ!」という強い決心、覚悟をしたからです。

傍から見たら「頭がおかしい」ことも、自分としては楽しい。

これが本当の楽行です。

この楽行を上っ面で捉えると、大抵は安易な方向に流されますので、ご注意ください。

【師の教え】この世は “おまけ” 程度。あの世こそ “生命の本体”

この世は "おまけ" であの世こそが「命の本体」です。

この言葉は師匠から教えていただいたものです。

ある宗教家の有名な言葉にも、「あなたは世界であり、世界はあなたである」という言葉があります。

つまり客観的なこの世界ではなくて、内面的な自覚の深さと広さこそ、本当の世界だということを言っているわけです。

この自覚の内面的な光に照らし出されて、この現実・現象が形作られていくわけですね。

ですからこの自覚をどこまでも深めていけるように、祈り学ぶということ。

「この世はおまけ」という意味は、この世での浮き沈みや毀誉褒貶などどうでもいいということ。

そう思い定めて、初めて真のスピリチュアルの道に入れるわけです。

ただこう言うとずっと瞑想ばかりする人も出てくるので困ってしまうのですが、ちゃんとこの世の体験から学ぶことも大事ですからね。

そうでないと肉体を持って生きている意味が薄れてしまいますから、そこは気をつけてください。

“守護霊の声が聞きたい” など霊能を得たい人へ注意喚起

「守護霊の声が聞きたい」など霊的能力を欲しがると、邪道に入るのでご注意ください。

そういった「普通ではない能力」が欲しいというのは欲望です。

私は守護霊リーディングというのを仕事でやっているので、時々そういった声をいただくのですが、そう聞きたがる人の中に深い「劣等感」はないでしょうか?

だから「特殊能力」で他人にマウントを取りたいのでしょうか?

注目されたいのでしょうか?

そういった欲望に基づいている限り、必ず足をすくわれるのでやめた方がいいですね。

私の師匠も私もそうですが、そんな能力を得たいと思ったことは一度もないです。

能力開発のセミナーに行ったこともないです。

気がついたら自然にできていたということですね。

人それぞれ、宇宙から与えられた固有の天命があるわけです。

そこから外れて欲望の方向に向かっていくことは、魂にとってはマイナスでしかありません。

もしあなたにその天命があれば、おのずから導かれるであろう、ということです。

【親を選んで生まれた説】誕生は権利ではなく”神の恩寵”

人間として生まれたのは権利ではなく、神から与えられた恩寵です。

ちょっと小難しい話をします。

私は、スピリチュアルで時々言われる「生まれる環境や両親を子供が選んで生まれてきた」という説に異を唱えています。

一見美しい論理なのですが、その背景には政治で言われるリベラル思想、つまり人権、平等、博愛という個人の権利を尊重する考えがあるのではないか。

この思想的影響を感じて、私は抵抗感を覚えるわけです。

よく考えてみてください。

本当に人間として生まれる権利や資格というのが、生まれる前から与えられていたのでしょうか。

もしあるなら、私たちはもっと立派な人間であるべきですよ。

しかし実際は未熟でエゴの塊じゃないですか。

そんな未熟な存在が、生まれる場所や両親を選ぶ権利など本当に与えられているのか?というのは、私の根源的な疑問です。

本当は人間として生まれる資格などなかったのに、なぜか神から与えられた。

この捉え方の方が個人的にはしっくりきますが、あなたはいかがでしょうか。

本当に”好きなことで生きる”ために最も大切な〈天命観〉

本当に好きなことだけで生きたければ、運命のすべてを無条件で肯定する信念を打ち立てなければなりません。

以前私は「好きなことだけで生きるな」と言ったことがあります。

なぜなら「好きなこと」というのは油断すると「楽なこと」「楽して稼げること」に都合よく解釈する傾向があるからです。

これを踏まえた上で、それでも本当に好きなことだけで生きたいなら、どれだけ理不尽なことも、「魂の成長」の糧として受け止める〈絶対肯定〉の態度を確立しなければならないわけです。

これは普段から「神」とか「天命」とか「道」とかいうものに、深く取り組んでいかないと確立はできません。

決して簡単ではありませんが、もしそれが確立できれば、全てのことが好きになる人生になるわけです。

これこそ真のスピリチュアルです。

叶わないとしても祈り続ける〈悲願〉こそ本当の祈り

たとえその祈りが叶わなかったとしても、「それでも祈らずにはいられない」というのが本当の祈りです。

先週も少し触れましたが「祈りは必ず叶えられる」という言葉は美しいですね。

みんな願いが叶うといいですよ。

けれど、どれだけ祈ったところで志望校には落ちるし、恋愛には破れることが少なくない。

私は「世界平和の祈り」というのを推奨していますが、今の中東情勢を見てもわかるように、戦争は終わりません。

どちらかが滅びるまで続いていくかもしれないし、たとえ勝ったとしても、そのカルマはまた新しい戦争を生んでいくわけです。

現実は厳しいけれども、「それでもなお祈らずにはいられない」というのが本当の祈りです。

この世の現実がどうかというのは、本質的には関係ありません。

この世界がどうであろうが、少なくとも心の世界だけは美しいものを持って生きていきたい。

それが祈りというものです。

これを別の言葉では〈悲願〉というわけです。

その〈悲しい願い〉を生涯持ち続けることこそ、真のスピリチュアルです。

“死後の世界”の真相は、実際に死ななきゃわからない

死後の世界の真相は、実際に死んでみなきゃわからない。

スピリチュアルの専門家として、ときどき「永遠の生命」とか「魂の不滅」とかいう話をしますと、コメント欄で「お前死んだのかよwww」というメッセージをいただきます。

これはもっともですね(匿名でも言い方は考えた方がいいけど)。

私はお名前だけで人のオーラ(波動)を観るんですけども、それは肉体があろうがなかろうが波動、オーラ、エネルギーとしては観えるわけです。

ただしそれをもって「死後の世界は絶対にある」とは断定できません。

同時に「絶対ない」とも断定できないわけですね。

実際は死んでみなくちゃわからんわけです。

しかし優れた宗教家やスピリチュアルマスターが死後の世界について言及しているし、一般人でも臨死体験について語っているのはたくさんあります。

とはいえ臨死体験は、正確には死んでいない。

やっぱり死んでみないとわからんわけです。

この世の実践において大切なことは、いつも死を考え死を見据え、大切に今日一日を生きるということですね。

死後の本当のことはわからないけど、必ず死はやってくる。

それを自覚して、問い続けて生きるということですね。

“死後の救済” の教えは〈物語〉だと見抜くのが真の知性

死んだ後、苦しみのない世界に行けるというのは全て物語だと見抜くこと。

昨日の続きです。

スピリチュアルを仕事にしていると本当に色んなコメントをいただきます。

例えば、あの世ではこの世のように人間関係で悩まされるということはない。

経済的に困ることもない。

魂は全て救われるのである。

などのコメントですね。

死んだ後のことは実際に死んでみなきゃ分からない。

けれどもこうして断定的に主張する方もおられます。

どこの宗教の教えか分かりませんがこれらは全て言葉です。

物語です。

自信がない人ほど強固な物語にすがろうとします。

私はたまたま人のオーラ波動を見ますので、不安を埋めようとして何かにすがろうとする人のオーラは、やっぱり暗く重たいわけです。

じゃあオーラが明るい人はどんな人か。

死んだ後はどうなるか分からんが物語にも依存せず、今、ここ、この世を充実させて生きている人ですね。

答えのないことを死ぬ日まで問い続けることが真の知性です。

「死」は終わりではない。オーラが語る死後の魂とは?

この世でオーラが暗く重たいとは、あの世でもオーラはしばらく暗く重たいままです。

昨日の続きです。

死んだ後のことは実際に死んでみなければ分かりません。

しかし私は人のオーラ、波動を見る人間として認識できることがあります。

死んだ後もオーラ、専門的に言えば霊体というのは亡くならないわけです。

この世の人間はネガティブであるほど、そして自分や他人を傷つける人間であればあるほど、オーラは暗く重たいです。

それは死んだ後も深い悔い改めがない限りはずーっと続きます。

私は命の世界のほんの断片を見ているにすぎません。

けれども過去の先人はこうしてオーラが暗く重たい人のことを地獄界に行ったとか、成仏できていないとか言うわけですね。

昔の言葉でも後生が悪いという言葉もありますね。

少なくとも私たちは死後の世界からやってくる問いからは絶対に逃げられないわけです。

ですから、死生観を深めるということが真のスピリチュアルの実践として最も大切だということです。

魂の底では誰もが”人生の真実”を知っている

私たちは皆、魂の底では「本当の答え」を知っています。

先週、私の師匠から教えていただいたこととして〈この世はおまけで、あの世こそ本体〉という話をしたところ、コメントをいただきました。

『ぼやっとそんな気はしていましたという内容でしたが、でも、それを言い切る人と、私のようにぼやっとそうじゃないかと思う人とでは、雲泥の差があります。ありがとう』

というコメントでした。ありがとうございます。

こういう科学の世界ではまだ解き明かせていない宗教的な世界、スピリチュアル的な世界というのは、自分で探求して気付くしかないわけですね。

ただ、そこにいろいろな思い込みや願望や依存があるので、難しいわけです。

ただ、本当に素直に謙虚に真剣に考え続けていけば、どんな人でも共通の真実にたどり着くんじゃないかなと思います。

それを心理学では「集合的無意識」と言ったり、仏教的には「阿頼耶識」と言ったりもするわけですね。

不思議なことに、本当にわかっている人はオーラが光り輝いています。

この世に「絶対的な真実はない」と言われますけれども、少なくとも私は、いろいろな波動やオーラを通じて真実というのはあると思っています。

それを未熟な身を持ったまま探求し続けるのが、真のスピリチュアルではないかと思います。

Q:真剣に祈ると家族に”神の試練”が来そうで怖いです⋯⋯

【Q&A】質問:真剣に祈ったら家族が不幸になるのではないか、という恐れが湧いてくるのですが、どうすればいいでしょうか?

この回答のポイントは3つ。

1つ目:家族は運命共同体なので、自分の祈りが及ぶ範囲はゼロではありません。

しかし他の家族に生じた困難の責任は、あくまでその本人にあるということを自覚しましょう。

2つ目:家族に不幸が起こってほしくない、という想いの根底には「愛」があるわけですね。

それは当然素晴らしいことです。

その上で、自分自身の内側にある「怖れ」をこそ見つめることです。

他の家族がどうこうというのは、本質的には関係ありません。

3つ目:もちろん不幸や困難は起こってほしくないですが、でもそれがなければ魂としては成長できない、というのもまた事実です。

この世に順風満帆だけの人は一人もいません。

ですから、不幸や困難を成長の糧に変えていける「魂の強さ」を持てるような祈っていただければと思います。

今回の詳細は直近の『マジスピ無料メルマガ』でお伝えしています。

神道が語る「神の分霊」としての生き方は極めてシンプル

神道が言う、人間は神の分霊(ぶんれい/わけみたま)という言葉を、単なるスローガンで終わらせてはいけません。

他にも仏教では人は「仏の子」というし、キリスト教では「神の子」というわけですよね。

古今東西の表現は似ているわけですけれども、それをいかに実践するか。

今、中東の方面では、日々神様に祈りながら、同時に大義も仁義もなく人を殺している「頭のイカれた指導者」もいます。

こんなものに宗教性は1ミリもない。

単なる政治利用、言葉で終わっているわけです。

本当に神の分け御霊、神の子、仏の子として生きるというのは、愛とか慈悲とかの想いを持って、ちょっとでも人の役に立とうと願うこと。

そんなシンプルなことのはず。

今回の戦争で、組織宗教、国家宗教は完全に終わったなと思いましたね。

あとは個人が本当の実践をしていくしかありません。

宗教や霊性は、もう個人の時代です。

天命の導きが強い人・弱い人の決定的な違いとは?

天命の力が強い人の人生は「ハードモード」です。

時々天命について話していると、こういったコメントをいただきます。

「私も天命に導かれるような人生になりたいです」と。

でも本当は、誰しもが天命にすでに導かれているわけです。

ただし、導きの度合いは個人差があります。

原則として、困難に打ち勝つ力があったり忍耐力の強い人は、天命の力が強いです。

だから傍から見たらかなりしんどい人生ですね。

けれどもそれによって鍛えられているわけです。

逆に日々が無事平穏で緩い人は、それはそれで結構なことなんですが、実は天命の力としてはあんまり強くはないわけです。

そういう人でも一念発起して挑戦の人生を生きるようになると、だんだん天命の力が強くなるわけですね。

人生を輝いて生きている人は、その背景に努力や苦労があります。

もし輝いていないけれども毎日が苦しくてつらいだけというのは、どこかで考え方や価値観をアップデートする必要があるのかもしれません。

天命に導かれるにはそれだけの資格が必要だということ、覚えておいてください。


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マジスピラジオ:脱・お花畑の「真のスピリチュアル実践」
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