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宇宙にゆだねて運命の波に乗る第一歩は、自力の不毛な反省を手放すこと。

お名前だけで人やモノのオーラ(波動)がわかる、波動カウンセラーの林 昭裕です(「詳しい自己紹介はこちら」)。

人やモノの波動(オーラ)がわかる特殊能力をベースに活動しており、ここでは【マジスピ】(真のスピリチュアル・脱お花畑スピリチュアル)をテーマに情報発信しています。

今回は

「スピリチュアル業界でよく言われる『宇宙にゆだねる』とか『神様にまかせる』とかいうのは、反省を手放すこと」

について考えていきます。

このブログを読んでいただくと、

・「引き寄せの法則」は完璧ではないこと

・人間の根本的な無知を知ること

・スピリチュアルの教えに囚われないこと

などについて学ぶことができます。

未来が完全に予知・予言できない根本的な理由

最近の発信では

「過去(原因)があって現在(結果)がある」

という因果論(カルマ論)とは逆に、

「未来(結果)があって現在(原因)がある」

という果因論(目的論)も存在することを説明しています。

「因果論(カルマ論)」は誰もが理解できるド定番の考え方である一方、少数派かつ非常識ではありますが、「果因論(目的論)」という逆から観る発想もあります。

今回はこの果因論を日常レベルに落とし込んだ考え方をご紹介しましょう。

なお、この時点ですでに「は? 果因論? なに言ってるかわかんねー」という方は、お時間あれば過去の発信をご覧いただければと思います。

ただ、このブログだけでも十分ご理解いただけるよう、過去記事を復習しながら説明していきます。

「果因論」に関する記事

果因論的な立場では、

・「過去は現在を完全に決定しない」

・「現在は未来を完全に決定しない」

よって、

・「未来はまだ完全に決まっていない」

という考え方でした。

これまで何度か言っていますが、スピリチュアル業界でよく言われる「引き寄せの法則」は、完全に従来の因果論です。

自己啓発の世界で言われ続けてきた「思考は現実化する」という言葉を、実はスピリチュアルっぽく焼き直しただけなんですよ。

もし『引き寄せくん』という ゆるキャラ?がいるとすれば、『ちびまる子ちゃん』の花輪くんみたいに

「未来はぜんぶ自分で決められるんだぜ、人生は思い通りなのさ、ベイビー!」

って言っているかもしれませんね。

(YouTubeより引用)

因果論(カルマ論/決定論/引き寄せの法則)は特に「意識高い系」と言われる人たちが好む考え方でしょう。

「現実はすべて意識が創っている」「未来は自分次第」などの考え方は、自己責任を重んじる立派な生き方です。

これ、不幸な運命に耐え切れず暴力に踊り狂ってしまった映画『ジョーカー』のアーサー(本名)に言ってやりたいですな。

その一面の真実は理解できるものの、人生を深く考えていったとき、私たちは「根本的な無知」に気づきます。

それは、

「私たちは、いつ死ぬかわからない」

ということ。


※参考ブログ「死は成長の最終段階である」


私は口が悪いので、こういうとき

「人生すべて思い通りにいくなら、不老不死で生きたらええやん。秦の始皇帝の大悲願、アンタが叶えたったらどうや?」

って言うかも。

少し人生を生きてきたら分かるはず、人生は決して思い通りになんかならないと。

本当は思い通りにならないものを、「引き寄せの"法則"」ってまるで再現性があるかのように説明してしまったところに「引き寄せの罪」がある。

人生は何が起こるかわからないし、それは世界レベルで観ても同じこと。

例の感染症パニックが起きることを、誰が事前に予測できましたかね?

地震学の科学的権威でも、いつどこで地震が起こるかなんて、全くと言っていいほど予測できていないんです(南海トラフ地震は警鐘を鳴らすも数十年起こってない一方、あの熊本には一言も触れていなかった)。

そう考えていけば、わからない未来についてあれこれ思い悩むのは生産性のないこと。

「悩み事の9割は、実際には起こらない」と言われることがありますが、これは確かにそうですよね。

まずは「未来は完全に予測できない」という点を踏まえ、因果論的な考えの良い点と限界とを知っておきましょう。

あなたの過去世・カルマの理由は誰にもわからない

では、因果論と果因論を簡単に復習できたところで、今回は

「反省をやめれば、もっとラクに生きられる」

という「果因論的アプローチ」を紹介しましょう。

これも「常識」とかなり異なることは理解していますが、別に奇をてらっているわけではなく、ちゃんとした根拠があります。

「反省」とは、過去を振り返る行いであることは言うまでもありません。

何か失敗したとき、その原因を過去に求めて改善すること。

これはもう常識中の常識ですから、否定する余地はない。

いろんな人をリアルやネットで眺めていますと、特に人間関係において何らかの不和があるとき、「自分にも何か落ち度はなかったか?」という反省に欠ける人は実に困ったもの。

これがもっと過激になったり病的になったりした人は、良心の麻痺した「サイコパス」と言われるのであって、以前そういう人に精神的苦痛を受けて本当に困っている、というご相談をいただいたこともあります。

そこまででなくとも、日常において例えば料理で塩加減を間違えたとか会社業務で数字を間違えたとかの失敗は、もちろん反省して改善することが大事です。

ただ、この万能かつ大常識に思える反省も、やりすぎると「過去に引きずられてしまう」というデメリットがあります。

なお、ここで言っている反省とは、「内面を深く洞察する」という日常レベルを超えた精神レベルのことを指しています。

この内面の深い洞察によって、人生の質が向上してゆくことは当然ある。

カウンセリングや心理系セッションの大半は、自分を深く見つめることによって、問題の解決または解消を試みるわけですね。

しかし問題は、「答えのない問題」であるほど、深く反省して原因追求しても何も出てこない場合があるんです。

例えば、

・思いがけず、理不尽なトラブルが降り掛かってくる場合

・なぜだか知らないが、重病に冒された場合

・ある日突然、大切な人が交通事故に巻き込まれる場合

・その他、アタマでいくら考えても答えが出てこない場合

など、想定外のもの、思考の範囲外のことが起こるときは、いくらその原因を反省して内面に求めても、得られるものはほとんどないでしょう。

この類のことを占い師やスピリチュアルカウンセラーに相談すると、これまで何度か述べてきた

「それはあなたの過去世のカルマ(因果)なのよ」

と、まるで"水戸黄門の印籠"のごとくド定番の因果論(カルマ論)をブッ込まれ、こちらは納得できないものの「ハハーッ!」とアタマを下げるフリをする。

いや、こちらが知りたいのは「カルマがどうのこうの」じゃないねん。

もしカルマだとしても、「どうしてそのカルマなのか」を知りたいねん。

「空はなぜ青いの?」

「それは青いからさ」

って言ってるようなもんでしょ(もちろん科学的に説明は可能ですが、「なぜ青は青なのか」については説明不可能)。

何かもっともらしい答えが出たとしても、いわゆる「過去世」について具体的な説明があったとしても、「なぜその過去世なのか」については、やはり完全に説明し尽くすことはできない。

このあたりが内面(過去)に解決を求める「因果論的アプローチ」の限界なんですよ。

こういう限界を感じたら反省はもはや無駄なので、「反省を手放す」ことが必要になってきます。

それに、反省と言いつつ結局は「自分を責めるだけ」になっている場合もありますし。

真の反省に自責や懺悔は伴わないんですけど、私たちはウッカリするとドM的な自分いじめになってしまうんです。

怖いのは、

「自分を責めてさえいれば、実は未来を見据えずに済む」

というある種の「メリット」が得られることです。

ドM的な側面がある本能(エゴ)は、未来を見据えずに済む「反省したフリ」が実に気持ちいいわけですな。

(今回の本題ではないけれど、そのエゴを見抜いて生きることがスピリチュアルを学ぶ効用です)

もちろん長い目で観れば未来を見据えないのは全然メリットじゃないんですけど、ヘタに反省することで過去に自分を閉じ込めてしまうんですね。

そうであれば、過去を見つめてドツボにハマる反省に逃避せず、勇気を持って未来を見据えることです。

カッコよく言えば、あえて反省しない「戦略的無知」に生きること。

余計なことは、知らぬが仏。

これが「果因論的な知恵」なんです。

自分を赦せるほど、「ゆだねる」「おまかせ」は上手になる。

その果因論的な知恵の根幹は、これまでの復習も兼ねてお伝えすると、

「いま目の前に起こっている出来事は、魂の深い成長や良き未来をもたらすために起こっている」

というものでした。

まず、このことを「どれほどの深みで信じられるか」ということが、果因論的思考において重要になってきます。

難しいのは、「いま目の前に起こっている出来事は、魂の深い成長や良き未来をもたらすために起こっている」とは信じられず、

・「なんて自分はこんなにツイてないんだ・・・」

・「今回の人生はずっと十字架を背負うのか・・・」

・「そういう考え方が簡単にできりゃ苦労しねえよ・・・」

という抵抗や反発の気持ちが湧いてくることです。

そこには「疑い」があり、それに伴う「苦しみ」がある。

そう、それはとても人間らしい感覚。

何も疑わず、素直に信じることができたら、どれだけ「救い」があるだろうか。

だから、スピ系の人たちがよく言う「おまかせ」や「ゆだねる」というのは、本当はかなり難しいことなんです。

もし軽々しく「神様におまかせすればいいのよ」なんて言う占い師がいたとしたら、あまり信用できないでしょうね。

このあたりのことは、以前のPodcastでも言いました。

私たち凡人はすぐ「おまかせ」できるわけではありません。

だから、ここでは「不毛な反省をしない」ということだけ、まずはアタマの片隅に置いていただくだけで十分でしょう。

すでに述べた通り反省は「過去志向」になりやすく、もしそれだけだと苦しければ、果因論的アプローチ、つまり「未来志向」に切り替えていくこと。

「反省」と言いながら実はドM的に自分を攻撃し続けてきた人が、少しでも「未来志向」に切り替わると、それだけでずいぶんラクになるものです。

スピ業界や宗教界では、ヘタに「過去世」とか「カルマ」とか「前世療法」とか言うもんだから、マジメな人ほど「答えのない問い」に囚われて苦しんでしまう。

もちろんそれらが有効な場合もあるけれど、決して万能じゃない。

マジスピ(真のスピリチュアル)が追窮してゆくものの一つに、

「時間からの解放」

ということがあります。

過去を悔いることから解放され、未来を憂えることから解放されること。

つまり、「今に在る」ということがマジスピ的な態度であり、真実の姿なんです。

そして、それが宗教で言う「人間は初めから救われている」ということ。

ただ「今に在れ」って言われたって、この文章を作っている私自身もわかるようでわからないから、まずは「反省を手放そうぜ」って言っているわけです。

それが「自分を赦す」ことにつながってくるわけ。

自分を赦すことができるほど、「ゆだねる」「おまかせ」が上手くなってきますよ。

別にトラブルや問題の根本原因が明確になっていなくてもいい。

カルマなんて別に知らなくてもいい。

それより地に足をつけ、いま自分ができる対処法を淡々とやっていくこと。

そのためのエネルギーになるのが、「いま目の前に起こっている出来事は、魂の深い成長や良き未来をもたらすために起こっている」という果因論的思考なんですね。

因果論(カルマ論)だけがスピリチュアルではありません。


私たちは、何のためにスピリチュアルを学んでいるのでしょうか。

カルマを知るためですか?

オーラを知るためですか?

「特殊能力」とやらを身に着けて、誰かをマウンティングするためですか?

違いますよね。

「この世に生を享けて良かった」と思える人生を生きるためです。

そして、

縁ある人々と喜びを分かち合うためです。

もしカルマの原因究明(反省)が苦しければ、即刻やめちまえ。

教えを学ぶのはいいけど、どうか教えに囚われませんように。

以上、「宇宙にゆだねる第一歩は、反省を手放すこと」でした。

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