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『世界平和の祈り』入門3:神仏と波長を合わすと自己肯定感が深まり、承認欲求による比較の苦しみから解放される。

お名前だけで人やモノのオーラ(波動)がわかる、波動カウンセラーの林 昭裕です(「詳しい自己紹介はこちら」)。

人やモノの波動(オーラ)がわかる特殊能力をベースに活動しており、ここでは【マジスピ】(真のスピリチュアル・脱お花畑スピリチュアル)をテーマに情報発信しています。

今回は

「『世界平和の祈り』入門」の3回目として、「深く祈る人は、自分と周りとを安易に比較しなくなる」ということについて説明していきます。

一連の『世界平和の祈り』シリーズは以下の一覧からお読みください。

ちなみに、私のスタンス(どの宗教組織にも所属しないこと等)については1回目の冒頭で述べていますし、1回目から読んでいただいた方がより理解しやすいので、よければ1回目からどうぞ。

『世界平和の祈り』シリーズ

では、『世界平和の祈り』の文言を掲載してから、今回の内容に入りましょう。

世界人類が平和でありますように

 

日本が平和でありますように

 

私達の天命が完(まっと)うされますように

 

守護霊様ありがとうございます

 

守護神様ありがとうございます

偏差値に始まる「比較競争」の世界から距離を取ろう

前回のブログでは、

・人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。(マタイ:4-4)

 

・「神の言葉」(精神および霊魂の生命を維持するエネルギー)を、なるべく多く受け取る方法が祈り。

 

・たとえ無宗教者でも高い夢や希望を抱いているなら、それは立派な祈り。

 

・『世界平和の祈り』を繰り返すことによって、自分の夢や希望の内容を「神」の波長にまで高めるよう心がけること。

ということについて述べました。

詳細は以下をご覧ください。

今回のテーマは冒頭でも述べた通り、

「深く祈る人は、自分と周りとを安易に比較しなくなる」

ということです。

今回これが結論なので、あとは補足説明のようなもの。

『世界平和の祈り』に限らず、祈りの対象となっているのは普通は「神・仏・天」、あるいは「大自然」や「大宇宙」ですね。

それらはちょっと難しく表現すれば「絶対者」といえます。

例えば「それは"絶対"に違う」なんて言うように、絶対とは「それしかない」「他の選択肢はあり得ない」という意味で使われるので、この「絶対者」とは「唯一の存在」「根源的なもの」と理解できます。

一方、「絶対」の反対語は「相対」です。

相対とは「何かと比較する」という意味が込められています。

この物質世界の多くは、相対的な価値観に彩られています。

例えば「偏差値」というのは、自分のテストの成績が平均の「偏差値50」と比較してどれぐらい離れているかを見る指標であり、これは相対的な考え方です(「相対評価」という)。

また、大人になっても会社での評価や年収など、ほとんどが数値化されて比較されます。

あまり数値化しにくいものでも、例えば「あの人はいい服/みすぼらしい服を着ている」とか「あの人はイケメン(美人・かわいい/その逆)」とか、私たちはあまり意識しなくともその外側の印象で何かと比較していますね。

良い悪いを抜きにして、それがこの物質世界というもの。

以前ある経営コンサルタントから聞いたことがありますが、芸能界はもちろん、このスピリチュアル業界にしても、美人やかわいい人やイケメンの方がファンが多い傾向にあるのは決して否定できない現実であります(その人はお世辞で「林さんもイケメンですよ~」と言ってくれたけどね)。

私はイケメンではないけれど、少なくともブログや音声配信をやっていると「アクセス数」や「フォロワー数」がその内容の良し悪しを比較考慮する一つの指標になります。

絶対より相対についての例の方が圧倒的に多くなるのは、それがこの世を作っているからです。

ただ、偏差値がそうであるように、あまりに相対的な価値観に囚われ過ぎると、苦しくなってしまう。

私の出た高校は地元で有名な進学校でした。

なので、「偏差値が高いのは人間として優秀であり、すでに成功の階段を登っている」という空気感がありました。

それは逆のことも言えるので、その「狭い社会」の中で偏差値が低い、勉強ができないのは、露骨には言われないが「ダメ人間」というレッテルが貼られているような気がしてくる。

私が在学していた当時、そのプレッシャーを苦にして、入水自殺した後輩がいました。

(去年実家に帰ったとき、その自殺現場を通る機会があったので、久々にその後輩の冥福を祈りました)

ちなみに、私の成績はいつもワースト10~30に落ち着く優秀ぶりでしたが、部活に打ち込むなどして何とか「偏差値の呪縛」から心理的に逃げ切ることができました。

もうオッサンになった今の考えからすれば、偏差値なんかマジでどうでもいいのに、当時はその相対評価で人生が決まってしまうような気がしていた。

大人になれば偏差値の呪縛はなくなるだろうけど、社会人になっても誰かと比較したり、比較されたりして、嫉妬を覚えたり劣等感に陥ったりするのが私たち凡人ではないでしょうか。

カウンセリングでもときおり、

「私も林さんのようにスピリチュアルを仕事にしたいんですけど、林さんみたいにオーラが観えるような特殊な力があるわけじゃないし、他にも活躍している人はたくさんいるから、私みたいな人間が何かしようとしてもおこがましいような・・・」

というご相談をいただきます。

この背景にあるのは「比較競争」ですね。

おそらく、大半の人の心の中に生ずる葛藤ではないでしょうか。

そうして他人から「特殊な力」をうらやましがられることがある私にしても、比較競争の心理は付きまといます。

もうちょっとアクセス数が増えればいいな、YouTubeやPodcastももう少し再生回数が伸びてくれないかな、知り合いのあの人はちょっと動画出しただけで数万回も再生される、うらやましいなぁ、なんて全く考えない日はありませんよ。

この祈りについてのブログにしたって、いったいどれぐらい需要があるんだろうか、なんて疑問に思うこともありますし(笑)

・・・長くなりましたけど、そういう比較競争の心理トラップから解放してくれるのが「祈り」なのです。

神仏の世界はタテの世界、この世はヨコの世界

「神・仏・天」あるいは「サムシング・グレート」と呼ばれているものに対して祈り続けるというのは、絶対的なもの(絶対者)へ心を向け続けるということ。

それによって、相対的な価値観が支配するこの世の囚われから距離を取ることができやすくなります。

これが第二の結論なので、あとはまた補足説明です。

もう少しわかりやすく言えば、神仏なるものへ向けた「祈りの波動」に方向性があるとしたら、

「タテの方向」

なのです。

なぜタテなのかといえば、信仰とは「信じて仰ぐ」と書くように、何かに祈る、何かを拝むというのは、不思議と「天を仰ぎ見る」ようになっているからです。

この写真がそうですね。

肉眼は閉じているけれど、「心の眼」は天を仰ぎ見ている。

中には大地にひざまづいて祈る場合もありますけど、これだって「タテ向き」に祈っていることには変わりません。

ちょっと考えれば不思議なのですが、「ヨコ向き」で祈ることは、まずない。

「ヨコ」の友達としゃべりながら、あるいは目の前(ヨコ)のLINEの画面を見ながら祈ることは、まずない。

私たちが何かを祈るとき、必ず「ヨコの世界」を一時的に排除しているのです。

そうしなければ、「タテの世界」に入ることができないからです。

もうお気づきかもしれませんが、「ヨコの世界」とはこれまで説明してきた相対的な世界、一般的な社会のことです。

誰かと比較したり、比較されたりするのが「ヨコの世界」です。

祈りとは、普段どっぷり浸かっている「ヨコの世界」から距離を置き、「神・仏・天」とつながる「タテの世界」へ心を投げ入れる行い。

それによって、比較競争のトラップによる心理的ストレスがゼロとは言わないまでも、かなり緩和されてくる。

明治維新の立役者の一人、西郷隆盛の名言である

「人を相手とせず、天を相手とせよ」

とは、このあたりのことを言っています。

「天を相手とする」ようになると、天とは「タテの世界」において触れうる「不動の絶対者」だから、心がブレなくなる。

維新の乱世において、過酷な環境の流刑地で座禅修行された西郷さんの背景に思いを馳せると、非常に重量感のある言葉です。

もちろん、これは前回も述べていますけど、一度や二度祈ったぐらいでブレなくなる・・・なんてことはないですよ。

相対的なこの世界は、常に揺れ動いています。

静かな山奥で独居しているような人なら話は別かもしれませんが、多くの人には家庭や仕事があり、それに伴う人間関係の揺れ動きがあります。

またテレビやネットを開けば、暗いニュースや芸能人のゴシップがしきりに流れてくる。

しょっちゅうそういう「ヨコの世界」の雑駁な波動にさらされているのが、私たちの大半です。

なので、祈りによって「タテの世界」につながり、そこからもたらされる波動によって心をクリアにすることが、より良いスピリチュアル・ライフを実現していくために必要なことなのです。

そう、それが「前回のブログ」で述べた、

人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。

マタイ:4-4

という部分にある「神の言葉(精神的・霊的なエネルギー源)で生きる」ということですね。

「入門編の1回目」で述べた通り、『世界平和の祈り』の波動はとても素晴らしいので、ぜひそれを信じて繰り返し繰り返し繰り返し祈っていただければと願っています。

祈りによって、自己肯定感から絶対肯定へと深める

今回はこれで終わってもいいのですけど、個人的にやや物足りないので、ちょっと難しくなるかもしれませんが、もう少し説明しましょう。

私たちが自分と他人とを比較して優越感に浸ったり劣等感に陥ったりするのは、心の中に「承認欲求への渇望感」が渦巻いているからです。

もし承認欲求がなければ「わたしはわたし、あなたはあなた」というように、自と他の間に健全な心理的距離が保てるので、そう苦しくなることはないでしょう。

私がブログや音声配信のフォロワーがすぐに増えなくとも淡々と情報発信しているように見えるのは、それなりに「俺は俺だし、人は人だし」と、どこかで思えているからなのでしょうね。

それも、曲がりなりにも「祈りの生活」を送っているからなのかもしれません。

もちろん、ラクしてバズって、勢いよくフォロワーが増えてくれたらうれしいけど(笑)

それはともかく、霊的なレベル、スピリチュアルな次元で観た場合、私たちが本当に欲しいのは「他者からの承認」なのでしょうか。

というのも、私はときおり経済的・社会的に成功した人のカウンセリングをお受けすることもあるのですけど、彼ら、彼女らは他者からはすごく承認されているはずなのに、「どこか満たされないんです」という話をお聞きするのは、決して珍しいことではありません。

そういえば、さっき自分の高校は進学校だったという話をしましたが、同期の友人たちの境遇は上場企業、霞が関の官公庁、医者、弁護士などの知的専門職、果てはプロのスポーツ選手やミュージシャンなど、表面だけ見れば実に華々しい経歴の持ち主です。

私は高校時代に水泳部に所属していたのですけど、その同期の半分は医者ですよ。

(私は高校一年生で受験の世界から逸脱し、エリートコースから完全に外れてしまった変人です)

なので、彼ら、彼女らもまた、社会的には「成功者」であり、普通の人よりも承認されているはず。

ところが、同窓会で久々に会って近況を聞いてみると、「あ、こいつ満たされてへんな・・・」と感じることがある。

(私の場合は波動/オーラを観てしまうから、なおさらそれを感じる)

自分よりずっと社会的立場が上であるはずの友人から、「自由そうに生きてるお前がうらやましいわ・・・」と言われたこともあります。

つまり承認欲求というのは、いくら外側から得ようとしても、ザルのように抜けていくのですね(一時的には満たされますが)。

本当に大切なのは、もうお分かりかと思いますけど、「自分で自分を承認すること」です。

流行りの言葉で言えば「自己肯定感」というやつですね。

先ほど述べた通り、相対的な物質世界(ヨコの世界)において他人と比較するモードから距離を置き、自分で自分を承認しながら生きていくには、祈りが有効です。

では、ここから一歩深めたことを言うと、

「タテの世界(神仏の世界)と深くつながることができると、「自己の中心」とも深くつながることができるようになる」

ということです。

それによって、あえて自己肯定感を無理に高めようと努力しなくても、力がうまく抜けた飾らないセルフイメージが醸成されていくのです。

先ほど述べた「自己の中心」というのは、言い換えれば「魂のど真ん中」です。

カッコよく言えば「内なる神」ということ。

ちょっと難しいかもしれませんが、私たちが祈るとき、実は「内なる神」が発動し発光しているのです。

「タテの世界」に深くつながるには、「内なる神」の働きが必要不可欠なのです。

よって、祈りが深くなるにつれて、いわば「内なる神」が発光するエネルギー量も増えていくわけです。

それに伴い、心の曇り、相対的な世界で汚れてしまった心がクリアになっていき、自然と「あぁ、自分でこれで良いのだ・・・」と、静かに、深く、思えるようになってくる。

それが一般的に言われている「自己肯定感」を超えた、「絶対肯定」の世界なのですね。

さあ、いきなり難しくなりましたよ(笑)

もはや入門編じゃねえな。

ただ、祈ることそのものは簡単だけど、続けていけばこんな深い世界もあるよ、ということを少し言いたかったのでした。

私もこんな説明はしているものの、まだまだアタマでわかっているだけです。

ですから、私自身もエラそうに言うからには、祈りを淡々と実践していきます。

では、まだしばらく続きそうなので、次回もお楽しみに。


今日のまとめ

・深く祈る人は、自分と周りとを安易に比較しなくなる

・神仏という絶対的な存在(タテの世界)へ祈ることによって、相対的な世界(何かと比較されるヨコの世界)の囚われから距離を取ることができやすくなる。

・祈りを深め、タテの世界と深くつながるようになると、自己の中心(内なる神)とも深くつながるようになり、果ては「自己肯定感」を超えた「絶対肯定」の世界へ入るだろう(ちょっと難しいので無理に理解しなくて良い)


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