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目次
サイキック(霊能)は優れていても、スピリチュアル(霊性)が低劣な人に注意
今回の文字起こしの要点
- スピリチュアル業界は、サイキックが優れているだけの人をもてはやすので注意が必要。
- サイキックとは「霊能」であり、いわゆる「視える」「聞こえる」という曲芸的な能力を指す。
- スピリチュアルとは「霊性・霊格」であり、精神性や人間的な成長を求め続ける態度のこと。
- 人間的な成長を求める過程で養われる「直感力」や「判断力」こそ、真のスピリチュアル的な能力。
今回は「〈サイキック〉と〈スピリチュアル〉の違い」について話をします。
ニーズのあるテーマかどうかはわかりませんが、個人的には大事なことだと考えています。
最初に簡単に説明すると、〈サイキック〉というのは「霊能・霊能力」のことで、「チャネリング」とか「オーラリーディング」とか「過去世リーディング」などを言います。
サイキックは英語だと「psychic」と書きます。
「心理学」は英語でサイコロジー(psychology)と書くので、語源が同じですね。
そして〈スピリチュアル〉というのは、「精神性・霊性・霊格」のことを言います(今回は「霊性」で統一します)。
これは「五感では捉えられない『生命の大元』や『宇宙の根源』のこと」です。
ですから、サイキックとスピリチュアル、霊能と霊性とは、実は全く違うんです。
でも、スピリチュアル業界では往々にして、両者がゴチャゴチャになっています。
私は「スピリチュアルカウンセラー」という肩書を、意識的に定義に基づいて語っています。
つまり、過去世リーディング、オーラリーディング、守護霊リーディングなどのサイキック(霊能)を駆使するだけでは、「スピリチュアルカウンセリング」とは言えません。
ちゃんと定義に基づけば、これは「サイキックカウンセリング」です。
あるいは「サイキックコンサルティング」と言ってもいいでしょう。
他の「スピリチュアルカウンセラー」の多くは、本当は〈スピリチュアル〉ではなく〈サイキック〉であることを覚えておいてください。
一方、私のような「スピリチュアルカウンセラー」は、サイキックはあくまで「道具」として捉えています。
最も大切なのは、生命の根源、魂の深い領域、つまり「霊性」を探求、探索していくことです。
そこでは、サイキックは必須ではないし、いわゆる「霊能者(サイキッカー)」でなくても良いんです。
ここでの注意点は、サイキック(霊能)が優れているからといって、スピリチュアル(霊性)言い換えれば人格まで高いとは全く限らないということです。
これは非常に注意点です。
サイキックが優れていて、普通の人が感知できないものが見えたり、聞こえたりすること。
これは一種の「曲芸」です。
「手品」みたいなものです。
それは「一芸には秀でている」わけですが、だからといって人格的に優れているとは限りません。
最近のジャニーズ絡みのスキャンダルを見れば、すぐわかるでしょう。
彼らは「芸能人」として音楽やダンスやトークスキルやルックスは優れているかもしれませんが、人格まで磨かれているわけではありません。
これは誰が見ても明らかです。
でも、なぜサイキックが優れているだけの "芸人" が「先生、先生」と高く持ち上げられがちなのか。
私にはよくわかりません。
例えば、これから話すことは冒頭に紹介したブログに書いていることです。
ある人の近しい方が、最近亡くなったそうです。
それで意気消沈して落ち込んでいるときに、その知人が「これは龍神のメッセージよ」と前置きして、
「いつか悲しみは終わるのよ」
「これは試練なのよ」
「絶対大丈夫。心の闇はそのうち晴れるから。だから、もう落ち込まないで」
と、聞いてもいないのに言ってきた。
それを聞いたその人は、それから非常にモヤモヤしていると……
という話を私はお聞きしたんです。
たとえ「善かれ」と思ってしたメッセージだとしても、その人はアドバイスや慰めを求めてないんですよ。
近しい人が亡くなって落ち込んでる相手には、黙って寄り添うのが最も良いのではないのか。
それなのに「龍神のメッセージ」などと称して、証明不可能で反論しにくいものを、身勝手に言ってしまう。
本当に無神経ですよね。
で、もうお分かりと思いますが、その龍神のメッセージとやらを寄せた人の波動(オーラ)はひどく重たいです。
ま、こんなの別に言わなくたってわかるでしょうけど。
(一応言っておきますが、私のオーラリーディングは〈サイキック〉の次元です)
その波動を観察していると、自己顕示欲や、その裏返しとしての劣等感が伝わってきます。
その奥にあるのは、「私ってすごいでしょ!」「もっと褒めて!」という、精神的に幼稚なパーソナリティです。
仮に「龍神のメッセージ」が正確だったとしても、相手が求めていないことを言いたがるのは、サイキック(霊能)は優れていてもスピリチュアル(霊性)は未熟なんです。
そもそもこの人はサイキック(霊能)の力もないわけだから、単に「スピリチュアルごっこ」をしたいだけのクソガキだと言わざるを得ません。
「龍神のメッセージ」はわかるらしいのに、目の前の相手の気持ちを察することができない……
幼稚園からやり直した方がいいでしょうね。
この種のご相談は、これまで何度も受けてきました。
いくらサイキック(霊能)が優れていようと、スピリチュアル(霊性)に欠けていることは少なくない。
だから「霊感商法」とか「詐欺」や「恐喝」など、スピリチュアル絡みのトラブルは今でも起こってしまうわけです。
自戒を込めて言いますが、サイキック能力があるからといって、エラそうにするんじゃねえ馬鹿野郎。
スピリチュアルというのは、さっきも述べた「生命の根源」や魂としてのあり方を問い、考え、深め、求めていく、その態度のことです。
他のまともな専門家の中で、「スピリチュアルは形ではなくて、状態である」と定義している方がおられます。
英語圏の方なので「ステート(state)」という単語を使っています。
日本語では「状態」を意味します。
私は「態度」と言っていますが、言いたいことは同じです。
「態度」というのは、つまり人間性のこと。
この意味での「スピリチュアル(霊性)」を探求する態度なくして、どうして人生の不条理や苦悩に打ちひしがれる方の力にはなれるでしょうか。
ただ、サイキックだけでなくスピリチュアルも優れた人を見つけるのは――これはもちろん私自身にも問われることですが――難しいですね。
表向きはしっかりしているように見えても、実は波動が重たいなんてことも結構あります。
また「表側の波動」は良くても、「裏側の波動」が汚れているという器用な人もいますので、なかなか厄介です。
少なくともここで言えることは、「見える」とか「聞こえる」とか、それだけでもって「スゴい!」「素晴らしい!」「信用できそう!」だなんて思っちゃダメだということ。
自分の欲を脇によけて、心眼でしっかり真贋を見極めなければなりません。
もちろん私にしても、文章の行間とか、しゃべっている声の調子とか、よーく見極めてくださいよ。
正義ヅラして、あなたを騙そうとしているかもしれませんよ(笑)
サイキック(霊能)だけを求めると、低級霊や邪霊の餌食になってしまう
私みたいにサイキック(霊能)を活かした仕事をしていると、ときどき「ワタシも林さんみたいにオーラが観えるようになりたい」とおっしゃる方がいます。
こういうニーズを受け、スピリチュアル業界では "スピリチュアル能力開発講座" と称する「サイキック能力養成セミナー」を開催している人がいます。
こういう能力開発講座を受けて本当にモノになる人は、一握りでしょう。
大半の人はサイキックの才能のない「普通の人」なのですが、どうして中には「不思議な力」に惹かれる人がいるのでしょうか。
私が観察していると、どうも「人より特別な自分でありたい」とか「他の人とは違うことを示したい」という欲望を感じます。
その背景にあるのは、たいていは「劣等感」や「無価値感」でしょうね。
最近の言葉でいえば「自己肯定感」が低いのかもしれません。
この世の社会生活がどうにも馴染めなくて、スピリチュアルな世界に居場所を求めている人もいるかもしれません。
それでサイキック能力が開発できれば、人生が開けるかもしれないと期待しているかもしれませんが、そこで教えてくれるのはスピリチュアル(霊性)ではなくサイキック(霊能)です。
サイキック(霊能)を学んだところで――そもそも素質がない人が学んだところであまり収穫はないですが――劣等感や無価値感が埋まることはありません。
その状態でヘタにサイキックを学び、本当は素質もないのに何となくできた気になってしまうと、さっき述べた「龍神のメッセージ(笑)」を送りつけるカン違いオバサンになってしまう。
余計に嫌われるぞ。
そんなにオーラが見たい?
そんなに守護霊の声が聞きたい?
そんなに過去世が見たい?
「もっと普通でええやん」って思いますけどね。
私は自分の運命で、たまたまやっているだけです。
サイキック能力なんて学んでないのに自然に出てきたタイプですし。
そんな私でも、本当に学ばないといけないのは、サイキック(霊能)ではなくスピリチュアル(霊性)です。
何回か前の配信でご紹介した『シルバーバーチの霊訓』などから真剣に学び、自分の生きる軸を固めることです。
だから「スピリチュアルカウンセリング」というのは、別にサイキック(霊能)を使わなくてもいいんですよ。
お客様、クライアントさんの「魂の探求」「深い自己探索」ができるカウンセリングが提供できるのであれば、たとえサイキック(霊能)なしでも、立派なスピリチュアルカウンセリングです。
けれども、普通は「オーラを見る」とか「タロットを使う」とかが、"スピリチュアル" と言われてしまう。
でもこれまでの説明からすれば、占いなんてサイキック(霊能)でもない。
ツール(タロットならカード、占星術なら生年月日)を使って鑑定する「スキル」です。
ただ、占いを通じて、お客様の「魂の探求」のお手伝いができるのであれば、それはスピリチュアルカウンセリングです。
また、一般的な心理カウンセリングにおいても、本当に深いカウンセリングができるのであれば、それは「スピリチュアルカウンセリング」です。
スピリチュアルを「霊性」を定義すると、こういう言い方ができるようになります。
サイキック(霊能)やスキルだけで慢心している占い師に鑑定してもらうと、例えば不運や不幸があったとき
「それはあなたの前世のカルマなのよ」
「あなたの因縁が悪いのよ」
なんて反論不可能な心ない言葉を浴びせかけ、クライアントを傷つけることがある。
こんなのは、スピリチュアルじゃないですよ。
サイキックですらない。
単なるお説教じゃないですか。
こんなヤツが高い波動、高級な人格を備えているとは、とうてい思えません。
本当に誰かの支えになれるのは、サイキック(霊能)ではなくスピリチュアル(霊性)が深い人です。
これはもちろん私自身にも問われることなので、本来はどの職業人もそうですが、一流を目指して人間を磨き続ける以外に道はありません。
けれども、この道のりは非常に地味なので、多くの人は目立つもの、派手なものに目を奪われがちです。
だから、以前も言ったことがありますけど、例えば「ワタシの後ろにアマテラスがついている」とか、「空海や道元がついている」とか、「ミカエルやガブリエルがついている」とか、YouTubeなどで自称するアホが今でも湧いてくるわけです。
どうせ「スピリチュアルごっこ」をしたいだけの連中なんだろうけど、たとえ百歩譲ったとしても、サイキック(霊能)の次元ですよ。
ただ、そういうのを見て「何だかスゴそう」「普通の人にはない力がありそう」と興味関心を持つ人もいるから、困ったもんだ。
それは何度も言いますがサイキック(霊能)であって、本質としてのスピリチュアル(霊性)ではないということは、本当に注意しなければなりません。
ヘタにサイキック(霊能)を得ようとすると、低級霊や邪霊の餌食になります。
その結果として、波動(オーラ)がめちゃくちゃ重たくなるので、何のメリットもないんですよ。
「人に喜ばれる」生き方が、地に足のついたスピリチュアル能力を磨く
「スピリチュアルごっこ」は、もういいんですよ。
本当のスピリチュアル(霊性)を大切にした生き方は、「人に喜ばれる」ことです。
この「人に喜ばれる」という生き方は、レジェンドの小林正観さんがずっとおっしゃっていた「最高の生き方」です。
サイキック(霊能)なんか全く関係ないんです。
ところが面白いことに、「喜ばれる人間になろう」と思って努力を続けていると、「直感力」や「判断力」や「決断力」が磨かれてくる。
「物事の本質を見極める力」がついてくるんです。
これは「その道ひとすじ」の職人の生き様を見れば、すぐわかるはずです。
また、誠実な商売を積み重ねた経営者なんかも、人間力が高い方が多い。
いや、経営者でなくても、何かに一生懸命打ち込んだ人は、人間的力量は高いはずです。
経営者は――私もよくご相談をいただきますが――人を見る目がなかったら、採用や取引先の見極めなんかできませんよ。
これら「人間力」と呼ばれているものは、スピリチュアルな能力です。
この能力は、スピリチュアル(霊性)次元なので、本当の意味で「人のため」になる能力です。
これ、普通に言われている "スピリチュアル" とは区別して理解してくださいね。
スピリチュアル(霊性)が高いというのは、人格(これを「霊格」とも言いますが)が高いということ。
直感は英語で「インスピレーション」と言いますけど、これは「イン・スピリット」、霊が中に入ってくること。
つまり「霊的なパワーが入ってくること」をインスピレーションと言う。
サイキック(霊能)とは、全く次元が異なるんです。
オーラなんか見えなくたって、日常において「人を見抜く目がある」方がよっぽど大事です。
このスピリチュアル的な力量は体験や修練の上に身についたものなので、人格=霊格と不即不離なのです。
こういうのが本当のスピリチュアル、つまり【マジスピ】なんです。
ですから、私みたいにサイキック(霊能)を商売道具として使う人間は、その土台にスピリチュアル(霊性)がなければならないことを自覚して、日々研鑽を怠ってはならないわけです。
サイキック(霊能)だけでは、往々にして人を傷つけてしまう。
それでは、とても「人のため」にはならないんですよ。
今回の内容を通じて、サイキック(霊能)とスピリチュアル(霊性)の違いについて、ハッキリとご理解いただけたらと思います。
ありがとうございました。
改めて、今回の文字起こしの要点
- スピリチュアル業界は、サイキックが優れているだけの人をもてはやすので注意が必要。
- サイキックとは「霊能」であり、いわゆる「視える」「聞こえる」という曲芸的な能力を指す。
- スピリチュアルとは「霊性・霊格」であり、精神性や人間的な成長を求め続ける態度のこと。
- 人間的な成長を求める過程で養われる「直感力」や「判断力」こそ、真のスピリチュアル的な能力。
なお、YouTube(Podcast)は今回の文字起こし編集でカットした部分もあります。
今回は「"あなたもオーラが観える" という霊能力養成講座に潜入調査した話」や「ライトワーカーの話」はカットしました。
なのでこちらも聞いていただけると、より理解が深まります。
※この下に「音声プレーヤー」があります。倍速再生も可能ですし、YouTubeより通信量も少ないし、スマホを画面オフにしても聴けるので便利です。
