禅タロットリーダー養成講座、格安でリーディング付きの体験会を行っています。

第336回:真の想像力は「神」から与えられる‐成功哲学・自己啓発の限界を超えて

※ウェブサイト『マジスピ』には音声の文字起こし(読みやすく加筆修正済)があります。

■YouTubeではメモ、資料、スライドなどを映していますが、音声プラットフォームの「ながら聞き」でも十分ご理解いただけると思います。

ウェブサイトでは最下部に音声プレーヤーがあります。倍速再生も可能ですし、YouTubeより通信量も少ないし、スマホを画面オフにしても聴けるので便利です。

■ご感想・ご質問は『アンケートフォーム』からどうぞ
https://x.gd/Mp7Lg

今回の要点と要約文

今回の要点

  • 「潜在意識を活用すれば成功できる」のは結構だが、その前になぜそんな意識が神から与えられているのか問わなけれればならない。
  • 成功のイメージは過去のデータから組み立てられるものであって、本当に未知の未来はイメージできない。
  • イメージの源泉はエゴではなくインスピレーション(霊感)であり、それは根源的には「宇宙」「創造主」から与えられるという謙虚さが求められる。
  • 人生は決して思い通りにならない。しかし、真摯に成長を求める人間は、予想外の運命の展開に見舞われることも少なくない。
今回の要約文

■真の想像力は「神」から与えられる‐成功哲学・自己啓発の限界を超えて■

「人生は思い通りになる」という成功哲学(自己啓発)の発想は、とても傲慢だと思います。

現代の物質主義、個人主義からすればその発想は肯定されるわけですが、そもそもなぜ生まれ、なぜ死ぬのかは人間を超えた摂理によるものであって、そこに人間の意志は1ミリも介在していません。

まぁでも「人生は思い通りになる!」って言った方がカッコいいよな。

私たちはそんな「時代精神」の中を生きているに過ぎないのであって、時代が変われば「とんでもない傲慢な野郎」だと思われるに違いない。

成功哲学でよく言われる「潜在意識」は、本来はわからない代物。

けれども、その言葉があることによって、なんだかわかった気になってしまう。

その前提を疑わず、自明のものとして「潜在意識」と言ってしまう。

そこには「意識とは何か?」「なぜ意識があるのか?」という根本的な問いが抜け落ちているわけです。

いちいち考えるのは面倒ですからね。

それよりは「潜在意識を活用して、成功したらいいじゃん」という感じでしょうか。

前から紹介している自己啓発の元祖「J・マーフィー」はキリスト教の牧師ですが、「主を恐れることは知識のはじめである」(旧約聖書『箴言』)についてはどう考えていたのでしょうか。

人生は思い通りになる。望むものはすべて叶えられる。思った通りに引き寄せられる。

こうして「従来の神」は死に、人間自身が「神=創造主」になってしまったのが現代なんでしょうね。

でも、人間はどこまで行っても被造物です。

人は生まれる時も死ぬ時も自分の意志では決められず、そもそもなぜ宇宙が在るのかもわからない。

人生とは、人間の計画通りに進むものではなく、想定外の出来事を含みながら展開していくものです。

未来は誰にもわかりません。

どれだけ科学が発達しても、自然や社会の変化を完全に予測することはできません。

この不確実性を前提にすれば、「人生は思い通りにできる」という考え方は、どうしても浅くならざるを得ない。

自己啓発で強調される「イメージング」にも限界があります。

人が描けるイメージは過去の経験や記憶の組み合わせであり、未知の未来そのものを描くことはできないからです。

本来のイメージは、意図的に作り出すものではなく、自ずと湧き起こすインスピレーション(霊感)として与えられます。

イメージの起源は「インスピレーション」であり、それは本来は人間の頭脳でこしらえるものではなく、神(天/宇宙)から与えられるわけです。

問われているのは、そのインスピレーションがどの次元から出ているのかということ。

単なるエゴや野心からなのか、それとも本当に社会人類に貢献しようと願う祈りからなのか。

その出発点がとても大切です。

ただし、いくら高次元からインスピレーションを受け取ったからといって、人生がその思い通りになるわけではない。

むしろ、思い通りにならない現実の中で試行錯誤することにこそ、魂の成長があります。

成功は約束されなくても、成長は約束されている。

啓発とは、本来「内なる可能性を啓(ひら)く」ことであり、「内なる光を発する」ことです。

物質的成功だけを追うのではなく、自分に与えられた役割や使命に気づき、そこへ日々悪戦苦闘していくこと。

それが本来の「自己啓発」です。

なお、私は今の境遇は過去には全くイメージしていませんでした。

これは従来の成功哲学のセオリーの圏外なのですが、逆に想像以上の有り難いものになっている。

これは私だけでなく、過去にカウンセリングで出会った方々も「まさか!」と思うような運命の展開を辿ることが決して少なくない。

「思い通りにならない」というのは、こんな想定外の有り難いこともあれば、もちろんイヤなこともある。

両方含めて「人間の運命」ではないでしょうか。

もちろん「イメージするな」とは言わない。

「想像力とは創造力である」のは間違いないですから。

けれども「人間の意図を超えた可能性」も踏まえておいた方が視野が豊かになり、社会が決める成功・失敗の概念に囚われないで生きていけると思います。

要点・要約文を読んで、あとは動画でご覧になりたければ以下からどうぞ。


「”潜在意識” を使えば誰でも成功できる」その前提を疑うこと

今回も成功哲学(自己啓発)について「真のスピリチュアル」という観点から考えていきます。

今回のタイトルは

「想像力は神から与えられる」

「人生は思い通りにならないからこそ素晴らしい」

です。

今回サブタイトルをつけるとしたら

「人間の本当の謙虚さとは何か?」

ということ。

成功哲学というのは、ある種の「傲慢さ」が潜んでいると思っています。

成功哲学において定番の「潜在意識」は、これをいまシリーズで取り上げているジョセフ・マーフィーに始まる「キリスト教系自己啓発」の専門家がよく言っています。

イエス・キリストは "外" に存在する「汝の主なる神を信じよ」と説いていますが、キリスト教系自己啓発では「内なる神」としての潜在意識を活用せよと説きます。

キリスト教のある一派が、従来の教義に心理学の知見をかけ合わせて誕生したのが現代の自己啓発です。

この自己啓発は19世紀半ば(日本で言えば、士農工商の階級がハッキリ分かれていた江戸時代の末期)に生まれたわけですが、この時代から物質主義が勢いを増します。

それに伴って集団主義から個人主義にシフトしていく。

個人の中から自分の才覚と努力で大成功する人間が出てくる(それ以前は生まれや血縁によって社会的階層がある程度決まっていた)。

この時代は物質的繁栄が実現するのと反比例し、精神的なもの、宗教的なものが廃れていきました。

これを「信仰を失った」という言い方もできるし、ニーチェという有名な哲学者は「神は死んだ」という言葉を残しています。

「天にまします我らの父」ではなくて、「自分(の潜在意識)こそが神である」という時代です。

ここから「人生は思い通りになるんだ」「思考は現実化するんだ」「夢は必ず叶うんだ」などの発想が生まれてくくる。

ここには「(天の神ではなく)我こそは神であり、創造主である」という強い個人主義があります。

それより一つ前の時代までは「神」が人間の上だったため、キリスト教の倫理や道徳が強く支配していました。

その宗教的拘束力には不自由な部分がある一方、人間の欲望を抑える役割を果たしていました。

そこから物質主義が栄え個人が自由を謳歌できる時代になると、キリスト教のある会派は時代のニーズに合わせた説教≒マーケティングをする必要が出てきた。

その一つが以前の文字起こしで紹介した「ニューソート(新しい考え)」です。

ニューソート系では、「物質的繁栄は神が人間に与えた権利であり、豊かさ=お金は信仰とは何ら矛盾しない」という思想が根底にあります。

これは野心のある人間にとっては心強い考え方ですね。

でも、一方で「すべてが思い通りになる」という考え方は、油断すれば「エゴイズム」に直結です。

そもそも「潜在意識」というのは、顕在意識ではわからないから「潜在意識」と言うわけです。

上記の図は成功哲学では必ずといっていいほど使われる「氷山のたとえ」です。

「潜在意識はあなたが強烈に願うことは何でも実現してくれる」と言うわけですが、そもそも潜在意識の役割は何なのでしょうか。

「神」はなぜ人間に潜在意識なるものを与えたのでしょうか。

潜在意識はわからないから「潜在意識」なのであって、顕在意識からすれば "ブラックボックス" です。

ちょうど宇宙物理学で言うところの「ダークマター」(暗黒物質)に似ているかもしれません。

現代科学では観測不可能な宇宙空間の存在を仮に「ダークマター」と名付けているだけであって、それが何なのかはわかっていない。

でも言葉が与えられていると、何となくわかったような気になってしまう。

「潜在意識」も同様で、どの成功哲学・自己啓発書を読んでいても「潜在意識にゆだねよ」としか書いてないので、自己啓発にかぶれた人間はもう前提を疑わなくなる。

意識を作ったのは人間ではなく、もちろん宇宙や創造主と呼ばれている「何ものか」です。

だからこそ、人間の側は「なぜ潜在意識というのが与えられているのか」「何の理由で、何の目的で与えられているのか」を問い続けなければならない。

この問いは、いわば宇宙から突きつけられたものだと言えるでしょう。

しかし「我は神なり、我は創造主なり」と思い上がった "神を超えた" 人間は、そんなことはもう考えない。

「潜在意識」はすでに自明のものであり、我々はそれを物質的成功のために使えばいいのだ。

成功哲学の元祖にして牧師だったJ・マーフィーが引用しなさそうな聖書の文言。

「主を恐れることは知識のはじめである」(旧約聖書『箴言』)

潜在意識に力があるなら、なぜ宇宙はそれを人間に与えたのか。

その超越的な力に、我々は「畏れ」を抱いているか。

宇宙の根本主体に対し、我々は「神の分霊」とはいえ、いかにちっぽけな存在であるか。

その謙虚さがあって初めて「知識」、単なる断片的な知識ではなく「真の英知」に近づける。

「主」の意図、私がよく使う表現では「天命(天の命令)」に背くことのないよう、私たちは潜在意識を活用する責務があると言えます。

こういうことは、現代の成功哲学・自己啓発ではほとんど言いません。

でも、潜在意識はエゴのオモチャではない。

霊的存在としての人間は、与えられた生命を本当にイキイキと輝かせるためにこそ、潜在意識を活用しなければならないのではないでしょうか。

「成功の実現をイメージせよ」の教えに限界がある3つの理由

真実1:人生は思い通りにならない

では、ここから「真の想像力、イマジネーションは神から与えられる」という話に入ります。

まず、成功哲学が必ず教える「イメージング」には限界があるということを知ること。

どの本やセミナーでも「願望が叶った時の姿をイメージしなさい」と教えますね。

ただ、これは先ほどの「潜在意識」と同様、そもそも想像・イメージとは何なのかという前提は問わないんですよ。

そんな原理を考えたところで「成功」なんかできないんで、とにかく使って結果出してナンボだという発想でしょうね。

まぁそれだからエゴイズムが暴走して、波動(オーラ)が重たく暗くなってしまうんでしょうけど。

それはともかく、まず抑えておくべきことは、

「未来のことは誰にもわからない」

「人生は思い通りにならない」

ということ。

成功哲学をやっている人は「人生は思い通りになる」という主張をしますね。

けど生命としての根源えお考えれば、本来「生きる」「死ぬ」は自分では決められない。

私たちは、いつ生まれ、いつ死ぬのか。

そんなもん、誰もが「思い通りにならない」じゃないですか。

せいぜい百年ほどの、宇宙からすれば一瞬の人生を引き伸ばすことなんてできないじゃないですか。

「天地始終なく、人生生死あり」(頼山陽)

生死は自分を超えている。

命を作ったのは自分ではない。

世界を作ったのも自分ではない。

だから思い通りになるわけがない。

もちろん顕在意識で認識できる範囲に限れば、比較的思い通りに生きている人はいるかもしれない。

そういう人が「人生は思い通りになるぜ」と言うのかもしれない。

けれども根源的に考えれば、人生は思い通りにはならない。

お前は、自分の五臓六腑を、すべて自分の意志で動かしているのか?

こういうことを考えるようになってから、私は特にビジネスやスピリチュアル界隈にいる「人生は思い通りになる」と言う人を "謙虚さに欠けた人間" と見なすようになりました。

確かにお前の狭い認識レベルでは「人生思い通り」に引き寄せられているかもしれへんけど、大半の人間は思い通りにならへん人生と折り合いつけて生きとるんや。

だからまず、人生は思い通りにはならないことを明(あか)らめなければなりません。

真実2:本当に知らない未来はイメージできない

そもそもイメージというのは、過去の経験や体験から組み立てられるわけです。

イメージになる素材がないのに、イメージすることはできません。

例えば「受験で合格している時のイメージ」というのは、過去に無数の人々の合格・不合格というイメージがすでにあるからできる。

ビジネスで起業して成功するというイメージも、過去に成功した人が多くいるからできる(もちろんそれよりずっと多い人々が失敗していますが)。

現実の敬虔以外にも、過去に見たドラマ、漫画、小説、映画など、そのすべてを総動員してイメージが組み立てるわけです。

つまりイメージというのは必ず過去に基づいているのであって、本当の知らない未知はイメージできません。

だいぶ前にも紹介したことがありますが、写真家の星野道夫さんの本に素敵な言葉があります。

「人生とは、何かを計画している時に起きてしまう別の出来事のこと」

(Life is what happens to you while you are making other plans.)

今 “happen” という単語がありました。

これは “happening(ハプニング)” の “happen” ですね。

つまり「いろいろ計画していても、想定外の出来事が起こってしまう」のが人生であると。

未来は誰にもわからない。

スピリチュアル業界で流行っている

・前祝い(まえいわい)
 
・予祝(よしゅく)

というのがあります。

叶えたい夢や願望が「すでに叶ったもの」として、叶う前からお祝いすることです。

実際に叶う前から「おかげさまで夢が叶いました、ありがとう」なんてやるわけです。

そうすると脳が勘違いして、もうそれがすでに実現したかのような錯覚をする。

そしてその錯覚によって実際に現実化してしまう、という考え方です。

ただ⋯⋯これはハッキリ言えば「脳のお遊び」なんです。

こんなことを言うと、割とまともなスピ系の人でも「予祝・前祝い」の話をするので、私は異端視されるかもしれません。

別に変な野郎と思っていただいても結構ですが、ここでは「視点・次元の違い」として耳を傾けていただきたい。

もう一度言いますが、イメージというのは過去の経験や体験に基づいて組み立てられます。

したがって、いくら「希望ある未来」のことをイメージしていたとしても、実は過去の断片を組み合わせ再現しているだけに過ぎないんです。

別にそういうことをするなとは言いません。

それをすることでやる気がどんどん湧いてくるなら、やればいい。

けれども、それは「過去をなぞっているだけだ」ということは忘れない方がいい。

それは未来を生きているようで、本当は過去の拡大再生産ではないのか?

たとえ思い通りになったとしても、過去の残像を恣意的に再現しているだけではないのか?

そこに過去の延長線としての「進歩」はあっても、イメージを超えた異次元の飛躍、つまり「進化」はない。

あなたはこれまで体験した中で、安全で心地良いと脳が判断した「過去の世界」を未来に再放送しているだけだとしたらどうする?

真実3:思い通りにしたい欲望はエゴイズムである

⋯⋯従来の成功哲学とは違うことを言っているので、やっぱり反発する人はいると思います。

なんでそうなるかといえば、この物質文明、以前解説した『波動の法則』で言うところの「エゴの文化」においては、「思い通りになる人生」を生きる人物の方が、カッコ良く見えてしまうからです。

私たちはそういう「時代精神」を生きているんですよ。

私も含めた全員が「物質的欲望」を持っているので、それを思い通りに叶える人間に魅力を感じるのは当然のことです。

ところが、3次元を超えた視座から俯瞰してこの世界を観てみると、こういうエゴの思い通りになる人生というのは、必ずしも上等ではありません。

これは私が人間を物質ではなくて波動(オーラ)として観てしまうので、そう感じるのかもしれません。

今の時代精神の中においては「引き寄せ」が自己アピールの道具になったり、このスピリチュアル業界周りではビジネス上のブランディングにもなるわけですね。

これは逆から言えば、「思い通りにならない、今後何が起こるのか予想ができない」ことに対して、私たちは怖れを抱く。

この怖れは、肉体の安全を第一とするエゴから生まれています。

確かに昨今は不穏なことがたくさん起こっているし、それが情報としてたちまち全世界に拡散されてしまうので、将来不安は大きく深くなっています。

けれども根本的に考えれば、そもそも私たちは「無知」なんだと。

先ほど聖書から「主を恐れることは知識のはじめである」という言葉を引用した通り、この広大なる宇宙と比較すれば、私たちは本当にちっぽけで無力な存在なんです。

これに、この物質文明においてエゴが肥大した私たちは、心の修練をそれなりに積まないと、この「根源的無知」になかなか耐えられないんですね。

それを克服するために、世界を思い通りに管理したい、征服したい、支配したい、設計したいという発想が生まれてくる。

これをスピリチュアル的に言えば「土の時代」というやつですね。

スピ系では「今は風の時代」なんて言いますけど、いやいやどうして、まだまだ「土の時代の名残」がたくさん残ってますよ。

思っても願ってもその通りにならない人より、やっぱり思ったこと願ったことが次々と引き寄せられてしまう人の方に、私たちは魅力を感じませんか?

「社会的成功者」が必ずしも良い波動をしていないのを観て知っている私は、それだけでは魅力は感じませんが。

ヘタに願望が実現して引き寄せてしまったから、エラそうに傲慢になる人もいます。

ヘタに夢が叶ってしまった後「虚無感」に襲われて、朝から酒を飲んでるような「成功者」を知っています。

そんな人は表に出てこないから、多くの人は知らないだけ。

さあ、それは本当の成功なんでしょうか?

欠乏感や怖れを穴埋めしようとしてなされるイメージは、しょせんはエゴの波動なんです。

それは決して次元の高いものではありません。

これから続けて話をしますが、大切なのはイメージの「内容」ではなく「次元」なんです。

夢を叶えるのは “私” ではないと思い知るほど「真の成功」に近づく

今回の最後は「イメージングの前に、"インスピレーション" ありき」という話です。

これも大切なのでよく理解してください。

未来へのイメージというのは、本来「思い描くもの」ではないんです。

自分の脳であれこれイメージするのではなく、本来は「浮かんでくる」ものなんです。

本当のイメージは「するもの」ではなく「自然と起こるもの」なんですよ。

これはイメージの前に「インスピレーション」が働いているわけです。

インスピレーションとは、日本語では「霊感」と言いますね。

この言葉の通り、本来の想像力は霊的世界、つまり「神」から与えられるもの。

その想像力が「創造力」となるわけです。

この理解は真のスピリチュアル(マジスピ)としてはとても大事です。

「イメージはテメーが思い描くんじゃねーんだよ」ということです。

願望実現の主体は「あなた」ではない。

あなたが夢を描くのではなく、夢があなたという「器」を必要としただけです。

思い上がってんじゃねーよ。

ここで問われているのは、「インスピレーションの出どころ」です。

つまりそのインスピレーションは「エゴの次元での思いつき」なのか、それとも「霊的な高次元からの直観」なのか。

もし従来の自己啓発にありがちなように、エゴ的な野心をゴリゴリ燃やしたところから湧いてくるインスピレーションなら、それは周囲をあまり幸せにはしないでしょう。

(それでも想念が強烈であれば実現する可能性は高いのは以前言いました)

一方、本当に世のため人のため、そして自分の霊的成長を忍耐強く祈り続けた先に与えられるインスピレーションであれば、それは高い次元のものになるでしょう。

先ほど「本当に未知の未来はイメージできない」と言いましたが、高次元からもたらされる直観のレベルにおいては、未来の断片が「見える」ことがあります。

世界的な発明や発見の背後には、この種の直観が必ず働いています。

「"切実なまでの祈り" や "死ぬほどの悲願" が宇宙に届き、神が未来を垣間見させた」という言い方もできるでしょう。

(もちろんその後は直観を得た本人が、現実化に向けて奮闘しなければなりません)

いわば「神から与えられた火種」を元に火を起こしていく、つまりそこからイメージを組み立てていくのであれば上等です。

「そのイメージの根源は自分ではない」と弁えて、「宇宙は自分に何を望んでいるのか?」を問い続けながらイメージの現実化に向けて努力する姿勢は、実は祈りそのものなんです。

単に祈りの言葉を繰り返すことだけが、祈りではありません。

ここで大事なのは、たとえ高次元からインスピレーションを感じ、それをもとにイメージを組み立てたとしても、それでも「思った通りにならない」可能性が高いということです。

さっきの星野道夫の言葉をもう一度紹介しましょう。

「人生とは、何かを計画している時に起きてしまう別の出来事のこと」

(Life is what happens to you while you are making other plans.)

先ほどお伝えした通り、この物質世界では思い通りになる人間がカッコ良く見える。

「思い通りになる人生が素晴らしい」と、ついつい思ってしまう。

けれども私の知る限り、本当に真摯に人生を歩んでいる人の運命は、予想外の展開、イメージを超えた現象が次々と起こります。

これは不肖この私もそのパターンです。

私は今のスピリチュアルの仕事をやることは、事前に全くイメージしていません。

信じられない運命の展開によって、今の自分がある。

普通の家庭環境に生まれたノーマルな自分が、まさか波動(オーラ)が観えてしまうなんて、全く思わへんかったっちゅうねん。

起業当初に「普通の人が関心を持たないであろう考えを持っている自分は、たぶんこの仕事でメシを食っていけないだろうな」と強くイメージしていたのに、結果的には10年以上しぶとく生きている。

決して思い通りの人生にはなっていないが、想像を超えた人生になっている。

なぜなら、本当に願望を叶える主体は「私」ではなく「神」や「天」だからです。

「私という器」を通じ、「私の意図」を超えて、宇宙エネルギーが地上に展開されてゆく。

これを「祈り」というのであって、本来は祈りもまた主語は「私」ではない

私は、本当は "祈られている" のだ。

それが従来の成功哲学(自力の世界・脳の世界)を超越した「天命の力」なんですよ。

こういうことを踏まえれば、インスピレーションはあくまで断片ですから、それを手がかりとして歩んでいくとしても、どういう展開になるかは人間の分際には予測不可能なんです。

想定外の失敗もあれば、想定外の成功も起こりうる。

でも、それが人間の運命ではないでしょうか。

狭い五感の世界に閉じ込められている私たちは、未知の未来に向かって目の前の一歩をただ歩んでいくしかない。

こういう世界観が前提にあればこそ、「人事を尽くして天命を待つ」ことができる。

天命からのフィードバックは、自分の思い通りではないこともある。

最終的にはインスピレーション通りになるとしても、その道のりは紆余曲折な場合もある。

たとえそれが最初に思っていたのと違ったとしても、それを天命として受け取る覚悟はあるか?

その祈りは持っているか?

ということが問われているわけです。

思い通りになることが、本来の成功哲学・自己啓発ではないんです。

私は宇宙的使命・神の理念をこの世に顕現させるための「器」に過ぎない。

どれだけ深く祈っても未来の断片しか見せられない私たちは、決して思い通りにならない日々を悪戦苦闘して試行錯誤してゆく。

そこに「魂の成長」があるわけですね。

その「無限成長」こそ、真の成功のプロセスなんです。

魂の無限成長の道のりにおいては、歩みを止めたらもう終わりです。

たとえそれまで努力していた人も、一気に波動が劣化していきます。

それは魂の次元においては「敗北者」です。

(ただしこの世界では「過去の遺産」だけで一生安泰な人もいます)

だから、思い通りにならなくても、それときの自分の力量において歩み続けることが最も大切なんです。

これが本当の意味での「自己啓発」です。

そもそも「啓発」とは、自己の可能性を"啓(ひら)く"こと、そして自分の内なる光を"発する"ということ。

物質的成功はその副産物に過ぎません。

それも自己啓発かもしれないけれども、あくまでほんの一部に過ぎない。

本来の想像力、そして願望は神を通じて与えられるということは、その願望の内容もまた「無限なるもの」なんです。

先ほど「魂の無限成長」と言ったのはそういうことです。

限りある人生において、限りない世界に向かっていくことが、根源的な成功です。

〈功〉という字は「工=つくる」「力=ちから」が語源ですが、この「創り上げる力」としての〈功〉とは、私は「宇宙エネルギー」と解釈します。

つまり、宇宙エネルギー〈功〉をこの地上に展開していく無限なるプロセス〈成〉が、本来の〈成功〉なんです。

これが本当に肚に叩き込まれたら、「この世での成功・失敗なんか関係ねえ!」と思えてきて、とにかく前向きに生きていけるようになりますよ。

だいたい「失敗したら周りからどう思われるだろう・・・」と小さなプライドによってビビっている人が多いんだから。

人生が思い通りにならないということで意気消沈したり、時には天を呪ったりというような人もいるかと思います。

しかし、思い通りにならないところから試行錯誤していろいろ工夫して、真の成功(宇宙エネルギーの地上的展開)に向けて闘うことが真の自己啓発です。

従来の成功哲学では言わなさそうなことばかりですが、多少ともご参考になれば幸いです。

改めて、今回の要点

  • 「潜在意識を活用すれば成功できる」のは結構だが、その前になぜそんな意識が神から与えられているのか問わなけれればならない。
  • 成功のイメージは過去のデータから組み立てられるものであって、本当に未知の未来はイメージできない。
  • イメージの源泉はエゴではなくインスピレーション(霊感)であり、それは根源的には「宇宙」「創造主」から与えられるという謙虚さが求められる。
  • 人生は決して思い通りにならない。しかし真摯に成長を求める人間は、予想外の運命の展開に見舞われることも少なくない。

なお、YouTube(Podcast)は今回の文字起こし編集でカットした部分があります。

今回も動画と文字起こしは少し内容が変わります。

なので動画(または音声)もご視聴いただけると、より理解が深まるかと思います。

※この下に「音声プレーヤー」があります。倍速再生も可能ですし、YouTubeより通信量も少ないし、スマホを画面オフにしても聴けるので便利です。

マジスピラジオ:脱・お花畑の「真のスピリチュアル実践」
マジスピラジオ:脱・お花畑の「真のスピリチュアル実践」
第336回:真の想像力は「神」から与えられる‐成功哲学・自己啓発の限界を超えて
Loading
/