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第336回:真の想像力は「神」から与えられる‐成功哲学・自己啓発の限界を超えて

※ウェブサイト『マジスピ』には音声の文字起こし(読みやすく加筆修正済)があります。

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ここから下は編集中です。まだ「一部に誤字脱字のある、ざっくり文字起こしの段階」をご理解の上で読んでください。配信日から1週間以内に加筆修正して読みやすい文章にしますので、待てる方は少しお待ちください。

今回の要点と要約文

今回の要点

  • 想像力やイメージングの源泉は自我ではなく、神的・霊的なインスピレーションから与えられるものであり、そこを取り違えると自己啓発はエゴを強める方向に傾く。
  • 人生は本来思い通りになるものではなく、予測不能な出来事を含むからこそ、謙虚さと「無知の知」に立ち返る姿勢が不可欠である。
  • 霊的なインスピレーションを基点として想像力を組み立てていくことで、エゴではなく天からの使命と調和した人生が展開していく。
  • 成功は約束されないが成長は約束されており、思い通りにならない現実を引き受けて歩む過程にこそ、魂の進化と真の自己啓発が宿る。
今回の要約文

■真の想像力は「神」から与えられる‐成功哲学・自己啓発の限界を超えて■

「人生は思い通りになる」という成功哲学(自己啓発)の発想は、とても傲慢だと思います。

現代の物質主義、個人主義からすればその発想は肯定されるわけですが、そもそもなぜ生まれ、なぜ死ぬのかは人間を超えた摂理によるものであって、そこに人間の意志は1ミリも介在していません。

まぁでも「人生は思い通りになる!」って言った方がカッコいいよな。

私たちはそんな「時代精神」の中を生きているに過ぎないのであって、時代が変われば「とんでもない傲慢な野郎」だと思われるに違いない。

成功哲学でよく言われる「潜在意識」は、本来はわからない代物。

けれども、その言葉があることによって、なんだかわかった気になってしまう。

その前提を疑わず、自明のものとして「潜在意識」と言ってしまう。

そこには「意識とは何か?」「なぜ意識があるのか?」という根本的な問いが抜け落ちているわけです。

いちいち考えるのは面倒ですからね。

それよりは「潜在意識を活用して、成功したらいいじゃん」という感じでしょうか。

前から紹介している自己啓発の元祖「J・マーフィー」はキリスト教の牧師ですが、「主を恐れることは知識のはじめである」(旧約聖書『箴言』)についてはどう考えていたのでしょうか。

人生は思い通りになる。望むものはすべて叶えられる。思った通りに引き寄せられる。

こうして「従来の神」は死に、人間自身が「神=創造主」になってしまったのが現代なんでしょうね。

でも、人間はどこまで行っても被造物です。

人は生まれる時も死ぬ時も自分の意志では決められず、そもそもなぜ宇宙が在るのかもわからない。

人生とは、人間の計画通りに進むものではなく、想定外の出来事を含みながら展開していくものです。

未来は誰にもわかりません。

どれだけ科学が発達しても、自然や社会の変化を完全に予測することはできません。

この不確実性を前提にすれば、「人生は思い通りにできる」という考え方は、どうしても浅くならざるを得ない。

自己啓発で強調される「イメージング」にも限界があります。

人が描けるイメージは過去の経験や記憶の組み合わせであり、未知の未来そのものを描くことはできないからです。

本来のイメージは、意図的に作り出すものではなく、自ずと湧き起こすインスピレーション(霊感)として与えられます。

イメージの起源は「インスピレーション」であり、それは本来は人間の頭脳でこしらえるものではなく、神(天/宇宙)から与えられるわけです。

問われているのは、そのインスピレーションがどの次元から出ているのかということ。

単なるエゴや野心からなのか、それとも本当に社会人類に貢献しようと願う祈りからなのか。

その出発点がとても大切です。

ただし、いくら高次元からインスピレーションを受け取ったからといって、人生がその思い通りになるわけではない。

むしろ、思い通りにならない現実の中で試行錯誤することにこそ、魂の成長があります。

成功は約束されなくても、成長は約束されている。

啓発とは、本来「内なる可能性を啓(ひら)く」ことであり、「内なる光を発する」ことです。

物質的成功だけを追うのではなく、自分に与えられた役割や使命に気づき、そこへ日々悪戦苦闘していくこと。

それが本来の「自己啓発」です。

なお、私は今の境遇は過去には全くイメージしていませんでした。

これは従来の成功哲学のセオリーの圏外なのですが、逆に想像以上の有り難いものになっている。

これは私だけでなく、過去にカウンセリングで出会った方々も「まさか!」と思うような運命の展開を辿ることが決して少なくない。

「思い通りにならない」というのは、こんな想定外の有り難いこともあれば、もちろんイヤなこともある。

両方含めて「人間の運命」ではないでしょうか。

もちろん「イメージするな」とは言わない。

「想像力とは創造力である」のは間違いないですから。

けれども「人間の意図を超えた可能性」も踏まえておいた方が視野が豊かになり、社会が決める成功・失敗の概念に囚われないで生きていけると思います。

要点・要約文を読んで、あとは動画でご覧になりたければ以下からどうぞ。


近代自己啓発の誕生と霊的視点の欠落

今回も成功哲学(自己啓発)について「真のスピリチュアル」という観点から考えていきます。

今回のタイトルは

「想像力は神から与えられる」

「人生は思い通りにならないからこそ素晴らしい」

です。

今回サブタイトルをつけるとしたら

「人間の本当の謙虚さとは何か?」

ということ。

成功哲学というのは、ある種の「傲慢さ」が潜んでいると思っています。

成功哲学において定番の「潜在意識」は、これをいまシリーズで取り上げているジョセフ・マーフィーに始まる「キリスト教系自己啓発」の専門家がよく言っています。

イエス・キリストは "外" に存在する「汝の主なる神を信じよ」と説いていますが、キリスト教系自己啓発では「内なる神」としての潜在意識を活用せよと説きます。

キリスト教のある一派が、従来の教義に心理学の知見をかけ合わせて誕生したのが現代の自己啓発です。

この自己啓発は19世紀半ば(日本で言えば江戸時代の末期)に生まれたわけですが、この時代から物質主義が勢いを増します。

それに伴って集団主義から個人主義にシフトしていく。

個人の中から自分の才覚と努力で大成功する人間が出てくる。

この時代は物質的繁栄が実現するのと反比例して、精神的なもの、宗教的なものが廃れていきました。

これを「信仰を失った」という言い方もできるし、ニーチェという有名な哲学者は「神は死んだ」という言葉を残しています。

「天にまします我らの父」ではなくて、「自分(の潜在意識)こそが神である」という時代です。

ここから「人生は思い通りになるんだ」「思考は現実化するんだ」「夢は必ず叶うんだ」などの発想が生まれてくくる。

ここには「我は神であり、創造主である」という強い個人主義があります。

それより一つ前の時代までは「神」が人間の上だったため、キリスト教の倫理や道徳が強く支配していました。

そこには不自由な部分がある一方、人間の欲望を抑える役割を果たしていた。

そこから物質主義が栄え個人が自由を謳歌できる時代になると、キリスト教のある会派は時代のニーズに合わせた説教をする必要がある。

その一つが以前の文字起こしで紹介した「ニューソート(新しい考え)」です。

ニューソート系では、「物質的繁栄は神が人間に与えた権利であり、豊かさ=お金は信仰とは何ら矛盾しない」という思想が根底にあります。

これは野心のある人間にとっては心強い考え方ですね。

でも、一方で「すべてが思い通りになる」という考え方は、油断すればエゴイズムに直結です。

そもそも「潜在意識」というのは、顕在意識ではわからないから「潜在意識」と言うわけです。

上記の図は成功哲学では必ずといっていいほど使われる「氷山のたとえ」です。

「潜在意識はあなたが強烈に願うことは何でも実現してくれる」と言うわけですが、そもそも潜在意識の役割は何なのでしょうか。

「神」はなぜ人間に潜在意識なるものを与えたのでしょうか。

潜在意識はわからないから潜在意識なのであって、顕在意識からすればブラックボックスなんです。

ちょうど宇宙物理学で言うところの「ダークマター」(暗黒物質)に似ているかもしれません。

現代科学では観測不可能な宇宙空間の存在を仮に「ダークマター」と名付けているだけであって、それが何なのかはわかっていない。

でも言葉が与えられていると、何となくわかったような気になってしまう。

「潜在意識」も同様で、どの成功哲学・自己啓発書を読んでいても

言葉を与えることによって「潜在意識っていうのはあってね」「潜在意識を活用すれば成功するんだよ」というような言い方をする。

けど本当は、これは分からないんです。

そしてもっと言うと、意識を作ったのは人間ではありません。

意識を作った、意識を与えたのは神ですね。

だからこそ「なぜ潜在意識というのが与えられているのか」「何の理由で、何の目的で与えられているのか」という問いが必要なんです。

ですから、これもよくマジスピラジオで言っていますけども、我々一人一人に与えられた「宇宙的使命とは何なのか」。

これを問い続ける必要がある。

けれども「我は神なり、我は創造主なり」なんで、そんなこと考えなくてもいいんです。

潜在意識というのは既に前提として自明のものとされて、それを成功、物質的な範囲のために使えばいいよね、と。

実践で使えて結果が出ればいいんだ、という話だと思います。

しかしマーフィーという人は、仮にも牧師でいらっしゃるわけです。

私も聖書を、マーフィーが引用しないかもなという聖書の部分を言いたくなるんですけども、それが例えば「主を恐れることは知識のはじめである」。

これは旧約聖書の『箴言』に出ています。

主を恐れることは知識のはじめである。

つまり「主」「天」「神」「創造主」、それに比べて自分はいかにちっぽけな存在であるかということ。

その謙虚さがあって初めて知識、これは単なる断片的な知識ではなく真の英知ということですね。

イメージングの限界と「人は未来を知らない」真実

で、今回のタイトル「真の創造力、イマジネーションは神から与えられる」という話に入っていきます。

まずイメージングの限界ですね。

自己啓発はとにかく「願望が叶った時の姿をイメージしなさい」としか言いません。

その創造、イメージとは何なのかという前提は問わないんです。

私はもっと根本的に考えたいので、これを今回言いたい。

イメージには限界があるということです。

まず、未来のことは誰にもわからない。

これは「人生は思い通りにならない」ということです。

自己啓発をやっている人は「人生は思い通りにできる」という主張をしますよね。

けど生命的に根本的に考えれば、本来「生きる」「死ぬ」というのは自分では決められない。

宇宙からすれば一瞬の人生です。

せいぜい百年ぐらいの人生ですよね。

この生まれた時と死ぬ時というのは、自分では決められないんです。

前回も道元の「生死事大」という言葉を紹介しました。

つまり生と死というのは自分を超えている。

命を作ったのは自分ではない。

世界を作ったのも自分ではない。

だから思い通りになるわけがないんです。

もちろん顕在意識の、せいぜい数十年の人生に限れば、中には思い通りにしている人もいるかもしれない。

そういう人が「人生は思い通りになるぜ」と言うのかもしれません。

けれど根源的に考えれば、人生は思い通りにはならない。

まずこういったことが「イメージングの限界」としてあるわけです。

そもそもイメージというのは、過去の経験や体験から組み立てられる、組織されるわけですね。

素材がないのに想像なんてできない。

例えば受験で合格している時のイメージというのは、過去に無数の人々の合格・不合格というイメージがすでにある。

仕事、ビジネスで起業して成功したりもそうです。

過去に成功した人がたくさんいる。

現実以外にも、過去に見たドラマ、漫画、小説、映画など、そのイメージから組み立てる。

つまりイメージは必ず過去なんです。

本当に知らないことはイメージできません。

ここまで言った上でですね、だいぶ前にも紹介したことがありますが、写真家の星野道夫さん。

素晴らしい写真を残された方です。

この方の本の中に素敵な言葉があります。

「人生とは、何かを計画している時に起きてしまう別の出来事のこと」。

元々英語で紹介されています。

Life is what happens to you while you are making other plans.

今 “happen” という単語がありました。

これは “happening” の “happen” ですね。

つまり「想定外の出来事が起こってしまう」。

これが人生であると。

本当の未来は誰にもわからない。

これを大前提にすると、スピリチュアル業界でも流行っている「前祝」「予祝」というのがあります。

個人的には全く興味がありません。

叶えたい夢や願望が、前もって叶ったものとして先にお祝いのパーティーをやるということです。

これを予祝と呼ぶ。

そうすると脳が勘違いして、もうそれがすでに実現したかのように錯覚をする。

そしてその錯覚によって現実になっちゃいますね、という考え方です。

ただ、これもはっきり言えば「脳の遊び」です。

イメージというのは過去の経験や体験に基づく記憶です。

それに基づくわけですから、未来のことを描いているようで、実は過去の断片を組み合わせて繰り返しているだけにすぎない。

こう言うと、前祝とか予祝に賛同している方は怒るかもしれません。

けど、これは視点の違いであり、次元の違いということで理解してください。

やるなとは言いません。

でも知っておいた方がいいのは「過去を繰り返しているだけにすぎない」ということ。

未来を生きているようで、本当は過去の拡大再生産ではないのか。

たとえ思い通りになったとしても、過去の残像を再現しているだけではないのか。

ここに「量子的飛躍」と書きましたけど、要は大きな進化です。

進歩はあっても進化はない。

過去の延長線として進歩はできる。

でも本当に未知の次元に行く量子的飛躍、それまで想像もしなかったような未来への進化、進んで化けるということはない。

なんでこういう言い方をすると反発されたり、嫌な顔をする人がいるのかというと、この物質文明、以前説明した波動の法則でいうところでは、この地球というのはエゴの文化なわけですね。

このエゴの文化の中においては、思い通りになる人生、あるいは思い通りに人生を作っていく人物が、かっこよく見えてしまうんですよ。

これは、その時代精神なんです。

これは善悪抜きです。

そういった時代精神の中を、私たちは生きているということです。

私たちはこの肉体を持って、地球人として生きていて、当然私もそうだけど、エゴを持っています。

エゴが中心になっているので、エゴの思い通りにする人物はかっこいいと思ってしまうわけです。

ところが、三次元を超えた世界から俯瞰して、この世界を見てみると、こういうエゴの思い通りになる人生というのは、必ずしも上等ではない。

今の時代精神の中においては「引き寄せ」が自己アピールの道具になったり、このスピリチュアル業界周りではブランディングにもなるわけですね。

それをそういうふうに言うことによって、ビジネスになるからですよ。

そして、これもこの物質文明の特徴ですけども、思い通りにならない、今後何が起こるのか予想ができないことに対して、私たちは怖れを抱くんですね。

確かに昨今はいろんなことが起こっているので、将来不安というのもあります。

けれども根本的に考えれば、そもそも私たちは無知なんだと。

さっきの「主を恐れることは知識のはじめである」と言ったように、そもそも人間は無知なんだと。

この広大なる宇宙と比較すれば、本当にちっぽけで無力な存在なんだ、という「根源的無知」。

これに、この物質文明に染まった私たちは耐えられないんですね。

それを克服するために、世界を思い通りに管理したい、征服したい、支配したい、設計したいという発想が生まれてくる。

これをスピリチュアル的に言えば「土の時代」というやつですね。

スピ系では「風の時代」なんて言いますけど、いやいや、まだまだ土の時代の名残がたくさん残っているんじゃないかなと、個人的には思っています。

思っても願ってもその通りにならないという人よりも、やっぱり思ったこと、願ったことが次々と引き寄せられてしまうという人の方に、私たちは魅力を感じませんか。

私は違います。

でも多くの人は、そう感じるんじゃないですか。

というのは、私はやっぱり人の波動、オーラを見てしまうからなんでしょうね。

必ずしも、いわゆる成功者と言われている人たちが、そのオーラまで本当に幸せかどうかっていうのは、また別なんですね。

下手に願望実現して引き寄せてしまったから、偉そうに、傲慢になる人もいるし、下手に夢が叶ってしまったから、そこから虚しさに襲われて、ある成功者、経営者なんて、朝から酒飲んでるような人も、私、知り合いでいますからね。

それは表には出ないですよ。

さあ、それは本当の成功なんでしょうか、と。

だから私たちは謙虚さに帰らなければいけない。

「人生は思い通りにはならないんだ」ということを諦めなければならない。

「諦める」でもいいんですけど、より強調するために「諦めなければいけない」ということですね。

これが、かのソクラテスがおっしゃった「無知の知」。

その自覚が大事だと。

私たちは本当は何も知らないんだ。

これを何年か前のこのマジスピラジオでも言いました。

これは繰り返します。

そして、明日何が起こるかすら本当はわからない。

最近も青森県の方でしたか、地震がありましたね。

そんなもの、予測できますか。

どれだけ科学が万能って言われたって、何もわからないんですよ、本当のところは。

インスピレーションは神からの火種である

で、ここから今回一番大事なことですけどね。

イメージングの前に「インスピレーション」ということです。

これがとても大事な話です。

これも自己啓発では、たぶんあんまり言わないと思います。

未来へのイメージは、本来は「思い描くもの」ではないんです。

さっき言った、過去の経験、体験、記憶データですね。

それに基づいて思い描くものではないということです。

本来のイメージというのは「浮かんでくる」ということなんですね。

本来のイメージは「するもの」ではない。

自然と湧き起こってくるということです。

これがイメージングではなくて「インスピレーション」ということです。

では、そのインスピレーションというのは何か。

これは日本語では「霊感」というように、本来の創造力の根本は、神から与えられる。

この視点が真のスピリチュアルとしてはとても大事です。

「お前が描くんじゃねえんだよ」と。

さあ、この想像力、イマジネーションの根っこがどこから来ているのかということを、内観する必要がある。

その想像は、エゴの次元での思いつきなのか。

それとも霊的な次元での直観なのか。

もし従来の自己啓発にありがちなように、エゴの野心をバリバリ燃やしている、そのところから湧いてきたインスピレーションであれば、その霊感はその次元のレベルです。

それでも、その想念が強烈であれば、実現する可能性は高い。

これは以前も言いました。

ただ、魂としてそれが本当に幸せかどうかはわからない。

一方、「想像力は神から与えられる」。

「主を恐れるのは知識の始めである」ということで、神から、天から与えられた宇宙的な使命を、忍耐強く問い続ける。

「自分はなんで生まれたのか」。

「自分はどんな役割を与えられたのか」ということを問うて、問うて。

これは「祈り」と言ってもいいですね。

これは前回も言いました。

その祈りの先に得たインスピレーションですね。

これは文字通り霊的な次元の高い直観になります。

そのインスピレーションの火種をもとにイメージを組み立てる。

その神から与えられた火種ですね。

それをもとに火を起こしていく。

そのイメージはいいんです。

神から与えられた想像力の火種。

それをもって、あとは自分の自力の力でイメージを組み立てていくこと。

その想像力の炎を燃やしていくということですね。

そのイメージの根源は自分ではない。

それは主から、神から、天から与えられるんだ。

これがインスピレーションの本質であるということです。

その後は、この未熟なエゴの身を抱えたまんま歩んでいくしかない。

ここで大事なのは、たとえインスピレーションを感じて、それをもとにイメージを組み立てたとしても、それでも人生は思った通りにはならないということです。

さっきの星野道夫ですね。

「人生とは、何かを計画している時に起きてしまう別の出来事のこと」。

それが前提にあれば、「人事を尽くして天命を待つ」ことができるわけです。

天命からのフィードバックは、自分の思い通りではない可能性がある。

たとえそれが違っていたとしても、それを天命として受け取る覚悟はあるか。

その祈りは持っているか。

ということが問われるわけです。

思い通りになることが、本来の自己啓発ではないということ。

そしてもっと言えば、願望実現の主体は「我」ではない。

もちろんその主体は、神であり、天であるということですね。

私は単なる器に過ぎない。

「我は神の分け御霊なり」。

これは神道ですね。

そして、ここではまだ紹介していませんけども、エドガー・ケイシーですね。

スピ系では有名な人ですけども、「我は神の祝福の通路なり」ということですね。

私は神の祝福の通路、道、道具となるということです。

これは今日のテーマではありませんけども、ヒーリング、スピリチュアルヒーリングも同じです。

私はヒーリングのエネルギーが通る、宇宙の通路であり、道であり、器であり、パイプである。

根本は、表現は違っても同じです。

思い通りにならないから、そこで悪戦苦闘、試行錯誤をする。

だから、そこに魂の成長があるわけですね。

だから、思ったのと違っても、それでも歩み続けるということ。

これが本当の意味での自己啓発であると。

「成功は約束されていない。

しかし成長は約束されている」。

という言葉に返ってくるわけです。

そもそも「啓発」というのは「開く」という意味ですからね。

自己の可能性を開くということ。

そして自らの内なる光を発するということ。

これが本来の啓発ということですからね。

単なる物質的な成功とは限らないということです。

それも自己啓発の一つかもしれないけれども、あくまでそれはほんの一部に過ぎないということですね。

個人的なことを言いますけれども、私も今、スピリチュアルカウンセラーとかヒーラーとか言ってね、オーラが見えたりとか、守護霊メッセージとか、過去世リーディングとか、宇宙ヒーリングとかやってますけども、これ、全くイメージしてませんからね。

普通の家庭に生まれ、別にオーラが子供の時から見えたりとか、そんなことも一切なかった。

そんな自分が今この仕事をしているんですよ。

私もまた、不思議な縁に導かれて今があるわけです。

決して人生は思い通りにはなっていませんが、過去に思い描いたのとは全く違う、ありがたい人生が展開しているわけです。

私もまた生命の量子的飛躍、次元・波動の大きなジャンプ、それを得た人間です。

もちろんこれは人それぞれですね。

全員、与えられた運命が違うわけですから。

しかし、謙虚さを持って人事を尽くして天命を待つ。

その先に、当初の自分は思いもよらなかった人生が展開していくというのは、過去多くの方々からカウンセリングをお受けして、そこでよく目撃することです。

人生が思い通りにならないということで意気消沈したり、時には天を呪ったりというような人もいるかと思いますけども、もっと根本的に考えていけば、思い通りにならないところから真の成功へ向けての勝負が始まるんだ、ということですね。

今回言いたいのは、こういったことです。

今回は「想像力は神から与えられる」。

そして「人生は思い通りにならないからこそ素晴らしい」という話をしました。

ご参考になれば幸いです。

改めて、今回の要点

  • 上の文字起こしはまだ編集中です
  • ここまでの文章は誤字脱字を含む「ざっくり文字起こし」の段階です
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なお、YouTube(Podcast)は今回の文字起こし編集でカットした部分があります。

今回も動画と文字起こしは少し内容が変わります。

なので動画(または音声)もご視聴いただけると、より理解が深まるかと思います。

※この下に「音声プレーヤー」があります。倍速再生も可能ですし、YouTubeより通信量も少ないし、スマホを画面オフにしても聴けるので便利です。

マジスピラジオ:脱・お花畑の「真のスピリチュアル実践」
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