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神社・パワースポットに行くだけでは願いが叶わない根本的な理由。受験、恋愛、仕事、金運、健康、すべてに共通する祈願の心構え。

こんにちは。

波動カウンセラーの林 昭裕です。

先日のセミナーで行った初めての「公開・守護霊リーディング」は3名の方に行ったのですが、その一部を「ラジオ動画」にてアップしています。

良ければご視聴ください。

また「次の3月21日のセミナー」でも守護霊リーディングを行います。

「無料メルマガ」で先行募集したらすぐ埋まったので、まだまだ続けられそうですね。

では、今回のテーマは先日のセミナーでちょっと話に出た内容を、少し深堀りしていきます。

あなたが成功すれば、他の誰かが泣くことになる世界

タイトルが少し刺激的かもしれませんね。

神社に行くだけじゃ運気は上がらへんで、と。

ただ、別に神社関連の専門家や参拝がお好きな方やディスっているわけではなく、いくつか補足ができればいいなと思っています。

このブログを出す時期は、まだまだ受験のシーズン。

近くの神社に行くと、合格祈願の絵馬がいくつもかかっています。

あるネット記事によると、合格祈願は

「○○大学に合格しますように」

でも別に悪くはないけど、ちょっと足りないみたいですよ。

もっと強く言い切って

「○○大学に絶対合格!必勝!」

というように書くのが大事なのだと。

ま、確かに「~しますように」よりも「必ず実現する!」と言い切った方が、本当に成就したいものがあればいいと思うんですよ。

個人的に自己啓発的なオラオラ感は苦手なんですけどね。

ただ、これが「神様に祈願して運気を上げる」という観点から言えば、あまり声を大にすると怒られそうだけど、

 

それほど効果はない

 

のが現実なんですよ。

・・・受験生の親御さんと、各神社の運営者さんからイヤな目で見られそうやな(汗)

ただですね、このサイトのタイトル「マジスピ」の通り、これが「マジなスピリチュアル」なのであります。

理由をちゃんと説明しましょう。

以下の説明を読めば、たぶんそれなりに納得していただけると思いますよ。

受験がわかりやすいので引き続き例に出しますが、もしあなたが受験生だとしましょう。

某有名予備校の不滅のキャッチフレーズ「第一志望は、ゆずれない。」と念じて勉強に励んだ結果、あなたは晴れて第一志望の学校に合格する。

おめでとう!

もちろんそれは、なんにも悪いことはない。

裏口入学でもない限り、努力が正しく報われた結果なのだから。

ただ、そこで視点を変えると、どういう景色が見えてくるでしょうか?

そう・・・あなたが晴れて合格した一方、まさかの不合格に泣き崩れているヤツがいる。

あなたと同様、一生懸命に勉強したはずなのに、第一志望をライバルに「ゆずってしまった」ヤツがいる。

ただ、それはシビアに学力が足りなかったのかもしれないし、そのときのコンディションや運にも左右されたのかもしれない。

とはいえ「運も実力のうち」だから、すべては自己責任であり、誰のせいにもできない。

これらは今月か来月に見られるはずのリアルですね。

これを踏まえれば、なんで「合格祈願」にそれほど効果がないか、わかってきませんか?

だって、自分の合格を祈願するということは、見方を変えれば、他のライバルを蹴落とすことが裏側に想定されているんだもん。

たとえ「純粋な気持ち」で合格祈願していても、それが「自分一人の合格」を祈願する意味において、必然的に「ライバルに落ちてもらうこと」につながってしまう。

ダチョウ倶楽部のコントみたいに「合格? ワタシは後でいいですから!どうぞどうぞ!」なんて「第一志望をゆずる」アホはどこにもいません(笑)

高齢者や体の不自由な人に席をゆずれば親や先生に褒められるかもしれないけど、第一志望を自分の意志でライバルにゆずれば間違いなく怒られるでしょうよ。

つまり、イス取りゲームのような競争の枠組みにおいて自分一人の成功を祈願することは、たとえ神様へ向ける想いが純粋だったとしても、その成功が誰かの失敗や落胆につながっている性質のものである以上、波動的には決して高いレベルのものとは言えない、ということなんです。

自分にとってプラスであるはずの願いの「光」が、それが無意識的に誰かの不幸を願うことにもなるマイナスの「影」が打ち消す結果、高いレベルではなくなってしまう。

これは受験だけでなく、私もかつて体験した営業チームの中での成績の競争や、アイドルグループの中で誰がセンターになれるか競争など、「イスの数(=勝者の数)が決まっている」場合にも当てはまります。

ただし、物事はたいてい多面的です。

たとえ「ライバルに絶対勝つこと」が絶対の祈願だったとしても、もしそこにライバルと技やスキルを磨き合い、結果的にお互いがお互いを高め合うといった “切磋琢磨” があるなら、それは単に己一匹のみを満たすものではないですね。

また、例えば「日本一になりたい!」とか「ディズニーを倒す!(@キングコング西野亮廣)」とか、はたまた「オレは海賊王になる!」みたいな壮大な目標の場合、それもまた己一匹の願望を満たすだけでなく、いかに多くの人々の賛同や共感を得られるかがカギになってくるので、これまた単に「志望校に合格しますように」の己一匹のレベルをはるかに超えている。

さらにビジネスの世界で言われる通り、多くのライバルがひしめき合っている「レッドオーシャン(血の海)」より、ライバルが一人もいない「ブルーオーシャン」で勝つことを祈願するなら、これは誰も蹴落とさず、誰からも奪わない想いのありようなので、波動的にも上々と言えます。

・・・スピリチュアル業界ってとかく単純化したがる傾向が強いんです。

「祈りは叶う!」

「言霊のパワー!」

って言い切る。

そっちの方がわかりやすいし、アクセス数も稼ぎやすいね。

けれども、現実は多面的で複雑で、必ずしも人間様のご都合通りには動かない。

それを忘れたらスピリチュアルバカ(=思考停止)になっちゃうのでご注意を。

願望を成就させ、運命を変えるための根本的な心構え

ただ、先ほど太く大きな字で「合格祈願にそれほど効果はない」と述べたのは、決してマイナスにはならないよ、という意味です。

大きなプラスにもならないけど、少なくともマイナスになることは少ないかなと思っています。

だって、学生や子どもが合格祈願で絵馬に「○○大学(高校/中学校/小学校/幼稚園)に合格しますように」って書くのは、気持ちとしてはよくわかるじゃないですか。

もちろん先ほど述べたように「自分の合格=誰かの不合格」が暗に想定されてはいるけれど、結局はそれまでの勉強が一番モノを言うのであって、合格祈願しただけじゃ絶対受からないのは、よほどのアホじゃない限り理解しているわけです。

なので多くの受験生は例えば「天神様(学問の神様)にちょっとでも応援していただけたらいいなー」ぐらいの素朴な気持ちで、家族や友達とのイベントとして形式的に祈願するだけのはず。

その意味で、そもそも祈願に捧げる熱量がそこまででなければ、プラスにもマイナスにもならない、ということ。

ま、「よーし、神様に祈ったから、あとは試験の直前までしっかり勉強するだけだな!」と気持ちを切り替えることができたら、実はこれが一番良いかもしれませんね。

この意味でなら、合格祈願にもそれなりの意義はあります。

ただ、ときおり形式的な祈願では物足りず、めっちゃくっちゃ祈願している人がいます。

参拝客で後ろにけっこう人が並んでいるのに、その人は去らないでずーっと合掌して頭を下げてるんですよ。

「おいオメー、早くそこをどかんかい!後ろに人がたくさんおるやんけ!」ってせっかちな私は思います(笑)

まぁ何か切なる想いはあるんだろうけど、もしそれがこれまで述べたような無意識に誰かの不幸を願ってしまう祈願なら、神様の立場からすれば “苦笑い” ですね。

「あぁ、余裕がないんだねー」って思っちゃう。

そこまで祈り込むのは「一念、岩をも通す」といった信念の強さを生んでいるのではなく、「深い怖れや不安を持っている状態」を示しているとすれば、祈願と並行して自分を深く見つめる営みが必要となります。

ときおりそういう人の波動(オーラ)をこっそり拝見することがあるんですけど、中には深いレベルの不安をお持ちの方がおられるので、その波動を変えていくのが先なんだけどなーって思ってしまう。

そう、受験生がいくら合格祈願しなくても普段からキッチリ勉強していれば本番では一番強いのと同様、本当に叶えたい願いがあるなら普段から意識状態をなるべくクリアにしておくことが大切です。

実は「参拝前の心がけ」が大事なんだよって話。

・・・また神社でご利益を得るというある種の「夢」を壊しているかもしれませんね(汗)

でもこれが現実的に考えたりスピリチュアルの常識を疑ったりする当サイト「マジスピ」のコンセプトなので、どうぞご勘弁を。

神社で祈願する最高最善のやり方

では、ここまで批判的なスタンスで述べてきたので、もし私が受験生だとしたらどういう合格祈願をするか述べておきましょう。

まず、すでに述べた通り「(無意識にでも)誰かを蹴落とす系」の祈願はなるべくしないよう心がけます。

もしどうしても行きたい学校があるとしたら、もちろん合格したい気持ちは否定はしないものの、「合格しますように」とは祈願せず、「(神様にとって)良きようにお導きください」と祈ります。

上の小タイトルには「最高最善のやり方」って書いておいてコレかいっ!とガッカリされそうですけど、マジスピ的にはやっぱりコレなんですよ。

というのは、今の自分のアタマではその学校に行きたいと思っているけれど、長期的に見て、本当にその願いが人生のプラスになるのかどうか、本当のところはよくわからないですもん。

ちなみに、私は地元では有数の進学校である某高校に行きました。

中学校のとき、面倒見の良い先生と巡り合ったおかげでゲーム感覚で勉強に打ち込めて、受験当日もめっちゃ頭が冴えて、スムーズに志望校に合格できました。

そのときはすごくうれしかったし、親も先生も心から喜んでくれたけど、入ってからほどなくして、精神的にすごく苦しむことになります。

そのあたりのことはこのサイトに載せているプロフィールにこっそり書いてあるので省略しますけど、いま振り返っても「決して良いことばかりではなかったなぁ~」としみじみ感じますわ。

また、私は大学を卒業してからの就職は、普通は就職試験や面接を受けないといけないんですけど、私はラッキーなことに特別なルートですべてフリーパスで入ることができました。

就職活動をほとんどしなかった意味では「大成功」なんですけど、それもまた、入ってからめちゃくちゃキツかった。

もちろんその場にいたことで得られた学びも多くあるので、すべてがマイナスじゃありません。

でも、もし事前にそのマイナス面がわかっていたら、あの学校もあの会社も、たぶんスルーしてたと思うよ(笑)

それだけ、人間の運命というのはアタマで考えたんじゃわからんのです。

それは「天のみぞ知る」ところなので、私は「良きようにお導きください」と祈るのがベストかなと思います。

何が本当に「良きこと」なのか、小さなアタマしかないアホな私はほとんど知らんけど、少なくとも現時点では「あの学校」に行きたいと願っているから、合格できるようなるべく勉強するぞ、というところですね。

つまり、「人事を尽くして天命を待つ」ということ。

もし、それで合格したら合格しただけの「良き導き」があるでしょう。

もし、それで不合格だったら不合格になっただけの「良き導き」があるでしょう。

どんなことがあっても、そこに「良き導き」があるんだって信じられること。

その信念を養うのは決して簡単じゃないし、思いつきで神社に祈願した程度じゃ絶対ムリでしょうね。

祈願というのは本来、365日・24時間、永続的に行われる心の営みなんだから。

だから、先ほども述べた通り、普段からの心がけが大事なんだってこと。

受験でいえば、結局ちゃんと勉強を積み重ねているヤツが一番強いってこと。

参考書を1ページでも読むことが、問題を1問でも解くことが、受験生にとっては「祈り」なんじゃないですかね。

それができてたら、あまり声を大きくして言えないけど、別に神社で合格祈願なんかしなくてもいいですよ。


あ、そういえば、さっきチラッと言った学問の神様である「菅原道真公」が、こんな歌を詠んでおられますね。

計算してなかったけど、どうやら今回の内容にピッタリな歌のようなので、最後にご紹介して終わりましょう。

 

心だに 誠の道に かなひなば いのらずとても 神やまもらむ

(心に誠意を持ち、道理にかなった行動をしていれば、ことさらに祈らなくても神は守ってくださるであろう)

 

素晴らしい。

「学問の神様」も祈らなくていいっておっしゃってるやん(笑)

もちろん「誠の道にかないなば」という大きな条件はありますけどね。

少しでも心したいものです。

今回は受験を中心に説明しましたが、根本である「お導きください」というのは、他にも恋愛、結婚、仕事、金運、健康などでも応用可能です。

ま、もしかしたら「そんな祈りじゃ物足りない」っていうご感想をいただくかもしれませんけど、もし共感できる部分があるなら採用してみてください。

 

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