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目次
人のために生きるのは、結局自分のため【自己犠牲・燃え尽きの罠】
人のために生きるのは、結局は自分のためです。
先週「直感、霊感、インスピレーションを高めるには、人の役に立とうと思い続けることが大事だ」と述べました。
これは、自分のエゴと距離を置くシンプルな技法ですね。
しかし注意点としては、それはあくまで「自分のため」だということ。
「情けは人のためにならず」と言われている通り、「人のためではなく自分のため」だということを、根底に据える必要があります。
特にスピリチュアル系、心理系、セラピー系というのは、自分を犠牲にして尽くしすぎて、ボロボロになる人もいます。
これは、見た目は立派なんですが、一種の「エゴの罠」と言ってもいいですね。
要はバランスの問題です。
自分のできる範囲で、人のために役立とうと思うだけで十分です。
自分のエゴは大事にしなくてもいいけども、自分のコア、角度のあるものは、大事にしなければなりません。
“脳を鍛える”だけでは真の成功・幸福は得られない
「理性、頭脳、偏差値エリート」だけでは決して幸せにはなれません。
先週「直観は正しいが、判断はときどき間違える」という話をしました。
判断が間違えることがあるのは、人間の理性には限界があるからです。
もちろん知識や論理は大事ではあるんだけども、それだけでは不透明で不確実なこの現代を突っ切るのは難しい。
なぜ頭が優秀なはずの学者、エリート、政治家、官僚などがこの世界を破壊しているんでしょうか。
財務省の役人は頭がめっちゃいいはずですよね。
彼らは「良かれ」と思って国を破壊している(彼らは出世がすべて)。
そういうのをちょっと俯瞰しただけでも、理性には限界があるということがわかりますよね。
直観を高めるには、エゴを横に置いて生命力を高めるしかありません。
AI社会において、人間はある種の「野性」を取り戻さなければならないということが今問われています。
美輪明宏の言葉 “地獄極楽は胸三寸にあり” は人生の極意
美輪明宏さんがおっしゃっていた『地獄極楽は胸三寸にあり』という言葉は、人生の極意です。
先日、美輪明宏さんがお亡くなりになりました。
私は、以前から尊敬しており、下の名前が同じ【あきひろ】であることを光栄に思っています。
私は、人のオーラ(波動)をある程度見ることができます。
生きていても、死んでいても、肉体があろうが、なかろうが、関係なく観えます。
美輪さんは、肉体という牢獄・重荷から解放され、今とても高貴で光り輝く波動をされています。
私ごときがご冥福をお祈りするまでもなく、すでにご冥福を得ておられます。
そんな美輪さんの言葉『地獄極楽は胸三寸にあり』、これは「地獄も極楽もすべて自分のハートが決める」ということです。
これは、単なる人生論ではなくて、人生の真実です。
詳しい説明は直近の『マジスピ無料メルマガ』で行いました。
直近90日間ならバックナンバーもありますので、ご興味あればご登録いただければ幸いです。
誰でも絶対〈本氣で生きられる〉たった一つの覚悟
人間が本当に本気になるには、「死を想い続ける」しかありません。
先週「本当に本気であれば、世界は変わってくる」という話をしました。
これは結構厳しいですよね。
例えば、会社の中でもいくら「自分なりには頑張ってます」とアピールしたところで、成果が出ていなければ、残念ながら「何もやっていないのと同じ」なんだと。
すでに言った通り、人間が本当に本気になるには、死を想い続けるしかないんですね。
仏教的には「人生の無常」を想い続けるしかない。
あなたも私も、100年後はもうこの世には存在していません。
いやそれどころか、もしかしたら「明日で人生が終わる」かもしれない。
それを本当に深く深く思い続けることができれば、少なくとも、もうちょっと背筋は伸びるんじゃないでしょうか。
今話してる間も、人生は過ぎ去っていきます。
今こそ、本気になるときです。
【心理学】”愛のない行為”は「愛を求める叫び」である
愛のない行為は、愛を求める叫びである。
先週紹介した『傷つくならば、それは愛ではない』ですけども、一つ一つのテーマが短くショート向きだと思いましたので、今後しばらく取り上げていきます。
誰かから「愛のない行為」を受けると、当然不快に感じますね。
ただ、実は相手は「愛を求めて攻撃をしている」という側面があるわけです。
「人は愛を受け取れないほど、誰かから奪おうとする」
そういった心理的なメカニズムがあります。
本当に愛が欲しいなら、攻撃するんじゃなくて優しくすればいいのに、それができない。
なぜなら、本当に優しくできる人は、すでに愛を受け取っている人だからです。
この本には「愛のない行為をしてくる人に対し、愛の手を差し伸べよう」ということが書いています。
ただ個人的には、それはとてもレベルが高い行いだと思います。
私だったら「関わらない・対立しない」ことを選択するかもしれません。
ともかくここでは、愛のない行為をする人は、愛を受け取っていない人だと、静かに理解することが大事です。
【天命開花の心得】天才になれなかった全ての人へ
天才でない私たちは、〈当たり〉が出るまでくじを引き続けるしかありません。
最近読んだ本で『天才になれなかった全ての人へ』というのがあります。
先週私は「自分が好きで得意で天命だと感じられることに巡り会うには、ただ目先の運命に当たっていくしかないんだ」と述べました。
この本でも似たようなことが書かれていました。
大谷翔平は「才能」というくじの1回目、2回目で引いたかもしれない。
でも、私たち凡人は、100回、1000回や、いや1万回も引き続けることがあるかもしれない。
もちろんそれは時間も手間もかかりますけど、この本が言う「自分の天才」を掴み取るには、何度も何度もチャレンジをしなければならない、という至極真っ当なことが書かれています。
ときどき「どうやったら自分の天命に巡り会えますか?」とご質問いただくんですが、根本的なことは「天命を求め続けることが、天命」です。
何が自分に向いているのかを、問い続け、問い続け、試行錯誤するしかない。
そんな当たり前のことが書かれています。
そういった意味で良い本だなと思いましたので、興味あれば手にとってみてください。
人に好かれたい”承認欲求”がオーラを暗く重たくする
私たちが不幸になるのは「自分ではない何者か」になりたがるからです。
「本当の成功」とは何でしょうか。
こうしたらウケる、バズる、人に好かれる、親や先生が褒めてくれる・・・そうやって他人が求める「仮面」を被り続けた結果、たとえそれで社会的に成功できたとしても、本人のオーラがちっとも輝いていない場合があります。
自分を偽っているため、密かに苦しんでいる場合もあるわけです。
私は人のオーラ(波動)を見る人間なんで、それがよくわかります。
昨日紹介した才能論の本『天才になれなかった全ての人へ』の中に、「天才モード」の条件の一つに「ナチュラルであること・自然体であること」というのがありました。
これはとっても大事なことですね。
ただ、ついつい過剰な承認欲求や自己顕示欲で流されてしまう。これは注意ですね。
たとえすぐに結果が出ないとしても「自分自身であろう」と試行錯誤を続ける人が、最終的には真の幸福、本当の成功を得ているように思います。
【美輪明宏】真の知性とは「頭はクールに、ハートは温かく」
「頭はクールに、ハートは暖かく」というのが、良い人柄の条件です。
先週「脳を鍛えるだけでは、エゴイズムに流される」という話をしました。
理性万能ではダメだ、ということですね。
先週、また別の日に美輪明宏さんの話をしました。
美輪さんがよくおっしゃっていたことは、冒頭の通り「頭はクールでも、ハートは暖かく」ということでした。
頭もハートもクールな "冷たい人" の代表例が「政財官人」だとおっしゃっています。
これは、まさに先週話した「エリート」ですね。
暖かいハートの持ち主になるには、美輪さん曰く、美しい文学、音楽、芸術、ファッションなどを学ぶとのこと。
例えば美輪さんの書籍や音楽なども、大変おすすめです。
運の悪い人・負のオーラの人が無意識にしているミス【葬送のフリーレン】
自分の過去と折り合いをつけていない人が、良い人生を送れるわけがありません。
先週、有名な漫画『葬送のフリーレン』をアニメ版で(現時点での)全38話を一気見しました。
久々にアニメを見ましたが、とても良かったですね。
私が受け取った感想は、「"良き人生"とは"良き思い出"のことなんだ」と。
日頃、カウンセリングでいろんな方のお話を聞いていますと、だいたい運命が悪い、ついてない、オーラが暗く重たい人というのは、良い思い出を持っていないということです。
許せない人が心の世界に、たくさんいるということですね。
もちろん、人生には辛いこと、悲しいことはたくさんあります。
けれど、それを魂の糧、成長成熟の種としていくのは、まさに教養の力です。
それによって、しっかり過去を振り返る、回想する。
これによって、最初は嫌だった思い出も、良き思い出と変容していく。
このプロセスを、私は、早々のフリーレンを見て感じました。
興味が湧いてきたら、ご覧になるといいと思います。
もっと深掘りした感想は無料の『マジスピ・メールマガジン』で述べました。
【心理学】「許せない!」思いを手放すほど幸せになる―”被害者”からの卒業
「許せない」という思いを手放したとき、物の見方が変わります。
『気づくならば、それは愛ではない』の3日目を取り上げます。
昨日も言いましたが、心の中で「許せない人」が多いほど不幸になります。
許せないというのは、自分を「被害者」の立場に置くことです。
昨今ではパワハラ、セクハラ、モラハラなど、加害者の立場が弱い傾向になります。
ですので被害者の立場にいると、何かと得をすることもあるわけです(もちろん明らかな被害はしっかり表明すべきですが)。
簡単に言えば、周りが気遣ってくれたり、心配してくれたりするわけです。
こうやって短期的にはポイントは入りやすいんですけども、被害者、犠牲者でいる限り、長期的には決して幸せにはなれないのです。
ただ一方「許し」はそんなに簡単にできることではない(スピ系や心理系では割と簡単にできそうな物の言い方をしますが)。
簡単ではないけども、ここで幸せになると決めるのか、それともずっと被害者・犠牲者のままでいるのかということは、自分で決めなければなりません。
許しは相手のためでなく、自分のためです。
“生まれ変わる”ためには【死と再生】のプロセスが必要
生まれ変わったように生き直すには、一度死ななければなりません。
先々週『痛みは分離の結果、癒しは統合の結果』という話をしました。
この統合という言葉は、スピリチュアル系や心理系で時々使われるんですけども、この回にいただいたコメントの通り、割と軽く使われるケースがあります。
よくスローガンとしては「分離から統合へ」と言われます。
ただ、これだけ言われても分かったようで分からないわけですね。
もうちょっとリアリティをもって言うと「死と再生」ということ。
統合とは真の癒しですけども、そのためには自分自身の弱さや醜さと向き合う勇気がいります。
「心の影」と向き合い切れた人が、統合へと行けるわけです。
ただし、スピリチュアル系や心理系はキレイゴトの多い世界です。
ですから油断すると、スピリチュアル系や心理系の知識はあっても、肝心な統合が進まない。
「愛」とか「許し」とかよく言葉にする割に、オーラが明るくない人がいるのはそういうことです。
統合に難しい知識はいりません。
ただ、己の内側にある暗いものと向き合い続ける、その勇気だけで十分です。
言葉だけで満足しないようにしましょう。
天命とは、天命を求め続ける姿勢の内側に宿っている
天命の本質とは、天命を求め続けるその姿勢のことです。
先週〈天才でない私たちが、いかにして自分の天才を掴み取るのか〉という話をしました。
その最後に語った「天命を求め続けることが本当の天命だ」という部分は自分で話していて「これは大切だ」と思いましたし、動画ではご覧の通りコメントもいただいています。
過去にも話したことがあるんですが、天命とは何か特別な仕事や役割ではないんですね。
それはあくまで一部にすぎません。
天命というのは「天の命」だから "目に見えないもの" なんですね。
人間として生きていれば、ふと心に思い浮かぶ・・・
「自分は何のために生きているんだろうか?」
この問いは「天から語りかけられているのだ」という捉え方が天命です。
この問いに対し、未熟ながら答え続けるということが天命的な態度です。
それがいつか特定の役割や仕事になるときもあれば、そうでないときもある。
けれども、問いに答え続けるという営み自体は何も変わらないということですね。
形に囚われないで、死ぬまで求め続けることです。
Q:私にも自分にしかできない天命・使命を果たせますか?
質問:「私も魂の仕事、自分にしかできない使命に携わりたいんですが、できるでしょうか?」
ときどきこの種のご質問をいただきます。
ただ、ちょっと厳しいんですけども、こういう質問をしている時点で「なかなか難しい」と思います。
「魂」にはいろんな定義ありますけども、吉田松蔭先生の言葉を引用すれば「やむにやまれぬ大和魂」ということだと思いますね。
誰が何と言おうとも、いや、自分ですら「これは無理じゃね?」という思いがあっても、それでもやりたいという強い思い。
これが魂であり、使命であり、昨日も言いましたけど、天命ではないでしょうか。
まして、生活とか、安定とか「この世の事情」は、魂には関係ありません。
もちろん、生身の現実としては大事なので、それはそれで頭で考える必要はあります。
けれども、本質的な魂のレベルでは、生活なんて全く関係ない。
まずは、どれほど困難があっても、やりたいものを見つけることですね。
それさえ見つかれば、後は、成功しようが、失敗しようが、とことんやることです。
現代人が抱く夢や願望の99.99%はエゴイズム【田坂広志:野心と志の違い】
自分の使命や天命を本当に全うしたければ、「野心と志の違い」を明確に知ることが大事です。
私がもう20年来尊敬している、田坂広志先生。
以前ロング動画で先生について語ったこともあります。
その田坂先生が、「野心と志の違い」について述べておられます。
〈野心とは、己一代で何かを成し遂げようとする願望のこと〉
〈志とは、己一代では成し遂げ遂げ得ぬほどの素晴らしき何かを、次の世代に託する祈り〉
この先生の定義に照らしてみると、世の中で語られる夢や希望の99.99パーセントは野心です。
自分の肉体があるうちに「夢」を叶いたい、というのは夢ではなく野心です。
けれど、野心も決して悪くありません。
無気力が蔓延するこの現代社会において、野心を抱けるだけでもそれなりに充実した人生を送れますから。
その中で、野心を志にまで深められるかどうかが、常に問われているわけです。
志とは祈りです。
次の世代へ託する祈りです。
※この下に「音声プレーヤー」があります。倍速再生も可能ですし、YouTubeより通信量も少ないし、スマホを画面オフにしても聴けるので便利です。





