お名前だけで人やモノのオーラ(波動)がわかる、波動カウンセラーの林 昭裕です(「詳しい自己紹介はこちら」)。
人やモノの波動(オーラ)がわかる特殊能力をベースに活動しており、ここでは【マジスピ】(真のスピリチュアル・脱お花畑スピリチュアル)をテーマに情報発信しています。
今回もまた、スピリチュアル的な生き方において最も大切な【いまに在る】ためのコツについて述べてみましょう。
※過去のブログ
スピリチュアルな無限の力とつながるには、エゴをただ静かに見つめるだけでいい。
【The Power of NOW】(いまに在ることの力)が深ければ深いほど、私たちの人生の質は高まり、真の意味でのスピリチュアル=マジスピを生きることができるようになります。
【いまに在る】ことの大切さと比較すれば、同じ「スピリチュアル」のカテゴリーであっても『引き寄せの法則』なんかは屁みたいなもんだ。
また別の機会に述べますが、
『引き寄せ』は【いまに在る】ことを阻害する懸念が大いにある
からです(この意味においても、一般的な引き寄せはスピリチュアルではない)。
さて今回は別の切り口として、【いまに在る】ために
「死を想う」
「死を念ずる」
というこれまた根本的なテーマについて考えてみましょう。
目次
映画『生きる』は死との対峙で生が充実する真実を教える名作
実は今回は別のテーマでブログを書こうと思っていたんですね。
ただ書き始めようとしたとき、過去にセッション(カウンセリング)を受けていただいた"Mさん"から以下のメッセージをいただきました(個人的な部分は省略)
先月は映画「生きる」「ブルージャイアント」を紹介されていたので、そろそろ終わってしまうタイミングでしたので、妻と一緒に見てきました。どちらも素晴らしい内容で、涙が出ました。映画で泣いたことはほとんどなかったので、新鮮な体験でした。スクリーンで見れなくなるのが残念です。。
世の中は、ますます過去や未来ではなく、「今ここ、この瞬間」にフォーカスを当てて生きることを求めているのは、「生きる」「ブルージャイアント」共通のメッセージだったように思いました。生きるでは、過去の人生はあくまで過去であり、重要なのは死なないように生きる(ゾンビの在り方)ことではなく、生きているうちは、今何をやるかだけにフォーカスすべきなんだと。
ブルージャイアントでは、音楽も圧巻でしたが、若者らしく未来を生きると同時に、今の瞬間に最大限を出し切る、感動し続ける人生をリアルに感じました。
林さんのユーチューブでも、「今この瞬間にフォーカスして生きる」内容が上がっていましたが、今回の映画を踏まえて、今この瞬間を生きる「エモーション」の乗せ方というか、どうやったら、映画の主人公のように行動的になれるのか?みたいなテーマで林さんのお話を聞いてみたいと思ってしまいました。出来たら検討して頂けないでしょうか?
ありがとうございます。
今回はタイミングが良かったので即採用です(笑)
「無料メルマガ」では趣味のサブブログの記事をご紹介しているのですが、そこで映画『生きるLIVING』と『Blue Giant』を取り上げました。
どちらもバチクソ良い映画でしたね!
『Blue Giant』は映画館で2回観ましたし・・・悪いことは言わん、どちらも絶対観たほうがいい(このブログをアップする頃には映画館上映はだいたい終わっているしょうけど)。
それでご質問としては、どうしたら映画の主人公たちのように「情熱的」になれるのか? ということですよね。
これについて、【いまに在る】ことを軸にしてお答えしたいと思います。
まず先に『Blue Giant』からお答えしておくと、これは18~19歳の若者が世界一のジャズプレーヤーを目指す青春物語なので、どうしても「若さゆえの情熱」が前提にあります。
まだ自分は若い、可能性は無限にあるに違いない、いっちょ天下取ったるぜ、と信じられる年齢。
そりゃ若いんだから野心は燃やせるよなぁ・・・とかつて若者だった人たちは思いますよね。
ただ少年漫画の王道を行くような清々しいまでの向上心は、若者のみならず、オッサンやオバサン、ジイサンやバアサンが観ても胸が熱くなるものがあります。
そういえば『Blue Giant』の一コマで、ドラム初心者の「玉田」が悪戦苦闘しながら成長していく姿を見守るのが「自分の歓び」になっているおじいさんがいましたね。
今風にいえば心から応援したい「推し」を持つのも素晴らしいことではあるけど、もう一つ欲を言えば、そのおじいさん自身も主体的に情熱を持って取り組めるものがあればもっといいだろうな、と思います。
後で詳しく言いますけど、たとえ「肉体」は老いても、「魂」に年齢は関係ないんだから。
(自分が今生ではまだ老人になっていないので、今回の内容はもちろん将来の自分に問われます)
その意味では、やはり定年近くの役人のじいさんが主人公の『生きる』の方が、質問者さんにとっても多くの世代にとってもリアルなものでしょうね。
この『生きる LIVING』は黒澤明の名作映画『生きる』(1952)をリメイクしたもの。
もう70年も前の映画だからネタバレしていいと思いますが、これは定年近くで日々を惰性で生きる役人のじいさんが、深刻な病でもうすぐ死ぬ可能性が高い事実に直面することで、残された時間を悔いなく生きるようになるストーリー。
実は私は今まで観た映画で3本の指に入るのが黒澤版『生きる』でした。
原作が素晴らしいだけに今回のリメイクは大丈夫かなと心配したものの、複数の映画論評で絶賛されていたので信じて観たところ、素晴らしかったですね。
最後の「オチ」もしっかり拾い上げてました(これは言わないのでぜひ本作を)。
「死を想うことが、【いまに在る】ためにとても大切な心得であること」
これが今回のブログの結論ですが、次の段落からはもう少し論理的に説明します。
死を自覚すると、天命の力が自ずと発動する
前回のブログで述べたことを整理すると
・私たちが【いまに在る】ことができないのは、「過去」と「未来」のどちらか、または両方から来る痛みや怖れに思いが縛られているから
・そして、「過去」は〈現在の記憶〉であり「未来」は〈現在の期待〉なので、本来は「過去」も「未来」も無い
・つまり、「過去」と「未来」は私たちの自我(エゴ)が作り出した〈幻想〉である
・本来の時間は【いま】しかない
ということになります。
「時間」によって支配・管理されているかに思える現象世界において〈時間は幻想である〉と見抜くのは、スピリチュアル的な「覚醒」の一つと言っていいでしょう。
安っぽく「覚醒」という言葉を使いたくありませんが、もし【いまに在る】ことが呼吸をするように普通にできるとしたら、それは「覚醒」の名に値するでしょうね。
この〈時間という幻想〉を打ち破る大きなきっかけの一つが、【死を想う】【死を念ずる】ということなんです。
私たちの多くは、死に至る大病を患っていたり寿命の短さがリアルに感じられたりするのでもなければ、普段は「死を忘れている」わけです。
私にしても、こうしてときどき「死」に関する文章を書いたり講座で話したりするので、普通の人より意識できているとは思うものの、それでもまだジジイじゃないし闘病しているわけでもないので、やはり死への想いは希薄と言わざるを得ません。
死を自覚するというのは、当たり前のことですが「いつか必ず終わりがやってくる」ことを意味します。
物質宇宙の歴史は138億年と言われますが、それに比べれば、たとえ100年生きたとしても
「一瞬の人生」
です。
この「一瞬で終わる」という自覚が深いほど、自ずと【いまに在る】ことができるようになります。
「過去」で受けた多少の痛みや「未来」への多少の不安なんてものは、「死の自覚」の前においては吹けば飛ぶようなもの。
だって、「一瞬の人生」なんだから、未来なんて「無い」ようなものでしょ。
映画『生きる』の主人公は当初「死が近い事実」に意気消沈したものの、ある出会いをきっかけに【いまに在る】という「本来のあり方」が自ずと発動しました。
この「自ずと発動する」という点は、動物的な本能を超えた【霊的な本能】と言っていいでしょう。
わかりやすく言えば、「創造への無限なる意志」です・・・いや、わかりやすくはないかな(笑)
前のブログで、【いまに在る】ことができるようになれば【The Power of NOW】が "自ずと" 与えられる、または湧いてくると述べました。
それは霊的には「大いなるもの」からもたらされる力。
それを多く受け取ることができるようになると、誰から何も言わなくとも「創造への意欲」が湧いてくるようになる。
大いなるもの、大宇宙とは、「無限なる創造の主体」なのだから。
これが今回のご質問「どうやったら映画の主人公のように行動的になれるのか?」への回答のエッセンスになります。
これは一般的に言われる「モチベーションを高める」とか「やる気のスイッチをオンにする」とかいう次元の話ではないんですよ。
だって、これらって「自力」ですもんね。
そうじゃなく、【いまに在る】というのは「創造の無限の源泉」、つまり「他力」とつながることを意味しています。
『生きる』の主人公に対し、私たち凡人は「もうすぐ定年なんだし、退職金もそれなりにもらえるんだから、大過なく静かに過ごしてりゃいいのに」と思うかもしれません。
しかし、死を自覚してしまった彼は、もはや死を待つだけのゾンビ(Living Dead=生ける屍)として過ごすことはできなくなってしまった。
そう、【霊的な本能】=創造への無限なる意志 が花ひらいてしまった。
私たちが『生きる』を観て感動するのは、彼の遺した功績が大きかったからではない。
詳しくは本作を観てほしいのですけど、確かに彼の役人としての最期の仕事は、地元の住人の福祉の向上にはなったでしょう。
しかし、それは歴史の教科書に載るわけではない。
新聞の訃報・おくやみの欄で「惜しい人物」として紹介されるわけでもない。
せめて「名誉市民」として地元の英雄になればいいけど、おそらくそうなることもない。
映画の最後で彼の功績を称えるシーンが出てきますけど、その後に待っているのはあの「オチ」ですもんね・・・
けれど、それでも私たちは何に感動するかといえば、死を覚悟した人間が無条件に発する「生の輝き」なのです。
そして、その「生の輝き」とは、過去と未来という「幻想」を打ち破り、【The Power of NOW】の光に照らされ、みずからも「光」となったところから閃いているわけです。
社会的な影響力が大きいか小さいかは、ここでは関係ない。
そんな人間界における相対的な評価は、【いまに在る】人間は超えてしまうんです。
現代風にいえば、「いいね」がどれぐらいつくとか「再生回数」がどれぐらい増えるとかは、もちろん多いに越したことはないけど、本質的なことではない。
問われているのは、どれほど【いまに在る】ことができるか、どれほど「死の自覚」があるか、そしてどれほど「創造」に取り組んでいるか。
それを言い換えれば「天命」や「ミッション」というわけです。
「天命」というのは、決して「自力」のみで果たすものではありません。
常に「天との対話」を重ねながら、「神と人との共同作業」において果たしていくものです。
ただ「天との対話」をするには、こちらに天を迎え入れるだけの資格がなければならない。
それが【いまに在る】ことであり、別の角度から言えば【死を自覚する】ということなんですね。
『Blue Giant』の主人公たちの情熱は若さゆえであり、そこに「死の自覚」はあまりないでしょう。
せいぜい「人生は一回きりだから、やりたいことを思いっきりやろうぜ!」というぐらいの自覚でしょうね。
ま、若い時代はそれで全然いいじゃないですか。
でも、オッサンやオバサン、ジイサンやバアサンになってくれば、若者とは違う「成熟した魂の戦略」が必要です。
「いま」とは時間ではなく永遠の生命へ連なる唯一の扉
もう少し説明しますね。
「死を自覚する」というのは、言い換えれば「生が有限であること」を深く認識することです。
これを裏から言えば、「神」や「天」や「大自然」と呼ばれているものの「無限の生命」を深く認識することになります。
人生生死あり、天地始終なし。
「天地に始めも終わりもない」というのは、宇宙は永遠であるということ。
宇宙には始まりも終わりもなく永遠であるというのは、人間の小さな尺度で言う「過去」も「未来」も本来は無い、ということですね。
論理的に考えればこうなるわけですが、これを身体的なリアリティを伴って知るには、やはり「死の自覚」を深めていく必要があるわけです。
これを私は「死想を養う」とか「死念を深める」とか勝手に呼んでいます。
思想じゃないよ「死想」だよ、思念じゃないよ「死念」だよ。
それらを深めていくと、自然と【いまに在る】ことができるようになります。
この【いま】というのは、過去でも未来でもない。
つまり、もはや【いまこの一瞬】とは時間ではなく「永遠」の別名なのです。
この「永遠の一瞬」に在る深みにおいて、私たちは永遠であるところの「宇宙そのもの」となる。
そのとき、私たちは【The Power of NOW】とひとつになるわけです。
いや、もともとひとつだったことを「思い出す」と言うべきか。
そうなれば、今回のご質問にあった「情熱的な生き方」が黙っていてもできるようになる。
もうトシだからとか定年だからとか、本質的には関係ない。
もちろん肉体的には衰えるぶん行動の制約はあるだろうけど、「魂の世界」は自由ですから。
(※これは今後の自分に問われること)
「いまを生きろ」というのは、単なる人生論や松岡修造的な熱いメッセージではない。
本来はこれ以外に人間の生き方はないはず。
ところがどっこい、私たち「文明人」は幻想としての過去と未来が織りなす「マトリックスの世界」に魂が幽閉されているので、これが"現実"だと思い込んでいるわけね。
それが「幻想」だと見抜くのが、真のスピリチュアル(マジスピ)なんですよ。
そのための心の訓練として「死を自覚する」のはとても有効です。
ま、本当は大病を患ったりドカンと瀕死の事故にでも遭ったりすりゃ、イヤでも死を自覚するでしょう。
でも、自分から国道のど真ん中に突っ込んでいくわけにはいかない(汗)
まだジイサンやバアサンじゃなく、それなりに健康な人であれば、私もそうですけど死のリアリティを自覚するのは簡単ではないですよね。
なので工夫としては「常に死を言い聞かせる習慣」だったり「肉親の死と向き合うこと」だったり「死と対峙した人のドキュメンタリー等を観ること」が必要になってくるでしょう。
だから黒澤版・リメイク版の『生きる』は超絶おすすめですよ。
とはいえ最後の「オチ」の通り、事はそう簡単ではない。
けれども、遅かれ早かれ私たちは必ず死ぬのだから、もし死を忘れたらまた思い出す、という素朴な心がけしかないと思いますよ。
私は一日の終わりに、
・人は、必ず死ぬ。
・人生は、たった一回しかない。
・人は、いつ死ぬかわからない。
ということを、実際に口に唱えます。
ま、上っ面の言葉だけで終わるかもしれませんけど、やらないよりはマシでしょ。
「いやいや、さすがに今日は死なないでしょ」って油断していたとしても、いつかは必ず現実になるんだから。
「死は、神の最高の発明品である」
「今日が人生最後の日だと思って毎日を生きれば、それがいつかは現実になる」
(スティーブ・ジョブズ)
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