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人やモノの名前から波動を観る
こんにちは。
波動カウンセラーの林 昭裕です。
「前回のブログ」では、「引き寄せの法則」より「引き受けの心得」の方がずっと大切ですよ、という話をいたしました。
もしかしたら他に同じようなことを言っている方がおられるかもしれませんが、この「引き受けの心得」はあるとき、ふと思いついたものです。
「スピリチュアル屋」の割にはあまりスピ本は読まず(洗脳されちゃうから 笑)、間違っているかもしれないけど自分のアタマで考えるのが好みです。
考えるベースになっているのは「言葉の波動を観る」という変わった能力ですね。
「モノの名前」だけでなく「人物の名前」も言葉なので、名前さえ聞けば、たとえそのモノや人物が目の前にいなくとも波動(オーラ・エネルギー)がわかるわけです。
これまで何度か言っていますが、この地球上で使われている「引き寄せの法則」の名称の波動は、なかなか暗く重たいものなんです。
その波動的な観点から「なんでこんなに重たいんやろ?」と考察していくのは、独特のスタイルかもしれません。
今回は前回の内容をもう少し詳しく述べていきましょう。
というのも、「引き受けの心得」という言葉の波動をチェックしていると、かなり良いんですよね。
ここでは、なぜ波動が良いのかを考えていきます。
痛みを「引き受け」られないから、甘ーい「引き寄せ」に目移りしてしまう?
私も含めた多くの人は、苦痛を避けて快楽を得ようとします。
別に心理学で言う「快楽原則」をどーたらこーたら説明するまでもなく、それが人情というものですね。
なので、もろもろの心理的な痛みや怖れ、例えば人間関係(恋愛、夫婦、親子、職場、友人など)における葛藤、無価値感、劣等感、経済的不安、健康的不安などと正面から向き合う人は、私も含めてあまりいないわけです。
本当は向き合った方がいいとアタマではわかっちゃいるけれど、腰はなかなか重たいわけですよ。
まぁ追い込まれたらさすがに向き合うでしょうけど、余裕があるとついつい脇が甘くなりますわね。
そういう状態で「引き寄せの法則」という理想の状態を引き寄せる "魔法" があると知ったら、スピリチュアルにあまり抵抗がない中の一部の人々は、そこに「魔法の杖」を求めるはずです。
だから「引き寄せの法則」はブームになったんだと思いますよ。
今も書店に「引き寄せ系の本」が並んでいるということは、ニーズはまだまだあるんでしょうね。
まぁ「願望実現」というのは、いつの世も一定のニーズはあるでしょうから、今後もなくなることはないはずです。
ところがどっこい、引き寄せの法則の根本は、
「今のあなたの思い方や考え方が、今の現実を創り出している」
という、実は古くからずーっっっっっと繰り返し繰り返し繰り返し言われ続けている「原理原則」ってやつ。
なので引き寄せの法則の第一歩は、今の自分自身の思っていること、考えていること、感じていることを詳しく観ていこうと、まず決めること。
というのはちょっと考えてみりゃわかりますね。
それが「引き受けの心得」につながってくるわけですな。
あくまで「法則」から考えると、幸福を引き寄せたいのは今が不幸だと感じているからであり、豊かさを引き寄せたいと思うのは今が貧しいと感じているからですね。
そうやって抱えている不足感、欠乏感、渇望感が、今の「足りない現状」を生んでいるのかもしれないよ・・・と教えてくれるのが、「本来の引き寄せの法則」の教えではなかったでしょうか。
「いまここ」にないものを求めたって、「ない」からスタートしているから、ゴールも「ない」に決まっとるがな・・・って理屈。
ただ「(現時点の)引き寄せの法則」は、そういう胸の内の不安や怖れに目を向けるよりも前に、
「こっちにくればおいしいモノがあるよ、ほら私だって最初はダメダメだったけど、この引き寄せの法則の通りにやったらうまくいったんだからね」
という「未来の理想図」を示すことによって、確かにワクワクは与えることができたようです。
けれども、そのワクワクによって本当は持っている不安や怖れにフタをしてしまったのではないか、という懸念を私は持っています。
スピリチュアル系で言われる「ワクワク」ってけっこう厄介な言葉でして、いま「(スピ系の)ワクワクの波動」をチェックしてみると、かなり曖昧なエネルギーを感じるんですよね・・・。
だから、表現は変ですが、それが「真実のワクワク」なのか「幻想のワクワク」なのか、その中間のグレーゾーンなのか、よーく精査しないとアカンのです(カウンセリングではそういう波動チェックも行います)。
もし「幻想のワクワク」なら、そりゃ現象化するのはかなり難しいはず。
(現時点の)引き寄せの法則が「夢」を見せるのは決して悪いことではないけれど、そのために「今この瞬間」を大切にすることがおろそかになってしまったんじゃないか・・・。
「今この瞬間」を大切にするというのは、(この文脈では)不安や怖れを抱えている自分をも引き受けていく勇気を持つことです。
過去に『嫌われる勇気』って本がベストセラーになったけど(読んでない)、ここでは「自己嫌悪感を感じる勇気」ってとこですね。
その勇気がいま一つ欠けているところに、現段階での「引き寄せの法則」の言葉の波動が重たい原因の一つがあるんじゃないか、と考えています。
引き寄せの法則は本当は無情で無慈悲?
眼前に広がる世界を、しかと見よ。
その光景は「あなたそのもの」だ。
意に沿わない仕事、借金しないと払えないカードの請求、心許し合える人のいない孤独感・・・あなたは見事に引き寄せているではないか。
「これはオレが(ワタシが)望んだことじゃない!」とあなたは抵抗するかもしれないが、意識の領域を「魂の次元」にまで広げていけば、やはりあなたの望む通りの現実になっているはずだ。
・・・もし「引き寄せの神様」みたいな存在がいるとしたら、こういうことを言うかもしれませんね。
この神様、私はあまり好きになれないかな。
だって、もし上のようなことを言われたら、「ぐぬぬ・・・」ともう反論できなくなりますからね。
どんだけ引き寄せに向けて努力しようとも、実現しない以上は、「オマエの思い方や考え方が完全に悪いんじゃボケ」って冷たく言われてショボーン。
だから引き寄せの法則って、ホンマはかなり無情で無慈悲な法則だったりして。
まぁ私はこんな文章を書いている割には、引き寄せの法則にあまり興味はないのでいいんですけどね(考えるのは好きです)。
「引き受け」でオーラが輝き、まさかの良いことが起こる理由
でも「引き寄せの神様」に上のように言われても、
「せやで。現実がしょーもないのも、ワシに責任があるんやから」
と言える人は、強い。
実はそうやって「引き受ける」ことが真にできたとき、その人は現実を自分で創造していく力を、自分の内側に認めたことになるんです。
たとえしょーもない現実でも「自分の力で創った現実」だからこそ、今度は逆にもう少し上の現実を「選び直す」ことができる可能性を手にするんですね。
そう、「引き受ける」というのは、「選び直す」ということでもあるんです。
最初は不平不満に満ちていた。
本当は努力も工夫も重ねていないのに、運も才能も金もないからとこぼしていた。
うまくいかない自分の不甲斐なさを、外側の環境のせいにしてした。
こういった人間の世界ではありがちな情況から、
「そりゃこんな体たらくじゃ、引き寄せたい物事も引き寄せられないに決まってる。この現状が今の自分なんだと大人しく受け入れてやっていくしかないな」
と現在と未来を(本当は過去も)選び直すということ。
あ、ただし淡々とね。
自己嫌悪感は横に置いといてね。
これが「引き受ける」ということです。
まぁこれだけ聞けば、「心を入れ替える」という大切ではあるけど平凡な心の営みだと思うかもしれません。
ところが・・・これはカウンセリングの現場の体験から言えることですが、この「心の入れ替え」が起こったとき、なぜか
「意外な引き寄せ」
が起こっちゃう場合があるんです。
個人差はありますけど、仕事、恋愛、親子関係などにおいて、何らかの良い転機がやってくることがあるんですよ。
不思議っちゃ不思議ですけどね。
ただ、本当に「引き受け」ができたら波動(オーラ)が輝くんだから、そりゃ現実がガラッと変わる人が出てきてもおかしくないんです。
でも、もしかしたら、これが「引き受けの心得」の言葉の波動が良い理由なのかなと思います。
もちろん「前回のブログ」でも述べましたが、「引き受ける」ってラクにできることじゃないんです。
価値が高いものなんだから、そりゃカンタンにはできないですよ。
私もそうですけど、人はショボい現状を受け入れたくないから、よくウソをついたり自分を飾ったり都合良い解釈でごまかしたりするわけでしょ。
けれども、そんな自己欺瞞に懲りてまっすぐ立つというのは、やっぱりそれだけ波動(オーラ)は輝くんですよ。
だからまるで「ご褒美」のように良いことが起こるのかもしれませんね。
もちろん最初から「ご褒美」を大きく期待すべきではないと思いますが、ときに良い転機が起こるというのは、カウンセリングを通じて感じる人生の面白さです。