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Q&A『ゆるせない人がいても、幸せになれますか?』真にスピリチュアル的なゆるしは「するもの」ではなく「起こるもの」だと踏まえた上で、生涯にわたって実践し続けること。

こんにちは。

波動カウンセラーの林 昭裕です。

先日、シークレットの講座を行いました。

内容はそのうちホームページで具体的に述べようと思っています。

私のメニューの多くは自分でやろうと思って始めたものではなく、お客様からのご要望がきっかけになっています。

いや、そもそもこのスピリチュアルな能力も仕事も、自分で意図的に開発したわけじゃないんですね。

詳しくは先週の「ラジオ動画」で語りましたので、ご興味があればお聴きいただければと思います。

ときおり「すべての回を一気に聞きました!」という方がおられ、感謝感激であります!



第95回:【Q&A】なんで修行ゼロで霊能力が出たんですか? 師匠ってどんな人ですか? “覚醒” には生死ギリギリの体験が必要なの? (注:役に立たない雑談回です!)

メルマガ読者さんからのご質問

さて、今回のテーマは「無料メルマガ」の読者であるYさんからのご質問がきっかけになっています。

メルマガはブログより少し深い目線を意識して文章を作っています。

前回は「先週のブログ」でも述べた「ゆるし」について、自分が深く考えていることを述べたんですね。

そうしたら、Yさんからとても良いご質問をいただきました。

実は、「ゆるし」は奥が深いので、また後日に追加で書こうと思っていた内容を、先にご指摘いただいたわけです。

「そうか、これはすぐにブログ化しないといけないな」と感じた次第です。

Yさんには「いつかブログかラジオで回答しますね」とお答えしたんですが、ご質問をそのまま載せる許可まではいただいていなかったので、内容を損なわない程度に一部改変して以下に載せましょう。

Yさんのご質問

「ゆるせなくても、幸せになれますか?」

 

私は親族の一人と、一部の人たちから受けた虐待が許せないです。

 

それを浄化するために行っていることは、

 

・「天国言葉」を言いまくること(天国言葉については「こちらのブログ」をご参考に)

 

・食事からのアプローチで心の汚いものも浄化すること

 

・瞑想すること

 

この作戦で私自身が許せても許せなくても、少しでも恨みを浄化して、許せないまま幸せに生きようと思ってます。

 

でもやっぱ許さないとだめなのかな・・・と不安に思ってしまいました。

 

私としては許せなくても幸せになると言い聞かせているのですが、どうなのでしょうか。

 

それと、私は銭湯でしょっちゅう湯舟と水風呂行ったり来たりしてるんですが、サウナでないと効果ないんでしょうか?

 

サウナは別料金なので(;_;)

 

ヒーリング毎回ありがとうございます。

 

今回もよろしくお願いいたします。

 

(メルマガ読者さん向けに毎週「無料のグループヒーリング」を行っており、直近で102回目でした)

 

(私は「ゆるし」と書いていますが、ご質問文は「許し」だったのでそれに従いました)

Yさん、ご質問ありがとうございます。

そうですよね、前回のブログでも述べた通り、ゆるしというのは恨みつらみが深ければ深いほど、そうカンタンにはできないものです。

なので、こういうご質問をされるのは当然だと思います。

もし反省点があるとすれば、前回のブログでもメルマガでも疑問にお答えし切れなかったということでしょうから、そこは自分の知見や表現力が問われるところです。

「温冷交代浴」で肉体疲労を解消すれば、感情ストレスもそれなりに解放できる

それはさておき、まず答えやすいものから述べましょう。

「先週のブログ」を読んでいただいた方がより理解しやすいです

>それと、私は銭湯でしょっちゅう湯舟と水風呂行ったり来たりしてるんですが、サウナでないと効果ないんでしょうか?

いえいえ、〈湯舟⇢水風呂⇢湯舟⇢水風呂・・・〉の繰り返しで全然いいですよ。

私は過去に東京都文京区に住んでいたことがあるんですが、文京区は昔ながらの銭湯が比較的残っているんですよね。

(ただしほとんどの家庭にお風呂が普及したため全国的にはどんどん縮小しており、さらに昨今のコロナ禍により「三密回避」により追い打ちがかかっているはず・・・)

当時住んでいた古いアパートは、文京区ゆえ家賃は高いのにシャワーブースしかなかったため、ときどき近くの銭湯に行ったり、少し遠出をしてはレトロな雰囲気の銭湯に行ったりしていました。

今でもたまに「ちょっと “銭湯力” を高めてくるわ」と中二病的なセリフを妻に言い残し、近くの銭湯やスーパー銭湯に出かけ〈湯舟⇢水風呂⇢湯舟⇢水風呂・・・〉を「修行」と称して繰り返すのであります。

サウナはお好みですし、おっしゃる通り別料金なので、無理して利用する必要はありません。

この〈湯舟・水風呂〉の繰り返しを専門的には

「温冷交代浴」

と言いまして、ネットでサクッと調べてみると

熱いお湯と冷たい水で交互に体に温冷刺激を与えると、末梢血管が開き、筋肉痛を引き起こす疲労物質の乳酸などが体外に排泄されやすくなるので、疲労予防や疲労回復効果がある。

とのこと。

前回に続き「セルフ営業妨害」をかましますが、別にカウンセリングやヒーリングの類を受けなくとも、肉体の健康を整えるだけで感情もずいぶん調ってくるものです。

ぜひ〈湯舟・水風呂〉の繰り返しを今後も励行していってください。

銭湯にスマホやラジオや本は持ち込めず手も耳も口も空いているので、ぜひ湯舟につかりながら「天国言葉」を唱えると相乗効果があって良いのではないでしょうか。

ただし汗をかくと体内のミネラルがそれだけ失われるので、”銭湯力” を高めた後は、自然塩やハーブティーなどでミネラル補給しておくと良いでしょう。

ちなみに、私は白湯かお茶に塩をテキトーに入れてそのまんま飲みます(ちょっと塩辛いですが)。

ご参考にしてください。

誰かを無理にゆるす必要はないリアルな理由

そして、今回のメイン質問である

「ゆるせなくても、幸せになれますか?」

について結論から先に言うと、

「別にゆるせなかったら、無理してゆるさなくてもいいんじゃないですか?」

「ゆるせないままで結構ですよ」

ということです。

というか、無理してゆるしたら、それはゆるしではないですね。

ご質問の中に「許さないとだめなのかな・・・」という表現がありましたが、「~しなければならない」という義務感を持ったままでは、やっぱり難しいものです。

ここで「幸せになれますか?」というのは言及を避けました。

というのも、「何が幸せなのか?」については、人それぞれ答えが違うからです。

ただ、もし「幸せ」という言葉の意味を「こころおだやかに生きること」と捉えるとしたら、それは “ある程度は” 可能ではないでしょうか。

「別にゆるせなくてもいいですよ」とお伝えする背後には、

「ゆるしは、行うものではなく、起こるもの」

という考え方があります。

ちょっと難しいと思うので、順番に説明していきます。

心理学を学んでいると

「誰かをゆるしていなければ、幸せにはなれない」

という類の言葉と出会います。

これはこれで一つの真実を含んではいるでしょう。

本当であれば、みんな仲良く、ゆるし合って生きていけるに越したことはない。

「ゆるさない」というのは、いわば心の中に「敵」(それが自分自身である場合もある)を作っている状態ですから。

なので、個人間の争いだけでなく、国家間の政治的な争いにおいても、それを解消するためには「対話」が必要だ、ということを指摘する人がいます。

対話による平和の実現は「スピリチュアル好き」であれば賛同できる方が多いのではないでしょうか。

というのも、もしも価値観や立場は違っても “魂” はみな同じ、言い換えれば「ワンネス」なのであれば、「話せば必ずわかり合える」からです。

しかししかし、だがしかし!

あくまでシビアに「現実」を見つめるなら、そんじょこらの対話では決して解消できない対立があるのは事実です。

個人では「顔も見たくない」「考えるだけで吐き気がする」ほどゆるせない誰かがいるのは、何もYさんだけのことではないはず。

国家間の争いに至っては、対話で平和が実現することは残念ながら少なく、現時点の地球界では「武力戦争」や「経済制裁」、もしそうでなくとも一方が一方に「経済的な補償や譲歩」をすることで、一応の “解決” を図るわけです。

個人レベルにおいても、法廷闘争にまで至ることは、往々にしてある。

もちろん個人も国家も争いを穏やかに解消することが理想だし、それが「夢物語」であるとも思っていませんが、現実の光景をつぶさに眺めれば、かなりの困難を伴うのは否定できない。

その困難さを踏まえれば、何も無理にゆるそうとするのではなく、個人で言えば「距離を取る」「会わない」「社交辞令だけで済まし、深い付き合いは避ける」のは、ひとつの生活の知恵ではないかと思うわけです。

言い換えれば、

「これ以上、憎悪を増幅させないこと」

が、現実的な方法であり、ゆるしの最低ラインではないかと思います。

主にキリスト教文化圏からもたらされたスピリチュアルにおいては、「ゆるし」が幸福に生きるための鉄板ルールみたいに語られることが少なくありません。

けれども、例えばアメリカという国は訴訟社会ですよね。

聖書の『マタイによる福音書』に、こういう一節があります。

ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。(マタイ・18章21~22節)

・・・て書いてあるし、たぶん日曜日には教会でこの類のことを繰り返し説教されているとも思いますけど、現実は訴訟訴訟訴訟訴訟訴訟じゃないですか(汗)

なので、別にあちらさんのマネをする必要はないでしょうけど、少なくとも無理にゆるすよりは、これ以上憎悪を増幅させない工夫が大事ではないかと思うわけです。

生きるとは、自分をゆるし続けること

その最低ラインをお伝えした上で、上の段落で述べた

「ゆるしは、行うものではなく、起こるもの」

について説明しますね。

これはあくまで私の感覚であり、またこれまでのカウンセリングでの体験を踏まえたものでもあるんですが、どうも意志の力でゆるそうというより、どこか途中のタイミングで

「もういいかな・・・」

「これ以上恨みつらみを持っていても仕方がないしな・・・」

「よくわからないんだけど、急に怒りが冷めてきたような感じがしてきた・・・」

といったように、ゆるしという感覚が「ふと訪れる」ことがあったり、100パーセントのパーフェクトなゆるしまではいかないんだけど、一気に50パーセントぐらいガーッとゆるしが深まる体験があったりするんです。

「『1日あたり1パーセントのゆるし』がコツコツ積み重なって、100日で100パーセントゆるせました」となるのではなく、急に深まってくる感覚です。

それは不意に訪れることもあれば、日の出や夕暮れなどの風景を眺めているときに湧いてくることもあるし、お昼休憩でランチを食べているときにそうなることもあります。

私はこの瞬間のことを、まぁ自分が警戒している「お花畑スピリチュアル」っぽい表現にはなるんですが

「天使が祝福する瞬間」

と名付けています(^^)

ただ、問題は天使がいつ通り過ぎるかは、誰も予想できないこと。

ふと訪れるものだから、最初から計算はできないし、期待もできない・・・期待すればするほど「天使」は遠ざかっていくでしょうし。

その瞬間は1年後かもしれないし、10年後かもしれないし、死ぬ間際かもしれない。

少なくとも言えることは、深い憎悪や恨みつらみであるほど、意志の力だけで前向きにポジティブに「ゆるす」ということは、かなり険しい道だということです。

なので、やはり無理にゆるす必要はなく、なるべくその相手とは距離を取ることが現実的な工夫なんでしょうね。

でも。

その現実的な工夫を凝らすということは確かに生活の知恵ではあるけれども、マジスピ(真のスピリチュアル)の立場で深く考えたとき、まさにYさんがやっておられるような

・「天国言葉」を言いまくること

・食事からのアプローチで心の汚いものも浄化すること

・瞑想すること

というのが、冗談抜きで

「人間としての、生涯のお務め」

となるわけです。

そう、意図的に「務め」という言葉を使っています。

憎悪や恨みつらみの難しいところは、たとえその相手と会わないような関係になったとしても、アタマの中で「アイツがゆるせない!」という『架空の戦い』を気がついたら延々と繰り返してしまうことです。

それによって、勝手にムカついたり、恨みつらみをアップデートしたりしてしまうわけです(汗)

1ミリもメリットがないことはアタマでは理解しているにも関わらず、なにぶん感情の営みであるために、コントロールが難しいんですね。

そうであればこそ、普段から「天国言葉」や「良い食事」や「瞑想」を心がけているYさんは、それを今後もたゆまず継続していかれるのであれば、それで十分ではないかと思うわけです。

なので、

「ゆるそうと思って実践を始めたときから、たとえ心の中から恨みつらみは消えなくとも、ゆるしの道を立派に歩んでいる」

ということになる。

その道の上で、いつの日か、ゆるしが「起こる」ときがあるはずです。

いや、そうでなくとも、以前の自分と比べたら、ちょっとは恨みつらみもマシになったかな・・・

そう思えたら、それで十分ではないでしょうか。

繰り返しますが、ゆるしというのは、生涯のお務めです。

そして、これは「前回のメルマガ」で述べましたが、ブログでも触れておくと、

「生きるとは、自分をゆるし続けること」

なんですね。

相手がどうこうではなく、あくまで自分自身の心の平安のために、「天国言葉」や「良い食事」や「瞑想」を心がけていくこと。

もし、少しでもそれを実践しているという気持ちがおありなのであれば、別にゆるせなくとも “ある程度は” しあわせになれるんじゃないかと思います。

・・・ここでおそらく気になるのは、ここまでで2回 “ある程度は” とわざわざ表現していることです。

湯舟と水風呂を繰り返して「からだ」がゆるめばそれなりにストレス解消が得られるのと同様、「こころ」もまたゆるし(=ゆるみ)が進むほど、しあわせを感じられる “程度” が深まってくる。

なので、もし可能ならゆるすに越したことはない。

けれども、決して無理はしなさんな、ということもであります。

ステップとしては、

1:無理にゆるす必要はない

2:憎悪がこれ以上増幅しない工夫をできるだけ行う

3:その上でゆるしの道を自分のペースで歩み続けること

という流れを、もう一度言いますが、冗談抜きで生涯にわたって続けることです。

憎悪や恨みつらみの度合いはある意味では「底なし」ですが、しあわせもまた度合いは「底なし」であるはずです。

>この作戦で私自身が許せても許せなくても、少しでも恨みを浄化して、許せないまま幸せに生きようと思ってます。

おっしゃるとおり、たとえ「許せても許せなくても、少しでも恨みを浄化して、赦せないまま幸せに生きよう」と心がけることが大切です。

結局Yさんに対して「もっとこうした方がいいですよ」ということは特にないのですが、同じような問題意識をお持ちの方も他におられるかと思うので、ブログの場で共有いたしました。

こちらもご参考になれば幸いです。

では、先ほどもメルマガの一部を引用した通り、ブログよりは少し深い目線で作成しています(スピリチュアル以外の情報もあります)。

もし他に特に書きたいネタでもなければ、ゆるしについて私が具体的に実践していることを述べたいと思っています。

メルマガは次回で、123回目です。

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