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戒名や位牌はいらない? “高いお布施=強い力の戒名”とする葬式仏教に疑問を持とう。故人に届くのは遺された者たちの想いだけであり、この世の宗教ルールとは直接関係ない。

こんにちは。

波動カウンセラーの林 昭裕です。

前回、前々回のブログから「お墓まわりの話」について述べています。



お墓は必要? 意味ある? 遺骨はいらない? 散骨、樹木葬、永代供養、どれが正しい? お墓参りで運気アップって本当? 真の目的を知って、納得いくご先祖供養をしよう。



古い仏壇や神棚を処分する時に考えたい根本的なこと。引っ越しや遺品整理や買い替えで、悩みゼロでお寺や葬儀屋に供養やお焚き上げや引き取りを依頼するために。

一般的に言われていることとは少し違う見解を述べているかと思います。

別にお坊さんや葬儀屋さんと敵対したいわけじゃないんですけど、

「マジスピ=本質的なスピリチュアル」

から考えていけば、やっぱり見直すべきものはアップデートしていった方がいいんじゃないかなと思います。

あるいは、「いろんな選択肢があっていいんだ」と価値観の幅を広げていくかですね。

既存の価値観でも無理を感じなければそれでいいし、もし他の方法がいいのであればそれを採用してみる。

それぐらい自由でいい。

ま、今回の記事はこれから書いていきますけど、結果的にはさらにケンカを売りそうな気がしています(汗)

なるべくいろんな人と仲良くやっていきたいので、最初から「すんません!」と前置きした上で述べていきます。

信仰が違う者同士の位牌や遺影は同じ場所で並べてもいいか?

今回は前回のブログの後編で、主に以下の疑問に対してお答えしていきます。

このブログで答えること

・自分の信仰と亡くなった両親の信仰とが違う場合、その位牌や遺影を自分の拝む仏壇に置いてもいいのか・・・どうすればいいんだろう?

 

・いや、そもそも「位牌」には意味があるのか?

 

・上記のような「仏壇や神棚(特に仏壇)」について、【開眼供養】や【閉眼供養】をお坊さんや葬儀屋さんにお願いすることは、本当に理にかなっているのか・・・実は密かに疑問を持っている。

 

※開眼供養=かいげんくよう=お仏壇を新しく購入したとき、買い換えるときに行う儀式/「魂入れ」ともいう

 

※閉眼供養=へいげんくよう=逆に処分するときに行う儀式/「魂抜き」ともいう

 

(以下の疑問は「前回のブログ」で回答済)

 

・両親が亡くなり、家財道具の整理で引き取り手のいない仏壇や神棚を処分しないといけないんだけど、「粗大ゴミ」として捨てるのは気が引ける・・・どうすればいいんだろう?

 

・逆に亡くなった両親が大切に扱っていた仏壇や神棚は「魂の宿った形見」だから、とそのまま家に残すことを主張する親族がいる。けれども、自宅では誰も両親と同じ信仰はない。単に形見として置くにはサイズが大きすぎる・・・どうすればいいんだろう?

 

・自分の(義理も含めた)両親を一緒に住むことになったが、両親には信仰があり、その仏壇(神棚)を持ってくることに。でも自分は異なる宗教を信じているので、そうすると「ダブル仏壇」「仏壇と神棚」が一家の中に立つことに・・・どうすればいいんだろう?

さっそく最初の問いに回答していきます。

・自分の信仰と亡くなった両親の信仰とが違う場合、その位牌や遺影を自分の拝む仏壇に置いてもいいのか・・・どうすればいいんだろう?


(EXILEのChoo Choo TRAIN・こちらのブログより拝借)

はい、信仰や宗派が違っても全然大丈夫ですよ!

上の写真の通り、Choo Choo TRAINばりに重ねて置いていただいて結構です!

たとえその信仰している宗教の戒律的なルールが「他の宗教宗派のやり方と混同してはいけない」と唱えているとしても、本質的には全く問題ありません。

大事なのは「故人を想う気持ち」であって、どの宗教のフォーマットを当てはめるか、または当てはめないかは枝葉末節のことに過ぎません。

ちっぽけな違いで揉めとる場合かいな、って個人的には考えています。

前回、前々回から繰り返し言っているんですけど、しょせん「この世の問題」なんですよ。

宗教というのはどんな宗派であっても、必ず「あの世」のことを説いているはず。

にも関わらず、昔から宗教をめぐるトラブルの大半は「この世のこと」って相場が決まってる。

そのほぼすべてが、人間関係やお金などが絡む「ザ・この世のこと」。

実際、カウンセリングでは宗教絡みのご相談をいただくことがあるのですが、

「あの世について教えてください」

「『いま信仰している宗教の教え』についての見解を教えてください」

など「信仰へ純粋な問い」はめったになく、大半が俗世間のドロドロした話。

そういう意味で、ずっと述べてきたように、お墓や仏壇・神棚をめぐる悩みも、ほぼすべて「この世のこと」。

「神仏の視点」からすれば、宗教宗派の捉え方の違いはささやかなもの。

にもかかわらず、この世的なちっぽけな違いを乗り越えられず、不毛な対立を生んでいるわけですよ。

もし「真理」や「真実」なるものを山の頂上だとすれば、宗教や宗派というのは「どのルートから登るか」ということ。

ある人がどのルートを選ぶかというのは、仏教的に言えばその人に与えられた「宿縁」によって決まります。

それが反社会的なカルト勢力でなければ、原則としてルートそのものに優劣はありません。

「故人への想い」というのも、どの宗教のルートを選ぶかというはさして問題ではなく、問われているのはどれだけ想いを込めているかということですよね。

「大切なのは、どれだけ多くのことをしたかではなく、どれだけ心を込めたかです」

というマザー・テレサの言葉こそ、あらゆる宗教宗派を超えた原理原則です。

という意味で、ちっぽけな宗教宗派の違いを超えて、位牌や遺影は同じ場所に供えていただいて大丈夫ですよ。

そもそも普通の家であれば「信仰別」に分けて置けるほどのスペースもないだろうし。

位牌の戒名や法名はボッタクリ商売? 本当に意味あるのか?


(位牌の例。写真はこちらより拝借)

では、次は2つ目の問いである

・そもそも「位牌」には意味があるのか?

について考えていきます。

「ていうか、位牌って何なの?」って今さら聞けない方のために説明しておくと、

位牌(いはい)とは?

死者の霊を祀るため、戒名や法名を記して、家庭の仏壇や寺院の位牌壇に安置する木製の牌のこと。

上の写真が位牌ですね。

仏教を信仰している家庭の人なら、見たことがあるんじゃないかなと思います(一部の宗派では位牌を使わないようですが)。

で、これが故人を祀るために本当に必要なのか? という問いに対し、結論から言えば

「ご自由にどうぞ!」

という、これまでと同じような感じになります。

「位牌に意味があるかないかを決めるのは、あなた次第」ということなんですね。

まぁ、”本質” から考えれば「別にあってもなくても、どっちてもいいよ」んですけど。

私は別に「位牌は必須ではない」という考えです。


実はこのブログを作成している3週間ほど前、私は大阪の実家にいました。

久々に帰ってみると、8年前に亡くなった父の遺影と位牌がテレビの横にあるローテーブルの上に置いてありました。

(ちなみに、かつてはかなり立派な仏壇が実家にあったんですが、父の遺品整理で処分してしまいました。その処分の仕方はゴミ収集業者にフツーに手配しただけです。サイズが大きかったのでその場で解体したんです。こう述べると「信仰深い人」からはなんとバチ当たりな、 “魂抜き” をしろよ、とお叱りを受けるかもしれませんが、これもまたどうするかは人の自由ですし、そこに正しいも間違いもありません)

その位牌には父の戒名(法名)が書かれていたものの、それを久々に見たスピリチュアル屋のバカ息子は、

「え? 何なんこのヘンテコな漢字の羅列は・・・」

という奇妙な感覚に襲われ、そして少し苦笑いしまいました。

なんでかというと、

その位牌にはお坊さんが考案したであろう「立派な名前(戒名・法名)」が記されていたわけですが、その名前と、いま「あの世」にいる父の魂とは、全く何の関係もないからです。

・・・はい、ここがお坊さんにケンカを売ってしまうところです(汗)

ただ、別に対立したいわけではなく、何が真実なのか、何がマジなスピリチュアル(マジスピ)なのかを確かめたいだけなんです。

それを前置きした上でもう一度言うと、私は心の底から

「うわー、戒名ってホンマに意味ないなぁ・・・」

と実感しました。

そして、

「あぁそうか、今の葬式仏教っていまだにこういうシステムで回っているのね」とも。

と、位牌のことをかなりディスっますけれど、本来は戒名をつけるのは「故人への供養の想い」をカタチにしたものです。

その意味においては、それ自体はもちろん否定されるものではありません。

けれどもそれは何度も言う通り、「この世の事情」、つまり私たちが故人に対する想い方、哀しい気持ちの整理のつけ方に対する、フォーマットの一つに過ぎません。

もし「故人へ想いを届ける」という目的を実現するだけなら、位牌は必要なく、写真だけでもいいんですよ。

こう言うと、「位牌は故人の魂がお盆の季節にこの世に還ってくるときに宿るための依代(よりしろ)だから必要なのだ」と反論なさる方もおられるでしょうね。

いや、別に位牌がアカンって言っているわけじゃなく、そう信じているのであれば「信教の自由」なので、別にそれでいいんじゃないでしょうか。

ただ、スピリチュアル屋から言わせていただくと、別に依代がなくたって、あなたの心の中にその大切な故人がおられる限り、心の中で呼びかければ、そこに故人は宿ります。

ね? めっちゃカンタンでしょ。

別に位牌に「漢文の授業ですか?」っていうぐらい難しくて読めない漢字を並べる必要はないし、そもそも位牌もマストではないんです。

また、改めて根本的におかしいと感じたのは、戒名をつけるにはかなりのお金がかかることです。

いまサクッとネットで調べてみました。

もちろんお寺によって差はあるでしょうけど、平均的な「戒名代」は30~40万円なんですって。

クッソ高ぇな・・・

これがお寺にとってはかなりの収入源になっているようですな。

うーん・・・遺された家族の気持ちに整理がつくのなら、戒名代は決して「高くはない」のかもしれませんね。

でも、そもそもどんな戒名をつけたところで、故人の魂に本質的な影響はありません。

なので、もし私だったら戒名は絶対つけませんわ。

私はいつも「ラジオ動画」の冒頭で言っている通り、「お名前だけで波動(オーラ)を観る」のが仕事の根幹です。

たとえ亡くなった方でも、お名前を聞けばそのオーラがある程度わかります。

ただ、別に生前の名前で波動を観ようが、戒名から波動を観ようが、その人の「魂のランク」は変わりゃしませんぞ。

「グレードの高い戒名をつければ良い場所へ往ける」という思い込みがあれば、それは絶望的に間違いなのですぐに改めましょう。

「良き場所へ往けるかどうか」は、ご本人の生前の行いが良きものであったかどうかだけが問われるのであって、死んでからどうこうできるもんじゃありません。

(いつもはあまり正しい間違いを強調しませんが、ここだけはハッキリ言っておきます)

まるでテストで悪い点を取ったのに、後で先生にゴマすって頼み込めば、点数を修正してくれるようなもの・・・って言ったら怒られるかもしれないけど、まぁそういうことですよ。

このブログを投稿する3日後に「ここがヘンだよスピリチュアル業界」というセミナーを行うんですけど、広い意味では「戒名システム」もこの中に入りそうですね。

供養や法要に「有り難い効果」があるかはお坊さんのオーラ次第

では次に、今回の最後の問いである

・上記のような「仏壇や神棚(特に仏壇)」について、【開眼供養】や【閉眼供養】をお坊さんや葬儀屋さんにお願いすることは、本当に理にかなっているのか・・・実は密かに疑問を持っている。

について考えていきましょう。

ま、これも別に難しくないですね。

「理にかなっているかどうかではなく、仏壇周りをお坊さんや葬儀屋さんに依頼したいなら、ご自由にどうぞ」

という、これもシンプルです。

ただ、これに補足するとすれば、これも当たり前なんですが

「本当に信頼できるお坊さんや葬儀屋さんに依頼しましょう」

ということです。

そもそもお坊さんが仏壇の開眼供養(=かいげんくよう=お仏壇を新しく購入したとき、買い換えるときに行う儀式・「魂入れ」ができるかどうかは、そのお坊さんが本当に「徳の高い人物」であるかどうかにかかっています。

「本当に魂が入るかどうか」というのは微妙なところで、私は「波動的なチューニング」と言い換えた方がいいかなと考えています。

ピアノ調律師さんがピアノの音を調整するように、本当に力のあるお坊さんはいわば「普通の仏壇」を良い波動が通りやすくなるようにチューニングするわけです。

(ただしたとえ良いチューニングができたとしても、その後の心がけが良くないならあまり意味はないですよ)

でも、それが本当にできるお坊さんは少ないでしょうね。

「葬式仏教」と揶揄される通り、たとえ形式上の作法はできても、本当に修行に打ち込んでいるお坊さんは決して多いとは言えないからです。

もちろんすべてのお坊さんのことは知らないものの、カウンセリングにおいていろいろ漏れ聞くのは、いわゆる「クソ坊主」への不満であります。

私はお坊さんの名前を聞けば、本当に修行できている人かどうかはある程度の見当がついてしまう。

あまり苦労せずにお坊さんになった人や、経済的に非常に恵まれているお坊さんは、税金も非常に優遇されているし、ついつい気が緩んでしまうようですね。

そういうお坊さんがいくら「魂入れ」「魂抜き」をしたところで、単なるカタチだけで中身が伴わないものになります。

私はその意味からも、必ずしもこれまで述べた「仏壇の作法」は必須でないと考えるわけです。

とはいえ、あなたやあなたのご家族や「このお坊さんは心から信頼できる」だと深く信じている方であれば、依頼してみてもいいんじゃないでしょうか。

別に依頼しなくても、前回のブログで述べた通り、開眼供養(魂入れ)は別に必須ではありません。

それは本当に自由で、コレと言った決まりはないわけですから。



古い仏壇や神棚を処分する時に考えたい根本的なこと。引っ越しや遺品整理や買い替えで、悩みゼロでお寺や葬儀屋に供養やお焚き上げや引き取りを依頼するために。

開眼供養しなくたって、私たち一般人がその仏壇なり神棚なりに向かって祈りを捧げ続けていけば、「魂」は宿るわけです。

これは閉眼供養(=へいげんくよう=逆に処分するときに行う儀式・「魂抜き」)も同じであって、別に依頼したけりゃ依頼すればいいし、自分たちで「これまでお世話になりました。ありがとうございました」と感謝の念を込めて手放すのも結構なわけです。

でも、こういう「仏壇周りの事情」というのは、「こうしなきゃならない」と厳格なルールを採用している人や、厳格でなくても「こうしなきゃいけないんじゃないか・・・」と不安な人もいて、そういう家族を抱える一家は(その人が発言権ある人であるほど)なかなか臨機応変な対応ができにくいですね。

だから、前のブログにも書いた通り、こういう話は本当に「めんどくさい」んですよ。

なので戒名とか法名とか、魂入れとか魂抜きとか、私はこの種の事柄には仕事でも私生活でもほとんど関わりません。

仕事で唯一行っているのは、亡くなった方や、仏壇も含めたスピリチュアルグッズ等の「個別ヒーリング」ですね。

シンプルにヒーリングするだけで、御札を作ったり小道具を使ったりなどの「めんどくさいこと」は一切行いません。

大切なことは何度も言う通り、私たちがどれぐらい心を込めているかということ。

そして、お坊さんや、私みたいなスピリチュアル屋の側に問われているのは、表面的なお作法が上手なことではなくて、どれぐらい良い波動(オーラ)をしているかどうかだけです。

波動がショボい人間が何をやってもダメで、逆に “無作法” であっても波動の整った人であれば、「目に見えない世界」に多少の影響を与えることはできるんですよ。

私の先生のお一人は「ヒーリングの作法は合掌だけで結構です」とおっしゃっていますが、それぐらい本当はシンプルなんです。

なので、葬儀や仏壇周りのことは単にお坊さんや葬儀屋さんにお願いすればOKなのではなく、可能であれば本当に信頼できるか吟味されることですよ(とはいえ葬儀って緊急な場合が大半なので、なかなか落ち着いて判断ができないのが難しいところですが・・・)。

以上、3回にわたって仏壇や神棚に関することを中心に述べてきました。

振り返り用として下に載せておくので、あわせてご参考にしてください。



お墓は必要? 意味ある? 遺骨はいらない? 散骨、樹木葬、永代供養、どれが正しい? お墓参りで運気アップって本当? 真の目的を知って、納得いくご先祖供養をしよう。



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そういえば最近、上のお墓に扱い方に関する記事を読んでいただいて、「お墓のヒーリング」のご依頼をいただいたばかりです。

まぁ霊感商法と言われても仕方ありませんので、信じるも信じないもあなた次第。

もしご興味があれば「個別ヒーリング」のページをご覧いただければと思います。

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