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『世界平和の祈り』入門1:波動の素晴らしいこの祈りを実践することで、あなたのオーラはより光り輝く。

スピリチュアルカウンセラーの林 昭裕です。

人やモノの波動(オーラ)がわかる特殊能力をベースに活動しており、ここでは【マジスピ】(真のスピリチュアル・脱お花畑スピリチュアル)をテーマに情報発信しています。

今回からシリーズ

『世界平和の祈り』入門

をスタートします。

最初にひとつだけ言っておくと、

騙されたと思って、この祈りを本気で実践すれば、必ず人生は変わる。

ということです。

もちろん普通の宗教やスピリチュアルが言うように、この世界にラクして幸福になれる安易なマジックなどありません。

またどこかで説明するつもりですが、「祈ればすべてうまくいく」という考えを浅く受け止めると、傲慢・怠慢に陥ります。

それを踏まえた上で、この祈りを本気で実践すれば、必ず人生は変わると断言する。

少なくとも私は、祈りのおかげで、この騒々しい世界で何とか堕落せずに済んだと思っています。

そして、この変わった仕事を更新時点で10年以上続けることができたと言えます。

なお、『世界平和の祈り』の文言は

世界人類が平和でありますように

 

日本が平和でありますように

 

私達の天命が完(まっと)うされますように

 

守護霊様ありがとうございます

 

守護神様ありがとうございます

というものです。

今回は入門編の初回なので、細かいことは抜きにしてアウトラインや私がこの祈りに惹かれた背景について説明します。

少し自分語りが多くなりますが、必要があって述べますのであらかじめご了承いただきたい。

その前に「そもそも祈りとは何か?」ということについて、過去のブログで論理でなく詩や歌を引用して説明したことがあります。

あわせてご参考にしていただければと思います。

私はいかなる宗教にも無所属のスピリチュアル屋です

まず最初に、個人的なことですが、誤解が生まれないよう以下のことをお伝えしておきます。

・私はいかなる宗教団体にも所属していないし、今後も所属する気はありません。

 

・『世界平和の祈り』は宗教法人「白光真宏会」の創始者・五井昌久先生が提唱された教えですが、私はこの会と利害関係は一切ありませんし、また入会を推奨しているわけでもありません。私はときおり見学には行きますが、入会することはありません。

 

・今回の一連のブログは、五井先生のほぼ全著作・全法話を読破した「五井先生ファン」である一個人の解釈に基づくものです。なので会の中で教えられている内容とは相違があるかもしれません。

 

・もし会の方や祈りのベテランの方がこのブログをお読みになり、「その理解は間違っているよ」「こう解釈した方がもっと良いよ」というご意見等あれば、遠慮なくメッセージしてください。間違いや浅い部分があれば、すぐ改めます。

 

・ただ、この一連のブログや音声配信(YouTube)をきっかけに、会の方やベテランの方から「祈りの個人レッスン」を依頼されたことがあります。「初めて祈りがよく理解できました」という声をいただいたこともあります。

 

・こういうブログを書くのは、宗教団体の枠内を超え、私なりにもっと多くの方々に『世界平和の祈り』をお伝えしたいからです。【祈り】について独自の角度から追窮してきた「無所属の人間」だからこそ、逆にお伝えできる領域もあろうかと思います。

 

・この発信のおかげで、私と同じ「無所属の五井先生ファン」の方々、そして会の方々ともご縁をいただいています。特に会の方から「マジスピのYouTube、いつも見てますよ」と言われると、うれしい反面、恥ずかしい気持ちも出てきます。

こういったスタンスで進めていきます。

この『世界平和の祈り』は、起業以前から縁ある人にオススメしてきました。

五井昌久先生(以下、五井先生)の主著に『神と人間』という本があります。

今はもうやっておりませんが、以前は興味ある人にこの本を無償で配ることもありました。

(以下のYouTubeのサムネで手にしている本です)

そして、『世界平和の祈り』について概要の入り口を語った音声配信は以下です。

文字通りボランティアとして『世界平和の祈り』の普及活動をしていたわけですが、そうしているうち、会に所属する何人かの方々ともご縁をいただきました。

中には会とは全く利害関係のない私に、会の内側の人間関係の悩みについてカウンセリングをお願いされたこともあります(「良いこと」をしているはずの宗教団体においても、ドロドロの悩みはあります)。

また、そもそも「祈りの教えについて、正直よくわかっていません……」と、無所属の人間である私に個人レッスンを申し込んでくださった方もおられます。

そうして「なるほど!やっと教えの意味がわかった気がします!」と喜んで帰られました。

過去に「組織の講師になりませんか?」とお誘いいただいたこともありますが、私はいかなる宗教団体にも所属しないポリシーを貫いているので、お断りしています。

……何が言いたいかというと、無所属ながらそれなりの自負をもって『世界平和の祈り』について説明したい、ということです。

『世界平和の祈り』の波動はとても素晴らしいことを信じていただきたい

ようやく『世界平和の祈り』の基本について述べる準備ができました。

まず結論的なことを言っておきましょうか。

もし「世界平和の祈りのどこがいいのか、ひとことで教えてください」と聞かれたら、冒頭の言葉と重複しますが、

とにかく波動が素晴らしいので、だまされたと思って、本気で唱え続けてみてください。

と答えるかと思います。

「波動が素晴らしい」というのは、「エネルギーが高い」ということです。

私は人やモノの名前から、その波動(エネルギー・オーラ)を観るのが仕事の根幹となっています。

つまり「言葉」から、波動をリーディングしているわけです。

論より証拠、以下約3分の音声(YouTube)の中では、実際にリーディングをしています。

これ、事前に打ち合わせや仕込みは一切ありませんからね(笑)

こういう特殊な能力をもって『世界平和の祈り』の波動を観察したとき、実に素晴らしいことがわかるのです。

ただし、別に「普通の人」でも、わかる人は直感的にわかりますよ。

さっき述べた通り、かつて私が五井先生の主著『神と人間』を無償で配っていた時期、何人かの方から

「うまく言えないけど、『世界平和の祈り』って、なんかすごくいいですよね!」

といった同じような感想をいただきました。

いちいち理屈で説明しなくとも、わかる人は直感的にわかってしまうのですね。

私もまだ霊的能力が発現してなかった「普通の大学生」の頃、大阪・梅田の紀伊國屋書店でふと主著『神と人間』を立ち読みしたとき、

「なんだかすごいことが書かれている気がする・・・」

と感じたものです。

今となっては考えられませんが、当時の私は新興宗教絡みのトラブルの体験から、そういう類のものが大嫌いでした。

そんな自分でも、五井先生だけは信ずることができたのです。

私も霊的能力以前に、直観的にわかったのでしょう(直観も霊的能力の一つですけどね)。

ともかく『世界平和の祈り』の波動は、私がこれまで他の祈り言葉や、お経や、呪文の類を見てきた中でも、トップクラスに素晴らしいものであることを信頼していただければ幸いです。

ただし、今後しつこく繰り返し言いますが、たとえ『世界平和の祈り』が素晴らしいものであっても、「安易な道はない」ということをよくよく理解しておいてください。

ここで「祈ればすべて良くなる」なんて言ったら、普通のご利益宗教であり、普通のお花畑スピリチュアルになり下がってしまう。

『世界平和の祈り』は、断じてそんな安っぽいものではないのです。

真摯に祈ったからといって、あなたが背負うべき「人生の苦難」がチャラになるわけではありません。

世界平和を祈り続けることで、エゴと距離が置けるようになる

では、もう少し論理的に説明していきましょう。

次に大事なことは、

「世界平和」という個人を超えた大きな存在に祈ることの積み重ねによって、少しずつ心の器が広くなっていき、波動(オーラ)が輝いてくる

ということです。

(ここにはもっと深い意味があるのですが、それは次回以降に述べます)

私を含めた多くの人々は、たいてい自分のことしか考えていないですよね。

せいぜい、身近な家族、親しい友人、勤め先の人間関係ぐらいでしょう。

どこかで戦争が起こっても、どこかで自然災害が起こっても、それが直接被害をもたらしていないのであれば、関心が薄くなってしまうのが人情というものです。

これは人間が肉体に伴う本能を持っているためなので、仕方がない部分はあります。

ただ、もしそんな本能のままに生きるとしたら、率直に言って人間は動物と大差がないでしょう。

私は人の波動を観ていてわかるのは、オーラが素晴らしい人は思いやりの深い人、誠実で素直な人です。

これは何もオーラがわからなくたって、誰でも感覚的にわかることですよね。

ですから、私たちはなるべく自分の周囲に深い思いやりの持てる「利他的な人間」になることが望ましいし、そうであってこそ人生を深く生きられるようにもなります。

このように、なるべく思いやりの深い人間になり、本当に世のためになりたいと願い続ける修練が『世界平和の祈り』なのです。

もう一度『世界平和の祈り』の文言を掲げましょう。

世界人類が平和でありますように

 

日本が平和でありますように

 

私達の天命が完(まっと)うされますように

 

守護霊様ありがとうございます

 

守護神様ありがとうございます

本能のままに生きていたら自己中心的になってしまうところを、「世界平和」という深く広い世界に、魂を溶かし込んでいくこと。

この心がけを習慣化することにより、自分の意識は小さな自己中心のレベルから、より大きく広がっていくのです。

これを突き詰めていくと「自己=世界=宇宙」にまで意識は無限拡大し、スピリチュアル業界ではそれを「ワンネス」と呼んでいるわけです。

「ワンネス」を口で言うのは簡単なのですが、それを全身全霊で体感することは、当然ながら非常に難しい。

それができたら、もう「悟り」の境地ですよね。

何度も何度も生まれ変わっても、ワンネスの体得は難しいことでしょう(もちろん私も)。

そして、肉体を持っている限り、本能(エゴ)を完全に断ち切ることはできない。

でも、祈りが深くなってくれば、心の中で本能(エゴ)と距離を置くことはできるようになる。

その深さに伴い、未熟な私たちの波動(オーラ)も、少しずつ光り輝くようになっていくのです。

その最もシンプルな方法が「祈り」なのです。

祈り続けることは、決して簡単ではない

ただ、言葉で言うと簡単なのですけど、いざ祈りの実践を続けるとなると、優れた人でない限りなかなか続かないでしょう。

「祈りなんて口や意識があれば誰でもできるでしょ」と思うかもしれませんが、少なくとも私は「祈れない自分」の不甲斐なさに何度も悩んだことがあります。

その実体験から、普通の人にとっては「簡単そうに見えるが、決して安易な道ではない」と何度も言っているのです。

「ワタシはちゃんと実践してますよ」と自信のある人でも、もしかしてカタチだけになっていないか自問自答された方がいいでしょう。

私は過去に何度か「断食の真似事(不食)」をやったことがあります。

以下の動画ではそのことを語っています。

これを視聴すると、「いやーこんなシンドイこと、よくやりますね。ワタシにはゼッタイ無理です……」なんて言われることが多い。

まぁ確かにラクではないのですけど、決意さえすれば割と簡単にできますよ。ほんとに。

でも、実行が難しそうに見える断食(不食)より、本気で祈り続けることの方がさらに難しい。

これが私の偽らざる気持ちです。

「入門」と言っている割に、ずいぶん手厳しいこと言うなぁと感じるかもしれません。

ただ私は「祈りの門に入る」前に、この難しさをしっかり心得ておくべきだと思います。

というのも、ままならぬエゴを抱え、運命の不条理に苦しみ、己の未熟さと不甲斐なさに泣き、それでも世のため人のためになることを、祈り続けること。

これができたら、人間として、本当に尊い。

逆に言えば、この境涯に到るまで初心者には超えねばならない「関門」がいくつもあります。

例えば、

「祈ったって、意味ねーよ」

 

「祈ったって、パンが降ってくるわけじゃねーよ」

 

「祈ったって、対立や戦争はなくならないじゃねーかよ」

こういう声が内からも外からも、きっと聞こえてくるでしょう。

これらの諸要因によって、最初の勢いが知らないうちに削がれていくのです。

その結果、だんだん惰性になってきて、しまいにやらなくなる。

あるいは「祈ってたらきっと良いことあるよね~」と、気がつけば安易になっている。

そのくせ自分としては「祈っているつもり」「良いことをしているつもり」になっていて、浅い自己満足が得られるだけ。

その必然的結果として、運命は思ったほど開かない。

まぁそんなに進歩は感じないけど、別に不幸で大変なことも起きないし、まぁこんなものかな。

あぁ、生かされていて、今日もご飯がうまい、ありがたいな~。

ってな感じで、結局テメーのことばっかりになる。

……この種の「生ぬるさ」を厳しく指摘したのが以下の音声配信(YouTube)です。

……これは簡単であることのデメリットですね。

簡単であるがゆえに、どうしても油断しやすい。

千日回峰行のような肉体を酷使する厳しい修行だと、生ぬるい気持ちだと簡単に身体がダメになるし、しかも中途挫折したら携帯している短刀で自害しなければならないので、油断は生じにくい(その代わり、実践する人も少ないですけど)。

祈りはこの逆だと思ったらいいでしょう。

あまりに簡単にできてしまうため、中途挫折しても特に痛みや罰則は生じないし、誰かが叱ってくれるわけでもない。

「あ、忘れてたわ。でも、まいっか。また思い出したらやるぐらいでもいいや」と都合良く判断しやすい。

だからこそ、五井先生は法話や書籍上で何度も何度も何度も何度も飽きるほど、オチが分かり切っている古典落語のように最後は「『世界平和の祈り』を祈りましょう」とおっしゃったのだと思います。

何回も何回も何回も何回も、心のネジを巻き上げなければならないのです。

ただ私は、もう答えが分かり切っているというのに、その言葉に触れるたびに感動があります。

それはやはり、『世界平和の祈り』の中に、そして五井昌久という人物の中に「大いなる光明」を感ずるからでしょう。

あるとき五井先生は、おどけて「私なんてこれ(祈り)しか言うことないもの」と笑っておられた。

でも、たった一つのことでいい。

私たちは「貫くもの」を持たねばなりません。

もしあなたが『世界平和の祈り』に魂が惹かれたのであれば、それを実践できる可能性を秘めています。

そこからご自身なりに探求され、「あぁ、やっぱりこの道が素晴らしい!」と直観したなら、どんなことがあっても信じてやり続けなければなりません。

途中、「何か他にいい教えがないかな~」と浮気するかもしれない。

恥を承知で言いますが、私は特定の宗教団体に所属していないため、割と浮気をしてしまった方だと思います。

本棚にたくさんあった五井先生の書籍の大半を処分してしまったこともありました。

なんと愚かなことをしてしまったのか。

けれども、結局は『世界平和の祈り』に、戻ってしまった。

本も買い直した……絶版で高騰している本も含めて。

さすがにその後は回心して、ほぼすべての著作を読破するまでになりましたが・・・


お恥ずかしい限りですが、これが私の遠回りの拙い歩みです。

そんな私が『世界平和の祈り』入門を"部外者"として発信するのは、おこがましいかもしれません。

ただ、私は縁あって「スピリチュアルカウンセラー」という特殊な仕事をしているので、その立場から語れることはあるのではないか。

また先ほど述べた通り、己の愚かさゆえ最初から純真に実践できなかった悔いがあるため、「祈りの注意点」についても多少は述べられると思っています。

そして、こうして『世界平和の祈り』について一般向けに発信をすることは私にとっての学びであり、そしてまた祈りの実践でもあるのです。

この一連のブログを読んでいただき、もしあなたが『世界平和の祈り』に興味をお持ちになり、そして実践までされたとしたら、私はこの「功徳」を分かち合えることに、深い喜びを感じるでしょう。

(幸い、私のように部外者のくせに祈りについて熱く語る姿は、過去にお会いした会のベテランの何人かの方々からは「面白い独特な立ち位置ですね」「ぜひその立場で頑張ってください」と言っていただいているので、私にも固有の役割があることを感じています)

今回は、『世界平和の祈り』の入門編の1回目として

・とにかく『世界平和の祈り』の波動は素晴らしいこと

 

・「世界平和」を祈ることによって、心の器を大きくし、波動が高まること

ということを述べました。

次回は入門編2回目として、また別のことを述べます。

なお、以下に「世界平和の祈りシリーズ」の一覧のリンクを貼っておきますので、ご興味があればさらに進んでいってください。