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「祈りごころ」は詩や歌から学ぼう。大自然は祈りに満ちていて、いのちが絶えず交流している。

お名前だけで人やモノのオーラ(波動)がわかる、波動カウンセラーの林 昭裕です(「詳しい自己紹介はこちら」)。

【マジスピ】(真のスピリチュアル・脱お花畑スピリチュアル)をテーマに情報発信しています。

今回は

「スピリチュアルにおいて最も大切な『祈りごころ』は、理屈じゃなくて感性で体感するもの」

について、詩や歌を引用して考えていきます。

前回は祈りの「入門編」としてブログを書いたものの、振り返ってみて「これは初めての人にとっては、ちょっと難しいかもしれへんなぁ」と思っていました。

すると、前回の「無料メルマガ」の読者さんから「ちょっと難しかったです」というコメントをいくつかいただいたので、「やっぱりそうか・・・」と改めて思った次第です。

前回のブログは「入門編」というより「原理編」と言える内容でしたね。

「祈り」がテーマだと、ついつい力が入ってしまうみたいですが、それだけ私は「祈りはめっちゃ大事やで!」だと考えているわけです。

なので、今回は前回と重複する部分はあるでしょうがもっとわかりやすく説明するので、今回こそ「入門編」として前回とセットでお読みいただければ幸いです。

来月、たぶん濃い内容になるだろう「祈りの有料セミナー」を開催するんですけど、祈りについてはブログや音声配信の無料コンテンツでも、それなりの内容をお伝えするつもりです。

坂村真民さんの詩から「祈りごころ」を感得しよう

今回は祈りを論理ではなく感性で体感した方が良いと思ったので、まず以下の詩をお読みください。

一途に咲いた花たちが

大地に落ちたとき

“あ” というこえをたてる

あれをききとめるのだ

つゆくさのつゆが

朝日をうけたとき

“あ” とこえをあげる

あれをうけとめるのだ

坂村真民『あ』より

久々に読み返してみましたけど、素晴らしい詩ですなぁ・・・

この “あ” というのが、私には「祈り」のように感じられる。

日々の何気ない自然の移り変わりの中において、その背後からあらゆる「いのち」を動かしている「何もの」か。

スピリチュアル業界ではそれを「サムシング・グレート」と呼ぶ。

その「偉大なる何か」が、ときに「一途に咲いた花たち」となり、ときに「つゆくさのつゆ」となる。

それが動いたとき、それが大地に落ちたとき、それが朝日をうけたとき、その「いのちの呼応」が “あ” という音をたてる。

それは「肉の耳」では聞こえない。

それは「心の耳」にしか聞こえてこない。

それをききとめるのだ。

それをうけとめるのだ。

普段スマホばかり眺めていたら、まず気づけない世界。

それをききとめるには、このわたしが「一途に咲く花」でなければならない。

それをうけとめるには、このわたしが「つゆくさのつゆ」でなければならない。

そのとき、 “あ” というこえがきこえてくるだろう。

その “あ” というおとが、「祈りのひびき」なのであります。

つまり「祈る」というのは、「いのちの交流」であり「いのちの呼応」なのです。

「神仏に祈る」というのは、前回のブログでお伝えした通り、

祈りとは、「神なるもの」との霊的交流のためになされるもの

ということ、何となくでもお分かりいただけるでしょうか。

自分の「個のいのち」を超え、道の片隅に咲く一輪の花にも、同じ「いのち」を感ずること。

自分の「個のいのち」を超え、露草を潤す一粒のしずくにも、同じ「いのち」を感ずること。

それが「祈り」です。

祈りの対象が「神」「仏」「天」であっても、自分の「個のいのち」を超えたものに同じ「いのち」を感ずることは、一輪の花や露草のしずくと同様です。

ただ、「神」「仏」「天」は、一輪の花や露草のしずくと違い、自分の「小さな個のいのち」をはるかに超えた「大いなるいのち」ですから、それらといのちが呼応するというのは、

大いなるいのちと響き合い、大いなるいのちと合一するということ

これが祈りなのです。

加えて言えば、たとえ一輪の花や露草のしずくは物質的には小さくとも、その物質の背後には同じ「大いなるいのちの力」が働いています。

だからこそ、道の片隅に咲く一輪の花にも、露草を潤す一粒のしずくにも、同じ「いのち」を感ずることができるのです。

その「こころ」が「祈りのこころ」ですよ。

何となくでも、お分かりいただけたでしょうか?

言葉にすることのできない “あ” 、言葉が言葉として生まれる前に生まれている “あ” 、宇宙に存在するあらゆるものは、この “あ” から生まれている。

それをききとめるのだ。

それをうけとめるのだ。

いや、もうすでにあなたの耳に届いているではないか。

スマホを閉じて、心の耳を静かに澄ませてみれば、必ず聞こえてくる。

もし、それが聞こえてきたら、自分の心を振り返って観てほしい。

そうすれば、気づくだろう。

自分の心もまた、”あ” というこえをあげていることに、気づくだろう。

明治天皇の御製から「祈りごころ」を感得しよう

では、感性で体感するための詩をもうひとつ。

あさみどり

澄みわたりたる

おおぞらの

広きを おのが

心ともがな

 

(浅緑色に晴れて澄み渡った大空のように、清らかな心、大らかで、広い心で日々の生活に励みたいものだ)

明治天皇の御製

これもいいですなぁ・・・

歴代の天皇陛下がお詠みになられた歌を御製(ぎょせい)といいます。

これは試験(何の?)に出るので、よーく覚えておいてください。

御製とは「祈り」です。

天皇陛下の最大にして最深の御公務は、祈りであります。

その祈りは御製として、私たち臣民も伺い知ることができるのです。

さて、今回取り上げた明治天皇の御製は有名なもので、個人的にも大好き。

話はズレますが、私が行っている「レイキヒーラー養成講座」のテキストの中にも、この御製を「心を浄化するための歌」として収録しています。

それはレイキヒーリングの創始者が、ヒーリングの「行」として御製を唱和していたことに由来しています。

まぁそれはともかく、この御製も素晴らしい。

皐月(さつき)の新緑の頃にお詠みになられたようですが、新緑の季節は大地の生命エネルギーが旺盛になる時期。

私の学生のころ水泳部であり、だいたい5月から泳ぎ始めるので、この季節のエネルギー感は肌感覚的にわかります(水着だけのほぼ裸の状態になるから)。

さあ、そんなある日、明治天皇は浅緑色の澄み渡った大空を仰ぎ見られた。

その広大無辺とも言うべき大空の下、きっと明治天皇は大空に広がっている「神の御心」に感嘆なさったに違いない。

一切の曇りなき、清明(しょうみょう)という言葉以外に形容できないその大空は、「神の御心」そのものであった。

そこに全身全霊で感動された明治天皇は、そのときご自身もまた「大空」になられたのでしょう。

明治天皇ご自身の「個のいのち」は、大空の中に、解けて、流れて、消えてしまった。

何もない大空。

しかし、そこには「すべて」があった。

魂が奪われるほどの感動から、明治天皇はふと我に返られる。

「あぁそうだ!この大空のような果てしなく広いこころなのだ!

わたしもまた、いつもこんなこころで生きたいものだ・・・」

「澄み渡った大空」の向こう側にある、さらにさらに広い「大いなるいのち」に、願わくば、我が心を寄せていきたい。

そんな「祈り」が、この御製から感じられてきます。

前の段落と同じ表現をすると、祈りとは、

大いなるいのちと響き合い、大いなるいのちと合一するということ

なのであります。

路傍の一輪の花のうちにも、広い大空の中にも、同じ「いのちのひびき」、同じ “あ” を感ずること。

これが祈りなのです。

ここまで読んで「それでもわかりません」と言われたら、ちょっと困ります(汗)

でも、例えばふと夜空を見上げたとき、お星さまやお月さまを見て「あぁ、きれいだな」と心が動いたとき。

例えば、海岸や海辺に佇んでいて、潮のリズムに気持ちの落ち着きを感じるとき。

例えば、体を吹き抜けていく風に、季節の移ろいを感じるとき。

それらはすべて「祈り」なのです。

それは「大自然の祈り」でもあるし、それを感じるということは、自分の中にも「祈り」が生まれている、いや、すでにあるということ。

自分の内なる心にも、 “あ” というこえがあがっているということ。

それは、スマホを横に置き、日々の喧騒から離れ、すぐ近くにある「小さな自然」を静かに見つめてみれば、誰でも必ずわかること。

祈りとは自他を超えた「いのち」を深く感ずるこころ

今回は当ブログとしては珍しく論理より感性に働きかけてみましたが、いかがでしょうか。

この感性でもって、もう一度前回のブログをご覧いただければと思います。

前回のブログの要点を抜き書きして、それぞれ簡単にコメントしていきます。

「祈り」は金運アップや恋愛運アップ、病気の回復などを求める「現世利益」のみを目的としない

今回の2つの詩から感じられる「祈り」の広く大きな次元からすれば、いかに現世利益を求める祈りが小さいものか、よくわかりますよね。

テメーの小さな幸せを願うのは、祈りと言えなくもないけれど、それはまだまだ最初の第一歩に過ぎないんです。

祈りとは、「神なるもの」との霊的交流のためになされるもの

これはさっきも触れましたね。

霊的交流というのは、つまり「見えない次元」での交流です。

小さくは「道端の一輪の花」、大きくは「澄み渡った大空」、その両者の背後に宿る「大いなる、見えざるいのち」と交流していくことが、祈りです。

交流をするわけですから、

祈りとは人間の側から「この願いを叶えたい!」とか「この祈りを聞いてほしい!」とか一方的に願う行いではなく、先ほど述べたようにそれが「神の御心(みこころ)」や「天の意志」に寄り添っているものかどうかを省みるところまでを含んでいるわけです。

ということになるわけです。

一方的にやったんじゃ、交流にならないですからね。

「大いなるもの」「神なるもの」と交流をするということは、先ほどの明治天皇の御製のように「澄みわたりたる大空」のような波動(エネルギー)を与えていただくことになります。

もっと簡単にいえば、「澄みわたった大空を眺めているうちに、自分の小さな迷いや悩みなど、どうでも良くなる」ということです。

そうして心がクリアになる過程が、

なぜ祈りに深い自問自答が必要かと言えば、それによって「内なる神」に触れるからです。そして、「内なる神」に触れることを通じて、宇宙を統べる「大いなる神」に触れることになるからです。

という表現になっています。

先ほどの述べたように、「澄みわたりたる大空」に感動できるというのは、自分の心の中(内なる神)にも「大空のような澄みわたった世界」が在るからです。

そうして「内なる神」に触れることを通じ、逆から言えば大自然を創造している「大いなる神」に触れることを通じ、私たちの心魂は少しずつ純化されていく。

それが祈りの目的であり、「祈りという生き方」なんです。

ここまで言えば、祈りで金運アップとか恋愛運アップとか、引き寄せや願望実現がどうのこうのという次元とは「全く異なる」ということが、お分かりいただけるのではないでしょうか。

これでも「まだわかりません」って言われたら、どうしようかなぁ・・・ソロキャンプにでも出かけて、スマホを電源オフにして、一人で自然を満喫したらいいかもしれません(笑)

そういえば、このブログを書いている途中、お笑い芸人のヒロシさんの「ソロキャンプ動画」をBGM代わりに聞いていました。

You Tubeっぽい盛り上げる効果音や加工、またテンションの高い声がほとんどないので、もちろん現場に行くのが最善ではありますが、疑似体験的に自然を感じるにはオススメです。

以下、現時点での最新の動画を貼っておきますね。

では、前回と今回とで「祈りとは何か?」をご理解いただいた上で、ようやく『世界平和の祈り』について解説していきます。

来月は『世界平和の祈り』の有料セミナーをやるので、ご興味があれば以下からどうぞ。

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