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スピ業界に渦巻く恋愛教・パートナーシップ教に惑わされず、良き出会いを得るには?

このブログの要点
  • スピ系や心理系が「恋愛」や「パートナーシップ」を焚きつけるのは、それがビジネスになるからという側面を知っておきましょう。
  • 「恋愛至上主義」とは距離を置きましょう。相手がいる・いないに関わらず、人は本質的に孤独であり、一人で生まれ、一人で死んでいく存在なのです。
  • さびしさから相手を求めれば「さびしい人」と出会うでしょう。一方、使命・天命の途上で縁あって出会う人は同じ意識の水準を持つ人です。すべて「波動の法則」です。

スピリチュアルカウンセラーの林 昭裕です。

人やモノの波動(オーラ)がわかる特殊能力をベースに活動しており、ここでは【マジスピ】(真のスピリチュアル・脱お花畑スピリチュアル)をテーマに情報発信しています。

今回は恋愛について考えを述べていきます。

恋愛やパートナーシップがなければ「悟れない」のか?

タイトル通り、スピリチュアル業界の一部には「恋愛教」や「パートナーシップ教」とでも言うべき言説が根強くあります。

この「教義」によれば、恋愛やパートナーシップは大きな幸せをもたらしてくれるものであり、そういう関係を持っていない人は人生めちゃくちゃ損している、とのこと。

「パートナーシップを通じて、はじめて使命が果たせる」とまで語る人もいます。

これは男性より女性が強く感じるものであり、またスピリチュアルビジネスは女性がターゲットであるため、スピ系コンテンツには

  • 「運命の人を引き寄せるスピリチュアルレッスン」
  • 「仕事もパートナーシップも両方うまくいく!」
  • 「ソウルメイトはすでにあなたの隣にいます!」
  • 「パートナーシップは悟りの道」
  • 「恋愛は男性性と女性性の統合に欠かせない」

といったワードであふれています。

こんなものに多く接しているうちに、

  • 「ワタシは "恋多き女" でなければいけないのか…?」
  • 「出会いなんかそうないのに、頑張らないといけないのか?」
  • 「パートナーがいない人生は "失敗" なのか?」
  • 「〈パートナーがいない=悟りから遠い〉のか?」
  • 「恋愛やパートナーシップがうまくいっている人がキラキラしている(ように見える)けど、ワタシはダメなのか?」

という敗北感や挫折感を湧いてきたり、恋愛しなければならない・パートナーシップを築かなくちゃならない、という強迫観念に襲われたりするかもしれません。

バレンタインデーやクリスマスが切なくなることもあるでしょう(ビジネスによって作られた虚構に過ぎませんが)。

また、一般向けの心理学系のコンテンツも、恋愛やパートナーシップ、また婚活について多く語られています。

こういうコンテンツに多く触れているうちに、「恋愛至上主義」「パートナーシップ至上主義」に毒されてしまうのです。

これらは根源的な「性」の問題に深く根ざしたものであるため、その影響力はかなり強い。

さらに恋愛やパートナーシップは「周囲との比較」が〈相手がいる or いない〉という単純なモノサシでできてしまうため、劣等感(そしてその裏返しとしての優越感)を抱きやすい。

これまで何度もカウンセリングでお話を聞いていますが、相手がいるからとって必ずしも幸福とは限らず、むしろ地獄の苦しみを味わう場合もあるのは、あなたの周りを見渡しても一人や二人はいるはず。

ただ、そういう不幸はあまり表に出てこないため、隣の芝生が青く見えてしまいがちです。

ところで、スピリチュアルや心理学周辺だけでなく、世間的に「恋愛した方がいいよ」「パートナーシップを築いた方がいいよ」と言われている根本的な理由は何でしょうか?

それは、ぶっちゃけ、恋愛をしてくれた方がビジネス社会としてはプラスだからです。

さらには別れたり離婚したりして取っ替え引っ替えしてもらった方が、よりプラスになります(飲食業界や婚活業界やウエディング業界など)。

(昨今だとLGBTも含みますが)異性にモテたいための行動としてわかりやすいのが、ダイエットやファッションやメイクですね。

男性なら古典的ですが、肉体を鍛えたり仕事力や経済力を高めたりすることも入ります。

「コンプレックス産業」と言われる通り、それらの方法の大半が何かのビジネスにつながるではないですか。

スピリチュアルや心理学にしても「恋愛教」や「パートナーシップ教」を布教することによって、「孤独や独身だとイケてないのかも……」と不足感や劣等感を感じさせることで、カウンセリングやセミナーやコンテンツ販売につなげることができます。

(批判的に意見している私も、結局はビジネスをしているのです)

政治の側面から言えば、婚姻率と出生率は相関関係があるので、恋愛を自由にしてもらった方が国家としては労働力(生産年齢人口)を増やし、それに伴い税収を大きくすることができます(実際は少子化を促進させる政策ばかり行われていますが)。

経済や政治の観点だけから見ればドライですが、一方で「性」という私たち人間の本能に根ざしているので、簡単に割り切ることができないのが厄介なところ。

いずれにしても、恋愛やパートナーシップを「幸福の大きな条件」「至上の価値」だと捉え、それに一喜一憂するのはつまらない話ではないでしょうか。

真にスピリチュアルを学ぶ人なら、パートナーがいる・いないに関わらず、人生において「孤独」を最も大事にしなければなりません。

内なる孤独を豊かにできない人は、いくら外側は恵まれているように見えても、「魂」としては不幸なのです。

いくら恋愛やパートナーシップを充実しているように演出できても、本当は幸福につながっていないケースはザラにあります。

私は「カップルの波動」や「夫婦の波動」(二人の調和レベル)も観てしまう人間なので、中身のない関係性かどうかはすぐわかってしまいます。

その程度の関係性であれば、むしろ一人の時間を充実させた方がよほど良いのではないでしょうか。

相談事例:「40歳を過ぎても独身のワタシはダメなのでは?」

以前、40代半ばの女性の方が、『恋愛心理リーディング』にお越しになりました。

ご相談は「気になる人がいるので、波動(オーラ)を見てほしい」というものでした。

私にとって「気になる人」の波動を観て、「性格」や「気質」、そして「相手の気持ち」を観ることは特に難しいことではありません。

それで一通りお答えした後、相談者さんからポツリとおっしゃいました。

「林さん・・・そもそもワタシ、お嫁に行くべきなんでしょうか・・・?」

このとき「お嫁に行く」という表現をとても久々に聞いた気がしました(今はほぼ使いませんので)。

ここで「行くべきなのか?」という言い方をされているので、有料でご相談いただくほど強い思いはあるけど、一方で社会の規範や風潮、簡単に言えば「空気」の影響もあるのかなと察しました。

そこからよく話をお聞きしてみると、

周りの友人がどんどん結婚し、出産をし、家庭を築き、それにつれて自分と距離感が離れていくように感じている。

 

自分はまだ実家で両親とともに暮らしていて、派遣社員として働いている。
 

特に生活に困っていることはないけれど、「このままでいいんだろうか?」「ワタシ、ちゃんと生きていない気がする」という思いがときどき脳裏をかすめる。

 

かといって、これから積極的に恋愛をしようという思いまではない。

 

近くに少し気になる人はいるものの、絶対にお付き合いしたいかと言われれば、そこまでの情熱はない。

 

そんなある日、スピリチュアルに出会い、そこで読んだ本の中に「パートナーシップは幸せの鍵です」みたいな言葉を見つけ、あぁ、やっぱりパートナーシップを築いていないとダメなのかもしれない・・・

ということをおっしゃっていました。

ここにはすでに述べた「恋愛教」「パートナーシップ教」の布教活動による悪影響があります。

「幸せのチケット」を取り損ねた感じがしているのかもしれません。

ただ、この方はアタマでは何とかしなきゃと思っているけど、本心においては「別に出会いがないならないで、それは仕方ない」という思いもあるようです。

それが「ワタシはお嫁に行く "べき" なんでしょうか?」という表現になっている。

別に無理して出会いを求めなくていいではないですか。

大きな不幸は、「恋愛教」や「パートナーシップ教」に惑わされ、余計な劣等感や疎外感を感じてしまうことです。

国の客観的なデータとして、40代女性全体のうち4~5人に一人は未婚とのこと。

なので、上のケースと似たような状況の女性は決して少なくないですね。

さて、ここまま独身のままでいたいのか。

それとも、パートナーを求めて行動を起こしていくか。

大切な人生の岐路です。

過去の相談者さんの中には、恋愛やパートナーシップの代わるものとして「推し活」に熱中したり、ペットを飼っている方もいます。

アイドルやペットとのつながりも、パートナーシップや家族のカタチではないでしょうか。

恋愛やパートナーシップは人生の選択科目に過ぎない

恋愛やパートナーシップは「人生の必須科目」ではなく、選択科目です。

もし恋愛やパートナーシップを経由しないとスピリチュアル的に「悟れない」としたら、一生結婚しないお坊さんや牧師やシスターなどの聖職者はいったいどうなるのでしょうか?

マザーテレサは修道女として一生独身でした(厳密に言えばイエス・キリストとの霊的結婚を誓っている)。

では彼女が悟っていないかと言えば、きっとそんなことはないですよね。

パートナーシップは築いていなくとも、素晴らしい波動(オーラ)の人はたくさんいるし、その逆の残念な人もいます。

どうして多くの人は、上っ面のカタチだけにこだわるのでしょうか。

社会が示す一定の枠組みに自分を条件付けなければ、不安なのでしょうか。

それでは「真の自由」はありませんし、おそらく魅力的でもないでしょう。

一人であろうとパートナーがいようと、大切なのは自分に与えられたであろう宇宙的使命を生きることだけ。

その使命・天命の遂行に対しパートナーシップが必要であれば縁は与えられるだろうし、まだ必要でなかったり準備が整っていなければタイミングはまだ来ない・・・それだけではないでしょうか。

こうは言っても、中には「『孤独が大事だ』っていうのはわかるけど、ずっと一人だとさびしい」という気持ちが拭い切れない人もいるでしょう。

深く考えた上で「深くつながれる誰か」が必要だと思うなら出会いを求めてもいいし、現代ではマッチングアプリの類を利用してもいいでしょう。

ただしクールでドライな婚活市場においては、年を取るほど活動はハードになるのが現実。

その一方、年に関係なく、偶然の出会いによってさほど苦労なくプロセスが進む人もいます。

別のブログで言いましたが、出会いは自分の意志で完全にコントロールすることはできません。

天の配剤として与えられるのが「真の出会い」なので、できることはただ、その機会に備えることだけ。

それを真のスピリチュアル的に言えば、自分の使命・天命が何なのかを深く考え、それを遂行すること。

その途上で出会いが必要なら与えられるだろうし、まだ必要でないなら与えられないでしょう。

しかし、使命・天命を本当に遂行している人は、出会いがないからといって簡単に失望などしない。

なぜなら、その活動の中で「生命の深い充足感」が得られるからです。

自分のやるべきことをやっている人に、さびしさを感じるヒマなどありません(ふとした瞬間にさびしさが脳裏によぎることはあるでしょうが、それはどんな立場の人でも同じです)。

そのような「生命の深い充足感」から発現される【清らかな波動】が、良き出会いを生んでいくのではないでしょうか。

当たり前の話ですが、「良い人」と出会いたいなら、自分が「良い人」とならなければなりません。

単に「さびしいだけ」で出会いを求めるなら、出会う相手も「さびしいだけ」でしょう。

使命・天命を遂行する途上での出会いなら、相手もそれ相応に深い意識を持っているでしょう。

それが「波動の法則」なのです。

あなたは、恋愛やパートナーシップに何を望むでしょうか。

スピ界隈にはびこる「恋愛教」や「パートナーシップ教」に惑わされず、相手がいようがいまいが「人間は一人で生まれ、一人で死んでゆく」という真実を忘れず、その上で「深いつながり」を得たいなら、今から「深い生き方」を心がけていきましょう。

一人でも「生」を深く味わえる人は、二人でも味わえます。

一人でも「生」を深く味わえない人は、二人になろうが同じです。

すべて、自分次第です。

追伸

スピ系や心理系で「パートナーシップのあり方」をネタにビジネスをしている人の中には、自分自身のパートナーシップがお寒い人がいます。

たとえ表向きは「パートナーシップの専門家」を演じていても、波動を観るとウソであることがわかってしまうことも、決して少なくない。

いちいち指摘はしませんが、「この人、大丈夫かな?自己矛盾に苦しまないのかな?ビジネスのために割り切ってるのかな?」と密かに思っています。

個人的には、そんな「言行不一致」な人から教わりたいとは思いませんね。

改めて、このブログの要点
  • スピ系や心理系が「恋愛」や「パートナーシップ」を焚きつけるのは、それがビジネスになるからという側面を知っておきましょう。
  • 「恋愛至上主義」とは距離を置きましょう。相手がいる・いないに関わらず、人は本質的に孤独であり、一人で生まれ、一人で死んでいく存在なのです。
  • さびしさから相手を求めれば「さびしい人」と出会うでしょう。一方、使命・天命の途上で縁あって出会う人は同じ意識の水準を持つ人です。すべて「波動の法則」なのです。