こんにちは。
波動カウンセラーの林 昭裕です。
目次
なぜ離れていてもオーラが観えてしまうのか?
今回はスピリチュアル業界でよく使われるキーワード
「ワンネス」
について、このサイトのコンセプト通り「地に足をつける」「現実的に活かす」考え方について述べてみます。
あなたがある程度スピリチュアル好きであれば「ワンネス」という言葉はご存知でしょうし、またこのキーワードを用いたスピ系のセミナーや集まりなどは本当にたくさんありますよね。
私も3日後の3月21日に「オーラとカルマについてのセミナー」を行いますけど、いつかワンネスも扱ってみようかなと思っています。
ただ、大切なことは「単なる知識」ではなく、いかに実践ができているかということ、またそれによっていかほどの「生きた智恵」として体得できているかどうかです。
そうでないと、いくらスピリチュアルをお勉強したところで、その人の波動(オーラ)というのはちっとも輝かないんですよ。
例えば過去に以下のラジオ動画で言ったことがありますが、いくら瞑想をしていても心構えを間違えれば「単なるポーズ」に終わるだけなんです。
第77回:瞑想に励んでもオーラがイケてない人が見落としている、たった一つの心がけ。スピリチュアルお花畑や自己満足に陥っていないか、私たちは本当に注意する必要がある。その意味で、スピリチュアルにありがちな「ふわっとした理解」で終わらせないために、実践に落とし込むことが大事です。
前置きはこれぐらいにして、まず過去の発信でも述べていますが、改めて「ワンネス」とは何かを説明しておきましょう。
これは文字通りシンプルに解釈すれば、
「すべてはひとつである」
という感覚のことですね。
言い換えれば、
「境界がない」
ということでもあります。
スピリチュアル的には
「すべては波動である」
と言えますし、物理学の一つである量子論的には
「すべては素粒子である」
と言えるんでしょうね。
私は人の波動(オーラ)を観ることが仕事の根幹です。
不思議に感じるかもしれませんが、たとえあなたが私の目の前におられなくても、私はあなたの「名前だけ」を聞けば、あなたの波動を感じることができます。
このブログを作成している昨日、経営者さんが多く集まる場に出かけました。
そこで私の存在を知ったある経営者の方が興味を持ってくださって、「私のオーラ、どうですか?」と聞かれました。
そのとき、これも初めて見たら奇異に感じるんでしょうけど、私はその人の肉体としての姿は見ず、目を閉じて波動を観ていたんです。
そうしたら、やっぱり「肉体を見ずにオーラを観る」という行為が不思議らしく、「それ、どうやってやってるんですか?」って聞かれたんですけどね。
ま、私も細かい原理はよくわかりません(笑)
ただ、一つ言えるのは、今回のテーマであるワンネスなんです。
なぜ遠く離れた人でも、そこにいない人でも波動(オーラ)がわかるかというと、実は私たちはみんな「つながっている」からなんですね。
言い換えれば、実は「私たちは距離や時間を超えて存在している」からなんです。
・・・ちょっと難しいかもしれませんが、なんとなく「ふーん」ぐらいの理解でいいですよ。
物質レベルだけを見れば、例えば私は千葉県の松戸市という場所に在住しています。
これはれっきとした事実です。
しかし、実はエネルギーのレベル、スピリチュアルな次元としては「どこにでも存在している」んですね。
「私はここにもいるし、あそこにもいるし、どこにでもいる」
というわけです。
さらに言えば、たとえすでにこの世にいない過去の人(故人)でも、波動としては観えるんですよ。
なので、
「すべての存在は、過去でも未来でもなく、ただこの現在に存在している」
と言えちゃうんです。
ま、物質的な尺度しか持っていなければ、ホンマにワケわからんことです(笑)
ただ、私自身「名前だけで波動がわかるのはなんでだろう?」と考えたとき、「どうやらエネルギーの世界というのは、物質的な距離や時間を超えちゃっているらしい・・・」というのは、私としては単なる知識ではなく、体験的な真実なんです。
すべてのニュースは「自分」が起こしている
では、ここまではまだ知識の段階なので、ここから実践的な段階に入っていきましょう。
もしあなたが感性として「本当の世界はワンネスなんだ。みんな一つにつながっているんだ」ということを信じている、あるいは信じたいのであれば、これから述べることを意識されることが実践となります。
その根本的なものは、
「自分の現実に起こってくる現象は、すべて自分の内側から生まれている」
ということでしょう。
ワンネスというのは、違う表現をすれば、
「すべては自分である」
ということ。
すべてがひとつにつながっているのであれば、世界はひとつであり、そして世界とは「私」のことになりますよね。
なので、
「私に無関係なことが起こる、なんてことは絶対ない」
ということ。
まずはこのことに対し、少なくとも「アタマで理解する」ことが問われてきます。
例えば、テレビの報道やネットニュースでは、日々いろんな情報が流れています。
いまヤフーニュースをざっくり見てみますと、
・「JR東海、8年ぶりベアゼロ回答」
・「始球式の女王、稲村亜美の苦悩」
・「両力士フラフラ激闘、館内拍手」
・「ミャンマー、民間紙が全て休刊」
・「北に拉致問題提起する、米長官」
・「ネトフリ、東宝スタジオと提携」
・「宮城県、独自の緊急宣言発表」
など、さまざまな情報が流れています。
これらのうち、あなたが興味があるのはどれぐらいあるでしょうか?
例えば相撲好きなら「両力士フラフラ激闘、館内拍手」に興味があるだろうし、映画に興味があるなら「ネトフリ、東宝スタジオと提携」に興味があるはずです(ちなみに、私は最近ネットフリックスに入会しました)。
でも、別に興味のないニュースは「あ、これは自分に関係ねーわ」ってスルーするはず。
「自分とは関係がない」というのは、「自分の外にあるもの」という認識が背景にあるはずです。
このように、日々たくさんの情報に接しながら、「内(興味あり)」と「外(興味なし)」を意識的にも無意識的にも判断しているわけですよね。
これがワンネス的な見方をするとどうなるかと言うと、物質レベルでは荒唐無稽でしょうけど
「これらのニュースは、すべて自分の内側から起こっている」
というように観るわけです。
こう言うと、「オマエは現実を大事にしろって言ってるくせに、現実離れしたことを言ってやがる」って思われるかもしれません。
確かに現象だけを見れば、自分は稲村亜美さんではないし、ミャンマー人でもないから、それらは「自分の外側」にあるのは当たり前のことですよ。
でも、あくまでスピリチュアル的に見れば、やっぱり自分の内側から起こっているんです。
さっき述べた通り、すべてがひとつにつながっているのであれば、世界はひとつであり、そして世界とは「私」のことなんですからね。
(世界を「宇宙」と呼んでもいいですよ)
わかるようで、わからないですか?
もしそうだとしたら、「ワンネス」という文字は知っているけれど、本当はそんなにわかっていないのかも。
・・・エラそうに聞こえたかもしれませんが、私だって「なんとなく」でしかわかっていません。
もしこの物質世界に生まれた目的があるとしたら、すべての物質や現象がバラバラに見えて、とうていワンネスなど感じられない中、魂レベルでワンネスを感じていくこと。
それをおそらく「悟り」って言うんでしょう。
「悟り」というのは言葉遊び的に「差取り」とも言われまして、つまり私と他人や、他の物事をバラバラに隔てているものの「差」を「取る」ことだ、という説明もあるぐらいです。
じゃ何のために私たちはワンネスを求めるのだろうと言えば、そうやって差を取って悟りを得ることができたとき、私たちは無条件に理屈抜きに、大いなる歓喜を感じるようです。
どうやら私たちの根源的な欲求は、そうした大いなる歓喜を感じたいようですね。
そんなワンネスの境地からすれば、私は稲村亜美さんでもあり、ミャンマー国民でもあるわけです・・・現象的にはたまたま肉体が違うだけで。
あ、スピリチュアルに関心のない人にコレを言うと気持ち悪がられると思うので、こういうことを話す相手は慎重に選びましょうね(笑)
ワンネス実践のカギは、他者への共感や関心
もし、「自分の現実に起こってくる現象は、すべて自分の内側から生まれている」というワンネスの感覚が深まってくると、どうなっていくのでしょうか?
ワンネスに至るまでにいろんな「意識の変容」ってやつが起こってくるんでしょうけど、今回のブログで一つだけ言うなら
「世界に対する "責任" が深まってくる」
ということですね。
どういうことかというと、さっきのニュースの一部のように、これまで自分とは関係ない(=自分の外にある)と思っていた現象が、完全に他人事とは思えなくなってくるんです。
もちろん生身の人間である限りすべての物事に興味関心を持てるわけがないので、例えば「ミャンマーの歴史について徹底的に調べてみよう」という行動には、よほど関心がない限りつながらないでしょう。
ただ、現在のミャンマーは政治的に揺れているようで、ニュースを観る限り、国民も不安を抱いていますし、直近では軍隊とデモとの衝突で死者も出ているようです。
その現象に、日本に住んでいる私たち一般人は、直接的に "責任" を持てるわけではないですね。
なので、「世界に対する "責任" を持つ」と言ったって、それは「物質レベル」ではないんです。
わかりやすく言えば、
「もしかしたら、私はミャンマー国民だったかもしれない」
ということを想像すること。
要するに、「すべての物事において、もしかしたら自分がその当事者だったかもしれない」という意識を深めていくこと。
「私はたまたま日本人の肉体として生きているだけであって、あちらは "自分の代わりに" ミャンマーで生きているんだ」と。
もちろん1日は24時間なので、すべてにおいてその意識を抱くのは無理ですが、少なくとも見聞きした物事においては、そういう物の見方をしてみる、ということです。
私たちが本来はワンネスであり、すべてがつながっていることを確信しているなら、どうして海の向こうの出来事を「全く自分には関係ないことだ」って思えるでしょうか?
このような具体的な心がけが自然とできるようになればなるほど、その人はワンネスに近い、つまり自分一人だけの興味関心の枠組みを超えている、ということになるんですね。
逆に言えば、いくら口では「ワンネス」とか「みんなつながっている」とか言っても、周囲の物事(=世界)に対する "責任" が薄いなら、そういう人の波動(オーラ)は大きくならないんです。
人間のオーラの大きさというのは、その人の意識の世界の強さと広さと深さによって決まってくるのが原則。
なので、たとえ生身の肉体としては世界のあらゆる物事に関心があるわけではないけれど、例えば仕事や子育て等を通じて地域や国家や世界のことに深い見識を持っているとすれば、その人はよりワンネスに近いと言えるでしょう。
また、スピ系や宗教的世界で何かを極めた方というのは、特に意識して情報収集しているわけではなくとも、世界の潮流や悲鳴を感性で捉えてしまうところがあるようです。
その捉え方は人それぞれ個性があるけれど、ワンネス的な感覚とは他者への関心や共感を抜きにしては考えられない、ということ。
だって、他者というのは、実は「自分そのもの」であり、「本来はひとつ」なんだから。
たまたま肉体的にはバラバラに見えているだけのことなんだから。
「ワンネス」と聞くだけではあまりピンとこなくても、もう少し具体的に「他者への関心や共感の深まり」とブレイクダウンすれば、そこから具体的な実践が始まっていくんですね。
なので、ただただ「ワンネスを知りたい知りたい知りたい」とだけ求めていたんじゃ、それは自分中心のエゴになってしまうわけで、そうすると皮肉にもワンネスから離れていくわけです。
ご参考になれば幸いです。
※ちなみに以下のブログです
エンパスやHSP、敏感な人のオーラの特徴とは? 共感力が高すぎて生きづらいのは波動的な理由があり、まずはそれを理解することから始めよう。そんなワンネスを考える文章は、メルマガでも出しています。
メルマガは次回で、119回目です。
1:「波動の良い本」のご紹介(約12,000字)
2:「波動を高めるモノ・コト」のご紹介(約17,000字)
3:「波動を高める食事」のご紹介(約21,000字)
4:「グループヒーリング」を受けられる権利(週1回)
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