
※ウェブサイト『マジスピ』には音声の文字起こし(読みやすく加筆修正済)があります。

■今回は以下のブログを違う角度から語り直しました(https://prism-life.com/make_a_wish_at_a_shrine/)
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今回のタイトルは、神社での祈願です。
お願い事を通じて夢や目標を本当に叶えるためにはどうすればいいか、というテーマです。
年末年始に神社に行かれる方は多いでしょう。
個人的には人が多い年始の初詣ではなく、年末の末詣(まつもうで)を好んでいます。
何年か前の年始に伊勢神宮に参拝したことがあるんですが、人が多すぎて全く「おめでたい」気分になれませんでした(汗)
伊勢神宮でイライラしてるんじゃ本末転倒もはなはだしい。
それはさておき、神社でどういう風に願い事をすればいいのか、という話です。
よく言われるのは「神社というのは感謝をする場所」だ、という考え方。
私は大学時代、いろいろな経営者の方とお付き合いがあったのですが、その中の有力者のお一人は神社が大好きでした。
参拝をご一緒する機会が何度かあったのですが、その方は「神社は感謝をするだけで、お願いをする場所ではない」とおっしゃっていました。
とても清潔な考え方ですね。
でも、一方「願い事をしたい」と思う人もいるでしょう。
私としては、感謝は当然として、願い事もしたければすればいいんじゃないかと思っています。
ただし、パワースポットとも言われる神社では、その高い波動に見合っただけのお願い事の中身でなければ、あまり意味はありません。
あなたに多少の感性がおありであれば、神社の境内を覆っている「崇高さ」は感じ取れるはず。
そうであれば、神社の神様が応援してくださるような願い事でなければなりません。
家内安全、安産祈願、合格祈願、開運招福、金運向上・・・いろんな祈願の種類があります。
それがエゴイズム・我欲に基づいた内容であるほど、波動は低くなって神様に感応しにくくなることは覚えておいた方がいいですよ。
安産も合格も開運も、すべて神様の本願であるところの「地上世界の弥栄(いやさか)」のため。
多くの人は悪意はなくとも、うっかりエゴイズムに基づいた願い事をしてしまう。
「自分が幸せになって何が悪い?」という気分に反論はしません。
ただしそれが「神社で願い事をする」という前提なら、それでは届きにくいことを理解しましょう。
せっかく神社にまで出向くわけですから、ウソでもいいから「エゴから離れる」よう心がけることが大事です。
今回のネタ元のブログではキング牧師(マーチン・ルーサー・キング・ジュニア)を取り上げています。
有名な「I have a dream」のスピーチの内容は歴史に残るぐらいですから、もちろんキング牧師はエゴイズムではなく、聴衆の魂を揺り動かした「崇高な夢」をお持ちでした。
私たちは、せめてカタチだけでもキング牧師にならって願い事をした方がいい。
人間の次元でなく「神様の次元」に届けるようなつもりでやるんです。
私が以前から推奨している『世界平和の祈り』なんていいですよ。
お願い事は「大は小を兼ねる」のがポイントです。
「棒ほど願わなければ、針ほども叶わない」という言葉はご存知でしょうか。
「針の長さほどの願い」とは、個人レベルの小さなもの。
その小さな願いが実際に叶えられる可能性は低いんです。
そうじゃなくて、たとえすべては叶わないとしても、棒ほどの大きなお願い事を持つことが大事です。
そうすれば「針ほどは叶うのだ」と先人は言っています。
棒ほどの大きな願いとは「志」のことです。
社会の幸福、世界の平和に本気で貢献しようという熱情のことです。
こういうことを言うと、「いやいや、自分はそんな大それたことを願う器じゃないですよ」と反応する人がいます。
だから「家内安全」や「無病息災」など、個人レベルの "謙虚なお願い事" をするのだと思います。
ただ、すでに述べた通り、たとえそこに悪意はなくとも、小さなお願い事はエゴイズムなんです。
だから「神様の波動」とは波長が合いません。
今回は神社参拝がテーマなので、せっかく参拝するなら「神様のプロトコル」(=お約束、ルール、作法など)に則ってやりましょうね、ということが言いたいわけです。
何もイケイケの自己啓発みたいに大きな野心を持て、なんて言いたいわけじゃありません。
「大きな野心」もまたエゴイズムですから。
ただし、小さなお願い事をするぐらいなら、まだ「大きな野心」の方がずっとマシでしょう。
たとえ野望でもその実現に向けて努力するのは、魂の成長としてのプロセスと言えるからです。
今回のことを踏まえれば、神社仏閣での祈願はもう少し真剣なものになるのではないでしょうか。
ご参考になれば幸いです。
今回の文字起こしはダイジェスト版です。
YouTube(Podcast)では他にもいろいろ語っていますので、よければあわせてご視聴いただければ幸いです。
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