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第326回:なぜ「いい人」ほど運勢が悪くなるのか? ―自己犠牲を超える道―

※ウェブサイト『マジスピ』には音声の文字起こし(読みやすく加筆修正済)があります。

■YouTubeではメモ、資料、スライドなどを映していますが、音声プラットフォームの「ながら聞き」でも十分ご理解いただけると思います。

※今回使った資料は以下からダウンロードできます
https://x.gd/AACrc

ウェブサイトでは最下部に音声プレーヤーがあります。倍速再生も可能ですし、YouTubeより通信量も少ないし、スマホを画面オフにしても聴けるので便利です。

■ご感想・ご質問は『アンケートフォーム』からどうぞ
https://x.gd/Mp7Lg

今回の要点と要約文

今回の要点

  • 「いい人」ほど運勢が良くない背景には「自己犠牲的なギバー」として振る舞い、ちゃんと受け取れないことにある。実にもったいない!
  • 「他者志向型ギバー」は「自分も大切にしながら、他者に与える」人であり、強欲なテイカーに対してはマッチャーとして「境界線」を引くことができる。成熟した大人ですね!
  • 自己犠牲的な生き方の背景には、「我慢による成功体験」があることが多い。ワンパターンだとしんどいので、これを見直していくことが大切。
  • 最高の他者志向型ギバーとは古今東西の偉人のごとく「命を世界に捧げる」こと。それには生命の本源的な豊かさに目覚めるスピリチュアルな修練が必要。

※今回紹介する本はこちら

ダライ ラマ十四世(著) 石濱 裕美子(翻訳),光文社 2000/6/8
今回の要約文

なぜ「いい人」ほど運勢が悪くなってしまうのか?

それは「自己犠牲」的に他者に与えることばかりに意識が向き、「自分を満たす」という視点が欠けているからです。

本来、霊的に最高の生き方は「人のために生きる」ことです。

高級霊シルバーバーチも「宗教の本質は service(奉仕)である」と述べています。

キレイゴトとは思いつつも、人間として大切なことですよね。

しかし「人のため」と言いながら、実際は自分の野心を満たすだけのヤツを見ると、マジでガッカリします。

その多くはオーラが汚れているのでわかりやすいんですが、中には表面的なオーラはキレイなのもいるので厄介です。

世界的なベストセラー『GIVE & TAKE「与える人」こそ成功する時代』では、人間を

・ギバー(与える人)

・テイカー(奪う人)

・マッチャー(損得のバランスを取る人)

の3つに分類します。

中でも「他者志向型ギバー」はもっとも成功し、「自己犠牲型ギバー」はもっとも失敗すると言います。

自己犠牲型ギバーは、スピ系、癒し系、カウンセラー系に少なくないですね。

だからこそ「相手の気持ちを汲み取ることができる」わけですが、仕事で強欲なテイカーと出会うとしんどい。

自己犠牲型ギバーは強欲なテイカーとある意味では相性が良く、搾取されやすいですからね。

知り合いのセラピストに、テイカーによってメンタルをボロボロにされたのがいます。

一方「他者志向型ギバー」はテイカーを前にすると「マッチャー」に変身してしっかり境界線を引き、適切な距離を保つことができます。

これは一般的な交渉やディールということですね。

自己犠牲型ギバーがこれがなかなかできないから、意識してトレーニングしなくっちゃ。

また「ギバーを装うテイカー(詐欺師タイプ)」にも注意が必要です。

さっきも言ったけど、「人のため」とか言いながら自己利益の拡大が中心だから、こういうヤツは嫌われる。

私は最近、こういう人に会ってしまったんですが、残念ながらもう縁はないでしょう。

結局「オマエが損する」っていうのがわからないほどバカなのか?

でも、普段はいいヤツでも、経済的・精神的に余裕がなくなるとテイカー的な行動をとることもある。

人の悲しい性じゃのう。

だからこそ、まず自分自身を満たすこと、自分自身にもしっかり与えることが大切ってこと。

多くの場合、自己犠牲的な生き方の背景には、幼少期の「我慢によってトラブルを丸く収めた」成功体験があるって言われますね。

それが大人になっても繰り返されるパターンとして固定化される。

欲しがりません、勝つまでは。(何に?)

このパターンを見直し、アホなテイカーには「NO」と言える勇気を持つことが必要です。

今回ビジネス書を取り上げたのは、「究極の他者志向型ギバー」というのは「自分の命を世界に捧げる人間」であり、これはめっちゃスピリチュアルだからです。

これは人ではなく「我と神との関係」です。

真のスピリチュアルの実践とは、自己犠牲のワナを超えて自分を本当に尊重し、隣人および社会に価値を与え続けること。

本当にそれができたらギバーとして最高なので、もちろん人望は得られるだろうし、経済的にも豊かになれるでしょうよ。

でも私たちはエゴがあるので、油断するとテイカーになってしまう。

本当にガッカリするのは、スピリチュアルをよく学んでいる割に、実際にやっている行動はテイカーの人間です。

こういう人は「お勉強」はしているけど、本当にわかってはいないってことです。

そして、最も厄介なのは、それに自分で気づけないということ。

自分は隣人やクライアントや社会に、本当に価値をギブできているのか、いつも自問自答していかないとダメですね。

要点・要約文を読んで、あとは動画でご覧になりたければ以下からどうぞ。


以下からは文字起こし全文です(さらに読みやすく加筆修正済)

稼げない心理法則:豊かさを受け取れない人間は、他人にも与えることができない

前回までしばらく続けた『波動の法則』シリーズは一区切りにして、今回はやや現実寄りの話をしたいと思います。

「真面目でいい人が馬鹿を見ないための心構え」

というタイトルです。

「真面目でいい人」なんだけども、なぜか幸せじゃないというか、運命がパッとしない人がいます。

どうやら「いい人」だけでは、なかなか難しい部分があるらしい。

そこで、今回「ただのいい人」で終わらないための心得を話します。

以前、メルマガでもこのラジオ(YouTube・Podcast)でも「シルバーバーチ」という高級霊の言葉について取り上げたことがあります。

その中の「人間の最高の生き方」というのは、すごくシンプルだけど「人のために生きる」ということ。

聞いたら当たり前かもしれませんけども、これが「真のスピリチュアル」としては最高の生き方なんです。

シルバーバーチの言葉はもともと英語ですので、原文だと “service(サービス)” という単語が使われています。

ただ「人のため」という言葉には、どこか「偽善の匂い」や「欺瞞の臭み」がある感じもします。

例えば、世の中には「人のため」と口では言いながら、実はそれは自分のエゴを満たすための単なるポーズである場合は少なくないです。

だけど、それは表面からはわかりにくいことがあります。

スピリチュアルの学びもまた、一見すると「いいこと」をしているような感じがするんですが、注意しないとエゴのワナにハマってしまう。

今回はこういうことを考えるために、あるビジネス書を取り上げます。

『GIVE & TAKE(ギブアンドテイク)〜与える人こそ成功する時代〜』という本です。

アダム グラント (著), 楠木 建 (監訳) 三笠書房 2014/1/10

これは全世界的なベストセラー本で、2014年の発売です。

個人的にはベストセラーはほとんど読まないんですが、これは縁あって読んでみたら割と面白かったので、今回ご紹介する次第です。

ビジネス書ですからスピリチュアルとはちょっと違うんですけども、スピリチュアルの領域にも応用できる部分があります。

先ほど言ったシルバーバーチの “service”(奉仕する人)というのは、この本では「ギバー(Giver)」と言われています。

つまりギブする人、「与える人」ですね。

そしてその逆の言葉が「テイカー(Taker)」、つまりテイクする人、「奪う人」です。

そしてその中間的な言葉として、「マッチャー(Matcher)」 という言葉があります。

あまり聞き慣れないかもしれませんが、これは “match(マッチ)” ですね。

「合わせる」という意味で、婚活などの「マッチング」と言えばわかると思います。

マッチャーとは、損得のバランスを取る人、ギブ(与えること)とテイク(受け取ること)をしっかり天秤にかける人のことです。

合理的なタイプですね。

これは単なる性格分類ではなく、誰の中にもギバー的な部分、テイカー的な部分、マッチャー的な部分があると思います。

その割合は人によって違うし、人間関係によっても変わってきます。

例えば家族の中ではギバーとして振る舞う「面倒見のいいパパ」でも、ビジネスの現場ではテイカー的な「敏腕マネジャー」になる場合もありますよね。

いずれにしても、周りから尊敬される人というのは昔から「貢献する人」「尽くす人」「人に喜ばれる人」と決まっていて、テイクよりギブの量が多い人なのは誰でもわかりますね。

私たち凡人も良い人生を歩もうと思ったら、ギバー的な要素を増やしていくことです。

ただ、こんなシンプルなことでも、いざ実践するとすれがいろいろ注意しないといけないことがあります。

この本の面白いところは、「ギバー」「テイカー」「マッチャー」の3タイプの中で最も成功する人はギバーであるが、最も失敗する人もギバーであると述べられている点です。

細かく分類すると、最も成功する人は「他者志向型ギバー」であり、最も失敗する人は「自己犠牲型ギバー」であるとのこと。

今回このビジネス書を取り上げようと思ったのは、スピ系や心理学系、セラピーなどに共鳴・共感する人の中に、「自己犠牲型ギバー」が少なくないということを言いたかったからです。

自己犠牲型ギバーは「真面目でいい人」ではあるけど、損する生き方をしてしまうという場合があります。

この「自己犠牲」は表向きは「いいこと」のように思われがちなので、くれぐれも注意しなきゃならんわけです。

一方テイカーはわかりやすくて、例えば人を騙したり、誰かを踏み台にしたりすれば、一時的に成長したり儲かったりするかもしれませんが、長期的に見て人の信頼を得られるわけがないので、いずれ凋落していきます。

あとマッチャー、損得のバランスを考える人は、大きく失敗することはないけど、さりとて大きく成功することもないのが本書の研究結果です。

これもなんとなくわかる気がします。

何をもって「成功」とするかは人それぞれですが、長期的に大きな成功や繁栄を得ている人を観察すると、何らかの圧倒的な価値を「ギブ」しているのは誰でもわかるでしょう。

現在の大企業の創業者の伝記を読むと、彼らは間違いなく圧倒的な「他者志向型ギバー」であることがすぐわかります。

しかも、特にビジネスであれば損益ばかり出していたら事業が続かないので、現実的にはちゃんと利益を確保つつ、その利益をさらに社会貢献に投資していったわけです。

これが自己犠牲型ギバーだと自分の収益は後回しになるどころか「受け取らない」ことになりがちなので、事業だったら絶対続きません。

「自己犠牲型ギバー」は、自分のキャパを超えて与えてしまうんですね。

このタイプがスピ系、心理系、セラピー系に多いわけですよ。

カウンセラーやセラピストなどの「癒し系の仕事」を事業として続けられる人が少ないのは、自己犠牲的に「与えたい」気持ちが強いというのがその一因です。

私は何とかスピリチュアルの仕事を10年以上続けていますが、関西出身だからでしょうが「稼がれへんかったら意味あらへんがな」という気持ちは最初から持っていたと思います。

また、特に関西だと「人に迷惑をかけないで、ちゃんとメシを食っていける」ということが、周りから認められる重要な指標になっているので、その文化は大きいかもしれません。

もちろん、開催出身でも「自己犠牲型ギバー」はいますけど。

こういう人は「お金のブロック≒罪悪感」が強く、なかなか受け取れないんですよ。

これは現実的には大きな問題です。

せっかくやりたい夢やビジョンがあっても、受け取るべきものはちゃんと受け取らなければ、結局ギブすることはできなくなるんですから。

これは仕事じゃなくプライベートでも「何か頼まれたら断れない」とか、恋愛でも「尽くしすぎてしまって相手の借金まで背負ってしまう」とか、なかなか困ったことになりがちです。

けれど、自己犠牲型の人にありがちなのは、それでも「相手が笑顔になってくれたらいい」とか「大切なのはお金じゃない」とか、こういう考えをしがちです。

「大事なのは心よ」みたいな。

こういうのは、私は個人的にキレイゴトだと思っています。

だって、自分が与えすぎることによってボロボロになっているのに、なんでそれが「美しい」んですか?

過去こういうタイプの方からカウンセリングをお受けしたことがあります。

そうすると、「大事なのはお金じゃない」とか言っておきながら、本当は不満を持っているんですよ。

「本当はもっと稼げたらいいな」とか、「こんだけやってるのに、こんだけしかもらえなかった」とか。

いやいや、それあんたが受け取ることを拒んでいるからだろって。

じゃあ「大事なのはお金じゃない」って、嘘ついてんじゃねーよって。

ここは「正直」にならないといけないんですよ。

「自分が満たされていないと、本当は与えることができない」という大切なことを再認識しなければダメです。

「他者志向型ギバー」というのは、しっかり与えられる人間になるために、ちゃんと自分の取り分を考えています。

(ここでの取り分は「金銭」だけでなく「やりがい」や「お客様の笑顔」だったり、質の高い食事や休息だったりもします)

でも、自分の取り分を最優先にすると「テイカー」になってしまって信用を失うから、その「塩梅」をちゃんと考えているということです。

「いい人」が不幸になる心理:自分を愛せないから、他人に尽くし過ぎてしまう

難しいのは、この「自己犠牲型ギバー」は強欲なテイカー(奪う人)と相性が非常に良いということ。

強欲なテイカーって、いわば「獲物」を探しているわけですよね。

自己犠牲型ギバーは、自分の取り分を考えずに与えすぎてしまう。

だから実はとても相性が良くて、悪い意味で「マッチング」してしまう。

こういうテイカーに捕まると、自己犠牲型ギバーの人はボロボロになってしまいます。

スピ系だと、声のデカい占い師(テイカー)と、気の弱い相談者(自己犠牲型ギバー)はある意味相性が良くて、相談者側が注意しないと主導権をテイクされて(奪われて)搾取されてしまいます。

一方「他者志向型ギバー」はこの場合、もしテイカーがやってきたら、なんと「マッチャー」として振る舞うのがこの本に書かれていました。

これは面白いですね。

マッチャーは「損得のバランスをしっかり計算する人」でしたね。

普段は他者志向型ギバーとして振る舞っていても、「ちょっとこいつおかしいな、奪いにきてるな」という人がいると、「適度な距離感」を保とうとする。

つまり「あなたがそうしてくれるんだったら、自分はこうしますよ」「あなたがそれを差し出さないなら、わ私もそれに見合ったものしか出しませんよ」という感じ。

つまり、「損得のボーダーライン」をちゃんと決めるということですね。

簡単に言えば「交渉」、ディール、取引ということです。

これ、何気に私もやっていると思います。

普段は本当に良いお客様ばかりお越しになるし(これホントよ!)、プライベートの人間関係もいい人ばかりなんですが、たまにテイカー気質の人と出会います。

ちょっと前もそういう出会いがあったんですが、私は「あ、コイツは自分の取り分しか考えてへんな」と思った瞬間、なるべく距離を置くようにしています。

割と最近でも、ある勉強会で知り合った人が、私が許可してないのに自分のビジネス情報を送りつけてきやがるようになったので、躊躇なくブロックしました。

自己犠牲型ギバーだと「なんか申し訳ない」とか「嫌われたくない」とか考えちゃって、なかなかNOを言い出せない。

そうなるとストレスがだんだん溜まってきたり、ビジネスの勧誘などに断れなくなったりする(結果的に搾取されることもある)。

私はこういうのが絶対イヤなので、「むしろこんなアホなテイカーには嫌われるぐらいでちょうどいい」と思って、遠慮なくブロックします。

よっしゃ、これでスッキリしたわ。

なぜこれができるかというと、他者志向型ギバーは、自分を本当の意味で大切にしているからです。

だから、本当にギバーになりたければ、スピ的に言えば「自分を愛さなければならない」んです。

自己犠牲型ギバーは「いい人」なようでいて、自分のことが本当は嫌いで、愛せていない。

だからこそ、その反動として他人だけを愛そうとする――そうすればいつか自分も愛せるかもしれないから。

これが自己犠牲型ギバーの心理だと思われます。

ま、そんなことは無理なんだが。

あと、注意しないといけないのは「表面的にはギバーとして振る舞うテイカー」――いわゆる詐欺師タイプですね。

こういった人には注意しないといけません。

私は人の波動(オーラ)を観る人間なので、こういった詐欺師タイプの人の波動はたいてい重たいとわかります。

自己犠牲型ギバーの人は詐欺師タイプに騙されがちですが、これも「弱いギバー」と「強いテイカー」の相性が良いからですね。

だから、「自分を愛せない、受け入れられない」ということは、不幸の根源だということがわかります。

これが「"いい人" なのに、なぜか運が悪い」と言われる理由なんです。

ヘタにスピリチュアルにかぶれて、「愛」とか「感謝」とか口にするようになると、自己犠牲型になってしまう人もいるので本当に気をつけないといけません。

こういう人は「スピっている」割に波動が重たいんですよ。

本当の意味で、自分の宿命や運命を受け入れ切れていないからです。

ということはアタマでは理解できても、「受け取れない自分」から「受け取る自分」になるには、人によってはなかなか時間がかかります。

カウンセリングでは、その奥に潜む「罪悪感」や「自己破壊的な衝動」とじっくり向き合いますけど、けっこう辛いプロセスになることが多い。

辛いんですけど、そこを何とか通過していかないと、「表面的ないい人」になってしまう。

残念なことに、表面的には「愛」や「優しさ」を口にしながら、実際やっているのは「自己犠牲型ギバー」だったり、その逆に利害から絡むとテイカーになってしまう人もいます。

これはどちらも、自分の内側に本当の余裕がない証拠なんです。

いつも言っているように現代のスピリチュアルは上っ面のフワフワなので、表面的にツルツルっとコーティングするだけで、中身は「エゴの腐臭」がしがちです。

本当に自分を愛するというのは、自分の内側の腐った部分としっかり向き合うことです。

ま、それは一人じゃなかなか難しいから、誰かお手伝いできる人がいるといいよね、ということで私もその仕事をさせていただいているわけです。

「すでにある豊かさ」を受け取るほど、もっと豊かになれる

自己犠牲型ギバーの人は優しい性格なんだけど、自己主張がなかなかできない。

だから「NO」と言える勇気が本当は必要なんだよって、さっき言いました。

けれど「NOと言えばいいんだよ」と言われて「そうか、わかりました!」とすぐにできたら、そんな苦労はしないわけですね。

だから、これは意識的に「マッチャー」として振る舞う練習をしないといけませんよ。

例えばコミュニケーションの心理学を学ぶとか、他にも「アサーション」と言われるような、相手も自分も尊重するコミュニケーションメソッドがありますので、そういうのを勉強してみるといいと思います。

割とテクニック的なものが多いですが、それでも知っているのと知らないのとではだいぶ変わるはずです。

なぜ自己犠牲型ギバーは「自己犠牲」に陥りやすいのか。

これは割と言われていることとしては、例えば子どもの頃に「自己犠牲的に振る舞うことで乗り切った過去」があるということ。

簡単に言えば「自分がガマンしさえすれば、物事が穏便に進んでいった」とか「自分が積極的に罪をかぶることで、もう誰からも責められなくなった」とかの "成功体験" があるわけです。

そういった成功体験が、大人になっても継続してパターン化していることはあるかもしれません。

そうなると、場合によっては非常に苦しくなることがある。

時間、体力、気力、お金、そして自己の尊厳まで・・・NOと言えないばかりに、いろんなものを奪われてしまうわけです。

だから、そのパターンを見直さなければなりません。

自己犠牲型であっても「ギバー」という気質があり、それは強欲なテイカーよりはよほど程度が高いわけですから、訓練すれば「他者志向型ギバー」にまで成長していける可能性を持っています。

その意味では「自分を変える」必要はなく、むしろ「育てていく」ということが求められます。

それには、ちょっと話が大きくなりますけども、やはり「志」とか「理想」とかを強く持つ工夫が必要でしょうね。

「自分は何のために生きるのか」「何に命を使うのか(=使命)」といった大きな思いを抱き続けるということがとても大事です。

だって、大きなギバー(他者志向型ギバー)として生きるには「大きく貢献したい」意欲が強くなければならないですから。

大きく貢献するためには、自分がちゃんと満たされていないとできませんよね?

なので、本当に大きな目的を持って、それに向かって一歩ずつ進めるようになれば、自然と他者志向型にシフトしていけるんですよ。

もちろん、そのプロセスにおいて忍耐は必要ですけど。

志や理想を貫いていくには、自分の内側に「圧倒的に強い動機」がないといけません。

だから、「なぜやるのか(=Why?)」と「何のために(What for?)」を説い続けなければならない。

その上で、圧倒的な価値をギブするための「修練」が必要です。

そういった修練を続けるプロセスにおいては挫折や敗北も味わうだろうけど、それも乗り越えていくと自然と自信が生まれたり、誇りも生んでいくわけです。

私も個人的にはこの仕事を10年やってきて、ようやく自信が少しだけついたような感じがします。

やっぱり時間はかかりますよ。

だって、「本当の意味で自分を大事にする」という人生の根本に関わる態度が、そんな簡単に修得できるわけがないでしょ。

でも、それができるようになるにつれ、輝かしい「他者志向型ギバー」の道に入れるようになります。

「安売り」や「安受け合い」は絶対にせず、自分をしっかり確立しながら、自分の資質を活かして他者に貢献できるようになる。

自分の仕事や役割を求めている人に、ちゃんとギブができる。

そして、お相手からはそれを「金銭」や「感謝」という価値でお返ししていただく。

相手からすればそれが「ギブ」ですよね。

これが「ギブ&テイク」と言われている当たり前の社会的関係です。

この意味において、「稼ぐ」ということは本当は尊いことなんですよ。

でも、ここで「罪悪感」や「自己犠牲感」があると、こういう「価値の交換」が途絶えてしまう。

だから、自己犠牲は本当は文字通り「罪悪的な自己執着」なんだということに気づくことが、「他者志向型ギバー」の一歩になるわけです。

ま、これが難しいんですけどね。

そして、その自己執着から脱却し、さらにスピリチュアルな進化を遂げていくと「他者志向型ギバーの最上位」として、「自分の命を世界に捧げる」ようになります。

これは究極ですよね。

私もできているとは言えないけど、そうしたいとは思っています。

これはいわば「神や天を相手とする」ということですね。

せっかくスピリチュアルを学び、シルバーバーチの言う通り「人の役に立つ」人間になりたいなら、

「自分を満たすことによって、より大きなものをギブできるようになる」ことに気づかねばなりません。

「世界に自分の命を捧げる」というのは、表面的に見れば "自己犠牲の極み" ですが、実は心の底から満たされている人間だけができる実践なんです。

そういう人が古今東西の歴史に残っているわけです。

こういう人はもはや「ギブ&テイク」の世界を超えて、

「ギブ&ギブン」(give & given)

の領域に入ります。

これは「与えるものが、与えられる」という世界です。

何かをテイクしようと思わなくとも、自然と恩恵を受ける(ギブン)世界です。

この場合、恩恵を与えるのは「宇宙」であり「神仏」です。

「大宇宙=神仏こそ、世界最高のギバーである」というのは、あらゆる宗教の根本にある世界観ですね。

ということは、「真のスピリチュアル」が目指すのはこの世界ですよ。

その世界に至るためには、いかに「自分がすでに多くのものを与えられている人間であるか」という気づきが必要なわけで、それに気づくプロセスこそ「道」というわけです。

私がこの仕事で10年間歩ませていただいて、少しだけ気づいたのはこういう境涯です。

こんな妙な仕事で長く歩んでこれたのは、決して自分の力だけではないんです。

いかに自分が支えていただいてきたのか、いかに自分が「大きなギブ」を受けてきたのかに気づくにつれ、自分もまたギブをしようという意欲が湧いてくる。

最近は具体的な実践として毎日YouTubeのショート動画をやるようになりましたが、これはギブへの意識が高まったということを意味しています。

そうすると、有り難いことに以前より見られる数が増えてきて、中には喜んでくださる方も出てくるので、そこで自然と仕事(ギブ&テイク)が生まれてくる。

私は満たされながらやっているので、自然と「他者志向型ギバー」になるんですよ(労力としてはラクではありませんが、決して自己犠牲ではない)。

で、その結果としてより豊かな人生を歩んでいけると、シルバーバーチの言う「最高の生き方」に近づいていけるわけです。

そう考えたら、人生はシンプルですよね。

これは前回までの『波動の法則』の復習ですけど、今回述べたことを「知識」ではなく「気づき」として体得できるようになると、人生は実に味わい深いことがわかっていきます。

その気づきが深まるほど、強欲なテイカーや自己犠牲型ギバー、また損得計算をするマッチャーを超えることができるので、どんな立場であっても充実した人生を送ることができるわけです。

すごくいいでしょ?

ご参考になれば幸いです。

※今回紹介した本は以下

ダライ ラマ十四世(著) 石濱 裕美子(翻訳),光文社 2000/6/8

改めて、今回の要点

  • 「いい人」ほど運勢が良くない背景には「自己犠牲的なギバー」として振る舞い、ちゃんと受け取れないことにある。実にもったいない!
  • 「他者志向型ギバー」は「自分も大切にしながら、他者に与える」人であり、強欲なテイカーに対してはマッチャーとして「境界線」を引くことができる。成熟した大人ですね!
  • 自己犠牲的な生き方の背景には、「我慢による成功体験」があることが多い。ワンパターンだとしんどいので、これを見直していくことが大切。
  • 最高の他者志向型ギバーとは古今東西の偉人のごとく「命を世界に捧げる」こと。それには生命の本源的な豊かさに目覚めるスピリチュアルな修練が必要。

なお、YouTube(Podcast)は今回の文字起こし編集でカットした部分もあります。

今回も動画と文字起こしと少しテイストが違うので、こちらも視聴していただけるとより理解が深まります。

※この下に「音声プレーヤー」があります。倍速再生も可能ですし、YouTubeより通信量も少ないし、スマホを画面オフにしても聴けるので便利です。

マジスピラジオ:脱・お花畑の「真のスピリチュアル」を追窮します
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