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「永遠のいのち」を悟った人の変化とは?この世を超えた自由と幸福に気づくために。

お名前だけで人やモノのオーラ(波動)がわかる、波動カウンセラーの林 昭裕です(「詳しい自己紹介はこちら」)。

人やモノの波動(オーラ)がわかる特殊能力をベースに活動しており、ここでは【マジスピ】(真のスピリチュアル・脱お花畑スピリチュアル)をテーマに情報発信しています。

今回も最近シリーズで投稿している「理想を描くことの大切さ」について考えます。

今回も結論から言いましょう。

己の本質が「永遠の生命」であることを直覚できればできるほど「永遠の夢」に生きることができるようになり、それが儚い肉体的生命に真の充実をもたらすこととなる。

逆から言えば、いくらスピリチュアルや宗教を学ぼうと「永遠の夢」「真の理想」を描くことができないのであれば、それだけの理解でしかないということです。

ついでに言えば、いくら祈りを習慣にしようと「永遠の夢」「真の理想」を描くことができないのであれば、ちょっと厳しいですが自己満足的なショボい祈りでしかないということです。

これも何度も言ってきた通り、

「理想とは個別に与えられた天命の光明に照らし出された、祈りの現実的および具体的展開」

なわけ。

自己の内側において躍動する「永遠の生命」の自覚の度合いに応じ、心の抱く理想は尊く強く気高くなる。

それがまさに「真の祈り」として天と地に響きわたる。

そういえばガンジーの言葉にこういうのがあります。

Live as if you were to die tomorrow; learn as if you were to live forever.

 

明日死ぬかのように生きなさい。永遠に生きるかのように学びなさい。

ときどき思い出す言葉です。

前半の「明日死ぬかのように生きなさい」とは、スピリチュアルの超基本(しかし普通の業界スピリチュアルは言わない)【死生観】の大切さを言っています。

いや、「死生観って大切だよね~」どころじゃなく、これなくしては何も始まらねえわけですが、お花畑スピリチュアルではまず言いませんわね。

(以下、死生観について最近語ったもの。よろしければチェックしてください)

実践できるかどうかは別として、「死を自覚して生きる」ことの大切さはよく言われること。

ところが、さすがは地球代表の聖人ガンジー、ここからさらに踏み込んで

永遠に生きるかのように学びなさい」

とおっしゃっている。

「明日死ぬ」というのは、一回性としてのいのち。

「永遠に生きる」というのは、永遠性としてのいのち。

ガンジーの言葉は「いのちの一回性と永遠性」とを絶えず往復・循環させながら生きることを教えています。

いや、「いのちの一回性」に徹するところ、必然的に「いのちの永遠性」を自覚するに至るわけだから別に言わなくてもいいんですけど、ガンジーは私たち凡人でも学び続ければわかるよう細やかに言っているわけです。

この「永遠に生きるかのように学びなさい」というのは、「永遠に生きるに値する目的を持ちなさい」とも解釈できます。

闇雲に学ぶのもアリっちゃアリだが、やっぱり目的があった方がいいですからね。

秦の始皇帝は、「永遠のいのち」を切望しました。

『ドラゴンボール』では、なぜかどの敵キャラも「永遠のいのち」を叶えたがりました。

ただ本当に「永遠のいのち」を与えられてしまったら死ぬこともできないわけだから、永遠に飽きの来ない目的を持っていないと、生き永らえるのは苦痛で仕方なくなるでしょうね。

己の欲望や利得だけが目的なら、それは必然的に他者を傷つけるわけだから「永遠のいのち」を生きるのはキツイ(その意味で世界支配を目論むドラゴンボールの敵キャラ達はあまり賢くない)。

よって「永遠に飽きの来ない目的」は何かというと、「絶対に完成はないが、普遍的に価値があること」の追窮でしょうね。

それは人間のみならず、生きとし生けるものすべてに最高度の豊かさをもたらすものでなければならない。

「永遠に生きるかのように学びなさい」というのは、そういう究極的な目的の実現を求めて学ぶということ。

もちろん生身の私たちは永遠に生きることはできない。

けれど、私たちは本質的には「永遠のいのち」だから、この自覚が深ければ深いほど、やがて滅び去る肉体を持ちながらも「永遠の夢」「真の憧れ」を抱くことができるようになる。

そうなると、これも何度か言っていることですが、この世における「成功」「引き寄せ」「金運・恋愛運アップ」などと軽薄なスピリチュアルで言われていることは、どうでも良くなるわけです。

なぜなら、私たちは本来「明日死ぬ」存在だからです。

運良く引き寄せたとて、たちまち儚く消えてゆくものを、どうして「永遠に自分を満たしてくれる何か」だと錯覚するのか?

本当に「魂は永遠の存在である」と悟っているのなら、永遠なるもの、真の憧れを求めなければ言行不一致でしょ?

ここで大切な問いを。

生まれ変わっても死に変わっても永遠に変わらない、あなたのエッセンス(本質)とは何か?

これは今はやっていないですがワークショップで取り組むワークの一つです(ワークショップはいつかまた再開します)。

「魂は永遠不滅のもの」かどうかは科学的には証明されていません。

ただ、もし「魂は永遠不滅なもの」だとして、生まれ変わっても死に変わってもあなたの魂のエッセンスは全く変わらないとしたら、あなたの魂は何を求めていますか?

そして、もし魂が不滅であれば、肉体を失った後も何を求め続けるのでしょうか?

これは魂の存在証明ではなく、仮に「永遠の世界」から現在の自分自身を眺めてみよう、というワークです。

実際このワークに取り組んでみると、誰もが自分の魂の独自のエッセンスを表現することができます。

(「えー、そんなのできないよ~」と思っちゃった人でも実際ワークショップの場にブチ込まれたらやらざるを得ないので、仕方なくやってみると意外とできちゃいますよ)

それは間違っても、お金が儲かるとかパートナーができるとかいう「この世」のことではありません。

もちろんお金は儲けても結構だし、素敵なパートナーができるならそれはそれで結構なことですよ。

ただ、それはあくまで「魂のエッセンス」を表現したり感得したりするための手段の一つに過ぎない。

その「魂のエッセンス」や「永遠のいのち」を根底に据えたとき、この物質世界のむなしさを超え、霊的次元で生きることになるわけです。

もちろん、これまでの補足というか注意点として付け加えれば、「永遠の夢」や「真の理想」というのは〈絶対叶える〉という強い意志を抱き続けることが大切です。

常識で考えても、「絶対叶える」という気概なくして夢や理想とは言いませんからね。

けれども、それが「永遠の夢」や「真の理想」であれば、今生の短い人生の中では叶えられないかもしれない。

その有名な実例として、過去のブログでキング牧師を挙げました。

もし今生で真の理想が叶えられないのであれば、肉体を失っても今度は「霊体」の状態で、その実現に向けて努力をし続けるのです。

今度は「あの世」から「目に見えない存在」として、この世に働きかけるのですよ。

それは誰かの「指導霊(ガイド)」としてかもしれないし、縁ある者の「守護霊」としてかもしれない。

私たちが本当に「永遠の夢」「真の憧れ」「崇高な志」を抱くのであれば、それは文字通り永遠に続くのです。

それは何も〈わたし〉という個別の肉体が実現させる必要はない。

他の誰かが自分の代わりに実現してくれてもいいわけ。

だって「崇高な志」は野心やエゴという自我レベルの欲望じゃないから、叶えるのは〈わたし〉じゃなくてもいいでしょ。

これが〈わたし〉という肉体を中心に考えれば、そりゃ肉体が滅びればその夢(というか野望)は終わりだし、もう年齢的に老人であれば「もうこんなトシなんで今さら・・・」と諦める可能性が高くなるのは当然ですわ。

また、「オレが叶えるんだ!」「ワタシが実現するのよ!」と自分に執着すると、これもジジイやババアになったら試合終了だわな。

つくづく思うけど、肉体の生存や快楽のみを目的とした人生観は、ホンマに貧しいですな。

だからガンジーは「永遠に生きるかのように学びなさい」と言うわけですよ。

もしあなたが自分の「魂のエッセンス」を深く自覚できたなら、それはいわゆる「過去世」から同じものを抱き続けてきたのでしょう。

それは、生まれ変わっても死に変わっても、永遠に変わらなかった。

その中身は時と場合によって変わったとしても、その根底にあるエッセンス自体は変わらなかった。

それを踏まえると、あなたの内側に眠っている「永遠の夢」や「真の理想」というのは、過去世から現世まで変わらず、そして来世にまで続いてもなお変わらないものなのでしょう。

その霊的な時間軸の上に立ったとき、「この世で夢が叶わねえ」とか「失敗続きの人生で終わっちまった」とか、そんなものは小さなプロセスに過ぎなくなる。

私たちは、たとえこの肉体を失ったとしても、根源のいのちは永遠である限り、たとえ生まれ変わろうが死に変わろうが、霊体となろうが、違う世界に転生しようが、永遠の理念、そして永遠の成長を求め続けるだろう。

こういう霊的な価値観に立脚することができれば、たとえ現象的には才能もチャンスもお金もないという状態であっても、ある意味では「分不相応な夢」に生きることができるのです。

別に「分不相応な夢」でもいいじゃないですか。

もちろん夢ばかり描いて何もしなけりゃ単なるファンタジー野郎だけども、この世と肉体だけがすべてと思い込んでショボくれる人よりよっぽどいいでしょ。

そうして分不相応でも本気で夢が描いて実践するようになると、このブログの投稿日から前々回の「無料メルマガ」でも言ったんですけど、肉体的にも健康になるのが科学的なデータとして出ているのです(詳しくはメルマガの第266回目を。ご登録後バックナンバーが見れます)。

だからせっかく縁あって生を享けているわけだから、たとえすべてが思い通りにならないとしても、できる限りの理想に生きるのが「永遠の魂としての義務」なのですよ。

ただしくどいようですが、その夢は「この世で叶えられる」とは限らない。

この世で叶ってもいいし、結果的に叶わなくても構わない。

「この世ですべて叶えたい」というのは肉体および肉体的時間への執着であり、そんなの大半の人は無理ですよ。

とはいえ「どうせこの世で叶えられないからテキトーでええわ」というわけではなく、それが魂のエッセンスである限りは「明日死ぬかのように生きる」ことを踏まえなければなりません。

「明日死ぬかのように生きる」としたら、そりゃもう真心を込めて込めて込めて生きないとね。

「必ず叶えるんだ!」という強い意志と、「結果的に叶わなくても構わない」という深い諦念。

肉体を持っているがゆえのこの「矛盾」を抱えて生きることは、ある種の修行なのです。

自己本位に傾きがちな鈍重な肉体を抱えながら、夢も希望もあまりなく、おまけにエゴイストどもが跋扈するクソの世の中で、人から空想家だ夢想家だと冷笑を浴びせられながらも、それでも永遠を指向/志向して生きるというのは、それだけで立派な修行ですよね。

「空気」を読んだら、ただの人間ですよ(笑)

最後にもう一度冒頭の結論を掲げます。

己の本質が「永遠の生命」であることを直覚できればできるほど「永遠の夢」に生きることができるようになり、それが儚い肉体的生命に真の充実をもたらすこととなる。

さぁ、少なくともアタマでは理解できたと思いますから、あとは実践あるのみ。

私たちマジスピ(真のスピリチュアル)を志す者は、たとえ心無い人々から「●チガイ」だと言われても、永遠に生きなければならない。

死して天空の星となるのではなく、この世において「地上の星」とならねばならない。

それが「一隅を照らす」ということであり、最も幸福なる魂のあり方なのだと思います。

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