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運命やカルマを超えていく「感謝の力」を論理的に解説しよう【中編】占いや神社に頼らずに開運できる最も簡単でスピリチュアルな実践方法。

こんにちは。

波動カウンセラーの林 昭裕です。

今回は前回のブログ『運命やカルマを超えていく「感謝の力」を論理的に解説しよう【前編】』の「中編」をお届けいたします。

前回の記事を読んでいただいた方がわかりやすいと思いますが、この記事だけでも理解できると思います。



運命やカルマを超えていく「感謝の力」を論理的に解説しよう【前編】占いや神社に頼らずに開運できる最も簡単でスピリチュアルな実践方法。

今回は感謝の中でも

・霊的な感謝

について述べていきます。

・宇宙的(普遍的)な感謝

については今回も文字数が多くなりそうなので次回にしますね。

※後日アップしたのでさらに興味があれば以下をご覧ください。



ワンネスを体感し運命やカルマを超える「宇宙的な感謝」とは何か【後編】占いや神社に頼らずに開運できる最も簡単でスピリチュアルな実践方法。

「目に見えないもの」を信じて感謝する生き方

では「霊的な感謝」について述べていきましょう。

「霊的」と表現するからに、スピリチュアルな印象がありますね。

そう、霊的な感謝とは「目に見えないもの」に対して感謝の気持ちを持つことです。

(今回のブログも別に道徳の授業じゃないですからね)

その対象は、例えばご先祖だったり、地元の氏神様だったり、いつも言っている守護霊などです。

前回のブログで述べた「社会的な感謝」とは、自分の力だけで社会生活を営んでいることは絶対なく、衣食住はじめ他の方々による生産物やサービスによって成り立っている「社会的なつながり」。

これに対する感謝のことでした。

「私たちは、目に見えないものに、生かされている」

という感性から発露するのが「霊的な感謝」なのは、おそらく異論はないでしょう。

特に日本人は欧米諸国と比べれば、昔からこういう感性をより深く持っています。

でも、その感性は歴史的には明治以降、特に戦後から少しずつ少しずつ削り取られてきたわけですね。

なので「目に見えないものは信じられない」と思っている方もおられるかも。

ただ、これはポジショントークではないつもりですが、「目に見えないものは “すべて” 信じない」というのは、かなり残念な生き方ではないでしょうか。

(もちろん「盲信」も避けるべきですが)

私が「守護霊リーディング」というメニューを行ったり、「守護霊リーディングの一部の音源」をラジオ動画に出しているのは、

「人間には肉眼では見えないけど、背後から守ってくださっている存在がいるんだ」

ということを感じていただきたいからです。

別に「守護霊」という名前にはこだわらず、別に「神」でも「仏」でも「観音様」でもいいですよ。

とにかくこれがきっかけで、「霊的な感謝」を深めていただけたらいいな、と思って行っているわけです。

「守護霊リーディングの一部の音源」をお聞きいただければお分かりの通り、私は相手から話を聞く “前に” リーディングを行っているんですよ。

それから事前にリーディングで得た言葉を相手に投げかけると、不思議といま必要なメッセージになっちゃうことが多い(中にはすぐにピンとこないケースもありますけど)。

これは理屈抜きで守護霊の存在を感じていただきたい、という「デモンストレーション」ですね。

まぁこの種の「スピリチュアル芸」というのは、間違えると依存する人を生み出すだろうし、自分も調子こいてバカ野郎になるデメリットもあるんですけど、トータル的にはメリットの方が大きいと踏んでいます。

とはいえ本当はこういう芸当抜きで霊的な感謝ができればいいんですけど、なかなかそうはいかないのが難しいところ。

やっぱり「科学的思考」を教育されている現代の私たちは、何かしらの「証明めいたもの」が必要なんですよね。

理想的な感謝のあり方と、それを簡単に実践する方法

仮に「社会的な感謝」をヨコのつながりを軸とした「ヨコの感謝」だとすれば、霊的な感謝とはまさに垂直的な「タテの感謝」になります。

私が考える理想的な感謝の状態とは、目に見える「ヨコの感謝」と、目に見えない「タテの感謝」とがクロスしていくようなあり方です。

これぞまさに「十字架」であり、キリスト教で言うところの「いのち」とも言えるかもしれません。

ま、クリスチャンではない私がこういう表現をするのは不遜でしょうけど。

宗教的な文脈ではよく「天地への祈り」や「天地への感謝」といった表現が好まれます(先ほど「垂直的」と表現したのは天と地のつながりをイメージしたらわかりやすいかも)。

これこそまさに「ヨコの感謝」と「タテの感謝」による「生命エネルギーの大十字交差」ではないでしょうか。

もちろん「ヨコの感謝」ができるだけでも相当リッパな心がけですね。

ただ、それに加えて「タテの感謝」まで深いレベルでできるようになると、申し分ない。

(とはいえ、「タテの感謝」だけで「ヨコの感謝」が欠けているとしたら、結構バランスが悪いかな・・・ま、そういうケースはめったにないと思いますが)

もし「霊的な感謝(タテの感謝)」が深まってきたら、もはや既成・新興問わず、宗教組織に入る必要は特になくなるでしょう。

スピリチュアルをことさら学ぶ必要もない。
(#セルフ営業妨害)

その人は特定の宗教を信仰していなくても、すでに立派な信仰者であり、スピリチュアリティ(霊性)を十二分に発揮しているからです。

それは独りでも、いや独りだからこそ発揮できる性質のものなので、別に組織に入ったり集団に属したりする必要はないわけ(これについてはまた別のブログで語りましょう)。

信仰とは「信じて仰ぐ」と書きますが、「仰ぐ(=見上げる)」という言葉からして、やはり「大宇宙」や「自分を超えた何か」と表現される “上の存在” がその対象になるわけですね。

思想・信条・宗教的な立場を超え、世界人類すべてが「霊的な感謝」を持てるようになったら、この地球はとっくに平和になっているでしょうな。

この文脈からは、いまだ世界にあふれる苦しみや哀しみというのは、これまで述べた感謝、言い換えれば「恩」を忘れたところに生まれています。

「恩」を忘れるというのは、つまり自分のこの「いのち」がどこから来たのか、という魂の出自を “記憶喪失” しているということですね。

本来「スピリチュアル」と呼ばれているものは、その “記憶喪失” を回復させるところに真の目的があるわけです。

ただ、まだまだ「怪しいもの」「いかがわしいもの」というレベルから脱せていないのは困ったものです・・・


そんな「霊的な感謝」へのカンタンな実践として、私は食事をする前に

「天・地・人の恵みに感謝いたします。いただきます」

と唱えてからいただくのが、現時点で10年ほどの習慣になっています。

これは食べものが自分で作ったわけじゃなく農家さんやメーカーさんによって作っていただいたという「社会的な感謝」、さらに天と地の恵みによって育まれたものであるという「霊的な感謝」を兼ねています。

そして、食後は

「(この感謝をもって)我が天命を全ういたします。ご馳走様でした」

と唱えます。

それによって「前回のブログ」で述べた「成長的な感謝」をも深めていこうという、すごくカンタンな実践をしています。

こういうことを述べると、さぞかし立派なヤツに見えるかもしれませんけど、別に照れ隠しではなく、かなり機械的に言ってることが多いのであります(汗)

私、いま「ほぼ1日1食」のため食事前はかなりお腹が空いている状態なんで、正直「めんどくせえ、早く食いてえ」とあまり気持ちが入ってない状態であることもしばしば(1日1食の効用については別の機会に)。

ただ、ときどき「あぁ、また機械的に言ってるなぁ・・・ちょっと感謝が足りないなぁ」という反省が起こることが、この習慣のいいところじゃないかなとは思います。

・「天・地・人の恵みに感謝いたします。いただきます」

・「(この感謝をもって)我が天命を全ういたします。ご馳走様でした」

口先だけでもいいので、良かったらご自身なりにアレンジしてみてください。

なお、この種の文言は仏教でも多く語られていて、例えば禅の「五観の偈(ごかんのげ)」なんてそうですね。

参考までに以下に載せておくので、より興味があればググってみてください。

一つには功の多少を計り彼の来処を量る

二つには己が徳行の全闕(ぜんけつ)を忖って供に応ず

三つには心を防ぎ過貪等を離るるを宗とす

四つには正に良薬を事とするは形枯(ぎょうこ)を療ぜんが為なり

五つには道業を成ぜんが為めに応に此の食を受くべし

私は禅の坊主ではないし、上の文言はさすがに難しいので、さっき述べた通り自分なりにアレンジしています。

感謝は「意志」で意識的に行わなければ続きにくい

ただし・・・

ここまでは「いい話」ですし、やっぱり道徳の授業っぽい感じがありますね。

ただ、私は常に言っている通り、あくまで現実的に考えています。

というのは、「霊的な感謝」について、こう思う人もいるはず。

「目に見えないものに対して感謝しようってのは、まぁ大事なことはアタマでは理解している。

けれども、そもそもこの地球という世界が、とてもじゃないけど感謝できる場所じゃないんだよ・・・」

ということ。

しかも今はコロナ禍でもあるので、先の観えない不安や経済的な不安などで、とてもじゃないが感謝できる気分にはなれない人も少なくないかも。

私はこういう話をするとき、いつも思い出す過去のカウンセリングがあります。

それは、親から精神的に虐待され、対人恐怖症となり、もう社会人の年齢になってもまだ引きこもり生活をしていた方とのカウンセリング。

ずっと「殺してやる」「死にたい」「なんで自分は生まれてきたんだろう」の3つの言葉だけを繰り返し、それをただ聞くしかなかったカウンセリング。

波動を観るとか、タロットを引くとか、そんな小手先の芸はすべて無力と化したカウンセリング。

あのときの、あの人に、私は「感謝した方がいいですよ」なんて、とてもじゃないけど言えない。

そんなことを言ったところで、かえって辛くなるに決まっている。

言ったところで、今度は「感謝できないダメな自分」を、責めるかもしれない。

なので、たとえ感謝が大事だとしても、それを押し付けることはできない。

ただ、「自分はあえて感謝する生き方を選ぼう」という意志が、人生航路の道中、どこかで湧き起こる必要がある。

その刻(とき)を、きっと、待つしかないのだろう。

・・・と、これは私にとってはそれこそ「感謝」なんですが、そういう方との出会いのおかげで、「本当に人と向き合うとはどういうことなのか」今でも問い続けています。

そこで、しばらく考えていたんですが・・・

 

まだ悟っていないノーマルな私たちは、感謝は「意志」で行う必要がある。

つまり、「意識的に感謝できることを見つける」必要があるわけです。

 

それは、心理学でも言われていますが、人はネガティブなものにフォーカスする習性があるからですね。

ちょうど円が少しでも欠けていたら、その欠けが小さなものであってもすごく気になってしまうように。

キレイな白シャツに小さなボールペンのインクがちょっとでも付いたら、途端に着るのがイヤになるように。

テストで95点という高得点を取っても、「なんであと5点取れなかったんだろう?」とあまり喜べなくなるように。

もちろんそこに個人差はあるものの、そういう習性があるからこそ、私たちは「意志」によって明るい部分へフォーカスする必要があるわけです。

確かに、いま世相を見渡せば、コロナ禍の影響もあり、全体としてはどんどん暗くなっていっている。

私は政治経済のニュースは、スピリチュアル屋にしては多くチェックしている方だと思います。

そこで得たいろんな角度からの情報をトータルしても、しばらく厳しい時期が続くだろうなと予測しています。

こんな状況の中で、果たして感謝できることはあるのだろうか?

と、やっぱりさっきの疑問に戻ってしまうわけですが、ここでもやはり

「感謝とは意志で行うもの」

というのが、まだ悟っていない私たちの「原理原則」ではないでしょうか。

これを言い換えれば

「感謝を創造する決心をする」

といえるでしょう。

また過去のブログの引用になりますが、「天国言葉を意識的に使う」のは、まさに意志で行っているわけです。



「ツイてる」の言霊は効果なし? 金運も恋愛運も上がらない? 斎藤一人さん・小林正観さん発の天国言葉・地獄言葉はスピリチュアル鉄板ハウツーだが、実践には注意が必要。

感謝を創造する “決心” ・・・これはめちゃくちゃ大事です。

<おもしろき こともなき世を おもしろく すみなしものは 心なりけり (高杉晋作)>

というのは、「あぁ、感謝って大事だな」ぐらいのフワッとした認識では長続きしない、という私たちの姿を振り返ればすぐわかるはず。

もし仮に決心をしたとしても、煩悩の尽きない私たちは、またすぐに不平不満の種を見つけてしまいがちなんです。

あなたのオーラを最高に輝かせる方法

「霊的な感謝」に話を戻せば、例えば私から守護霊の話を初めて聞いたとき、それを完全否定しない人であれば

「それはいい話ですね。私も守護霊さんに感謝することを習慣にします」

なんて言われることがあります。

ちょっと宣伝になりますけど、以前から500円で販売している「守護霊とつながって毎日をラクに生きる方法」のレビュー欄にも、そういう決意表明が書かれています。

けれども、それからしばらく経ってからまた話を聞くと、「守護霊? あぁそういえばそんな話もありましたね・・・感謝するのを忘れてました(汗)」なんてことは、決して少なくないんですよね。

「目に見えない存在」であるため、意識していないと、意志していないと、決心していないと、つい忘れてしまう。

それは仕方のないこと。

なので、忘れている自分に気づいたら、すぐに修正する。

そのことも含め、私たちは「決心し続ける」必要があるんです。

以上を考えれば、「霊的な感謝」を、「おかげさまの心」を深めていくということは、こりゃもう立派な「行」です。

「前回のブログ」で述べた「成長的な感謝」も含め、やっぱり修行的な要素が強い。

だからこそ、私がいろんな人の波動(オーラ)を拝見していて、「この人はすごい光だな」と感じる人がいるとすれば、その人は感謝の深い人ですね。

そして、オーラの光が特に特に特に強いと感じる人は、共通して「報酬的な感謝」や「社会的な感謝」を超え、「成長的な感謝」や「霊的な感謝」まで深い人です。

私はこのことだけを見ても、「やっぱり神仏は存在するわ・・・」と思わざるを得ませんね。

そう、「霊的な感謝」の深い人は、神仏により深く愛されるようになる。

よって、神仏からの「慈愛の波動」を受けて、その人はますます光り輝くというわけ。

ここ、自分でかなりイイコトを言ったと思うので、珍しく上の文章を赤字+下線にしました(笑)

確実にテストに出ますよ!

この大切な点が、今回のブログタイトルである「運命やカルマを超える感謝の力」に通じます。

ただし、こればっかりは、決心してやってみないと絶対にわからない。

「守護霊がいるなら存在を見せてみろよ、だったら感謝してやるぜ!」なんて最初からイキっている人は、死んでもわからんぞ。

そんな傲慢なアホに、神仏が味方するかっちゅうねん(見捨てはしないけどね)。

まぁ証明を求める気持ちは私も理屈っぽい人間だからよくわかりますが、私よりはるかにずっと優れた古今東西の宗教家やスピリチュアルマスターが異口同音に「目に見えない存在」について語っているんだから、そこは素直に受け取った方が賢いですよ。

もしそれを素直に受け取るすれば、今のコロナ禍のような大変な状況の中でも、

「それでもなお、自分は生かされている」

という「いのちの原点」に立つことができ、それでもなお、感謝を失わずに生きていくことができるでしょう。

もちろん、私たち凡人はやっぱり不平不満が目が行きやすいから、カンタンじゃないけどね。

でも大変な状況だからこそ、一部の人たちが自粛警察だマスク警察だとかでイライラしている中、そうして「魂の美しさ」を輝かせていくというのは、周囲の人にとっての「光」となると思います。

先ほど「感謝を創造する」と表現しましたが、それは

「光を創造する」

ということと、ほぼ同義です。

なぜなら、「感謝の波動」とは、「光そのもの」だからです。

そして、光を放つ人間に、神仏はますます光を与え、さらにさらに光り輝くというわけ。

まさに「光の好循環(スパイラル)」ですね。

大変な状況だからこそ、逆に私たちは「いのちの原点」に立ち還り、「感謝の力」を深める良い機会に恵まれているとも言えます。

さ、まずはエラそうにを言ってるオメーが実践しろよ、という話。

はい、がんばります。

 

次の【後編】のブログは以下です。さらにご興味あればどうぞ。



運命やカルマを超えていく「感謝の力」を論理的に解説しよう【前編】占いや神社に頼らずに開運できる最も簡単でスピリチュアルな実践方法。

 

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