ワンネスを体感し運命やカルマを超える「宇宙的な感謝」とは何か【後編】占いや神社に頼らずに開運できる最も簡単でスピリチュアルな実践方法。

こんにちは。

波動カウンセラーの林 昭裕です。

今回は、前々回、前回に続き、「感謝」を考える3回目です。

とりあえずは、ここで区切りといたします。

・前々回のブログ「報酬的な感謝、社会的な感謝、成長的な感謝について」

運命やカルマを超えていく「感謝の力」を論理的に解説しよう【前編】占いや神社に頼らずに開運できる最も簡単でスピリチュアルな実践方法。

・前回のブログ「霊的な感謝について」

運命やカルマを超えていく「感謝の力」を論理的に解説しよう【中編】占いや神社に頼らずに開運できる最も簡単でスピリチュアルな実践方法。

では、今回の「普遍的な感謝」または「宇宙的な感謝」について説明しましょう。

ただ、タイトルと矛盾しますけれど、今回はこれを論理的に語るのはかなり難しい・・・と最初に白状しておきます。

できるだけ言葉にはしたいものの、もはや「言葉では語れない領域」に触れることになるので。

また、こういう事柄は自分の意識レベルがモロに出ます(汗)

普段から「波動(オーラ)は絶対ごまかせない」と言っていますが、文章もごまかせないでしょうな。

少し恥ずかしい気はしますが、このブログはそもそも悟ってもないし覚醒もしていない自分が少しでも成長したいと思って出している部分もあるので、共に考え、共に学ぶつもりでお付き合いいただけたらと思います。

ワンネスに通じる「宇宙的な感謝」とは?

では、表現は「普遍的な感謝」でも「宇宙的な感謝」でも良いと思いますが、ここでは「宇宙的な感謝」に統一します。

最初に、言葉にしにくい「宇宙的な感謝」をあえて定義しておくと、

ただ「在ることそのもの」が、無条件に「有り難い」と感じられる境地

といったところでしょうか。

これまで述べてきた報酬的な感謝、社会的な感謝、成長的な感謝、霊的な感謝というのは、それぞれレベルは違っていても、すべて何らかの「対象」があるんですね。

これまでの感謝レベルを簡単にまとめると、

・何かをしてもらったときに感じる感謝(報酬的な感謝)

 

・他の生産物やサービスによって日常が支えられていると感じる感謝(社会的な感謝)

 

・目の前の困難は学びや成長のきっかけだと思い定めるときに感じる感謝(成長的な感謝)

 

・神、仏、守護霊など、目に見えない存在に生かされていることを感じる感謝(霊的な感謝)

ということでした。

「霊的な感謝」の対象は目に見えないとはいえ、神仏や守護霊などの霊的な存在を想定しているので、ここでは「対象物」として考えています。

それに対し、「宇宙的な感謝」というのは、もはや上記のような「感謝の対象」がない。

いや、対象がないというよりは、「もはや捉えられない」と言った方が正確でしょうかね。

それこそ、スピリチュアル業界でよく言われる「ワンネス」ってやつですよ。

「ワンネス=すべては一つ」というのは、例えば

<わたし/あなた>

<わたし/パソコン>

<わたし/日本>

といった「わたし」と他の何かとを隔てる境界がない、というあり方のことです。

なので、

<すべてがわたしそのものである>

とも言えますよね。

そのように<すべてがわたしそのもの>だと、リアリティをもって感じられる境涯であるほど、無条件に感謝の念が湧いてくる。

このあたりのことを、「宇宙的な感謝」と私は考えています。

現象的に現実的に、どれだけ大変なことがあろうとも、深く感謝できる、いや、思わず感謝してしまう・・・そんな境地。

こう言うと、なんで無条件に感謝の念が湧いてくるの? と聞かれるでしょうけど・・・

まぁ、そうなってみればわかるで(笑)

「迷わず行けよ、行けばわかるさ」の世界やで。

そりゃ私たちは迷い深き凡愚ですから、もちろん簡単ではないですけども・・・

瞑想よりも効果がある大自然の中に身を置く方法

もう少し具体的な方がわかりやすいと思うので、身近でもできる実践を述べてみます。

別に瞑想でもいいっちゃいいんですけど、それは「修行好きスピリチュアル」という、そこそこ限定された人種に限られるやり方なので、ここではもうちょっと簡単に効果があることを述べます。

例えば、「夜空の星を眺める」ということ。

以下のようなシチュエーションをイメージしてみてください。

ある晴れた日の夜、ふと夜空を見上げてみると、そこにはいくつもの星々が輝いている。

 

それまでずっとスマホに触っていたけれど、その美しさに、思わず見続けてしまった。

 

満天の星々をずっと見続けていると、なんだか星たちと自分が近くなるというか、吸い込まれたように一つになって、共に呼吸をしているような感覚になってくる。

 

普段はこの肉体の内側に閉じ込められているような「こころ」が、宇宙大にまで広がるような感じがしてくる。

 

「あ、もしかして、自分もあの星と同じじゃないのか・・・」

という感じですね。

これは不思議を感じる感性のある人なら、「それ、わかるかも」って言ってくださるんじゃないかしら。

私は子どもの頃から、ときどきこういうことを、それこそ "思わず" やっていました。

それは夜の星空だけじゃなくて、日の出の太陽に対しても、沈みゆく夕日に対しても。

ただ、太陽をずっと見続けていると光の刺激で目がチカチカしてくるので、個人的には星空がおすすめですけど。

他には、自然がすごく豊かな場所に身を置くのも一つです。

私は都会寄りの暮らしで、かつインドア派なので自然の多い場所に行くことはあまりないんですけど、それでもときおり行く地方の神社の中には、「鎮守の森」がかなり広いところがあるんですね。

都会の神社だと、奥多摩エリアを除けば自然の豊かな神社はほとんどないでしょう。

明治神宮は確かに周囲の喧騒が静まるほど木々が豊かではあるけど、ずいぶんと整備されていますね。

あのような整えられた自然ではなく、あまり舗装されていないような場所がおすすめです。

そうなると、ガイドブックでは積極的に取り上げられないような地方の神社がおすすめなんですよ。

その中でも「奥宮(おくのみや)」をいただいている神社のその周辺には、自然がかなり多いはず。

そういった場所に行くと、あまり人がいないものですから、

「自然の中に、ただ独り在る」

といった状態になれるんです。

運が良ければ「貸し切り状態」になっちゃいますね・・・私もときどきそういうことがありましたが、めちゃくちゃ贅沢な時間ですな。

そのとき、またスマホを横に置いて、ただ風のざわめきや木々のゆらぎ、草木の香りに五感をゆだねていると、なんだか瞑想をしているような状態になってきます。

もはやこの呼吸は自分がしているのか、それとも風にゆらいだ木々の呼吸なのか、よくわからなくなってくる。

そういった状態にあるとき、周りの自然と自分とが融け込み、まるで一体になってくるかのように感じるはずです。

これもまた「ワンネス的な感覚」と言えると思いますが、こういうとき、ただ無条件に、特に何か有り難いことがあったからでもなく、感謝の念が湧いてくることがある。

いや、もはや "それ" を「感謝」と表現していいのかどうかも、よくわからない。

ただ、「あぁ・・・あぁ・・・」と、地球の辞書にはこれから載る予定がないであろう、言葉にできない、いや言葉を超えたあの感覚。

だからといって決して過剰ではなく、とても簡素であるのに、しかし途方もなく豊か。

誤解を怖れずに言えば、「もうこのまま死んでもいい」とすら思えてくるような感覚。

そういう感覚そのものに全身と全霊とが満たされているとき、「宇宙的な感謝」がそこに顕現していると言えるのではないでしょうか。

感謝の中に無条件で包み込まれている

さらにこういう世界を突き詰めていくと、少なくとも私にとっては、さらに不思議な感覚をおぼえることがあります。

普通、感謝というのは「自分がするもの」ですよね。

自分の意志で、自分の判断で、自分の感性として、感謝を行うもの。

しかし、この「宇宙的な感謝」というのは、そういった「自分が、自分が」という個別性を超えているのではないか。

ふと、感じてしまうこと。

それは、

「"この自分" が感謝しているのではない」

といった奇妙な感覚です。

「感謝をしているのは、この自分じゃないかもしれない・・・」という感覚は、さすがに私自身、ヘンだなとは思いますよ・・・理性ではね。

しかし、その理性のすき間から、こんな「声」が漏れ響いてくる。

「本当は、自分は "感謝の只中" にあるのだ」

という声です。

つまり、意識の上では自分が感謝をしているんだけれども、深いレベルにおいては、「感謝の中に懷き取られている」。

ということ。

ちょっとナニ言ってるかわからんよね(笑)

だから今まで誰にも言わなかったんですけど、3回にわたって感謝をテーマにしているし、情報発信もずいぶん慣れてきたから、恥も外聞もなく言っちゃうよ。

そう、「感謝に懷(いだ)き取られている」と述べると、当然「誰によって?」という主語への問いになります。

その「誰」というのは、ハッキリとはわかりません。

ただ、あえて言えば、おそらく「大宇宙」や「いのちそのもの」や「ハイヤーセルフ」という言葉で表現されるもの。

以前の「ラジオ動画」の100回目の後半で「サムシング・グレート」という言葉を出しましたが、この言葉でもいいですね。

第100回:「やりたいこと」と「やるべきこと」を融合する生き方。神仏天の導きを問いつつ祈りつつ今日の務めを果たすとき、誰とも比較しない真の充足感が与えられるだろう。

なんでかは知らんけど、どうやら私たちは「大宇宙」や「いのちそのもの」や「ハイヤーセルフ」や「サムシンググレート」なる存在から、感謝の波動で包み込まれているらしい。

しかも、無条件でね(ここポイント!)。

いや、そういう表現をすると何か「外側の存在」のように聞こえてしまうけど、それらは本来は「自分そのもの」。

さっきも言った通り、ワンネス的な感覚というのは、あらゆる境界線がないわけです。

それは神や仏や守護霊など「高次元波動」と言われている存在に対してすら、隔てるものがなくなるわけですよ。

宗教やスピリチュアルでは「私は神である」という表現をすることがありますが、それを借りれば、まさに自分のいのちの根源=神は、すでに感謝に満ち満ちているわけです。

それは、

「いのちによる、いのち自身への、無条件の全肯定」

とも言えるでしょうね。

これ、どこまで伝わるのか不安なんですけど、とにかくそういう普通の意味での感謝を超えた世界というのが、今回の「宇宙的な感謝」に込められた息づかいなんです。

こういうものは、いろいろ理屈を言ってもしょうがないので、とにかく体験するしかありません(このブログでは理屈っぽく言ってるけど!)。

体験しさえすれば、おそらく私よりもっと上手に表現できるでしょうけど、きっと言わんとしているところは似通ってくるはずですよ。

なぜ「ありがとう」の天国言葉を実践するのか?

ここまでなるべく論理的に考えていくと、以前から何度もお伝えしている通り、なぜスピリチュアル業界で「天国言葉」を使うことが推奨されるのか、なんとなくわかってきませんか?

どんなことがあっても、とにかく無条件に、ウソでもいいから「ありがとうございます」と言ってみよう、言うだけならタダなんだから・・・という自己啓発チックなスピリチュアルが多いのは、その根源にこれまで述べてきた

「宇宙的な感謝というのは、無条件で立ち起こる」

「すでに私たちは、感謝のど真ん中に、ただ在る」

という直観が働いているからではないでしょうか。

よく例に出す、斎藤一人さんや故・小林正観さんは

「『ありがとう』と言ってると、ありがたいことが起こってくるよ」

って、めちゃくちゃわかりやすく述べておられます。

ホントはこれだけでいいんですよね。

私みたいに理屈っぽく考える必要はなく、とにかくバカの一つおぼえのように実践すりゃいいだけなんだから。

けれども、意外なことに、たったこれだけのことですら、なかなか続かんのよ(汗)

失礼だけど、もしかしたらあなたも「感謝が大事ってアタマではわかっているけど、実際はあまりできていない」方なのかもしれません。

大丈夫、私も含めて多くの人は実践が続かないから。

ただ、「なぜそれをやるのか?」ということがもう少し理解できれば、続けられる人はちょっと増えるのかなと思って、こういうブログを出しているんですね。

もし私たちの大元や根源と呼ばれる何か(大宇宙/大生命/サムシング・グレート)が「感謝そのもの」であるなら、私たちが普段の意識の上で感謝を実践するというのは、

「大宇宙とのつながりを思い出す、最もやさしい実践」

とも言えるでしょう。

もしこのことが多少でも腑に落ちるとすれば、そこから

「感謝の "南無阿弥陀仏" 化」

が始まる。

つまり、浄土宗または浄土真宗の念仏の行者のように、ただただ「ありがとうございます」と念仏するという、感謝の真っ只中に自分の全存在をブチ込む実践が始まるわけです。

私が考える限り、この状態は最強でしょうね。

だって、運が良かろうが悪かろうが、豊かだろうが貧しかろうが、病んでいようが健やかだろうが、コロナだろうがオリンピックが中止になろうが、すべての制約や条件を超えて、ひたすら「感謝一念」に生きる。

これはマジで強い。

禅の世界ではひたすら座禅を組むことを「只管打坐(しかんたざ)」と言いますけど、こちらは

「只管打謝(しかんたしゃ)」

とでもいえる、きっと座禅に勝るとも劣らない立派な「修行」と言えます(こんな言葉ないけど)。

もっとも、禅の世界では「坐る以外の時間も、すべてが禅である」と言っているから、ホントは「只管打謝」は禅的とも言えるんですけどね。

ただ、何かと忙しい私たちは、1日のうちまとまって座禅を組む時間はあまりない。

けれども、「感謝の "南無阿弥陀仏" 化」、ひたすらに感謝を念じることであれば、やろうと決意すればできるはず。

・・・もう一回言っておきますけど、簡単そうに見えて決して簡単じゃないですよ(笑)

もちろん、続けていたらだんだんできるようになるし、私もこういうブログを出すからには、できる限り実践していく。

ま、私は決して悟ってないですけど、おそらく突き詰めていくとこういう世界が在るんじゃないかな、と感じていることを述べてみました。

ご参考になれば幸いです。

 

となふれば 我も仏も なかりけり 南無阿弥陀仏 なむあみだぶつ

(一遍上人)

 

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