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「引き寄せの法則」を実践しているのにうまくいかない人が注意すべきこと。引き寄せの「言葉のワナ」から距離を置く。

このページは修正中のため、文脈がちぐはぐな箇所があります。

レイキヒーリングの施術

スピリチュアルカウンセラーの林 昭裕です。

人やモノの波動(オーラ)がわかる特殊能力をベースに活動しており、ここでは【マジスピ】(真のスピリチュアル・脱お花畑スピリチュアル)をテーマに情報発信しています。

今回も「引き寄せの法則」について考えていきます。

自分の中に「ない」から、引き寄せが必要になる

「引き寄せ」で注意すべきことはたくさんありますが、その中でも

「引き寄せ願望は、主に物質的な欠乏感・渇望感から生じている」

ということは、特に気をつけなければなりません。

「引き寄せたいもの」の代表例は、お金・豊かさ・仕事の成功です。

また恋愛・パートナーシップや健康に恵まれたい願望もあります。

これらを欲する動機は、わかりやすく言えば

「うらやましい。自分もああなりたい(でも現実的には難しい・・・)」

ということ。

例えば、

「高価そうな服やバッグを持っているあの人が、うらやましい・・・」

「仕事で成功して高収入で良い暮らしをしているあの人が、うらやましい・・・」

「素敵な恋愛・素敵なパートナーシップに恵まれてそうなあの人が、うらやましい・・・」

というように、大半の欲望は、他人との比較で刺激される欠乏感・渇望感から湧いてきます。

物質的な欲望の場合はわかりやすい。

一方、欲望の中には「精神性が含まれている場合」もあります。

例えば、

「自分も憧れの、あの作家のようになりたい」

「自分も憧れの、あのアスリートのようになりたい」

「自分も憧れの、あのアーティストのようになりたい」

というものです。

精神性を含んだ欲望はチェックが必要です。

もし、憧れの動機が「チヤホヤされたい」とか「高い収入を得たい」とかいうことであれば、物質的な欲望がメインですね。

一方、そのアスリートやアーティストが体現している哲学・スタイル・世界観・精神性・革新性に惹かれているのなら、「物質より高次元の欲求」が動機になっています。

また別の機会に詳しく述べるつもりですが、

真の引き寄せは、物質レベルを超えた「高次元の欲求」から出発しなければなりません。

そうでなければ、必ずエゴの欠乏感・渇望感に苦しむことになるでしょう。

私がいつも「引き寄せを安易に求めると、波動(オーラ)は暗く重たくなってしまいますよ」と言っている理由は、こういうことなのです。

大量消費社会である現代は、ボーっと生きているとメディアや広告によって物欲がどんどん刺激されてしまいます。

その具体例はここで言うまでもないでしょう。

そうして「より便利なものを!」「より豊かな暮らしを!」と求め続けているうちに、「ラクして成功したい」「できればあまり働かないで稼ぎたい」「不労所得や権利収入が欲しい」などの肉体的快楽を求める欲望が肥大化してしまう。

中には上記のような「憧れの人物のようになりたい」という精神的な欲求もあるけれども、それですら「できればラクしてそうなりたい」「オレも(ワタシも)チヤホヤされたい」などと、やはり肉体的快楽を求める欲望が中心となる。

そういう人たちに、ラクして成功できる幻想を与える「引き寄せの法則」はもってこいですね。

スピリチュアル業界の「スピリチュアル(魂・霊性・精神性)」は名ばかりで、お金やパートナーシップなどの「物質的欲望」を実現するための幻想のメソッドとして、「引き寄せ」は飽きずに喧伝され続けます。

スピ系の発信者も、エゴの欲望を刺激した方が閲覧数や再生回数を稼げるため、そういうコンテンツを多く発信したがる(私はやらんけど)。

そのようにして、欠乏感や渇望感をさらに深める人が多くなるわけ。

ただ、前回のブログでも述べた通り、願望の引き寄せ、夢の実現ができるのは「少数者」だからこそ、価値があるのです。

言い換えれば、「全員が夢や願望を実現するのは、原理的に不可能」なのです。

オリンピックで金メダルを取れるのは、一人だけですよ。

「成功者は一握り」という事実は「地上世界のルール」と言えるのですが、欲に目がくらむとわからなくなる。

そういう人は「ワンチャン、もしかしたら、自分だけは何とかなるかもしれない・・・」と淡い期待を抱く。

「ワンチャン」「もしかしたら」「自分だけは」と思っている時点で、「成功者は一握り」だという事実を本当はわかっているのですけどね。

そういう人の大半は成功できません。

自己啓発や引き寄せ本のハウツー本が売れる割に、本当に成功している人はとても少ないのです。

そうすると、今度は自分の運や能力のなさを嘆いたり、成功者を妬んだりする人が出てきます。

「『引き寄せ(の法則)』の通りにならなかったのはなぜだ???」「強く願ったはずなのに、宇宙に通じなかったのか???」と、自分を責めるか、今度は他者を責めることになる。

どちらにしても、それは欠乏感や渇望感というエゴから出発したことによる、憐れなる末路なのです。

前にも述べた通り、引き寄せは決して「法則」ではありません。

ただ、それでも「引き寄せ」をやりたいなら、必ず低次元のエゴではなく「高次元の動機」から出発しなければ、不幸になります。

たとえそれで運良く「成功」しようが、エゴから出発しているがゆえに波動(オーラ)は暗く重たくなる。

「波動の観えるスピリチュアルカウンセラー」として、そういう人を数え切れないぐらい観てきました。

それは「魂」としては完全なる敗北なのです。


なぜ自分に引き寄せる必要があるかというと、自分が引き寄せたいと思っているモノやコトを、現実としてはまだ「持っていない」からです。

そう自分の中にまた「ない」からこそ、外側から引き寄せる必要があるんですよね?

だって、自分の中に「すでにある」のであれば、わざわざ外側から引き寄せたいと思う必要なんかないじゃないですか。



ここまで言った時点で、一般的な引き寄せの法則をそれなりに勉強している方は「あっ!」とお気づきかもしれません。

そもそも引き寄せの法則というのは「自分の深く抱いている感情のエネルギーが現象化する」ということでしたね。

自分の内側にあるもの、すでに心の奥深くに抱いているものを、現象として「引き寄せる」わけでしょ?

言い換えれば「セルフイメージ通りの現実を引き寄せる」ということです(ただしこの場合のセルフイメージは深いレベルです)。

でも、先ほど考えてみた通り、「引き寄せ」という言葉には「自分の中に無いから、自分の外側から引き寄せる必要がある」というニュアンスが含まれてしまっているんです。

だから、不用意に「引き寄せたい、引き寄せたい、引き寄せたい」と思えば思うほど「自分はまだそれを持っていない」というイメージを強化することになりかねないんですよ。

ここに「引き寄せ」という言葉の難しさがあるわけです。

「引き寄せの法則」じゃなくて「同調の法則」と言った方がいいかも

・・・いかがでしょうか。

細かいことを言うヤツだな、って思いましたか?

屁理屈言ってんじゃねえよ、って思いましたか?

私は波動が観えたり感じたりする人間なので、人からは「超右脳タイプ」に見えるかもしれません。

ところが、論理的な一面も強いので、上のように屁理屈? で考えることも多いわけです。

たとえ屁理屈でも少し考えれば、誰でも「引き寄せ」という言葉が抱えている矛盾や限界が見えてくるはず。

なので、本当は「引き寄せの法則」ではなく

「同調の法則」(自分の発している波長・波動が合った現象が起こること)

という言葉にした方がいいんじゃないかなと思います(「引き寄せの法則」以前から使われていますけど)。

ただ、やっぱり言葉は「引き寄せ」にした方が超能力っぽい印象があって「いかにもスピリチュアル」です。

今後もしばらくスピ業界ではウケの良い「引き寄せ」が使われ続けることでしょう。

あなたが当ブログを読んで共感していただいたなら、「引き寄せ」の言葉を見聞きするときは、その矛盾や限界を知った上で接することですね。

言葉に自覚的であれば、その矛盾や限界に惑わされることは少なくなりますから。