お名前だけで人やモノのオーラ(波動)がわかる、波動カウンセラーの林 昭裕です(「詳しい自己紹介はこちら」)。
人やモノの波動(オーラ)がわかる特殊能力をベースに活動しており、ここでは【マジスピ】(真のスピリチュアル・脱お花畑スピリチュアル)をテーマに情報発信しています。
今回は、過去にも少し述べたことがあるんですが、
「"引き寄せ"を超えて、"引き受け"で生きる」
「"自己責任論(因果論・カルマ論)"の弊害に毒されずに生きる」
ことについて考えていきます。
このブログを読んでいただくと、
・引き寄せの法則に惑わされないようになります
・複眼的な物の見方を学ぶことができます
・占い師や霊能者にマウンティングされずに済みます
このブログの作成時点では、私たちが慣れ親しんだ
・「因果論」:過去が現在を作り、原因が結果を決める(カルマ論ともいう)
・「果因論」:未来が現在を作り、結果が原因を決める(目的論ともいう)
について続けて発信しているところです。
※以下は「果因論」に関する過去記事です。あわせて読んでいただくと、より理解が深まります。
「果因論」は常識と考え方が根本的に異なるので、理解が難しい部分があります(慣れれば本当は難しくないことがわかってきますが)。
「過去があるから現在があり、現在の積み重ねで未来が決まる」というのは常識中の常識なので、それに対する異論を聞けば違和感を覚えるのは無理もないことです。
なので、今回もこれまで述べてきたことを復習しつつ、少しだけ新しい考えを上乗せする書き方をしていきましょう。
目次
因果論・カルマ論がもたらす「思考停止」と「自責思考」
「自己責任論」は、よく見聞きする言葉ですね。
これ、ちょっと考えれば因果論(カルマ論)のバリエーションの一つであることがわかるはずです。
「オメーが不幸なのは、全部オメーに責任があるんだよ」というのは、「過去があって現在がある」という因果論(カルマ論)そのものだからです。
この自己責任論という名の因果論(カルマ論)に対し、私たちはなかなか反論することができません。
なぜなら、至極もっともな論理のように感じるからです。
そもそも「自己責任」という言葉が使われていたのは、投資(投機)の世界に限られていたようです。
自分でリスクを背負って投資する。
必ずしも成功や儲けは約束されていない。
もし当たれば多くの儲けが自分のものになる代わりに、損すれば誰のせいにもできない。
この「自己責任」の考えがおそらくバブル崩壊以降、日本から経済的活気が失われていく中で、日常においても使われるようになったようです。
「人生で起こるすべての出来事は自分に原因があるから、自分に責任があるのは当然」という論理は、決して間違いではありません。
しかし、この種の自己責任論は、ややもすると「思考停止」や「自責思考」に陥る危険があるんです。
これは「引き寄せの法則(という名の因果論)」にも当てはまることなので、あなたが「引き寄せ好き」なら留意された方がいいでしょうね。
スピ系の現場でときおりあるのは、例えば占い師や霊能者に「あなたに災難が立て続けにやってくるのは、全部あなたのカルマなのよ。だから地獄に落ちるわよ」なんて言われ、普通の人はなかなか反論できず押し黙ってしまう。
というのは、ここに「自己責任論」が絡んでおり、それがもっともな論理に聞こえるために、何も言えなくなるんですね。
ちょっと言葉は厳しいですが、これは「思考停止」に陥っている状態です。
そして、これは前にも述べましたけど「あぁ、やっぱり自分が悪いんだ・・・なんて自分はダメな運命にハマってしまったんだろう・・・」と「自責思考」に陥ってしまう場合もあるでしょう。
これが、自己責任論が「思考停止」や「自責思考」を生んでしまいかねない例です。
私は口が裂けても言いませんけど、従来の因果論(カルマ論)しか知らず、かつ相談者に寄り添えない(あるいは感情的な問題を抱えている)スピ系センセーは、ついつい相談者にやってしまいがちです。
余談ですけど、こうやって「マウントを取る」のが、一部の先生業・講師業のドSプレイスタイルなのであります(気の弱いやさしい人はこのパターンで支配できますから・・・)。
それはともかく、実は、私たち日本人は「自己責任論」を好む傾向にあります。
例えば、芸能人や政財界人の謝罪会見や、最近ではユーチューバーの謝罪動画。
そこで「やらかした本人」が「この度の不祥事は、すべてワタクシの不徳の致すところでございます!誠に申し訳ございませんでした!」と平身低頭で謝りまくり、ホンネは「期間限定」であるところの「無期限活動休止」を表明する。
その謝罪っぷりが国民やファンに納得いくものであれば、「ちゃんと反省してるらしいから、今回は勘弁してやるわ」という気持ちになる。
そうやって「自己責任を重んじて生きるのが、紳士淑女たる者の礼節である」という考え方が、日本人のどこかにありますよね。
欧米人はディベートに慣れているためか、明らかにテメーが悪いのに無理にでも自己正当化する人もいます。
それはそれで別の問題があるでしょうけど、少なくとも「自己責任論」に毒されることは少ないかなと思います。
もちろん自己責任論の考えは、何らかのトラブルや不平不満を社会や世間や親や先生やパートナーのせいにして生きるよりずっと良いものであることは間違いない。
けれども、この種の「自己責任論」だけで生きるのは、すでに述べた「思考停止」や「自責思考」に陥る懸念があるから、結構しんどいんです。
「真の自己責任」とは、自分も他人も責め裁かないこと
人生にはいろんなことが起こりますけど、ときに「理不尽なこと」ってありませんか?
何も悪いことをした覚えなんてないのに、青天の霹靂のごとく、突然トラブルに見舞われることがある。
「泣きっ面に蜂」と言われるように、イヤなことが立て続けに起きることもある。
「不条理」という言葉以外に表現しようがない。
ただ、従来の因果論(カルマ論)からすれば、理不尽や不条理な出来事もまた、自分が原因で引き起こしたという「自己責任論」が適用されてしまうんです。
「今のアンタには身に覚えがないかもしれないけど、実は"過去世"で人を殺しまくったんだわ。だから現在その報いを受けるのは当然だわ」と、またどこかの占い師や霊能者に言われたらどうしますか?
こちらは「あ、はい・・・そうなんですね・・・」としか言いようがない。
でも、あくまで現実的に考えれば、そんなの記憶にないんですよ。
スピリチュアル業界的には「この地球に生まれる前に"過去世"の記憶を消された」なんて言うけど、そんなもん知らんわ!
本当に記憶を消されているとしても、まさに消されているがゆえに、「そんなもん知らんわ!」と、目の前の出来事が辛いほど、そう嘆きたくなるでしょうね。
なので、自己責任論(因果論・カルマ論)や引き寄せの法則(と呼ばれているもの)に徹して生きるには、相当な覚悟がなければならんのです。
決して「思考停止」に陥ることなく、失敗やうまくいかない原因を考え抜くこと。
決して「自責思考」に陥ることなく、「どうしたらうまくいくか」だけを考え抜くこと。
誰かを責めず、自分すらも責めず、淡々と問題解決や願望実現に向けて努力と工夫を重ねていくこと。
カンの良い方はお気づきと思いますが、
「真の自己責任」とは、決して誰も責めない。
(自分自身も含め)誰も責めない、裁かない、争わない。
スピリチュアル・宗教的に言えば、
・「罪」というものはどこにも存在しない。
・誰もが、はじめから赦されている。
ということですね。
「責任」という言葉に「責」という字があるため、どうしても「責める」というイメージに囚われがちです。
しかし、本当の責任とは「自分で選んで引き受ける」ということなんです。
いわゆる過去世で何か大きな罪悪を犯した記憶はない。
だから「自分が悪い」かどうかなんて、わからない。
けれども、それが自分の人生に降りかかっていることは間違いないこと。
何をしても逃げられないのであれば、真正面からそれを背負うことにしよう。
あくまで「自分の選択」としてそれを引き受けることにしよう。
これが一般的な「自己責任論」を、より深めていった心境です。
興味深いことに、自己責任論(因果論・カルマ論)の次元を深くしていくと、その弊害である「思考停止」や「自責思考」を超えていき、実は「果因論的な世界」が開けてくるんです。
※果因論を復習したければ以下をどうぞ
「引き受け」は、引き寄せの法則を含んで成熟発展させた考え方
簡単に復習すると、「果因論的な世界」では「自分に起こる問題は、過去世の自分に原因がある」と捉えないのでした。
そうではなく、
「良き未来や魂の成長をもたらすものとして、いまそれが起こっている」
と捉えるのでしたね。
過去世がどうだったかなんて、そんなもん知らねーよ。
普通の人間が考えてもわからんことは、白か黒かイージーに決めつけない。
そうやって安易に割り切らないのは、
「未来はまだ決まっていない」
という立場に立つからです。
以前のPodcastで、こういうことを言いました。
「因果論(カルマ論)が不徹底だと、不平不満を自分以外の物事のせいにする場合がありますよ」
先ほども述べた通り、「自己責任論(因果論・カルマ論)」は本来、思考停止にも自責思考にも陥らないで主体的に生きる考え方なんですけど、これが中途半端だと何か他のせいにしたくなるんですね(あるいは自分を責めるか)。
一方、果因論は「すべてを良き未来や魂の成長をもたらすものとして引き受ける」態度なので、一見すると自己責任論に思えてきます。
ただ、これは自己責任論とは微妙に違うんですよ。
因果論(カルマ論)のように「自分の過去の行いが原因で大変なトラブルが起こった」とは捉えず、
「なぜだかはわからないけど、大変なトラブルが”不意に訪れた珍しい客”のような感じで起こった」
と捉えます。
別にこちらから意図的にご招待したわけじゃないんだけど、"縁"あってバッタリ出くわしてしまったんですね。
けれども、そこに「深い縁」を見出し、「深い意味」を見出そうとする。
これが果因論的な考え方なんです。
先ほど述べた「未来はまだ決まっていない」という考え方を別の角度から言うと、
「人生は自分の思い通りにはならない」
ということになります。
ただ、これを因果論的に解釈すれば、
「『人生は自分の思い通りにならない』って言うけどさ、アンタの表面的な意識では思ってないだけで、本当は潜在意識のレベルじゃ望んでるんだよ」
と言うでしょうね。
けれども、「潜在意識」って言われたって知らんがな!
という感じで、果因論は私たちの現実的な姿に寄り添っているわけで、ここが果因論の「やさしい」ところだと思います。
「果因論」と言うと難しく聞こえるけど、日本人にわかりやすく言い換えれば、
「ご縁を大事にする」
ということです。
「縁」は日常用語なので、とってもわかりやすいですよね。
「袖振り合うも多生の縁」という言葉があります。
これは「道ですれ違うだけの間柄だとしても、それは多生(過去世)からの縁なんだ」という意味ですね。
「過去世からの縁」という文脈においては、因果論です。
ただ一方、そのすれ違うだけの縁が、もしかしたらこれから深い関係性にまで発展する可能性を秘めているわけです(たまたま新幹線や飛行機で隣り合わせた人と仕事したり恋愛したり)。
この文脈においては、果因論的でもある。
そんな理屈はともかく、
「カルマかダルマかよく知らねーけども、無数の人間がいる世の中で縁あってアンタと出会ったんだから、このご縁を大事にしましょうや」
というのが、日常レベルに落とし込んだ考え方なんです。
なので、一つの物事においては、因果論的な視点と果因論的な視点の両方があるわけです。
そして先ほども述べた通り、因果論も突き詰めると果因論に反転します。
逆に、果因論も突き詰めれば因果論に反転するわけです(トラブルは良き未来や魂の成長をもたらすものとして受け止めることで、未来に良き種をまくことになるから)。
「引き寄せの法則」を実践したところで、望むものは引き寄せられないかもしれない。
けれども、結果がどうなろうとも、それもまた自分に与えられた「ご縁」として引き受け、その上でできる努力と工夫を積み重ねていく。
それが、ともすれば「思い通りに人生を支配したい」というエゴの混在する「引き寄せ」から、ご縁を大事にし、最終的には運命を信頼してゆだねる「引き受け」にまで成熟していくんです。
「引き受け」とは「引き寄せ(因果論)」を含んでさらに発展させた果因論的な考え方と言えるわけで、もしこの態度に徹することができたら、先ほど述べた自己責任論がもたらす「思考停止」や「自責思考」に陥らずに済むかと思います。
どうやら「真実は一つ」ではないようです。
捉え方の違いによって、違った物事が見えてくる。
そのことを簡単に話したのが以下のPodcastです。
それと、けっこう前のPodcastですが、「引き受け」について語った回があります(今回のブログはそこをさらに発展させた内容です)。
あわせてご参考にしてくださいね。
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