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神仏や宇宙にゆだねて根本から運命転換するには、どんな不幸をも受け入れる勇気が必要。

お名前だけで人やモノのオーラ(波動)がわかる、波動カウンセラーの林 昭裕です(「林 昭裕〈マジスピ〉の詳しい自己紹介はこちら」)。

【マジスピ】(真のスピリチュアル・脱お花畑スピリチュアル)をテーマに情報発信しています。

前回の「マジスピラジオ音声配信」は禅タロット講座の受講生さんとの対話でしたが、メインテーマは「なぜ運命は “宇宙にゆだねる” “神様におまかせ” だけでは好転しないのか?」ということでした。

ラジオでは雑談でざっくり話をしただけでしたので、今回のブログでもう少し深堀りしていきます。

最初に知っておきたい注意点として、スピ業界や宗教界隈ではよく「宇宙さんにゆだねましょう♪」とか「神様におまかせしていれば道は開ける(はーと)」なんて言われますけど、これを決して安易に捉えないことです。

本来「ゆだねる」とか「おまかせ」とかいうのは仏教では「全託」とも言うのですが、これは〈いのちを捨てる・捧げる・尽くす〉という、非常に激しい性質のものだということを思い知ること。

これをアタマで理解するだけでも、軽々しく「運命におまかせ♪」などと言わなくなるでしょう。

軽々しく言うだけ、その人間の軽薄さと、上っ面のスピリチュアルであることを露呈するハメになります。

私も一応スピ系でしょうけど、あまり「ゆだねる」「おまかせ」の単語を使わないのはこれが理由。

使うなら、本気(マジ)で使う。これぞ【マジスピ】。

したがって普通のスピリチュアルや宗教で「ゆだねれば、うまくいく(ほし)」「おまかせすれば、いいことが起きる(はーと)」とかなんとか言っているときは、”ウケ狙い” を疑った方が良い。

「いいことが起きる」という御利益、「うまくいく」というメリットを強く謳う “専門家” は、私たちのエゴを刺激して人気を取ろうとしている目論見を疑った方が良い。

実際、私はそういう情報発信している人の波動(オーラ)をよく観るのですけど、あまりパッとしない人たちが決して少なくないのであります。

たとえ素質や能力があったとしても、わざわざ自身を「エゴの波動」に迎合することでオーラを格下げしてしまっている人もいるので、実にもったいない。

本当のことを言えば、

「おまかせ」をしたとて、「ゆだねた」とて、うまくいかないことはあります。

 

むしろ「嫌なこと」「苦しいこと」が増えるように感じることもあるでしょう。

 

もしそうなったとしたら、実は “うまくいっている” 証拠です。

 

何度も己を顧みて、この「ゆだねる想い」は真っすぐなものだと信じて疑わないなら、自分に振りかかる「痛苦な出来事」は、むしろ神仏に愛されている証なのです。

 

・・・ま、本当にゆだねている人、おまかせしている人に、そもそもこんなことを言う必要はないのですけど。

もうお分かりの通り、真のスピリチュアル(マジスピ)的な「おまかせ」をしている人は、普通のスピリチュアルとは「うまくいく」の定義が違う。

もちろん「物質的なご利益」ではない。

そんなものは、黙ってても後からついてくる(ついてこなくてもいいけど)。

「ゆだねる」ことによってその人の「運命の車輪」が本格的に回転し始めるとするなら、困難や試練がやってくるのは “当たり前” のことなのです。

車輪をより高速で回転せしめるためには、まずサビを取らないといけないから。

「運命にまかせる」「神仏にゆだねる」ほどに「神霊波動≒宇宙エネルギー」に近づくわけなので、未熟な自分を磨くため、己の魂の罪穢れ(つみけがれ)を祓い清めるための現象が起こるのは “当たり前” のこと。

「光」に近づきゃ「影」も濃くなるのは “当たり前” のことだろーが。

つい「当たり前」という言葉を連発してしまいますが、それだけ「普通のスピリチュアル」と「マジスピ(真のスピリチュアル)」とでは基準が違いまくりなんですよ。

「神様におまかせ♪生かされていて有り難い♪」などと言っている人に

「じゃあ不幸や辛いことが起こっても、それでもまかせられますか?心から感謝で受け止められますか?」

と聞くと、「いや、それはちょっと・・・できれば苦しいことは避けたいです」と言う人が大半です。

あのね・・・それ、まかせてねーから、ゆだねてねーから。

と言うと、シュン・・・としちゃう人が多いんですけどね。

これが「厳しい」と感じてしまうのは、「物質的なご利益を得たい」「できるだけラクしたい」という欲望を持っているからですよ。

それを現代人の多くは「幸福」だと思っている。

でも、それじゃ「スピリチュアルごっこ」の域を出ないのであります。

「おまかせごっこ」の「ゆだねたフリ」をしているだけやで、それはただの「丸投げ」でしかないんやで、と言うとさらにシュンとしちゃうと思いますが・・・

そういう「ごっこ」の人たちが軽いノリで「まかせれば、うまくいく(はーと)」なんて言いやがるもんだから安易に受け取る人が増えるわけだ。

かねてから「フツーのスピリチュアル本やブログ、YouTubeばっかり見ているとアホになりまっせ」と言っているのは、こういうことなんです。

そのアホの壁を超えて「真にゆだねるとは、真にまかせるとは、命をかけること、全身全霊で神仏に体当たりすること」と定義すると、実は全くゆだねられておらず、そのくせに「ゆだねたつもり」になっている「自分自身の愚かさ」に気づき始めるのであります。

自分の愚かさを思い知ることができれば、「ゆだねる力」「まかせる力」は格段に深まるでしょう。

なぜなら、「ゆだねる力」「まかせる力」の根底にあるのは「愚かさ」だからです。

賢いヤツは「賢い」がゆえに、決してゆだねようとはせず、自己満足するでしょう。

一方「愚かな人間」は愚かさの自覚があればこそ、その卑小なる自己を「壮大なる宇宙」にまるごと突撃してゆく勇気が湧いてくるわけです。

その結果として生ずるかもしれない困難や試練は、己の愚かさを叩き潰し「魂の成長」を促進させるものだとすれば、とても「うまくいっている証」だと思いませんかね?

こんな感じで、真のスピリチュアル(マジスピ)では普通のスピリチュアルとは「うまくいく」の定義が根本から違うんですよ。

まぁ、現代人の大半はもちろん、ある程度「宗教心」を持っている人ですら不幸や困難は避けたいと思っているので、今回は内容は特にウケが悪いです(笑)

「”魂の修行” とか言ったって、やっぱり無事平穏に過ごしたいじゃないですか」と、比較的マジメに宗教やスピリチュアルを学んでいる人ですら、そう言ってしまう。

それは人情としてはわかりますけど、これじゃ率直に言って「普通の人」です。

もし「普通の人」として生きたいなら、本来【命がけ】や【命を捨てる】のと同義である「おまかせ」や「ゆだねる」という言葉を安易に使わない方がいい。

背後の守護霊や指導霊が、

「お、コイツ “おまかせします” とか本気で言ってんの?そう、じゃあそろそろ鍛えるための試練をブチ込んでやろうかな。”おまかせします” なんて言ったのはテメーだから、今さら文句ねーよなぁ?ワシに “ゆだねる” んだもんなぁ?」

とスイッチが入らないように、黙っといた方が得策だぜ。

ただ、実際は

「コイツ、”おまかせします” なんて言ってるけど口先だけだよなぁ・・・もっと本気で言うまで待ってやるか・・・」

と判断するでしょうけど。

それで「ワタシは信仰や祈りのおかげで、無事平穏で幸福な人生を送れています。あぁ有り難い有り難い」なんて言う人もいるかもしれないね。

でも本当は、アンタは神仏から「コイツは導き甲斐のない “普通の人間” だな」と判断されているだけだよ。

どうぞフォーエバーお幸せに。

一方、この【マジスピ】では、もちろん「普通じゃない人」を目指しています(笑)

物質主義が全盛の時代、誰もが不幸を厭い幸福を求める時代に、自分の生命の本源たるところの「大宇宙」に、たとえ現象的には困難や試練に見舞われても「ゆだねようとする」「おまかせしようとする」というのは、どう考えても「普通じゃない人」ですよね。

ただ、そもそも「普通」じゃ納得いかない「魂が贅沢な人」が当ブログを読んでくださっていると信ずる。

であれば、愚かさという原点に還り、心を尽くして「突撃の祈りのラッパ」を独りで吹かねばならない。

そうして愚かな自分ごと「大宇宙」に突撃していくとき、「大宇宙エネルギー」との交差によって生命が燃え立ち、肉体の細胞までも躍動するのを感ずるのであります。

それを、あえて言えば「ゆだねること、まかせることの”真のご利益”」なのでしょう。

それが「仕合わせる力」、つまり自己と大宇宙=神仏とが「仕合わす」ことによって生まれる「魂の火花」なのです。

叩けよ、さらば、開かれん。

そうして火花を散らす人間の波動は、実に美しい。

「人間を超えたもの」の力に抱き取られているがゆえに、たとえ愚かでも美しい。

私はそれがたまたま、ある程度感じられる体質だからこそ、自分もそうありたいと願う。

そして、その願いを持ち続けた結果、私は「おまかせ」して「ゆだねる」ことの歓びの一端を味わってしまった。

これは、もう、やめられない止まらない(はーと)。


素朴に考えたらわかるけど、人間的に魅力的な人、素晴らしいなと感じる人ってどういう人ですか?

まず間違いなく、不幸や困難を乗り越えてきた人でしょ?

そうして人間として成長を遂げているからこそ、周囲から一目置かれる存在なんですよね。

だったら、私もあなたも、神仏におまかせし、大宇宙にゆだねることで、自分を鍛えていきませんか?

すでに苦しみや悲しみの中にいるなら、その中でも耐え忍べる強さを呼び覚ますために、ゆだねていきませんか?

そうやって自分を磨いた人の方が、結局は物質的にも恵まれちゃうのよ。

この物質世界では魅力が「引力」になって、人望もチャンスも、そして多少のお金もついてくるんだから。

その意味で、「ゆだねれば、うまくいく(はーと)」のは、あながちウソじゃないかも。

だから物質的な利益を第一に求めている人も、遠慮なく本気でおまかせしちゃえよ、ゆだねちゃえよ(笑)

今は「例の不祥事」で使いにくい表現になってしまったけど、「ユー、やっちゃいなよ」。

「いや、困難や試練はちょっと勘弁してください・・・」なんて呑気に言ってるほど、肉体の生命は長くないのだ。

その「肉体生命の儚さ」の自覚も、己の愚かさを知るための手がかりとなる。

「限りあるいのち」を持ちて、「限りなきいのち」に突進せよ。

そのとき、「限りあるいのち」の中に、「限りなきいのち」が宿っていたことを知るだろう。

本当は「無事平穏な人生」こそ、魂の成長の無い、実に不幸な人生だと知らねばなりません。

ゆだねたとき、まかせたとき、もし試練としての不幸や災難が起こるとしても、それは必ず乗り越えられる。

このことを信じられなければ、ゆだねたりまかせたりすることはできません。

「ゆだねたら、うまくいく(はーと)」なんて最初から期待したら、ゆだねる勇気なんか出てきやしないのです。

だから繰り返しますが、

愚かでなければならない。

小利口になってはいけない。

計算してはならない。

愚かさの中から湧き起こる勇気ある突撃こそ、神仏や大宇宙が最も好むところであるのは、そうやって生きる人間の波動の美しさから私は感じられます。

あなたは波動が観えないかもしれないけど、小さな成功で満足せず何かに挑戦し続ける人は魅力的に見えるはずだし、ときに応援もしたくなるはず。

人間ですらそうなのだから、神様はなおさらですよ。

というわけで、神仏や宇宙に「おまかせ」「ゆだねる」とは決して簡単なことではないものの、愚かな勇気を奮って跳躍するとき、地上世界の成功や失敗を超えた「魂の躍動」を感じることができるでしょう。

真のスピリチュアル(マジスピ)的な「仕合わせ」とは、ただこの一点のみなのです。

追伸

今回の内容を書いた背景やこぼれ話を以下の「マジスピ・サブラジオ」で話しています。

さらにご興味あればご聴取いただければと思います。

「カルマの解消」を超えた祈りの道

※2分30秒あたりから話しています

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