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第289回:天に愛されるには、この世を超えた崇高な理想を描き続けること。

※ウェブサイト『マジスピ』には音声の文字起こし(読みやすく加筆修正済)があります。

■今回は以下のブログを違う角度から語り直しました(https://prism-life.com/let_there_be_light_and_there_was_light/

■YouTubeではメモ、資料、スライドなどを映していますが、音声プラットフォームの「ながら聞き」でも十分ご理解いただけると思います。

ウェブサイトでは最下部に音声プレーヤーがあります。倍速再生も可能ですし、YouTubeより通信量も少ないし、スマホを画面オフにしても聴けるので便利です。

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ここから下は編集中です。まだ「一部に誤字脱字のある、ざっくり文字起こしの段階」をご理解の上で読んでください。配信日から1週間以内に加筆修正して読みやすい文章にしますので、待てる方は少しお待ちください。

なぜ大人になると夢や理想を失ってしまうのか?

今回の要点

  • 何気なく行っている「思うこと」の偉大さに気づくことが、大きな理想を描く第一歩。
  • 現実的な成果やコスパ・タイパを求める物質主義的価値観は、魂の器を小さくさせてしまう。
  • 理想とは個人的な成功を超えた、「世のため人のため」になる大きな祈りのこと。
  • たとえ実現しなくても、理想に向かい続けることで魂を輝かせし、人生を「むなしさ」から解き放つ鍵となる。

今回は「理想の大切さ」を語ります。

夢や理想に向かっていける人と、できない人の違いは何なのか。

それを「真のスピリチュアル」の観点から話をいたします。

何回か前に語った内容の続きですね。

わかるようでなかなか難しい話かもしれませんが、わかったら真の幸福、真の充実に人生に入れます。

現代に巣食うニヒリズム(虚無主義)を超えていくこともできるでしょう。

それだけ根本的なことなのですぐには理解できないかもしれませんが、考える材料としてご参考にしてください。

まず、結論的なことを言っておきましょう。

「理想なんか描いたところで、どうせ実現できないんだから、じゃあ最初からそんな青臭いことなんか思い描かない方がマシだ」と。

 

これがいわゆる「大人」というやつですけど、これは物質主義的な価値観に囚われているんですよ。

 

こう思い込んでいる限り、価値ある人生は築けないと断言します。

そうして「人並みに生きよう」なんて思っていると、結局は「人並み以下」になるんです。

でもそういう人の周りは「人並み以下」だから、自分がそうなっていることに気づけない。

そうなると、「肉体がまだ死んでないから生きている」という状態になって、率直に言って動物とあまり変わらなくなってしまう。

人間と他の動物と根本的に違うのは「魂の有無」なので、人間は誰でも魂として生きなければならない。

それが「理想を抱く」ということなんです。

安っぽい自己啓発ではなく、「夢は必ず叶う!」なんて真っ赤なウソではなく、真に生きるためには理想が必要なんです。

前回は「天命は "好きなことだけで生きる" じゃない」って言いました。

そうじゃなくて天命というのはまさに「天の命(めい)」だから、天は自分にどういった命(めい)を下しているのか。

何のためにこの地上世界に自分という命を生み出したのか。

それを常に問い続けるということ、そのプロセスそのものが、本当は天命を生きることなんです。

だから実現できるとかできないとかって話ではない。

その問いをなくせば、もう「人にあらず」という根源的なことです。

理想というのは、個人的な成功とか地位とか名誉とかよく言われることではなくて、やっぱり世のため、人のため、そしてこの地球環境のためになるようなことです。

かといって「気候変動」という政治的プロバガンダに乗っかり野心的なビジネスを仕掛けることは、もちろんテメーの都合なので理想ではありません。

エゴの身を抱えながら、なるべくエゴを超えた祈り、願いを持ち続けるということです。

ただ、実は最初に大きな関門が待ち構えていて、それが「理想の大切さを認識できるか」ということです。

これが理解できなかったら、最初からズッコケます。

今回参照しているブログにも書いてますが、経営の神様・松下幸之助のこと。

私は高校生の頃から松下幸之助の実践的な経営哲学が大好きでした。

松下が生前の講演で語った「水道哲学」という有名な話があります。

戦後まだ日本が物質的に貧しかった時代に、まるで蛇口をひねれば簡単に出る水道の水のように、低価格で良質な機械大量供給することによって、消費者の豊かさを実現すること。

これが水道哲学です。

おそらく時代としては1950年代だと思いますが、ある講演で水道哲学について語ったとき、聴衆から「松下さんのお考えはよくわかりましたけども、そんな絵に描いた餅のような構想は、どうやって実現できるんですか?」と質問した方がいたようです。

松下はこう言いました。

「それは僕にもわからんのや。でも、まず思わないとあきまへんな」と。

会場には失笑が起こったようです。

「なんや、わからへんのかい!」「わからんのに言うてんのか!」という感じでしょうか。

けれども、その中でただ一人、この言葉に衝撃を受けた男がいた。

これも有名な話ですけども、これが後の京セラの創業者でいらっしゃる稲盛和夫さんですね。

稲盛さんは今回のテーマである「理想の本質」を一瞬で掴んだからこそ、今の京セラがあるのだと思います。

まだ貧しい当時の日本にとって、まずは物質的に豊かな社会を築くことが理想でした。

松下の本質は経営者というより「大思想家」だから、本当は日本に「精神革命」を起こしたかったのだと思います。

でも「衣食足りて礼節を知る」ということで、まずは物質の繁栄を思い描いたわけです。

それを、まずは「思わなあきまへん」。

「まず思う」ということからスタートすること。

でも、私たちの大半はここに「ブロック」があるわけですね。

「思っても、何にもならへんやないか」と。

今日のランチは何を食べるかを決めるのも「思わなあきまへん」のに、多くの人はこういう素朴な真実をバカにしたがる。

この「バカの壁」を超えないと、今回の内容は百万回聞いても何にもならない。

多くの人は理想を思い描く前に、リスクを先取りしてしまいがちです。

理想が破れたら、失敗者、負け犬などの烙印を押されてしまうかもしれない。

自分の無力感、みじめさを感じるかもしれない。

それに、自分には人脈もない、チャンスもない、時間もない、お金もない、才能もない・・・などと「できない理由」も先取りしてしまう。

こうしてネガティブな方面から考えてしまうのは、「人間というものは、この肉体だけの存在」だと自己限定しているからです。

これがさっき述べた「物質主義的価値観の呪縛」なんです。

松下や稲盛は、そもそも精神的なものへの関心が高かったから、人間とはこの肉体にあらずして「目に見えない霊魂」だとすでに認識していた。

その認識の質量が、彼らの人生を大きくしていったわけです。

私たちは後世の人間として、「まず思うこと」からスタートした偉大な人たちを知っています。

偉人ゆえその成功の規模は大きいものですが、その「結果」だけに目を奪われてはいけません。

結果が出ようが出まいが、魂としての価値は「理想に生きるかどうか」だけです。

理想を描き続け、結果が出ても出なくても関係なく天命を問い続けながら、実践を続けるしかないんです。

オーラを輝かせるには、現実に囚われず大きな理想に生きること

こう言うと、「実現するかわからないのに、理想を描いて生きるのってコスパ悪いじゃないですか」と思う人も出てくるはずです。

コスパ、タイパのみで考えると、理想を描いて生きるのは割に合わないに決まっている。

ここにあるのは、「確実に実現できる範囲で行動したい」という欲望です。

言い換えれば、ローリスクでハイリターンを狙おうとするか、無駄なく結果を求めたいという欲望です。

これは一見「合理的」ですが、こういう小賢しい人間は大したことはできないでしょう。

そもそも、人生はコスパなんでしょうか?

天地創造の神は「コスパ重視」で宇宙を創ったんですか?

こういう「合理的な人」の合理性は、自己中心的です。

自分にとって都合が良いかどうかだけが判断基準です。

こういう人の波動(オーラ)は、重たいか小さい。

私はそれが観える立場なので、本当にオーラを輝かせ価値ある人生を生きるには、実現できるかどうかはさておき、大きな理想に生きるしかないとわかるわけです。

現在の自分の才能や実力は関係ありません。

才能があるかどうかは、遺伝という「肉体」に付随するものです。

でも、「魂」の世界では才能など関係ありません。

あなたに全く才能がなく、掃除ぐらいしか自分の生きる道がないなら、「掃除で世界をキレイにする」のがあなたの理想になり得る。

それが本当に思い描けるようになったら、掃除を通じて自己を磨く道に入るでしょう。

本当に「払い清める」のは、自分自身の魂だったとわかるでしょう。

こういう世界が掴めるようになったら、あなたの運命は躍動していきます。

周囲が何を言おうが、あなたはあなたの天命に向かって進んでいくだけです。

私もまた、周囲が何を言おうが、ブログやYouTubeにアクセス数があろうがなかろうが、食っていけなかろうが、関係なく今の仕事をやり続けてきました。

私にはこのサイトのタイトルである【マジスピ】(真のスピリチュアル)を理想に掲げました。

金運、令愛運、健康運、引き寄せなどエゴイズムの渇望ではなく、魂としての本当の生き方を追窮していくこと。

古今東西の優れた宗教家や霊的覚醒者を尊敬し、願わくば自分もその道に連なりたい――

単にちょっと波動が観える程度の無名の存在で人生が果てようと、そんな「この世のこと」は関係ないんです。

人を相手とせず、天を相手とせよ――

この西郷隆盛の言葉がわかるようになると、たとえ小さくとも、自分独自の道を歩めるようになります。

これが「祈りの道」なんです。

聖書にある「祈ったものはすべて叶えられる」というのは、物質的なこととは限らない。

霊的な要素も踏まえなければなりません。

祈りというのは「自分を超えたもののために生きる」決意です。

そうすると、聖書の言葉にある通り、「神が私を強くしてくださる」んですよ。

これはクリスチャンの専売特許ではなく、「波動の法則」なんです。

「すべてに光あれ」という神の御心に波長が合うわけだから、もしその祈りや理想が本当なら、強くなるんです。

「祈ったものは、すべて叶えられる」というのは、こういう霊的な要素もある。

そして、聖書的に言えば「神」や「聖霊」のご加護をいただきながら歩んでいくプロセスは、生命の充実を約束する。

これが「真の幸福」を生む。

本来、「道」とはこのことを言う。

「祈れば物質的なものだけ叶えられる」とだけ思っていたら、欲深い人間であるほど物足りないでしょうよ。

たとえ理想に到達しなくても、そこに向かって行くことそのもの尊いことだとわかるかどうか。

現代の物質主義的価値観の汚染から脱却しないと、ここを掴むことはできません。

それを掴むのが本当のスピリチュアルの学びですよ。

「まず思う」ということ。

忍耐強く、思わなあきまへん。

その忍耐を支えるのは、性急に結果を求めないという心がけです。

本気で理想に向かっていくけど、一方ですべて叶わなくても構わないという思いも持つことです。

それがわかれば、あとは100メートルの短距離走のように、思いっきりやるだけです。

いや、そもそも人生の短さは100メートル走のようなものなんですが。

だからこそ、本当に悔いのない人生を生きるには、大きな理想を持つということなんです。

改めて、今回の要点

  • 何気なく行っている「思うこと」の偉大さに気づくことが、大きな理想を描く第一歩。
  • 現実的な成果やコスパ・タイパを求める物質主義的価値観は、魂の器を小さくさせてしまう。
  • 理想とは個人的な成功を超えた、「世のため人のため」になる大きな祈りのこと。
  • たとえ実現しなくても、理想に向かい続けることで魂を輝かせし、人生を「むなしさ」から解き放つ鍵となる。

なお、YouTube(Podcast)は今回の文字起こし編集でカットした部分もあります。

文字起こしは「幹」の部分を太くし、YouTubeでは「枝葉」の部分も語っています。

なのでこちらも聞いていただけると、より理解が深まります。

※この下に「音声プレーヤー」があります。倍速再生も可能ですし、YouTubeより通信量も少ないし、スマホを画面オフにしても聴けるので便利です。

マジスピラジオ:脱・お花畑の「真のスピリチュアル実践」
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第289回:天に愛されるには、この世を超えた崇高な理想を描き続けること。
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